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旅行記「北スペイン巡礼徒歩の旅」(その2)

巡礼22日目「1500メートル超のイラゴ峠」
 今日の巡礼は標高900メートルのアストルガから標高1400メートルのフォンセバドンまでの27キロ。でも、以前ほど暑くなく、比較的スムーズな巡礼の旅となった。スペイン南部は40度の猛暑に襲われているなか、ここ北部は別世界のようだ。昨夜宿泊した聖ザビエルというアルベルゲは名前に合わず単なる安宿で宗教性も神聖さもないところだった。そのようなことを期待するのであれば、教会運営のアルベルゲに泊まらなくてはならないのだろう。
 今日は再会が多い楽しい日になった。午前6時に安宿を出ると、1時間ほどで東洋系アメリカ人の若いカップルに追い付いた。相変わらず、女性は次の宿泊場まで宅配サービスを利用するためリュックを担がず歩いている。しばしば会うのは何かの縁だと思い、力士の絵の入ったコースターをいつもエール大学のTシャツを着ているミスター・エールに渡した。
 最近は、涼しいうちは私が先導して歩き、暑くなってくると妻が先に出るというパターンになっている。話し合った訳ではないが、この形が一番快適に歩ける。途中のBarで早い昼食を摂っている台湾人の若い女性二人組に追い付いた。中国語で立ち話をした。すでにFBの友達関係にあり、私の投稿記事を自動翻訳で読んでいて、「いいね」も押してくれている。翻訳は50%くらい理解できると言っていた。文才があると褒めてくれる。日本人だけでなく、海外の人々にも記事が読まれるのは素直に嬉しい。巡礼を追体験してもらいたい。彼女たちはいつか東京に行って、相撲を観戦したいそうだ。劉さんには力士のコースターを、林さんにはバッジを渡した。私たちの歩くペースの方が速いので、もう会えないかもしれない。
 さらに歩いて行くと、同じようなペースで歩いている女性と話す機会に恵まれた。スウェーデンから1人で来ている女性だ。一通りの挨拶話の後で、巡礼にやって来た理由を聞くと、宗教的なものではなく、50才の誕生日の記念だと語った。巡礼の旅は人生に似ている。他の巡礼者と会って、お話しをしたり、一緒に食事をしたりして、友達になり、たとえ別れても、どこかで不思議と再会する。すると、いっそう親密になる。ここではどんな人も平等だ。どこの国の人も、偉い人もそうでない人も、金持ちもそうでない人も、どのような神を信じている人も、無神論者も、若い人も年配者も。みんなお互いに気遣い、励まし合いながら、サンティアゴの大聖堂を目指す。彼女はそう力説する。私が抱いている気持ちとまったく同じだ。タイにも旅行したことがあると言うので、タイの観光地や食べ物の話でさらに盛り上がった。私と同じようにリラックスした人生が好きなようだ。「為すこと」よりも「在ること」が大事。
 サンティアゴ巡礼ルートの最高点1505メートルのイラゴ峠への道のりはピレネー越えに次ぐ厳しさと聞いていたが、案外楽に登った。事前に故郷八代の標高500メートル超の龍峰山に重いリュックを担いで登った事前トレーニングが生かされた。
 宿泊と朝食付きで8ユーロの格安アルベルゲに到着し、ベッドで休んでいると、以前に会った福岡出身のカップルが私たちの上のベッドにやって来た。10日ぶりくらいだろうか。すでにずっと先に行っていて、会えないだろうと思っていたので意外だった。さらに、英国の女性クレアがやって来て、隣のベッドを選択した。3回目の遭遇になる。彼女は非常に社交的で誰にでも話かけて友達の多い人気者だ。オーバージェスチャーが人気の秘密だろうか。私たちには易しい英語で話しかけてくれる。でも、足はテープを巻いていて辛そうだ。痛むかと聞いても、いつも大丈夫だと答える。自分に厳しく、人に優しい。バッジをプレゼントすると、大変好評だった。さっそく、リュックに着けていた。プレゼントした人の気持ちを大切にする人なのだ。
 30人くらいしか泊まれないアルベルゲは満員である。シャワールームは1つしかなく、しかもドアでなくカーテンで仕切られているだけだ。妻には非常に不評だった。それでも、西洋人の女性は大胆だ。シャワールームから出て来たとき、上半身は服を身に付けているが、下半身はパンティーだけという婦人を複数回目撃した。裸を見られることに対する抵抗感が少ないのだろうか。
 天気予報では天気は下り坂傾向になるという。明日雨が降らないよう祈りながら寝ることにしよう。

巡礼23日目「奇跡か偶然か」
 昨夜宿泊したフォンセバドンはパウロ・コエーリョの小説『星の巡礼』で、主人公が犬の姿をした悪魔に襲われて、瀕死の重症を負った場所だ。私は、虫は許せるとしても、イヌにだけは咬まれたくないとひどく警戒していた。西欧人は野良犬だろうが飼い犬だろうが、お構いなしに可愛がっていた。小説を読んでいなかったならば、黒いイヌを見ても、怖がらなかったのかもしれない。
 しかし、アルベルゲの夜はいろんなことが起こった。多くの巡礼者がベッドの寝袋に入った後でも、余り働かないアルベルゲのアルバイトのイケメン男性のギターに合わせて、巡礼者の若者たちが午後11時過ぎまで外で楽しそうに歌っていた。それが終わり静かになると、部屋の中で女性が私でも理解できる英語で寝言を言うのが聞こえた。人は大切なことは易しい表現で語るものなのだろう。
 深夜になると、今度はトイルの方向から女性が携帯電話に向かって、大声で叫ぶ声が聞こえてきた。目が覚めた。「黙れ、それはあなたの家ではない」と何度も女性は怒鳴り散らす。恐らく、財産問題か何か重要な問題で言い争っているのではないのか。電話口の相手も負けずに反論しているようだ。双方相当血が頭に上っているのが手に取るように分かった。なんだか天国の巡礼地から現実に引き戻されたような気分になる。現実はいつも利害が対立し厳しいものだ。
 口論が終わり一度寝入ってしまったのだが、今度は身体のあちこちが虫に刺されて痒くなり、何度も目が覚めた。真っ暗な中、ウェストポーチのなかから手探りで塗り薬を探し出し、患部に擦り込んだ。こんなことを夜中に数度やったため睡眠時間は少なかったのだが、なぜか腹が立たなかった。起きてしまったことに抵抗したり、文句を述べたりしても、事態は改善しない。それらを受け入れ、悪化しないようにするのが賢明なのだ。「為すこと」よりも「在ること」を受け入れ、冷静に解釈し、広い視点で時間の推移を見守るのだ。悪いことは継続しない。いつか好転する。大事なことは待つということだ。そう思って、しばらくして寝入ってしまった。
