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デッサン力

 昨夜、自分の写真を元にF6のスケッチブックに自画像を描き、今日美術クラブのメンバーに披露したら、歓声が上がった。本人に似ている、よく描けているという評価だった。家内は似ていないという判断だったので、世間のお世辞というのも考えられるので、それは割り引いて考えなければならない。
 デッサンは中学生のとき以来45年ぶりである(誰も信じてくれない)が、基本的な描き方も分からず、見よう見まねで描いたにすぎない。鉛筆の持ち方の基本もできていないし、ましてや影と陰の描き方の区別も分からない。それでも、対象物をよく観察し、細かい陰影や線が見えないものかと注意し、発見しては書き込んでいった。それに加えて、全体の構成には一応気を配った。頭頂、眉毛、目、鼻、口、顎の割合が崩れていれば、現実の顔とかけ離れてしまう。世間には数十億人の顔がある。少しのずれで、別人の顔になってしまう危険性が付きまとう。どうにかこうにか、自分と似た肖像画が浮かんできたときはホッとした。苦労して描いても別人の顔になってしまうと、やる気を喪失してしまう。
 余裕があれば、ハンサム顔に描くのだが、どう描けばそうなるのかさっぱり分からない。目の大きさを実物より大きくすれば、いい男に見えるのかさえよく判断できない。パリや上野で見かける画家は商売上、美女やハンサムの顔に描くのは容易に想像できるが、そのような技量があるわけではない。それにもかかわらず、一定の好評を得たのは正直嬉しい。あらゆるものから自由になり、想像性を発揮する人生を追い求める人生を選択していく上で、絵画という舞台を発見したのである。手ごたえを感じた。先生の一人がそれまでA5版のスケッチブックに描いていたのをF6かまたはF8の大きな空間で伸び伸び描けというアドバイスを素直に受け入れた。また、まだ初心者だからみんなの前で作品を発表するのは恥ずかしいと固辞していたのを熱心に説得してくれたのにも従った。自分に見えない視点でわたしのことを考えてくれる人も世の中にはいるものだ。結果として功を奏したことになった。
 それにしても、自分には絵の才能があるのだろうか。45年という歳月はその才能を枯渇させなかったのだろうか。それとも初心者の幸運だったのだろうか。ちょうどゴルフの初心者がホールインワンを達成するように。じぶんを客観的に見つめてもあまり意味がないかもしれない。好きな絵を好きなだけ描き切る。それ以外に上達する道もないし、才能を開花させることもできない。理屈を並べても、自転車に乗れるようにもならないし、泳げるようにもなれない。

 教室の二人の先生による講評が終わると、スケッチブックを取りに行き、席に戻った。残された時間は各自思い思いに絵を描き、先生や他の生徒のアドバイスを受けつつ、作品作りに励むことになる。今日は、エンドウ豆とビワの房と柑橘類を持ち込み、デッサンすることにしていた。エンドウ豆をビワは隣の畑で摂れたばかりのものをお裾分けしてもらったのである。善は急げ。新鮮ないのちを描こうと決めた。描き始めてしばらくすると、ベテランと思われる生徒が近寄って来て、自画像は難しいがよくぞ挑戦したと褒めてきた。その男性は坂本龍馬と思しき男性の肖像画を手にしていて見せてくれた。上手い。わたしなんかよりはるかに上手い。羞恥心が起こってくる。こんなに美しく描く技量があるのだから、自画像を描けば、面白いのにと思ったが、口にはしなかった。その男性は自画像が難しいから描かないというが、それは的を得ていると思った。自分を知ることは難しい。ましてや、自分の顔を描くということは自分の内面を曝け出すことにもつながり、リスクが伴う。自分と正面から向き合わなければ描けない。場合によっては自分の本質を抉らなければならない。これはけっこう辛い。
 ゴッホやセザンヌは自画像に挑戦した。自分をうまく捉えずして、絵の飛躍はないと思っていたのではないのか。似てる、似ていないという表面的なことではない。人格や信念や生命力を表現することが絵画の手段なのだ。静物画でさえ、それの存在の意義をここに立ち上がらせることが画家の任務なのだ。わたしは少なくともそう思う。
 その男性は絵は上手いが、自分の壁を打ち破ろうとする機会から逃げてきているのではないか。ブレークスルーには自己との戦いが必要である。勇気を奮い起し、難しいことから目を背けず挑戦しなければ楽しい明日は来ない。そんなことは男性に話さない。わたしは自分に納得させたのである。
 自画像は時折描いていきたい。自分がどのような人間なのかを自分の絵筆で明らかにしていきたい。絵画は形や色彩を再現することではない。その人物の内面や生物の存在を際立たせる行為に他ならない。
 挑戦は始まったばかりである。先は長い。急がず、だが着実に描いていきたいものだ。

(2017年5月22日、寺岡伸章)
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