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Monthly Archives: 9月 2017

小説『歩禅』

 八代市内の宮嶋スポーツ財団の駐車場は約100人のウォーカーで混雑していた。八代から薩摩街道沿いに八女の卑弥呼公園まで100キロの道のりを24時間以内に歩く大会が開かれようとしている。出場者は主催者の山田会長の挨拶もそっちのけで、不安そうに黒い雲ばかり見上げていた。天気予報は90%の降雨と発表され、いつ雨が落ちてきてもおかしくはなかった。
「アキ先生、卑弥呼公園で待ってますけん、必ず完歩して下さい」
 高専の学生たちが応援に駆けつけてきていた。出場を知らせてはいなかったが、どこかから情報を入手したらしかった。
私には大会への明確な目標があった。がんで入院中の綾子叔母さんの無事の退院を祈念することだ。私も最後まで頑張るので、叔母も頑張って元気になって欲しい。子どもに恵まれなかった叔母は幼少の私をわが子のように可愛がってくれた。
 正午のスタート後、臨港線から薩摩街道に入るころには天から雨が落ちて来た。ポンチョを取り出して着るのだが、雨が小降りになると、ポンチョをリュックにしまった。しばらくなると、また雨がひどくなり。そんなことを繰り返しなり、雨は勢いを増していった。天は手加減をしてくれそうもない。
 綾子叔母のためにも簡単に負けるわけにはいかない。暴風雨は私の覚悟を試しているように勢いを増していく。厳しい試練である。私は歩くことに集中した。土砂降りになるほど、わたしの闘争本能に火が付いた。余計なことは何も考えず、人間機関車になるのだ。ざぁざぁと脚を勢いよく前に踏み出す。昨年は苦しさから逃れる方法ばかり考えていたが、今年はへなちょこな私はそこにいなかった。どんな豪雨でも明日になれば消えてしまい、青空が広がる。自然がどんなに私を苛めようが、それに屈しなければ勝利はこちらに転がってくる。敵は苦難から逃れようとする弱い自分だ。辛くても心は燃え盛っている。
 それでも、靴の中は雨水が侵入し、ずぶ濡れになっている。足の裏には肉刺ができ、痛み始めていた。足の甲や下半身の筋肉は悲鳴を上げ、歩きを止めろという信号を発している。痛みは今まで経験したことのないレベルに達してきた。トラックは雨の中でもスピードを緩めず、水たまりの泥水を蹴散らしてウォーカーに浴びせる。屈辱感を覚える。弱い自分はこんなバカなことはもう中止したらどうか、ほとんどの人はリタイアするのだから恥ずかしくはない、ここまで頑張った自分を褒めて上げられよ、そんな気持ちが心から湧いてくる。でも、発想を変えると、病床に横たわる患者は命を天に委ねるしかないが、健康な身体を持つ自分は完歩かリタイアかを判断できる立場にいる。自分で運命を決められるのだ。
 田原坂に差し掛かると、一層風雨は増した。県境では暴風雨になった。大会が中止になっているかどうかさえ分からない状況になった。痛みは背中まで這い上がってきた。もうこんなバカなことは止めよう。叔母の健康を祈ったからと言って、それが通じるとは限らない。自分の身体をこれほど痛めていったい何になるというのだ。後遺症が残ったら、みんなに嗤われるだけだ。私は世界一愚かで、思いあがった人間はなかろうか。
後ろから誰かが歩いて迫ってきた。でも、抜いていく様子はない。私は振り返ってみたが、誰もいない。そんなことが何回か続き続き、はっと気づいた。4年前に亡くなった母なのではないか。苦しんでいる息子を励ますために、後ろから付いてきているのだ。死んでもなお息子を大切に思う気持ちに心が熱くなった。それに比べて、母の生前私はどれほど親孝行をしたのだろうか。自然の試練がどんなに厳しくても、それを上回る応援を母はしてくれているのだ。母に頭を深く垂れた。
 私は歩きに集中した。過去も未来も私には変えることはできない。自分が立ち向かっていけるのは現在しかない。現在にすべてを賭けずして、生きていくことの意味がない。人生は暇つぶしではない。ここでは敗北は絶対あり得ないのだ。あとどれだけ距離が残っているかではなく、今の激痛に耐え、次のエイドステーションまで辿り着くことだけを考えた。一息つけば、エネルギーが身体から湧き出てくるかもしれない。ボランティアが熱いお茶を持ってきて、頑張って下さいと声をかけてくれた。歩いている私たちよりもテントの中で夜通し立ち尽くしている彼らの方が辛いと思った。少なくとも私にはできそうもない。
 深夜3時頃には雨が急に止んだ。やはり、豪雨がどんなに激しくても終わりは確実にやってくるのだ。空が晴れ、月と星が輝き始めた。じつに美しい光景だった。太陽が昇り、大地、川、田畑を形成し始めた。
ついに、ボランティアと学生たちが拍手で迎えるなかをゴールした。100キロウォークの恐ろしさを知らされた2日だった。お前はよくやったと自賛すると感激の涙が溢れた。身体の痛みは消えていた。綾子叔母さん、やったよ。これで無事退院できるよ。願いは必ず通じるから。そう思った。でも、しばらくすると、全身から汗が吹き出し、意識が遠のくのが分かった。自分の身体に何が起こっているのか分からないまま、意識が消えて行った。
 意識が戻ったときは病院のベッドの中だった。低血糖症と告げられた。歩きに集中する余り糖分の補給を怠ったのが原因だった。再び激痛が身体を包み込んでいた。鏡の中の自分の顔色は悪く20歳以上も老け込んでいた。

