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四国お遍路

坊主頭になる

 今日、散髪屋に行って5ミリの坊主頭に刈り取ってもらった。坊主になるのは中学生のとき以来、じつに45年ぶりのことだ。鏡に映し出された自分が他人のように見えるのは、不思議な感覚である。

 坊主頭になった理由は、明後日から四国お遍路1200キロ徒歩の旅に出かけるためだ。観光旅行ではなく、修行のためという意味を込めて、気合を入れるために形から入ったのだ。

 今回は妻は同行せず、一人の旅となるが、それでも空海が同行してくれると期待している。空海の啓いた真言密教を習得するために、会話をしながらの旅になるだろうか。真言密教は、生きているときに悟りを開き仏になるという「即身成仏」が特徴だが、そんなに甘くはないが、その本質を体得したいものだと思う。

 さらに、1か月半の旅になるため、いろいろな出会いもあるだろう。海外から来ている人々が困っていれば、サポートもしてあげたいと思っている。スペインのサンティアゴ巡礼のお礼を日本で返したいものだ。

 四国は食べ物も美味しい。カツオのたたき、鯛めし、讃岐うどんを始めとして、いろいろなものを賞味したい。そして、四国にまだ残されている豊かな自然とゆったりした時間と温かい人情を十分堪能するのは言うまでもないことだ。

 明後日の出発がじつに待ち遠しい。

(2017年10月10日、寺岡伸章)
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裸になれ

 人間は生まれたときは裸であるが、恥ずかしさを知るにつれ、衣服を身に付けるようになる。これは自然なことであるので、特段非難するようなことではない。しかし、心の問題になると、そう単純には割り切れない。人間は自分を護るために心に壁を作ってしまうのだ。心を開放し、他人を受け入れるのは本当に難しい。でも、これができるようにならなければ、人と心から交流するようにはなれないし、人として真の喜びを味わうことはできない。人間は心の存在であり、究極的な幸福は心の交わりであるからだ。

 比喩的に言うならば、自分の家に人を招くことができるかどうかだ。人を家に挙げるとなると、掃除をしたり、いろいろと気を遣ったりしなければならないから、面倒だ。人間は面倒なことを避ける傾向があるため、多くの人は自宅への招待は避けようとする。友人には「いつでも来てよ」と言っても、本心からそれを言っていないと、相手からお愛想や外交辞令と見透かされ、家にやってくることはない。

 もちろん、心を開かなければ、生きていけないわけではない。なんらかの才能があれば、一門の人間になれるし、所得も社会的地位も得られるので、それなりに充実した人生を送ることができるだろう。しかし、それでも人を自宅に招くことができるように、勇気をもって自分から心を開くことで、相手の心を開かせ、親密な関係を築ければ、人間は真の幸福を獲得することができるだろう。
 これは言うは易いが、実行は難しい。幸福そうな表情をしている老人を見るにつけ、ありのままの自分を曝け出し、それでいて自然で愛すべき存在に見える。目指すべき一つの理想形である。この領域まで達することができれば、財産なんか要らない。お金を求めて、あくせく働いている人が愚かに見えることだろう。

 これはわたしにとって重要なテーマだ。
 来週、頭を3分の坊主にする。髪の毛は自己をよく見せかける一歩であり、自己保身の象徴でもある。これをばっさり切り捨て、ありのままの自分に帰るのだ。そして、四国お遍路にでかけ、心の壁を取り除くのだ。そうすれば、誰に対しても心のしこりがなくなり、ゆったりした恍惚の心境で生きることができるようになるだろう。

 人は裸で生まれて、知恵をつけて、心を飾るようになるが、その心を開放できるかどうか。このあたりに人間の器の指標があるような気がする。これができるようになれば、涅槃の境地に至るだろう。果たしてできるかどうか。人生は修行である。
 心を開け!
 と自分に言い聞かせながら、生きていこうと思う。

(2017年10月4日、寺岡伸章)
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