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サンティアゴ巡礼

年間スケジュール

 今年1年間やりたいことややるべきことを書き出してみた。
 1月。2月中旬の熊本城マラソン大会に向けた走り込みとして30キロ走8回。新たに水彩画絵と源氏物語の英訳読解に挑戦開始。
 2月。マラソン大会5時間切りの目標。それが終われば、家族で大宰府への1泊旅行。梅の花を観賞し、名門旅館でゆったりしたい。
 3月。初孫が無事出産すれば、初対面のため上京。ついでに、かつての職場の仲間と同窓会をやったり、美術館巡りを楽しみたい。4月からのサンティアゴ巡礼に向けて準備。
 4月。結婚28周年で天草か南阿蘇の旅館でくつろぎたい。下旬にはサンティアゴ巡礼の徒歩1000キロの旅に出かける。
 5月。ずっとスペインを歩いているはずだが、巡礼終了後は芸術の都パリで、美術館巡りだ。
 6月。いよいよ始まるワールドカップサッカー大会でテレビ釘付けになるだろう。
 7月。特段の予定はまだないが、ゴルフ三昧の日々か。
 8月。展覧会に水彩画を出品するために、絵描きに集中。神経を休ませるために、水泳を楽しもう。
 9月。10月の行橋別府100キロウォーク大会に向けて特訓。
 10月。100キロウォーク大会は16時間台が目標だが、果たして達成できるか。20日の地元の花火競技大会は桝席で鑑賞したいものだ。
 11月。妻と奄美大島を歩いて一周したい。250キロくらいあるかな。23日は世界文化遺産に登録されたお祭りを堪能したい。母の7回忌を迎える月でもある。
 12月。今年も年賀状はすべて手書きの水彩画を描き上げたい。
 一年間の予定はこんな感じになった。健康に留意しつつ、スポーツと文化を享受する年にしたい。新しい出会いも大切にしたい。予定外の楽しいことがあれば、さらに素晴らしいだろう。
 あなたにも自分に合った良い1年を過ごしてもらいたい。

(2017年1月4日、寺岡伸章)
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歩きお遍路日記

髪を短く刈って坊主頭になった。理髪店の自分の頭を見つめながら、自分が他人に変わっていく奇妙な気持ちに包まれた。
明日から徳島から時計回りに高知、愛媛、香川と四国を歩いて一周する遍路道1200kmの旅に出る。かっこよく、プチ出家のためと言いたいが、まだ俗世間に未練があるのは確かだ。どのような旅になるのだろうか。期待と不安が同居している。
第1日
お遍路初日はイエスには悪いが、偶然にも10月13日の金曜日となった。
早速1番札所の霊山寺の前で躊躇しているオランダ人女性2人に声をかけ、参拝の作法などを教えてあげた。いいスタートになった。1番から17番札所まで5日間程度で廻りたいそうだ。遍路文化に触れるお試しコースのようなものだろうか。
今回の旅には妻は同行せず、1日30km徒歩の旅に耐えられるのだろうか、と不安な船出であるが、弘法大師空海と会話しながらの同行二人旅で乗り切ることにしよう。楽天的に発想しないと、困難な未来は切り開けない。
途中で知りあいになった62歳の日本人男性は弘法大師から招待状をいただき、妻と離婚し、財産も処分して2年半で8周も遍路道を歩き続けているという。しかも、托鉢と野宿をしながらのお遍路の旅を死ぬまでやり続けるというから想像を絶する。もはや半分人間でなくなっているから、どんなに寒くても風邪を引かないそうだ。こんな人が道中10人以上もいるとのこと。いきなり世間離れした人に会った。ここはやはり巡礼地なのだ。俗世間の態度や価値観を忘れなければならないと思った。
慣れない参拝の作法や般若心境の読経に苦戦しながらも、7番札所まで打った。
宿泊は六番札所の宿坊を取ったが、20人の客の半分は外国人。それも女性が大半だった。インバウンドはもはや日本の巡礼地まで及んでいるようだ。
第2日
今日は雨のなか11番札所まで打った。札所の数では10分の1以上が済んだのだが、日数では20分の1に過ぎない。まだ先は長い。
バスツアーや自家用車を利用しているお遍路の方が多く、我々のような歩き遍路はごく少数のため、強い連帯感が産まれやすい。一度出会うと、再会が楽しみになる。
昼食をうどん屋で採ったら、ご主人にご接待と称してシュークリームを、お店のお客さんには自家製のドーナツをごちそうになった。このように応援されると、雨でも元気が出てくる。
ところで、空海が開いた真言密教とはどんな宗派なのだろうか。お釈迦様は人には欲があり、それが叶えられないため人生は苦だと考え、欲をなくすことが、涅槃への道と説いた。生、病、老、死は苦だ、と現世を否定的に捉えている。しかし、お釈迦様のように欲を乗り越えられる人はごく一部であるし、みんなの欲がなければ、社会が成り立たなくなってしまう。空海は七世紀のインドに興った密教を発展させ、我欲のような小欲はダメだが、自分も他人も幸せにする大欲を歓迎した。欲を滅するのではなく、そのエネルギーを前向きに捉えた現世肯定主義者である。密教は本来の仏教のコペルニクス的転換をしているのである。生きたまま悟るという即身成仏は誰でも論を学び、行を実行し、宇宙神である大日如来と一体化すれば、達成できるとしている。
死は誰にとっても恐怖である。死後、自分の身体から魂が空中に浮遊するという幽体離脱が起こり、魂はあの世に向かい、お花畑を通り、三途の川を渡り、その奥に神々しく光る絶対神を目撃することになると、死の世界から帰還した人々は似たような経験を話す。死後の世界は本当にあるのだろうか。脳科学の発展により、脳内の角回と呼ばれる部位を電気で刺激すると、幽体離脱を経験できると発表され波紋を呼んだ。死後の世界は存在せず、科学の力ですべて説明できる日がくるのだろうか。それは私には皆目見当がつかない。でも仮に、末期の脳の幻覚だとしても、なぜそのような神との出会いを経験するのだろうか。謎は深まる。
