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Daily Archives: 2017年12月19日

お釈迦様はエリートがお好き

 お釈迦様は人生は生、病、老、死の苦に満ちたものであるため、それらの元凶である欲を滅却することを説く。欲をなくすことができれば、あらゆる苦から解放され、涅槃に至るのである。
 この世は修行の場であるため、うまく欲を乗り越えた者は極楽に行くことができるが、そうでない者は再び人間としてこの世に戻されるか、行いが悪いものは来世は獣や虫となってしまう。極悪人は地獄に落とされ、永遠の苦しみを味わうことになる。
 お釈迦様は人間に限界まで欲をなくす努力をすることを求めておられるのだ。お釈迦様の目から見て、欲を捨ててある一定のレベルまで達したものは救われるのであるが、これはとりもなおさず選民思想、つまりエリートの選抜である。ここで言うエリートとは俗世間での特定の能力に秀でた者を指すわけではないが、お釈迦様の設定された基準で選ばれるという意味では、選民思想であることには変わりはない。

 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は自分だけ地獄から這い上がることができればいいという我欲がテーマである。もし仮にみんなで助け合って一緒に地獄から天国に登ろうという立派な気持ちになっていたら、蜘蛛の糸は頑丈な鋼鉄に変貌していたであろうと、わたしは勝手に想像するのだが、当人たちは自分一人でさえ支えきれない糸を頼りにしているのだから他人の救済は目に入らないのだ。
 龍之介は人間のどうしようもない我欲に目を向けて、小説を書いたのだが、この小説に裏バージョンがあるとすると、我欲を乗り越えた数少ない人々は知恵を出し、協力し合って、お釈迦様の待っておられる極楽に至った物語があたったとしてもいいではなかろうか。少なくともわたしにはそのようなプロットが思い浮かぶ。
 実際の小説では、我欲に駆られた人々は糸がプツンと切れて、再び地獄へと落ちていくことになる。将来いつの日か、ふたたび何かの糸が天上から降りて来るかもしれないが、地獄の住民たちはふたたび我欲に負けて同じことをするのだろうか。お釈迦様の物語では、すべての人々を救うために同様の試みが行われるのではないのか。そうであれば、お釈迦様はすべての人々が選民になることを待ち望んでおられることになる。

 近代になり、平民が政治や経済に大きな影響を与えるようになると、文学の対象として平民の生活に焦点が当てられるようになった。平民の悲しみや苦しみや楽しみが小説の題材になったのである。同時に、近代人は神を信じなくなったので、選民思想から解き放たれ、修行し努力することよりも社会に要求する方に力点が置かれるようになった。お釈迦様の悲しげなお顔が目に浮かぶ。

 最終的に自己研鑽によって救われるのが人間の宿命であるのか、それとも誰かによって救ってあげなければならないのが人間であるのか、あるいはいつまでも俗世間の荒波で悩み続けるのが人間であるのか。
 人間とは何かという問いはいつまでも続いていく。

(2017年12月19日、寺岡伸章)
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