 早朝起きて分かったことだが、妻も上のベッドで寝ていた二人の日本人も虫に刺されていた。患部が赤く腫れている。虫刺されは日常のことと思ってしまえば、いちいち気にしても仕方がない。もっと重要なことはいくらでもある。
朝になった。昨夜からの祈りが叶ったためか、雨はぱらついたが、降るまでには至らなかった。今までの巡礼で雨が降ったのは初日の2時間だけだ。幸運が続いている。
 私たちは巡礼ルートの最高点1505メートルのイラゴ峠に建っている「鉄の十字架」を目指して歩み出した。霧が出ていて見通しはあまりよくない。途中で数匹の羊に会ったので、珍しいと思い写真を撮った。
 1時間ほどで頂上に到着した。クリスチャンである嫁の実家の両親から預かった小石をここに奉納してきた。「鉄の十字架」は世界中から願いを込められたいろんな石が持ち込まれるためか、小高くなっている。しかも、あたり一面に霊感が漂っている。1人でやってくると、ちょっと怖いだろう。霊場と言えば、高野山の奥の院を思い出すが、そこに行くと、弘法大師と大自然に抱かれたような安心感を覚える。キリスト教の教会は苦悩の表情を浮かべるイエスと悲しみにくれるマリアが天宮から我々を見下ろしている。人間は生まれながらの罪人なのだから、それらを贖罪したイエスに祈れと言われても、心の隅っこで窮屈さを感じるのは私だけだろうか。ヨーロッパが一神教に席巻されるまで、現地の人々は自然を崇拝し、いろいろな土着の神々を信じていたはずである。それらの伝統はいつの間にか消え去っていった。西洋の知識人は、多神教は原始的な段階の未熟な宗教だと低く評価するがそれは正しい態度なのだろうか。むしろ、一神教の方が人間の多様性を否定し、人間性を低めてきたと解釈できないものか。
 鉄の十字架をバックに写真を撮影するとき、突然青空が広がり、太陽が顔を覗かせた。幸運と思った。日本人らしい女性を見かけたので、夫婦二人の写真を撮ってもらった。しかし、後ほど、「私は韓国人です」と言われた。流暢な日本語だった。
 鉄の十字架を後にして山を下り始めると、山裾から霧が舞い上がってきて、一面真っ白になった。頂上が晴れていたのは、私たちが滞在していたほんの10分たらずだった。神からの祝福だったのだろうか、それとも偶然だったのだろうか。いや奇跡かもしれない。
 今日は山道を27キロ歩いたが、長距離歩いたという実感があまりない。疲れないのだ。歩くことが息をすることと同様に日常のことになりつつあるのだろう。習慣に勝る天才はいないのかもしれないと思った。

巡礼24日目「巡礼者定食」
 昨夜の宿はアルベルゲではなく、ホテルに逃げ込んだ。夫婦ともに虫に刺されてひどく痒くなり、服は下着も含めてすべてコインランドリーで洗い、寝袋とリュックはしっかり消毒した。これで虫どもは一網打尽になったはずだ。
 長距離を歩いているため、私はどきどき股擦れになるが、ムヒSを傷口に塗ると、すっきりして、痛みが消えていく。妻は割れ目ちゃんが擦れて、痛むと愚痴をこぼす。お尻も割れ目ちゃんも肉同士が擦れて皮膚の表面が破壊されるのだ。普段やらないことをやると、予想しないことが起こる。でも、日常を打破したり、ブレークスルーを興したりしたいのならば、これくらいのことは克服しなければならない。
 昼食は「巡礼者定食」をそれぞれ注文し、二人でシェアして食べた。一皿目はズッキーニのポタージュとペンネのミートソースかけ。二皿目は豚肉のリブの煮込みと牛肉のカツレツだった。これらにワインか水の飲み物とデザートの選択がついて、1人で11ユーロだ。量的には日本の定食の1.5倍から2倍はあるが、美味しいのでいつもすべて食べてしまう。昼食はこのようにがっちり食べ、夕食と朝食はスーパーマーケットで買った食材で済ます。今朝はミルクパンにサラダとチーズとキャビアを挟んで食べた。減量は巡礼目標のひとつであったが、すでに棄てた。せめて、体重増にならずに帰国したいものだ。
 今日は今にも泣き出しそうな空模様を気にしながら、24キロ先のビジャフランカを目指して急いだ。神々のご加護があったせいか、雨が降る前にアルベルゲに到着した。加えて、紫外線対策のサングラスとアームプロテクターは初めて使わずに済んだ。天に感謝しなければならない。
 今夜のアルベルゲは清潔そうで、今夜は虫に襲われなくて済みそうだ。チェックインのとき歓迎コーヒーを淹れてくれた上に、洗った服は脱水機にかけてくれるなど若夫婦の経営者は優しくもてなしてくれた。妻も機嫌がいい。宿に掲げられた写真を見る限りでは、彼ら夫婦2人でアルベルゲを改築内装し、経営しているようだ。創意工夫の跡が見える内装に彼らのひたむきさと巡礼者に対する愛情が感じられた。いつかまた泊まってみたいアルベルゲの一つである。
 明日は標高差700メートルの登りを30キロ以上歩く予定だ。雨が降らないよう祈るだけ。今まで、物事はすべて予定調和のように進んでいる。

巡礼25日目「神とサタンの戦い」
 善なる神は此の世を創造された際に、何故サタンも造られたのか。キリスト教に疎い私には、この深刻な問題について、神学論争でどのように説明されているか、知る由もない。
 今朝、他人の目覚まし時計の音で午前5時に起床した。雨が屋根を叩きつける音がしている。心を雨モードに切り替えないといけないと自分に言い聞かせた。食堂で朝食を済ませて、雨具を着て、アルベルゲに泊まっていた22名の中で最初に出発した。標高1300メートルを越えるオセブレイロまでの30キロの距離を雨の降るなかを歩くのだ。どんな困難が待ち受けているか分からない。強い気持ちを持たなければならないと自分に言い聞かせた。まだ暗いなか、巡礼路の目印を見落とし、ルートアウトしては引き返しつつも前に進む。明るくなっても雨の止む気配はない。いつものように足の速い巡礼者は後を追って来ない。彼らは雨が止むまで宿で待機しているかもしれない。雨足がひどくならなければよいと思いながら、歩行ペースを維持することに努めた。今までの旅で荒天にならなかった分、ここで借金を返させられないかと恐れた。天気予報は良い方向に外れていた。今日はそうはなるまいという気持ちがした。
