Daily Archives: 2018年6月16日

スペイン巡礼紀行文(2018年4月29日)

4月29日 Deba/Markina 24km 44000歩

 ヨーロッパにやって来て5回目の夜を過ごし、やっと時差ボケから抜け出した。夜中に目が覚め、眠れなくなる苦痛から解放されたのだ。これから、観光をしたり、絵を描いたりしていきたいと思う。
 リトアニア人女性のヴィーダが一緒に撮った写真を送ってくれたので、さっそく似顔絵を描いてみた。彼女はデーバのアルベルゲの開門を待ちきれず、5キロ先の村まで歩いていたのだった。美人画にするために、目を実際よりも大きく描いたが、本人はどう思うだろうか。西欧人女性感覚と日本人では見方が異なるかもしれないので反応が楽しみだが、今日はまだ再会していない。これからも会えないかもしれない。カミーノでは一期一会なのだから。
 デーバの駅舎の二階のアルベルゲでは、翌日のルートに悲観的な情報ばかり飛んでいた。北の道の最大の難所だ、道がひどく泥濘んでいる、アップヒルの総計が900m以上だ、迷いやすいので一人で歩かないほうがよい、80%以上の確率で雨が降る。
 私と韓国人のユジョーンは覚悟を決めて、まだ暗いなかライトを照らしながらトップでアルベルゲを出発した。まだ雨は降っていないが、遅くなるほど雨になる確率が高くなるからだ。

 少しずつ明るくなり、気を緩めて美しい海を眺めながら歩いていると、ふと目印の黄色い矢印を見かけないことに気がついた。しまったと思った。どこかで曲がるべきだったのに、真っ直ぐ来てしまったのではないか。ユジョーンはスマホを取り出して、地図を映し出すと、やはり道に迷っているのが分かった。我々は仕方なく戻ることにした。2km余分に歩いたが、この程度の損失で済んだのだからよしとしなければならない。
 今日の道中の唯一のBarはシーズンオフで営業してなかった。サンティアゴという名前のスペイン人と愚痴をこぼしあった。サンティアゴは日本語ではヤコブと呼ぶと私が言うと、スペインでもそのように呼ぶこともあると彼は教えてくれた。サンティアゴによると、スペインでは母語の古典でもあるラテン語も学校で勉強するという。

 さらに彼に色んなことを聞くと、英語で説明するのを面倒がってスペイン語で説明してくれるのだが、半分も理解できない。まだ、スペイン語のレベルは低い。
 同年代のオーストリア人夫婦にドイツ語で話かけると、上手いと褒めてくれるが、会話はすぐ英語に戻ってしまう。ドイツ語も使えるレベルにはほど遠い。スペイン語とドイツ語も独学してきたが、サバイバルのレベルを脱していないことが痛感された。
「オーストリアに住む日本人女性はなぜみんなマスクをしているのか、日本では相手に多くの質問をするのは失礼になると聞くが本当か、日本人女性は纏足をしていたのか、日本人は富士山に登るのに海岸から歩き始めるのか」と好奇心溢れるオーストラリア人夫婦が次々と面白い質問をしてきたので、丁寧に回答しておいた。
 私が「初孫が2か月になったばかりだ」と話すと、彼らは「3人の子どもがいるが、まだ結婚もしない。孫はずいぶん先だ」と言って、嘆いていた。晩婚と少子化と超寿命化は先進国共通の課題なのだ。なお、奥さんとは同じ年齢だった。
 私の初孫が高校生か大学生になった時、カミーノを一緒に歩いてみたいものだ。20年後の将来の夢としてとっておきたい。そのためには、鍛錬を怠らず続け、体力の減退を抑えておかなければならない。
 結局、雨は降らなかった。まさに幸運というしかない。いや奇跡に近いと思う。
 アルベルゲに到着すると、ルートが厳しかったせいか、ホッとしたせいか、3時間のシエスタを貪ってしまった。今夜は眠れるのだろうか。明日は終日雨予報だ。しかも、気温は8~10度だ。もう雨を避けられまい。マリアのご加護も限界が来ているだろう。
 なお、今日のコースはアップダウンが激しいものだったが、杉林の多い日本の山の風景に似ていた。家族は元気にしているのだろうか。ふと祖国を思い出した。

