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旅行記「北スペイン巡礼徒歩の旅」(その1)

 明日から北スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を目指す巡礼徒歩の旅に出かける。大聖堂が祀られているのはイエスの直弟子の一人ヤコブだ。妻は考えた末、私に同行することに決めたが、完歩できるかどうか一抹の不安を感じる。
 800キロ徒歩の大切な友達であるリュックとシューズは新調し、新鮮な気持ちで臨むことにした。自宅付近の神社で安全祈願も済ませたので、元気を出して出発する。
 まずは習いたてのスペイン語で、Buen camino! 良い巡礼を!

巡礼0日目「42時間の長旅」
 八代の家を出て最寄りの駅から普通列車と地下鉄で福岡空港まで行き、香港空港の乗り継ぎで6時間待ち、マドリッドに着いたら4時間バスを待って、6時間の長距離バスの旅で美食の街サンセバスティアンのホテルにやっと着いたのは、家を出発してから42時間が経過していた。この間、風呂に入っていないのだが、空気が乾燥しているためか、あまり不快に感じない。さらに、道中、現地に住んでいる日本人、旅行中のロシア人と楽しく会話する機会があったこともあり、長旅があまり苦にならなかった。でも、時差と睡眠不足のため、気力が湧いてこない。
 サンセバスチャンはあいにく雨のため、楽しみにしていたBar巡りは止めて、ホテルのレストランで夕食を済ませた。パンの上に海産物や生ハムを載せたピンチョスを美味しくいただき、赤ワイン含めても二人で17ユーロに届かなかったので、妻と顔を見合わせてニンマリ。上々のスタートだ。でも、今後の長旅を考えて、明日までは歩く距離を極力抑え自重したいと思う。

巡礼1日目「ホテルの壁は薄い」
 騒音で午前4時に目が覚めた。女の大きな喘ぎ声が聞こえる。妻が喘いでいるわけではないのは明らかなのだが、いったいどこから聞こえてくるのだろうか。テレビはつけていないから、エロい番組ではない。妻も派手な声に目が覚めたようだ。
「隣の部屋からだな・・・」
 壁は防音機能がなく、そのまま聞こえてくる。まるで同じ部屋から聞こえてくるみたいだ。スペインのホテルはこのような作りになっているのかと、驚いてしまう。
「我々も彼らに負けずに励もうか!?」私がそう言うと、妻は顔を赤らめて、読みかけの文庫本を持って、音のあまり聞こえないトイレに消えた。騒音は30分続き、男の行く小さな声を最後に静かになったが、時差のせいもあり、それ以降眠れなかった。
サンセバスチャンが世界的な美食の街になったのはコロンブスのアメリカ大陸発見後、ジャガイモやトマトなどの新しい食材がサンセバスチャンに陸揚げされるようになったためだと歴史は教える。ここで美味しいものを食べて英気を養い、時差ボケを解消して、巡礼を始めるという魂胆であった。
 まだうす暗い午前6時にホテルを出発すると、日曜日の朝まで飲んでいた若者にからまれないよう注意しながら、旧市街を歩いた。貝殻の形をした美しいラコンチャ海岸を散策し、展望台近くまで登ったあとで、ターミナルに戻ってバスに乗り70キロ内陸のパンプローナに向かった。巡礼の始まりだ。
 初日から運悪く、雨が降る中、私たちは2度も迷子になったが、地元の人に声をかけられ、行くべき道を教えてもらった。これでスペイン人に対する印象が良くなかった。パンプローナはヘミングウェイの『陽はまた昇る』の舞台となった牛追い祭で有名になった街だ。7月の祭には人口の10倍の人々が押し寄せる。ヘミングウェイがよく通ったというカフェの前で記念撮影を終え、牛追いの800メートルのコースを歩き、巡礼のお守りの貝殻を買った。貝殻は守護神ヤコブの象徴であるため、ほとんどの巡礼者はリュックにぶら下げて歩いている。
 パンプローナでは巡礼ルートを逸れても是非訪れて見たかった場所がある。それは日本に最初にキリスト教を伝えたザビエルの像のある山口公園だ。当時のカソリック教会は組織内の出世のため、毒殺や賄賂が横行するなど腐敗堕落していた。そのため、カルビンやルターらのよる宗教改革の嵐がヨーロッパを覆う様相を呈していたが、ザビエルは同じくスペイン出身のロヨラらとともに留学先のパリでイエズス会を創設し、カソリック教会を本来の姿に戻そうと企画していた。
 貴族階級のザビエルは下層階級のロヨラの影響もあり、異常なほど真面目で、敬虔なキリスト教徒であったという。インドに派遣されたザビエルはそこで日本人に会い、大いに興味をそそられた。日本にやってきたザビエルは山口の大名に布教の許可を得ると、キリスト教は瞬く間に国土に広がっていった。それまで日本人が信じていた大日如来の概念がデウスにとって代わられ、理解されやすかったためだろうか。真面目な彼が日本に来なかったら、キリスト教はあまり広がらず、日本の歴史は変わっていたかもしれない。
 今夜の宿はパンプローナから6キロ郊外のシスール・メノールの巡礼者簡易宿のアルベルケ。1人10ユーロだが、ドミトリー式の大部屋のため、プライベート空間がない。でも、友達はすぐできそうな雰囲気がある。
 私たちのすぐあとに部屋に入ってきて、話しかけてきたオランダの男性は母国から歩いてきたそうだ。2か月以上旅を続けていることになる。こんな奴ばかり巡礼の旅にやってきているのだろうか。いきなり先制パンチを食らった。
 福岡からやってきたというフランス語と英語ができる女性はフランスのル・ピュイから1か月以上歩き続けていると言う。途中、高原で季節外れの大雪に遭遇した経験を楽しそうに話す。
 有料の乾燥器を使おうとして、コインの入れ方が分からずに機械を弄っていると、男がやってきて教えてくれた。後で聞いたのだが、彼こそ巡礼の旅でたびたび会うことになるパブロという名のスペイン男である。
 今日は自重したつもりだったが、雨中にも関わらず歩数は3万歩を超えていた。明日は晴れて欲しい。そのように願ってベッドの上の寝袋に潜り込んだ。

巡礼2日目「天国のような小麦畑の風景」
 昨夜の巡礼者簡易宿泊所アルベルゲでは2段ベッドが5つ配置してある狭い部屋に妻と押し込められた。深夜12時を告げる近くの教会の12回の鐘の音で目が覚めた。隣の英国人男性のいびきが鳴り響いている。なぜ、こんなに大きな音にみんな寝ていられるのだろうか。しばらくして静かになったと思ったら、今度は上のベッドに寝ている妻のいびきが鳴り始める。まったく、秋の虫の共鳴ではあるまい。その後うとうとしていたのだが、結局、睡眠不足のまま午前6時半に宿を出た。
 村を離れると、美しい麦畑が広がる。小鳥のさえずりも聞こえ、雨上がりの空に美しい虹が三重にかかっている。高原は水を打たれたように、瑞々しい。別世界のように綺麗だ。まだ巡礼は始まったばかりだが、来年もやって来たいと心から思う。虹の写真を撮っていると、いびきの英国人男性が追い付いてきて、笑顔で挨拶して先に去っていった。妻もそうだが、鈍感力の強い者は勝利者になる資格がある。羨ましい。
 少しずつ高度を上げ、標高790メートルの「ペルドン峠」の巡礼者たちを模したモニュメントに到着した。わたしも彼らの列の隙間に入って写真に収まった。
 巡礼ルート上には大方5キロ毎に村がある。Barに入ってスペイン式朝食を済ませた。それも休息を兼ねて8時と11時に2回の朝食を摂った。最初はクロワッサン、バナナ、オレンジ、カフェラテで、2回目はヨーグルト、フルーツポンチ、マフィンだった。何れも美味しくて、しかも安い。
 今日は後ろからやって来る巡礼者に次々に追い抜かれる。健脚揃いだ。そのなかにあって、細身の中年女性がうつむき加減に歩いているのが気になった。目的地のプエンテ・ラ・レイナのアルベルゲには午後1時前に到着した。個室があるというので、いびきから解放されたいがため、即決した。巡礼とはいっても、やはりまだ慣れないなかでの睡眠不足は辛い。今日のこれまでの行程は20キロで3万6千歩に達していた。シャワーを浴び、汗にまみれた服を手洗いで洗濯した。
 昼食は前菜、メインディッシュ、デザート、ワインの巡礼者定食で満腹になった。半地下の静かな部屋に戻って、シエスタを享受。疲れと深夜のためか、起きたら4時間が経過していた。夕食を済ませ、中世の風情が残る旧市街を散策した。午後10時過ぎまで明るいのは嬉しい。充実した1日だった。San Tiago bless you! 聖ヤコブ様のご加護がありますように!