 谷底の川に沿ってしばらく歩くと、前方の空が明るくなるのが見えた。妻に私たちの将来は明るいかもしれないねと半ば冗談のつもりで声をかけたが、反応は鈍かった。しだいに小降りになり、7時30分に雨が止んだ。空の一角に青空が覗いた。緊張の糸が緩むのが分かった。その時、うしろから走ってきた自転車が突然私たちの横で停止し、「日本人ですか」と、声をかけてきた。鹿児島出身の男性で、パンプローナを出発し、サンティアゴまで行くと言うのだ。自転車のため私たちの半分以下の日数しかかからない。昨年はニュージーランドの国土を自転車で3000キロ走ったというから強者である。もしかしたら、年令は私より上かもしれない。彼は今まで会った日本人の10番目だが、九州出身者は3組目になる。じつに多い。全員に出身地を聞いていないが、九州人は冒険が好きなのだろうか。そう言う私も九州人であるが。お互いの無事を祈って別れた。帰国して義母から聞いた話では、件の九州男児は巡礼の途中、NHKのラジオ番組に2週連続登場し、現地の模様を説明したそうだ。状況を掴めない義母にとっては、ずいぶん安心材料になったと言う。
 午前9時に行程の半分まで来たので、Barで休憩することにした。席に座っていたスペイン人のグループと目が合ったので、スペイン語で挨拶した。少し上達しているみたいだ。空は晴れて、日光が射すまでに回復していた。フランスパンに生ハムを挟んだボカディージョとカフェオレで鋭気を養った。40分ほど休んでいると、韓国人女性2人が追い付いて来て、従業員に薬局の場所を英語で聞いているのが耳に入った。1人が全身を虫に刺されて、痒くて堪らないと訴える。私たちと同じ被害に合っているのだ。従業員は2キロ先に薬局があると教えていた。私たち夫婦は彼らより先に出発したが、薬局までは3キロ以上あるように思えた。
 歩行は順調に進み、20キロ地点から登りが始まった。標高差700メートルを登らなければならない。
 空の天気は晴れたかと思うと、しばらくすると、黒い雲が突然立ち込め始める。雨が落ちて来るが、長くは続かない。すると、太陽が顔を覗かせる。典型的な山の天気である。刻一刻状況が変わるのだ。高度を上げていくと、晴れと雨の攻防は一段と激しさを増して来た。天空でまるで神とサタンが戦っているように思える。森林限界を越えると、急に冷たい風が吹き初め、身体の体温を低下させていく。神の勝利を期待するものの、サタンは手強い。大自然のなかでは、人間は弱い存在でしかない。サタンが自然を制圧し、どしゃ降りにでもなれば、いったい私たちはどうなるのだろうかと、頭をよぎる。
 目的地まで2キロの標識が目に留まり、辛そうで遅れがちな妻を励ましながら先を急いだ。宿に着けば、サタンも追っては来られまい。空では神とサタンの戦争が続いているが、風は一層冷たくなっていく。なぜか、巡礼者も見掛けなくなった。まさか道を間違えたのではないかと、余計なことまで心配してしまう。残り2キロがやたらと長い。薬局を探していた韓国人のことを思い出す。スペイン人は距離を短めに言うのだろうか。黒い雲が低くたれ込んでくる。神の勝利を祈りつつ、気持ちを強く持ち、危機を乗り切らなくてはならない。次の峠を越えれば、村が見えると期待しても、何度も裏切られてしまう。妻との差が開きだした。左足のかかとが痛いと訴えるのだ。明らかに歩き過ぎである。やはり800キロは妻にとって重い十字架だったのかもしれないと思った。でも、後悔しても何も解決しない。悪いことは重なるものだ。雨足が一層激しくなり、このままでは全身びしょ濡れになり、体温が急降下すると危ないと、思った瞬間、小さい村にたどり着いた。やっと着いた。サタンは断然優勢であった。
 よく頑張ったねと妻を労いつつ、最初に目に入ったホテルに飛び込んだ。救われたと思った。価格を気にする余裕はなかった。こうやって7時間以上の今日の巡礼は終わった。
 到着したオセブレイロ村は人口30人足らずの天空の村と呼ばれる非常に美しいところだ。巡礼路のなかでもっとも古いサンタマリア教会も建っている。ある身なりの悪い巡礼者がこの教会にやってきて、ミサをやって欲しいと頼むが、司教がぞんざいに扱っていると、赤ワインがイエスの血になり、パンがイエスの肉に変わったという伝説が遺されている。
 遅い昼食を終え、この教会で巡礼スタンプを押してもらった時、今日は思い出に残る日になったとようやく安堵した。

巡礼26日目「巡礼にやってくるのはロマン主義者」
 昨夜はホテルの大きめのベッドで同じ毛布に夫婦でくるまって寝たのだが、それでも寒かった。130人収用のアルベルゲは6度まで気温が下がり、非常に寒かったという。体が冷えて、風邪を引くのを恐れていた私たちの選択は正しかったのに違いない。
 私たちは防寒対策と雨対策をして、次の村を目指して7時40分に出発した。雨は降ったり止んだりを繰り返している。濃い霧も出てきた。巡礼者の像が立っているサンロケ峠を過ぎると、再び風雨が強くなり始めた。中間地点で暖まるため、Barに入ると、中年の韓国人女性が日本語で話しかけてきた。天気がすぐれないので、次の宿泊地までタクシーで行くが、同行しないかという誘いだった。誘いを断ったので、韓国人女性は一人でタクシーに乗り込んでいった。私はカフェ・オ・レで、妻は紅茶で暖まって店を出た。
巡礼路を歩き出すと、風雨はさらに強くなり、手や足の指先が冷たくなった。数日前までの灼熱の太陽はいったいどこに行ってしまったのだろうか。本当に今は夏なのか。自分はいったい世界のどこにいるのだろうか。こんなに寒いなか、半ズボン姿の西洋人が多いのは不思議である。世界は少しずつ狂い始めている。私はそう思った。でも、正気を維持するためにも、何事も厳粛に受け止めなければならない。それが修業というものだろう。不運を嘆いていても、心が乱れるだけで、何も解決しない。これは歩く禅なのだから。
 二人の西洋人が猛烈なスピードでやってきたので、「今日は素晴らしい天気の日だね」私からと語りかけると、彼は「巡礼者はすべてを受け入れなければならない」と応じて、去って行った。考えていることはみんな同じなんだ。天気が悪いのも、良いのも、受け止め方しだいなのだ。
 さらに、歩いて行くと、1人で巡礼している日本人女性が追い付いてきた。「仕事を辞め、気持ちの整理をするために、巡礼にやって来た」と言う。私の子どもと同世代の25才。私が「あなたもロマン主義者ですね。現実主義者は巡礼のような何の得にもならないようなこんなバカなことはしない」と言うと、彼女はクスッと笑った。若者は自分探しの旅に出たがるが、答を得られる者は少ない。人生は悩み出すと、迷宮に入ってしまい、そこから抜け出すことができなくなってしまう。そう思ったが、口にはしなかった。若いころに深く悩むほど、人は成長するものだ。のっぺりした無表情で無感動の中高年にはなって欲しくない。
