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適応人間の限界

 学生時代には好きなことばかりやっていても許されるが、社会人になると、余り好きでないことや嫌なこともやらなくてはならなくなる。みんなが好きなことばかりやっていては、会社も社会も成り立たなくなってしまう。職場の環境に適応していくことで、少年は鍛えられ角が取れ、世間や人間の気持ちが分かる大人になっていく。これは人間に具わる「適応」の能力である。

 しかし、一方でこのようなことを何年もやっていると、自分が本当にやりたいことが分からなくなってしまう。「本来」自分がやりたかったことは何だろうかとふと疑問に思うようになる。おそらく、誰もが経験があることではなかろうか。自分とはいったい何者かということになる。

 昨夜、バラエティに富んだ、面白い経歴の人に会った。大学を卒業後、証券会社に入社し、途中からブライダル産業に転じ、さらに農作業を1年間経験し、今では安全で安心できる農産物を生産・販売しながら、地元活性化の活動を担っている人だ。目まぐるしい人生だ。詳しい経緯は聞かなかったが、おそらく自分が本当にやりたかったこと、やりたいことは何なのだろうかと素直に自分に向き合い、考えた結果なのだと思う。他人ごとであるが、元気そうな表情からはその選択でよかったのだと思う。
 人間の持つ「適応」の能力よりも「本来」を重視した選択であったのではないだろうか。ある意味で、勇気を持って次の段階に踏み出していったのは立派なことだったのではないか。普通の人にはなかなかできない。「適応」と「本来」の間で悩みつつも、行動に移せない人がほとんどだからだ。

 生物の進化や人間の文明も似たようなものだったと思う。進化のエンジンは「適者生存」という言葉で表現されるが、それは一面でしかない。その発想は、急激な変化を容認する「近代」という価値観を正当化するためのものだ。伝統重視の社会を否定し、近代社会を生み出し、さらに前に押し進めるためには、「適応」を重視せざるを得ない。近代の個々人は学校制度や会社組織への適応を強く求められ、「本来」を上位価値観に置く人にとっては息苦しい世の中だ。自分の素直な心を曲げて生きなくてはならないからだ。

 近年、伝統や文化を重視する機運が生まれているが、それは社会の「本来」のあり方に立ち返って再考しようという運動と同じだと言えるのではなかろうか。科学技術が急速に進展し、それに適応できなりつつなる人は少なくない。近代的価値観で言えば、能力がないとして判断されてしまいがちであるが、それは本来のその人のもつ存在としての価値観とは関係がない。適応し過ぎて、能力を発揮し、ある日ふとこれは自分が目指した道なのかと疑問に持つ人になりかねない。

 人間社会はエネルギーなくしては成り立たない。近代という時代は大量生産・大量消費を基本にしている。多くを消費することは楽しいし、人を幸福にすると信じられているからだ。また、資本主義はそのような価値観を社会や人々の心の隅々まで浸透しないと成り立たない思想だ。ところが、昨今のデフレ現象は資本主義のあり方に疑問を投げかけている。個々人が大量消費に飽きが来ているのだ。モノの豊かさに疲れてきているようにも思える。

 現代文明は石油文明と呼んでも差し支えない。安価で大量の石油があればこそ、大量生産・大量消費を実現することができた。でも、日本ではエネルギー消費量は人口の減少を上回るスピードで下降線を辿りつつある。家電製品やシステムの省エネ化が一層進めば、年4%の減少も夢ではないと、専門家は言う。東日本大震災は大きな犠牲を伴ったが、潜在的に人々の意識を変えつつある。身の丈に合った生活をすればいいのではないかと思いつつある。実際に、アベノミクスの大合唱に関わらず、家計の支出は減少を続けているのだ。

 原発の再稼働が進められているが、それを支持しない国民は支持する国民の二倍に上っている。放射性物質を処分しなければならない、エネルギー源は汚いと思われているため、原子力の強力な支持は得られていない。一方で、風力、太陽光、地熱などの自然再生エネルギーが注目されつつある。石油なきあとを考えると、自然エネルギーだけですべてを賄えるわけではないが、モノの大量消費を願わなければ、もっと少ないエネルギーでも社会は成り立つ。いや、得られるエネルギーに応じた生活スタイルを構築していけばいいのではないのか。欲望に適応するのではなく、与えられた状況に適応し、本来の人間のあり方をより大切にする生き方である。

 適応型人間よりも本来型人間が多くなれば、社会は変貌していく。近代の次にやってくる社会は未知数だ。国民国家、資本主義、民主主義、合理主義という近代というシステムが綻び始めているが、人間が選択する次世代は予測がつかない。混沌の時代は数十年、いや数百年のオーダー続くかもしれない。人間の心と同じように、社会も混沌すればするほど、本来の姿に戻ろうとするのではなかろうか。

(2016年2月29日、寺岡伸章)
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