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還暦

 日の開ける前に起きた。辺りはまだ真っ暗であるが、わたしがもっとも好きな時間帯である。心が落ち着く。
 今日は還暦の誕生日だ。人生を振り返り、さらに未来を展望するに当たり、もっとも関心のあることを吐露してみようと思う。人生の分岐点にいるという意味で、自分に対しても再確認ができていいかも知れない。いや、それは重要なことであり、そうすべきなのだ。孔子は40歳にして「惑うな」と唱えられたが、いまだ惑ってばかりの人生だと思う。他人はどうであれ、未熟であるから仕方がない。

 わたしは小さいころから哲学や原理的なことや、それらを自然の中で実践する科学に興味があった。数学や理科の勉強が好きであったように思う。当然であるかのように、大学は理工系を選択し、その勢いで仕事も科学技術に携わることになった。公務員として、科学技術行政で飯を食べてきた。

 科学の発展は目覚ましく、その成果に触れると心が躍る。それは昔と変わらない。脳や身体の謎が解き明かされるたびに、生命の凄さが実感できるし、宇宙の神秘や地球の歴史に新しい解釈がなされると、物質世界はこうなっていたのかと感心してしまう。サイエンスは面白いと思う。文化の大事な一つを担っているとも思う。

 しかし、科学の成果を人間が利用する段階になると、いろいろと問題を引き起こす。科学的知見を活用して生み出された技術は我々の生活に影響を与えていく。それは便利さや快適さとなって益をもたらすかもしれないが、当然のように負の側面もある。環境破壊は典型的な例だろう。我々の周囲はますます人工的なもので覆われていく。科学者はそれを人類の勝利と心から信じているのか疑問に思うことがある。わたしは大都会の便利さよりも、自然の美しさに触れるときが幸福感を感じる。原子世界の原理を解明してくれるのは面白いが、原発を作り、それが甚大な事故を引き起こしてしまうと、多くの無辜の人々の生活を破壊する。実際に世界中で何度も起こったことだ。それでも、止められないという。我々の将来の生活のためという。本当か。不幸を背負わされた人々は不運だったというわけにはいかないのではないか。同じ過ちはしなというが、それは実証されているのか、それとも場当たりの言い訳に過ぎないのか。心が濁っているのではないのか。

 食料危機に備えて遺伝子組換え食物が開発され、食卓に供されている。開発した技術者は安全性を主張し、それが理解できないのは科学を知らない人間だとせせら笑う。人々は科学的に思考していないかもしれないが、遺伝子組み換え穀物に大きな違和感と不安感を抱いている。それが存在するのは事実だし、それらの感情は科学の名のもとに否定されるべきものではない。遺伝子組換え食物の歴史はまだ浅く、その影響がすべて解明されたわけではない。科学的に安全だと言っても、それは一部のデータに依拠して言っているに過ぎない。心から安全と言うのであれば、放射能で汚染された米や遺伝子組換えトウモロコシを可愛い孫に食べされればいい。

 人間は何かの仕事に就いて給料を得ていかなければ、生きていけない。原発や遺伝子組換え食物に関与して生きている者たちは、それらが社会から否定され、排除されてしまうのを極端に恐れている。維持しようとするのは人間の未来のためというのではなく、自分の利益ためであろうか。

 科学は面白い。でも、その成果となると、現実世界で矛盾を発生させてしまう。これらの矛盾を解決するのは人文科学や政治や行政の仕事であるが、利害が交錯するため、一筋縄ではいかない。権力や金力を持つ者が通常勝つのだ。人間の歴史を振り返るまでもなく、弱者はいつも犠牲者になるのだ。民主主義は人間の不幸を最小化するためのシステムだが、それが万全に機能しているとはとても言えない。不完全でかつ欲望を持つ人間がやることだから、かならず過ちを犯す。こう考えてくると、わたしの心はちりじりになってしまう。どうにかジレンマを脱し、解決の道はないものなのか。

 人間は物質世界に生きているものの、心象世界でも生きている。この世をどのように解釈し、どのような気持ちで生きているかは千差万別で、本人にしか分からない。物質世界という現実は一つかもしれないが、個々人はそれぞれ異なる次元で生きていると言ってよい。現実の見え方や感じ方はまったく異なっていると言ってもよい。家族は緊密な利害関係の中で生きているが、それでも親と子どもでは生きている世界も価値観も違うのである。

 ここに物質世界で不幸に陥っている人々を救うヒントがあるのではないのか。心象世界だ。唯心論かもしれないが、その人にとって心象世界こそが真実の世界である。実感できる人生そのものである。この心象世界をもっとリアルなものにするために何が必要なのだろうか。単なる言い逃れの場にしないために、なすべきことは何なのだろうか。それは心から分かり合える人々との絆であり、豊かな自然に抱かれているという安心感ではなかろうか。きっとそうに違いない。大震災に見舞われたとき、被災者を救ったのは人々の絆であり、美しい自然であった。自然はときとして猛威であるが、大地の母でもある。さらに進めて、絆と自然の先にあるもっと根源的なものは何なのか。それは神々だと思う。

 便利な生活やモノの溢れる豊かな生活を生んだ「近代」は神の否定から出発した。近代の矛盾が解決できない段階に至っているのであれば、もう一度神を再生させてはどうか。神は安心感の根本原理である。人間は移ろいやすいが、神は不変だ。
 何百年も神を否定してきたのだら、すぐに神が戻ってくるものでもない。神を感じ、それをリアルな段階まで昇華させるには体験と時間が必要だ。毎日祈ることは大切なのだが、感覚を鋭敏にし、それを受け入れるアンテナを磨かなくてはいけない。ドコモではないが、1本よりも2本、2本よりも3本のアンテナを立てる必要があるのだ。アンテナが多ければ、感度は上昇する。

 神は自然とともに存在する。日の出の太陽に向かって手を合わせよう。昔の百姓さんはみんなやってきたことなのだ。太陽の恵みで我々は生きているのだ。技術のお蔭ではない。山に行こう。山々には神が待っておられる。神社やお寺に足を運ぼう。大木にも神が宿っておられる。
 古道を歩こう。古道は幾千万の人の思いが沁み込んでいる。当時の人々と触れ合う重要な機会である。彼らは何を思いながら、この道を歩いたことだろうか。近代の前の中世の人々は何を大切にして生きていたのだろうか。どんなときが一番幸せだったのだろうか。歩きながらその問いに神経を集中させると答えが浮かんでくる。

 還暦以降の人生は多くの分かり合える人々との絆を深め、近代に侵されていない自然の中を歩き、神々との出会いを深める旅になろう。
 お遍路さんになって四国を巡礼してみたい。カソリックの聖地のサンティアゴ・デ・コンポステラの大聖堂までスペインの大地を歩いてみたい。中世の人々の思いを汲んでみたい。足腰は100キロウォークの訓練で鍛えた。英語をブラッシュアップし、スペイン語も学習しなければならない。経験談を旅行記にまとめ、世界の人々との交流をもとにした小説にも挑戦してみたい。

 近代を終わらせ、成熟した世界を導くために、個々人がほんとうに大切と思う価値観に沿って行動すべきときだ来ている。物欲を追う軽薄な近代とはおさらばじゃ。百の議論よりも行動だ。感性を磨こう。心の平安と安心を取り戻す旅に出ようではないか。

(2016年10月28日、寺岡伸章)
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