Daily Archives: 2018年6月27日

スペイン巡礼紀行文(2018年5月28日)

5月28日 Arzua/Lavacolla 30km 43000歩

 昨夜のアルベルゲは1年前にオープンしたばかりのところで、新しくかつオスピタレーロも親切で、非常に満足した。じつはこのアルベルゲはマルタのロバートが真っ先に決めたところなのだが、私は「他のアルベルゲにも当たってみて決める」と言って、町中歩き回ったのだが、結局このアルベルゲが一番良いとして戻って来たのだった。ロバートは満足そうに、「最初から俺が言うとおりにすればいいのだ」と言っていた。

 同室のフロリダから来たという年配の夫婦は上品で、笑顔が素敵で非常に感じのよいカップルだった。歳をとるならこのような夫婦になりたいものだと思った。

 夕食はオスピタレーロに紹介してもらったレストランに1人で行ったのだが、すぐに入って来た巡礼仲間のドイツ人2人とベルギー人1人の4人で一緒に摂った。1人のドイツ人が「今日は絵を描いたか」と私に聞くので、新しい作品を披露すると、もう1人のドイツ人が私に画用紙とボールペンを要求して10分足らずの間にスラスラとガリシア地方特有の建物の絵を描いてしまった。セミプロのようなタッチだった。私よりも強い線で描かれていて存在感はあるが、私の趣味には合わない作風だった。私ならば建物でも自然の一部であるかのように曲がった線や細い線を使って描くのが好きだ。

 食事をしながら、私が「サンティアゴでは5つ星のホテルのパラドールに泊まる」と言うと、ドイツ人が「巡礼者のような嫌な臭いのする者は守衛に追い出されるので、新しい服と靴を買わないといけない」と真顔の振りをして言う。そうかと思うと、今度は「お前は日本の億万長者だ」などと嫌味なことを付け加える。
 私にしてみれば、カミーノの世界を理解するには、5ユーロのアルベルゲに泊まることも必要だが、5つ星ホテルで寛ぐこともあってもいいと思っている。様々な視点から見ないと、カミーノの全体像が見渡せないと思っている。おカネの問題ではなく、心構えの問題なのだと思う。ケチケチしていては、いつまでたっても世界の広さが実感できない。富裕層のホテル生活が楽しいとは限らない。

 そうこうするうちに、同じレストランに集団の客がやってきたのだか、日本人だった。城壁が世界遺産に登録されている町のルーゴから歩き始めたという。サンティアゴまで100kmを超えるので、巡礼証明書が発行されるのだ。彼ら旅行者のほとんどは中高年だが、半数以上は女性だ。どこでも女性は元気で美しい。日本人男性にはもっと海外に飛び立ってもらいたいのだが、やはり日本国内のほうが心地よいのだろうか。殻に籠るのではなく、好奇心を発揮して欲しい。

 すでに帰国したオランダ人のボスが言っていたことを思い出した。彼は「韓国人は英語もスペイン語もほとんどしゃべれなくてもカミーノに大勢やってくる理由が分からない。おそらく何回もトラブルに苦しめられているはずだ」と言っていた。私もそれをうすうす感じていた。若者であれば語学ができなくても好奇心の勢いでカミーノにやってくるかもしれないが、中高年でも話せない韓国人は少なくない。日本人とはバイタリティーや精神構造がずいぶん違っているのだろうか。ただ、言葉が出来なくて、どうやって友達を作るのだろうか。カミーノの神様の助けはそこまで及んでいるのだろうか。

 今日から2日間はフランス人の道をサンティアゴまで歩くことになる。北の道と違って、フランス人の道を歩いている巡礼者は、カラフルでお洒落に見える。
 残り40kmとなったためか、みんな笑顔で、しかも足取りが軽い。思いはみんな同じだ。途中で、スペイン人の年配の女性2人組に会った。2日前に道を間違えて想定外の32kmを歩くはめになった時、お互いに愚痴をこぼした仲間である。記念にと写真を撮らせてもらった。