ラテン語のメメント・モリは「死を想え」という意味の格言だ。人間はいつ死ぬか分からないから、常に死を意識し、今を大事にして生きろという意味だ。科学の発展に関わりなく、自分ができることはその程度であり、それがすべてである。
第3日
降り続く雨のなか、お遍路泣かせの難所「お遍路ころがし」の12番札所の焼山寺を打った。宿までの公称23km(実際は30km近くある)の山道は少し辛かった。でも、宿で濡れた衣服の洗濯のご接待を受けて、疲れが吹き飛んだ。
焼山寺の食堂で一緒になった長身の静かなオランダ人男性も88札所をすべて打つ予定とのこと。日本特有のお菓子を一つ差し出すと、美味しいと言ってくれた。明日以降の再会が楽しみだ。
昨日書いた密教の教えの続き。
この世界は愚者にとって迷いである。その同じ世界が、智者にとってはむしろ楽しみなのである。この世界をよく悟り、その世界によく遊べ。それが密教の教える生の哲学である。人間に生命の歓喜の歌を歌わせねばならぬ。自ら生きることは楽しい。他人を利することもまた楽しい。空海は底抜けの楽天主義者であった。
第4日
3日連続の雨。13番から17番まで5つの札所を打ち、徳島市内の歩き遍路宿に入った。快適な空間とご主人のサービス精神に感激。また泊まりたい宿だ。
 今日会った外国人は西洋人カップル二組と台湾人男性ひとり。歩き遍路の半分は外国人と聞き、誇張されていると思っていたが、事実に近いと認識するに至った。(後ほど分かるのだが、歩きお遍路の外国人は2~3割程度)チェコ人のカップルはネットで四国遍路を知ったと言っていた。
 真言密教の講義。
現世というものはすばらしい。それは無限の宝を宿している。人はまだよくこの無限の宝を見つけることができない。無限の宝というものは、何よりも、お前自身の中にある。汝自身の中にある現世の無限の宝を開拓せよ。
 灯明も上げず、お経も唱えず、簡単な参拝を済ませてすぐに納経所に向かうお遍路もいる。お遍路文化はスタンプラリーではないのだ。少し悲しくなる。
病気で肉体的に苦しみ、世間から差別され精神的に追い込まれてきたハンセン病患者の一部はその救いを求めて、お遍路の旅に出たという記録がある。どれほど苦しい人生を送られたことか筆舌に尽くすことはできないが、この世での救いは政府ではなく、仏教であり、弘法大師だったということだ。人々は話題にしなくなったが、お遍路道はちゃんと記憶にとどめている。
第5日
18番と19番札所を打って、宿に着いたときにやっと雨が止んだ。万歩計は47000歩を示していた。
 民宿は2部屋しかない小さいところで、もうひとりは61歳の台湾人男性の馬さん。日本大好き人間なのだが、日本語があまりできないため、明日と明後日の宿の予約を手伝ってあげた。サンティアゴ巡礼で受けた恩は四国遍路で返すのだ。
台湾にはお遍路協会があり、お遍路ファンは様々な情報を交換しているのだという。台湾では日本のガイドブックに載せていないこの小さい宿のご主人と女将さんは人気がある。ご主人はがんとの闘病から復帰し、社会への恩返しとして遍路宿を始めたと語る。みんなの温かい気持ちが四国遍路を支えている。バスツアーや車遍路ではけっして経験することのできないことだろう。女将さんには、濡れた服を洗濯していただき、おまけにお接待として明日のお弁当まで作ってくれた。大変ありがたいことだ。
 智者が同一を見るところにおいて、愚者は差別を見る。そして、差別にとらわれて、様々な迷いを生じ、様々な苦を受けている。すべての恐るべきものも、自らの心が生んだ妄想にすぎないのである。けっして人と比較せず、自分の特長を悟り、自分の才能を開花させよ。オンリーワンこそ即身成仏への道なのである。
 殊勝な気持ちになった。
第6日
台湾人男性の両親は戦前の混乱の中、大陸から逃げてきたそうだ。馬さんは訪日8度目で、家族全員で日本を旅行することもあると言う。馬さんはコンピューター会社の社長だが、子供たちはシドニーとオークランドに住んでいて、中国語、英語、日本語を話す。どんな国際的動乱が起ころうとも、リスクを分散し生き延びていくという台湾人エリートの生き方であろうか。
 四国に入って初めてお天道様を拝むことができた日になったためか、2度目の遍路ころがしの20番札所と21番札所は難なくクリアしたが、22番札所を過ぎた辺りから、歩くのが辛く感じられるようになった。
 21番札所の境内では、サバティカル中のアメリカ人大学教授と立ち話。彼は足のトラブルで病院に行ったが、通し打ちを目指して頑張っている。
 22番札所でおしゃべり好きな西洋人女性から話しかけられたが、札所の写真を撮り忘れたため19番札所に戻るというので、その方法を教えてあげた。
 今夜は海岸沿いの民宿に泊まっているが、空海も修行した山奥のスピチュアリティを感じる21番札所の太龍寺から海岸まで遥々歩いてやってきたのが夢のようだ。人の歩みは鈍いが、時間が経てば遠くまで行ける。
明日も雨が降る。天気に負けず頑張らなくては。歩くことが私の務めなのだから。
第7日
23番札所を打ち、阿波の国の「発心の道場」を終えた。明日は土佐の国に入る予定。
今日の30kmの道中で会った歩きお遍路は日本人カップル、スイス人、ドイツ人の4人のみ。少なすぎるような気がする。なぜなのだろうか。
 今夜は鯖大師に投宿し、護摩に参列した。事前に写真を撮ってもいいと言われていたが、神聖な儀式に引き込まれてしまい、写真撮影が憚られる雰囲気だった。大事なものは写真には残せないし、撮ってはいけないように思った。
 護摩は火をもって供養することだが、釈迦の仏教にはその習慣はなく、バラモン教の影響を受けた密教が始めたものだ。火を真理とし、薪を煩悩とし、真理をもって煩悩を焼くという意味が込められている。身が引き締まる。
 23番札所の薬王寺の本堂に至る急な階段は時間がかかり、少々疲れてしまった。
第8日
