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Monthly Archives: 12月 2017

今年の総決算

 今年は定年退職し、人生の新しいステージに移行した年だった。膨大な自由時間に圧倒されるか、それをうまく活用するかで人間力が試されるような気がする。勝負は五分五分だったかもしれない。
 今年のイベントとしては、サンティアゴ巡礼800キロの徒歩旅行を妻と歩いたのは記念すべきことだった。表面上は素晴らしい定年退職記念旅行なのだが、内実妻は毎日20数キロの徒歩に相当苦労したようだった。何事にも日向があれば、陰もあるということだ。
 この巡礼に気を良くした私は四国歩きお遍路1200キロの旅にも挑戦し、ほぼ予定の41日間で結願(けちがん)することができた。サンティアゴよりもお遍路は厳しい道のりだった。即身成仏までは至ることができず、人間の業の深さを改めて思い知らされた。
 スポーツでは、2月の熊本城マラソン大会、4月と5月と10月の100キロ超ウォーキング大会を完歩したのは嬉しい。結構厳しいため、友達にはあまり勧めないが、自分としてはこんな苦行に挑戦する自分に大変満足している。行橋別府100キロウォーク大会では17時間42分でゴールし、4600人中302番だったのは非常に嬉しい。これが自己最高の成績か、来年更新できるかはやってみないと分からない。いつか限界がやってくるのだが、それは神仏に任せるとして、自分は前を向いて前進するのみだ。
 ゴルフはまだスランプから脱出していない。90を切ったのが1回しかなかったのは恥ずかしい。ピークは過ぎたかもしれないが、来年はしっかり取り組まなければならない。
 文化面では、絵描きを始めたのは新鮮だった。1年間で数十枚の絵を描いただろうか。予想以上の出来栄えに自己陶酔しそうになったこともあった。こんなこともないと、人生やってられないけれど。お遍路の途中で絵手紙を描いたり、年賀状はすべて水彩画にしたのは新しい試みだった。受け取った友人たちに喜んでもらえると大変うれしい。来年は賞を目指してさらに頑張りましょうか。
 文芸の方では、小説や旅行記を書いて地元の文芸誌に投稿したのだが、反響が今一つパッとしなかった。新しい作品へのチャレンジが必要なのかもしれないと思った。
 語学のほうは、英語と中国語に加えて、スペイン語、ドイツ語、フランス語に挑戦した。スペイン語はサンティアゴ巡礼でサバイバルレベルには達したものの、次のステージに向けて頑張っていきたい。ドイツ語は、大学時代の第二外国語だったためか、習得が速いように感じる。フランス語は発音に違和感を覚え、入口で挫折しているような状態だ。加えて、ラテン語の入門書を買ったのはいいが、第一章をまだ読み終えていない。気が向いたときに、ボチボチやるしかない。
 こんな一年だった。自己採点では80点くらいなのだが、他人からみるともっと高得点が得られるだろうか。でも、得点と幸福度は比例関係にあるとは限らない。幸福は果敢な挑戦よりも、平安な心から得られるのである。挑戦ばかりの人生では深い幸福感は得られない。
 でも、病気と怪我をしなかったのは幸運だったと言うしかない。いつどんな事態が襲ってくるか分からない。一日一日を大切に生きるしかない。人間に左右できないことは多々ある。神仏に幸運を祈願しつつ、来年も精一杯頑張ることにしよう。
 元旦からよいスタートが切れますようにと願いつつ、今年を締めくくろう。昔、一年の計は元旦にありと言ったような気がする。
 来年もよろしくお願いします。