巡礼3日目「スペイン人はみんな腹が減っている」
 巡礼の道はほとんど舗装されていない自然の道だ。多くのカタツムリやナメクジが挨拶をするため、歩道のなかまでやってきている。彼らを踏まないように、避けて歩かなければならない。
 道中、若い男性が英語で話しかけてきた。
「君の黄色の服の色はいいね」
「でも、お蔭で昆虫が集まってくるんだ」
「君は美しい花だからだ」
「いや、私は偽物の花で、本当の花はイフなんだ」
 彼は大きな声で笑った。今日は朝からjokeが冴えている。いい1日になりそうだ。でも、それがとんだ災難になろうとは、その時つゆ知らなかった。
 妻の歩く速さに合わせているせいか、あるいは脚が比較的短いせいか、西洋人にどんどん抜かれる。ペースが合って来るのは、同じような体型か、似た年齢の人になる。でも、彼らとの会話が自然と生まれて来る。ワルシャワの45才の女性は昨年日本を旅行し、大変楽しく、気に入ったので、また行きたいと言う。沖縄でスクーバダイビングを楽しみたいそうだ。人生の後半は好きなことをして生きたいので、まずサンティアゴ巡礼を選んだと言う。歩き、食べ、眠り、考えるだけの時間体験は素晴らしい。「考える」を強調した。同感だ。彼女の名前はモニカ。
 73才と70才のスペイン夫婦とはサバイバルスペイン語での会話になった。「スペイン人はみんな親切だ」と言うべきところ、発音を間違えて、「スペイン人はみんな腹が減っている」と言ってしまった。夫人は手で胃のあたりを差しながら「お腹が減った」のはここで、「親切だ」というのはここだと「心臓」の上に両手を置きながら、熱心に説明を始めた。それでも夫人はいつも笑っていた。旦那はいつも30メートルくらい先を歩いていたが、不機嫌な顔のままだった。帰国までにはもう少しスペイン語を話せるようになりたいものだと思った。
 西安出身で今英国の大学の大学院で金融管理学を勉強している中国人男性とは、英語と中国語で話した。彼はここで中国語を話せる人と会うとは思っていなく、驚いた様子だった。お金とモノにまだ執着している現実主義の中国人とサンティアゴ巡礼で会えるとは考えていなかったので、わたしも驚いた。爆買いをあっという間に止めた中国人観光客は、モノ離れが進み、精神性を大切にするようになるのだろうか。宗教はアヘンだと教えられている中国人は巡礼にどこまで関心を抱くようになるのだろうか。興味津々である。
 また、韓国人巡礼者の多さの理由は何だろうか。しかも、若い人が多く、中高年はあまり見かけない。
 先はまだまだ長い。ペースが同じ人とはどこかで再会するだろう。お互いの健闘を讃え合いたい。道中、攻めにくい丘の上の城壁に囲まれた中世の小さな村を通過していく。月並みな言い方だが、タイムスリップしたような気分になる。心が休まる瞬間でもある。でも、今日のルートは高速を走るクルマの音がいつまでも消え失せなかった。クルマと電信柱と広告が日本の街から消えれば、どんなに美しい自然が甦ることだろうかと、葡萄畑のなかを歩きながら夢想した。
 今日の到着地点は星降る街という意味のエスティージャという美しい中世の街だ。やっとの思いでアルベルゲに到着した。シャワー、洗濯、昼食、シエスタを終えると、観光して回る元気が残っていない。歩行距離は27キロで5万歩に近かった。明日も晴れますように。そして、また素晴らしい人々に巡り合いますように。

巡礼4日目「痩せたサンタクロース」
 早朝起きたら、ベッドの上で、南京虫つまりトコジラミを発見。シーツを敷いた上で殺虫剤をスプレーし、さらに毛布を使わず、寝袋のなかで寝たのは正解だったとこの時思った。噛まれたら、痒くて眠れなかっただろう。
 巡礼者の持参必須品は寝袋、ストック、雨具、防寒具、殺虫剤だ。軽いほど楽なので、どこまで持参するか悩みだ。私たちは経験者の話を伺ったり、個人相談会で根掘り葉掘り聞いて準備したりしていたため、リュックの重さは飲食料を含めて8キロに抑えることができ、肩の負担を軽減させたのは大きかった。が、韓国人集団グループは荷物を次の宿泊所まで送っているので身軽な恰好だった。どこで、お金を使うかの問題でもある。
 ほとんどの西洋人は短パンとTシャツ姿だ。彼らの体温は高いので、寒さに強い。でも、長パンと長袖の私たちにも涼しい快適な天気となった。
 21キロ先のロスアルコスのアルベルゲに着いたのは正午過ぎの一番乗りだった。女将は兄弟が東京で働いていると話してくれて、親日的だった。追い抜いていった巡礼者は先の街まで行ったらしい。道中、今まで言葉を交わした人数人と再会できたのは嬉しい。テキサスから1人でやってきた子育てを終えた女性は2日前疲れた様子だったが、元気が回復していて、良かった。昨日会ったワルシャワ女性のモニカ、巡礼6回目のスペイン人老夫婦、日本語が美しい韓国人女性(後で分かったのだが、サンセバスチャンからパンプローナ行きのバスの前の座席で、私たち夫婦の会話を聞いていたのだ)、西安出身で英国の大学院で勉強している中国人男性とも再会を果たした。自然な笑顔が出るようになり、一層緊密になったような気がする。
 新しく知り合いになった韓国人男性は次回一緒に食事しようと誘ってくれた。実現すれば素直に嬉しい。巡礼の地では、みんな親切になるようだ。
 宿の天井裏の部屋でシエスタを貪っていると、突然、ドアの大きなノックで起こされた。眠気眼のまま食堂に降りて行くと、二人のドイツ人がテーブルで待っていた。夕食を予約した者は一緒に食事するのがこのアルベルゲの慣わしのようだ。二人は父娘の関係で、父はなんと90才で5度目の巡礼というので、非常に驚いた。痩せたサンタクロースのような雰囲気だった。60歳代の娘は英語を話したが、サンタは英語を話せなかった。色々サンタに質問したかったが、ほとんど忘れていた大学時代の第二外国語だったドイツ語が悔しい。スペイン語はかじってきたが、ドイツ語は復習してくるべきだった。1日に歩く距離が私たちより少し短いので、彼らとの差は開くばかりで再会はできないだろう。でも、来年巡礼に来れば、どこかで会えるかもしれない。それにしても、私は90歳で巡礼するどころか、果たしてこの世に生きているのだろうか。90歳のサンタは私たちの巡礼を大いに勇気づけてくれた。感謝している。
 サンティアゴ巡礼はイエスの12人の直弟子の1人であるヤコブが祀られているサンティアゴ・デ・コンボステーラの大聖堂まで歩く旅だ。殉教したヤコブの遺骸を船に乗せて、地中海に浮かべると、北スペインの海岸に流れ着き、さらに7世紀になって90キロ内陸の地で遺骸が発見されたという。そこに大聖堂を建てたのだった。イベリア半島は8世紀から15世紀までの長期間イスラム教のモーロ人に占拠されていた。カトリック教徒は半島を奪回すべくラコンキスタ運動を展開する。ガイドブックには書いていないが、ラコンキスタ運動の精神的柱となったのがサンティアゴ巡礼だったのではないか。当時、白馬に乗って現れたヤコブはモーロ人殺しの英雄だったという伝説も残されている。巡礼は神聖であったが、背景には政治的意図が働いていた。その証拠に12世紀に毎年50万人の巡礼者は半島奪回後、減り続け、20世紀後半には数千の規模まで縮小した。再びサンティアゴ巡礼が脚光を浴びるのは、巡礼ルートが1993年に世界遺産に登録されてからだ。巡礼者はエコツーリズムのブームの後押しもあって増加し続け、昨年は26万人が巡礼した。その中には、クリスチャンのみならず、私たちのような仏教徒も含まれている。でも、イスラム教徒はいない。すべての罪が洗い流されるヤコブの聖年の2021年には、史上最高の50万人を超えるだろう。
 明日は気温が摂氏30度に達する予報がでている。加えて、30キロに近い距離を歩かなければならないため、早朝の起床だ。ここらあたりで書くのを止めよう。

巡礼5日目「妻が豹変した」
 サンティアゴ巡礼の道は天国のようなところだ。田園風景は限りなく美しく、小鳥たちは歓迎のさえずりを続け、食事は美味しく、シエスタは享受できる。歩きながら祈りを捧げるのもよいし、思索に没頭するのもよい。困った素振りを見せると、すぐに巡礼者や地元の人々が救いの手を差し伸べてくれるが、過度の干渉をしないというのが原則だ。ちょうどよい距離感が心地よい。美しい自然のなかでみんなの気持ちが和らぐのが分かる。妬み、嫉妬、競争といった負の概念は微塵もない。上品な時空間である。
 サンティアゴ巡礼者の目的はそれぞれ異なる。配偶者との死別、離婚、失業で心の傷を癒すためにやってきた者もいよう。不治の病を抱え奇跡を期待している者もいるかもしれない。あるいは恋活できている若者もいるかもしれない。自分探しの旅でもよかろう。体力のチャレンジという目標を掲げる人もいるだろう。様々な人生模様を温かく包み込んでしまうのがサンティアゴ巡礼の存在意義なのではないか。
 私たちの巡礼目的は表面上定年退職記念旅行なのだが、近代の行き詰まりの打開策の模索という大きな志もある。近代は神殺しから始まり、物質的な発展を実現した大成功の時代だったが、人々はモノの消費や進歩に疑問を感じ始めている。先進国における人口減少は近代の終焉を端的に語っている。ゴムのように伸び切った心を癒すために、神々の再生や自然との絆の再構築が必要なのではないか。中世精神の復活が殺伐とした近代精神に潤いをもたらしてくれるのではないか。明るい未来は懐かしい過去にあると思う。
今日はログローニョまでの炎天下の30キロ弱の距離の巡礼となった。妻は昨日までとは打って変わってスピードを出してどんどん他国から来た巡礼者を追い抜いて行く。100キロを18時間強で歩く私の健脚でも追いつかない。西洋人たちは疲れたり、足にトラブルを抱え、途中で靴下を脱いだり、ストレッチをしたりして休んでいる。妻は前を見据えたままだ。写真さえまったく撮ろうとしない。こんな能力を妻が持っているとは知らなかった。アップダウンの丘の30キロを平均時速5キロで歩いたのだ。目的地には午後1時前に着いたが、風景を楽しむこともなく、考えることもなく、特別な出会いもなかった。アルベルゲの受付の列で、アイルランド人とイスラム人と短い会話をしただけだった。こういう日もあるのだと思った。