別格4番の鯖大師の住職の法話は良かった。般若心経の言わんとするところは、神仏からいただいた生命をあますところなく輝かせて、正道に沿って生きることである、と解釈しておられる。また、次の札所までかなり距離があるが、南無大師遍照金剛を唱えながら、先祖と自分に向き合って欲しい、と言われた。心に沁みる話だった。この住職に巡り会っただけでも、今回のお遍路は意味があったと思う。
 住職に言われるまま、人家のない国道55号を南下しつつ、南無大師遍照金剛と唱えながら海岸線沿いの単調な道を41km歩いた。念仏に集中していたためだろうか、お大師様のお
かげであろうか、あまり退屈せず、足も痛くならず、午後5時前に宿までたどり着けた。
 土佐は空と海の景色がずっと続いていた。まさに、空海の名にふさわしい。空海はこの空と海を眺めながら修行し、悟りを開いたのである。土佐の国は「修行の道場」と呼ばれる所以でもある。単調な道のりこそ人間の忍耐力を試すのだ。
 真言密教は、欲望を修行によって清浄化し、悟りへと至るエネルギーとして利用する宗派だ。欲望や煩悩が強い人間はそれを否定的に捉えるのではなく、昇華し、大きい華を咲かせる。欲望や煩悩は生命力そのものである。正しく使えば、悟りを開き、極楽へと至ることができる。悪用すれば、破滅や苦悩が待っている。
第9日
空海は奈良時代末期から平安時代初期の激動期に生きた。讃岐の地方豪族佐伯氏に生まれ、奈良に上京して大学に入学するのだが、儒教中心の授業に満足できず、中退してしまう。大学を卒業し、役人になり、出世してもしれていると考えたという説もあるが、むしろ空海の関心事は宇宙の真実や生命の深秘にあり、儒教を学んでも願いは叶わないと判断したためだろう。孔子は死についての弟子の質問に答えず、退けているように、儒教は現世を如何に生きるかのノウハウに留まっているのが、空海には我慢できなかったのかもしれない。スケールが大きい人だった。
 空海は24歳のときの処女作の『三教指帰』で、儒教、道教、仏教の比較論を展開し、仏教がもっとも優れていると説いている。
 その後、31歳で中国に留学するまでの7年間の消息がよく分かっていないが、おそらく、唐から伝わったばかりの密教の『大日経』を熟読するかたわら、四国や紀伊の山々で修行していたのではなかったか。この時期の経験が彼の人生を決定付ける。
 空海は室戸岬の近くの御厨人窟(みくろど)での難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟りが開けた、と語っている。
荷物が重く肩の筋肉が痛いため、石鹸、折り畳み傘、サンダル、ズボン、ベルトを思いきって捨てた。現金の札束も捨てたかったが、思い止まった。荷が少なくなると、身体が楽になるだけでなく、歩く速さも増した。
 人生についても似たようなことが言えるのではないか。究極まで考えると、善く生きるために捨てられないものは、生命、妻、お金くらいのもので、住む家も肩書きも不用ではないかとさえ思えてくる。
 もしかすると、人工知能とロボットの発展で、近い将来生産性が極大化すると、購買の媒介手段であるお金さえ存在意義がなくなる。ほとんどの人の悩みの対象がお金や労働であることを考えると、人間を現代の妄想から解放するために、そのような社会が一刻も早くやってくるのを望む。
 労働から解放された人間は、生き甲斐や安心を得るために、文化、伝統、芸術、スポーツ、そして信仰に向かうことだろう。人類の歴史が新しいステージに一歩踏み出すことになる。そこで活躍する人間は今とはまったく異なる才能を持った者になるに違いない。
第10日
 台風のため、金剛頂寺の宿坊で連泊することになったが、これは弘法大師から与えられた休憩であろう。今日は精気を養っている。白衣、袈裟、そして弘法大師のお姿である金剛杖も同室で静かに休んでいる。
 同様に連泊することになった東京から来た60歳代半ばの女性は山道で転んで腕を負傷し、痛みで一睡もできなかったとこぼす。日ごろからあまり運動していないため、足には肉刺ができたり、筋肉痛もあったりと辛そうである。それでも、通し打ちをするというのだから驚いた。私は直前の1か月で700km歩いて足腰を鍛えているため、さほど苦痛を感じずに歩いているのだが、彼女の方が修行をやっているという複雑な気持ちになった。でも、見ているこちらの心が痛むため、「今回は無理をなさらずに、身体を大切にし、中止するのも大事です。また歩くチャンスはありますから」と言った。彼女にはどのような理由で歩いているのか聞かなかったが、やり抜くという意思は堅そうだったので、私はそれ以上口出しをしなかった。ただ、そこまで頑張る理由を聞いておくべきだったと思ったが、二度と会うことはなかった。
第11日
 台風一過の好天と十分な休養のため、快適な歩き遍路の一日となった。
 27番札所の神峰寺の急坂を登る途中、同じ宿に泊まったことのある台湾人の馬さんと豪州人のアレックスと遭遇した。馬さんとは歩く速さが違うため、二度と会えないと思っていたが、電車とバスを利用しているため、再会することができた。アレックスは京都に住んでいて日本語のできる外国人だが、四国遍路ルートを4回に分けて完歩するという。いわゆる、「区切り打ち」だ。今回は2度目で、土佐の札所をすべて打ちたいそうだ。同じ釜の飯を食べると、心の距離が近くなる。彼らとはふたたびどこかで会えそうな気がする。3度目の握手が待ち遠しい。
 四国にやって来て、初めて太陽を拝むことができた。感謝の気持ちを込めて両手を合わせた。今まで悪い天気が続いたが、今後は晴れが続くに違いない。人生も同じで、悪い時もあるが、いい時もある。人間にできることは、今日を精一杯生きることだ。今の私の任務は歩き、参拝し、食べて、眠ることだ。そう覚悟した。
第12日
