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サンティアゴ巡礼

スペイン巡礼紀行文(2018年5月17日)

5月17日 Aviles/Muros de Nalon 24km 34000歩

 毎日FBに掲載しているこの紀行文はカミーノで友達になった外国人巡礼者たちも読んでいるのだが、まだ翻訳機械の能力が高くないので、ときどき誤読されているようだ。すでに帰国したオランダ人のロブは私が原始の道で怪我をしたと勘違いし、確認のメールを送ってきた。「米国人が原始の道で転んで怪我をして帰国を余儀なくされた」と書いたのだが、主語を間違ったらしい。日本語は主語を省略することが多いので、機械は文脈から主語を確定しなければならないのだが、それがまだ難しいらしい。しかし、今後人工知能が急速に発展するので、近い将来満足できるレベルになると思う。もう少しの我慢だ。

 

 昨夜は狭い部屋に30人くらい寝ていたが、ある巡礼者が夜中ずっと咳をしていたので、睡眠不足の巡礼者が続出した。今朝はその話題でもっぱらだった。私は気が付いていたが、いつの間にか寝入ってしまっていた。
 今日は休養日と決め、アルベルゲのオスピタレーロに近くに手ごろのオスタルがないかと相談したところ、「ここでもう1泊してもいいぞ。8人部屋を私のために使わせてやる」という信じがたい提案があった。さらに、宿泊代も同じ6ユーロでいいという。
 一方で、2日ぶりに会ったオランダ人のボスから「5km先の海岸に接している街にオスタルがあるぞ」と聞かされ、迷った末に、せっかく再会したのだからおしゃべりしながら5kmくらい歩こうと思いボスに同行することにした。
 ところが、経由するはずだったその街を迂回するように、サンティアゴに向かう黄色の矢印は標されていた。
 その後も適当な宿泊所がなく、結局24kmの34000歩も進んでしまった。神様はなかなか私を休ませてくれないようだ。明日こそ、距離を短くして疲れを取るぞ。

 道中会った19歳のドイツ人はイルンからここまでわずか2週間で来たという。私は3週間かかっているので、すごいスピードだと思う。毎日50km程度歩いていることになる。彼は高校を卒業後就職するが、その合間にカミーノにやって来たと言っていた。

 少し日本語が話せるメキシコ人にも会った。学校で学んだという。日本語を話すのは3週間ぶりのことだった。

 今日一緒に歩いたオランダ人、ドイツ人、ベルギー人の3人は同じオスタルに泊まるようで、私も同行しないかと誘われたが断った。理由は私にもよく分からないが、何だか気が進まなかった。別の出会いを求めていたかも知れない。カミーノでは、直感を大切にしたい。
 ベルギー人の身長が2m以上もある。一緒に歩いていると、まるで親子だ。右向こうに海が見えると、彼らは言い合っているが、私には見えない。small Japaneseと笑われてしまった。オランダ人のボスとはハグをして別れた。彼はもうすぐカミーノを終えて帰国し、職場に復帰するので、これが最後の別れになるだろう。気が利いて、冗談も解するいい奴だった。
 彼らと別れて、次の村で見つけたアルベルゲに入り込んだ。ガイドブックに掲載された名前とは異なっていたが、余り気にしなかった。宿泊代は寄附制で、明日チェックアウトするとき、評価表とともに封筒に入れて提出することになっている。極めて先進的なアルベルゲだ。

 後程やってきた英国人女性のジョアンの話では、オープンしたばかりのアルベルゲとのことだ。どうやら予定していたアルベルゲとは違うところにチェックインしたようだ。昨夜はイビキと咳で睡眠不足だったが、今夜はガラガラの部屋で良く眠られそうだとお互いに言い合った。
 ジョアンは北の道を2つに分けて、今回は後半をサンタンデールから歩き始めたという。彼女は英国人淑女の雰囲気を持っているが、この厳しいカミーノ道を歩いているのが似合わない。いままで、この体格と脚力でサンティアゴまでの長距離を歩けるのだろうかと思わせる巡礼者を数人見かけたが、それぞれの理由があるのだろう。暖かく見守るしかない。ジョアンに記念に顔写真を撮っていいかと聞くと、サングラスをかけて写真に収まってくれた。プライバシーを厳格に守りたいようだった。