 旅には二種類あると思う。一時的なものと永遠的なものだ。前者の旅は終わりがあり、いずれ自宅や然るべきところに帰って行く。何かを「為す」旅と言えるかもしれない。後者は旅が人生であり、死ぬとき旅が終わる。ある状態に「在る」旅と言えるかもしれない。こうなると、永遠の旅は出家と似てくる。リヤカーを引きながら四国のお遍路の旅を何千日も続けている人がいるそうだ。飲食や金銭のご接待を受けながらの旅であり、それが途絶えた時、命が絶たれる。まさに、毎日が一期一会なのだ。誰かと接している瞬間、その人のすべてが現れる。優しい人はその存在だけで他人の傷ついた人の心を癒やすことができる。心を閉ざした人はどんなにお金持ちであっても、友達が多くても、永遠に孤独な人生を送ることになる。
 長旅は虚栄を剥ぎ取り、人生を純粋化することで大切なことを炙り出す。私たちの旅のゴールはサンティアゴの大聖堂でも、地の果ての大西洋の海岸でもない。明るくなったら起きて、歩いて、食べて、誰かと会って話しかけて、暗くなったら寝る。その繰り返しだ。地球上では本質的に新しいことは何一つ起きない。単純なことの繰り返しだ。そこに何らなの意味を見出だすことができるかどうか。それは旅をする人もしない人も各自が答を発見していかなければならない。
 目的地に近づくにつれて小降りになった。巡礼者の気持ち和らぎ、会話が復活する。デンマークからやってきたという若者が楽しそうに話しかけてきた。日本は好きな国だと言う。そのすぐ後に追いついてきたスペイン人の若い女性がたどたどしい日本語で語りかける。
「ワタシハ、マンガがスキです」
 どうやら、彼女が日本語を学ぶきっかけになったのは、漫画やアニメのようだった。彼らは楽しそうに笑いながら、下り坂を走って行った。

巡礼27日目「野生の復活」
 3日連続の雨の中の巡礼となった。こんなに続けて雨が降ると、慣れてきて嫌な気持ちがなくなってしまう。毎日20数キロ歩いていると、歩くことが当たり前になり、特に何にも感じない。「在る」状態だから、呼吸と同じだ。疲れなくなる。大自然のなかで、美しい風景を眺めながら、前に進むだけ。急ぐわけでもなく、だだ、感謝するだけだ。自然に感謝し、神々に感謝し、人々に感謝し、食べ物に感謝し、万物に感謝する。
 今日も二つのルートがあったが、今まで通り長い距離の方を選んだ。苦労は買ってでもするものだ。雨は降っていたが、道は鬱蒼とした緑に覆われ、非常に気持ちのよい散歩になった。予想していた通り、途中でほとんど誰とも会わない。
 英国女性のクレアとBarで、4日ぶりに再会することを除いては。私たちは大聖堂到達後、大西洋を臨むフィステーラまで行く予定であるが、同じ海岸線のムシアにも是非とも行くべきだとアドバイスしてくれた女性がクレアだ。人懐こい人柄は魅力的だ。再会を非常に喜んだが、膝の状態が思わしくないようだ。早い快復を祈る。クレアはこのルートを選んで本当によかったと何度も強調していたが、その通りだと思う。彼女とは波長が非常に合うような気がする。
 長い間、自然のなかに身をおいていると、野性味が甦り、生命力が強くなっているようだ。都市文明の恩恵で生きていると、快適だが、生命力が減退し、老けるような気がする。野性は文字通り生命力の源であるので、大地や宇宙から気をいただいていると、死ぬまで精神力は老けないのではないか。100才くらいまではサンティアゴ巡礼を続けられるかもしれないとさえ思う。
 歩くことは大自然との会話である。歩くことは思考することである。歩くことは宇宙を感じることである。歩きながら神々に祈り、歩きながら友達を作り、歩きながら地元の美味しい食べ物を享受し、歩きながら文章を書いたり、歩きながら絵画を描いたり、歩きながら歌を歌ったりする。人間は太古からそうやって自由を獲得し、想像性を磨いてきたのではなかったのか。
 コンクリートの生活の中で、本質的なものが忘れられ、どうでもよい表層的なことに人々の関心が向いている。人間の瑞々しい生命力が減退している。先進国における人口減少は希望が失われた未来を物語っている。生物は希望がなければ、子孫を残そうとしない。人間は自ら築き上げてきた文明からの復讐を受けている。大自然に住む神々との縁を切り、自然を征服することで物質的に豊かになってきたが、失ったものは大きい。自然の中の神々との関係を修復し、人間の生命力を甦らせることが大切だ。宇宙、大地、故郷、神々、歴史、文化、人々との絆を強化しよう。それが孤独感から脱出し、命を輝かせ、人間の進化を前に進める鍵ではないのか。
 歴史上、サンティアゴ巡礼を経験した者は何千万人もいるだろう。それらの歴史上の足跡が巡礼路に遺されている。人々の熱い思いが漂っている。肉体の疲れは微塵も感じない。妻と私はほとんど誰にも会わず歩きつつも、心は暖かかった。決して孤独ではない。神々も自然も、過去に歩いた人々も、そしてこれから生まれてくる生命も私たちの歩きを見守ってくれているからだ。小鳥は永遠にさえずり、花は咲き乱れ、蝶は舞っている。巡礼者を歓迎するため、ニワトリ、ウシ、黒いイヌが巡礼路までやって来てくれる。みんなが、私たちを祝福しているのだ。

巡礼28日目「意識の源泉」
 3日間続いた雨も止み、観光客に人気のある美しい街ポートマリンまで23キロの快適な巡礼日となった。空も晴天になり、涼しい風が終始吹いているなか、牛の牧草地を歩き抜いた。