地元の人によると、クルマ遍路は8日で終わるが、歩き遍路は40~50日かかるため、贅沢な旅と見なされている。でも、札所で灯明と線香をあげ、般若心経を唱えるだけで気持ちが落ち着き、爽やかな心になるのはじつに得難い経験と思う。また、ほとんど誰とも話すことなく、自然を感じたり、もの思いに耽ったり、南無大師遍照金剛を唱えながら歩くのも貴重な体験だと思う。お金の額ではなく、これこそが得難い贅沢なのだ。
 28番札所の大日寺に来る途中、自称日系2世のアメリカ人の25歳のスコットと少しばかり話しながら歩いた。彼は東京の外資系人材派遣会社で働いていて、何回かに分けてでも、四国お遍路道を完歩したいという。今回は6日間の休みを取って四国にやって来たそうだ。
 彼の宗教は聞かなかったが、時間をかけてスコットは灯明と線香をあげ、般若心経を真剣に唱えていたのには感心させられた。空海と弘法大師と遍照金剛の3つの名前の違いを教えて上げた。さらに、大日如来は宇宙の創造の前から存在する神だと説明すると、「僕の好きなパピィ(子犬)も大日如来が創造したのか」と少しからかい気味に聞くので、そうだと力を込めて答えた。「スコット、君は私の3番目の子どもだ」と言うと、それも悪くないと笑った。次に四国にやって来る時には、ガールフレンドとパピィを一緒に連れて来て欲しいものだ。
お遍路文化は彼のような熱心な外国人によって守られていくのかも知らない。グローバル時代だから、それはそれでいいと私は思う。
 民宿に入ると、今度はアイルランド人の男性と一緒になった。宿泊客は我々二人のため、長いディナートークになった。
 ケレンは旅行が大好きで、今回は3ヶ月間も世界を旅行する予定だと言う。投資運用会社に勤めている。東京、京都、大阪、長崎、広島を経て、四国お遍路にやって来たそうだ。16kgの荷物を軽く持ちながら、毎日30km歩いているタフガイである。お遍路ルートを結願すると、香港、ベトナム、カンボジア、ニュージーランド、南米まで廻るというから、そのバイタリティーには驚かされる。ただし、仕事の鬼が祟って、妻には逃げられたと悲しそうな眼をした。世の中には、色んな価値観を持った人がいるものである。
 余談かもしれないが、彼ら2人にトランプ大統領の評価と北朝鮮情勢について、それぞれ意見を求められたのは、単なる偶然とは言え、気掛かりな印象が残った。極東情勢は日本人が考えている以上に厳しいのかもしれない。
第13日
昨夜泊まった遊庵は快適な民宿だった。こちらに来て、ベッドで寝るのは初めてだったし、客毎にバスタブのお湯を入れ替えてくれるのも嬉しい。
 今まで泊まった宿はどこも心からおもてなしをしてくれたため、またいつかやって来たいと思わせてくれる。これは四国お遍路文化を守りたいという意欲が強いのと、気の遠くなる距離を歩くお遍路に対する敬意から来ていると思う。
 また、外国人の話題になるのだが、彼らは意外なことに気を使っている。昨夜同じ宿に泊まったアイルランド人のケレンは、夕食の時、味噌スープはいつ食べて、お茶はいつ飲むものなのかと、質問してきた。また、台湾人の馬さんは鮎の塩焼きは美味しいと言いながらも、どの部位まで食べていいか計りかねていた。私が頭を食べずに、残すと、彼も同じようにしていた。
 30番札所の観音像の下で、昨日会った日系二世のスコットと再会した。彼はホリデーが終わったため、遍路の旅をやめて、東京に帰ると言った。「私には時間がたくさんあるから、好きなことが何でもできる」と言うと、「ラッキーボーイ!」と彼は即答した。「いや違う。ラッキーお父さんと呼びなさい」と言い返した。まだ若いのだから、何度も遍路道を歩くチャンスがあるだろう。いつの日か今日のように晴れた空の下でまた会いたいものだ、ガールフレンドとパピィとともに。
第14日
雲ひとつない晴天の下で快適に歩き、34番と35番札所を打った。1日で3回のお接待を受け、元気をいただき、感謝したのは良かったが、奇妙な日本人に遭遇した。南無大師遍照金剛を唱えながら、快調に歩いていくと、クルマから出てきた女性が声をかけてきて、真言宗では成仏できないと力説した。しばらく歩いていくと、今度は男性が話しかけてきて、真言宗を信じると地獄に落ちると脅してきた。彼らは法華経を唱える信者らしい。今回のお遍路の旅のなかで、唯一の非常に不愉快な人たちだった。
地元の人々は歩きお遍路のために、休憩所を作ってくれたり、一生懸命お接待をしてくれたりしている。私は巨大宗教教団のパワーより地元の個人の熱い思いを大切にし、希望を見出したい。
第15日
早朝宿の近くの36番札所の青龍寺を打ち、次の札所に足早に向かった。今日も30km超の5万数千歩になった。もう少し自重しなければならないと分かっているが、なぜかいつもこうなってしまう。
 青龍寺は空海が密教の正統な後継者として付法された恵果和尚のお寺の名前から名付けられている。読み方は両方とも「せいりゅうじ」ではなく、「しょうりゅうじ」だと住職に教わった。世間では間違った読み方が流布しているため、少し憤慨していた。余談だが、朝青龍関も参拝したことがあるらしい。
空海と恵果和尚との出会いも面白い。空海の命懸けの渡唐の目的は本場の密教を学ぶことであった。そうであれば、長安に到着後、すぐに青龍寺に駆けつけてもおかしくはないが、空海はそうしなかった。空海は大陸に行く前から中国語を通訳並みに話せたし、世界の文化都市長安の文化人も絶賛するほど詩のレベルも高かった。文化人との交流を通して、遠い東の島からやってきた空海の評判は上昇していったと考えられる。それが恵果和尚の耳に入るのを待っていたのではないか。数か月後、恵果和尚に拝謁するやいなや、「ワシはお前が来るのを長く心待ちにしていたのだ。すぐに、密教の勉学に励むがよい。ワシの命も長くないのだから」と言われたと、空海は自ら語っている。その後、空海は1年足らずして灌頂を受け、密教の正統な後継者として指名されるのだが、話は出来過ぎの嫌いがないわけではない。
