メルマガ登録

 
2017年8月
« 7月   9月 »
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031  
twitter
facebook

Monthly Archives: 8月 2017

音楽、美術、体育

 中学校の教科のうち、国数英理社は主要5科目と言われ、音美体は付属的な能力科目と見なされてきた。主要科目ができる生徒が重宝され、受験戦争を勝ち抜き、社会のリーダーとして活躍する機会が与えられるのである。人生の成功を掴むうえで、これらの科目で高得点を得ないといけないのだと信じられてきている。実際に、高度知識社会においては、主要科目の高度な知識は不可欠なのだ。言語を自由に操る能力に加えて、論理的な発想ができないと、複雑に入り組んだ世界を分析、理解し、それを人々に伝え、説得することが難しい。

 発想を変えよう。主要科目の重要性は舶来主義に基づいているように思える。欧米に追いつくために、外来の知識を貪欲に吸収する必要があり、それの基礎学力として主要科目は重要だった。そう考えた方が主要科目重視の理由が分かりやすい。要は、日本文化を軽視し、先進国とされる欧米に追従するだけの国家戦略に沿った行為だったのではなかろうか。

 この戦略は富国強兵な国や物質的に豊かな国を作る上で、うまく機能したと考えられるが、このような浅はかな価値観に基づいて教育の理念が構築されているのだから、それらを優秀な成績で習得したエリートは日本人として優れた素養を備えているとは必ずしも言えないだろう。

 日本人として固有の文化を身に付けていない人物は底が浅くなる。早い話が、国の成り立ちに関わる神話を教え、日本書紀などの古典を読ませ、宗教的な修行を体験させることが必要と思う。政教分離を徹底するのが教育の基本であるという間違った発想の下で、自国の歴史や文化が軽視されている。歴史や文化は自国の独特な宗教と切り離すことは不可能である。政教分離という名の下で、自国を愛せない人々を作り出している。知識だけを詰め込む主要5科目重視には大きな疑問がある。

 主要科目の従属的な位置づけである、音楽、美術、体育の方が人間の本性に忠実であるように思う。小さい子どもを見れば分かるように、みんな歌って、絵を描いて、外で遊びまわることが大好きである。人間の本質に関わることだからだ。感性や人間性を磨くうえで、これらの能力や科目をもっと重視すべきと思う。創造性は感性と強く結びついていて、知識の量とは関係がない。創造性豊かな人間を作る上で、感性教育は非常に大切である。創造的なものは美しく、豊かな音色を持っている。身体が強く求めないものは魅力的でも、セクシーでもない。

 主要科目が得意でなく、これらの付属的な科目ができる生徒は先生から大切に扱われない。劣等感を持ったまま生きている生徒は少なくない。でも、このような能力を持つ生徒こそ大切にすべきと思う。
 現代社会は行き詰っている。人間を不安や不満から解放するためにも、人間に隠された能力を開拓することが大切である。お金や地位にとらわれない価値観を生み出そう。人間の能力は無限である。感性や身体性を駆使して、創造性のある人間を作り出していこう。

(2017年8月29日、寺岡伸章)
[ratings]

人生100年時代

 ○○××博さま、いつも鋭いご指摘に感銘を受けています。 

 昨日は早朝からゴルフラウンド(スコアは秘密)、昼寝の後で地元の製紙工場見学、夕刻から工場主催の夏祭りを堪能してきました。福引では木下サーカスの無料券を2枚ゲットしましたので、良い一日となりました。

 今年4月の帰郷後は特定の活動に専念することなく、まずはできるだけ多様な活動に顔を出し、人的ネットワークの拡大を行っているところです。フィットネスクラブに週に2~3回、ゴルフ週に1~2回、美術クラブ週1回、文芸クラブの合評会月1回、小生主催の勉強会年数回、高校OBのハイキング月1回に参加しています。その他、市立博物館の友の会会員、商店街主催のウォーキングラリー、歩け歩け大会などにも参加。スポーツと芸術のバランスを上手く取るのに苦労しますが、優れた人材にも巡り合い、良い交流ができると楽しみにしています。

 毎朝NHKの語学講座で外国語の習得に励んでいますが、こちらは継続することに意味がありますので、ボチボチと言ったところです。海外駐在経験8年半の私にとって、海外は私のライフワークの一つですので語学学習は必須です。
 また、行政経験が長かったせいもあり、自治体の首長や議員をやったらどうかという誘いもありますが、カリスマ性に欠け、かつ実現すべき未来が「見えない」ため、うまく当選したとしても、特別にユニークなことはできないと思っています。政治や行政は権力が好きな人に任せましょう。