 神が創造された自然のなかに神の御心や意志を見出だすべく、学者は自然を解明し、近代科学は発展してきた。デカルトを引用するまでもなく、分析的手法は見事に成功し、科学は急速な発展を遂げ、高度な近代物質文明を築き上げた。先端の科学者は意識や自己を司る脳科学へと向かっているが、ここにきて難儀している。意識を司る細胞や部位が脳のなかにあるわけではない。シナプスの膨大なネットワークが意識や自己を生み出すとされているが、そんな説明では誰も納得できない。個人にとって自己はかけがえのないものとして、ここに確実に存在している。意識とはネットワークが作り出す「情報の雲」であると、とてもではないが、思えない。自分は厳然としてこの世に「在る」のだ。おそらく、脳のなかの生体物質の相互作用を追っていっても、意識や自己の正体には到らないのではなかろうか。意識は体内の生体反応のみでなく、体外的な様々な関係性のなかで構築されているからだ。自己は過去の経験や知見だけでなく、自然、人々、モノ、こととの相互作用のなかで、流動しつつも、リアリティーをもって立ち上がっている。実存的な存在である。命とはそのような存在だ。現在の自分は若いころの自分とは異なるが、同じ自己として認識している。しかし、今日の自分は昨日の自分とまったく同じわけではない。天気が変われば、気分も変わる。接する人々の影響は免れない。美しい自然に抱かれれば、少し優しくなるかもしれない。民族の神話を吹き込まれれば、自分の立ち位置が変わるだろう。いずれにしても、関係性のなかで、かけがえのない自己が規定されている。科学はこれらの気の遠くなる複雑な方程式を解かなくては、意識や自己を解明できないだろう。シュレディンガーの波動方程式を解くよりもはるかに困難である。
 翻って、個々人の立場に立つと、自己の快適性を増し、幸福になるには、関係性を豊かなものにすべきなのだ。それは身近な人々との関係性だけではなく、自然、神々、モノ、物語、希望などすべてのものを含むのである。情けは人のためならず、とはよく言ったものだ。自分の発した行為や言葉は自分に跳ね返ってくる。自然のなかに、神々を感じる者は幸福である。極端な唯心論に傾くのはサタンの誘惑に陥る恐れがあるが、浅はかな唯物論しか信奉しないというのも淋しい。正しい道はやはり大自然のなかに隠されているように思われる。そこは人間の故郷である。私たちはそこから生まれ、そこに帰っていくのだから。

巡礼29日目「冷酷なシステム」
 昨日から巡礼者が多くなった。サンティアゴまで100キロ以上歩くと、巡礼証明書がもらえるため、時間のない人や体力に自信のない人は100キロ超の距離にあるサリアから歩き始めるからだ。
 私たち夫婦は6月4日に牛追い祭りで有名なパンプローナから歩き出し、虫刺されや冷たい風雨にも遭ったが、ほぼ予定どおり巡礼し続け、7月5日午前中にサンティアゴに到着できる目途はついた。巡礼者は正午から始まる巡礼者を祝福するミサに出席するのが習わしになっている。サイゴン出身のアメリカ籍のニック、仕事を辞めて巡礼にやってきた韓国人カップル、日本のW大学の就職浪人生、英国女性のクレアとは、ミサ終了後、近くのBarで大いに飲もうと言い合っているが、果たし実現するのだろうか。
 その前に、3日後大聖堂の前でどのような気持ちになるのだろうか、予測がつかない。今までゴールを意識せず、一日一日を大切に過ごしてきたため、突然終わりがやって来ると言われても困ってしまう。
 ここで話はいつものように飛ぶ。思索はいつも自由でなければならないと思う。現代人の大多数は人間が作り上げてきたシステムのなかで生きている。システムはじつに効率的だが、いざというときには無責任で、無慈悲だ。人間の顔をしないときは多々ある。それでも、私たちはシステムの指令に従って動いている。仕事を辞めて巡礼にやってきた者は、システムの在りかたに疑問を持ち始めたからではないか。システムはそのような者を検知し、排除する仕組みを持っている。
 東電原発事故は多くの福島県民のコミュニティを破壊し、あらゆる関係性を台無しにし、人々の人生を奪った。しかし、責任を取る人物は現れず、逃げ回っているばかりだ。教訓が得られなければ、事故を繰り返すことにもなりかねない。個々人はシステムの指令に従って活動しただけであり、何かの罪を犯したわけではないと考えている。何かが間違っているとすると、システムが悪いということになるが、システムは自己を正当化し、改良しようという方法に機能しない。被害者は怒りをぶつける対象を見いだしにくいのだ。システムは冷淡だ。人間味のないシステムはもしかしたらサタンが支えているのかもしれない。システムのなかにいて、暖かい人間性を保ち続けていくのは容易ではない。あらゆる制度は人間が作ったものだが、人間がそれに支配されているとすると、それはいったいどこに原因があるのだろうか。神は近代の夜明けとともに死に、何一つ語らないのだろうか。システムはこれからますます狂暴になるのだろうか。現代における巡礼の意味とはいったい何なのだろうか。
 アルベルゲの巡礼者が干している洗濯物は何も語らない。平凡ないつもの幸せな光景を呈しているだけである。

巡礼30日目「水曜日の物語」
 ついに巡礼1か月が過ぎたが、長かったようでもあり、あっという間のようでもある。
 高校生のグループはおしゃべりしながら歩き、夜は消灯までうるさいが、早朝は弱い。家族連れの子どもはみんなつまらそうに歩いている。年頃の可愛いおんなの子には若い男たちがちょっかいを出す。世界中で行われていることが、巡礼の地でも見かけられる。
 20年前に福岡の幼稚園で教えていたという女性から日本語で話しかけられた。空手を習っているというスペイン女性にも会った。日本は世界にネットワークを広げているようだ。このようなつながりを大切にすることから新しい物語が始まるのではなかろうか。
今日、ついに50枚目の絵はがきを書き上げて、黄色いポストに投函した。SNSが発達している現在、いまさらはがきや手紙は時代遅れのように考える人々は少なくないが、これらの意義は大きいと思う。はがきや手紙はSNSでは伝えられないことを伝えることができる。書いてある情報は同じようなことでも、手書きや絵はがきそのものに込められた思いは人を感動させることができる。
 かつて、熊本県津奈木町が赤崎水曜日郵便局プロジェクトをやっていたことがある。水曜日に起こったことを手紙に書いてこの郵便局宛に郵送すると、数週間後に誰かが書いた水曜日の物語が郵送されて来るのだ。自分の書いた物語も誰か見知らぬ人に届き読まれることになる。差出人の情報は都道府県、年令、ニックネームしか知らされない。それは一回限りの軽いコンタクトに過ぎない。二度と手紙を交換することも、相手を知ることも、会うことも許されない。このような非合理的で、非効率的とも言えるプロジェクトがヒットした。親にも親友にも言えない自分の書いた水曜日の物語を読んでいる人がこの世に一人だけいる。少なくとも、その人とは見えない糸で繋がっているという思いは絆である。このような感覚は自然のなかや自分の心のなかの、神性や仏性を感じ取ろうとする行為に似ている。はがきや手紙はやはり人間にとって重要なものなのだ。感覚を研ぎ澄まし、遠い向こうにいる人々や自然のなかの神々を意識しようという営みが人の心を豊かにする。巡礼に来ている人々には敬虔なクリスチャンは少ないが、自然のなかのスピチュアリティを感じ取るために来た者は多い。巡礼の意義はここにある。目に見えないものしか信じない、利益になることしか関心を示さないという態度はもう止めよう。それはサタンの好む論理である。人類史を新しい段階へと推し進めよう。
