メルマガ登録

 
2017年9月
« 8月    
 123
45678910
11121314151617
18192021222324
252627282930  
twitter
facebook

農業・医療

「小欲を捨て、大欲(たいよく)に立つ」

「小欲を捨て、大欲(たいよく)に立つ」 
というのは仏教の教えである。小欲とは自我の欲望であり、大欲とは世間全体の欲望と言い換えると判りやすい。人間が苦しむのは自分の欲望にばかり囚われるためである。それを乗り越え、社会のためになることに喜びを見いだすようになれば、心が安らぐ。我欲の苦しみから逃れるためには、見栄を捨てなければならないのだ。利他の心を持つのだ。

 故郷の八代はかつて畳表の最大の生産地として栄えた街だ。農家の所得が日本一だったときもあると聞いたことがある。
 でも、生活の様式スタイル移行での畳部屋の減少や、中国から輸入されるい草のため、国産のい草の減少に歯止めがかからず、農家の軒数は8分の1まで激変した。農家だけでなく、県も市も地元の経済同友会もどうにかならないものかと口を揃えるが、じり貧の状態から抜け出せる妙案はない。
 畳表の光沢を増し、酸化防止にもなり、かつ香りのために染土と呼ばれる粘土が加工工程の中で使われているが、作業中に汚れてしまうため、農家にはすこぶる評判が悪い。これを原因に農家を引き継がないという若者もいる。
 さらに、い草に関連する農機具メーカーは市場が狭くなってきているため、農機具の生産をストップするようになってきた。除草剤も販売される種類が少なくなってきている。

 い草・畳表業界は内憂外患の状態になっている。このままでは、農家がい草を作らなくなり、畳表もなくなり、日本文化の一つの特徴だった畳が消えてなくなる可能性は大である。絶滅危惧種。
 ただ、微かな光明が見えないわけではない。モノのインターネットと言われるように、ICT技術やロボットやセンサーやドローンを駆使すれば、農業を再活性化できるかもしれない。ネット世代の若者の注目を引くかもしれない。あるいは、増加している中国人観光客は畳付き旅館に強あこがれを持ち、畳表の新たな需要が生まれるかもしれない。
 風呂場の床に畳表を敷き詰めた畳風呂も下呂温泉やグリーンピア八女に登場し、人気を集めている。自国の文化や伝統を大切にするという機運や流行が畳文化に向けば、フローリングを止めて畳部屋にしたり、フローリングの上から畳を敷く習慣が生まれるかもしれない。
 グルーバル化からローカル化へと人々の関心が変わってきているなかで、地域や伝統を支えるモノの見直しが生まれてくる余地は大きい。
 い草の水耕栽培技術の開発に役立てて下さいと、高専に研究費を提供してくれた農家もある。これらのポジティブな動きをどう捉えるかは大きな鍵になるかも知れない。

 先週末、八代に帰省した折、い草農家、市役所、高専の研究者、織機製作所など関係者の話を伺った。以上述べたのは、その際に入手した情報が基になっている。
 東京に戻ってくると、違法伐採以外の木材から家具を製作している会社の社長にも会い、率直な意見を求めた。今の市場でモノを売るには「精魂」を込め、諸費者が是非とも欲しいと思うようなものを開発しないとモノは売れない、と言われた。安全、安心、環境に配慮していない製品には将来はない。

 以上の調査から、やるべき課題が浮き上がってきた。

1.水耕栽培技術の開発
 LEDなどハイテクの導入で、例えば年5回の促成栽培が可能になれば、コスト削減と収穫量増に貢献するはず。除草剤を使わない、生産工程を明らかにした安全で、安心のあるい草農業への転換が可能。後継者問題も解決可能。

2.畳需要喚起・マーケットリサーチ
 日本文化ブームの波に乗った畳の需要喚起。特に、ブランド価値のアップで中国産との差別化を行い、除草剤を使わないい草栽培で安全・環境重視の消費者にアピール。また、「売れる商品」開発のアイデアを得るために、人的ネットワークの形成が大事。い草農家には、「復活のために除草剤散布を止めますか」と問いたい。

