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サンティアゴ巡礼

スペイン巡礼紀行文(2018年5月1日)

5月1日 Gernika/Bilbao 36km 57000歩

 ビルバオまで山道36kmを1日で歩いて翌日休みとするか、2日で歩くかの選択に迫られた。天気次第だが、運よく歩き始めると、雨が止んだので、一気に行ってしまうことにした。9時間かけて、57000歩もスペインの大地を踏み締めた。他の巡礼者と同じ距離を歩いても、私の歩数が一番多いのは脚の長さに起因するのだろう。これで笑いをとれるのだが、何だか劣等感を覚える。
 バスク地方は雰囲気が硬いように感じた。バスク地方の旗がなびいていたり、政治犯の解放を英語で要求している壁も何回も見かけた。大きな家には獰猛な犬がいて、何度も吠えられた。大きな犬は苦手である。
 でも、小休止したbarから出るとき、バスク語で「私は日本人だ、ありがとう、さようなら」と言うと、ウェイターから素敵な笑顔がかえってきた。やはり、言葉の力は偉大だと思った。
 バスク人の特徴は、働き者でプライドが高く、少し頑固だが、一度友達になると一生続く友達になれると聞く。機会があれば、バスク人の友達を作ってみたい。
 今日も山間の牧草地帯を歩いたのだが、放牧されている馬を見ながら、日本人は馬刺しを食べると言うと、必ず怪訝な顔をされる。韓国人が犬を食べると聞かされた時に、日本人が抱く違和感と似たようなものだろう。クジラやイルカを食べるのは野蛮だとして、国際的に止める方向にあるが、馬刺しも同じ運命を辿るのだろうか。食べ物の嗜好は理性を超えているので妥協できない代物なのだろう。
 やっとやってきたビルバオの街を見下ろす丘で、巡礼者4人が寛いでいると、レオンから来たというスペイン人のホセがスペイン語と英語を使って、巡礼者一人づつに話かけてきた。韓国人に対し出身地は北か南かと尋ねると、私が横から口を出し、「北朝鮮は貧しい国だからカミーノに来られない」と言うと、ホセは「北朝鮮はパラダイスだよな」と言って、みんなの爆笑を誘った。バスク人と違い、典型的なリラックスしたスペイン人だった。これで巡礼者の重苦しい雰囲気が一変した。
 この日はメーデーの今日から営業を始めたアルベルゲに泊まった。じつに運が良い。メーデーは日本では祝日でないが、ヨーロッパでも韓国でも他の国は祝日で、労働者は半日か終日の休みをとれることが分かった。ただし、ほとんどのレストランが休業のため、夕食場所を探すのにじつに時間を費やしてしまった。

 アルベルゲの管理者のオスピタレーロは英語を話さず、もっぱらスペイン語でまくし立てるが、非常に面倒見の良い人だった。友人が作った黄色い矢印のバッジをくれたので、私がお返しに日本カミーノ友の会のバッジを渡すと、ありがとうと言ってすぐに胸に付けた。このオスピタレーロもソーシャル・ワーキング・サービスに従事しているボランティアだった。

スペイン巡礼紀行文(2018年4月30日)

4月30日 Markina/Gernika 26km 43000歩

 終日、霧雨の降る巡礼の旅となった。今当地は雨期の季節だから雨は避けられない。大雨にならなかっただけでも神に感謝しなければならない。
 昨年、夏にフランス人の道を歩いた時も、秋に四国歩きお遍路の時もそうなのだが、道に迷いそうになると、誰かが助けてくれる。道中、地元の人に会うことはほとんどないのだが、迷いそうになると、誰かが突然どこからかやってきて、正しい道を教えてくれる。じつに不思議だ。今日も経験したのだが、そのまま間違った道を進んでいたらと考えると、ぞっとする。これは私だけの経験ではなく、他の巡礼者も口を揃えて同じことを言う。
 北の道に少しずつ慣れてきたのだが、フランス人の道に比べると、風景も歴史的遺産も随分違うように感じる。山道の登りと降りが交互に続き、肉体的チャレンジをやらされているように感じる。山岳間の牧草地帯がずっと続いていて、巡礼の旅の印象とは異なる。
 さらに、バスク地方は他のスペインの地域と違って、あまり開放的でないように思える。緑の深さや雨の多さもいわゆるスペイン的ではないように思える。
今日一緒に歩いたデンマーク人のリスベスと韓国人のユジョーンに率直な意見を聞いてみたのだが、似たような感想を漏らしていた。天気のせいなのかも知れないが、泥濘が多くあまり好きになれないルートだった。
 当初、オビエドから山岳地帯の原始の道を歩く予定であったが、山道に入らず、そのまま北の道を海岸沿いに西に進もうかと考え始めている。海に近いほうが食べ物も美味しいに違いない。
 カミーノを歩き出して、まだ5日目なのだが、1か月くらいの長さに感じられる。旅に慣れてしまえば、時間が速く進み始めるのだろう。6週間に及ぶ旅なのだから、気長に待ちの姿勢で対応していこうと思う。焦っても得るものは何もない。
 ゲルニカはナチドイツに空爆され、廃墟になった街として有名である。それに激怒したピカソが抗議して描いたのが、『ゲルニカ』という作品である。現地にはレプリカしかないのが残念であったが、その前で記念写真を撮った。
 初日に一緒に歩いた豪州人と英国人の3人グループに再会した。心が一層近くなったように思えるのは不思議だ。会ったり別れたりを繰り返しながら、巡礼の物語は進行していくのだろう。