 飲み物と簡単なスナックを買うために、チェックインした民宿を出て、教えてもらった近所の売店に行った。売店とBarの両方を兼ねた店主は英語ができた。私たちが日本人だと分かると、最近買ったマツダのクルマは素晴らしいという話を始めた。クルマの話題が一通り終わると、顔を曇らせて、福島原発事故はまだ放射能を巻き散らしているのではないかという話をした。巡礼中、原発事故について質問を受けるのは2度目だった。私は彼の疑問にできるだけ丁寧に答えたのだが、どこまで正確に通じたのかよく分からない。原発事故はヨーロッパ人の心に止まり、忘れられていないのだ。
 民宿の食堂でアイルランドの生命工学を専攻している大学院学生と夕食をともに摂った。楽しい一時だった。「あなたは私たち夫婦の3番目の子どものようなものだ」と言うと、彼女はにっこり笑った。明後日のミサで彼女と会えるだろうか。繋がりたいというみんなの気持ちが地球を正しい方向に回転させ始めている。

巡礼31日目「巡礼が終わるのが恐い」
 この数日は妻が快調な歩きで先導し、私が後からつけるというパターンが続いている。100キロを18時間強で歩く私の面目丸潰れである。ストックは片方が壊れ、靴下は二足とも無残にも破れた。700キロを歩き続けることの凄さを再認識させられた。
 一昨日、アルベルゲの同じ部屋だった韓国人カップルとは、競争ではないが抜きつ抜かれつしながら、何回も声をかけ合った。
 英国女性のクレアとは4、5日ぶりの再会だ。お互いの健闘を称えあい、抱擁しあった。クレアは夫が巡礼証明書の資格が生じるサリアから同行してきたため、いっそう元気になった様子だった。主人は終始笑顔のままだった。愛する者が身近にいると、やはり心強い。
 昨日、半分も聞き取れないスペイン語を話していたスペイン人に再会したので、お相撲さんの絵のコースターを差し上げると、コースターにサインをしろとせがまれた。
 台湾人の劉さんと林さんの若い女性とはじつに10日以上ぶりである。大きく手を振ってくれた。初めて会うブラジル人から一緒に写真を撮ろうと求められた。巡礼者がBarで休んでいると、観光バスが激励のクラクションを鳴らしながら通りすぎた。脚を引摺りながら歩く巡礼者がいるものの、大半は笑顔が戻り少々興奮気味だ。終盤に入り、巡礼の雰囲気が変わった。サンティアゴの大聖堂まで残された距離は僅か20キロとなった。各々の巡礼者の動機は異なっていても、日常生活から離れて、自然のなかのスピチュアリティを感じ取りながら歩いたのは同じだったのではないか。
 私は時々、高野山の早朝を思い出している。夜が明けると、宿坊の寝床から遠いところからカラスの鳴き声が聞こえる。ついで、中庭でカエルが鳴き始める。さらには、小鳥たちが目覚ましかわりに、さえずり出す。自然はじつに魅力的で、豊かだ。しばらくして、午前6時から開始される勤行に出席して、読経に耳を傾ける。意識は静かに自分の心へと向かう。気持ちが落ち着いてくる。場所は異なっていても、似たような気持ちを抱いている自分を発見している。
 正直言って、巡礼を終わらせるのが恐いという気持ちもある。このままずっと毎日が続いていけば、どんなに楽だろうかとも考える。巡礼の今までの出来事を思い起こしつつ時間が過ぎていく。明日は早起きして笑顔で出かけなければならない。それが今できる最善なことなのだろうか。

巡礼32日目「ミサでハポン巡礼者と言わせたい」
 ドミトリー式のアルベルゲで午前5時前に自然と目が覚めた。簡単な朝食を済ませ、私たちは5時35分に誰よりも早くアルベルゲを出発した。なかなか明るくならないので、1時間くらいヘッドラインを点けて歩いた。思い返してみれば、出発地点のパンプローナから西に向かって700キロも歩いてきたのだ。地球の西側にやってきたので、だんだん夜明けが遅くなり、日没も遅くなるのが自然の法則というものである。改めて簡単なことに気がついた。
 サンティアゴの市街が見下ろせるところまでやってきた。もうすぐだと気が焦るのだが、市街地に入ると何度も信号に行く手を阻まれる。韓国人の留学生に会い、「大聖堂の広場で泣く準備が出来ているか?」と問うと、「きっと、僕は感激のあまり大声で叫ぶだろう」と答える。言葉はいらない。みんな気持ちは分かっている。同じだ、同じなんだ。
 私たちは先を急いだ。それには理由があるのだ。午前11時までに巡礼証明書を発行してもらえれば、正午からのミサで巡礼者の出身国の名を呼んでもらえる可能性がある。何度も長い赤信号で行く手を挟まれる。通常Barで2回休憩を取るのだが、今日は1回で済ませた。急がねばならない。
 やっと午前10時過ぎになって、大聖堂前のオブライドイロ広場に到着した。巡礼者たちは抱き合って喜んでいる。以前何回も会った日本人カメラマンと視線があった。ひどい虫刺されのため医者にかかり、遅れていたはずなのだが、プロ根性で盛り返してきたのだった。大聖堂の前の私たち二人の証拠写真を彼に撮ってもらった。感激の瞬間である。妻も苦しみによく耐えてくれたと思う。あっぱれである。予想以上の体力と根性を出してくれた。他に知り合いはいないものかと、広場中に目を向けたが、発見することはできなかった。抱擁の準備はできていたのだが、少し残念だった。
 興奮も冷めやらぬうちに、巡礼証明書を発行してもらうために200メートルくらい離れた巡礼事務所に向かった。そこではクレデンシャルを提出し、今までアルベルゲやBarで押してもらったスタンプが確認された。巡礼の開始地点、開始日、巡礼の手段が聞かれた。そして、巡礼の目的を、宗教、スピチュアリティ、体力挑戦から選択するように言われた。私は迷わずスピチュアリティに印をつけた。正午からのミサで、あなたの業績を報告してもよいかと問われたので、勿論と答えた。是非、ミサの席で母国の名前ハポンと呼んで欲しい。証明書を受け取って、大聖堂の方向に戻る途中、英国留学中の中国人学生、コースターを渡したスペイン人と会ったので、お互いの健闘を称え合った。