巡礼6日目「巡礼手帳」
 今日は葡萄畑のなかを歩く30キロものルートだったが、曇り空だったため楽な巡礼となった。歩き慣れていない人々は途中で足の手当てをしたり、ひどい場合には病院に行ったりしている。私たち夫婦は日本で十分歩き込んできたので、ほとんど問題がない。これまで巡礼は習慣になったと言ってよかろう。荒天にならない限り歩きとおせる自信がついた。初日に隣の英国人のいびきに懲りて、その後4日間はアルベルゲの個室で寝たのだが、慣れてきたので、今日は4人部屋を選んだ。ブラジルから来た30才代のカップルと同室だった。分かりやすい英語を話し、じつに素直な感じのよい人々だ。
 アルベルゲに宿泊するにはクレデンシャルと呼ばれる巡礼者手帳を入手する必要がある。責任ある行動をとり、巡礼中キリスト教の慈善事業で支えられていることを了解することが巡礼者に求められている。宿泊したアルベルゲやBarでスタンプを押してもらうのだが、それらが巡礼ルートの証拠となる。徒歩の場合は100キロ以上、自転車の場合は200キロ以上を超すと、巡礼証明書が発行される仕組みだ。まだサンティアゴまで580キロ以上の道のりが残されている。これからが本格的な巡礼が始まるのだ。

巡礼7日目「人生は素晴らしい」
 毎日明るくなる前に起き、6時頃出発し、日の出を見たら両手を合わせて巡礼歩行の安全を祈願し、途中2度の朝食を採り、目的地のアルベルゲに着いたらチェックインしてシャワーを浴びて、洗濯をして、外で遅い昼食を楽しんでシエスタを貪り、起きたら夕食に出掛け、まだ明るい10時過ぎに床につく。このような日程を繰り返している。太陽の周期に合わせて忠実に生きているため、体調は万全である。幸福な日々だ。中世でなくても、戦前の日本人も似たり寄ったりの生活をしていたのではないのか。現代人はノルマに追われて忙しく、村上春樹の小説『1Q84』の世界のように天空に月が2つ浮かんでいたとしても誰も気が付かないのではないか。恐ろしい世の中だ。
 ザビエルが布教のために日本にやって来て驚いたことの一つは貧しい人々も嫉妬心を持たず、誇りを抱いて生きていたことだった。貧者でもプライドを持ち堂々として生きていたのだ。一方、近代は人間の束縛からの解放と人権尊重を謳ってきたのだが、実質的にそれらは実現したのだろうか。世界の貧しい人々も心地よい人生を生きているのか、疑問がある。近代が中世よりもすべての面で優れているとは限らない。自然と神々との絆を強めることで、人間性を復活させることができると良いと思う。中世に学ぼうではないか。
 妻は今日も適度の速さで歩いている。仕事を辞めて巡礼にやって来た26才の日本人男性と駄弁りながら歩いていたので、先を行く妻に離されるばかりだ。途中、休んでいたフランス人夫婦とスペイン人夫婦に、自国の言葉で、「奥さんは先に行ったよ。早く追いつかなくては駄目じゃない」と声をかけられた。何故だか、言葉は分からないが、意図は十分理解できるのだ。不思議である。
夕食を食べるために街を歩いていたら、最初のアルベルゲで隣のベッドで大きないびきをかいていた英国の男性と会った。同じ日程で巡礼しているようだ。彼はシエスタを取らず、夜中に熟睡するタイプだと言う。さらに歩いていると、同じく最初のアルベルゲで知り合ったスペイン人のパブロに遭遇した。以前に数回会ったときは、暗い顔をしながら、1人でもたもた歩いていたが、今日は別人のように明るく、元気だった。妻にスペイン風のキスまでしてくる。おまけに美形の女性まで同伴しているではないか。ご機嫌がよいはずだ。いったい何が起こったのだろうか。サンティアゴ巡礼は人々を変貌させる力を持っているとでもいうのか。巡礼は楽しく、人生は素晴らしい。La vida es maravillosa!

巡礼8日目「巡礼者祝福ミサ」
 6月11日は少し遅めの6時45分に出発。絨毯のように美しい麦畑を歩くのは気持ちよいが、気温が急上昇している。巡礼路の標高は800メートルもあるのだが、非常に暑く34度まで達している。巡礼者の会話は少なくなり、炎天下の修行の歩行となった。紫外線防止のクリームを顔などに塗ったり、足をテーピングしたりしている者が増えてきた。途中のBarでワルシャワのモニカ、スペイン人のパブロ、韓国人の若者3人と再会を喜んだ以外は新しい出会いはなかった。燃えるような太陽が交流の機会とやる気を奪っている。宿に到着したときには、熱中症にかかったのではないかと思えるほどやる気が起こらない。巡礼者は口々に今年は昨年より暑いと言っている。
 今夜の宿はベロラードのサンタマリア教会併設のアルベルゲに決めた。朝食付きで1人6ユーロ以上の寄付方式だった。従来はこのような寄付方式が主流だったのではないか。7時から始まるミサと巡礼者の祝福の儀式への出席を求められた。
「神はあなた方と共にサンティアゴまで歩きます。みんなが自宅に帰るまで安全であるように。アーメン」と、司教が巡礼者のために祈ってくれた。
 四国のお遍路は弘法大師が同伴されるので、似たり寄ったりだと思う。かつて、巡礼はどこでも狼や盗賊に襲われる命懸けの旅だったのではないか。アルベルゲの世話役のオスピタレロは巡礼者を尊敬し、非常に細心の心配りをしてくれている。温かい気持ちになった。周囲のいびきはもはや騒音ではなく、生命の息吹きのように聞こえた。いびきが消えとき、人は死ぬのだから、いびきは生命の象徴である。

巡礼9日目「四国のお遍路は海外で注目度上昇中」
 霧雨の中を6時に出発。今日は標高800から1000メートルの高原を歩く。昨日の地獄のような暑さではなく、涼しい巡礼となったが、周囲は霧で見通しが悪い。途中のBarで、再びモニカとパブロと遭遇した。モニカは私のFBの投稿を翻訳で読んでいるとのことで、半分くらいは理解できると言う。ただ、サンティアゴ到着は我々よりも3日早い予定だ。モニカは計画通りに遂行する能力を持ち合わせているから、予定は大きくは狂わないに違いない。そうであれば、大聖堂前での感激の抱擁は実現しない可能性が高い。
一方、韓国人18人のグループは私たちと同じ日に目的地に着くだろうと言っている。どうなるか楽しみだ。
 日系企業に勤めるフランス人は来年、四国のお遍路に行きたいと言っている。フランス人女性のお遍路体験記が自国でベストセラーになり、お遍路ブームが起こっていると言う。私も来年サンティアゴ巡礼に来る前に、お遍路に行き、外国人のサポートをしてみたい。お遍路の道のりは日本人にも分かり難く迷子になる確率が高く、また民宿の女将さんとのコミュニケーションにも困るのではないか。サンティアゴ巡礼でお世話になったお返しをお遍路でしたいとも思う。
 2メートル近くの長身の男性が追い付いてきた。私の脚は彼の膝くらいしかない。私から話しかけた。
「あなたは長い脚を持っているので羨ましい。あなたはウサギのように速く歩き、私たちはカメのようにノロノロ歩く」
「ノー、ノー。脚が長い分、膝が壊れ安い。君らの方が頑丈にできている」長脚にも悩みはあるようだ。
「ハーバード大学のTシャツを着ているけど、大学で働いているの?」
「大学院はハーバードを出たけど、大学で働いている訳ではないよ」
「凄いね。ジョブズみたいにリッチなんだ」
「ノー、ノー。僕は貧乏だ」
「でも、サンティアゴ巡礼にやって来る人はみんな心がリッチだ」
「その通り。目的はそれぞれ異なるが、巡礼者の心は本当にリッチだ」こんなふうに会話が始まったが、彼も四国の巡礼のことは知っていた。最後に、3人で写真を撮り別れた。名前はジョブズではなく、ジョーンズだったように記憶している。二人続けて、お遍路の話題になり、驚いた。お遍路も、高野山の修行も、温泉に入浴する稀有なサルも海外で有名になりつつある。祖国のことももっと勉強しなくてはならない。