スペイン巡礼紀行文(2018年4月29日)

4月29日 Deba/Markina 24km 44000歩

 ヨーロッパにやって来て5回目の夜を過ごし、やっと時差ボケから抜け出した。夜中に目が覚め、眠れなくなる苦痛から解放されたのだ。これから、観光をしたり、絵を描いたりしていきたいと思う。
 リトアニア人女性のヴィーダが一緒に撮った写真を送ってくれたので、さっそく似顔絵を描いてみた。彼女はデーバのアルベルゲの開門を待ちきれず、5キロ先の村まで歩いていたのだった。美人画にするために、目を実際よりも大きく描いたが、本人はどう思うだろうか。西欧人女性感覚と日本人では見方が異なるかもしれないので反応が楽しみだが、今日はまだ再会していない。これからも会えないかもしれない。カミーノでは一期一会なのだから。
 デーバの駅舎の二階のアルベルゲでは、翌日のルートに悲観的な情報ばかり飛んでいた。北の道の最大の難所だ、道がひどく泥濘んでいる、アップヒルの総計が900m以上だ、迷いやすいので一人で歩かないほうがよい、80%以上の確率で雨が降る。
 私と韓国人のユジョーンは覚悟を決めて、まだ暗いなかライトを照らしながらトップでアルベルゲを出発した。まだ雨は降っていないが、遅くなるほど雨になる確率が高くなるからだ。

 少しずつ明るくなり、気を緩めて美しい海を眺めながら歩いていると、ふと目印の黄色い矢印を見かけないことに気がついた。しまったと思った。どこかで曲がるべきだったのに、真っ直ぐ来てしまったのではないか。ユジョーンはスマホを取り出して、地図を映し出すと、やはり道に迷っているのが分かった。我々は仕方なく戻ることにした。2km余分に歩いたが、この程度の損失で済んだのだからよしとしなければならない。
 今日の道中の唯一のBarはシーズンオフで営業してなかった。サンティアゴという名前のスペイン人と愚痴をこぼしあった。サンティアゴは日本語ではヤコブと呼ぶと私が言うと、スペインでもそのように呼ぶこともあると彼は教えてくれた。サンティアゴによると、スペインでは母語の古典でもあるラテン語も学校で勉強するという。

 さらに彼に色んなことを聞くと、英語で説明するのを面倒がってスペイン語で説明してくれるのだが、半分も理解できない。まだ、スペイン語のレベルは低い。
 同年代のオーストリア人夫婦にドイツ語で話かけると、上手いと褒めてくれるが、会話はすぐ英語に戻ってしまう。ドイツ語も使えるレベルにはほど遠い。スペイン語とドイツ語も独学してきたが、サバイバルのレベルを脱していないことが痛感された。
「オーストリアに住む日本人女性はなぜみんなマスクをしているのか、日本では相手に多くの質問をするのは失礼になると聞くが本当か、日本人女性は纏足をしていたのか、日本人は富士山に登るのに海岸から歩き始めるのか」と好奇心溢れるオーストラリア人夫婦が次々と面白い質問をしてきたので、丁寧に回答しておいた。
 私が「初孫が2か月になったばかりだ」と話すと、彼らは「3人の子どもがいるが、まだ結婚もしない。孫はずいぶん先だ」と言って、嘆いていた。晩婚と少子化と超寿命化は先進国共通の課題なのだ。なお、奥さんとは同じ年齢だった。
 私の初孫が高校生か大学生になった時、カミーノを一緒に歩いてみたいものだ。20年後の将来の夢としてとっておきたい。そのためには、鍛錬を怠らず続け、体力の減退を抑えておかなければならない。
 結局、雨は降らなかった。まさに幸運というしかない。いや奇跡に近いと思う。
 アルベルゲに到着すると、ルートが厳しかったせいか、ホッとしたせいか、3時間のシエスタを貪ってしまった。今夜は眠れるのだろうか。明日は終日雨予報だ。しかも、気温は8~10度だ。もう雨を避けられまい。マリアのご加護も限界が来ているだろう。
 なお、今日のコースはアップダウンが激しいものだったが、杉林の多い日本の山の風景に似ていた。家族は元気にしているのだろうか。ふと祖国を思い出した。