 半月余りが過ぎ足の疲れも取れたので、ウォーキングを再開した。ゲートボール場から大きな声がかかってきた。
「アキちゃん、どけ行くとね?」
 張りのある声が聞こえると、女性が近くに駆け寄ってきた。綾子おばさんだった。手術を受けて一回り小さくなったものの、顔色はよく、元気に溢れていた。大手術を受けたとも思えなかった。
「アキちゃんは大学の先生で偉かけん、おどんま百姓とは違うたい。武者んよか体育着ば着て、恰好よかね。もっと田舎もんにならんと、付き合いにっかたい」
 相変わらず直截的な話し方だった。本当に元気になってよかった。私の祈りは効き目があり過ぎたのかもかもしれない。これでいいのだ。来年も100キロウォーク大会に出場しようと決心した。(了)

(2017年9月15日、寺岡伸章)
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100キロウォーク完歩のコツ

 100キロウォーク4回、行別100キロ2回経験者の寺岡伸章です。初めて挑戦されるウォーカーに個人的な経験を元にアドバイスしたいと思います。

 まず、完歩するためには準備が9割で、本番でやるべきことは1割くらいしかありません。事前に長距離を歩ける身体を作ることが大事です。その方法は二つ。一か月前に100キロを歩くこと又は毎日3~5万歩歩いても疲れない強靭な身体を作ることです。わたしは過去前者を採用してきましたたが、今回は後者を試そうと思っています。毎日3~5万歩でも疲れない体力であれば、2~3週間あればできるでしょうから今からでも間に合います。要は時間があれば、歩くことです。歩いた距離が長い人ほど本番で楽ができます。

 ただし、本番2~3日前は休養を十分とり、スタートラインには軽い身体で笑顔で立ちましょう。

 本番では、100キロ歩くことに目標を置かず、まず次のチェックポイント又はサービスエリアまで歩くことを念頭に歩きます。それの繰り返しの結果、100キロが完歩できます。

 リタイアの最大の原因である足の肉刺防止のため、五本指ソックスを履いています。3か所のCPで履き替えるため、予備のソックス3足をいつも持参します。靴下は汗で湿っているため、履き替えると気持ちがいいです。天気予報の最高気温が30度を超える場合は、バテテしまいがちですので、日没まで自重して歩きましょう。周囲のウォーカーに惑わされてはいけません。勝負は暗くなってからと自分に言い聞かせます。

 また、最低気温予報が10度を下回るときは、防寒対策は必須です。長袖に加えて、手袋を持参します。結構温まります。

 食料はなるだけ持参します。コンビニのレジで待たされると、イライラしかつ時間の無駄になるからです。少しずつ食べるにつれてリュックが軽くなるのも嬉しいです。

 最後に、100キロウォークの世界は決して甘いものではありません。絶対に完歩するのだという強い意識を持続できるかどうかが分かれ目です。何はともあれ、本番で少しでも楽をしたいのであれば、

 今すぐシューズを履いて、胸を張って歩きましょう。街中よりも自然の中を歩く方が疲れませんよ。さあ、頑張って歩き、笑顔でゴールしましょう。

(2017年9月10日、寺岡伸章)
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行橋別府100キロウォーク大会準備開始

 やっと猛暑も落ち着き、気温が下がり始めたので、今年10月7~8日開催の行橋別府100キロウォーク大会に向けて練習を開始した。昨日は山間部の道と旧街道を歩くというコースを妻とともに歩いた。クルマのほとんど通らない道は歩きやすい。森林浴も十分できた。昼食でちゃんぽんを食べた時間を含めると、外出時間は7時間だった。33キロくらい歩いただろうか。歩いた後、疲れがドッとでるかと心配していたが、昼寝も1時間くらいだったので、久しぶりの長距離歩行にしては身体はうまく順応してくれたようだ。