(2017年12月31日、寺岡伸章)
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正義と美

 先日、中学生時代の同級生とゴルフをラウンドし、クルマで自宅まで送ってもらった。そのクルマの中での会話。彼が悩みを告白する。
「俺は61歳になったけれど、65歳までしか働けない。その後、何をして過ごしていいか分からず、怖いような気がする」
「今まで会社や家族に時間を拘束されてきたので、人生の後半は好きなことをやればいいよ」と私は気楽に答えた。
「今日は同級生3人でゴルフをやって楽しかったけれど、それも月1回で、他の時間は何をやればいいのかよく分からない」
 私は心の中でため息をついた。彼は続けて話す。
「ミニバレーを週1回やっていて、その後で行きつけのスナックに飲みに行くのが楽しみなのだが・・・」
「いいじゃないか。若い女性に囲まれて楽しいじゃないか。俺はそんな趣味はもう卒業したけど。お金がもったいない。そんなことにお金を使うよりも美味しいものを食べたい」私は正直に答えた。
「俺にはゴルフとミニバレーと飲むことくらいしか楽しみがない。これだけじゃ、退職後の時間が潰せない。お前はいいよな、多趣味で」彼は自由時間を本当に怖がっているのだ。
 私は還暦で定年退職し、仕事はやっていない。人生の価値観も変えた。現役時代は、大げさに言えば、仕事を通じて正義を実現することが任務だったと思う。でも、今は違う。美しいものを追求することが任務だと信じている。
絵を描くこと、美しい自然を愛でること、旅行に出かけてかけがえのない文化や伝統に接すること、美しい心の人々と交流すること、美味しいものを食べること、美しい物語に接すること、理想や希望を大切にして生きること、政治や経済など醜いものから遠ざかること。
美は永遠であり、正義よりも人間を幸福にする。そう心から思う。
「人生は美しい。世の中は美しいもので溢れている。自分に合った美しいものや物語を探し、それを享受することが生き甲斐ではないのか」私はそう言った。
 彼は怪訝な顔をして言った。
「お前の話は昔から難しすぎてよく分からない。この世で楽しいのは酒とゴルフと女くるしか思いつかない」
「3つもあれば上出来ではないか。それを堪能すればいいさ」私はそれでいいのだと再認識した。

(2017年12月23日、寺岡伸章)
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幸せになる簡単な方法

 人間は誰でも幸せになりたいと思っているが、それは容易いことではないようだ。いつも何かに不満を抱いているし、生き甲斐やワクワク感を求めるため夢を設定しそれに向けて努力をしようと苦闘する。現状のままでは駄目だと発展するために頑張ろうとする。じつはここに幸福を阻害する落とし穴が存在する。
 そもそも人間は類人猿から進化してきたため、集団生活から逃れられない。自分の価値は所属する集団や社会によって規定されてしまうのだ。集団そのものは発展しようとする力学が働くため、個々人の競争を促し、能力を向上させることを要求する。隣人に嫉妬したり、羨んだりするのは自然な感情である。相手が失敗するか、自分が進歩すれば、集団や社会における相対的な価値は向上する。嫉妬心は心を不安定にし、進歩への希求は努力を伴う。いずれも自分の心と戦わなければならないため、苦痛を伴う。すなわち、幸福にはなれない。

 今生きている資本主義社会は分かりやすく言えば、お金の争奪戦である。多く持つ者が勝者であり、幸福を手にすることができると信じられている。競争に参加しなければ、お金を得られないが、競争は勝敗を明確にし苦痛を生じる。競争によって社会は発展するが、個人はなかなか幸せを得られない。

 幸せになるために、どうすればいいのか。答えは現状に満足することだ。今自分の置かれた立場や状況を受け入れ、感謝することだ。健康や家族や仲間や社会に対して心から感謝することだ。感謝の気持ちが幸福感を呼び覚ます。獲得したお金の額は関係がない。現状に不満を抱くものは将来発展の可能性が高いが、永遠に幸福にはなれない。
 人間的な生き方をしたいのであれば、社会と少し距離を置いておく必要があるのかもしれない。ゆめゆめ社会の歯車になってはいけない。

(2017年12月21日、寺岡伸章)
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お釈迦様はエリートがお好き

 お釈迦様は人生は生、病、老、死の苦に満ちたものであるため、それらの元凶である欲を滅却することを説く。欲をなくすことができれば、あらゆる苦から解放され、涅槃に至るのである。
 この世は修行の場であるため、うまく欲を乗り越えた者は極楽に行くことができるが、そうでない者は再び人間としてこの世に戻されるか、行いが悪いものは来世は獣や虫となってしまう。極悪人は地獄に落とされ、永遠の苦しみを味わうことになる。
 お釈迦様は人間に限界まで欲をなくす努力をすることを求めておられるのだ。お釈迦様の目から見て、欲を捨ててある一定のレベルまで達したものは救われるのであるが、これはとりもなおさず選民思想、つまりエリートの選抜である。ここで言うエリートとは俗世間での特定の能力に秀でた者を指すわけではないが、お釈迦様の設定された基準で選ばれるという意味では、選民思想であることには変わりはない。