3.ごみ問題(染土減少)
 い草農家の最大の課題であるごみ問題を解決するために、科学者の協力を得て、光沢、酸化防止、香りのために必要な染土の最小量の解明が不可欠。

4.総合プロデューサーの発掘・育成
 い草生産からごみ問題、織機、畳関連商品まで全体を俯瞰し、システム思考のできる人材の発掘・育成が必要。総合プロデューサーの下で、い草・畳表農家、科学者、県・市、メーカ、商品開発業者等の連携が重要。

 直感的だが、これらの問題は関係者が集って知恵を集めれば、解決できると思う。恐れずに言わせてもらえれば、今まで真摯な議論が足りなかったのではないか。真剣な検討や熱心な商品開発に取り組んでこなかったのではないか。
 おじさんたちの古い発想を捨てて、30代や40代の関係者が立ち上がり、未来を切り拓いていくことを期待している。

 小欲を捨て、大欲に立て!

(2015年7月17日、寺岡伸章)
12345 (1 投票, 平均値/最大値: 5.00 / 5)
読み込み中 ... 読み込み中 ...

古代米を食す

 奈良県の飛鳥から古代米が送られてきた。赤、黒、緑の鮮やかな色をした米だ。美しい。

 赤米は、白米に1~2割混ぜて一緒に炊くと、ほんのりさくら色のごはんになる。米のルーツであり、赤飯の起源と考えられているそうだ。食べてみると、もち米のような美味しい味がした。

 黒米は、白米と一緒に炊くと、美しい紫色のごはんになる。おはぎの起源で、古くから祝いの米として珍重されてきたという。まだ、食べていない。

 緑米は、白米と一緒に炊くと、淡いベージュ色のごはんになる。もち米なので焚くと、もちっとした食感で食べやすいという。これもまだ、食べていない。

 我が家では、健康のために白米よりも玄米に重きを置くごはんを食べている。今回はさらに健康になるために、古代米に挑戦というわけだ。弥生人はこのようなごはんを食べていたのだろう。卑弥呼も儀式のときには、このような縁起米を神に捧げていたのかもしれない。

 近代科学が産み落とした、ふっくりとした白米よりは、古代人が食したごはんが好きだ。歴史の重みとロマンスを感じる。

 食材は国内産が日本人の体に合っている。和食も健康維持に欠かせない。日本酒は当然のこと、ワインも国産が口に合っていると思う。海外に旅行に行くよりは、国内の森林や山を歩いたほうが気持ちがよい。西洋哲学の本を読むより、日本の古典のほうが腑に落ちる理解が得られる。

 わたしの体も感受性豊かに感じ、思索をしているだ。頭脳だけでは分からないことが体ならば分かる。体は脳の存在を支えているのではなく、また、それ自身の存在も意味がある。

 古代米は想像力を喚起してくれる。

(2015年6月29日、寺岡伸章)
12345 (まだ評価されていません)
読み込み中 ... 読み込み中 ...

ゆう活

 日本は少子高齢化が進み、税収が減少する中で社会保障費が急増するため、国家財政の危機に瀕している。
 アルツハイマー病患者数は日本で200万人、米国で500万人、世界では1500万人だが、今後ますます増加するのは確実と言える。65歳以上の10%、85歳以上の50%が罹患する病気である。老化すれば、いづれなると思われる恐ろしい病気だ。

 製薬会社にとっては儲けのビッグチャンスである。製薬会社のみでなく、世界中の研究者が取り組んでいるが、この病気の進行を遅くする薬は開発されているものの、治療する薬はまだない。
 各国の政府も重大な研究課題として大きな予算を研究費に振り向けている。国民ニーズがあるのだから、それ自体を批判する気はないが、もう少し基本に戻って考えてもいいような気がする。