スペイン巡礼紀行文(2018年5月16日)

5月16日 Bilbao/Aviles 30km 54000歩

 昨夜のアルベルゲはチェックインに時間がかかったが、部屋は感じのいいブラジル人とアルゼンチン人のカップルと私の3人だけで、ぐっすり睡眠がとれた。彼は自転車で巡礼しているが、今日の目的地は同じだった。順調にいけば、今夜も再会できる。日本のカミーノとも言える四国お遍路のことはほとんどの巡礼者が知っているが、彼らは「日本は物価が高いため私たちは行けないね」と言っていた。

 今朝出発する際、キッチンでベルギー人男性2人組に会ったが、冴えない表情をしている。私は勇気がないので原始の道を諦めたが、彼らは行くと決めたという。

「異常気象とトラクターのせいで、相当悪いぬかるみがあるのだが、二三日雨が降らなければ問題はないと思う」と私は言ったが、どこまで説得力があっただろうか。
 最後に、サンティアゴで再会しようと言って別れた。

 今日は北の道のルートのアビレスに戻ることと休養を兼ねてバスで移動すべく、市内のバス停に向かった。
 ところが、途中の十字路でアルベルゲで顔見知りになった巡礼者と出会った。私が「どこまで行くのか」と聞くと、彼は「アビレスだ」と答える。距離は30kmあるが、道順の情報は得てきているようだった。
 私はあっさり予定を変更し、今日一日彼と付き合ってみることにした。今回の旅の目的は巡礼者個々人の心のなかに入り込んでみることだ。一人でバス旅行するよりもこちらのほうが楽しいかもしれない。巡礼者と交流しないと意味がない。これも神様の采配ではなかろうか。

 私はまだ朝食を済ませていなかったので、近くのBarに一緒に入った。彼はドイツから来たというので、片言のドイツ語を披露すると、ずいぶん喜んでくれた。
 彼は「若いとき、日本人から直接空手を習った経験がある」と言い、日本語でイチ、ニ、サン、シ、ゴと数字を数え始めた。すると、意外にも、Barのウェイトレスも日本語を知っているらしく、3人でジュウまで合唱した。大きな笑いが起こる。これで昨日から凍りついていた私の気持ちが一気に和んだ。

 ドイツ男性は69歳で、今回が5回目のカミーノだそうだ。バルセロナから歩き始め、フランス人の道に入り、レオンから北上してビルバオに来たという。今日が28日目。山越えの途中、雪、雨、風、霧に苦しめられたという。タクシーを使わざるを得なかったのを残念そうに語る。乗り物に乗ったのは、それ以外にも期待していたホテルが閉まっていたためバスに乗らざるを得なかったこともあったと言っていた。

 名前を聞くと、シュミット首相とカール首相と同じヘルムートだと教えてくれた。これならば覚えやすい。なお、私の名前はなかなか覚えてもらえない。母音が4つもある日本人男性の名前は西洋人には発音しにくいようだ。

 彼は日本の文化にも深い関心を持っている。黒沢明監督の『羅生門』と『七人の侍』が好きだという。書道、北斎さらには禅にも興味があるというので、驚いた。
「禅は瞑想を通じて、自己を無にし、宇宙と一体となることだ、これは容易なことではないが、不可能ではない」と私は言った。「カミーノの目的も同じようなものではないか」と言う彼と意見が一致した。

