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Monthly Archives: 10月 2017

坊主頭になる

 今日、散髪屋に行って5ミリの坊主頭に刈り取ってもらった。坊主になるのは中学生のとき以来、じつに45年ぶりのことだ。鏡に映し出された自分が他人のように見えるのは、不思議な感覚である。

 坊主頭になった理由は、明後日から四国お遍路1200キロ徒歩の旅に出かけるためだ。観光旅行ではなく、修行のためという意味を込めて、気合を入れるために形から入ったのだ。

 今回は妻は同行せず、一人の旅となるが、それでも空海が同行してくれると期待している。空海の啓いた真言密教を習得するために、会話をしながらの旅になるだろうか。真言密教は、生きているときに悟りを開き仏になるという「即身成仏」が特徴だが、そんなに甘くはないが、その本質を体得したいものだと思う。

 さらに、1か月半の旅になるため、いろいろな出会いもあるだろう。海外から来ている人々が困っていれば、サポートもしてあげたいと思っている。スペインのサンティアゴ巡礼のお礼を日本で返したいものだ。

 四国は食べ物も美味しい。カツオのたたき、鯛めし、讃岐うどんを始めとして、いろいろなものを賞味したい。そして、四国にまだ残されている豊かな自然とゆったりした時間と温かい人情を十分堪能するのは言うまでもないことだ。

 明後日の出発がじつに待ち遠しい。

(2017年10月10日、寺岡伸章)
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NHKの語学番組は良い

 毎年、4月と10月は新鮮な気持ちで迎える。NHKラジオの語学番組シリーズが始まるからだ。今月から聴いているのは、英語、中国語、ドイツ語、スペイン語、フランス語の5つの番組。スペイン語については、さらにテレビの「旅するスペイン語」も視聴している。

 英語は中学生のときから強制的に勉強させられているためそれなりに理解力はある。世界共通語であるから、習得すると世界の人々とのコミュニケーションツールとして活用できる。通じるという喜びは素晴らしいが、難点は英米人は「英語は猿でも話せる」と思っているため、誰も褒めてくれないことだ。

 中国語は数年北京に駐在していたため、通常会話であれば話すことができるし、中国人は日本に対して非常に興味を持ってくれて、大量の質問を投げかけてくる。珍問もあって、面白い。彼らの見方や考え方の一片を知ることができる。

 ドイツ語は大学生のときの第二外国語なのだが、大学卒業以来使ったことがなかった。それでも、スペインのサンティアゴ巡礼のとき、ドイツ人に二言三言のドイツ語を話しただけで、非常に驚かれたのは意外だった。誇り高きゲルマン民族は、世界の人々が英語にばかり興味を持ちドイツ語を無視しているのが気に入らないのだろう。コンプレックスを感じた。
 若頃学んだことは単語や表現は頭の底にずっと残っているもので、それを再び採掘し、思い出せば、意外に早く上達するかもしれない。そんな期待を胸に、今月からラジオに耳を傾けている。

 スペイン語はお金がないため語学教室に通わず、NHKで1年間視聴し、今年初夏本場のスペインでどれだけ通じるか試してきた。サバイバル程度の能力は身に付けただろうか。さらに勉強し、来年は相手の生活や考え方が理解できるレベルまで通じるようになりたい。

 フランス語は全く新しい言語であり、かつ発音が難しいため、わたしには難物のように思える。でも、フランス語を話せると、フランスだけでなく西アフリカ旅行も気軽になるので、将来投資と思って頑張ろうかと思っている。再来年あたり、フランスの田舎を歩いてみたいものだ。

 継続は力なり。
語学学習の要諦である。夢を抱き、楽しみながら勉強していきたい。

(2017年10月10日、寺岡伸章)
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第19回行橋別府100キロウォーク大会

 今年6~7月、北スペインのサンティアゴ巡礼で妻と800キロの世界遺産の道を33日で歩いた経験が生かされた。4600人が参加した行橋別府100キロウォーク大会で17時間42分の自己新記録で完歩したのだ。順位はまだ確定していないが、300番前後だろうか。国東半島の三つの峠を超す日本一の難コースと言われる大会でのこのタイムに大変満足している。

