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実存、そして生きると言うことの意味

 小説を描くのは楽しいが、登場人物を実際にいる者のように描くのは容易ではない。そのため、素人の書く小説は実際に著者が経験したことを元になっている場合が多くなる。経験談は自分の心が感じたことを書けばいいのだから、リアリティが出てくる。それを文章に忠実に書き起こしさえすれば、読者は追体験することになるため、現実に起こっていることのように思え、共感を覚えることが可能となる。小説の面白さを感じることができるのだ。

 しかし、経験していないことを小説として書こうとした瞬間に大きな壁が聳え立つ。白い原稿用紙を前にしていったい何を書けばいいのだろうか、どのようなプロットで物語を進めればいいのだろうかと思い惑う。もちろんプロの作家は経験していないことでも書けてしまう。これが素人とプロの違いなのだが、それはどこから来るのだろうか。その差はいったい何なのだろうか。

 プロ作家は幼少の頃から大方本の虫である。膨大な読書を経験しているため、人間の性格や筋書きは脳に蓄積されていて、それを常に思い出しては新しい物語の可能性を無意識のうちに試行錯誤している。
 人間の生き方や価値観が無数にあるように、物語の可能性が尽きることはない。それに加えて、作家は文章の練達を何年も繰り返しているため、想うことを描き出す筆力に優れている。特定の人間を本物のようにリアルに書くには描写力が必要だ。その人物のセリフ、身につけているもの、態度、さらには情景描写を詳細にかつ的確に書くことで存在が浮き出て来る。平板でステレオタイプの人にしか見えなければ、それは生きている人物を描いているとは言えない。
 では、どのように書けばリアルに感じさせられるかを教えられるかというと、そんなに簡単ではない。そのため、素人作家や自称作家は身近な人物をモデルとして書こうとする傾向になってしまう。

 人間のリアリティや実存とは生きている実像が感じられるかである。ロボットのような人に読者は共感したり、感情移入したりしない。また、当然のことながら、その人物がある分野の優れた能力を持っていたり、成功者だったりする必要はない。それは俗世間の価値観であり、それが読者の共感を惹き付けるものではない。人間の本来の心持ちや態度が自然に描かれている必要があるのだ。ぐうたらな登場人物に存在感や人間の魅力を感じることだって大いにあり得る。

 以上は小説の世界の話だが、実世界でも似たようなことは起こっている。生き甲斐、生きている実感や悦び、自分がここに存在するというリアリティを確かに感じられる人は幸せである。それは過去に為した事柄の重さとはあまり関係がない。なぜならば、人生とは過去の知識や経験を基にして形成された自分が世界(モノ、人、事で形成される自分以外のすべて)との関わりにおいて、将来の何かに向けて、今何を選択し為すかということの積み重ねである。過去の実績が重いほど、未来もまた重いものを志向する。選択は死ぬまで続くが、それらは何かに向けられているものの、何かが実現できるかどうかは本人の達成感に違いはあるがそれは重要ではない。むしろ一瞬一瞬に自己の存在を十分認識し、実感できているかが重要である。それは何かによって償われるものではなく、それ自体が意義のあることなのだ。

 努力をせよと先生や親や上司は熱心に説く。その結果はうまくいく場合もあるが、そうでない場合もある。失敗したとき、それまでのプロセスは次に成功するための反省材料になるが、だからと言ってそれが否定されるべきものではない。そのプロセス自体に価値があるのだ。それを素直に認めることが大事なのだが、現代はあまりにも結果重視の価値観に偏重している。結果がすべてだという短絡思考に陥っている。だから生きていくのが息苦しいのだ。将来が不安に感じられるのだ。

 大学の研究現場でもその成果である論文の善し悪しばかり議論の対象になり、その科学者がプロセスにおいて何を考え、トライし、何を感じたのかという平凡な日常性がまったく考慮されない。人生の価値はその瞬間にこそ意味があると同様に、科学も科学者の日常性に意義があるべきと考える。科学者は科学そのものや国家の奴隷ではなく、生身の人間であるからだ。

 これらは大学の問題であるばかりでなく、会社や役所でも似たような現象が起こっている。結果ばかりが大手を振り、脚光を浴び、途中の過程が極度に軽視されている。ここにメスを入れない限り、現代人はいつになっても救われることはない。
 人々は厳しい仕事環境にあるばかりでなく、結果主義という非人間的な評価軸でがんじがらめにされている。現代の人間は解放されるのを待っているのだ。

(2017年3月27日、寺岡伸章)
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