 つまらない比較論をする。自分と他の巡礼者の比較だ。

 まず巡礼者の基本である脚力では、日頃鍛えているため私はまったく問題がなかった。多くの巡礼者が何らかの問題を抱えていたのを考えると、誠に幸運だったと思う。

 睡眠力についても、イビキが気にならなかったわけではないが、毎夜2度くらい目が覚めてトイレに行ったが、6から7時間の睡眠は確保できた。昨年のようにアルベルゲが嫌になったことはない。慣れとは恐ろしいものだ。結構ヨーロッパ人はイビキの問題に敏感なことが分かった。

 私の英国力は巡礼者の平均以下だった。ヨーロッパ人には数か国語話せる人がごまんといる。英語の歴史は古ドイツ語の文法をベースとして、現在のオランダやデンマークで話されていたノルド語が大量にもたらされ、さらにフランスから王様を迎えるなどしてフランス語がイギリスに流入してきた。そのため、オランダ人、デンマーク人、スウェーデン人、ドイツ人は英語を母国語のように操る巡礼者が大半だった。やはり英語力は英米に近いほど高く、距離が離れるほど下手になるという法則は生きているようだ。日本人には大きなハンディキャップがあるが、たゆまぬ努力が必要だ。来年はもっとスムーズな会話をやってのけたいものだ。2ランクのレベルアップが必要だろう。

 食事力は体格に比例する。いつも私が一番遅かった。平均以下だ。しかし、アルコールの強さでは負けていなかったように思える。酒力は一応合格だろう。

 明日以降いよいよサンティアゴに到着する。今夜は大聖堂から10km離れた村に宿を取った。明日が待ち遠しい。

スペイン巡礼紀行文(2018年5月27日)

5月27日 Sobrado/Arzua 22km 37000歩

 昨夜の午後7時から宿泊した修道院のミサにオブザーバーとして出席した。今回のカミーノの旅では初めての経験だ。厳かな雰囲気のなかでセレモニーが進行していった。朗読と讃美歌はラテン語で、スピーチはスペイン語のようだった。スペイン人は学校でラテン語を学ぶと言うが、実際に話せる人は少ない。修道院や教会の公式の言語として、ラテン語がまだ使われているのだ。ラテン語が話せるとカッコいいと思う。来年までに少し勉強して簡単な話くらいできるようになりたいが、どうなることやら。

 それにしても、中世には人々はみんな神様の存在を信じ、巨万の富が教会に集中していた。そのため、どんな田舎に行っても立派な教会が村の中央で聳えている。その後、カトリック教会は腐敗、堕落したため、宗教改革が起きた。ルターは信念の人ではなかったようだが、「聖書に戻れ」と言ったところ、社会が動き出した。彼も驚いたに違いない。そして、人間性に回帰するルネッサンスが起き、産業革命を迎え、現代へと繋がっていく。

 現代人は神様を信じず、もっぱらマネーとサイエンスを信じている。それ自体を非難しようとは思わない。私が不思議に思うのは、人間は神様を信じたかと思うと、時代が変われば、簡単に神様を捨てられる柔軟性だ。どうしてこんなことができるのだろうか。僅か数百年の間に、人間の精神世界が様変わりしたのだ。人間歴史は人間の発展ために神を創造し、必要がなくなればそれを捨て去ってきたのか。

 仮に、人間がマネーとサイエンスしか信じない時代が長く続くようであれば、人間の行動も意識もすべて物質の法則に還元されてしまうつまらない存在に堕落してしまうのではないか。そう考える私自体がすでに時代から取り残されているのだろうか。人間は何のために存在するのか。その答えがないとすると、ではどのような状態のときに最も幸福を感じることができるのだろうか。

 やはり、人間は自然界のスピチュアリティに敬意を持ち、人々の善意を信じる魂を抱くかけがえのない存在であると信じたい。唯物論の行きすぎはよくない。

 今日はマルタ人のロバートとずっと駄弁りながら歩いた。印象に残っている話題は、中世の天才画家カラバッジョの絵画がマルタの教会に掲げられていることだ。カラバッジョは、それまで静かでもの悲しかった宗教画に革命を起こした。強烈な光と暗い影を大胆に採用し、人々を生き生きと描き、絵画の歴史を変えてしまった。
 ロバートと話をしていると、ますますカラバッジョの絵画を見るために、マルタに行かなくてはならないという気持ちが強くなった。

