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環境・生命文明

野生の鹿発見

 先日、朝9時過ぎ山間を縫うように走る県道を歩いていたら、野生の鹿と遭遇した。鹿は作物に被害を及ぼすため、集落に降りてこないように網を巡らせてあるのだが、どういうわけか網の内側の街側にいて、山に戻ろうと網伝いに歩いているところだった。私が近づくと、焦ったように走り回るのだが、網が破れた穴は発見できないでいるようだった。目には焦りが感じられた。地元の人に見つかると、処分されるのだろうか。

 その数日後、今度は日の出前から山間の薩摩街道沿いに歩いていたら、何者かの足音が聞こえた。人間ではないらしい。音のするほうを見ると、鹿が2頭街道沿いに逃げて去っていくではないか。鹿は夜行性であるため、夜中と夜明け前に活発に活動すると聞いていたが、自然の恵みに立ち会うことになった。

 人口が減少し、人間活動が自然から退潮するに従い、その空白を埋めるように、自然が帰ってくる。野生動物もその一つなのだ。

 散歩道の途中、水無川で鴨5匹が遊んでいるのを見かける。今日はいるのかと再会を楽しみにしている。川の中で列をなして泳いだり、河川敷で休んでいたり、道路に上がって冒険に出かけたりしている。民家に入っていくのをみかけたこともあるが、誰かが餌付けをしているのだろうか。歩き方や仕草が可愛くて仕方がない。

 我が家でも自然を体験することが多い。庭では蝶や蜘蛛だけでなく、トカゲや蛇を見かけるだけでなく、それらを狙うカラスや大型の鳥類までやってくる。除草剤を使っていないため、生き物の天国なのだろうか。家の中にはゴキブリだけでなく、ヤモリ、蜘蛛まで住み着いている。もしかしたら、天井裏にハクビシンでも住んでいるのではないかという冗談まで家族の会話に飛び出す。

 それにしても、今年の夏は蝉が意外に少なかったことを思い出す。これも異変だったのだろうか。自然は人間の思い通りにはならない。うまく共存することが大切なのだろう。

 今夜は中秋の名月を愛でた。満月は2日後だが、十分美しい月を楽しむことができた。年を重ねるごとに月の美しさが身に沁みる。ありがたや、お月様。田舎生活は優雅で楽しい。

(2017年10月4日、寺岡伸章)
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もったいなか箱

 毎朝私がやっていることは、1万歩歩くことと生ごみの処理である。生ごみの処理方法は、もったいなか箱と言われる縦横それぞれ50センチ、80センチくらいの微生物のいる土の箱に家庭で出た生ごみを入れ、土とよくかき混ぜるのだ。土の表面を6等分してあるから、毎日一か所づつ生ごみを捨てると、7日後には元の場所に戻ってくる。そこを掘り返してみると、一週間前に捨てた生ごみはほとんど元の形状をしていない。微生物の分解能力に驚いてしまう。

 もったいなか箱は一石二鳥の役割を担う。一石目は、生ごみを出さず、市の処理負担を軽減すること。二石目は、肥沃な肥料を作ることだ。1年後には優れた肥料が出きるというから今から楽しみである。自宅の猫の額ほどの畑に撒いて、家庭菜園をやってみたいものだ。きっと美味しい野菜や果物ができるに違いない。

 なお、八代市内で230個のもったいなか箱が使われているという。もっと多くのもったいなか箱が普及すれば、市民の意識も高まり、健康も向上するだろう。

 自然の物質循環力をフルに活用し、自然が生む作物を食すれば健康で頑丈な身体を維持できるはずだ。自然が発揮している生命力を精一杯吸収すれば、身体も精神も生き生きである。自然から切り離されたものも概念も本物にはなり得ない。
 これが本当の自然主義思想である。

(2017年10月2日、寺岡伸章)
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中世の復活

後輩たちへ

 みなさん、如何お過ごしでしょうか。私の方は文科省を定年退職して2か月が過ぎようとしていますが、郷里の八代で元気で過ごしています。現役時代との最大の違いは、「毎日が日曜日」のためすべての予定を自分で決めなければならずこの状態から解放される「休日がない」のが最大の苦痛です。考えようによっては、なんとも贅沢な悩みですが。

 田舎暮らしの良さは、「みんな人が良い」ことです。こんなに親切で、気を遣っていただき、大変心地よい生活を送っています。都会のようにガリガリ生きている人をあまり見かけません。視点を変えれば、挑戦や競争が少ないため、人々は内向き志向で、田舎は発展しにくいということかも知れませんが、所得の低さに目をつぶってしまえば、田舎暮らしは捨てたものではありません。若い人の意識も都会志向から変わりつつあるようにも見受けられます。

