メルマガ登録

 
2018年6月
« 2月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  
twitter
facebook

Daily Archives: 2018年6月17日

スペイン巡礼紀行文(2018年5月3日)

5月3日 Bilbao/Pobena 22km 42000歩

 歩くスピードは年齢に反比例する。若い人にはどんどん抜かれるが、高齢者には追い付く。
 イルンを1週間前に出発したとき最初に話をしたリトアニア人のヴィーダは2日分の距離も先を歩いている。追い付いて似顔絵を渡そうとしたが、不可能なことが判明したので、メールで送った。外交辞令かもしれないが、「すごい、才能がある」と喜んでくれた。もう2度と会えないが、お互いの安全なカミーノ達成を祈った。
 私が歩きながら話す相手はどういう訳か、女性が多い。女性におしゃべり好きが多いというのもあるが、発音が分かりやすく、私の訛りの強い英語でも忍耐強く付き合ってくれるなどが主な原因だが、それ以外に意外な理由に気が付いた。それは背丈が似ているため、顔を真横に向けたまま話せるからだ。西洋人の男性と話すときは、背の低いこちらは顎を挙げ、相手は顎を下げなければならず、お互いに疲れてしまうのだ。長話に向かない。
 数日間一緒に過ごしたデンマーク人のリスベスとは、今日、途中まで一緒に歩いたが、私が先の村まで行くことにしたので、別れることになった。私のギャグにも素直に笑って付き合ってくれて、感謝している。当初に比べると、陰のあった彼女の表情も明るくなったのではなかろうかと思う。知的で控え目な素敵な人だった。また会えると思い、ハグもせず簡単な挨拶で別れた。
 今日は終日、冷たい風が吹く日になった。彼女と別れて、久しぶりに1人で歩き始めると寂しくなった。分岐点でどちらに行くべきかと悩んでいると、地元のスペイン人が必ず寄ってきて、正しい道を教えてくれる。すべてスペイン語だが、何だか分かったような気になるのが不思議だ。中世から歴史の長い巡礼地は何かに護られているのだろう。
 でも、昨日休んだわりには、歩く調子が上がらない。風邪をひいたのではないかと、心配になってきた。まだアルベルゲまで7kmもあると、散歩している地元のスペイン人に言われたときには、気が重くなった。
 おまけに、とぼとぼ歩いていると、次の分岐点で道が分からない。どっちに行けばいいのだろうか。困ってしまった。後ろを振り返ると、偶然にも巡礼者がやってくるではないか。助かったと思った。カミーノでは、必ず援助の手が差しのべられる。
 スラッとした人は若いドイツ人女性だった。タニヤと名乗った。覚えやすい名前が嬉しい。それから一緒に黄色い矢印を探しながら歩いた。ドイツ人用に覚えてきたドイツ語が通じるかと試してみた。
「お早う。私は日本から来ました。名前はノブアキです。ワインを飲むのが好きで、パンとチーズも好きです。好きな音楽家はベートーベンで、彼は第九で有名ですね。人類はみな兄弟になると言いますが、あなたと私も兄弟かまたは良い友達になれるでしょう。これ以上のドイツ語は話せません。もっとドイツ語を勉強したいです」
 彼女は上手いと言って褒め称えてくれるのだが、会話はすぐ英語に戻った。付け焼き刃では、限界はすぐにやってくる。やはり発音を聞くと、ドイツ語のレベルがすぐに露見するようだ。
 タニヤは宇宙工学の仕事をしていると言うので、私が「人間はなぜ環境の厳しい宇宙に行きたがるのか、片道切符の火星探査プロジェクトに参加したいと思うか、人工知能がもうすぐ人間の知性を凌駕し人類は滅びるとホーキング教授やビル・ゲイツらが予言しているがどう思うか、技術の進歩によって人間は肉体が滅んだ後もコンピューターの中で永久に生きられるようになったらあなたはそれを選択するか」などの質問を浴びせ、意見を交換しあった。理科系人間とはこのような突飛な質問をしても、議論が続くのが楽しい。
 話に夢中になったせいか、いつの間にか美しい海岸に着いていた。アルベルゲはすぐそこだった。
 話に夢中になっていたお陰で、風邪の予兆は吹き飛んでしまったようだ。
 人はひとりよりも仲間と一緒にいるほうがやはり楽しい。