スペイン巡礼紀行文(2018年4月28日)

4月28日 Getaria/Geba 17km 30000歩

 ゲタリアはNHKテレビの『旅するスペイン語』の語学番組で取り上げられていたので、気になっていた漁村だった。カレイ料理を食べたいと思い、港に面するレストランに行ったのだが、2キロを超えるカレイが2万円と聞いて、あっさり断念した。一匹で5人分だと言っていた。このくらいのスペイン語は聞き取れるようになった。
 司馬遼太郎も『街道を行く』でゲタリア紀行を書いているが、当時は風情のある静かな漁村だったらしい。今や多くの観光客の押し寄せる場所となったのには、少しガッカリした。
 夜中に雨が降ったが、歩いている間は幸いにも雨が降らなかった。しかし、連日降り続いた雨のため、自然道が泥濘んだり、石を敷き詰めた道が滑ったりの悪いコンディションとなった。
 終日、49歳の韓国人男性のユジョーンと一緒に歩いた。道中、北朝鮮問題についても話を聞いたのだが、韓国社会の複雑な社会状況を知らないと、正確に理解できないと思った。日本人の視点からだけでは朝鮮半島情勢を予測するのは困難だろう。
 彼が韓国人だと分かると、「南北の融和が進んでおめでとう」とスペイン人やブラジル人が彼に話かけてきたが、そう簡単に問題が解決するとは私には思えない。口には出さなかったが。
 私の前を歩いていたユジョーンは2度滑って転び、2度目にストックを折ってしまった。

 目的地の町のインフォメーションセンターで、カップルの巡礼者が「今日はタフな1日だったな」と話かけてきた。彼らも一、二回転んだと言っていた。私は「韓国人の友人が先導し、先に2回も転んでくれた。彼は私の代わりに転んでくれたファーストペンギンだ」と言って笑いをとった。
 我々がBarで寛いでいると、若いブラジルの男性が「君らは今夜この村に滞在するのか」と聞いてくるので、「そうだ」と私が答えると、「自分は5キロ先の村まで歩く」と言う。私が「君は若いから歩けるが、私は年寄りだから無理だ」と主張する。「カモーン、ワインをあと2杯飲むと、行けるようになるよ」と彼は誘ってくる。「いや3杯飲まないとダメだ」と私は言って、彼を笑わせた。巡礼者たちの会話はいつもジョークで満ちている。
 でも、英語ネイティブが本気で速く話すと、話題についていけなくなる。そういう時には、私は彼らの笑いのネタにされてしまいかねない。

 私が英語を話せるとはいっても、ネイティブとの差は歴然だ。真面目な話とジョークの両方に上手く対応できれば、英語スピーカーとして一人前に見られるだが、日本人にはかなり高いハードルだと思う。ここはヨーロッパ文化圏なのだと再認識させられた。

スペイン巡礼紀行文(2018年4月27日)

4月27日 San Sebastian/Getaria 23km 41000歩

 昨日の夕食は豪州人2人と英国人1人の4人でBarにピンチョスを食べに行った。途中の道路上で、バスク人の政治犯が解放されたため、数百人の人々が旗や花火や爆竹を使って集会を祝っていた。

 戦前から戦後まで続いたフランコ独裁政権を倒したのはバスク人だった。スペイン国内でカタルーニャの独立が議論される中で、バスク人のプライドにも火が着くのだろうか。なお、バスク語はインド・ヨーロッパ語に属さず、古くからヨーロッパで話されていた言語などという説もある謎の言語だ。現地の人々は別れる時に、スペイン語でなくバスク語でアウールと言う。