スペイン巡礼紀行文(2018年4月28日)

4月28日 Getaria/Geba 17km 30000歩

 ゲタリアはNHKテレビの『旅するスペイン語』の語学番組で取り上げられていたので、気になっていた漁村だった。カレイ料理を食べたいと思い、港に面するレストランに行ったのだが、2キロを超えるカレイが2万円と聞いて、あっさり断念した。一匹で5人分だと言っていた。このくらいのスペイン語は聞き取れるようになった。
 司馬遼太郎も『街道を行く』でゲタリア紀行を書いているが、当時は風情のある静かな漁村だったらしい。今や多くの観光客の押し寄せる場所となったのには、少しガッカリした。
 夜中に雨が降ったが、歩いている間は幸いにも雨が降らなかった。しかし、連日降り続いた雨のため、自然道が泥濘んだり、石を敷き詰めた道が滑ったりの悪いコンディションとなった。
 終日、49歳の韓国人男性のユジョーンと一緒に歩いた。道中、北朝鮮問題についても話を聞いたのだが、韓国社会の複雑な社会状況を知らないと、正確に理解できないと思った。日本人の視点からだけでは朝鮮半島情勢を予測するのは困難だろう。
 彼が韓国人だと分かると、「南北の融和が進んでおめでとう」とスペイン人やブラジル人が彼に話かけてきたが、そう簡単に問題が解決するとは私には思えない。口には出さなかったが。
 私の前を歩いていたユジョーンは2度滑って転び、2度目にストックを折ってしまった。

 目的地の町のインフォメーションセンターで、カップルの巡礼者が「今日はタフな1日だったな」と話かけてきた。彼らも一、二回転んだと言っていた。私は「韓国人の友人が先導し、先に2回も転んでくれた。彼は私の代わりに転んでくれたファーストペンギンだ」と言って笑いをとった。
 我々がBarで寛いでいると、若いブラジルの男性が「君らは今夜この村に滞在するのか」と聞いてくるので、「そうだ」と私が答えると、「自分は5キロ先の村まで歩く」と言う。私が「君は若いから歩けるが、私は年寄りだから無理だ」と主張する。「カモーン、ワインをあと2杯飲むと、行けるようになるよ」と彼は誘ってくる。「いや3杯飲まないとダメだ」と私は言って、彼を笑わせた。巡礼者たちの会話はいつもジョークで満ちている。
 でも、英語ネイティブが本気で速く話すと、話題についていけなくなる。そういう時には、私は彼らの笑いのネタにされてしまいかねない。

 私が英語を話せるとはいっても、ネイティブとの差は歴然だ。真面目な話とジョークの両方に上手く対応できれば、英語スピーカーとして一人前に見られるだが、日本人にはかなり高いハードルだと思う。ここはヨーロッパ文化圏なのだと再認識させられた。

スペイン巡礼紀行文(2018年4月27日)

4月27日 San Sebastian/Getaria 23km 41000歩

 昨日の夕食は豪州人2人と英国人1人の4人でBarにピンチョスを食べに行った。途中の道路上で、バスク人の政治犯が解放されたため、数百人の人々が旗や花火や爆竹を使って集会を祝っていた。

 戦前から戦後まで続いたフランコ独裁政権を倒したのはバスク人だった。スペイン国内でカタルーニャの独立が議論される中で、バスク人のプライドにも火が着くのだろうか。なお、バスク語はインド・ヨーロッパ語に属さず、古くからヨーロッパで話されていた言語などという説もある謎の言語だ。現地の人々は別れる時に、スペイン語でなくバスク語でアウールと言う。

 彼ら英豪の3人は2年前にフランス人の道で友達になり、今回は一緒に北の道を歩くことにしたそうだ。友は友を呼ぶ。

 我々4人には共通点があることが分かった。脚力とアルコール耐性は似たもので、年齢も非常に近い。3人は61歳で、一人が64歳。私以外はセミ退職の状況だ。同年代の豪州人が豪州訛りの英語で私に「完全引退で何をしているのか」と聞いてくるので、「歩き、走り、泳ぎ、ゴルフをし、エッセイや小説を書き、絵を描き、スペイン語を勉強しているが、答えの出ないことを考えるのが好きだ」と答えた。例えば、神が人間を創ったのか、それとも人間が考えついたのか。一体どちらが真実なのかという風な。エンジニアの彼は「永遠に解けない課題だね」と応答してくれた。
 今朝、彼らと別れ、ゲタリアまで歩いた。どんよりとした雲の下で、ビスケー湾から吹き付ける風は冷たかった。雨には降ってもらいたくないと思いながら歩いた。まだ2日目だけどひどく長く感じられ、この先どうやって予期せぬ事態を乗り切っていけるのか不安になった。