 登坂に差し掛かると、「薬を飲み忘れていたので、先に行くように」と私に指図した。心臓の薬を飲むと、すぐに私に追いついてきた。

 2人で一緒に黄色い矢印を確認しながら歩いていたのだが、話に夢中になっていたせいか、途中で道を間違え、山の奥まで入り込んでしまい、最後はブルドーザーで工事中の作業員に「元の村まで引き返せ」と言われた。彼がスペイン語ができて良かった。これで今日は5km余分に歩くことになった。ロスした時間は約1時間。
 彼は「これがカミーノのだ」と笑いながら言い、私が「常に楽観的でどんな状況も楽しまなければならない」と応じてお互いに笑い合った。
 ヘルムートに引退前の仕事を聞くと、認知症患者のサポートをしていたという。過去の写真、小さいときの懐かしい民謡、思い出の服などで患者の気持ちを和らげるのだという。

 私の母は6年前にアルツハイマー病で亡くなったと話した。私は誰か分かるようだが、名前を思い出すのに時間がかかったと言った。彼は「ドイツでも、そのような議論が多いが、患者の側に立った対応が大事なのだ」と言った。まさしくそのとおりなのだ。私は母に対してこちら側の視点でしか接していなかったのだ。改めて、母には申し訳ないことをしたと思った。このドイツ人男性と一日付き合った意味は大いにあった。

 ヘルムートはホステルに泊まるというので、我々はアルベルゲの前で別れた。

 私がアルベルゲでチェックインの手続きをしていると、二日前まで一緒に歩いたオランダ人のボスが寄ってきて、大きい部屋の左側のベッドを確保するように小さい声で話かけてきた。大きいイビキの男性が右側にいるから注意せよとのことだった。その男はなんとマルタ出身のロバートのことだった。部屋は狭くほぼ満室の状態。はたして、どのような夜になることやら。

 部屋は狭く、体臭が充満していたが、昨夜同室だったブラジル人とアルゼンチン人カップル、以前に会ったことのあるオランダ人のボス、マルタ人のロバートらと再会し、気持ちが和らいだ。知り合いが近くにいると心強い。

 もうボスとも再会はないだろうと思い、日本から持参してきたバッジを渡すと、返礼としてオランダのカミーノ関連のワッペンをくれた。物々交換は楽しい。

スペイン巡礼紀行文(2018年5月15日)

5月15日 La Bega/Bilbao 27km 46000歩

 昨日のアルベルゲは寄附制だった。ベルギー人男性がやってきて「お前はいくら払ったのか」と聞くので、「5ユーロ」と答えると、顔が綻んだ。彼の寄付額は少ないと、スペイン人にからかわれたので、私に聞いてきたようだった。寄附制なのだから余り気にする必要がないように思うのだが、西洋人が周りの評判を気にするのは少し意外に感じた。

 でも、私は手元に5ユーロしかないためその額になったが、少ないと思い、アルベルゲの鍵を管理している女将のレストランで巡礼者メヌーを注文した。こうした配慮は女将に通じていると思う。
 昨夜は周りに一緒に夕食を摂ってくれそうな人がいないので、スーパーに行って、ビール、ハム、チーズ、オリーブの実、牛乳パン、オレンジジュース、水、トマト、リンゴ、オレンジを買った。合計で8.26ユーロだった。夕食だけでなく、朝食と非常食の分もありそうだ。

 朝の7時に出発する時の気温は5度とずいぶん寒い。ポンチョを被っての歩行となった。しかも、ずっと先の山の上は雪が被っている。先行きが不安になる。
 今日は久しぶりの晴天で快適なウォークを楽しんだのだが、途中会ったのは同じアルベルゲに泊まっていたベルギー人男性2人だけだった。なんとも寂しい。ほとんど単独行動である。

 大都市ビルバオに入ると、目印の黄色の矢印がない。仕方なく、中心部のカテドラルまで行き、目的のアルベルゲを探そうとした。でも、観光案内所も地図も見当たらないので、困ってしまった。
 思いきって地元の女性2人組にアルベルゲの位置をスペイン語で聞いた。2人はまったく嫌な顔もせず、アルベルゲの位置まで案内してくれた。一人の女性は私の出発地点のイルンで住んだことがあると話していた。長距離を歩く巡礼者に対してある種の敬意を持っているようだった。ところが、アルベルゲは別の場所に引っ越していることが分かり、わざわざそこまで連れていってくれた。彼女らが私のために30分以上の時間を使ったと思う。スペイン人の親切な気持ちが心に沁みた。お礼にと、日本カミーノ友の会にバッジを手渡した。