空海は留学生として20年中国で勉学に励むことになっていたのだが、わずか2年余りで日本からやってきた遣唐使の船に乗って帰国する。これは朝廷の命令に背く重大な罪だった。空海は大宰府に逗留し、自分が早々に帰国した理由の手紙を書いた。「私は密教の継承者である恵果和尚から正統な後継者に指名され、すぐに母国に戻り、密教を広めるがよいと和尚から言われました」と書きながら、持参した膨大な経典と様々な法具のリストを付けた。朝廷は空海の処分に悩んだ末、ついに上京を許した。密教を国の統治思想として取り入れようとしていた朝廷にとって、空海は本物かどうか判断したと見られる。
 さらに時代は下り、空海は文化や風流が好きな嵯峨天皇から寵愛され、京都の東寺の菅長に任命されたり、高野山を下賜され密教修行の道場を切り開いたりして、順調に人々を救うという夢を実現していく。空海は真言密教の開拓者という意味では緻密な理論家だが、同時に恵果和尚や嵯峨天皇のような偉い人や権力者との付き合い方もまさに天才的であると思う。相手の懐にすっと入って行く能力は尋常ではない。凄い人だ。
今日の民宿に泊まっている外国人は72歳のカナダ人女性。日本大好き人間で、四国歩き遍路道は3周目だそうだ。すべてのコースを歩くわけではなく、美しい風景の道や気に入ったところを歩き、それ以外は電車やバスを使って移動するという。こういう合理的な発想をするお遍路もいる。また、日本料理は美味しい、風景は美しい、日本人は親切と褒めちぎる。ただし、「マムシだけは嫌い」と大げさなジェスチャーをしながらいう。先に逝ってしまった夫と息子の供養のためにお遍路しているという。合掌。
第16日
今日は還暦プラス1歳の誕生日だった。新しい人生の1日が始まる。
朝食の時、マーガレットが一人でハッピィバースディの歌を歌ってくれて、体の芯がジンときた。どんなケーキよりも嬉しいプレゼントになった。気遣いに感謝した。
遍路道中は、不思議なことが起きる。左右どちらに行こうかと迷っていると、誰かがクルマでやって来て正しい道を教えてくれる。間違った道を歩いていると、誰かが追いかけてきて、修正してくれる。トイレに行きたくて、漏れそう、もうダメだと、思っていると、トイレに遭遇する。休みたいときには、休憩所が向こうからやってくる。お大師様に護られているのでしょう、きっと。
 四国お遍路とサンティアゴ巡礼の比較。四国お遍路道は1200kmでしかも急峻な坂が多いのに対して、サンティアゴ巡礼は800kmで比較的なだらかな高原を歩く。アバウトな推計だが、四国お遍路道を歩く人々は年間3千人で、サンティアゴ巡礼は年間30万人のため100倍の差。日本人はサンティアゴ巡礼に年間2千人行っていて増加傾向にあるため、数年で逆転する。
 サンティアゴ巡礼に行く日本人は人生をリセットしたい人たちやカップルや日本社会に馴染めない人が目立つ。一方、四国歩きお遍路は定年退職者、つまり高齢者を多く見かける。
 両者のルートともに、魅力満載だ。四国お遍路道は深い山、渓流、山里、田園など多様な地帯を歩くが、車道も多く、クルマの通行が気になる。サンティアゴ巡礼はほとんどが自然の道を歩くが、比較すると自然の多様性に欠けるところがある。多くの自然愛好家が歩きの楽しみを享受しつつ、伝統文化を守ることを心から願う。
 山川草木悉皆成仏。人間だけでなく、草木さえ成仏するのだ。真言密教は山岳宗教で、自然崇拝の宗教でもある。
第17日
今日は台風のため歩かず、昼寝をしたり、お世話になった民宿の女将さんやご主人にお礼の絵葉書を描いたりして過ごした。肉体的にも、精神的にも、いい休養になった。1週間に1度くらい台風がやって来るのも悪くないかも。
 最近、雨に降られてもあまり不快に感じなくなった。人間や動物は雨を嫌うが、草木や作物は自然の恵みだと非常に喜んでいるのが分かる。生き生きしている。
ある宿のご主人が言っていたのだが、外国人はほとんど日本語が話せないけど、まったく手がかからないと感心していた。四国お遍路にやって来る外国人は教養があり、礼儀正しく、明確な目的意識を持っている人が多いのだろう。話していて、清清しい人たちばかりだ。彼らからすると、英語が通じず、道路標識は不親切で、ATMは少なく、宿やレストランにWiFiがないところが多いのだから、不便で仕方ないだろう。おそらく、世界中を歩き廻っている強者が多いのだろう。地球上どこでも生きていけそうだ。
 東芝、日産、神戸製鋼所など有名企業の不正が相次いでいる。知識偏重や偏差値教育の弊害だろうか。部長や役員の候補者に、四国遍路道を2か月かけて歩かせたら如何だろうか。企業の社会的使命や自分の生きる使命を真剣に考え、自然や自分や神々と向き合うことで、人間力を鍛えてもらいたいと思う。利益や出世追求のためだけの競争はやめてもらいたい。日本人はまだそんなに劣化していないはずだ。エリート達の再起を願う。
第18日
穏やかな秋空の下で、伊与本川沿いに快調に下り、陽光の眩しい土佐湾を眺めながら、ひたすら歩いた。
 37番札所の岩本寺から次の札所の金剛福寺までは80km以上もあるため、今日は参拝もなく、ただ歩き続けた。でも、飽きもせず、退屈もしないのだから、自然の中を歩くことは私に合っているに違いない。
 大学生から定年退職までの40年あまり空気が悪く、ストレスが多い東京生活でよく大きい病気に罹患しなかったと思う。自分は好運だったが、病に倒れて逝った同僚らのことを思い出す。
 大都会で頑張っている方々に四国のお遍路道からエールを送りたい。くれぐれも健康に留意して、有意義な時間を過ごして下さい。病気をしても会社は救ってはくれません。私は明日もみなさんが働いている8時間ひたすら自然の恵みを感じなから歩くのだ。
第19日
今日は歩きお遍路7人を見かけた。そのうち3人は再会者だった。8日振りに会った京都に住む豪州人のアレックス、台風21号で足留めされた時に会った日本人2人とも再会を果たし、心がぐっと近くなった。
 初対面のドイツ人の若い男性のミルクルは1年の休暇を利用して、お遍路道を歩いているようだ。彼とも再会できれば、色んなことを話してみたい。