スペイン巡礼紀行文(2018年5月2日)

5月2日 Bilbao滞在

 身体を休めるため先を急がず、ビルバオ市内の観光をしたのだが、結局頑張り過ぎたため22000歩も歩いてしまった。
 この3日間一緒に歩いてきた49歳の韓国人のユジョーンは時間がないとして先に進んで行った。もう会えないだろう。彼は年上の私に非常に気を使ってくれた。アルベルゲの登録、シャワー、レストランでの注文は私に先にさせてくれただけでなく、ドアがあると、先に行って開けてくれた。非常に恐縮した。ここはヨーロッパ文化圏だからそこまでする必要はないのだが、やはり自国の儒教文化の年功序列の習慣が忘れられないのだろうか。複雑な気持ちになった。
 今日は終日デンマーク人のリスベスと観光を楽しんだ。重いリュックを預り所に持って行って順番を待っていたとき、巡礼者の台湾人女性が血相をかいて入ってきた。リュックを盗まれたと訴えている。大事なものが入っていれば、巡礼を中止しなければならないだろう。冗談ばかり言ってきたカミーノだが、私もこういう事態にいつ陥ってもおかしくはない。厳しい現実を突きつけられたように感じた。都会では細心の注意をしなければならない。
 グッゲンハイム美術館は現代アートの展示で有名なのだが、作品を理解するのが難しい。バスク人のチリーダの立体彫刻はどうにか分かるが、他はよく分からない。奇妙な建造物の美術館はその上を走る道路の橋さえ、芸術の一部として取り込んでいるように見えた。
 リスベスと昼食を楽しんでいるとき、赤ワインの酔いの勢いもあったのだろうか、彼女は今回カミーノにくる予定でなかったが、姉をインフルエンザで突然亡くし、癒しを求めてカミーノにやってきたのだと告白した。私は黙って聞いていた。リスベスは口に出すことができるまで心の痛みが回復したのだろうか。私は何の有効な慰めの言葉もかけられないが、心の叫びを外に吐露すれば、少しは気持ちが軽くなるはずだ。私が何かの役に立ったのならば幸いである。カミーノの巡礼の旅はじつに楽しいが、死と向き合っている人もいるのだと改めて知らされた。
 話は変わるが、今まで受けた私の駄洒落の一部は以下のようなものだ。
Where there is a will, there is a way.をもじり、Where there is a will, there is the Camino.さらに、Where there is a will, there is a heritance tax.
 私はイビキをかかない人と思っていたが、昨夜もっとも騒々しかったとリスベスに言われたので、The man who laughs at last, laughs the most.をもじって、The man who snores at last, snores the most.と言い返して、笑いをとった。少し自虐的過ぎたかな。

いずれにしても、人生はスプリントではなく、マラソンだ。局地戦では敗者になってもいいが、最後に笑う者になりたいものだ。

スペイン巡礼紀行文(2018年5月1日)