 近況を具体的に報告します。
 早朝に起きて、自然豊かな散歩道を1時間の歩いた後、NHKの講座でスペイン語と英語を聴き、朝食を済ませます。午前中は、最近始めたデッサンに取り組んだり、読書をしたり、ブログを書いたりと、主に頭を使うことに専念します。デッサンの方は、地域コミュニティセンターの美術クラブに通っていますが、自画像を描いて披露したら、拍手やお褒めの言葉をいただいて、いい気分に浸っています。グッド・スタートとなりました。
 午後はフィットネスクラブで、硬くなった身体をほぐすストレッチ、基礎体力を向上させる筋トレ、リズム感を取り戻すエアロビクス、それに気分転換の水泳を楽しんでいます。帰宅後は至福のシエスタを享受。
 夕食後はテレビを観たりして、ゆっくり過ごす時間帯ですが、時には読書やデッサンに時間を割くこともあります。就寝は午後11時まで。外での会食が激減したため、お小遣いはほとんど減りません。

 趣味の長距離ウォークの方は4月中旬の福岡県糸島三都110キロウォーキング大会(1500人中87位)、5月ゴールデンウォークの長崎県佐世保・島原105キロウォーキング大会(900人中92位)に出場しまずまずの成績を収めました。でも、筋トレとフォームの改善をしないとこれ以上の向上はないと痛感しました。

 まったく初めての作業にも挑戦しています。庭木の剪定は芸術作品の創造と思って楽しみましたが、脚立の上の作業は少々怖かったです。小さい畑にはアシタバの苗を植えましたので、今秋の収穫が楽しみです。庭先に撒いたゴーヤと朝顔の種がどこまで成長するか期待しています。先日は、庭の梅木から採取した青梅を使って、梅酒作りに励みました。地酒は美味しいでしょうね。蝶々、蜂、トカゲ、小鳥が庭で遊んでいるのを眺めていると、自然というのは目の前にあるものなんだと実感させられます。眺めていても飽きませんね。

 今日土曜日はゴルフのラウンドに行き、明日は文芸雑誌の仲間の合評会に出席します。作品に対して色々な意見や感想が飛び出し、大変勉強になりますので、嬉しいです。
 いよいよ6月2日から北スペインの巡礼の旅に家内と出かけるため、最終準備の段階に入りました。800キロの世界遺産の道のりを楽しんで来ようと思っています。北スペインの田舎の風景、ワインと料理、世界の人々との出会い、パワースポットやスピリチュアリティの経験も楽しみです。大都市ではテロが発生したいますが、田舎はターゲットにならないでしょう。もし仮に、バチカン、エルサレムに次ぐ第三のカソリックの聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂(聖ヤコブが祀られている)が爆破されることになれば、宗教戦争にまで発展します。ISはそこまではやらないと思います。
 人間がお金の奴隷になり、尊厳を失ってしまっている今、神々を信じていた中世の時代の人々に思いを馳せるのは悪くはないと思っています。物質的に豊かになった近代は人間を貶めているように思えてしかたありません。

 役人としての仕事も楽しかったのですが、世の中にはまったく違った楽しいことも沢山あります。それらを発掘して自ら享受していきたいですね。
 スペイン人の口癖を書いて、筆をおきます。
La vida es maravillosa! 人生は素晴らしい!
 世界は楽しいことで満たされていますよ。みなさんも人生をエンジョイして下さい。

(2017年5月27日、寺岡伸章)
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梅酒作り

 我が家の庭の梅木が青い実を実らせたので、梅酒を作ろうかと思い立った。さっそく、脚立を小屋から取り出して来て、青梅を収穫した。思ったほどにはなっておらず、1.4キロの重量にしかならなかった。少し気落ちしたが、それでも、梅酒の作り方が書かれたものを探し出し、それに従って作業することにした。
 用意するものは、青梅1.5キロ、氷砂糖1.2キロ、35度の焼酎1.8キロ、広口瓶4㍑用とある。広口瓶は母が使っていたのが家にあるので、さっそく氷砂糖と焼酎を買いにスーパーにでかけた。午前中ということもあり、スーパーには男性客はほとんど見かけない。季節がらか、スーパーの入口付近に、氷砂糖と焼酎と青梅が置かれている。私の場合、青海は収穫済みなので、それ以外のものを買って帰宅した。

