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エリートクライシス

 ある大学教授が高齢者施設で老衰のため死んだ。教授はプライドが高く、なぜ自分がこんなところで呆け老人と一緒に生活しなければならないのかと嘆いた。ときにはプライドが大きく傷つけられた。

 その人は大学教授になれたのだから、幼少のころから優秀で、周囲からも将来を嘱望されていたに違いない。おそらく、自分は他の人とは異なり、高度な人材と信じて疑わなかった。自分に強いプライドを持っていたと思われる。自分に自信をもって生き、自分の仕事が世の中のために役に立っているのは立派なことであり、称賛されるべきである。
 しかし、冷静に考えてみると、他の仕事もじつは似たようなものだ。自動車の組立工の仕事は教授のような知的な仕事ではないが、優れた自動車を生産する上でも重要な仕事である。不良品を生産すると、故障や事故の原因になり、社会に迷惑をかけてしまう。教授の仕事が重要なように、組立工の欠くことのできない仕事も大切なのだ。
 うがった見方をすると、科学論文の4割は引用件数がゼロと言われているが、そうであるならばその論文はゴミとあまり変わらない。知的活動が無駄に消費されており、何も生産していない。こう考えると、自動車を生産している組立工の方が価値があるとも言えないこともない。

 また、働かなくても、母親が自分の子どもを大切に育て、思いやりのある大人に成長させるのも大事なプロジェクトである。自分の子どもからいつまでも尊敬され、愛されるならば、その母親の役割は意義があるし、その生き方は立派だと認定されるべきだろう。幸せな人生が我々の目標なのだから。

 現代は高度知識社会であるため、デスクにいて知識を駆使する仕事が高貴なもとの広く認識されている。そのため、大学教授は多くの人々から尊敬されており、本人も誇り高く思っている。
 しかしそれでも、その人間の価値は知識という尺度で測るべきではない。ましてや所得の額には関係がない。

 さきに挙げた大学教授はその基本が分かっていない。高齢者施設で普通の高齢者と同等に扱われることが受け入れられないのだ。自分は特別の処遇をされてしかるべきだと信じて疑わない。
 職人としての価値と人間としての価値や尊厳を混同している。残念ながら人間の本質が分かっていないエリートバカと言わざるを得ない。
 エリートは現役時代は周囲からチヤホヤされ誇り高いかもしれないが、高齢者施設では他の人々と平等に扱われる。それが厳しい現実だ。人間は平等だからだ。
 大学教授自身がその真実に気づくべきであるのだ。冷徹な事実を受け入れられない教授は精神的危機を迎える。それをエリートクライシスと呼ぶ。

 じつはこの危機に陥っている者は少なくない。政治家、大企業経営者、高級官僚などのエリートたちはこの病気で苦しんでいる。定年退職後も職場に居座ったり、権力を背景に天下りして命令する地位を確保しようとするのはエリートクライシスを避けたいがためである。自分は選ばれた人間であると信じ続けたいのだ。

 人生を最後まで生き抜くことは誠に難しい。学生時代には猛勉強し、社会人になっても競争に負けじと頑張って得た地位や所得が人生の終盤戦でむしろ足かせになる。人生の本当の価値に気付かないのだ。エリートいう地位が目を曇らせている。
 生きている実感をもち、自分らしく生きるという実存を感得しない限り、生の悦びはない。地位やお金は人生にとっては飾りでしかなく、人生の本質ではない。
 これに気が付かない人々は哀れであろう。
 今日一日を大切にして生きよう。自己と世界(モノ、人、事)との関係性を常に意識し、一刻の時間を惜しいんで生きて行こう。そこに意義と価値を見出して行こう。人生に意味があるとしたら、その瞬間にこそ実存の価値があるのだ。

(2017年3月27日、寺岡伸章)
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