 それに今までの延長線上で人生を生きるよりは、学生の頃の気持ちに立ち返り、新しいタイプの人生を切り拓いていきたいものです。それがどのようなものであるかは、私にも具体的にイメージできませんが、少なくとも人類が遺してきた「遺産」は人生を豊かにするものばかります。それを十分享受しない手はありません。人生100年時代にふさわしい生き方とはどうあるべきか、模索と挑戦が続きます。自分にしかできないオンリーワンの生き方があるはずです。
 そうは言っても、まずは今日1日を大切にして有意義に生きることですが大切ですが。余談ですが、今秋四国のお遍路の「通し打ち」を企画中です。自由人の私には長旅が合っているようです。
 
 新時代にふさわしい後輩たちのモデルとなる生き方ができれば、最高ですね。

(2017年8月23日、寺岡伸章)
12345 (2 投票, 平均値/最大値: 3.00 / 5)
読み込み中 ... 読み込み中 ...

民主主義と人工知能

 民主主義は歴史的教訓から見て、もっとも人間的な政治制度だと考えられている。
 バカ殿のような決断しない政治や独裁者の圧政に苦しんだり、搾取されたりする悪政は人間支配の悪だと思われている。一般庶民の願いが叶えられるボトムアップ型の民主主義こそ理想に近いと信じられている。
 しかし、味方によっては民主主義こそ怖いシステムはない。独裁者ヒットラーを生んだのは民主主義そのものである。民衆は移ろいやすい。理性を失い熱くなると国家を破滅へと導く恐れを孕んでいる。

 人間に我欲があるように民衆は自己中心的だ。税金は払いたいくないと常日頃思っていて、年金は多い方がいいと考える。近くに良い病院や保育園があれば良いと要望するが、それらを成り立たせる財政的問題を考慮することはない。それらは政治家や行政マンの仕事だと割り切り、深く考えようとしない。民衆の要望は多分に他力本願的ある。

 人間が矛盾に満ちているように政治も魔物である。北海道の夕張市は財政破綻し、市民生活はどん底に落ちたと信じられていたが、内実そのような簡単なことではないらしい。市民病院のベッド数は10分の1に減少し、公園等の公的空間の環境整備はできなくなった。これらは市民の要望であったが、それらができなくなり、市民は不幸になったのだろうか。そうでもないのが面白いところだ。

 病院のベッド数が激減したため、健康の確保は市政や医者に頼るものではなくなり、自分たち自らが獲得していくべきものという意識が芽生え、運動を増やしたり、体を動かしたりすることが増えた。その結果健康になる者が増え、医療費が少なくて済むようになった。市政のサービスが落ちると、市民の自立心が生まれるのだ。
 環境整備費が削減されると、市民はボランティアで環境の景観を守ろうと活動し始めた。ボランティア活動は市民の連帯感を醸成し、体を動かすことで健康体を確保しやすくなった。

 政治はアイロニーである。民衆はわがままなため、政治に多くを望むが、それらが実現されないと分かると、自らが発起して動き出すのである。なければないなりに、どうにかなるのだ。ここに民主主義の限界がある。民主主義という制度は自己を正当化するために、非民主主義制度の悪い事例を引っ張り出すのだが、独裁者であっても善政を行った名君は少なくない。選挙で選ばれようが、親から引き継がれようが、為政者の能力に依存するのだ。民衆の要望を何でも叶えてあげるような政治は必ずしも善い政治とは限らない。ここにマニュフェスト型選挙の限界も見えてくる。

 政治家は人気取りしないと選挙に選ばれないから仕方がないが、いっそのこと、政治家をすべて人工知能で置き換えてみたらどうだろうか。人工知能は人間の情念や欲望を考慮することなく、合理的な判断を下すことができる。病院のベッド数を増やすと、長期的にどのような事態を招くかを膨大なデータを分析して予測することができる。天才棋士の数倍先を読むことができるように、人工知能は政策の社会へとインパクトを的確に判断することができる。財政規律を守れと人工知能に命じれば、その範囲で市民サービスの優先度を決断してくれる。役人はそれに従って働くだけでいい。政治家がいなくなれば、納税額も随分少なくて済むようになろう。