 彼ら英豪の3人は2年前にフランス人の道で友達になり、今回は一緒に北の道を歩くことにしたそうだ。友は友を呼ぶ。

 我々4人には共通点があることが分かった。脚力とアルコール耐性は似たもので、年齢も非常に近い。3人は61歳で、一人が64歳。私以外はセミ退職の状況だ。同年代の豪州人が豪州訛りの英語で私に「完全引退で何をしているのか」と聞いてくるので、「歩き、走り、泳ぎ、ゴルフをし、エッセイや小説を書き、絵を描き、スペイン語を勉強しているが、答えの出ないことを考えるのが好きだ」と答えた。例えば、神が人間を創ったのか、それとも人間が考えついたのか。一体どちらが真実なのかという風な。エンジニアの彼は「永遠に解けない課題だね」と応答してくれた。
 今朝、彼らと別れ、ゲタリアまで歩いた。どんよりとした雲の下で、ビスケー湾から吹き付ける風は冷たかった。雨には降ってもらいたくないと思いながら歩いた。まだ2日目だけどひどく長く感じられ、この先どうやって予期せぬ事態を乗り切っていけるのか不安になった。

途中出会ったブラジル人は「昨年、奥さんと富士山に登った」と言って、頂上付近の鳥居の前で撮った写真を見せてくれた。韓国人夫婦はヒマラヤトレッキングを5回もやったと言った。こんな健脚ばかりがカミーノに集結している。

数人から、「写真を撮る時に、ピースのサインをするのは、世界中で日本人と中国人くらいで非常に珍しい」と言われた。私が写真を撮るときに、サービスにみんなでピースサインをしてくれた。
 ゲタリアは世界一周を目指すマゼランが原住民に殺害された後、船団をスペインまで導いたエルカノの出身地だ。もちろん地元では、初めて世界一周した英雄として非常に尊敬されている。

スペイン巡礼紀行文(2018年4月26日)

4月26日 Irun/San Sebastian 26km 44000歩

昨夜泊まった巡礼者用の宿泊所「アルベルゲ」は定員20名くらいだが、ほとんど満室だった。私はチェックインが遅かったため、2段ベッドの2階になった。私の隣のベッドに陣取っていた男性の頭は禿げ上がり、ギリシャ彫刻のような顔立ちのため、まるでヤコブかソクラテスに会ったような気分になった。

時差と年齢のため夜中に目が覚めたが、まずまずの睡眠時間を確保できた。巡礼経験2年目だから周囲のイビキもさほど気にならなかった。北の道を歩く人には、サンティアゴ巡礼が初めてという巡礼者は少ない。リピーターが多く、巡礼者の雰囲気も格好も様になっている。消灯時間や起床時間はよく守られていて、規律正しい。
 宿泊料金は朝食を含めてドネーションと言われたけど、10ユーロくらいは必要かと思ったが、生憎適当な金額がなかったので、持っていたコインをすべて出した。少な過ぎたかもしれない。
 早朝7時に明るくなったので、朝食を済ませるとすぐに出発した。雨上がりの朝は空気が澄んでいて気持ちがいい。坂を登り、標高600m位まで来て、ビスケー湾を左手に眺めながら尾根沿いに牧草地帯を歩く。至福の時間だ。やはり今年もやって来て良かったとつくづく思う。そう言えば、昨年も初日にして翌年も来るぞと決意したのだった。
 途中から豪州人と英国人3人のグループに合流し、さらにリトアニ人女性ビータが加わった。有名なリゾートタウンであるサンセバスチャンのアルベルゲには我々5人で一室を占めることになった。
 道中会ったデンマーク人女性リスベスは昨年、北アルプスの焼岳に登ったそうだ。娘さんは東京大学で人類学を勉強していたと言う。なぜ娘さんは日本で人類学を学んだのかという私の質問に、リスベスは「まったく違った分野を勉強したかったからだ」と答えた。ヨーロッパ人の好奇心の断片を見たような気になった。