 イタリアの南の地中海に浮かぶマルタの産業は観光と金融であるそうだ。ロバートは投資の仕事に携わっていて、当面の投資先はリスクはあっても中国だと断定する。日本企業は高い成長は期待できないが、落ち込みも少ないので安全な投資先と見なしていると言う。

 それにしても、彼は私が以前に話したことをほとんどすべて覚えていた。私が彼の名前を思い出せないでいると、チクリと私を批判した。

 今まで北の道を歩いてきたが、ついにフランス人の道と合流した。巡礼者がぐんと増えた。フランス人の道を歩いて来た巡礼者は小奇麗で、ずいぶんリラックスしているように見える。北の道を歩いてきた巡礼者はみんな「ここは別世界だ」と言い合っている。人混みが好きでない者が多いようだ。

 オビエドから原始の道に入っていったベルギー人男性2人組にも遭遇することができた。2週間ぶりだろうか。これも一種の奇跡のように感じられた。「原始の道の状態はどうだったか」と聞くと、「特に問題はなかった」と想定外の答えが返ってきた。別れた後で雨が降らなかったからかどうかは分からないが、いずれにしても再会できて嬉しい。カミーノでは、いつも小さい奇跡が起きている。

スペイン巡礼紀行文(2018年5月26日)

5月26日 Baamonde/Sobrado 32km 51000歩

 日本にハグの習慣がないため、最初はタイミングなどが分からなく戸惑ったが、慣れてしまえば普段通りにやれるようになる。
 別れる時、久しぶりに会った時、絵などを贈って喜んでもらった時などにするのだが、ハグは体の接触を通じて相手の心をドーンと受け止め、ますます身近な存在に感じるようになる。心の距離を縮め、仲良くなるには効果はてきめんである。ラテン文化の優れた点だと思う。

 日本の文化は肉体的な接触を避ける傾向があるが、ハグの科学的効果を考えると再考する必要があるように思う。例えば、認知症患者や終末期患者に心の安らぎを与える意味は大きい。人間はどんなに強がりを言っている人でもやはり弱く、寂しい存在である。悪戯っ子を落ち着かせるにも、ママが子どもをしっかり抱いて「これ以上ママを困らせないで」と耳元で囁けば大きな変化が起こるのではなかろうか。恋人同士の関係の質的変化も手をつなぐかどうかがポイントであると思う。肉体的接触は時に言葉以上にものをいうのは普遍的真理のように思える。

 昨夜アルベルゲで、熱心に絵を描いていたら、何人かの人がやって来て、親指を立てたり、アーティストだと言ってくれる。

 私は「定年退職後の1年しかやっていないので、まだビギナーで上手くない」と答えるのだが、そんな謙譲な態度でいいかどうか考え込んでしまった。プロも素人も、巧いも下手も、芸術を愛するという点では余り差がないように思えるが、どうだろうか。それにしても、アーティストという言葉には心を動かされた。自分はこれからずっと芸術を愛するアーティストでありたいと願う。

 今は体力があって長距離を歩けるが、30年後には余り歩けなくなるだろう。その時には、スケッチブックを持って世界中の美しい村に行って、絵を描いてみたいものだ。夜には、Barでワインやビールを飲みながら、地元の人と談笑できればどんなに楽しいことだろうか。それまでに、語学力と絵画力をもっと高めたいものだ。

 今日は15kmくらいの距離に抑えるつもりだったが、分岐点で道の選択を間違えてしまい、近道をして明日行く予定の村まで来てしまった。これで、サンティアゴ到着日が予定より1日早まったことになる。

 これはヤコブ様の取り計らいではないかと思っている。サンティアゴの大聖堂で予期もしなかった人に巡り会うのではないか。そのために、私に間違った道の選択をさせた。お蔭で今日もゆっくりできない日になってしまったが。