 しかし、今度はアルベルゲは午後4時にならないと、門が開かない。リュックサックを入口に並べておいて、待っていたアメリカ人2人とスペイン人1人と4人で昼食を食べにイタリアレストランに行った。
 そこで、意外な情報を聞かされる。連日の雪と雨で原始の道は相当ぬかるみがひどくなっている。あるアメリカ人は3日間原始の道に入ったが、転んで怪我をし、引き返してきたという。怪我がひどいので、帰国するそうだ。今年は天候が不順なので、他の巡礼者にも勧められないともいう。
 アルベルゲのチェックインだけで1時間30分も待たされた。普通アルベルゲでは、パスポートとクレデンシャルを提出して、オスピタレーロが必要事項を書き写すだけで済むのだが、ここでは出発地点と月日や次の宿泊地まで聞き取った上で、一人ひとりベッドまで案内し、トイレやシャワールームやキッチンの位置まで説明している。これでは時間がかかるはずである。待っている間も、巡礼者の間で原始の道のひどさが話題になっている。例年にない寒さと悪路がまだ続いているようだ。

 ここのアルベルゲに泊まっている巡礼者は私より高齢者が多いのだが、みな山登りの経験者という風貌である。どういう訳かアメリカ人が急に増えた。

 今回の巡礼の目的は他の巡礼者の心に接近することであり、原始の道を是が非でも登破することではない。聞くところでは、9月は雨も降らず、快適な巡礼が楽しめるそうだ。次回は9月にやってくることとし、原始の道を諦め、明日北の道のルートに方向転換することにした。

 もし仮に、このアルベルゲが見つけられず、ここに来ていなかったならば、原始の道に踏み出していたであろう。その結果はどうなっていたか予想できないが、辛い目に会っていたことは確かだろう。
 人生も旅も出会いがその後の運命を大きく左右するとは、しばしば言われることだが、その言葉がずしりと来た。

スペイン巡礼紀行文(2018年5月14日)

5月14日 Colunga/La Bega 31km 55000歩

 昨日の宿泊地のコルンガにはアルベルゲがないので、オランダ人のボスとホステルの部屋を二人でシェアした。迷った末に決めたのだが、一人20ユーロだった。
 私が部屋でシエスタを貪っているとき、彼は街の中を歩き回ったという。そして、あろうことかアイーダを発見したというのだ。私が「なぜ会ってもいないのにアイーダだと分かるのか」と聞くと、ボスは「黒い髪の長身の美形の若い女の子だから、そうに違いない」と言う。「でも、男性巡礼者二人と一緒に歩いていた」とも付け加えた。

「綺麗な女性にはすぐに、男性が寄ってくるのが世間の厳しい現実だな」と私が言うと、彼は「遅かったか」と悔しがって見せた。

 我々は夕食を済ませてオスタルに戻り、1階のBarに入った。私は寝酒のスコッチウィスキーを注文した。オランダ人のボスはその時、以前に付き合っていたガールフレンドの写真を私に見せてくれた。知的で内向的な肌の白い可愛い女性だった。野性味のあるアイーダとは違うタイプだ。ボスはアイーダに関心があるように装うが、それは違うなと思った。彼は振られて彼女と別れたのだが、まだ相当未練がありそうだった。