巡礼10日目「見下ろすイエスとマリア像」
 まだ真っ暗な濃霧のなか、ヘッドライトを頼りに午前5時25分に出発。アルベルゲではまだほとんどの人が寝ている。1時間も歩いていると、韓国人の集団が「おはよう」と言いながら、抜いていった。途中のBarで朝食を採る。減量のため、今日から朝食は2回から1回に減らすことに決めた。視界が悪いと風景が楽しめないが、涼しい巡礼は体に優しいのでやはり嬉しい。それでも、10時になると、暑くなった。肌を突き刺すような強い紫外線から身を護るため、サングラスを懸け、アームプロテクターを着け、帽子の下から日本手ぬぐいで頭をスッポリ覆った。日差しの強い日には半ズボンはできるだけ避けた。
 人口16万人のブルゴスの街に入ると、クルマ、信号機、人の多さに幻滅させられる。美しい田園と懐かしい中世の街歩きから強制的に現代に連れ戻されたような気分になった。コースアウトしていたので、スペイン人に正しいルートを教えてくれた。さらに旧市街へと進んで、ホテルに投宿した。窓を開けると、小さな広場に面し、道行く人を見下ろせるいい部屋だった。
 ブルゴスでは一つの楽しみがある。マドリードのバス停で知り合った日本人女性からブルゴスに来たら街を案内するので是非連絡して下さいと言われていたのだ。初対面にもかかわらず、スペインに十数年住んでいるが、昨年スペイン人と離婚したとこともなげに言う開放的な人だから、社交辞令で誘っているのではないと思った。シャワーを浴び、簡単に洗濯をした後で、教えてもらっていた住所を目指してでかけた。彼女のアパートは世界遺産のカテドラルから歩いて5分以内の距離だった。電話をかけると、スーパーで買い物中だったが、途中で切り上げて戻ってきてくれた。挨拶もそこそこにアパートに招き入れられた。中は何部屋もあり、広いという印象だ。大理石もふんだんに使われている。窓が二重になっていたり、暖房装置があるのは冬は寒いと物語っている。驚いたのは別れた夫とまだ同居していることだった。このアパートの売却額を二等分して、別々の生活へと踏み出すのだが、まだ買い手が現れないため、仕方なく同じ屋根の下で生活している。夫のことはクラスメートと呼んでいた。4000万円くらいで売りたいようだった。
 腕や首に虫刺されのようなぶつぶつができていたので、彼女に案内してもらい、すぐ近くの薬局に行った。南京虫つまりトコジラミのせいだと言われ、塗り薬と殺虫剤を買った。寝袋をよく消毒するようにとも言われた。数日前にアルベルゲのベッドの上で南京虫を発見したのだが、今考えると、別の南京虫が寝袋に侵入し、私が寝ている間に好き放題刺しまくっていたらしい。私はベッドの上は丹念に殺虫剤を散布したのだが、肝心な寝袋のなかは疑ってもいなかった。間抜けである。
 世界遺産のカテドラルの前を歩いていると、スペイン人のパブロに遭遇した。今度はイタリア人でなく、ドイツ人の美形の女性を連れている。彼女の体調が悪く、巡礼を中断するため、帰りのバスの切符を購入しに付き合うというのだ。パブロはあまりハンサムではないが、優しいので女性に持てるようだ。初対面のとき、乾燥機の使い方を丁寧に教えてくれた情景が思い起こされた。でも、次回はどんな女性を連れて歩くのだろうか。
 経済、政治、民主主義などの現代のシステムは、ヨーロッパで生まれた歴史学、哲学、社会学、経済学、科学などのいわゆる「ヨーロッパ学」と呼べる学問体系を踏まえて成立している。近代化がヨーロッパに限定されず、世界中に広がったのはヨーロッパ学が一定の普遍性を持っていたためである。でも、所得格差、環境破壊、民族対立、戦争などの問題は一向に解決できていない。これはヨーロッパ学が完全ではなく、何らかの欠陥を持つことに起因する。言うまでもないが、ヨーロッパ学は一神教のキリスト教文化を基盤として発展してきている。ヨーロッパ学の限界はとりもなおさず、一神教の不備に原因を求められはしないか。日本は修験道、神道、アニミズムなど自然崇拝を大切にしてきた多神教の国だ。人間は生まれながらにして罪を背負っていると考えるキリスト教とは発想が根本的に異なる。日本人はむしろ自然状態こそ理想的だと考える。清めることで、穢れのない心の状態を追い求める。大聖堂の威容や彫刻、絵画などの圧倒的な迫力の下で、人間は神やイエスやマリアから見下ろされ、沈黙と服従を強制されていると感じるのは私だけだろうか。新しい発想で、世界を認識し直し、ヨーロッパ学を再構築できないものか。学問体系が変われば、新しいより人間的なシステムを生み出すことができるかもしれない。人間が抱えている問題の解決のヒントになるかもしれない。日本の若者はかつての碩学がそうであったようにヨーロッパ学をいたずらに無批判的に受け入れ、学び続けるのではなく、日本固有の文化に根差した発想を身に付け、人類の積み上げてきた知識体系の再整理に挑戦してくれないかと強く願う。できれば、アジアやアフリカの知性と協力し、欧米中心の発想や歴史を変えて欲しいものだ。欧米の視点に立った発想はもう止めようではないか。知性の巨人よ、日本から生まれでよ。
 アルゴス在住の日本女性から案内されたアイスクリーム屋で可愛い子どもに遭遇した。子供たちは背伸びをしながらお気に入りのアイスを探している。スペイン人は子供が大好きだと聞いた。

巡礼11日目「抱擁の別れ」
「金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るより難しい」と聖書に書かれている。キリスト教だけでなく、あらゆる宗教はお金をタブー視してきた。お金は欲望を掻き立て、人を堕落させると見なされてきたためだろう。でも、ヨーロッパから資本主義が生まれたのは、自分の仕事に専念することは神の御心に沿うことであり、その結果得られた所得は忌むべきものではないと説明されたからだった。金儲けが正当化されたのだ。その後、金利を取ることも赦されるようになり、拡大再生産の資本主義の猛烈なエンジンが動きだす。人々の欲望に火が点くと、技術の発展と相まって、経済成長が起こり、消費が幸福の源泉という価値観が世界中に広まっていく。人々は人生の成功を求めて拝金主義に陥って、金儲けに奔走するようになるが、一方で競争の結果、金融資産の格差が起こるだけでなく、資源の乱開発が起こり、地球環境は著しく破壊されることになった。不遜かもしれないが、金儲けをキリスト教文化が認めたのは、進化ではなく、むしろ宗教の堕落と私には思えてならない。現代、キリスト教徒は教会に行かなくなるだけでなく、信者数が減少しているのは、人々の心を取り込むことができなくなってきているからではないのか。魅力が失われ、人々を惹きつけられなくなってきている。むしろ、イスラム教の方が本来の宗教の健全化を保っているがゆえに、信者は増加しているのではないか。「目には目を、歯には歯を」とはイスラム教を代表する考え方のように喧伝されたり、一部過激派のテロがニュースを賑わせたりしているが、世界中の大多数のイスラム教徒は家族と自分の小さな幸福を毎日神に祈り続けているのだ。もっとも大切なことを当たり前のように終日行っているに過ぎない。
 アルゴスを6時過ぎに出発すると、メセタと呼ばれる標高900メートルの台地状の麦畑のなかの道に足を踏み入れた。9時を過ぎると、太陽が灼熱のように暑くなり、巡礼者は立ち止まってはリュックからボトルを取り出し、水を飲みながら次の村を目指した。途中、スペイン人のパブロ、韓国人の集団、西安出身の大学院生、ワルシャワのモニカ、アジア系米国人の若いカップルと会う。みんなとは今まで何回も言葉を交わした仲だ。
 今日、モニカは私たちより10キロ先の村まで歩くと言う。もう二度と会えないかもしれないと直感が走る。モニカにそう伝えると、「私は先まで行かない」と駄々をこねたが、それは叶わないことだ。私は首を横に振った。モニカは別れの抱擁を私と妻にしてきた。目頭が熱くなった。私たちは立ち去るとき、モニカの目を見ることができなかった。
 新しい出会いもあった。16才のときに、宇都宮の高校に留学したという24才の女性は母と4度目の巡礼だという。楽しい青春期だったと懐かしく当時の日本の生活を振り返る。大好きな日本の食べ物は言わずと知れた餃子だという。宇都宮っ子だ。熊本の美味しい食べ物を訊かれたので、馬刺しに言及すると、母娘は複雑な表情をした。馬の生肉を食べるとはと呆れたのだろう。馬刺しは止めておくべきだったかともと少し後悔したが、後の祭りだった。彼らも我々よりも遠い村まで行って泊まるそうだ。そう言われると、急に取り残されたような気持ちになった。でも仕方がない。人々には独自の人生があるように、それぞれの歩行プランがあるのだ。
私たちはオルニージョス村の小さなアルベルゲにチェックインした。世話役の女性オスピタレロは最初に到着した私たち夫婦を非常に丁寧にもてなしてくれた。彼女はスペイン語しか話さないが、ほぼ100%理解できる。わたしのスペイン語の能力からすると、じつに不思議だ。相互理解には、言葉よりも気持ちが大切なのだと再認識した。
 同宿のフラン人がフランス語で話しかけてきた。私たちがキョトンとしていると、彼は得意でない英語を振り絞り、I want to say, I don’t say.と発音した。言いたいことは心の底に響いた。人類はみな兄弟である。
 アルベルゲの裏はのどかな麦畑の風景がどこまでも続いている。静かだ。宿の中庭では、フランス人女性が足のマメを治療しながら、悲鳴を上げている。平和である。
 宿の洗濯場で面白い標語を発見した。La vida es el camino, no decaigas, continua… 「人生はカミーノ(道)である。それは衰えることなく続いていく」。