 アルツハイマー病のみでなく、がん、心筋梗塞、脳溢血などのいわゆる生活習慣病は、その原因が感染症のように人の外にあるのではなく、内側にある。自己コントロールが必要だ。偏らない食事、適度な運動、ストレス解消、人との交流などがうまくいっていれば、相当の確率で生活習慣病は防げるか、発症を遅くできる。
 発症後の治療に注視する前に、予防医学を徹底的に解明することが必要と思う。これは、製薬会社の成長やGDP増加には役に立たないかもしれないが、少なくとも国家財政には大きな効き目があるはずだ。

 社会全体の利益を考えると、暴飲暴食などの個人の自由もある程度制約することも考慮しなくてはいけないだろう。自分のいのちだから、俺の勝手さとは言えまい。社会教育などを通じて、国民の意識を覚醒し、社会全体で協力し合いながら取り組んでいく必要がある。

 温泉療法、森林セラピー、園芸療法、神社のパワースポット、ボランティア活動の効用などももっと広める必要があるのではないか。そうすると、地方の価値がグンと増し、活性化の機会になる。子育ても地方のほうがやりやすいということも明らかになってくる。

 世界最先端の研究を行う、グーグルの研究所は人口7万人の小さな都市にある。大都市が創造的な業務にプラスになるわけではない。日本では先端科学は情報が交差する大都市の大学や研究所で行われるものだという先入観が強いが、それは世界の常識ではない。知的な仕事は地方にいてもできる。イノベーションも起こせる。国民や企業経営者の意識が変われば、IT技術を駆使した地方での勤務も広がっていくだろう。森林の中のストレスフリーの状態で、創造的な仕事をすることがかっこいいという時代が迫っている。発想の転換が起ころうとしている。

 7月1日から多くの公務員(新聞報道では22万人)が朝型勤務に変わる。午前8時30分から仕事を始めて、午後5時に退勤するという勤務形態が2か月続く。夕方の時間を有効に活用するのを促進するため、「ゆう活」とも呼ばれている。

 スポーツをやるのもいい。習い事に励むのいい。寺院で瞑想するのもいい。知人や家族と夕食をゆったりとるのもいい。仕事は所詮、豊かな生活を送るための賃金を得る手段でしかない。

 戦後猛烈に働いてきた我々日本人はどこに向おうとしていたのだろうか。国民一人当たりの所得は以前に比べてずいぶん低下した。しかし、時間を有効に使うことができれば、豊かな自然が多く残る日本列島でもっと心豊かな生活を享受できるはずである。
 「ゆう活」がそのためのきっかけになることを祈る。

(2015年6月27日、寺岡伸章)
12345 (まだ評価されていません)
読み込み中 ... 読み込み中 ...