 今日もまだ寒い。部屋に戻って私がベッドにズボンのまま潜り込むとき、ボスが「パジャマは持ってきていないのか」と聞いてくる。私は「荷物を極限まで削ってきたので、下着は着替えるものの寒いときは昼間と同じ服で寝る」と答えた。彼はすかさず、dirty old manと言って、私の心を傷つけた。
 西洋人は寒い夜でも、男女を問わず薄着で寝るのにはいつも驚かされる。私はそもそも寒がり屋なのだが、風邪を引いたら旅が台無しになると考え、厚着で寝るようにしている。
さらに、貴重品を常に身に付けておきたいのだ。ズボンのポケットのなかや寝袋の底に、パスポート、クレジットカード、クレデンシャル、現金などを潜り込ませて寝るのだ。巡礼者は善良な人ばかりなのだが、それを狙った悪い奴が忍び込んでいるかもしれない。貴重品の紛失は自己管理の不備になってしまい、カミーノを中断し、帰国を余儀なくされる。天国が一瞬にして地獄へと変貌する。

 

 今朝、私が部屋で簡単な朝食を済ませると、オランダ人のボスに「我々の共通暗号はアイーダということを忘れるな」と言って、笑いを誘った。そして、FBで友達になったのだから、連絡を取り合おうことにした。
 別れ際に彼が「アイーダに会ったら、写真を撮って送るよ」と言うので、私が「それを心から願っている」と反応して爆笑し合った。お互いにアイーダにさして関心がある訳ではないのだが、共通の笑いの材料には適している。男同士の会話なのだ。

 今日私はボスと別れて、一人でオビエドまで35kmの距離を歩かなければならない。つい焦ってしまい、早朝から道を間違えて2km余計に歩いた。精神的なダメージが大きい。さらに、冷たい雨が降り始め、登り道が続く。気が滅入っていると、前から人が歩いて来る。地元民かと思ったが、向こうから英語で話かけて来る。近づくと、巡礼者のようだった。

「今日はどこまで歩くのか」と彼が聞いてくるので、「オビエド」と私は答えた。彼は怪訝な顔をして同じ質問を二度繰り返した。その時やりとりしてやっと分かったのは、私が地図を読み間違えていたのだ。オビエドまではまだ50km以上もある。今日までに着くのは不可能だ。計画を作成する時、どこかで距離の判断を誤ったのだった。計画には想定外を想定し、数日間余裕を持たせてあるので、影響はあまりないだろう。でも、地図の見違いは疲労のせいだった。集中力が低下しているのだ。
 その巡礼者は初めて会ったアメリカ人だった。彼はマドリードから歩き始め、北上してフランス人の道に入り、レオンからさらに北上して山岳地帯を縦断して北の道に至ったと説明する。今、北の道を逆方向に歩き、サンタンデールまで行くとのこと。彼もカミーノの虜になっているのが一目で分かったが、サンティアゴの大聖堂を目指さない巡礼者には初めて会った。

 このアメリカ人とは数分しか話していないと思うが、別れるときには雨はすっかり止んでいた。不思議なことに、何だか元気が湧いてきていた。結局、彼に懇切丁寧に教えてもらった村のアルベルゲまで歩いた。かなりの登り坂を長々と歩き、今まで最多の55000歩になっていた。
 途中から北の道と原始の道の分岐点に至り、私は左の原始の道に舵を切ったのだが、ほとんど誰とも会わない単独行となった。みんなどこに行ったのだろうか。
 目的地の1km手前になってやっとBarで休んでいた、昨日会ったベルギー人男性2人に追いついた。

 同じアルベルゲにチェックインしているのはベルギー人2人と米国人の老夫婦と私の5人だけだ。老夫婦は毎日10kmしか歩かないと言っていた。友達になった巡礼者はみんな北の道を選択したのだろうか。少し寂しい気持ちになった。

スペイン巡礼紀行文(2018年5月13日)

5月13日 Ribadesella/Colunga 21km 33000歩

 カミーノでは、夕食を1人で食べることはほとんどない。いつも誰かに誘われて一緒になる。昨日は43歳のオランダ人男性のボスから誘われたので、伝統的な街の祭りを見に行って、そして2人で食事をした。