巡礼12日目「私はドイツ語が話せない」
 毎日色んなことが起こり、天国のように楽しいが、2週間も過ぎていなくても1か月くらい旅行しているような気分になっている。何か突発事項が起こり、途中で帰国しなければならなくなったとしても満足だろう。十分楽しんだ。
 昨夜泊まったアルベルゲの夫婦はとても親切で、「自宅のように過ごして下さい」と言われ、シエスタ1時間半、夜寝8時間もしてしまった。こんなに熟睡するのは初めてのことだ。先日買った虫刺されの薬が効かないので、夫人に虫刺されの跡を見せると、顔を曇らせたかと思うと、隣の大きな町にいる夫に電話をして、薬を買ってくるように伝えた。数時間後、その薬を受けとったが、代金は要らないと言ってくれた。このアルベルゲで虫被害に遭ったと勘違いされたのかもしれないが、有難いことだった。薬は効いたようだった。
 今回の巡礼の目標は10個あるが、その1つはサンティアゴ巡礼を舞台にした小説を書くことである。色んな悩みを抱えた人々が世界各地からやって来て、交流をしながら、物語が展開していく。対立があり、協力がありながらも、悩みが解決する者もいれば、問題が却って深くなる者もでる。死の恐怖、老化、不治の病、嫉妬心、時代に先んじすぎて周囲から理解されない人、大宇宙を形成したビッグバンがなぜ起こったか解明できない学者の高級な悩み、出世が遅れている人の悩み、配偶者を愛し続けても報われない悩みもあろうか。何の悩みを選ぶかはこれから決めなくてはならない。このような小説の構想を歩きながら、妻に話すと、それは最近読んだ遠藤周作の小説『深い河』に似ていると言うのだ。スペイン滞在の初日に留まったホテルの部屋で隣の部屋から聞こえて来た女の喘ぎ声に耐えきれず、トイレに逃げ込んだときに持ち込んだ小説だ。この小説の舞台はガンジス川なのだが、遠藤周作は日本人にとってのキリスト教信仰とは何なのかを追求した作家だと思う。筋書きを聞くと、なるほどと思わせる展開と終結なのだが、私にそのような力量はないが、せっかくの機会なので、自分らしい小説にしようと思っている。登場人物のモデルになりそうな人々とはここの巡礼路で会えそうだ。
 14世紀に建てられた元修道院の前で写真を撮っていると、フランス人夫婦が追い付いて来て、巡礼者スタンプの場合を教えてやるので付いてこいと言うのだ。今は巡礼者用の病院になっていて、無料で診察してくれるようだ。私たちが日本人と分かると、夫人は福島事故は大丈夫かとフランス語で尋ねてきたが、フランス語ができない私はただ両手を広げるだけだった。放射線漏れは食い止められたのかということを聞きたかったようだ。言いたいことは、沢山あるけれども、いざ言葉にすると、日本語でも難しい。日本人は目を背けたいだろうが、事故は完全には終息せず、放射線漏れは当面続く。
 道中のBarでいつもの女性を連れたパブロに会う。
「モニカは先に行ってしまい、もう会えないかもしれないので、寂しい」と私が言うと、パブロは
「何を言っているのだ。モニカはここにいるではないか」と、連れの女性の方を向く。
 私はハッとした。そうか、偶然にも二人の女性は同じ名前だったのだ。私はワルシャワのモニカと別れたとパブロに丁寧に話し、ついで、新しいモニカに何処の出身かと聞くと、ドイツだと答えるので、知っているだけのドイツ語を並べた。
「おはようございます。初めまして。私の名前はノブです。日本から来ました。大学生の時、化学を勉強していました。今は働いていません」
 最後にネタが切れて、ドイツ語で「私はあなたを愛しています。私はドイツ語が話せません」と口にすると、隣で聴いていたドイツ人男性が大声で笑った。モニカは「ドイツ語が話せるじゃないの。ドイツに来れば忘れていたドイツ語をもっと思い出すわよ」と、慰めてくれた。このような他愛ない会話でも、巡礼者の心を癒やす効果はある。ただ歩くだけの巡礼者には貴重な一時である。
今日の宿泊地のカストロヘリツ村に着いて、道路に面している現金支払機でお金を引き出して、外にでると、パブロとモニカが腰に手を当てて仲良く歩く後ろ姿が目に入ってきた。楽しそうだである。声をかけようと思ったが、直前で思いとどまった。ここは干渉しない方がよい。武士の情けである。
「やはり、あの二人はできているではないか」と私が言うと、「作家の勘は鋭いね」と妻が言う。私の小説のモデルとして是非登場させなければならないと思った。でも、作品の中で、パブロはどのような悩みを抱えて巡礼にやって来たことにすべきなのだろか。いや、その前に本物のパブロはなぜ巡礼にやってきたのだろうか。以前聞いたことがあるが、モゴモゴ話す英語が聞き取れず、分からなかったのだった。いつも悩みを抱えているような顔をしているが、女と一緒にいると顔が輝いている。どういうことなのだろうか。私の悩みは深まるばかりである。

巡礼13日目「ハポン!、ハポン!」
 昨夜はカストロヘリツ村でじつに気持ちのよい時間を過ごした。夕食は緑の多いキャンピング場のレストランで爽やかな風を受けながら西洋人用の一人分の定食を仲良く二人で食べた。量が多いので、二人でちょうど良い時がある。すると、隣のテーブルで食事していた貴婦人が近寄って来て、流暢な英語で「昼間、あなたたちが歩いているのを見かけたわよ。サンティアゴまで歩くのでしょう。凄いわね。気を付けて行ってね」と言った。この婦人に限らず、人々は巡礼者に敬意を払ってくれる。地元の人は常に「良い巡礼を!」と声をかけて来る。頑張ろうという気持ちが自然と湧きでる。
 今日はまだ薄暗い中、バンガローを午前5時50分に出発した。メセタと呼ばれる平らな台地を登ったり、下ったりして前に進む。昨日より長い25キロの道のりを歩くため、酷暑になる前に次の宿に着きたい。大方のルートで快適な爽やかな風を楽しんで歩いていたが、それでもいつもの通り最後の5キロは給水を取りながらの巡礼となった。太陽は容赦をしてくれない。
 途中で休憩していた73才と70才のスペイン人夫婦と10日ぶりに再会する。相手の方が先に気付き、手を振っていたようだ。出会いの記念に、日本カミーノ友の会のバッジを夫人に渡すと、非常に喜び、近寄って来てスペイン式のキスをしてきた。私にとっては初めての経験だ。代わりに、主人から食べかけのオレンジの房をいただいた。何気ないやり取りなのだが、巡礼者同士の心が通うのだ。後で日本人に聞いた話だが、この夫婦は日本人巡礼者に会うと必ずそのバッジを見せて、ハポン、ハポンと自慢していたそうだ。喜んでいただいて心底嬉しかった。
 フロミスタ村のアルベルゲに午後1時前にチェックインし、書き貯めた絵はがきを投函しようと郵便局に行くと、すでに15分前に閉まっていた。午後1時45分以降は働かないのだから、幸せな国だ。ドアをガチャガチャさせながら門の前でがっかりしていると、中から若い女性が顔をだした。スペイン語と英語を交えて話しかけてきた。彼女は明日また来いと言うのだが、東洋からやってきた巡礼者だと分かると、中に招き入れてくれた。絵はがきを見せると、事情が分かったらしく。代金を受け取って、一枚一枚切手を貼ってくれた。明日投函するとのことだ。巡礼者は何かと得をするようだ。
 ここで、スペインの歴史を簡単に振り返えろう。
イベリア半島に、まずケルト民族が来て、次にフェニキア人、ギリシャ人もやって来て、ローマ人も来た。ゲルマンが来た後は、イスラム教徒のモーロ人に800年間も支配された。当時、キリスト教文化は紙の製造もできないなどかなり遅れていたため、異教徒を跳ね返す文明エネルギーを持っていなかった。1492年コルドバを陥落させて、モーロ人をやっとの思いで追い出すと、今度は他の奴らをやっつけようと、新大陸アメリカに駒を進め、原住民の大虐殺に止まらず、金銀財宝を大略奪して大帝国になった。16世紀のフェリペ2世の時代が全盛期である。けれど、資本主義システムがうまく形成できず、ヨーロッパの他の国に追い越されてしまい、グータラになって西洋の貧乏国になった。こんな歴史だ。
 一方、日本は1980年代に世界最強の製造業大国になり、一時世界のGNPの15%を占めていたが、次の段階への変換ができず、ずるずると落ち目の国になっている。一人当たりのGNPでは、シンガポールや香港にも抜かれ、世界27位になった。28位はスペインで、29位は韓国が迫っている。もはや日本は豊かな先進国とは呼べない。訪日する海外旅行者の急増は日本が物価の廉価な国、すなわち成長を終えた国になった結果ではなかろうか。
 長時間労働に苦しむ国とシエスタを享受する国はどちらが幸せなのだろうか。
サンティアゴ巡礼では、徒歩は100キロ以上、自転車の場合は200キロ以上巡礼すれば、巡礼証明書が交付されることになっている。