 西洋人の目には、日本の風景は実に美しく写っていると思う。山の緑は非常に多彩であるし、紅葉も色とりどりだ。川の水は澄み切っているし、小鳥はさえずり、虫は鳴き、風は静かに舞う。ユートピアそのものである。
 でも、日本人はそれに気がつかず、都会に出て、稼ぐことばかり考える。お金やモノが威張っている時代は終ろうとしているのに。自然、絆、信仰、文化、芸術など目には見えないものが再評価される時がやってきていると思う。
第20日
昨夜の民宿は私一人だったため、女将さんと家族、仕事、外国人客のことなど話し込んだ。楽しい一時だった。土佐湾の波の音を聴きながら寝て、波の音に起こされた。なんとも贅沢な夜だった。自然は称賛されれば歓喜の声を上げる。万物は相互にその自己のなかに一切の他者を含み、取りつくし、相互に無限に関係しあい、円融無碍に旋回しあっている。一個の塵に全宇宙が宿る。人間の心のなかに全宇宙がある。
 38番札所の金剛福寺まで距離が長いため2日半もかかった。でも、次の札所に向けて戻るという打戻りのため、12人もの多くの歩きお遍路に会った。そのうち、知りあいは5人もいた。会話が弾む。外国人は4人で、3人は女性だった。女性は元気がいい。
 前方からゆっくりやってきた若いフランス人女性の自転車お遍路に、Looking good.(頑張っているね)と呼びかけると、明るい笑い声が後ろからかえってきた。すれ違い際の簡単なやりとりがお互いを元気にしてくれる。
 20歳代と思われる長髪のカナダ人女性は重い荷物を背負いながらも一人でキャンプしながら、通し打ちをするそうだ。今夜は近くのサーファーに人気のビーチの砂浜にテントを張るという。日本は安全な国だから野外で寝ても大丈夫だと話す。ビーチへの近道を教えて上げた。この美しい国土とすばらしい文化を充分満喫してもらいたいものだ。
第21日
早朝宿を出てすぐにカナダ人女性のマーガレットに遭遇した。5日振りの再会だ。元気に歩くには、「ローソンでエナジーフードとガソリンを買う必要があるよね」などと他愛のない冗談を言い合って、大笑いした。最後に、お互いの写真を撮り合い、旅の安全と再会を期して別れた。カメラを向けたときの親指を立てたポーズが決まっている。彼女は人生の達人だとつくづく思う。でも、胸騒ぎの通り、これが最後の出会いとなったのは残念だった。
 昼食のために入ったレストランで今度はアイルランド人のケレンと会った。3回目の面会だ。10kmほどダベリながら歩いた。サンティアゴ巡礼の際に南京虫に刺されて苦労した話をすると、その対策方法を熱心に教えてくれた。スペインの田舎だけでなく、ヨーロッパにはどこでも南京虫がいるという。私が「次回は桜の咲く季節に、ガールフレンドと一緒に日本に来て欲しい。桜の花の下で、酒を一緒に飲みたいものだ」というと、彼はニッコリほほ笑んだ。
西洋人は初対面の相手でも、プライバシィに関することを口にする。離婚や子供の死など辛い経験を話すことがある。隠さずオープンにできるところに精神的強さを感じる。辛い経験を口に出して、自ら客観視すると同時に、お互いにいたわりあって、明るい未来に向けて強く生きていく。日本人は辛さを恥と捉えたり、内に込める傾向にあるが、このような西洋文化は学ぶ必要があると思う。自殺数を減少させるためには、悩みを話す機会を作ったり、オープンな文化を醸成したりする必要があるのではないか。心の強さと信頼関係が鍵となる。その基盤は人間と神仏との絆ではないだろうか。
第22日
昨日で、3週間かけてお遍路ルートの半分を終えた。600kmの道のりを歩き、四国を半周したことになる。人生は後半が面白いように、お遍路道もこれからが楽しいと思う。
 お遍路経済学。
年間の歩きお遍路は3000人くらいだから、現在ルートを歩いているお遍路はおよそ300から400人くらいだろう。これらの人々がお遍路道上の民宿の経営を支えているのだ。民宿のご主人や女将さんの高齢化は進み、後継者が現れるか懸念される。宿が少なくなれば、歩きお遍路は減り、お遍路が減れば宿がさらに少なくなってくる。際どい地点にあるように見受けられる。一方で、数年経てば、団塊の世代が歩けなくなるから、その穴を埋めるのは外国人になる。今や、お遍路の文化も経済も外国人頼りになりつつあるのだ。
 愛南町の子供たちが牛鬼を曳いて、昼食で休んでいた私のところにやってきて、厄除けをやってくれた。思わず嬉しくなった。明日も頑張らなくてはならない。
第23日
昨日、40番札所の勧自在寺を打ったが、次の札所まで長いため今日は歩くだけ。
出発すると、逆打ちの半ズボン姿の男性と遭遇した。逆打ちはベテランが多く、恰好が決まり雰囲気も違う。もう悟りましたかと聞くと、彼はまんざらでもない表情を浮かべた。笑顔が素敵で、余裕を感じさせる。
我々退職者はGNPを増やすことはできないが、文化や芸術など精神的な面で社会に貢献していく役割を担っていると意見が一致した。
 私達夫婦の趣味は自然の中を歩くことと複数の外国人に言うと、オランダから南仏のニースまでヨーロッパを縦断する2000km超のルートGR5を紹介してくれた。さっそく、妻にメールすると、面白いとの返事がきた。私達夫婦は歩きバカだ。
 現世には、多くの宝が蔵されている。その宝は無限であり、無尽である。それを一生涯、人間が掘り尽くし、なめ尽くしても、その宝は尽きることはない。空海の教えである。
地球上を歩き尽くしたい。
第24日
昨夜の旅館では、新居浜の70歳代の夫婦と談笑しながら夕飯を採った。4年かけて88か所を打ち終わる予定だと言う。記念に安全祈願の瓢箪のお守りをいただいたので、お返しに金剛福寺の葉書大の水彩画をあげたら、大変喜ばれた。絵も文もあまり上手くない方が気持ちをうまく表現できるのではないかと勝手に思った。
 逆打ちの先達に出会った。姿格好が決まっている。先達になるには、4周の参拝とどこかのお寺の推薦と筆記試験講習が必要だという。でも、先達を専門にして食べていくのは大変だそうだ。どこの世界でも好きなことを仕事にするのは難しい。