塩トマト

 甘みがあり美味しい食べ物にありつけると、嬉しくなるが、どのようなメカニズムで作られているかご存じだろうか。
 例えば、八代市で生産される塩トマト。しょっぱいどころか、非常に甘い。もちろん高価だ。トマトは大量の水分を吸収する野菜であるが、干拓地などの塩分の多い土地では、浸透圧の差で水分をくみ上げることに四苦八苦し、生きるか死ぬかの境遇でかろうじて生きている。生物の最重要な役割は子孫を残すことであるから、土中から栄養分を必死になってかき集めようとする。その結果、栄養分の高い、甘いトマトが採れるのである。でもその代償として、トマトの苗木は力尽き、枯れてしまうが。
 これと同様な原理を利用して、甘い野菜が作られている。水分も栄養分も生きるのにギリギリのものしか与えず、作物を餓死寸前の状態に追い込む。すると、必死になって栄養分を吸収し、甘みとうま味のある美味しい野菜が採れるというわけである。
 大吟醸酒も似たようなものだ。大吟醸酒は米粒からまず栄養のある胚を取り除き、さらに米粒を削り込んで真珠のような美しい姿にする。これが美味しいかというと、そんなことはない。見かけ倒しで、中央に近いところほど、栄養分が少ない。酵母はそんな米粒を分解して食べるのだから、すぐに飢餓状態に陥ってしまう。酵母も生きるためにのた打ち回ることになる。その結果、香りのよい美味しいお酒を醸造するのだ。この世の最後の華を咲かせるのである。
 これらは生物に宿る生命力を引き出す手法であるが、人間も生物の一種であるから、当然適用される。アフリカの飢餓地帯では、性交するとほぼ100%妊娠するという。子孫を残す機会はこれが最後だと身体が悟っていれば、その願いは天に届くのだ。生命の神秘さはこんなところにも隠されている。
 話は飛躍する。でも、合理的と思っているが。
 ぼくが若いときには、海外に行くのが容易でなかった。小学6年生のとき、人生で一度でいいから外国に行ってみたい。海外に住めたら、どんなに素晴らしいことだろうと思った。そんな強い思いがあったため、大学生のとき4回15か国くらい海外旅行に出かけ、社会人になってからも、3回で合計8年半も海外駐在を経験した。飢餓状態にされると、それが放たれたときのエネルギーは凄まじい。今海外は誰でも手軽に行けるようになったが、その分、憧れも減った。企業は海外駐在希望者を探すのが難しい時代になっているようだ。
 御一新のとき、長州・薩摩の下級武士は天下を動かさんばかりに、動乱を作りだし、江戸幕府を倒し、新政権を樹立していった。暗殺も歴史上稀に見る多さだった。鎖国同然の状態から、開国という時代へと熱き血がたぎったのだろう。さらに、江戸時代の長きに亘り、薩摩、長州、土佐、肥前は京からも遠く、辺境の地に追いやられ不当な扱いをされていたが、時代の変わり目でその怨念が噴き出したとも言えようか。
 植物も酵母も人間も逆境に置かれると、生命エネルギーが蓄積してくるようだ。それをどのように放出させ、利用するかは高度な知恵がいる。会社組織や国家のマネジメントも同じようなものだ。
 過労死や追い出し部屋やパワハラはそれ自体の事象を取り上げると、社会悪であり、誰も個人的にそんな目に合いたくないと思う。ぼくもそうだ。でも、社会全体から見ると、活性化や再生のために、必要悪とも見なせるのだ。痛みの伴う改革の裏の事情はこのようなことではなかろうか。
大吟醸酒を呑みながら、そう思ったしだいだ。

(2014年3月4日、寺岡伸章)
12345 (まだ評価されていません)
読み込み中 ... 読み込み中 ...

ぼたん鍋を食す

 江戸時代は四足動物を食することが許されていなかったため、イノシシの肉を食べに行くのを「薬を食べに行く」と呼んでいたそうだ。明治になると、西欧化の影響からか、肉食が許されるようになり、庶民はイノシシ狩りに殺到し、山からイノシシがほとんどいなくなった。
 戦後には、牛肉や豚肉を食べる習慣が出来上がり、イノシシを食べる機会が減ってしまった。その結果、日本人はイノシシの肉食から遠ざかり、野生のイノシシは捕獲されることもなく、過剰に繁殖した。でも、最近イノシシによる農作物の被害が増加するにつれて、忘れられていたイノシシの肉食が見直されるようになっている。遠い海外から植物を運ぶのはエネルギーの無駄であり、地元のものを食べるのが健康的である。

 そういう背景もあって、今夜自宅でぼたん鍋を味わう機会に恵まれた。味付けは味噌味だ。脂がのっているため、牛肉に比べて歯ごたえがあって、ボリューム感がある。美味しい。食べ慣れれば、もっと食が進むに違いない。燻製のイノシシ肉も脂がのっている。ワイルドな味がするので、ワイルドな人間になりそうだ。強い酒にも合いそうだ。

 食は自国の文化だ。忘れられた味がまた日本人の食卓に戻ってくる。歴史は繰り返すのだ。

(2014年3月1日、寺岡伸章)
12345 (まだ評価されていません)
読み込み中 ... 読み込み中 ...