「君の名前はボスか。俺のボスなんだね」とつまらない冗談を言うと、祭りの会場で、リンゴ酒を奢ってくれた。
 彼は独身なのだが、なかなか良いガールフレンドが見つからないと言う。年齢を重ねるに連れ、要求が高くなっているとも付け加える。さらに、女性は男性が理解できるかもしれないが、自分は女性が分からないと嘆く。
 次第に男女論になっていき、私は次のように述べた。
「私は定年退職を60歳で迎え、色々な人と付き合って分かったのだが、男性よりも女性と話しているときのほうが気が安らぎ、しかも楽しい。それは日本にいても、カミーノでもあまり変わりはない。男性は即物的、本能的で、お金やクルマや面子などの表面的なことしか話題にしない。若い男性は女性をセックスの対象にしか考えていない。それに比べて、女性は心の繋がりを大切にする。共感し合えているかどうかが重要なのだ。もし君に好きな女性ができたならば、よく話を聞いてあげて欲しい。できれば、甘い食べ物を一緒に食べながらのほうが効果的だろう。そして、これが重要なのだが、優しく彼女の手に触れてみてはどうか。村上春樹の小説『1Q84』の描写に登場するように男女が手を繋ぐことの意味は深い。手は心の窓なのだ。手を繋ぐことによって心も通い合う。恋の始まりなのだ」

 彼は神妙な顔をして私の話を聞いていた。

 最後に、私が「今日最大の失敗は独りで歩いていた綺麗なスペイン人のセノリータに、写真を撮らせて欲しいと頼まなかったことだ」と言うと、彼は大声を出して笑った。どこの国でも、若い男性を楽しませるには美しい女性を取り上げるに限る。
 ボスはそのスペイン人女性が気になるらしく、「アイーダと名乗っていた」と私が言うと、「劇場に登場する女優のようだな」と彼は独り言のように言った。我々は黒い髪の細身のアイーダと会えるのだろうか。

  今朝宿舎を出発するときには、あいにく冷たい雨が降っていた。それでも天気は少しずつ回復し、天国の様相を呈してきた。

 今日も二度道が分からなくなったが、どうせ神様が助けてくれると、高をくくりそこでしばらく待っていた。すると、案の定、地元の人がクルマで現れたり、後ろからやってきた巡礼者に行くべき道を教えてもらったりした。

 途中で、30分以上遅れて出発したという昨日のオランダ人男性のボスが追いついてきたので、一緒に近くの海辺のBarに入って休憩することにした。
 彼はカフェオーレを呑みながら、「このような生活は最高だな」と言う。「いい友達がいるのでさらにいい」と私が応じると、ボスは「アイーダがいればパーフェクトなのだが」と言って、私を笑わせた。アイーダという言葉は我々の暗号にさえなっている。

 美しい大西洋岸を臨めるのは今日が最後になる。私は山間部に向きを変え、『原始の道』へと入っていく予定だからだ。原始の道とは、イスラム教徒のモーロ人に制圧されたカトリック教徒たちが領土を取り返すべく、アストゥリアス王アルフォンソ2世がレコンキスタ運動を起こすために、最初にサンティアゴ・デ・コンポステーラのヤコブが眠る大聖堂まで歩いた道だ。歴史に関心のある私としては歩かない訳にはいかない。
 最後に駄洒落を一つ。
 数日間の早朝に、マルタ人人のロバートと歩いていたときの会話だ。彼が「ここは天国のように素晴らしい」と言うので、「私も同感だが、牧草の特有は臭いがなければの話だが」と私は答えた。彼は風邪で鼻づまりしていて、その臭いが分からないと言う。私はbullshitと発音すると、ロバートは声を出して笑った。牛の臭いがしてもそれでも清々しい朝だった。

スペイン巡礼紀行文(2018年5月12日)