 まず、広口瓶に氷砂糖と焼酎を入れて、振って氷砂糖を溶かし込もうとしたのだが、氷砂糖は簡単には溶けてくれない。何回も振るのだが、少しずつしか粒は小さくなってくれない。結局、暇を見つけては終日振ったのだが、その日のうちには溶けてなくならなかった。一方、青梅の方は梅の成分が出やすいように、フォークの先で所々穴をあけた。慣れない手つきで、怪我を警戒しながらやったので、少々手が疲れた。

 明日になると、氷砂糖が溶け込んだ焼酎の中に青梅を入れ、密閉することにする。
 参考書によると、5日くらいすると梅の実は浮かんできて、2週間くらいで梅は水分を出してしぼんで梅干のようになるそうだ。1か月でアメ色になり、3か月で飲めるようになると書いてある。取り出した梅の果肉は食べられるが、食べた後の種を割って、中の種核を元の梅酒の瓶に入れておくと、香りも一層しみ出して美味しくなるという。種核に含まれるアミグダリンは薬効が大きいともいう。

 料理はすべて家内任せで来たのだが、こうやって初めて梅酒を作ると、出来栄えが楽しみである。小さいころ、母が作った梅酒を美味しくいただいたが、健康な身体を作るのに大いに役立ったのかもしれない。今更ながら、感謝するしだいだ。
 梅酒は健康に良いとして、ブームの感があるが、地元で摂れるものを食するというのは身体に良いと思う。いたずらに、海外から輸入した食品に飛びつくのはどうかとも思う。
 地元のものは水でも食品でも人でも、その人に合っているのだ。急激なグローバル化は慎まなければならないのではなかろうか。
 自家製の梅酒を飲めるまでの3か月がじつに待ち遠しい。

(2017年5月24日、寺岡伸章)
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秘境・五家荘

 九州中央の山地の五家荘は平家落人の里と晩秋の紅葉で有名なのだが、まだ行ったことがなかった。平成合併で五家荘が八代市に組み入れられ、地元の一部になって以来いつかは訪問しないといけないという気持ちばかりが募っていた。今回の帰郷が大きなチャンスになった。

 八代市で5月12~14日開催された九州国際スリーデーマーチの初日の選択の一つは前泊し五家荘の新緑を楽しむウォーキングのため、妻と二人で出かけた。総勢22名の参加があったというが、昨年は熊本地震の影響で定員に達していなかった。北海道や福島などの遠来の客も含めてこれだけの参加者が集まったのは、熊本地震復興のために地元民を元気付けようというためである。ありがたいことである。

 五家荘は渓谷も深く、鬱蒼とした森林に覆われた自然が豊かなところだった。新緑が眩しい。山桜も最後の力を振り絞って咲き誇っていた。標高1000メートルに満たないが、市内とは別世界である。道路は舗装こそしてあるが狭く、対向車とのすれ違いは離合地点まで引き返さないといけない。街を悩ましている黄砂やオキシダントは無縁な世界だ。空気が澄んでいて、爽やかである。思わず笑顔が弾ける。眉間に皺を寄せている人はいない。

 民宿のような旅館の夕食も良かった。マスの刺身、鹿肉のたたき、鹿肉の天ぷら、新鮮なタケノコ、地元の特産の豆腐、山の幸が所狭しと並ぶ。ビールや焼酎を飲みながら初対面でもすぐに古い友人のように打ち解ける。食べきれないくらい料理が次々とやってくる。他愛のない話題も何だか深遠な意味を含んでいるかのように心に響く。受ける側も深い山奥で健康的な鋭敏な感覚になっているからだろう。会話はお風呂の制限時間まで続くが、また会いたいと思わせる人ばかりだ。良い人が集まっているのではなく、秘境の里が人を良くするのだろう。心も浄化してくれているような心地よさを感じる。

 強く印象に残ったのは70歳代の元気の良さだった。歩いていてもバスの中でも会話と笑いが途切れることがない。体だけでなく、心もすこぶる健康な人たちだ。団塊の世代は幸せだったという思いが湧いてくる。自信に満ち、結束が固い。なんでも制御できると思っているし、実際にやり遂げてしまう。

 ウォーキングの終盤、雨が降ってきたが、それでもゴール地点で鑑賞した「せんだんの轟」(滝の意味)は日本滝100選に選ばれているように、見ごたえがあった。高低差は70メートル前後という話だった。

 五家荘には紅葉の季節に再訪したい。カラフルな絨毯のような山奥はふたたび心を癒してくれるに違いない。

(2017年5月13日、寺岡伸章)
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邪馬台国は熊本県にあった?

