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認知症と創造力

 認知症の進行を遅らせる薬はあるが、治療薬はまだ存在しない。認知症に有効と科学的に実証されているのは運動くらいのものだ。特に、歩行、ジョギング、スイムなどの有酸素運動がいいらしい。脳のあちこちをネットワークでつなぎ、活性化するのだ。運動は案外脳を使う行動というわけだ。

 村上春樹は30年以上、毎日1時間のジョギングをやっていると著作で告白している。趣味で書いた小説がヒットし、それまでやっていたジャズバーをたたんで、小説家になろうと決意したとき、作家は体力が必要だと直感したらしい。それまでは(今でもそうだが)、小説家は不健康で、ふしだらで、とくには反社会的生活を送るものという社会の常識とはずいぶん異なる。
 小説家はオリジナリティのある物語を立ち上げるために、比喩的だが、意識の地下深いところまで潜り、いろいろな遭いたくない妖怪と遭遇しなければならないため、タフネスさが必要だという。精神的タフネスさは究極のところ、体力によって支持されるというのが村上春樹の考え方である。
 彼は議論をさらに進め、フィジカル力とスピリチュアル力のバランスを良く保つことがよく生きることであるとまで言い切る。

 NHKは健康長寿社会を作るために、認知症のキャンペーンを始めている。少し早い歩行は簡単で、もっとも効果的な認知症の改善プログラムだと宣伝している。
 さらに、歩行は診断にも役立つ。歩行が遅くなると認知症予備軍だとも語りかける。目安は秒速80センチ以下になると要注意だそうだ。

 わたしは週末になると、近くの荒川沿いに歩いている。それもただ歩くだけでなく、できるだけ速く歩く訓練を行っている。自宅から往復のおよそ11キロの距離を設定し(これくらいが訓練にはちょうどよい)、その距離をできるだけの急ぎ足で出かけて行って、帰ってくるのだ。
5週間やってみたが、効果が現れた。当初1時間58分かかっていたが、昨日は1時間44分まで縮めた。14分の短縮は12%もスピードが上昇したことに値する。時速に直すと、5.68キロから6.46キロまで速くなったことを意味する。このまま訓練を続けると、捕らぬ狸の皮算用だが、今年中には時速7キロを突破し、シーズン明けの来春になるころには、時速7.5キロまで到達するかもしれない。ジョギングの速度と大差ない。

 歩行はジョギングと違い、息が上がるわけでないので、脚の運び方の技術が向上すれば、速く歩けるようになるスポーツだ。根性や体力ではなく、技術や工夫で上達するのである。腰を円滑に回転させながら、上下運動を極力抑えて、できるだけ美しく真っ直ぐ歩く。この技術を身に付ければ、還暦前でも人生で最も速いスピードで歩けるようになる。加齢とともに体力も知力も給料も低下する中で、唯一と言ってもよい希望である。

 わたしは人間が単純にできているせいか、意外にも単純な作業に耐えられる。でも、ほとんどの人は歩行やジョギングのような繰り返しの動作が苦手のようだ。人生はもっと起伏に富み、エキサイティングで、魅惑的な、楽しいことが満ちていると考えているからだろう。

 しかし、独創的な仕事をする科学者や芸術家を思い浮かべればすぐに思い当たるが、それは孤独で慎重な作業の繰り返しに過ぎない。いつも神から啓示が降りてくるわけではけっしてない。創造には気の遠くなる忍耐力が必要だ。村上春樹の話はよく理解できる。
 わたしが超距離歩行が好きだからといって、独創的な仕事に向いているということではない。創造性に溢れる彼らは1000キロや1万キロを一人で歩けるだけの精神力が備わっているのだ。
 ただし、人前でその努力の過程を披露することはない。披露するのは成果だけだ。彼らの血と汗の結晶である成果は、人類の偉大な文化として継承されることになる。その文化に触れるとき、人間は人間性を発揮するようになり、豊かな人生を約束する。

 平凡な人間に必要なことは与えられた仕事を無事こなしつつ、天才達が遺した文化的偉業に触れることではなかろうか。自分は才能があると自惚れる人間でない限り(偉業に自惚れも必要と思うが)、尋常でない努力はやらない方が安全である。人間には生命エネルギーも時間も有限のものしか与えられていないと思うからである。
 せいぜい、100キロウォークくらいまでにしておいた方がよかろう。

(2015年11月16日、寺岡伸章)
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