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通知表

 郷里の実家に戻り、両親が遺してくれた書類を整理していたら、子どもの頃の通知表が出て来た。幼稚園から中学生時代までのものがキチンと整っていた。それらをパラパラとめくっていて、少し驚いた。
 自分の記憶では、小学生時代は体育と音楽が得意でなかったが、それ以外の科目は優秀な成績を収めていたはずだった。神童とはいかないまでも、計算は速く、知能指数もそれなりに高かったとずっと思っていた。でも、現実は違う。

 小学生のときの成績は5はなく、3と4のオンパレードだ。中学生になって成績が伸び始めたので、その印象が強く残っている。小学生のときは平凡な生徒だったのだ。
 中学生の最初のテスト順位は21位だったが、それはクラスの中での位置と思っていたが、じつは学年400名超の順位だと知って大変驚いた。俺は自分が考えている以上に頭が良いのだと悟った瞬間だった。その後は努力を重ね、高校生まで成績が伸びていったのだ。そんなことがあったためか、小学生時代の成績に対する記憶は置き換わっていった。中の上でしかなかった成績がいつのまにか、小学生時代もオール5に近い成績を収めていたとずっと信じ込んでいた。
 突き放して言えば、知らぬ間に自ら過去を改ざんしていたことになる。記憶とはじつに当てにならないものだと思う。
 また、体育は幼少から駄目だったと思っていたが、幼稚園から小学生の低学年まで結構活発に動き回り、体育の成績も上位だったことが判明した。運動神経は悪い方ではなかったようだ。これもずっと誤解した人生の大半を送ってきたのだった。

 座学の成績が良く、運動は得意でないという秀才のイメージに置き換わってしまっていたのである。これは新しい気づきとして自分を見つめ直すきっかけとなった。60歳以降もっとも重要なのは運動能力である。これが優れていれば、他の能力を押し上げ、延長することができる。学校秀才の判定には体育の成績は重視されないが、定年退職後にもっとも大切な才能は活発に動き回ることができる体力である。そういう意味からも、この過去の発見は大いに勇気付けられたのだった。

 でも過去を振り返るのはこれくらいにしておこう。深く立ち入ってしまうと不幸に襲われることがある。わたしが4月に入会した文芸同人誌に自分史を書き始めた80歳代の会員が急死された。わたしはまだ会ったことがない人だったため、どのように考えてよいものか戸惑ってしまった。でも、別の80歳代の会員がその方の自分史の合評会で言われたことが印象に強く残っている。
「自分史を書き始めると早死にすることがあるので、長生きしたければそれを書くのは避けた方がよい」
 何だか腑に落ちる気がした。自分の心は死期を知っているのだろう。そのため、自分を振り返るようになり、それが自分史書きになって現れるのかもしれない。
 過去は時折振り返っても良いかもしれないが、そこに埋没するのは危険である。現在が良ければ、前述したように過去は書き換えられる。さらには、未来も明るいものとなる。自分の魂が悦びそうなことを今日もやり抜こう。それが精一杯生きるということだ。
 さて、今から絵を描くために美術クラブに出かけるため、ブログ書きを中止することとしたい。また、明日書こう。
Hasta manana.

(2017年5月8日、寺岡伸章)
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