 目指す大会まで4週間しかないが、身体を長距離歩行に順応させていかなければならない。本番では14万歩くらい歩くことになるので、毎日3~4万歩歩ける身体を作れば、100キロは完歩はできるだろう。できれば目標とする18時間も切りたいものだ。

 毎日4万歩(25キロ前後)くらい歩いた800キロのスペインのサンティアゴ巡礼で分かったことは、2週間も歩くと、身体はうまく環境に順応してくれることだった。疲れが溜まるのではなく、適応力のために楽に歩けるようになる。疲れを知らない身体に変身してしまうのだ。ただし、これには一つ条件があると思っている。それは自然豊かな道を歩くことだ。人工物が多い街を歩くと神経が疲れるが、自然の中の歩行は逆に精神を癒してくれる作用があるように感じられる。

 この文章を書いているのは33キロ歩行の翌日であるが、昨日の疲れは残っていない。身体がうまく順応してくれたようだ。大会までに毎日少なくとも3~4万歩歩けるようになりたいが、そこまでの身体を作れるかどうか。
 今日はゴルフに行く予定であるが、カートに乗るため歩くのはせいぜい1万4千歩だろう。その後、筋トレをやるためにフィットネスクラブに行って、ローラーの上を走ったり歩いたりしなければならない。併せて3万歩は稼ぎたい。

 スポーツはやって疲れるのではなく、運動しても疲れない身体を作り上げることだ。そのためには、環境が大きく左右する。できれば、自然の中の快適な環境で歩いてみたい。自然から生命力のパワーをいただきたいものだ。

(2017年9月9日、寺岡伸章)
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防空壕を作ろう

 わたしの故郷八代市が米軍の戦闘機B25によって爆撃されたとき、死者は49名だったと記録されている。もちろん戦前のことである。
 戦前は日本全土に防空壕が盛んに作られたが、それは爆風から身を護るためだった。それでも、近くに防空壕のないときに戦闘機にかち合ったらどうすればいいだろうか。それは川に飛び込み、手で目と耳を抑えて爆風から身を護ることだ。目と耳は爆風に弱いから、護らないと、目は飛び出し、鼓膜は破れてしまう。これは戦時中の常識であったが、平和な時代が長く続いたためすっかり忘れられてしまった。

 北朝鮮がICBMミサイルと水爆と思われる核兵器の開発に成功し、脅威は急激に増した。北朝鮮の狙いは核弾道の開発で米国を交渉のテーブルに引き出し、金体制の存続の保証を取り付けようとしていると考えられているが、本当にそうなのだろうか。北朝鮮の幹部はそこまで冷静に米国等の動きを分析しているのだろうか。水面下で両国の交渉は進んでいるのだろうか。
 北朝鮮が仮に韓国や日本に先制攻撃を加えた場合、一斉に反撃され金体制が崩壊することは自明である。そのような合理的な判断をする仕組みがまだ維持されているのであろうか。そうであるならば、安心である。横須賀基地や佐世保基地が攻撃される可能性はない。

 しかし、何が起こるか分からないのが世界の歴史である。相手の出方を読み間違えることもあり得る。北朝鮮の暴発が第三次世界大戦を招くという危機も潜んでいるように感じる。核戦争になれば、世界中が放射能に覆われるため、2週間程度は核シェルターの中で待機し、地上に出ない方がよいと言われている。庶民は核シェルターを持ち合わせていないので、そうなれば命の保証はない。諦めるしかない。
 核戦争にならないまでも、通常兵器による戦争はあり得る。少なくとも個人レベルでいざという時に備えておくべきではないのか。お金持ちはシェルターを購入すればいいが、庶民は戦闘機がやってくれば近くの川に飛び込むか、時間的余裕があれば戦闘機がやって来ない山奥に疎開するしかない。

 北朝鮮が賢ければ、日本や韓国の大都市圏でミニ核爆弾でテロを起こして社会を攪乱する戦法を取る可能性はあろう。ミサイルや核兵器と言ったビッグな脅威に目を向かせておいて、都心でテロ爆発を起こし、高度情報社会を混乱させると言うやり方だ。エージェントを多数送らなければならない。そこまでやってしまうと、日本政府は手の施しようがなくなり、北朝鮮の要望を聞かざるを得なくなるだろう。そこまで考えているのかどうか。

 首都圏を人質にして交渉する能力があるなのかどうか。それは分からない。

 防空壕を掘ろう。川に飛び込もう。田舎に疎開しよう。少なくとも心の準備はしておくべきではないのか。物騒な世の中になったものである。

(2017年9月6日、寺岡伸章)
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