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スペイン巡礼紀行文(2018年5月10日)

5月10日 Comillasa/Colombres 29km 44000歩

 昨日ペンションでのシエスタから起きたら午後9時が過ぎていた。まだ外は明るいが冷たい雨が降っていたので遠出せず、近くの高級そうなレストランに飛び込んだ。毎日5000円以下の貧乏旅行をしているのだ。たまには、少し贅沢をしても悪くはなかろう。
 薪が炊かれている贅沢な空間の中で、トラティージャ、魚とじゃがいものスープ、イワシ料理、豆を煮たもの、デザート、赤ワインを楽しんだ。今までもっとも洗練されたスペイン料理だった。
 食事が終わるころ、支配人らしき人が私の話し相手になってくれた。彼は私が日本人と分かると、福島原発事故に触れてきた。

「スペインにも原発はあるが、出来るだけ太陽光や風力に頼ろうとしている。原発は今は危ないかもしれないが、将来は安全なものができるかもしれない」などと私の表情に気をかけながら語った。
 思い起こせば、東電原発事故(私は福島原発事故とは呼ばない。後世のために責任者をはっきりさせる必要がある)が起きなければ、私はカミーノを歩いていなかっただろう。
 事故の前のことだが、私は現役時代、仕事の用件で、現在東電原発事故の責任者として告発されている3人の1人に会いに行ったことがある。そのとき、その男はずいぶん横柄な人だと思った。噂には聞いていたが、東電幹部はこんな人が多いのだろう。いつか痛い目にでも会うのではないか。私はそう思った。
 そして、1か月後、東電原発事故が起き、その男は総理官邸と東電の連絡役として奔走することになる。彼らの態度がこの事故を招いたのだと思った。

 当時、東電は政府の政策に対して大きな影響力を持っていた。政治家は関連企業の大票田で蹂躙し、大学の学者は研究費補助金で思うように動かし、役人には天下り先を用意していた。東電の意に背く政策を新たに打ち出すことはほぼ不可能な状態だったと記憶している。
 他人のことも批判はできない。私も原子力を推進する役所で働いていたからだ。決して起こしてはいけない事故を起こしてしまった。人類の恥じるべき事故として歴史上に刻まれるだろう。事故によりかけがえのない地域コミュニティを破壊してしまい、多くの人々の人生を台無しにしたことを申し訳なく思っている。
 東電だけでなく、政治家、学者、役人といった日本のエリートと呼ばれる人々にもう少し勇気があり、真実を謙虚に見る姿勢があったならば、あの事故は未然に防げていたはずだ。想像力がまったく欠けていたと言わざるを得ない。誰もが目に見えない「システム」に支配され、それを変えようとしなかったように思える。もしかしたら今でもあまり変わっていないのかもしれない。
 東電原発事故が起きた後、私はどうしてこんな事故が起きたのか訳が分からず困惑していた。毎日苦しい日が続いた。
 ある時、近くの公園の腐葉土を歩いていたとき、心が解放される気分を味わった。黄金の絨毯を歩いているような気持ちになった。自然界のなかを歩くことで救われると思った。それから、自然界の中を歩く喜びを見いだし、その時間と距離を伸ばしていった。

 カナディアンロッキーを歩き、昨年はサンティアゴ巡礼路の存在を知ると退職定年記念旅行と称して妻と歩いた。味をしめて、今北の道を歩いているのだ。
 私には能力がないので、システムを変えることはできない。それは将来の優秀な人材にやってもらうしかない。
 しかし、システムを変える前に、人間は何のために存在するのか、人類史とはいったい何であり、どこへ向かっているのか。これらの質問の明確な答えはないかもしれないが、それを考え続けていくことが大切なのではないか。盲目的に便利な生活を追求していくと、どこかで思わぬ落とし穴に落ちるのではないか。そう思って、巡礼の道を歩いている。

 答えが漠然とでも見えてくれば、今度の技術や文明のあり方が分かってくるのではなかろうか。それに従って原発との付き合い方を考えればよい。

 

 今日は朝6時45分から歩き始めた。早朝歩くのはじつに気持ちいい。カミーノはいつでもこの世のパラダイスだ。
 牧草地帯やゴルフ場を通って歩いた。空は雲っていたが、寒くもなく、暑くもなく、歩くには理想的な天気だった。
 今日途中で会った巡礼者は、マルタ人、ドイツ人、フランス人、英国人の5人の男性だけだった。珍しく女性とは会わなかった。
 足にトラブルを抱えているものは少なくない。治療をしたり、休んだりしながら、前に進んでいる。
 なお、私が「100kmの距離を歩いたことがある」と言うと、みんな一様に驚いた顔をする。このくらいの距離を歩き、今まで味わったことのない苦痛を経験しないと修行と言えないと思うのだが。そこまで言わなくても、100kmの経験は40kmの距離を余裕をもって歩かせてくれている。限界近くまで経験すると、何でも容易に見えてくる。私は人間には底知れぬ能力が備わっていると信じている。