 昨年の大会は豪雨だったということもあるが、19時間を切ることはできなかった。その時の反省は足腰がまだ長距離歩行用に改造されていないと判断した。要は毎日20~30キロを歩くと言う習慣をつければよいのだ。それも楽しくなければ継続はできない。

 そこで思い当たったのが、サンティアゴ巡礼800キロである。妻ととともに定年退職旅行と称してスペイン語を少し勉強して出かけたのである。現地では毎日23キロ程度歩いたのだが、2週間もすると身体がその距離に慣れ、疲れをまったく感じなくなる。身体の適応能力に驚かされた。継続は力なり。習慣化すると、それまでできなかったことが易々とできるようになるのだ。

 この経験をもとに、9月は強化月間として700キロ歩いた。毎日5時間くらい歩いたことになる。定年退職し、時間がふんだんにあることが幸いした。5日間の休養を経て、10月6日に行橋に乗り込んだのである。

 18時間を切るために、各ポイントの通過予定時刻を設定し、それより遅れないよう気を配った。歩きは予想以上の出来だったと思う。調子が良かったので、トイレ休憩以外は2度併せて15分しか休まなかった。通過予定時刻より常に10分以上余裕があるペースだったのが精神的にプラスに働いたと思う。何から何までが計画通りに進んだため、大成功だった大会となった。

 その原因はやはりサンティアゴ巡礼徒歩の旅だったと思っている。大聖堂に祀られているヤコブ様に感謝である。

 さて、来年の大会では16時間台を狙うことになる。そのための対策は今秋、四国お遍路1100キロを踏破することで、さらに目標を確実にするために、ウォーキングフォームの改善が必要だと思っている。競歩選手によると、フォームを改善すれば、誰でも時速8キロで歩けるようになると言う。さらに、筋トレにも取り組みたい。徒歩は足のみでなく、全身の筋肉を使う運動だからだ。全身を使った方が速く、しかも楽に歩けるのは自明である。

 さて、1年後どのような結果が出るだろうか。予定通りか、それとも思わぬ落とし穴(練習過剰による心身の疲れなど)に陥るだろうか。入念にチェックをしつつ、目標を達成し、充実した人生を送りたいものだ。

(2017年10月9日、寺岡伸章)
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野生の鹿発見

 先日、朝9時過ぎ山間を縫うように走る県道を歩いていたら、野生の鹿と遭遇した。鹿は作物に被害を及ぼすため、集落に降りてこないように網を巡らせてあるのだが、どういうわけか網の内側の街側にいて、山に戻ろうと網伝いに歩いているところだった。私が近づくと、焦ったように走り回るのだが、網が破れた穴は発見できないでいるようだった。目には焦りが感じられた。地元の人に見つかると、処分されるのだろうか。

 その数日後、今度は日の出前から山間の薩摩街道沿いに歩いていたら、何者かの足音が聞こえた。人間ではないらしい。音のするほうを見ると、鹿が2頭街道沿いに逃げて去っていくではないか。鹿は夜行性であるため、夜中と夜明け前に活発に活動すると聞いていたが、自然の恵みに立ち会うことになった。

 人口が減少し、人間活動が自然から退潮するに従い、その空白を埋めるように、自然が帰ってくる。野生動物もその一つなのだ。

 散歩道の途中、水無川で鴨5匹が遊んでいるのを見かける。今日はいるのかと再会を楽しみにしている。川の中で列をなして泳いだり、河川敷で休んでいたり、道路に上がって冒険に出かけたりしている。民家に入っていくのをみかけたこともあるが、誰かが餌付けをしているのだろうか。歩き方や仕草が可愛くて仕方がない。

 我が家でも自然を体験することが多い。庭では蝶や蜘蛛だけでなく、トカゲや蛇を見かけるだけでなく、それらを狙うカラスや大型の鳥類までやってくる。除草剤を使っていないため、生き物の天国なのだろうか。家の中にはゴキブリだけでなく、ヤモリ、蜘蛛まで住み着いている。もしかしたら、天井裏にハクビシンでも住んでいるのではないかという冗談まで家族の会話に飛び出す。