リトアニア人のビータは母国語のリトアニア語以外にロシア語、ポーランド語、英語を操る。ロシア語は易しいというから驚きだ。彼女によると、リトアニア語はもっとも古い言語のひとつで、かなり難しいと言う。リトアニアの人口は3百万人超だったが、若者が職を求めてドイツや英国に流出したため、百万人単位で人口が減少していると彼女は言う。
 スペイン有数のリゾートタウンのサンセバスチャンは観光客で溢れている。サンティアゴまで900キロ近い距離を歩く巡礼者は一目で分かる。体型も歩き方も雰囲気もまるで観光客とは違っている。我々は自称ウォーキングクレージーなのだ。
 サンティアゴ巡礼を楽しむには3つの能力が必要だと私は思う。まず、毎日30km歩ける脚力、次に誰とでも友人になれるコミュニケーション力、最後が霊感だ。コミュニケーション力には外国語力が含まれるが、それよりも相手を楽しませる会話術が必要だ。利き目のあるジョークがタイミングよく言えるといい。霊感は土地の自然や歴史との対話力につながる。見えないものとの合流ができると、心が安らぎ、純心になれる。
 今日は初日で、まだ時差ボケから解放されておらず、8時間も歩き、少し疲れた。44000歩になった。明日も予想に反して晴れになればいいが。

スペイン巡礼紀行文(2018年4月25日)

4月25日朝 パリのモンパルナス駅近くのホテルにて

 昨日ドゴール空港からモンパルナス駅行きのバスに乗り合わせた乗客のうち、なんと4人もサンティアゴ巡礼を歩く旅に出かけるという。彼らの共通点は韓国人で、退職したばかりという同世代で、しかもサンティアゴ巡礼のリピーターであり、今回も世界遺産に登録されている最も人気のある「フランス人の道」を歩くというのだ。私は昨年フランス人の道を歩いたので、今年は「北の道」という別のルートを歩くのだが、サンティアゴ巡礼が韓国で非常な人気になっているのは間違いなさそうだ。彼らと共通点が多いのは安心感があるが、少し気味悪いようにも感じる。若い世代がいてもいいように思う。
 サンティアゴ巡礼に出かかる日本人は毎年3000人くらいだが、韓国人はその数倍はいる。もしかしたら桁違いかもしれない。巡礼路で東洋人を見たら、韓国人と思ってもあまり間違わないようだ。
 バスを待っているあいだ、英語ができる韓国人女性になぜ多くの韓国人がサンティアゴを目指すのかと聞いたら、「韓国社会は窮屈なため、海外に出かける人が多いのではないか」と答えてくれた。その女性はこれから南仏を旅行するらしく、サンティアゴ巡礼には興味がなさそうだ。
 いずれにしても、フランス人の道も北の道も距離に大差はないので、ゴール地点のサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂で遭遇するかもしれない。その時には、祝宴を開こうと約束して別れた。
 パリの物価は高く、まともなホテルに泊まろとすると、一日の出費が二万円を超えるのを覚悟しなければならない。貧乏旅行の私としては、物価の高い大都会を早く抜け出して、田舎に行かなくてはならない。
 現在フランス国鉄とエールフランスは大規模ストを実施中で、運休と平常運転を繰り返している。幸いにも、今日は平常運転の日に当たっている。TGVに5時間くらい乗り、夕方にはスペイン側の国境の街イルンに到着予定だ。今日やることはTGVが予定通り運行されることを祈るだけだ。

 