 4月29日、熊本歴史学研究会の主催する講演会に行ってきた。演題は、「邪馬台国九州所在説をめぐる問題」-邪馬台国、肥後中北部・筑後南部説を改めて提言する-で、講師は九大名誉教授丸山雍成(やすなり)教授だった。
 邪馬台国の所在地を巡って九州説と畿内説が論争しているが決着はついていない。畿内説を唱える学者の声が大きいが、真実を多数決で決める訳にはいかない。そもそも邪馬台国論争自体がブームから取り残されているように思える。再びブームに火が付くのだろうか。
 ご存知のように、魏志倭人伝に邪馬台国への行き方が記されている。日本の古代史最大の謎の邪馬台国と卑弥呼の比定を海外の文献に頼らざるを得ないのは日本人としてなんとももどかしい。日本に記述が残されていないのが悔しいし、情けないし、歯がゆい。中国人が日本人を下に見る根本原因がこのようなところに隠されているのではないか。

 魏志倭人伝の記述の中に出てくる伊都国は現在の糸島市にあったのは間違いがなかろうが、それ以降の経路が諸説あるから混乱してくる。脱線するが、糸島市と言えば、2週間前に110キロウォーキング大会に出場してきたばかりで、開会式の挨拶に立った糸島市長も誇らしげに伊都国という言葉を使っていた。糸島半島は玄界灘に突き出した肥沃で風光明媚なところだから、魏から遣わされた使者も荒れる玄界灘を無事に通過し、ここに辿り着いたとき安堵のため息をついたのではなかろうか。
 魏志倭人伝によると、伊都国から百里東南の方向に、奴国(ぬこく)があると記載されている。距離を表す「里」が長里か短里で所在地の場所は大きく異なる。当時の魏では短里が使われていたという学者の説が有力とも聞いたことがある。また、方角については魏使は真夏に来訪しているので日昇の位置が実際の方向とは時計回りで45度ずれているので、それを補正すると「東南」とあるのはじつは「東」と丸山教授は断じている。この発想の真偽はわたしにはよく分からない。ただ、先進国の魏の役人がそのような単純な間違いを犯すのだろうかという違和感はある。

 魏志倭人伝の邪馬台国に至る記述は、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬台国、狗奴国の順になっているが、丸山教授は伊都国以降の国は伊都国から順次に考えるのではなく、伊都国を基点に放射状に考えるべきと言うのだ。伊都国は邪馬台国の対外交渉の門戸であり、事務を管掌する重要な使館が設けられていたであろうと教授は推測する。順次説か放射状説かでその後の所在地がまったく異なってしまうので、この点は説得力のある根拠を示してもらいたいと思う。

 投馬国へは水行二十日、邪馬台国へは水行十日陸行一月と魏志倭人伝に書かれている。それまで里という距離で記述していたのが、水行と陸行に変更されている。これは魏使が実際に訪問したのは伊都国と奴国までであり、それ以降の国々は倭人から聞いた話であるからであろう。
 それにしても、水行二十日や陸行一月は相当遠い距離だ。邪馬台国の比定が困難な理由はここにもある。素直に読むと、水行で八代市(わたしの故郷で現在住んでいる場所だ)に至り、陸行で球磨川に沿って歩き九州山地を突き抜けて宮崎県日向市に至るという学説もある。丸山教授はそのようには解釈しない。国防上の理由から外国の使臣をストレートに近距離で国都に案内することはしていないというのだ。意図的に大きな数字を倭人が述べていたと教授は唱える。安全保障上の理由はよく理解できるが、それを言うならば、出鱈目を教えた可能性もあろう。このようなことが背景にあるため、邪馬台国の所在地を比定することは困難になっている。

 丸山教授はその他遺跡や遺物の発掘成果も併せて総合的に考えると、邪馬台国は肥後北部か筑後地域にあった可能性が高いと断じている。肥後北部と言えば、菊池川流域に当たる。講演当日の熊本日日新聞のトップは菊池流域が「米作り、二千年にわたる大地の記憶」として日本遺産に登録された記事だった。タイミングが良すぎると思わざるを得ない。肥沃な土地であるだけに、古代から生産性の高い地域だったのに違いない。日本遺産登録と邪馬台国の点をつなぐ線を誰かが解明してくれないものだろうか。興味が強まってくる。

 正直言って、丸山教授の学説でもって邪馬台国論争が決着したとは考えられない。本人も十分自覚されている。邪馬台国の比定に必要なことは、王宮、城址、王墓の発見である。これなくして、論争は決着しない。これは相当困難かも知れない。当分の間、古代史ファンは邪馬台国と卑弥呼の夢を描く楽しみが味わえそうだ。

(2017年4月30日、寺岡伸章)
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