エデンの園

 品川区の自宅から東京スカイツリーまで3万5千歩。多摩川沿いに30キロ歩くと、4万4千歩。
 今日は高尾山山頂に向かって一歩づつ歩き、降りて来たら、2万歩を超えていた。数字はともかくとして、森林の生気や霊気をいっぱい吸って、元気をいただいたような気分になった。今週は忙しい日が続き、疲れていたが、すっかり回復した。生き返ったようだ。自然は生命の源であり、神そのものである。

 3.11大震災後、東電原発事故も含めてこのような事態が起こりうるということに衝撃を覚えた。精神的なショックからか、ぎっくり腰にも襲われた。そんなときでも、森林の腐葉土の上を歩くと、黄金の絨毯のようで、心が癒された。人間が作り上げたモノや数々の文明よりも自然そのものの偉大さを改めて感じた。

 人間は考える葦と呼ばれ、それはか細いが偉大な知恵を産むとされてきて、それをアプリオリに信じてきたが、本当だろうか。我々は自然の何を知っていると言うのか。自然の原理の一部を切り出してその法則を学び、それで得た知識をもとに人間の生活を便利にするモノを生産してきたに過ぎない。便利になったが、人工物は自然そのものに害を及ぼすようになった。そもそも自然界に存在しないモノを人間の欲望を満たすために、作ったからだ。

 自然は偉大である。科学の目的は人智では自然そのものを理解することはできないと悟ることではなかろうか。それは人間には限界があることを認知することでもある。神の前では人間は取るに足らぬ存在であることと同義である。

 都会は生活のためのお金を稼ぐとことではあっても、自然の懐に抱かれた豊かな生活を享受する場所ではない。コンクリートに囲まれた生活に真に生きる喜びがあるとは到底思えない。東京には低レベルの安心で怠惰な生活があるだけだ。直下型地震が来るか、富士山が爆発するか、石油がなくなれば東京は廃墟と化す。それらはいつか必ずやってくる。生き抜くためには都会を去らねばならぬ。

 九州の故郷には、両親が遺してくれた古い実家がある。経済的な価値はほとんどないが、わたしを育んでくれた大切な場所だ。少し広めの庭には観賞用の庭木が植えられている。なぜ観賞のための庭なのか、疑問が湧いてくる。自然そのものは観賞用でもあり、果樹は果物を恵んでくれるし、自然な野菜は健康を高めてくれる。区別はできない。庭は森になり、果樹園にもなり、野菜畑にもなれるのではないか。たとえ小さくても、自然の力をうまく借りることができさえすれば、自然は人間を祝福するために、多くの実りを与えてくれるのではないか。自然農法か。
 そう考えた。エデンの園である。不要な労働をせずに、ありのままの自然に任せておけば(それは放任では決してない)、自然は人間を養ってくれるはず。人間もまた自然の一部なのだから。

 石油が枯渇に向うなかで、石油が作り出した文明は崩壊して行くに違いない。現代文明は人間の叡智やサイエンスの勝利ではなく、化石燃料の恩恵を受けているに過ぎない。石油が稀少化していけば、入手できない者は食糧とエネルギーを得るために、再び自然を頼りにしなければならない。でも、我々は謙虚になって、自然の緻密さを知ることはできない。自然をよく観察し、自然の法則を頼りにして、恩恵を受けるしかない。自然を制御することなんてできるはずがない。制御できると思いあがってきたのは、化石燃料というパワーを一時的に入手してきたからにすぎない。打ち出の小槌は効力を失い始めている。
 自然に還ろう。善く生きるために。

(2014年1月24日、寺岡伸章)
12345 (まだ評価されていません)
読み込み中 ... 読み込み中 ...