巡礼14日目「貨幣を廃止せよ」
 巡礼2週間になると、だいぶアルベルゲにも慣れて来て、周囲のいびきは気にならなくなり、逆に大きないびきで迷惑をかけたり、自分のいびきで目が覚めたりするようになった。被害意識が消え、加害意識が芽生える。
 宿泊場は色々ある。公営のアルベルゲ、教会主宰の寄付方式のアルベルゲ、私営のアルベルゲ、民宿、オスタル、ペンション、ホテル、それにパラドールと呼ばれる高級ホテルが道中に整備されている。民宿、オスタル、ペンションの違いは誰に聞いてもよく分からない。内容の貧弱なホテルのような位置付けだろうか。安く泊まりたいのならば公営アルベルゲの6ユーロからあり、若者や金銭的余裕のない人々の利用が多く利用するが、プライバシーを重視したい巡礼者や富裕層はホテルなどに宿泊しているようだ。学生たちは、公営アルベルゲに宿泊し、スーパーで食料を調達するため、1日当たりの出費は3000円くらいと思われる。
「何でも見てやろう」精神に富む我々は下から上まで体験してきた。高ければ楽しいかと言えば、そうでもないのがサンティアゴ巡礼の面白いところ。高級ホテルは格式ばっていて、温かいもてなしを受けている気がしない。教会併設のアルベルゲの世話役のオスピタレロは心から歓迎してくれているのが感じられる。
 おおざっぱに言えば、人間は神を殺して資本主義の道を開き物質的に豊かになってきたのだが、いつもの間にか、労働者だけでなく資本家や株保有者でさえお金の奴隷になりつつある。人間性を復活するためにも、お金との闘いに勝利しなければならない。かつて実業家でかつ経済学者であったドイツ人のシルビオ・ゲゼルは20世紀初頭、自己増殖する貨幣ではなく、劣化する貨幣を提唱した。所有していれば、価値が下がるので使わなければ損をする。資産家は銀行に預けているだけで、働かなくても貨幣が自己増殖するから不公平である。ゲゼルの発想は健全である。現在先進国で進みつつあるマイナス金利は貨幣価値の縮小であり、資産家には困ったことでも、大多数の人々には必ずしも悪い事態ではないのではないか。いずれにしても、金利を設定することが成長のエンジンを点火することだったと考えると、ゼロ金利はもしかしたら、資本主義の終焉を暗示しているのかもしれない。成長を絶対善とする為政者にとっては克服すべき現象に違いないが、新しい時代の幕開けと前向きに捉えたい。人工知能の発展は著しく、天才的棋士でも勝てない。近い将来、知的な職業は人工知能に置き換わっていくことだろう。学者の創造的な仕事でさえ、すでに一部は人工知能が担っている。学者だけでなく、裁判官、弁護士、政治家、役人、医者、パイロット、企業経営者、マスコミといった今まで高級な知的職業と見なされてきたものは人工知能が代わってやってのけるようになるかもしれない。さらに言うと、人工知能とロボットの発展は生産財の極大化を招き、人間はあらゆる労働から解放されるかもしれない。その時、貨幣は意味をなくすので、消え去る運命にある。人間が貨幣との闘いに勝利する瞬間だ。空想的な話だが、今世紀の前半までに実現すると本気で考えている学者もいる。専門用語だが、シンギュラリティと呼ぶらしい。
 その時、人間は人工知能に支配される可能性が高い。どうしたら天才級の頭脳を持つ人工知能との闘いに勝てるのだろうか。無限の命を持つ人工知能と有限の命の人間との戦争に勝つ可能性はあるのだろうか。考えることは楽しい。
サンタマリア教会主宰のアルベルゲには午前11時に到着した。開門の正午まで待つ代わりに、門の前にリュックを並べた。私たちは4番目だった。人気のあるアルベルゲのようだ。待っている巡礼者はみんなニコニコしている。何が起こるのだろうか。私たちは不安と期待が入り交じった気持ちを楽しんでいた。

巡礼15日目「イエスと会った」
 昨日の話の続き。午前4時30分にシエスタから目覚めると、周囲はイエスのような雰囲気の男たちが寝ている。胸毛にも気品が漂う。音を立てて起こしたら、祟りがあるかもしれなおい。トイレに行こうと、踵を突かないように歩いて部屋を出ると、階段の踊り場にもマットが敷かれている。超満員の状態だ。以前会ったテキサスからやってきた細身の女性が陣取っていた。おそらく最後に到着したのかもしれない。こんなところに女性一人で寝て大丈夫ですかと聞くと、ニッコリして問題ないと答える。彼女は会うごとに元気になっていくような気がする。
 ここのアルベルゲでは、各自が食材を持ち寄り、一緒に夕食を摂ることになっている。妻とスーパーマーケットに買出しに行くために外にでると、今度はぼろぼろの服を纏ったイエス風の男がやって入口まで来て、宿が満員と分かると、疲れた身体を引き連れてとぼとぼと引き返して行った。私がシエスタを貪っているとき、この男は炎天下を強い紫外線を受けて40キロ以上歩いてきてここまで辿り着いたのではないのか。サンティアゴ巡礼の厳しさを改めて思い知らされた。私にもっと慈悲の心があったならば、代わってあげたかもしれない。イエスが重い十字架を背負わされて処刑の丘へと向かう途中、多くの人々は人心を惑わす者としてイエスに汚い言葉を浴びせ、石を投げつけた。おそらく、私がその場にいたら、同様に石を投げつけていたことだろう。それの方が安全で、愉快で、我が身を護ることができたのだから。自分の弱さが恥ずかしくなった。
 午後4時過ぎでも日光の威力は強烈だった。7分ほど歩いてスーパーに行くと、物価の安さに驚いた。この国は日本に比べて所得が同じくらいで、物価が安く、労働時間が短いのだ。スペイン人ばかりでなく、会う巡礼者はみんなと言っていいくらい、日本人はよく働くと口にする。それは美徳かもしれないが、自分はそれを選択しないと言外に言っているのがよく分かる。
午後6時からアルベルゲの歓迎会が開かれた。まず、シスターらによる歓迎のギター演奏があり、次に巡礼者から巡礼の理由を含む自己紹介することが促された。英語、スペイン語、フランス語がここでの公用語だが、もっとも偉いシスターがフランス人であるためか、フランス人が過半数を占めていた。ネット上では有名なアルベルゲのようだった。巡礼の目的は多様であるようだった。スピチュアリティを求めたり、人生の行くべき道を探ったり、肉体的挑戦だったりした。中にはサンティアゴ到着後、さらに大西洋まで歩き、海で泳ぎたいと語る若い男性もいた。宗教上の理由を堂々と語った者は少数だったように見受けられた。それをみんなの前で言葉にすることに躊躇った者もいたかもしれない。中央に座っているシスターの眉間にずっと皺が寄っているのが気になった。
出席者の発言が終わると、ギター演奏かまたは歌を披露するタイムとなった。同じアルベルゲに宿泊し、I want to say, I don’t say.と拙い英語で話していたフランス人男性はギターを演奏し、参加者を楽しませてくれた。カッコいいと思った。即興だが、みんな上手い。終盤に差し掛かると、日本の歌の披露が求められた。日本人は3人来ている。ギクリ。私とフランス留学中の20才の女の子が顔を見合せて困ったなという顔をしていると、突然妻ががばっと立ち上り、英語で「学生時代に歌った讚美歌を歌います」と言って、一人で歌い始めた。ところどころセリフが出てこないが、最後まで歌いきり、大きな拍手を浴びていた。こんな度胸を妻が持っているとは思わなかった。27年目の大発見だった。
 午後7時から隣のヒヤッとした教会の建物において、厳かな雰囲気の中で、巡礼者歓迎のギター演奏会が開かれた。まだルートの半分も歩いていないが、今までの巡礼の出来事が思い起こされ、心が落ち着くのが実感された。ギターの音が体に沁み込んでくるようだった。
 外に出て、近くの売店で妻の大好きなアイスクリームを食べながら、教会の前の広場まで戻ると、偶然パブロに会った。一人で歩いていたので、ドイツ人のモニカはどうしたと聞くと、帰国したと小さな声で答えた。寂しいかとさらに聞くと、はにかんだように少し寂しいと言った。本当は非常に寂しいのだろうと突っ込むと、照れたまま首を横に振った。私たちは二人が腰に手を廻しながら楽しそうに歩いている姿を目撃しているが、そのことには触れなかった。この出会いが最後になるかもしれないと思い、3人で写真に収まった。後日写真をよく見ると、パブロは明るい笑顔で映っていたので、安心した。
 午後9時過ぎから夕食会が開催された。スペイン、アメリカ、オランダからこのアルベルゲにやってきた学生ボランティアがテキパキと準備を進めていく。このようなアルベルゲは他に見かけなかったので、特別なところなのに違いない。巡礼者が持ち寄った食材を使って巡礼者のボランティアたちが簡単な料理を作っていたらしい。赤ワインで酔うにつれて、巡礼者の距離がさらに近くなったようだ。私たちのテーブルは、スペインとイタリア出身の女性、スペインとアメリカの学生ボランティア、そして私たち夫婦の6人だった。他愛のない話が心の接着剤になる。巡礼に参加した理由はそれぞれ異なっていても、お互いに敬意を表し、達成を願っているのは同じだ。基本的なところで価値観を共有できているので、複雑な言葉は要らない。スペイン人学生が私に向かって、スペイン語が少し話せる理由は何かと聞かれたので、この巡礼のために数か月母国で勉強してきたと答えると、感心したような表情を見せた。これは意外なことだった。私にとっては、巡礼を円滑に進め、楽しみ、さらに妻を護るためにも、スペイン語を多少なりとも学習するのは当然と思っていたからだ。立場が異なると、違った風に見えるのが可笑しかった。
 昨日の話が非常に長くなってしまったが、今日起こった話を始める。
 朝が明けた。午前6時前に楽しかった教会付設のアルベルゲを出発した。星空を見るために、午前4時に出た者もいたようだ。毎日休憩を含めて6時間くらい歩いているが、午前9時ころまでの3時間は涼しくて楽園のようだが、後半の3時間は地獄のような暑さとなる。紫外線対策は必須だ。怠って皮膚が炎症し、病院に行った者もいる。
 歩くことは単調なのだが、意外と飽きない。代わり映えのしない風景を楽しんだり、あれやこれやと回答のでない問を考え続けたりするのだ。時間があるのは豊かな証拠だと思う。カントも西田幾多郎もそうやって哲学の世界を開拓していったのだ。
 ヤコブを祀っている大聖堂のあるサンティアゴまで370キロもある。私たち夫婦はさらに90キロ西に進み、大西洋を臨むフィステータまで到着する予定だ。昨日、数人のイエスに会った。今度はいつかヤコブに遭遇するかもしれない。