 それから明日以降の交通機関などの情報を入手するために、インフォメーションセンターに行き、さらに今夜の宿のペンションにチェックインしていたら、大聖堂に入場したのは正午に近くなっていた。千人を超える人々が会場を埋め尽くしている。私たちの席はなく、立ったまま、ミサを聴くことになった。大聖堂はバチカン、エルサレムに次ぐカトリックの第3の聖地と言われるだけあって厳粛な雰囲気に覆われていた。巡礼者を祝福するためのミサだと、聞いていたが、観光客や敬虔なクリスチャンが多いように見受けられた。教会の隅で懺悔する信者あり、跪く者あり、司教の言葉に涙ぐむ者ありと私たち異教徒にとっては居心地の悪さを感じた。ミサの進行途中、「静かにして下さい、フラッシュは禁止です」というアナウンスが何度もスペイン語と英語で繰り返された。敬虔な信者と見学目的の人々が混在しているのだ。これは一神教を信じる者と無神論者が併存している現代をよく映し出しているのではないのかと思った。
 私は夢想していた。まだ再会していないパブロが司教の服を纏って、ミサにやってきたならば、どんなに愉快なことだろうか。それこそ奇跡が起こったと断言してよい。司教が入場してきたが、そんな非常識なことはけっして起こらなかった。
 巡礼者が紹介される場面となった。次々と巡礼出発地点と出身国名が読み上げられる。巡礼者の名前は言われなかったものの、「パンプローナから出発した日本人巡礼者」と私でも分かるスペイン語で紹介された。私たち夫婦のことだ。よかった。安堵の瞬間だった。
 大聖堂の地下ではヤコブの聖遺物が収められている銀の箱を見ることができる。意外に小さいものだった。中央祭壇に置かれているヤコブの像には、なんと祭壇横の階段を上がっていくと、後ろから抱きつくことができる。ご神体に触れることができるのだ。私も長蛇の列に並び、金属で作られたヤコブ像に抱きつきながら、「ヤコブ様、ヤコブ様」と心の中で2度唱え、巡礼の無事に感謝した。なぜだか、少し恥ずかしい気分になった。
 大聖堂の内外で、今まで会った人々と再会した。W大学の学生、韓国人の若いカップル、26才の失業中の日本人女性、アメリカ人のニック、サングラスをかけていたスペイン人、二日前夕食をともにしたアイルランド人学生、18名の韓国人団体巡礼者。我々はお互いの健闘を称え合い、ときには抱き合って喜んだ。みんな清々しい顔をしている。
 サンティアゴ巡礼を終えたからといって、就職に有利に働くわけではない。「私はこの世の天国を経験して来ました」と人事担当者に正直に言おうものならば、変な奴だと思われて就職の機会を得られないかもしれない。「20か国以上の国々からやってきた人々と胸襟を開いて語り合い、異文化交流を体験しながら多くの友人ができたのは大きな財産になった」などと答えるのが、現実社会で生きている上で知恵であり、大事なことなのだろう。もっとも、私は現役を辞めて定年退職したため、つまらない建前を言う必要はもはやない。若い人は天国を経験しつつも、現実と折り合いをつけながら生きていかなければならないので大変である。
大聖堂の近くでは多くの乞食を見かけた。半強制的に寄付を要求する団体も周辺にいる。配備された警察はテロを極度に警戒している。リュックを背負って大聖堂の中に入ることは禁止されている。爆弾テロを警戒しているからに違いない。仮にここの聖地でISが自爆テロを強行しようものならば、宗教戦争に発展しかねないだろう。現実は依然として厳しいままである。
しかし、我々巡礼者は長い間大自然に抱かれて歩き、素直な気持ちで励まし合い助け合ってきたのは否定のできない事実である。此の世にアダムとイブが住んでいたころの楽園があることを知った意味は大きい。巡礼路は紛れもない天国であったのだ。お金も、名誉も、年令も、国籍も、ここではまったく関係がない。かけがえのない生命を持つ者として、敬意を表してきたのだった。彼らとは二度と会えないだろう。いや神のお導きで奇跡的に四国のお遍路で遭遇するかもしれない。再会できても、できなくてもそんなことはあまり大差ない。サンティアゴ巡礼で会って言葉を交わし、お互いを思いやったことが重要だ。それらは心の底に永遠に残り続けるのだ。ありがとう、みんな。感謝している。何十億人のなかであなたに会えたのはまさに奇跡なのだから。

巡礼33日目「達成できた目標」
 昨夜は大聖堂への到着を祝い、山盛りの海産物と赤ワイン1本を夫婦二人で平らげた。普段お酒を飲まない妻も今日ばかりは飲んだ。そして、夜が暮れると、大聖堂近くのペンションの屋根裏部屋のベッドからサンティアゴの夜空を眺めながら眠りについた。ロマンチックな夜だった。
 しかし、旅はまだ終わらない。地の果てという名のフィステーラまでたどり着くのだ。今日は休養も兼ねて、バスで海岸線の街ムシアへと向かった。明日はここからフィステーラまでさらに30キロ強歩き、巡礼の旅が完結する。
 同じバスを待っていた若い日本人男性と会い、少し話をした。巡礼の魅力にはまってしまい、2か月間も旅を続けているという。EU圏内の滞在は3か月以内と決められているので、あと1か月滞在し、一旦帰国してお金を稼ぎ、またやって来たいという。此の世の天国の存在を若くして知ってしまったのだが、それが彼にとって幸せなことなのだろうか。よく分からない。先の人生はまだ長い。退職後の残り20~30年間天国を体験する私と、まだ70年くらい生きなければならない彼とは、天国の持つ意味合いが異なるのではないのか。彼が天国に退屈しなければよいがと勝手に思った。天国に飽いたら、すべてが地獄になるのが恐い。
 今回の私の巡礼の旅には10個の目標があった。今日はそのうち実現したものに触れたい。まず、最初のきっかけは100キロウォーキング大会のための鍛練の場として、サンティアゴ巡礼が目に留まった。1か月かけて800キロも歩けば、体幹が鍛え上げられるだろう、と考えた。次回の大会で未達成の18時間切りが達成できるかどうか分からないが、この目標は実現できたと考えてよい。
次に巡礼記を書き、FBに投稿することだった。この目標も達成されたと考えてよい。ただし、スマホからの投稿だったため、文章を練る余裕がなく、論理の飛躍や説明不足や中途半端な知見が随所にあったのではないかと心配している。容赦願いたい。