 人工知能は極端な排他主義やグローバリズムに走ることはなかろう。民衆を甘やかすこともなく、かつ搾取を厳しくすることもなかろう。人間の行動原理を読み、自主性を引き出し、市民が生き甲斐を持てる社会を実現してくれるはずである。政治家は民衆の欲望の権化のようなものではなかろうか。
 高齢者の暴走運転は人工知能による自動運転が解決してくれるように、政治も人工知能によって合理的に行われるような日がやってくるかもしれない。少なくとも技術的にはそれらは可能になりつつある。

 そのような事態に直面したら、人間はどのように判断するのであろうか。人工知能に政治を任せるのか、それとも従来通り自らの化身として政治家を選び、欲望の実現を代行させようとするのか。
 人間は小説、映画、ドラマが好きなように、物語から離れられない。劇場政治であろうが、アベノミクスであろうが、政治もまた一種の物語である。物語を放棄してまで、政治を人工知能に委託してしまうのかどうか。その答えは数十年以内に見えてくるに違いない。人間の正体が暴かれる日は近い。

(2017年8月21日、寺岡伸章)
12345 (まだ評価されていません)
読み込み中 ... 読み込み中 ...

友達は要らない

 SNS時代になると、ネット上の友達の数を競ったり、他人のどうでもいいような意見に同調(いいね!)する傾向が強まる。周囲の空気ばかり読んで、仲間外れにされるのを極度に恐がるようになるのだ。東大や京大などの有名大学の学生の悩みは友達がいないことという調査結果がある。一般的には、友達が多いほど楽しい人生と考えられているが、本当にそうなのかは疑わしい。人間は成長するに従い、自分の専門性は高くなり、関心や問題意識も深くなっていくため、それらの内容や意義を理解される可能性は低くなっていく。友達が多いということは、共通の世界観の基盤があるということだから、まだ深い世界にまで到達していないことを意味する。自分のユニークな才能の発掘が遅れているとも言えようか。

 知識が増えたり、思索が深くなるほど、孤独感は高まるため、友達が少なくなっていくのは仕方がない。学問の世界でも、ビジネスにおいても、現在の延長戦でない独創的な発想が求められているが、それは友達や周囲との同調や協調から生まれるものではない。孤独な闘いの突破によって回答が得られる場合が多いのではなかろうか。
 組織のなかに積極的に埋没し、上司や役員の意見を忖度する奴が出世するようになると、会社は容易に潰れる。頭を使って考える社員がいなくなるからだ。

 人生は孤独である。FBで友達を増やしても、周囲に同調しても、何の役にも立たない。友達があまりいず、自分の関心事を追及している人間の方が独創性を発揮するのではなかろうか。
 友達がいなくても何も心配することはない。安易に同調してくる友達なんて、中身が薄いのだから。

(2017年8月14日、寺岡伸章)
12345 (2 投票, 平均値/最大値: 5.00 / 5)
読み込み中 ... 読み込み中 ...

八代市長選挙結果予想

 8月27日の八代市長選挙は現職の市長と「幸村かよこ」市会議員の一騎打ちとなる。
 8月10日八代ハーモニーホールで開催された幸村かよこ氏の総決起大会には500名近い支援が集い、暑い熱気に包まれた。現職市長がお盆休みの前の繁忙期に、嫌がる土建業関係者の組織動員によってやっと会場を満員にしたのに比べると、幸村かよこ氏の総決起大会は組織動員に頼らず、個人の意思でやってきて満員になったのは意義深い。「判断せず、決断できず、責任を取らない」市長の行政手腕に対する不満が市内に渦巻いているためである。

 幸村かよこ氏を市長選候補者として推挙したのは17名の市会議員である。その中には、市長の元支援者もいたのだが、あまりにも行政手腕のなさに憤慨し、野党の市会議員団に転じたものもいる。現在、八代市の市議会はねじれ現象にある。市長選と同時に開催される市議会議員選において17名の市会議員が結束すれば、八代市初の女性市長の誕生が実現する。

 熊本県第二の都市八代市の有権者数は10万8千人である。現職市長を押す保守系グループの過去3回の得票数は3万9千票で変わりはなく一定である。それに対抗する非保守系の候補者の成績は1勝2敗という結果である。つまり、投票率が高くなれば、非保守系の勝利に終わるのだ。その投票率の分岐点は73%となる。市長選及び市議会選に対する市民の関心が高くなれば、投票率は73%をゆうに超すに違いない。市会議員の定数は今回から削減される一方で、候補者数は増加する見込みだ。立候補者のうち9~10名は落選するという激戦が予想されるため、票の掘り起こしのため投票率はグンとアップすると言われている。