5月1日 Gernika/Bilbao 36km 57000歩

 ビルバオまで山道36kmを1日で歩いて翌日休みとするか、2日で歩くかの選択に迫られた。天気次第だが、運よく歩き始めると、雨が止んだので、一気に行ってしまうことにした。9時間かけて、57000歩もスペインの大地を踏み締めた。他の巡礼者と同じ距離を歩いても、私の歩数が一番多いのは脚の長さに起因するのだろう。これで笑いをとれるのだが、何だか劣等感を覚える。
 バスク地方は雰囲気が硬いように感じた。バスク地方の旗がなびいていたり、政治犯の解放を英語で要求している壁も何回も見かけた。大きな家には獰猛な犬がいて、何度も吠えられた。大きな犬は苦手である。
 でも、小休止したbarから出るとき、バスク語で「私は日本人だ、ありがとう、さようなら」と言うと、ウェイターから素敵な笑顔がかえってきた。やはり、言葉の力は偉大だと思った。
 バスク人の特徴は、働き者でプライドが高く、少し頑固だが、一度友達になると一生続く友達になれると聞く。機会があれば、バスク人の友達を作ってみたい。
 今日も山間の牧草地帯を歩いたのだが、放牧されている馬を見ながら、日本人は馬刺しを食べると言うと、必ず怪訝な顔をされる。韓国人が犬を食べると聞かされた時に、日本人が抱く違和感と似たようなものだろう。クジラやイルカを食べるのは野蛮だとして、国際的に止める方向にあるが、馬刺しも同じ運命を辿るのだろうか。食べ物の嗜好は理性を超えているので妥協できない代物なのだろう。
 やっとやってきたビルバオの街を見下ろす丘で、巡礼者4人が寛いでいると、レオンから来たというスペイン人のホセがスペイン語と英語を使って、巡礼者一人づつに話かけてきた。韓国人に対し出身地は北か南かと尋ねると、私が横から口を出し、「北朝鮮は貧しい国だからカミーノに来られない」と言うと、ホセは「北朝鮮はパラダイスだよな」と言って、みんなの爆笑を誘った。バスク人と違い、典型的なリラックスしたスペイン人だった。これで巡礼者の重苦しい雰囲気が一変した。
 この日はメーデーの今日から営業を始めたアルベルゲに泊まった。じつに運が良い。メーデーは日本では祝日でないが、ヨーロッパでも韓国でも他の国は祝日で、労働者は半日か終日の休みをとれることが分かった。ただし、ほとんどのレストランが休業のため、夕食場所を探すのにじつに時間を費やしてしまった。

 アルベルゲの管理者のオスピタレーロは英語を話さず、もっぱらスペイン語でまくし立てるが、非常に面倒見の良い人だった。友人が作った黄色い矢印のバッジをくれたので、私がお返しに日本カミーノ友の会のバッジを渡すと、ありがとうと言ってすぐに胸に付けた。このオスピタレーロもソーシャル・ワーキング・サービスに従事しているボランティアだった。

スペイン巡礼紀行文(2018年4月30日)

4月30日 Markina/Gernika 26km 43000歩

 終日、霧雨の降る巡礼の旅となった。今当地は雨期の季節だから雨は避けられない。大雨にならなかっただけでも神に感謝しなければならない。
 昨年、夏にフランス人の道を歩いた時も、秋に四国歩きお遍路の時もそうなのだが、道に迷いそうになると、誰かが助けてくれる。道中、地元の人に会うことはほとんどないのだが、迷いそうになると、誰かが突然どこからかやってきて、正しい道を教えてくれる。じつに不思議だ。今日も経験したのだが、そのまま間違った道を進んでいたらと考えると、ぞっとする。これは私だけの経験ではなく、他の巡礼者も口を揃えて同じことを言う。
 北の道に少しずつ慣れてきたのだが、フランス人の道に比べると、風景も歴史的遺産も随分違うように感じる。山道の登りと降りが交互に続き、肉体的チャレンジをやらされているように感じる。山岳間の牧草地帯がずっと続いていて、巡礼の旅の印象とは異なる。
 さらに、バスク地方は他のスペインの地域と違って、あまり開放的でないように思える。緑の深さや雨の多さもいわゆるスペイン的ではないように思える。
今日一緒に歩いたデンマーク人のリスベスと韓国人のユジョーンに率直な意見を聞いてみたのだが、似たような感想を漏らしていた。天気のせいなのかも知れないが、泥濘が多くあまり好きになれないルートだった。
 当初、オビエドから山岳地帯の原始の道を歩く予定であったが、山道に入らず、そのまま北の道を海岸沿いに西に進もうかと考え始めている。海に近いほうが食べ物も美味しいに違いない。
 カミーノを歩き出して、まだ5日目なのだが、1か月くらいの長さに感じられる。旅に慣れてしまえば、時間が速く進み始めるのだろう。6週間に及ぶ旅なのだから、気長に待ちの姿勢で対応していこうと思う。焦っても得るものは何もない。
 ゲルニカはナチドイツに空爆され、廃墟になった街として有名である。それに激怒したピカソが抗議して描いたのが、『ゲルニカ』という作品である。現地にはレプリカしかないのが残念であったが、その前で記念写真を撮った。
 初日に一緒に歩いた豪州人と英国人の3人グループに再会した。心が一層近くなったように思えるのは不思議だ。会ったり別れたりを繰り返しながら、巡礼の物語は進行していくのだろう。