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Daily Archives: 2017年10月4日

野生の鹿発見

 先日、朝9時過ぎ山間を縫うように走る県道を歩いていたら、野生の鹿と遭遇した。鹿は作物に被害を及ぼすため、集落に降りてこないように網を巡らせてあるのだが、どういうわけか網の内側の街側にいて、山に戻ろうと網伝いに歩いているところだった。私が近づくと、焦ったように走り回るのだが、網が破れた穴は発見できないでいるようだった。目には焦りが感じられた。地元の人に見つかると、処分されるのだろうか。

 その数日後、今度は日の出前から山間の薩摩街道沿いに歩いていたら、何者かの足音が聞こえた。人間ではないらしい。音のするほうを見ると、鹿が2頭街道沿いに逃げて去っていくではないか。鹿は夜行性であるため、夜中と夜明け前に活発に活動すると聞いていたが、自然の恵みに立ち会うことになった。

 人口が減少し、人間活動が自然から退潮するに従い、その空白を埋めるように、自然が帰ってくる。野生動物もその一つなのだ。

 散歩道の途中、水無川で鴨5匹が遊んでいるのを見かける。今日はいるのかと再会を楽しみにしている。川の中で列をなして泳いだり、河川敷で休んでいたり、道路に上がって冒険に出かけたりしている。民家に入っていくのをみかけたこともあるが、誰かが餌付けをしているのだろうか。歩き方や仕草が可愛くて仕方がない。

 我が家でも自然を体験することが多い。庭では蝶や蜘蛛だけでなく、トカゲや蛇を見かけるだけでなく、それらを狙うカラスや大型の鳥類までやってくる。除草剤を使っていないため、生き物の天国なのだろうか。家の中にはゴキブリだけでなく、ヤモリ、蜘蛛まで住み着いている。もしかしたら、天井裏にハクビシンでも住んでいるのではないかという冗談まで家族の会話に飛び出す。

 それにしても、今年の夏は蝉が意外に少なかったことを思い出す。これも異変だったのだろうか。自然は人間の思い通りにはならない。うまく共存することが大切なのだろう。

 今夜は中秋の名月を愛でた。満月は2日後だが、十分美しい月を楽しむことができた。年を重ねるごとに月の美しさが身に沁みる。ありがたや、お月様。田舎生活は優雅で楽しい。

(2017年10月4日、寺岡伸章)
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裸になれ

 人間は生まれたときは裸であるが、恥ずかしさを知るにつれ、衣服を身に付けるようになる。これは自然なことであるので、特段非難するようなことではない。しかし、心の問題になると、そう単純には割り切れない。人間は自分を護るために心に壁を作ってしまうのだ。心を開放し、他人を受け入れるのは本当に難しい。でも、これができるようにならなければ、人と心から交流するようにはなれないし、人として真の喜びを味わうことはできない。人間は心の存在であり、究極的な幸福は心の交わりであるからだ。

 比喩的に言うならば、自分の家に人を招くことができるかどうかだ。人を家に挙げるとなると、掃除をしたり、いろいろと気を遣ったりしなければならないから、面倒だ。人間は面倒なことを避ける傾向があるため、多くの人は自宅への招待は避けようとする。友人には「いつでも来てよ」と言っても、本心からそれを言っていないと、相手からお愛想や外交辞令と見透かされ、家にやってくることはない。

 もちろん、心を開かなければ、生きていけないわけではない。なんらかの才能があれば、一門の人間になれるし、所得も社会的地位も得られるので、それなりに充実した人生を送ることができるだろう。しかし、それでも人を自宅に招くことができるように、勇気をもって自分から心を開くことで、相手の心を開かせ、親密な関係を築ければ、人間は真の幸福を獲得することができるだろう。
 これは言うは易いが、実行は難しい。幸福そうな表情をしている老人を見るにつけ、ありのままの自分を曝け出し、それでいて自然で愛すべき存在に見える。目指すべき一つの理想形である。この領域まで達することができれば、財産なんか要らない。お金を求めて、あくせく働いている人が愚かに見えることだろう。

 これはわたしにとって重要なテーマだ。
 来週、頭を3分の坊主にする。髪の毛は自己をよく見せかける一歩であり、自己保身の象徴でもある。これをばっさり切り捨て、ありのままの自分に帰るのだ。そして、四国お遍路にでかけ、心の壁を取り除くのだ。そうすれば、誰に対しても心のしこりがなくなり、ゆったりした恍惚の心境で生きることができるようになるだろう。

 人は裸で生まれて、知恵をつけて、心を飾るようになるが、その心を開放できるかどうか。このあたりに人間の器の指標があるような気がする。これができるようになれば、涅槃の境地に至るだろう。果たしてできるかどうか。人生は修行である。
 心を開け!
 と自分に言い聞かせながら、生きていこうと思う。

(2017年10月4日、寺岡伸章)
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