 では、投票率を高くするための方法は何か。
 幸村かよこ陣営は、業界や特定の利益団体に左右されている市の行政を市民のための行政に戻すべく「市民ファースト」を掲げている。選挙カーは小池ゆりこ都知事選候補が使用した総ガラス窓のクルマを用意していある。一部の業界に牛耳られている市政を是正し、透明性を高めようという狙いである。女性ならではの発想である。仙台市長も横浜市長も女性である。女性が当選するのは、女性の労働環境、子育てや介護の現場の実情を肌身で感じ取り、それを行政に反映しようという機運が盛り上がっているためと考えられる。女性の方が細かいところまで気配りができ、粘り強く問題に取り組む能力が備わっている。経済成長が見込まない中で、地道に発想する女性が主導して政治や行政を進めていく時代がやってきている。

 選挙に行こう。古いおじさんの発想を打ち破ろう。現役子育て世代や高齢者に優しい行政こそ時代の要請である。
 幸村かよこ氏の公約は次の三つだ。

〇八代港の充実を基盤とした経済浮揚-貿易の拡大と観光地の強化、地場企業と農林水産業の振興で雇用拡大
〇子育て支援強化と加速する高齢化社会の対応-学校給食費の無料化と学童保育に充実、予防医療と終末医療の充実
〇透明性のある市庁舎建設の推進-災害時の対応拠点の強化、地元業者を活用した建設計画の見直し

 大型クルーズ船の年間100回八代港着岸はすぐそこまで迫っている。八代が内外に開かれた街になる機会だ。活力があり、八代に生まれて、育って、死んでよかったと思える街作りを目指していきたいものだ。

(2017年8月13日、寺岡伸章)
12345 (6 投票, 平均値/最大値: 3.50 / 5)
読み込み中 ... 読み込み中 ...

青春は美しい

 夏の高校野球の季節がやってきた。
 わたしの母校の八代高校は公立のため、野球はあまり強くなかったが、今年は久々に強いチームに仕上がり、地方大会は観戦を十分楽しませてもらった。準決勝まで勝ち進んだため、3度も球場に足を運んだ。

 思い起こせば、西武ライオンズで活躍し、ソフトバンクの監督も務めた秋山幸二はじつは八代高校出身で、36年前に熊本地方大会の決勝戦で敗れ、甲子園出場を逃したのだった。当時まだ大学生だったわたしは、わざわざ東京から駆け付け、応援に出かけたのを今更のように思い出すことができる。投手で4番バッターだった秋山選手は大物だったのだ。

 八代高校は今年優れた選手が揃い、久々の甲子園出場の機会を得たのだった。わたしが観戦した3試合は勝つことができ、母校の校歌を歌わせてもらった。高校生の青春時代を思い起こし、熱き心に浸った。

 白球を無心に追う球児は逞しく、礼儀正しい。青春ははかないが、じつに美しい。監督の思いのままに動くという点は少し自主性に欠ける面があるかもしれないが、それでも一生懸命に野球に専念する姿は胸を打つ。

 わずか一週間の観戦であったが、母校の高校球児にお礼をいいたい。この経験は長い人生のなかできっと役に立つに違いない。世間は野球のように割り切れるほど単純なものではないが、活躍を期待している。

 八代高校が準決勝で敗れた相手は、甲子園の優勝候補の一角を占める秀学館である。秀学館は元パナソニックの鍛治舎監督を招聘し、強化を図ってきた私立の高校だ。甲子園では過去3期連続でベスト4を達成した強豪チームだ。
 登録選手を見ると、地元八代市出身は1人しかいない。地元で応援がいまいち盛り上がらない原因なのだが、選手たちは八代を第二の故郷と思い、精一杯頑張っている。是非熱心に応援したいものだ。優勝旗を八代に持ち帰ってもらいたい。

 さて、あと1時間で秀岳館の試合が始まる。対戦相手はこれも優勝候補の横浜高校である。全力でぶつかり、いい試合をして欲しい。勝ち負けよりも、力を出し切ることを優先してくれ。猛練習で培った持てる力を出せずに敗れていったスポーツ選手が如何に多いことか。

 頑張れ、秀岳館! 全力を尽くせ! 倒れるまで走れ! 青春は素晴らしい。

(2017年8月11日、寺岡伸章)
12345 (まだ評価されていません)
読み込み中 ... 読み込み中 ...