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神は細部に宿る

 わたしはものを書いたり、絵を描いたりすることが好きだ。魂の解放の手段であり、生きる喜びを感じる瞬間であるからだ。でも、楽しめる段階に至るにはある程度の技量が必要なことは避けられない。自らのスタイルが身に着くまでは努力を重ねる必要がある。研鑽の末、己にしかできない表現力のステージに登れば、それを永遠に伸ばしていけばよい。周囲の評価は別としても、そこまで行けば、才能を発揮できるし、唯一無二の自己の価値を発見できるのである。

 美術館に行って、歴史に残る作品に触れていると、作者の並みならない生命力を感じる。命の源は想像性である。よくもまあ、このような表現力を考え付いたものだと感心する。絵画でも、陶器でも、水墨画でも、彫刻でも同じように感じる。天才たちの苦悩とそこを突き抜けて新しいものを得た喜びが表現されている。絵画でいえば、そこに絵具を発見することはない。そこには作者の燃える魂や精神しか見いだせない。
 でも、素人の絵は違う。キャンバスの上に絵具を発見するのが落ちだ。せいぜい、うまいか下手かの評価があるだけだ。それはすぐに忘れられる矮小な評判でしかない。

 天才と凡庸を分け隔てるものは何なのだろうか。才能か、いやそれは重要であるが、本質ではない。訴える力だ。何を表現したいのかという強い意志があるかどうかだ。天才たちは全身全霊をかけて絵画に打ち込んでいる。食事のような矮小なことには関心を示さない。自分の持つ創造力の発揮こそがすべてである。
 それに比べると、素人は絵画を楽しんでいる。絵筆を動かし、何かが表現できれば、そこに満足し、安住してしまう。困難なことへの挑戦はない。自分の壁を打ち破ろうとするエネルギーも感じられない。昨年よりもうまくなったと自分を慰める。楽で気安い作業だ。絵画は趣味であり、そこは人生を賭ける場ではないため自ずとそうなってしまう。

 天才たちは幸福か不幸かは分からないが、人間の限界を突破し、可能性を模索している。産む苦しみと戦っている。自己の命をガリガリ削りながらも、新しい生命を生み出そうと格闘している。自己の存在理由を賭けているのでそれは壮絶な戦いである。彼らは隅々まで手を抜かない。空間でさえ意味を持たせている。乱雑に描かれているように見えても、そこには強烈な意思が込められている。キャンバスすべてが戦場である。作者の燃えるような想像性はどこの局面でも発揮されなければならない。精神の弛緩は敗北を意味する。細部を疎かにしてはならない。
 その結果、到達したステージが新しい表現方法であり、人間解放の瞬間ではなかろうか。芸術は美しい。同時に、人間も美しく燦然と輝くのだ。

(2017年5月19日、寺岡伸章)
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