 長い間会っていない、韓国人カップルのケンとミー、原始の道に挑んだベルギー人男性2人組、いつも周囲を明るくしていたドイツ人女性のサビーア、あるいは巡礼初日のアルベルゲの私の隣の席で朝食を摂っていたリトアニアのビーダ、最後のカミーノになるだろうと言いながら癌と闘っているフランス人のダニエル、昨日最後の別れをしたドイツ人のナンなどが思い浮かぶ。いったい誰と遭遇するのだろうか。心が躍動する。

 結局、今日は32km歩き、修道院のアルベルゲに入り込んだ。歴史的な価値のありそうな場所だ。こんなところに6ユーロで宿泊できるとは、カトリック教会の底力を感じる。
このアルベルゲで、マルタ人男性のロバート背の高いベルギー人とドイツ人男性2人組と久しぶりの再会を果たす。みんな元気そうだ。今夜は一緒に食事する約束をした。
 サンティアゴ到着日まで、残すところ3日となった。当日どのような心の状態になるのだろうか。平常心か、泣いてしまうのか。まだ、心構えはできていない。今夜は最初の前夜祭になるのだろうか。いずれにしても楽しみである。

スペイン巡礼紀行文(2018年5月25日)

5月25日 Gontan/Baamonde 40km 62000歩

 昨夜、近くのBarで簡単な夕食を済ませてアルベルゲに戻ると、オスピタレーロから呼び止められた。「私が骨董品に関心があるかどうか」聞いてきたのだ。何のことか最初は話が分からなかったが、よく聞いてみると、だんだん内容が分かってきた。
 真ん丸の眼鏡をかけ、学者の雰囲気があり、英語を流暢に話すオスピタレーロは珍しいと思っていたのだが、しだいに点と線が結びついてきたのだった。
 彼は日本の磁器、陶器、絵画、着物、硯、扇などのコレクターで、なんと2000点も所有しているという。いわゆるジャポニカなのだ。日本の芸術品の美しさに惚れ込んでいるようだった。
 パソコンに入力した所有品の写真をクリックしながら、彼はコレクションの説明をしてくれる。私には価値を判断する能力はないが、「これだけの骨董品を集めるのに相当のおカネがかかっただろう」と聞くと、「この着物は10ユーロだった」と言うので唖然となった。彼が言うには、かつて日本の骨董品がフィリピンに大量に流出していたが、スペインがフィリピンを植民地にした際に、それらがスペインにもたらされたのだった。それらの骨董品は今でもスペイン国内のマーケットで取引されているそうだ。もちろん、証明書や保証書がついている訳ではなく、偽物も含まれていることは重々承知しているとのこと。将来売って金儲けをしようという気持ちはなく、芸術品を観賞しているだけで満足だという。江戸時代のひな人形は退色しているためか、厳しい表情をしていた。このようなひな人形を見るのは初めてのことだった。

 彼は写真をクリックしながら、何度も美しい、素晴らしいという言葉を連発した。私もしだいに魅入ってしまった。日本はすごい文化の国なのだ。西洋人とは美意識が違っているのだろう。私は1か月もスペインを旅行し、こちらの建築様式や絵画に慣れてきていただけに、少し異なる視点でコレクションを見ていたのかも知れない。
 私はまるでキツネにつままれたような気分になった。このような経験を遠い異国の地で経験することになろうとは。

 彼は有田焼、九谷焼などの陶磁器に強い興味があるのだが、それらの特徴を私に教えてもらいたかったようだ。知っていれば、教えてられたが、こちらの方面はまったく知見を持っていないので答えようがなかった。来年スペインにやって来るまで、少し勉強しておかなければならない。

 今朝、オランダ人のナンと最後のお別れをした。もちろんハグ付きで。今後の日程を聞くと、彼女はバスを利用して1日早くサンティアゴに着くため、再会は無理のようだった。私に話しかけるとき、いつも笑顔でいたのがよい印象を残してくれたのだが、最初に私に会ったとき、「あなたはフランス人か?」と聞いてきた理由は謎のままになった。不思議なこともあるものだ。