 それにしても、今年の夏は蝉が意外に少なかったことを思い出す。これも異変だったのだろうか。自然は人間の思い通りにはならない。うまく共存することが大切なのだろう。

 今夜は中秋の名月を愛でた。満月は2日後だが、十分美しい月を楽しむことができた。年を重ねるごとに月の美しさが身に沁みる。ありがたや、お月様。田舎生活は優雅で楽しい。

(2017年10月4日、寺岡伸章)
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裸になれ

 人間は生まれたときは裸であるが、恥ずかしさを知るにつれ、衣服を身に付けるようになる。これは自然なことであるので、特段非難するようなことではない。しかし、心の問題になると、そう単純には割り切れない。人間は自分を護るために心に壁を作ってしまうのだ。心を開放し、他人を受け入れるのは本当に難しい。でも、これができるようにならなければ、人と心から交流するようにはなれないし、人として真の喜びを味わうことはできない。人間は心の存在であり、究極的な幸福は心の交わりであるからだ。

 比喩的に言うならば、自分の家に人を招くことができるかどうかだ。人を家に挙げるとなると、掃除をしたり、いろいろと気を遣ったりしなければならないから、面倒だ。人間は面倒なことを避ける傾向があるため、多くの人は自宅への招待は避けようとする。友人には「いつでも来てよ」と言っても、本心からそれを言っていないと、相手からお愛想や外交辞令と見透かされ、家にやってくることはない。

 もちろん、心を開かなければ、生きていけないわけではない。なんらかの才能があれば、一門の人間になれるし、所得も社会的地位も得られるので、それなりに充実した人生を送ることができるだろう。しかし、それでも人を自宅に招くことができるように、勇気をもって自分から心を開くことで、相手の心を開かせ、親密な関係を築ければ、人間は真の幸福を獲得することができるだろう。
 これは言うは易いが、実行は難しい。幸福そうな表情をしている老人を見るにつけ、ありのままの自分を曝け出し、それでいて自然で愛すべき存在に見える。目指すべき一つの理想形である。この領域まで達することができれば、財産なんか要らない。お金を求めて、あくせく働いている人が愚かに見えることだろう。

 これはわたしにとって重要なテーマだ。
 来週、頭を3分の坊主にする。髪の毛は自己をよく見せかける一歩であり、自己保身の象徴でもある。これをばっさり切り捨て、ありのままの自分に帰るのだ。そして、四国お遍路にでかけ、心の壁を取り除くのだ。そうすれば、誰に対しても心のしこりがなくなり、ゆったりした恍惚の心境で生きることができるようになるだろう。

 人は裸で生まれて、知恵をつけて、心を飾るようになるが、その心を開放できるかどうか。このあたりに人間の器の指標があるような気がする。これができるようになれば、涅槃の境地に至るだろう。果たしてできるかどうか。人生は修行である。
 心を開け!
 と自分に言い聞かせながら、生きていこうと思う。

(2017年10月4日、寺岡伸章)
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もったいなか箱

 毎朝私がやっていることは、1万歩歩くことと生ごみの処理である。生ごみの処理方法は、もったいなか箱と言われる縦横それぞれ50センチ、80センチくらいの微生物のいる土の箱に家庭で出た生ごみを入れ、土とよくかき混ぜるのだ。土の表面を6等分してあるから、毎日一か所づつ生ごみを捨てると、7日後には元の場所に戻ってくる。そこを掘り返してみると、一週間前に捨てた生ごみはほとんど元の形状をしていない。微生物の分解能力に驚いてしまう。

 もったいなか箱は一石二鳥の役割を担う。一石目は、生ごみを出さず、市の処理負担を軽減すること。二石目は、肥沃な肥料を作ることだ。1年後には優れた肥料が出きるというから今から楽しみである。自宅の猫の額ほどの畑に撒いて、家庭菜園をやってみたいものだ。きっと美味しい野菜や果物ができるに違いない。

 なお、八代市内で230個のもったいなか箱が使われているという。もっと多くのもったいなか箱が普及すれば、市民の意識も高まり、健康も向上するだろう。

 自然の物質循環力をフルに活用し、自然が生む作物を食すれば健康で頑丈な身体を維持できるはずだ。自然が発揮している生命力を精一杯吸収すれば、身体も精神も生き生きである。自然から切り離されたものも概念も本物にはなり得ない。
 これが本当の自然主義思想である。

(2017年10月2日、寺岡伸章)
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