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啓発

 人と話をしていて、ワクワクした気持ちになることがときどきある。それは多くはないが、そのような気持ちになると、夢中になって議論を展開したくなる。でも、どんな話題がでたときにそのような心地よい興奮気味の気分にさせられるのだろうか。
 まず、どこかで聞いたような議論では人の関心を呼ぶことはできない。新聞やテレビで取り上げられ、すでに既知となってしまったことは感動を呼ばない。聞いていても眠くなるだけだ。新鮮さが重要なのは言うまでもないが、新しければいいというわけではない。

 新鮮であるだけでなく、生命の躍動感がないとダメなような気もする。あるいは、真実に迫ろうという強い意志や勇気があれば、その議論は迫力が出てくる。ワクワク感の源泉は弾ける生命であり、真実の探求であると思う。これはまさに、科学そのものである。生命と物質の真の姿を明らかにすることが科学である。人は生まれながらにしてそれらを探究したい好奇心を持っているのだ。

 ただし、そこで疑問に思うことがある。旺盛な好奇心を持つと、この世界が輝いて見えるようになるが、ではそのように仕向けてくれるものはいったい何なのだろうかと。相手の話を聞いたり、自分の説を展開しているとき、突然いいアイデアが閃くことがあるのだが、それは何がそうさせているのだろうかと思う。

 「啓発」という言葉を最近大切にしている。知的好奇心が全開になったとき、心が弾けたような気分になる。このとき、啓発を受けたような気分になる。それは天上からやってきたものかもしれないし、身体の底から湧き出てきたものかもしれないし、地下の深いところから流出してきたものかもしれない。いずれにしても、人間業でないように思えるのだ。

 1月上旬、中国に出張した際、創造的科学研究の創出方法について中国科学院の幹部と意見交換したのだが、幹部は別れ際に、啓発されたと言っていた。わたしも啓発的な議論だったと即座に同意した。
 優れた科学研究には、十分な研究費や優秀な人材が必要とされるが、もとより情熱、執念、直観が大事だということを、山中教授、赤﨑教授、大隅教授らのノーベル賞受賞の背景を分析しながら述べた。科学研究は論理的で合理的な行為のように一般には受け止められているが、大発見や大発明の究極の場において、発揮されるのは人間くさい情熱であり、執念であり、直観なのだと思う。これらの人間精神が存分に発揮された末に、どこかからご褒美のようにもたらされるのが世紀の発明である。それは啓発と呼んでもいいのかもしれない。ご褒美をくれる存在は神かもしれない。神が人間に与えるシグナルが啓発ではなかろうか。

 気の遠くなる宇宙で存在を認識しているのは人間だけではあるまい。そこには人智では信じられない存在もあるはずだ。人間は探究心を活用して、人間や生命や宇宙の謎を解こうとしている。その過程の人々の議論において、啓発が生まれてくるのだろう。それは人々に快適な気分にさせるがゆれに、絶対的に正しいことのように思う。
 啓発を信じ、それをもたらす友人を大切にしていこうと思う。

(2017年3月3日、寺岡伸章)
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