巡礼16日目「歩禅」
 今日も昨日と同様の27kmの歩きとなった。かつて夫人どうしが写真に収まったことのあるフランス人夫妻と出会った。様子が変だった。両人ともにリュックを担いでいない。巡礼を止めて、最寄りの駅から列車に乗ってパリに戻ると言うのだ。記念として日本カミーノ友の会のバッジと相撲取り絵のコースターを渡して、大変喜んでもらった。フランス語と片言の英語で話しかけてきたので、予定通りの帰国なのか、断念なのかわからないが、毎日暑い中20数キロ歩き、30数日かけてサンティアゴに到着するのは容易でないと思い知らされた。道中、命を落とす高齢者も少なくないと聞いたことがあるが、実感できるような気がする。歩けなくなったからといって、誰かがすぐにクルマで迎えに来てくれるわけではない。
 12世紀には毎年50万人の巡礼者がサンティアゴを目指したが、条件は今より格段に厳しかったと思われる。靴も装備品も貧弱であったはずだ。宿も教会の裏屋根に雑魚寝だっただろう。食事も粗末だったに違いない。それでも、彼らはサンティアゴ巡礼を続けた。不治の病を抱えていた者もいたであろう。天国に行きたかった信者もいたであろう。罪滅ぼしの巡礼もあったかもしれない。戦争勝利祈願もあったかもしれない。金持ちになりたい人もいたかもしれない。思い通りにならない運命を引摺りながら、神に祈りを捧げながらの巡礼であったに違いない。歩きは単純な作業であるが、自分と向き合う行為としては最良の時間である。風景の変化も少なく、お喋りの話題に尽きてしまうと、その後は意識が内面に向かって行く。自分とはいったい何者であろうか。自分がこの世に生を受けた理由は何であろうか。役割は何なのか。ただ偶然にこの世に転がり込み、死ねば魂は朝露のよいに消え去り、身体はゴミグズになってしまう存在に過ぎないのか。神と自分、あるいは大宇宙と自分が向き合うしかない。この根源的な問いに対する万人の納得できる答えはない。人間は悩み続けながら短い一生を終えて行く。歩く巡礼にはこれらを考えさせる効果があったであろう。それは中世も現代も変わりはない。座禅ではなく、歩禅と呼んでもいいかもしれない。明確な神が存在しなくなった現代にあっては、心を無にして、大宇宙から降りて来るメッセージを受けとるのだ。それらは人間の能力を超えたものであるかもしれない。イマジネーションも、セレンディプティも、そうやって顕在化するのではないのか。科学的大発見や発明も、限界を超えて考え抜こうとした人間への万能の神からの温かい贈り物であるのかもしれない。そう考えるならば、現代においても神は存在するであろう。そのような神は天空の大宇宙にあるのではなく、じつは人間の心に存在するのではないのか。心の中は大宇宙の空間よりも広い。神聖な心も、仏性も、創造の神も、自分の中にあるのかもしれない。それに気づくかどうかが人間の品性なのではないのか。
 名前も知らない黄色い花はパンプローナから巡礼の旅を開始して以来、ずっと私たちを励ましてくれた。いつも小鳥はさえずり、沢山の蝶が祝福するように舞っている。大きな教会の塔にはコウノトリとツバメが思い思いに巣を作っている。いつもこのような平和な時間が続いているのが嬉しい。明日もそうあって欲しい。これからもずっと。

巡礼17日目「獰猛な黒いイヌ」
 私たちの典型的な1日は以下の通りだ。まだ真っ暗な午前5時ころに起床し、前日スーパーで買ってきたパン、ハム、チーズ、オレンジなどで朝食を済ませ、薄暗い中6時前後に簡易宿泊所のアルベルゲを出発する。1日当たり歩く距離は20~30キロ。概ね2時間ごとに、途中の村のBarでカフェ・オ・レや果物を取りつつ休憩すると、次の宿泊地に到着するのは正午~午後1時ころになる。
 アルベルゲにチェックインすると、シャワーを浴び、衣服を洗濯して日向干しする。それから、レストランに行ってビールを飲みながら昼食を取り、部屋に戻ると至福のシエスタの時間となる。1~2時間寝て起きると、夕食の時間まで、街を散歩したり、スーパーに行ったり、巡礼日記を書いたり、絵を描いたりして過ごす。午後8時前後に夕食をとり、まだ外の明るい10時前に床に入る。毎日長距離を歩いているのだが、美味しい料理を沢山いただいているので、体重は一向に減る兆しがない。妻は私のお腹を見て、むしろ太ったと突っ込んでくる。
 今日はカルサディジャからマンシージャまでの25キロを歩いた。このルートは少し遠回りになるため、ほとんどの巡礼者は選択しない。途中、村もなく、Barもなく、水飲み場もなく、日陰もなく、しかも道は石が多く非常に歩き難いルートだった。そのためか、道中会ったのはアメリカのカップル二人だけだった。想像だが、スペインとフランスのガイドブックは別のルートを推奨しているのではないのか。彼らはどこかに行き、忽然と消えていた。
 私は中世の街が好きである。12世紀の城壁が残っているマンシージャ村の広場で市場が開かれていた。サクランボ500グラムが1ユーロしかしない。安さに比例して嬉しくなる。
 昨日から今日にかけて幸運に助けられた。スーパーに店主がいなく、仕方なく帰ろうとすると、地元の人が現れて、店主を探しに行ってくれた。また、今朝5時、アルベルゲを出て、道に迷い右か左か迷っていると、突然1台のクルマが現れ、目の前で止まってくれて正しい道を教えて、去って行った。私たちにはけっして偶然には思えない。これも出発時に神に安全を祈願し、日の出が出ると、太陽に向かって両手を合わせているからだろうか。
 幸運だけでなく、ヒヤリとすることもある。スーパーで買い物をして、途中ベンチに座りながらアイスクリームを食べていると、突然黒い野生の強そうなイヌがやってきて、私たちの前で立ち止まった。顔には泥がついている。お腹が空いたような顔をしている。顔が引きつった。
「腹が減っているみたいだ。ナイフを出してお前のお腹の肉を切り裂いて、与えたらどうか?」私がそう言うと、
「こんなとき、よくそのような悪い冗談が言えるわよね」妻は立腹した。
「何か冗談でも言わないと、緊張に耐えられないよ」心臓がパクパクしている。
「どうするのよ!」
「いざとなったら、俺が犠牲となるから、お前は一人で日本に帰れ」私は精一杯強気を出した。
「そんなの嫌よ。視線を合わせちゃだめ。どうやったらこの危機を乗り越えられるのよ?」
 そうこうしている間、イヌは去っていった。安堵したが、しばらく立てなかった。スーパーでハムを買わなかったのがよかったかもしれない。買っていたら、イヌも粘っていたに違いない。もっとも、そのとき、買い物袋の中身について考える余裕はなかったのだが。いずれにしても、助かった。
 明日は道中最大の街レオンを目指す。私たちのサンティアゴ巡礼の旅の中間点になる。まだ半分か、もう半分か。両方の気持ちが入り交じっている。レオンでは、心機一転のため2連泊する予定だ。

巡礼18日目「人生を楽しめ」
 昨夜、味の素のカップ焼きそばが美味しかったせいか、ワインを飲み過ぎたせいか、疲れていたためか、9時間以上爆睡した。今まで一番遅い午前6時30分の起床となった。ペンションの部屋で朝食を済ませ7時30分にレオンに向けて出発した。今日は20kmに満たない楽チンコースだ。レオンの街の入口で同世代のフランス人夫婦に追い付き、もう二度と会えないかもと思い、相撲取りの絵のコースターを記念に渡した。非常に喜ばれ、主人がスマホの写真を見せてくれた。絵画が趣味らしく、ミケランジェロやラファエロらの作品をモディファイした絵画を描いている。広い自宅のあちこちに飾っているとフランス語で流暢に説明する。プロ同等の腕前のように見受けられた。侍の絵も描いていると言うが、私には歌舞伎役者のように見えた。次回はこの相撲取りの絵を参考に相撲取りにも挑戦してみると言ってくれた。彼はずっとフランス語を話していたが、フランス語をまったく理解しないわたしでも彼の意思は十分理解できた。
 また、福岡から来たという40才代のスペイン大好きのカップルにも会った。20回くらいスペインに来たことがあるという。失業中で、スペインに住むためこちらで仕事を探したいそうだ。仕事と遊びのバランスが崩れている日本はもうごめんだと言う。バブル以降の世代は日本人の美徳であった勤勉性を失っていると断言する。勤勉もまた上から押し付けられた価値観なのか。日本人の価値観の多様化は進んでいる。普通の日本人並みに働けば、スペインでは十分やっていけるだろう。さらに、議論は進み、落ち着いたところで名前を聞くと、「大神」だと言うではないか。語呂合わせではないが、ここでも神との遭遇だ。こんなことが巡礼でよく起こる。
 私の巡礼の目的は近代が失ってしまった神を甦らせることだ。西欧の中世や江戸時代の庶民は教科書で教えるほど惨めだったのではなく、結構伸び伸びと自然や神々と近くで交わっていて、安心して生きていたのではないのか。死ねば極楽に行けると信じ、終末期でも心が穏やかだったと想像する。現代人の方がむしろ希望も抱けず奴隷のようにこき使われているのではないのか。しかも、死ねば無になると信じ込まされている。中世の精神的に安らかであった面を再評価し、現代に甦らせられないものか。それは単に中世に逆戻りすることではない。自然に存在する神々を大切にしつつ、自己の内部に眠っている神聖な魂を呼び覚ますことなのだ。自然の神と人間の内部の神が共鳴するとき、人間は創造性を十分に発揮し、時代を切り開くことができるのではないか。大神も私の考え方に賛同してくれた。ただし、彼らカップルは1日に15~20キロしか歩かないマイペースのため、私たちせっかち夫婦とは二度と会う機会がないかもしれない。
 巡礼の最大の街レオンに到着した。大聖堂の荘厳で美しいステンドグラスは一見の価値がある。カトリックの絶対的信仰心がこの大建造物を現実のものにしたのだが、現代人は信仰心を失ったがゆえに、大建造物を造るパワーも意欲もない。わずか千年もたたない間に人間の価値観は大きく変わった。神聖や神秘性が威力を失い、唯物論や科学主義だけが大手を振って歩いている近代主義は環境を破壊し、人間性を貶めていないか。そんなことを考えながら、大聖堂を後にした。Pasarlo bien! 人生を楽しめ。