 今日は40km、60000歩を超える距離を歩いたが、ずっと曇り空で気温も上がらず、かつアップダウンが少なかったため、予想に反して楽だった。

 道中、会った巡礼者は途中の町から歩き初めたというドイツ人女性のみだった。彼女は昨年病気になったが治りその恢復祝いを兼ねて、ヒホンから1人でゆったり歩いているようだった。1日20km以上は歩かないようだ。
 彼女はアルベルゲでは他人のイビキで眠れないため、もっぱら28ユーロ以下のオスタルなどの宿に泊まっているという。友達を作って同室をシェアすることもしないという。

 彼女のリュックの荷物が多いので「テントを張るときもあるのか」と聞くと、「2kgの化粧品を持ち歩いている」と言う。見栄えを気にしているようだ。「ゆっくり歩きながら、自然界の声に耳を傾けたり、全身で感じたりするのが何よりの楽しみだ」と女性は語る。
 話をしながら分かったのだが、彼女は神経質とは言わないまでも、非常に感受性の豊かな女性なのだ。会話の相手に対する細やかな心遣いは心地がよい。
 体育会系のウォーカーが多いカミーノで、珍しい存在だと思った。時間がかかってもいいから、無事にサンティアゴまで行き着いて欲しいものだ。

スペイン巡礼紀行文(2018年5月24日)

5月24日 Lourenza/Gontan 24km 39000歩

 昨夜のアルベルゲには日本人親子連れも泊まっていた。北の道で日本人に会うのは初めてだった。日本語を話すのは4週間ぶりのことになる。
 父親は私と同じ歳で、60歳の定年退職後、再雇用を求めず、「好きなことをして残された時間を楽しんで生きたい」と言っていた。同僚にはなぜとずいぶん言われたが、信念を貫き通したようだった。

 自分は何がしたいかが分かっている者は幸せである。それが分からない中高年男性が日本にじつに多いことか。カミーノの巡礼者たちはみんなそれが明確であり、似ていることがすぐに心を開ける仲間になれる理由なのだろう。

「人間いつ死ぬか分からない。会社にしがみついて無駄な時間を過ごしたくない」とも日本人男性は語っていた。自由を大切にし、常に想像的でありたい。そうすれば、どこにでも行けるし、何でも楽しめる。

 

 今日は霧のかかるなか、美しい牧草地帯をアップダウンを繰り返しながら歩いた。
58歳の英国人男性に追い付いたので、話をしながら足を進めた。彼は会社のオフィス・ポリティクスに嫌気が指して、早期退職の道を選んだという。今回が3回目のカミーノだそうだ。
 私が次の町にBarがあるかどうか彼に聞くと、早速スマホのアプリを使って調べてくれた。スペイン語のアプリに最新の情報が載っているらしく、グーグルの翻訳機を使って英語に変換しているという。町毎にアルベルゲ、オスタル、Barなどが掲載されていて、価格や設備の状況まで一目で分かるようになっている。便利だ。
 ほとんどの巡礼者はGPSのアプリを見ながら現在地を確認し、道に迷わないようにしている。私はハイテクばかりに頼っていては面白味に欠けるとして、できるだけ黄色い矢印に沿って歩いてきた。だから道に迷うのだが、それでもハプニングが起きるから面白いように思える。私は時代遅れの人間なのだろうか。

 多くの韓国人がカミーノを歩いているが、パリの空港で会った韓国人が見せてくれたアプリは、希望の所用日数に応じて泊まるべき町が表示されるものだった。確かに便利だが、ここまでくると、マシンに操られているようで、本来の巡礼の意味からかけ離れているように思えてならない。
 カミーノは、観光化、ビジネス、ハイテク、エコツーリズムに覆われ、本来の信仰が稀薄になっている。これも時代の流れか。

 英国人男性と別れると、ずっと1人での歩きとなった。村らしき村も通らず、舗装道路をひたすら歩くことになった。
 途中で少し太めの女性2人組に追い付いた。そのうちの1人は見覚えがある。10日くらい前に会った50歳のドイツ人女性だった。体格から察して、数百キロを歩けるとは思えないため、よく覚えていたのだ。

