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Daily Archives: 2018年7月19日

リベラリズムの源泉

 北スペインのカトリック巡礼路をサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を目指して、何週間もかけて歩く旅は大変楽しい。天然の緑の山々を縫うように歩いたり、涼しい風を運んでくれる光り輝く大西洋を眺めたりすると、心が晴れてくる。

 道中は世界中からやってきたオープンマインドの巡礼者とすぐに友達になることができる。地元の人々も巡礼者に敬意を払ってくれて、しかも親切である。スペイン料理は美味しく、赤ワインは廉価だ。まさに私にとって巡礼路はこの世で最も天国に近い場所だろう。

 他の巡礼者との会話は非常に楽しい。発想の違いが心地よい。でも、内容が深くなっていくに従い、ヨーロッパ文化の知識の決定的な不足を痛感させられる。ギリシア文化を源流とし、キリスト教の世界観を基盤にヨーロッパ学が興り、それらの学問に基づいて現代社会が作られている。科学、医学、社会学、法学、経済学、哲学などを見れば、明らかである。日本のみならず世界の非西欧国の近代化もとりもなおさず西欧化と呼んでも差し支えなかろう。

 現代政治の二大潮流は保守主義とリベラリズムと言ってもよい。一般に保守主義はその国や地域の伝統・文化を護ることを重視する価値観であり、リベラリズムは理性主義や理想主義を基礎とする価値観と信じられている。保守主義はキリスト教、仏教などの宗教を大切と信じる人々や地域の利益を優先する勢力がその支持者であり、リベラリズムはカントやヘーゲルなどの哲学に根差す理性主義を優先する勢力がその支持者であろうか。このような分類の仕方に疑問を投げかける考え方があることを私は最近知った。

 カトリックが支配していた中世ヨーロッパで、マルティン・ルターがローマ教皇の発行する「贖宥状(免罪府)」に疑問を持ち、「聖書に戻れ」と呼び掛けて、宗教改革が起こり、プロテスタントが形成されていく。しかし、聖書の解釈を巡って、プロテスタントは伝統重視の旧プロテスタントと個人の自由な判断や決定を重んじる新プロテスタントに二分されるようになる。後者の新プロテスタントの発想や勢力が現在のリベラリズムの源泉というのだ。大西洋を渡ったピューリタンと呼ばれる人々はその例である。彼らは国家や政治的支配者に依存しようとしないため、教会や大学さえ自分らの力で作ってきた。

 リベラリズムはカントやヘーゲルさらにはマルクスの思想的潮流に依存するという従来の発想はここにはない。それらのどちらが正しいかを判断する能力は私にはないが、非常に面白い発想だと思う。

 一方、日本のリベラリズムはカントやヘーベルらの理性主義に則っているように見える。欧米のリベラリズムの源泉と根本的に捉え方が違うのかもしれない。リベラリズムは日本社会に根着かないと言われて久しいが、もしかしたらこのようなところに原因があるのではなかろうか。政治的信条は頭で考える理性主義ではなく、心の中から生まれる価値観なのだから