 3番目に絵はがきを50枚書き、投函することだったが、これもどうにかやり遂げた。はがきや手紙は永遠に不滅である。これらはデータではなく、情けや感情の伝達手段なのだ。天才棋士をいとも簡単に退ける最先端の人工知能でも、それらの意義は理解できないだろう。知性では解明できないものを宿しているのが人間なのだ。
 4番目は友達作りだった。巡礼者はみんな魅力的な人々だった。地元のスペイン人もじつに親切だった。彼らとは二度と会うこともないに違いない。でもそれで構わない。人生は一期一会なのだ。会ったその瞬間が大事であり、すべてである。その場にお互いのすべてが露呈されてしまう。一刻たりともおろそかにしてはいけない。生きている実感をつねに抱きつつ生きるのが使命であるのだ。
 5番目は外国語の上達だった。スペイン語はどうにかサバイバルのレベルにあるが、想定していたほど上手くはなれなかった。今後とも努力していくしかない。ドイツ人にGuten morgen.と挨拶するだけで、非常に悦ばれた。学生時代に第二外国語として学習したのだから、復習しておけば、もっと話せたと悔やまれる。暗記した文章を10くらい話したら、ドイツ人は感激し、涙を流し、ドイツビール1杯くらい奢ってくれたに違いない。急に思い出したのだが、私が40年前の学生時代に、一人でヨーロッパに旅行に行ったとき、ドイツ人のおじさんに「またドイツと日本が組んで、米国と戦争しようではないか。今度こそ負けないぞ」と言われて仰天したことを昨日のことのように思い出す。ドイツ人は日本人が好きなのに違いない。日本語が流暢な韓国人に3人も会ったのは驚きだった。私が知っているハングルと言えば、アニョハセヨとカムサムニダしかないから、じつに恥ずかしい。新たにフランス語を学び、フランスの田舎の巡礼路も歩いてみたいものだ。外国語の学習は上達が遅く、面倒くさいが、交流の入り口だと考えて、最低限の表現は身につけたいものだ。
 6番目の目標はデッサンと水彩画を描くことだったが、あまり描く機会がなかった。FBへの投稿記事でエネルギーを使い果たし、創作意欲が湧かなかったと言い訳しておこう。それでも、デッサン3枚、小さい水彩画10枚くらいは描けた。
 残り4つの目標については明日書くことにする。

巡礼最終日「妻のなかに神性を発見した」
 ムシアから最西端のフィステーラまでの30キロ強が最後の巡礼となった。しかし、妻はラスト8キロで、肩や足の痛みのため大失速し、私はひどい股擦れに悩まされた。天は巡礼の終了を催促しているように思った。これで最後の日にしようと、歩きながら思った。
 やっとの思いでアルベルゲに到着したのは午後2時を回っていた。いつものようにシャワーを浴び、洗濯し、外出して遅い昼食を摂って、アルベルゲに戻ったのはすでに6時前だった。2時間のシエスタをとり、街から3キロ先の半島の先端に向かった。世界でもっとも美しいと言われる沈む夕陽を見るためである。
 断崖絶壁の先端で冷たい風のなか45分待ったが、太陽は雲と霧に隠れたまま姿を現すことはなかった。奇跡が起こることを期待したが、実現しなかった。妻は疲れ果てているせいか、ご機嫌が悪い。夕陽を諦めて、宿に帰る途中、ふと東の空を見上げた。月が出ていた。それも満月に近かった。思い起こせば、巡礼を始めた日も満月だった。満月は少しずつ欠け、再び膨らみ、満月となって、また欠けつつあるのだ。文字通り、1か月以上が過ぎたのである。もう巡礼を止める潮時なのだ。
妻に「美しい月だね」と言うと、「月も星も見る余裕がまったくなかった。写真を撮る余裕さえなかった。あなたに迷惑をかけまいと、毎日どうにか歩き通すことで必死だった」と涙声でぼそっと語った。私の皮膚に電気が走った。愚痴はほとんどこぼさなかったが、じつは辛かったのだ。それを言葉にしてしまうと、緊張が解けてしまうのが恐ろしかったのだろう。私は妻の心のなかに神性を発見した。神は自然のなかだけでなく、身近な妻の内面にも存在しているのである。もしかしたら、この発見は巡礼の最大の成果だったのかもしれない。
 私たちは黙ったまま、アルベルゲに戻り、簡単な夕食を摂った。お腹が少し膨れると、暖かい気持ちになった。すべては終わった。残り数日のスペイン滞在で疲れをとって帰国することにする。
 今回の巡礼の10の目標のうち実現できなかったのは4つある。
 まず、減量はできなかった。毎日8キロのリュクを背負っての平均4万歩の消費エネルギー以上の美味しい食事を楽しんだのだから仕方がない。食べる量を減らさないと、体重は減らない。
 次に、サンティアゴ巡礼の舞台を題材とした小説を書こうと目論んでいたが、あっさり断念した。この旅行記は一つの物語だ。私が主人公であり、作者であった。小説を書いてもより面白い物語は書けないだろう。そんなことをしたら、神聖なものを壊してしまうような気がしてならない。
 3番目に実現できなかったことは奇跡の体験だ。聖ヤコブは私たちに何かの奇跡をもたらしてくれなかった。でも、困ったことに遭遇すると、必ず助けの手が差し出されたのは不思議だった。巡礼路は神がかっていたのは事実だ。
最後の目標は27年連れ添った妻への感謝を伝えることだったが、逆に巡礼中、妻にお世話になった。妻は色々な食べ物に果敢に挑戦し、美味しいものを発掘してくれた。辛い巡礼のなかの精神的かつ肉体的清涼剤となった。
 一神教の神は死んだかもしれないが、神々は自然のなかに存在することを実感できた。神々はまた自然のなかだけでなく、妻の心のなかにも住んでいたのを悟ったのは大きな収穫だった。女性は男友達より神に近いのだ。いつか、妻に感謝の気持ちを具現化しなければならない。
 最後に、巡礼中に会った世界各地からはるばるやってきた人々にありがとうとお礼を言いたい。あとで数えてみたら、分かっているだけでもじつに24か国の人々と会話をしていた。地元スペイン人の気さくな人々にも感謝したい。
私の描こうとした大聖堂の水彩画は時間切れで未完成の作品となった。聖ヤコブは再びやって来なさいと示唆されているのだろう。いつか必ずやってくると、私はヤコブの背中の感触を思い出しながら約束した。
Where there’s a will,there’s a camino! Nos vemos. Pasarlo bien. Animo, por favor. 「意志のあるところ、必ずカミーノ(道)がある。みなさん、いつか会いましょう。人生を楽しみましょう。それまで、お元気で!」(了)