 その時は神経質な病状を浮かべていたが、今日はじつに穏やかな表情だ。どうやら、似たようなスピードで歩き、しかもドイツ語を話すスイス人女性の友達を見つけたためだった。仲良し2人組という雰囲気だ。
 私が「バスに乗ったでしょう?」と聞くと、彼女らは「少しだけね」と言って、屈託のない笑い声をあげた。これも神様の采配なのだろう。ドイツ人女性には巡礼をしなければならない何かの理由があるに違いない。体格にハンディがあるのだから、少しくらいバスに乗ってもカミーノの守護神は赦してくれるだろう。心がけが一番大切なのだ。彼女らと同じアルベルゲに泊まったのだが、私の名前を覚えてくれていて嬉しくなったので、自作の絵ハガキを差し上げた。

 アルベルゲで、四国のお遍路を完歩したことのあるブラジル人女性と遭遇した。60日もかけて歩いたというがなんと昨年秋に決願したというのだから、彼女と私は会わなかったものの同じ空の下で歩いていたことになる。日本は美しい国だという彼女の言葉がいつまでも私の心に響いた。
 明日は最長の40kmの距離が待っている。
 Ultreia. Animo.
「勇気を持って前へ進め。頑張れ」と自分に言い聞かせた。

スペイン巡礼紀行文(2018年5月23日)

5月23日 Ribadeo/Lourenza 29km 44000歩

 まだ明るい昨夜9時ころ、私は一人で夕涼みを楽しんでいた。すると、フランス人の中年男性がタバコを吹かせながら私のところにやって来て、ワインを飲まないかと勧める。

 彼は昼間何かに苛ついているように他の巡礼者に議論を吹っ掛けていて、良い印象を持っていなかった。少しふっくらとした白い肌のポーランド人女性が「イルンからここまで2週間で歩いて来た」というと、彼は「それは不可能だ」と強い語調で反論していた。私は28日間で歩いて来たのだが、2週間で歩く人がいても構わないと思った。みんながけんか腰で議論している時、私は横で絵を描くことに集中していたのだが、後で私のベッドの下のベッドで寛いでいたその女性に「本当に2週間で来たのか」と聞くと、「正確には18日」という答えが返ってきたのだった。私には巡礼者たちの議論は生産的に見えなかった。体力や日程に応じて巡礼路を歩けばいいと思っている。大切なことは道中に何を感じ、想い、他の巡礼者との交流を深めることではないのか。
 私はこの男からここで議論を挑まれては敵わないと警戒したため、ワインを断った。彼はアルベルゲの部屋が満員になったため、庭にテントを張っていた。
 私は「テントに寝るのだから、おカネは払わなくてもいいよね」と軽い口調で言うと、「俺も6ユーロ払った」と向きになって答えた。
「夜になるとテントのなかは寒いだろう」と私が言うと、彼は「寝袋で寝るから関係ない。イビキで睡眠不足にならないで済む。明日の朝になると、俺以外はみんな睡眠不足になるさ」と強がりを言った。
 そして、その男性はダニエルと名乗った。
「俺はフランスからはるばる1400km歩いてきた。北の道は4度目だが、これが最後になるかもしれない。俺は癌なんだ」と言って、お腹を擦った。私にとって衝撃的な告白だった。私は動揺を隠すように言葉を繋いだ。「痛むのか?」