5月12日 Llanes/Ribadesella 30km 50000歩

 昨日の夕食は韓国人夫婦のケンとミーがアルベルゲのキッチンで作った食事をお裾分けしてもらった。歓迎させるのは嬉しいが、何の料理も作れない自分が誠に頼りなく思えてきた。どのように対処すればいいかよく分からない。

 数年前のことだが、ある日本人ノーベル賞学者から聞いた話だが、彼がある東欧の国を訪問した際、現地の学者にどうしてもとしつこく誘われて、自宅を訪れたそうだ。案内された場所は狭い台所で、カーテンで仕切った向こう側では子供が勉強していた。ひどく狭い空間の中で奥さんの手料理と温かいおもてなしを受け、非常に感激したという。
 その日本人学者は「日本の学者は自宅が狭いから外国人を招待できないと不満を言うが、本当に狭いのは家ではなく、心ではないのか」と付け加えた。私は「まさにその通りだ」と思ったが、では「自分は外国人を自宅に招待する気構えができているのだろうか」とその時思った。
 しかし、今回の巡礼の旅を通じて、カミーノで知り合った人ならば、自宅に招待できる勇気がついた。仲良くなれば別れる際、彼らから「遊びに来い」と誘ってくれる。自分から心を開くことが大切だ。つまらない見栄なんか張っても仕方がない。そのような気持ちの変化があったのはカミーノのお陰だと思う。

 スペインには、女房の尻に敷かれた男たちが食材を持ち寄って自分たちで料理し、食事を仲間で楽しむ美食家倶楽部がある。そのとき、食事を作らず待っている大の男たちが歌う歌がある。
「俺たちはお腹が減った、減った、減った・・・」と歌う幼稚な歌なのだが、ワインの酔いも手伝って、私はアルベルゲのキッチンでその歌をスペイン語で歌った。
 すると、少し離れたところにいた昼食を一緒に摂ったスペイン人男性がにっこり笑い、親指を上に立てた。「この日本人はこんなことも知っているのか」という顔をしていた。彼との心の距離が一気に縮んだように思われた。

 

 今日も少し冷たい風が吹くなか、海岸線と牧草地帯を交互に快適に歩いた。何度も繰り返すのだが、まるで天国のようだ。
 途中から日差しが強くなってきたので、日焼け防止のため手拭いを頭から被りながら歩いた。すると、他の巡礼者が「僧侶のようだ」と言い、別の巡礼者が写真を撮らせてくれと頼んできた。
 しばらく歩いていると、今度は地元の男性が出てきて、「一緒に写真を撮らせてくれ」と要求してきた。こんな格好をしているのは私だけだが、そんなに珍しいことなのだろうか。何が交流のきっかけになるか分からない。何でもトライしてみる価値はありそうだ。

 巡礼を始めて16日が過ぎたが、出費を計算すると、一日平均4500円くらいしか使っていない。贅沢も、節約もせず、この数字に収まっている。1か月計算でも、14万円に達しない。日本にいて普通の生活をしていてもこの程度の額はかかるのではないか。カミーノは廉価であるが、心優しい人々との交流が楽しめるじつに贅沢な心の旅なのだ。

 巡礼の間で必ず話題となるのがイビキだ。翌朝になると、誰々のイビキがうるさく、ほとんど眠れなかったという苦情は後をたたない。お互いに人間関係を悪くしたくないので、本人の前では言わず、噂をするだけでアルベルゲを離れて、翌日ホテルに逃げ込む巡礼者は少なくない。特に男性に多いように見える。男性は繊細で弱い動物なのだろう。

 なお、オランダ人のロブから聞いた話だが、ある巡礼者のイビキが病気的なほどひどいときがあり、勇気ある巡礼者が状況を率直に本人に話したところ、イビキの男は勇気を持って4日目に巡礼を止めて帰国し、治療に専念したという。
 時にはお互いに勇気を持って相手にアドバイスする必要があるのだろう。まだ、私のイビキの苦情を言う人は今のところいない。そのように見える。ただ、迷惑をかけているかもしれないという気持ちを持っていることが大事だと思っている。