 今夜の宿は3人だったが、道中道に迷いそうになると、必ず地元の人が表れて、助けてくれるという話をすると、みんな似たような経験があると言い出す。お大師さんのおかげだと言い合った。
第25日
今日、神主でありかつ修験者と自称する人に会った。法螺貝やシュラフなど20kgの荷物を担ぎ上げ、無料の善根宿などに泊まりながら修行の日々を送っている。古希には見えない鍛え上げられたがっしりした体格と足取りだ。42歳のとき、88番札所の大窪寺の大師堂で弘法大師のお姿を見たと証言する。その後も、何回かお大師さまの声を聞いたことがあるそうだ。その修験者によると、お大師様に会いたいという強い意志がありさえすれば、会うことができると言うが、果して私にはご対面する機会がやって来るだろうか。
 鈴木保奈美と織田裕二主演のTVドラマ「東京ラブストーリー」の撮影現場の大洲神社の近くの温泉センターで、足湯に入っていると、地元のおじさんが声をかけてきて、会話を始めたのだが、いつの間にか、ベンチの上で気持ちよさそうに寝入ってしまった。このようなおじさんは決してお遍路を通し打ちすることも、人を押し退けて出世したり、金持ちになったりしないだろう。でも、本当にしあわせそうな顔をしている。歩きお遍路の安全を見守っているお地蔵さんの顔に、あのおじさんもなんだか似たような顔をしていた。
第26日
今日は参拝する札所もなく、深まりゆく自然を堪能しながら歩いた。
途上の内子町には大正時代の街並みが保存されている。その中の内子座では演劇などが現在でも上演されている。保存活動に熱心な地元の人達に敬意を表したい。
 同宿の外国人は1週間ほど前に出会ったドイツ人の若者のミルクルだった。身長が204cmもあるため、日本の家屋の中を歩くとき、いつも背中を丸めていたのが可愛らしかった。1年間の休暇を十分エンジョイしているようでなりよりだ。彼もアニメなど日本大好き人間の一人だ。もう一人の宿泊客の千葉出身の63歳の日本人は孫と遊ぶよりも山登りが好きな女性で、女を感じさせないボーイッシュな顔をしている。今回は5回目の区切り打ちという。宿は86歳で10回通し打ちした知り合いの僧侶の助言に従ってすべて予約してきたという。せいぜい明後日の宿しか予約しない私とは随分態度が異なると思った。僧侶は10回目で打ち止めしたそうだ。女性にお遍路文化を引き継ぐつもりなのに違いないと思った。山寺はスピチュアリティを感じるよねと、同意を求めるように話しかけると、「私は鈍感だから、そんなの分からないの」と平然とその女性は正直に答えた。
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願も尽きん」
これは空海の晩年の言葉だ。空海は24歳で悟り、61歳で入滅した。私は61歳になったが、まだ悟りにも達していない。まだ、やりたいことがあるので死ぬわけにはいかない。どだい、空海と比較するほうがどうにかしているかもしれないが。
第27日
9回目のお接待を地元の女性から受けた時、彼女は私を弘法大師に見立てて、頭を下げ、南無大師遍照金剛と唱えた。そうだったのだ。私が悟りを開いていようが、いまいに関係なく、地元の人達にとって私は弘法大師の分身なのだ。私は弘法大師のように振る舞わなければならないのだ。恥ずかしがってはいけないし、傲慢であってもいけない。歩き遍路は1200年間の歴史の重みを背負って歩かなければならないのだ。そんなことに改めて気づかされた。
前方から外国人が歩いてきたので、どこから来たのかと英語で聞くと、フランスだと返ってきた。「君はどこから来たの? 四国なのか?」と聞き返してきたので、「九州だ」と私は答え、今夜はどこに泊まるのかとこちらから質問した。「野宿!」と元気のいい日本語が響き渡る。私は「トレビアン」とフランス語で言い返すと、彼は「メルシーボク」と言った。「明日また会おう」と言い合って、別れた。1分足らずのすれ違い際の会話だったが、元気になった。美しい自然のなかで、歩き遍路の心は十分通じているのだ。
本堂まで20分も急坂を登らないとたどり着けない45番札所の岩屋寺の前で、12人の西欧人観光客の一人にお寺の感想を聞くと、パーフェクトと言って親指を立てた。私にもこの札所は最も印象深いお寺の一つとなった。今日は7万歩以上も歩き相当疲れ、周囲も暗くなりかけていたが、その価値は十分あったと思う。
第28日
四国お遍路は今日で4週間となり、あと2週間。歩くこと、参拝すること、お大師さんに成り切ること、美しい自然を愛でること、宇宙の気息を感じ一体となること、自省すること、歩きお遍路と交流すること、写真を撮ること、日記を書くこと、絵を描くこと、会計を付けること、交通事故に合わないこと。これらを満足のいくレベルで、バランスよく行うことは容易ではない。これこそ実際的修行である。
 丹波の里で、歩きお遍路4人が6人の村人に1週間に1回の村を挙げての接待を受けた。手作りのお菓子やコーヒーやミカンなどをいただきながら、疲れを取ることができた。お接待の場はマムシの話で盛り上がった。マムシに咬まれて、命を落としたバスガイドの話などを聞かされた。今まで蛇には5回遭遇しているが、早く冬眠して欲しいものだと思った。30分くらい談笑したところで頃合いと思い、次の札所へと向かった。
なお、今日は46番と47番を打ち、明日は松山市内に足を踏み入れる。
第29日
今日は4つの札所を打ったが、20kmくらいしか歩かなく時間は十分あるため、いつも以上に丁寧に般若心経を読経し、清々しい気持ちになった。余裕があるのはいいことだ。
 50番札所の近くの道でモニカという63歳のスイス人女性と会った。フランス語の元高校教師だという。少しおしゃべりをした後で、彼女の大きい赤いスカーフが似合っていたので、一緒に写真に収まり、再会を約束して別れた。彼女とは四国お遍路道とサンティアゴ巡礼の愛好家で、定年退職新人という共通点を有する。彼女とは気が合いそうだ。