巡礼19日目「レオンの休日」
 レオンは35日間の巡礼の後半開始地点だが、肉体的疲労と精神的倦怠感を癒すため、レオンで休日を取ることにした。朝食後、あまり歩かずホテルで朝寝を貪った。
 起きると、中世の修道院を改装したパラドールと呼ばれる五つ星ホテルの見学に出かけた。出国時は退職記念旅行の思い出にここに宿泊するつもりでいたが、美味しい食べ物を食べ過ぎてしまい体重も予算もオーバーしているので、断念した。
 スーパーで出会った日本人カメラマンによると、私たちが仲良しになった友達に渡しているハポンと書かれたバッジが大変好評のようだ。喜んでいただいて素直に嬉しい。こういったことがあると、何処に泊まっても旅は楽しいものになる。
 毎日の旅行記は1~2時間かけて書いているが、レオンの休日を楽しむため旅行記も手を抜こうと思う。先はまだ長いのだ。
ただ、台湾から二人でやってきた女性と3回目の再会を果たし、写真撮影をした。サンティアゴ巡礼は中国語で「聖雅各之路」と呼ぶと教えてもらった。これだけでも、今日は価値のある日となった。

巡礼20日目「vaca(バカ)とajo(アホ)はスペイン語」
 昨日は終日体を休ませたので、今朝から足も心も軽かった。そのため、今日22キロ、明日31キロの予定を変更し、今日32キロ、明日21キロとした。今日も途中で2つのルートに分かれたのだが、私たちは3キロ長くなるが自然の道のルートを選んだ。どうもスペインとフランスのガイドブックは短いルートがメインになっているようで、彼らはまったく見かけなかった。これをもってして彼らが怠け者と考えるのは可笑しいのだが。
 アルベルゲでも周りはアメリカ人が多く、部屋の中で大声で話しているので、途中で目が覚め十分なシエスタは取れなかった。英米人はサルでも英語を話せると考えている節が若干あるが、話し始めるとサルと同様に騒がしい。
 今日はくだらない話をしたい。ひょうきん族は何処にでもいるものだ。ブルゴスのBarのバーテンダーもその1人だ。私たちが日本人と分かると、片言の日本語を披露する。スペイン人が「アリガトウ」を覚えるとき、Aqui gato「アキガート」(ここに猫がいる)と頭に入れて覚えるそうだ。なるほど、通じないことはない。お返しに、私は彼に面白い日本語を教えた。スペイン語のvacaとajoはそれぞれ牛とニンニクの意味だが、同じ発音の日本語の意味はバカとアホとなると教えた。すると、彼は大きいというgrandeを付けて、同僚を指して、vaca grandeとajo grandeと大声で叫ぶではないか。言われた方は意味が分からずキョトンとしている。さらにエスカレートし、スペイン語の乾杯はChinchinと言うが、その発音の日本語の意味はペニスだと教えると、彼は若いバーテンダーを捕まえて、Chinchin grandeと何度も笑いながら言う。巨根と言われた彼は顔を赤らめている。バーテンダーがスペイン語に翻訳したのだろう。私たちはワインの勢いも借りて、お腹が痛くなるほど笑った。下ネタはスペイン人も日本人も大好きなのだ。ただし、過度の使用は禁物だ。私の投稿は巡礼中にFB友達になったワルシャワ出身のモニカも機械翻訳を通じて読んでくれているが、このようなアホな話を人工知能はどれだけ正確に訳せるのだろうか。Monika san、もし翻訳の下ネタを理解できたならば、リスポンスして欲しい。巨根についてだが、奈良時代の高僧の道鏡は巨根であったと高校の日本史で勉強したことを思い出した。日本史は暗記しなければならないことが多く、好きになれなかったが、このようなつまらない俗説はいつまでも忘れない。
道中のひょうきん族をもう1人紹介しよう。Barで軽い休憩を終えて道に出ると、どっちの方向に行くべきか分からず立ち止まっていると、若い男性の巡礼者二人がやって来たので、英語で正しい方向を聞くと、ニヤニヤしながら、今まで来た方角を指差すではないか。私がBad guyと吐き捨てるように言うと、彼はハイタッチを要求してきたので、それに応じた。すると、Buen camino(よい巡礼を!)と言って、足早に去って行った。嫌な気はあまりしなかった。他愛ないやりとりなのだが、サンティアゴ巡礼には、とても大切なことなのだ。目的はそれぞれ異なっても、毎日が厳しい試練であることは変わらない。みんなお互いにサンティアゴの大聖堂まで行き着けることを心から願っているのだ。冗談やジョークなしでは心が張り詰め疲れてしまう。
 余談だが、5メートルくらい上の電線に靴がぶら下げてあるのを数回発見した。どのような意味があるのだろうか。結局、巡礼が終わっても意味不明のままだった。

巡礼21日目「在ること」
 今日は余り気温も上がらずアストルガまでの21キロの比較的楽な歩行だった。レオンで2連泊したためか、知合いは先に行ってしまい、ほとんど誰とも会わない寂しい日になった。それでも、西洋人に親しげな挨拶を受けることがしばしばあり、何処で以前に会ったか思い出そうとしても、上手くいかない。西洋人は似たような顔に見えて特徴を掴むのが難しい。彼らから見ると、巡礼中の東洋人は少なくすぐに記憶に残るのかもしれない。如何ともしがたいが、どんな言葉よりも効果がある笑顔で応対することにしている。
 3週間も旅を続いていると、旅が日常になってくる。ハレからケになる。気分転換の旅から人生の一部としての日常になる。言ってみれば、「為すこと」から「在ること」になる。一応、サンティアゴ大聖堂まで歩くという遠い目標はあるのだが、毎日は歩くことを中心とした繰り返しに過ぎない。妻も食事の準備、掃除、洗濯などをやらなくてもいいので、楽ちんな毎日だと笑う。巡礼は退屈な時間ではなく、自由な精神状態である。これは中世的だ。何も生産的でないが、自然と神々とともにあるという安らぎがある。近代の価値観は違う。何かモノかサービスを生産することが各自に求められる。常に右肩上がりの成長をすることが善とされ、それへの参加が義務化される。昨日よりは今日、今日よりは明日が明るいのだ、と信じ込まされている。成長には資源とエネルギーの消費が必要であり、その結果、汚染が拡がり地球環境はひどく毀損されてきた。みんな気がついているが、生きていくために成長のゲームから降りられなくなっている。自分が生きている間だけでも、地球が破滅しないで欲しいと願いつつ、快適な生活にしがみついている。他に有効な選択肢が与えられていない。それを考える自由も奪われている。
 スペインにいると、自由だ。日本にいれば毎日耳にするニュースが入って来なくても困ることはない。政党支持率が急変しても、巨人が勝っても負けても、有名人が亡くなっても、大きなコンビナート爆発事故が発生しても、株価が暴落しても、ほとんど関係がない。そのようなニュースは個々人が本来生きていく上では重要なことではないのだが、いつの間にか、常識として知らないと生き苦しくなってしまっている。新聞記事は読んだ瞬間に無価値になるのだが、多くの優秀な頭脳がそれらを「生産」するために費やされている。もっと根源的でオリジナルなことにみんなの関心が向けばいいのだが、価値を産まないからといって見向きもされない。巨大なシステムがそれを許さないのだ。もっと遠くへ、もっと速く、もっと強く、もっと多くという価値観の呪縛から人間の心を解放する必要があると思う。もはやモノを多く所有することはダサイ。カッコ悪いし、時めくこともない。豪邸でも、クルマでも、高級家具でも、みんなで共有すればよい。モノ自体に本当の価値はない。
 サンティアゴ巡礼は目的や動機は各自異なるが、大聖堂までどうにかしてたどり着きたいという願いは同じだ。ほとんどの巡礼者は足に何重にもテーピングしているが、大丈夫かと聞いても問題ないとしか言わない。それでも、何人かは途中で断念し、帰国して行く。自分の足の問題は著しく個人の問題であり、個人で解決するしかないのだ。事前に鍛錬していない者には試練が襲いかかる。残された者は彼らの願いを受け入れて歩き続けなければならない。無言の強い連帯感が巡礼者の心の支えになっている。自分のためだけでなく、他の巡礼者のため、来られなかった友人のため、世界の人々のため、迫害を受けている弱者のため、不幸な人々のため、地球のため、神々のため、ただ祈りながら、サンティアゴを目指して歩き続けるのだ。それはGNPには何の貢献もないが、じつに大切なことなのだ。信じないと、何も起こらない。

(続く)