4月25日 Paris/Irun TGVで移動

ネット情報では、明日から1週間雨模様の天気が続くようで、気持ちが下降気味だったが、歌手で絵画を趣味としている八代亜紀さんが主宰する地元の展覧会に出展していた作品が入賞したという連絡を妻から得て、元気が出てきた。次の作品は巡礼の旅で出会った中世の世界遺産や美しい風景画を描いてみたいものだと欲が出てきた。携帯用のスケッチブックも持参したので、絵になる遺跡や風景との出会いが楽しみだ。昨年の「カミーノ」(サンティアゴ巡礼の旅をこのように呼ぶ。スペイン語の「道」という意味)は歩くので精一杯だったが、今年は一歩前進し、リラックスした旅を楽しみたい。
 パリからTGVに乗ってスペイン国境を目指すのだが、途中のバイヨンヌで大きなリュックを背負った多くの巡礼者が下車した。彼らは鈍行に乗り換えて、サンジャン・ピエ・ド・ポーまで行く。そこはフランス人の道の出発点だ。巡礼者は翌日、ナポレオンが行軍したピレネー越えのルートに挑むことになる。

TGVの私の隣の席に座っていて、いちゃついていたフランス人カップルもその仲間だ。サンティアゴで再会できるようお互いの握り拳をぶつけ合った。これだけで我々はもう友達同然になったのだ。
 私は終点のアンダイエまで行き、鈍行に乗り換えて、国境を超えてイルンに行く予定であったが、アンダイエに到着してみると、その列車がないという。最初のトラブルだ。理由を駅員に聞いてみても判然としない。仕方なく、45分後発のリスボン行きの列車に乗ってイルンを目指した。

アンダイエの駅で知り合った若いドイツ人女性は「ポルトガル人の道」をポルトからサンティアゴまでの距離260キロを歩くという。体力に自信がないため、800キロのフランス人の道は避けたそうだ。彼女の荷物は軽そうだ。私と同様ズボンは1着のみ。「何週間も同じ服を着るとは、私たちクレージーね」と笑い合った。

スペイン巡礼紀行(2018年4月24日)

4月24日 福岡空港

友人や家族に、「気を付けて行って下さい」と何度も言われるにつけ、遠い国に旅立つのだという気持ちが湧いてくる。数日前までサンティアゴ巡礼の旅に行くという現実感があまりなかっただけに、心理状態の変化は大きい。身体の筋肉が緊張するように、心の張りが一段と増してきた。やはり、出かけるのだ。夢や希望が現実のものとなりつつある。平静のまま出発し、いつの間にか帰ってきて、何事もなかったように平凡な日々に戻って行くという理想にはほど遠い。

「人生は旅だ、旅は人生だ」と言うことは簡単だが、それを自分の血や肉にするには様々な体験を通じた心の変貌が必要なのだ、と思う。
 ホモサピエンスは十数万年前にアフリカを脱出し、ユーラシア大陸を横断し、氷期の厳寒のベーリング海峡を渡り、アメリカ大陸を北から南まで歩き、一万年前に南米大陸の南端に至っている。なぜ、人類はそのような遠大な旅をしたのだろうか。食料を確保し、子孫を残すだけが生きる目的だとしたら、何十万キロも歩く必要はなかったはずだ。

我々の先祖は何のためにそのような気の遠くなりそうな、しかも命懸けの旅に出たのだろうか。アフリカのエデンの園でぬくぬくと生きていてよかったはずである。そんな彼らの遺伝子は我々の身体に引き継がれているのだろう。
 私は今、スペインの約千キロの巡礼道を歩くために、福岡空港にいる。旅の目的を聞かれれば、色々並べ立てることはできるが、真の理由は何なのだろうか。自分にもよく分からない。そもそも生きる目的は何なのだろうか。毎日の小さな目的はあったとしても、人生の大きな目的は漠然としている。人間の最大の謎だ。
 この40日の旅でそれを解明しようという大それた考えはない。謎があるから、それに立ち向かおうとしているだけだ。ドン・キホーテのようなものかもしれないが、それもスペインの旅にふさわしいのかも知れない。
 一日一日を大切にして、いい旅を続けたい。出会いを大切にしたい。身体を壊さないよう十分注意していきたい。素晴らしい旅になりますように! Buen Camino.