 芥川龍之介の『蜘蛛の糸』は自分だけ地獄から這い上がることができればいいという我欲がテーマである。もし仮にみんなで助け合って一緒に地獄から天国に登ろうという立派な気持ちになっていたら、蜘蛛の糸は頑丈な鋼鉄に変貌していたであろうと、わたしは勝手に想像するのだが、当人たちは自分一人でさえ支えきれない糸を頼りにしているのだから他人の救済は目に入らないのだ。
 龍之介は人間のどうしようもない我欲に目を向けて、小説を書いたのだが、この小説に裏バージョンがあるとすると、我欲を乗り越えた数少ない人々は知恵を出し、協力し合って、お釈迦様の待っておられる極楽に至った物語があたったとしてもいいではなかろうか。少なくともわたしにはそのようなプロットが思い浮かぶ。
 実際の小説では、我欲に駆られた人々は糸がプツンと切れて、再び地獄へと落ちていくことになる。将来いつの日か、ふたたび何かの糸が天上から降りて来るかもしれないが、地獄の住民たちはふたたび我欲に負けて同じことをするのだろうか。お釈迦様の物語では、すべての人々を救うために同様の試みが行われるのではないのか。そうであれば、お釈迦様はすべての人々が選民になることを待ち望んでおられることになる。

 近代になり、平民が政治や経済に大きな影響を与えるようになると、文学の対象として平民の生活に焦点が当てられるようになった。平民の悲しみや苦しみや楽しみが小説の題材になったのである。同時に、近代人は神を信じなくなったので、選民思想から解き放たれ、修行し努力することよりも社会に要求する方に力点が置かれるようになった。お釈迦様の悲しげなお顔が目に浮かぶ。

 最終的に自己研鑽によって救われるのが人間の宿命であるのか、それとも誰かによって救ってあげなければならないのが人間であるのか、あるいはいつまでも俗世間の荒波で悩み続けるのが人間であるのか。
 人間とは何かという問いはいつまでも続いていく。

(2017年12月19日、寺岡伸章)
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年賀状描き

 今日は九州でも今年最大の寒波が訪れ、スポーツクラブに筋トレに行った以外は家で過ごしました。寒いので、家に籠って年賀状描きがはかどるのは悪くはないですね。
 今年から絵を描くようになったため、年賀状はすべて水彩画を描くことに決めました。でも、1日頑張って描いても10枚に届くことはありません。それでも20日くらい続ければどうにか100枚くらいは描けるのではないかと思っています。同じような図柄は数枚に止めていますので、およそ20種くらいの絵を描くことになります。まだあまりうまく描けないのですが、それでも受け取った人に喜んでもらえるのではないかという期待を抱いて描いています。
 絵を描くようになって、世の中が美しく見えるようになりました。ホントです。今まで自然を観察するにしても、ただ美しいなと思っていたのですが、今ではこの自然を描くとしたらどのような構図にするか、どのようなタッチにするか、色彩はどう選ぶかと無意識のうちに考えています。自然観察がぐっと深まった感じです。人物でも同じです。特徴のある顔の方が描きやすいです。皺やほくろやシミがある方がそれを手掛かりに描けます。すると、本人に似て来るので不思議です。美人やイケメンは却って描くのが難しですね。これも絵を描くようになったために気付いたことです。
 今日は今まで最多の9枚の年賀状を描きました。自分で撮影した写真を元に描いたり、図書館で探した絵手紙のモデルを参考としたりしました。描いているときは緊張したり、少々辛かったりしますが、完成したものを見ると、きっと喜んでもらえると思えます。少しだけ苦労して描いた年賀状の方が印刷だけのものよりも好印象を与えることができるでしょう。
 年賀状で心を繋げていきたいです。どうですか、今年の年賀状は絵でも描きませんか。

(2017年12月14日、寺岡伸章)
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散髪

 四国お遍路に出かけるために2か月前に坊主頭になったのだが、そのまま放置していたのですっかり伸びてしまった。今日は水曜日だが、明日から妻とともに東京に出かけて友達と会うことにしている。私は無精者であるため、髪の毛は特に長すぎて見苦しいというわけでもないため、自然状態の頭髪で上京しようとしていた。
 ところが、突然妻が今日になってやはり理髪店に行くべきだと言い始めた。私はお金が余分にかかるし、外は寒波が来ているので、東京から帰って来てから理髪店に行くよと言い返したのだが、妻は頑として主張を曲げようとしない。
 理由を聞いてみると、そんな田舎臭い頭髪では老け込んだと誤解され、東京の友人に嗤われてしまうと言うのだ。いつもは物静かな妻なのだが、今回ばかりは執拗に理髪店に行けと言い続け、勝手に理髪店の予約を取ってしまった。渋々妻の運転する車で外出し、地元で流行りの理髪店に連れていかれ、刈り上げされ、頭頂の頭髪を立ててもらった。すると、短いなりにも見栄えはずいぶん良くなった。鏡に映った自分の髪形を見ると、それなりの雰囲気を醸し出している。妻は大変満足し、進んで支払いを済ませた。
 妻の強気な面を発見した水曜日だった。

(2017年12月11日、寺岡伸章)