 彼は「お腹は痛くない。でも、精神的に痛む」と言って、頭を指さした。
「病院には行かないのか?」私は言葉を絞り出すように言った。
「2か月通ったが、もう行っていない」恐らく末期なのだろう。そう想像した。
「家族はいるのか?」と私が聞くと、饒舌な彼は珍しく言い淀んだ。私は慌てて、sorryと謝った。聞くべき質問ではなかったのだ。
「カミーノが私の家族さ」ダニエルはしばらくして、はっきりした口調で言った。
「多くの巡礼者は神の存在を信じていないと言うが、君もそうなのか?」私は聞いた。
「あぁ、神なんて信じていない」そっけない返事だった。
「でも、カミーノで道に迷うと、必ず誰かが助けてくれる。何かに護られているように感じるよ」私は言った。
 すると、彼は「そうさ、いつも正しい道を誰かが示してくれる。それがカミーノさ」と同意してくれた。小さな奇跡はいつも起きている。
「私のカミーノを歩く目的は自然界の奥にあるスピチュアリティを感じたいからなんだ」と私が言うと、彼もあぁと応じた。
「北の道は今までとこれからはまったく異なる様相を見せる。もう海岸線沿いに歩かず、ガリシア地域の山に入って行く。俺は明日もここに滞在する」とダニエルは言った。「これが最後のカミーノなんだ」彼は繰り返した。
 それはまるで、サンティアゴに向けて、山岳地帯に入って行けば、終わりが近づいてくると認識させられるからだろうか。彼は小さな抵抗をしているように感じた。
私は繋ぐべき言葉が見つからなかった。彼を傷つける言葉を言ってしまうのを極度に恐れていたのだ。「もう遅いから寝るよ。また明日会おう」と私が言うと、ダニエルはもう少し話したそうなそぶりを見せたが、私は立ち上がり、アルベルゲの中に入っていった。でも、ベッドのなかで寝つきが悪かった。ダニエルのために何か私にできることはないのだろうか。

 今朝、私は朝食をキッチンで済ませると、昨日描いた絵葉書の裏に、以下のように書いて、ダニエルのテントの前のシューズのなかに入れて、出発した。
「ダニエル、君は強い。勇気も持っている。病気が治ることを切に願っている、諦めるな。生き延びよ。サンティアゴで再会しよう。ブエンカミノ。ノブアキより」
 どうか、大きな奇跡が起きてくれないものか、私はスピチュアリティに祈った。

 今日は親日家の子ども連れの豪州人3人の家族とお喋りをしながら、しばらく一緒に歩いた。週に4、5回もシドニーの和食レストランに行くという大の日本好きだ。
 四国のお遍路もいつか回りたいというので、決願までの日数、宿泊所、ドネーション(お賽銭)の額など色々な質問に丁寧に答えてあげた。

 また、「雪の日に温泉に入っているサルを是非見て見たい」と、5歳の女の子は目を輝かせて言う。西洋人にとってサルは熱帯の動物という印象が強いため、寒い日に温泉に入ってヒトのように寛ぐサルは非常に感動的に映るようだ。
 この高校生の少女の教育に話が及んだ。父親が答える。
「学校に行っても勉強せずにお喋りしたり、モノを投げたりして遊んでいたのでは意味がない。娘は学校に行かず、家族で世界中を旅行している。その代わり、娘は毎日宿題をやって先生にネット経由で報告しなければならない。米国のスミソニアン博物館では科学の歴史を学び、ロンドンではシェークスピアを読み、スリランカの遺跡とカンボジアのアンコールワットでは古代文明に触れ、スイスのCERN巨大加速器研究所では粒子物理学を勉強する」と語る。私は驚いた。このような教育システムが世界にあるとは。まさに、最先端のエリート教育ではないか。

 少女は第一外国語としてスペイン語を選択していて、巡礼者のメキシコ人からスペイン語を教えてもらっている。横で聞いていると、私よりもうまそうだった。現場で語学を勉強するのだから、上達は非常に速いにちがいない。

「大学では何を勉強するのか」とその子に聞くと、「物理学に一番関心があるが、人類学も面白いと思う。まだ3年もあるのでそのうち決めたいが、シェークスピアは退屈だ」と彼女は言った。

「シェークスピアが退屈と感じるのは君がまだ若すぎるからシェークスピアが理解できないのだ」と私が言い、父親も「私も退屈に感じる」と答えると、その少女は私に向かって「シェークスピアのどこが面白いのよ」と聞き返してくる。私がしばらく頭の中で英語を組み替えていると、「ほら答えられないじゃないの。あなたもまだ若いのよ」と反論してきた。頭の回転の速い生徒なのだ。
 父親は大学では物理学を勉強し、娘も物理学に興味を抱いていると言うので、私が「ウチの娘も大学では物理学を学んだが、私より頭がよい」と言うと、彼も「ウチもそうだ。娘は頭がよい」と言って笑いあった。娘の才能を客観的に評価している態度が羨ましく思えた。