途中出会ったブラジル人は「昨年、奥さんと富士山に登った」と言って、頂上付近の鳥居の前で撮った写真を見せてくれた。韓国人夫婦はヒマラヤトレッキングを5回もやったと言った。こんな健脚ばかりがカミーノに集結している。

数人から、「写真を撮る時に、ピースのサインをするのは、世界中で日本人と中国人くらいで非常に珍しい」と言われた。私が写真を撮るときに、サービスにみんなでピースサインをしてくれた。
 ゲタリアは世界一周を目指すマゼランが原住民に殺害された後、船団をスペインまで導いたエルカノの出身地だ。もちろん地元では、初めて世界一周した英雄として非常に尊敬されている。

スペイン巡礼紀行文(2018年4月26日)

4月26日 Irun/San Sebastian 26km 44000歩

昨夜泊まった巡礼者用の宿泊所「アルベルゲ」は定員20名くらいだが、ほとんど満室だった。私はチェックインが遅かったため、2段ベッドの2階になった。私の隣のベッドに陣取っていた男性の頭は禿げ上がり、ギリシャ彫刻のような顔立ちのため、まるでヤコブかソクラテスに会ったような気分になった。

時差と年齢のため夜中に目が覚めたが、まずまずの睡眠時間を確保できた。巡礼経験2年目だから周囲のイビキもさほど気にならなかった。北の道を歩く人には、サンティアゴ巡礼が初めてという巡礼者は少ない。リピーターが多く、巡礼者の雰囲気も格好も様になっている。消灯時間や起床時間はよく守られていて、規律正しい。
 宿泊料金は朝食を含めてドネーションと言われたけど、10ユーロくらいは必要かと思ったが、生憎適当な金額がなかったので、持っていたコインをすべて出した。少な過ぎたかもしれない。
 早朝7時に明るくなったので、朝食を済ませるとすぐに出発した。雨上がりの朝は空気が澄んでいて気持ちがいい。坂を登り、標高600m位まで来て、ビスケー湾を左手に眺めながら尾根沿いに牧草地帯を歩く。至福の時間だ。やはり今年もやって来て良かったとつくづく思う。そう言えば、昨年も初日にして翌年も来るぞと決意したのだった。
 途中から豪州人と英国人3人のグループに合流し、さらにリトアニ人女性ビータが加わった。有名なリゾートタウンであるサンセバスチャンのアルベルゲには我々5人で一室を占めることになった。
 道中会ったデンマーク人女性リスベスは昨年、北アルプスの焼岳に登ったそうだ。娘さんは東京大学で人類学を勉強していたと言う。なぜ娘さんは日本で人類学を学んだのかという私の質問に、リスベスは「まったく違った分野を勉強したかったからだ」と答えた。ヨーロッパ人の好奇心の断片を見たような気になった。

リトアニア人のビータは母国語のリトアニア語以外にロシア語、ポーランド語、英語を操る。ロシア語は易しいというから驚きだ。彼女によると、リトアニア語はもっとも古い言語のひとつで、かなり難しいと言う。リトアニアの人口は3百万人超だったが、若者が職を求めてドイツや英国に流出したため、百万人単位で人口が減少していると彼女は言う。
 スペイン有数のリゾートタウンのサンセバスチャンは観光客で溢れている。サンティアゴまで900キロ近い距離を歩く巡礼者は一目で分かる。体型も歩き方も雰囲気もまるで観光客とは違っている。我々は自称ウォーキングクレージーなのだ。
 サンティアゴ巡礼を楽しむには3つの能力が必要だと私は思う。まず、毎日30km歩ける脚力、次に誰とでも友人になれるコミュニケーション力、最後が霊感だ。コミュニケーション力には外国語力が含まれるが、それよりも相手を楽しませる会話術が必要だ。利き目のあるジョークがタイミングよく言えるといい。霊感は土地の自然や歴史との対話力につながる。見えないものとの合流ができると、心が安らぎ、純心になれる。
 今日は初日で、まだ時差ボケから解放されておらず、8時間も歩き、少し疲れた。44000歩になった。明日も予想に反して晴れになればいいが。