宗教ではなく、科学の話。
この宇宙は137憶年前のビッグバンによって出現し、その後、物資的進化を経て、生命が大宇宙のどこかで生まれ、その生命はエントロピー増大の法則に抗して、複雑な生物体を生み出し、ついに知能を持つ人間を作り出した。そして、人間は神を創造した。
 私は小学校2年生の時、疑問に思った。なぜ、この宇宙は存在するのだろうか。なぜ、物資の進化は生物体を作り出し、人間までたどり着いたのだろうか。なぜ、人間は神を生み出したのだろうか。
どのようにして、宇宙が誕生し、生物体や人間を創造するに至ったかという疑問に未来の科学は答えてくれるかもしれない。しかし、なぜという問いかけに果して答えられる日が来るのだろうか。この宇宙が誕生しなければ、人間の楽しみも、哀しみもなかった。この宇宙はいったいどんな意味合いを持って、今ここにあるのだろうか。ビッグバンがなければ、創造主は存在しない。もし、ビッグバンの前に神が存在したとしたら、何も存在しない中でのその神の役割はいったい何なのだろうか。人間が神を創造するに至ったのは、神がこの宇宙を創造したことを人間に認識させるためなのか。
最近の最先端技術の発展は疑問を膨らませている。人間の知能を上回る人工知能が開発されるシンギュラリティがやってくると予想されている2045年以降は、物質→生命→人間と進んで来た進化のプロセスは、人工知能に代替され、それ以降、進化の主役は人工知能がもっと進んだ人工知能を生産していくように人工知能が担うようになるのだろうか。人間にとって人間の存在は有意義かもしれないが、宇宙進化の観点で見れば、進化を終えたシーラカンスのような特異な生物種として人工知能によって保護されていくのだろうか。
 還暦を過ぎた少年の疑問点はまだ解決していない。私は疑問を抱いたまま死んでしまうのだろうか。時間は長くない。空海のような大天才科学者の出現を切に願っている。
第30日
山々の生気や寺院の霊気に包まれ、気持ち良く歩いていても、市街地に入ると、それらが消えてしまい、精神的疲労だけが残る。徳島市、高知市、松山市の市街地を歩いてきたが、やはり大きな街は歩行に向いていないと思う。
 密教は自然中心の思想である。釈迦の仏教は人間中心の思想であるが、密教は自然中心の仏教である。人間だけでなく、草木さえ救われないとだめなのだ。
 四国遍路道中、食欲はもりもりだが、性欲は減退気味だ。聖地だから、当然のように考えられるが、空海は『理趣経』の中で、「煩悩も菩薩の位であり、性欲も菩薩の位である」と性欲を肯定的に捉えている。ほとんどの宗教では、性欲を否定的に捉えていたのとは際立っている。人間の本来の姿をありのまま受けいれようとする姿勢が貫かれている。ただ、密教はインドで性欲を肯定するあまり、極端に左道化し、男女の交わりや獣姦の姿が盛んに彫刻に彫られるようになる。性欲は強烈な欲望であるため、その正しい捉え方や制御に人間は手を焼いてきたのだろう。
太平洋を臨む土佐の海、島々が美しい伊予の海と違って瀬戸内海の風景は対岸も見え、穏やかだ。修行者にも安らぎが訪れる。お大師さまに感謝したい。
第31日
今日は今治市内の札所を54から58番まで打った。55番の南光坊は観光客が多く、納経所で列に並んだ。ご朱印を押している係の人は参拝者一人ひとりとおしゃべりをしていた。私の番がやって来た。
「東京から来ましたね」中年の男は自信ありげに言った。
「いや、九州から来ました。でも、3月まで東京に長く住んでいましたが」彼は残念そうな表情を浮かべた。
「そうでしょう、やはり。関西ではないと思いました。長くこのような仕事をやっていると、分かるものです」彼は上機嫌になった。
「歩きお遍路の旅は時間がたっぷりある退職者に合ってますね。準備に3か月かかり、一周するのに1か月半もかかるのですから、時間つぶしに好都合です」私は彼のおしゃべりにうんざりし、思っていることと違うことを口にした。
「時間つぶしね・・・。また、時間をかけて歩いて来てください」おしゃべりな男は言い淀んだ。
 ルートの途中、四国遍路無縁墓地という立派な石碑を目撃した。歩きお遍路の旅に出て、そのまま命を落とした信者は少なくない。暗い山道ですり減った墓標を何度も目にしたのだが、直視することは難しい。現代はずっと安全とは言え、一人で歩く遍路道で何らかの事故に遭遇し行き倒れにならないとも限らない。自分の心の胸騒ぎから判断すると、どうもここで倒れても本望という覚悟はまだできていない。
私は今、58番札所の仙遊寺の宿坊に泊まっている。オーストリアの女性モニカと千葉の63歳の女性と再会することができ、話題の花が開いた。ありきたりのことでも、楽しいものだ。彼女らには、記念として私の初心者の絵葉書をプレゼントし、大変喜んでもらった。
 今回の旅行でつくづく感じるのは、女性との会話のほうが楽しいということだ。男性のリピーターからはルートや宿に関する貴重な情報をいただき、ありがたいのだが、それだけで終わってしまう。でも、女性は細かい気遣いをしてくれたりして、気分がずいぶん落ち着く。誤解されるかもしれないが、私は女性のほうが命や自然に対する感受性が豊かで完成度が高く、神に近い存在と秘かに思っている。さらに言えば、女性の友だち(ガールフレンドではない)を多く持っている男性ほど幸せな人生を送れると確信している。
第32日
昨夜泊まった仙遊寺の宿坊では、四国で初めて精進料理を味わうことができた。お遍路に人気のある理由も分かった。
 今朝のお勤め時の住職の話は面白かった。世界遺産申請の言い出しっぺは自分だと自ら言う。本音をズバズバ気持ちよく話す住職だった。
「何度も歩いてやって来る人やはるばる海外から来る外国人は気が狂っているのではないか。僧侶は表では精進料理を食べているが、裏ではシシナベを食べている。煩悩は消せない。断食の修行をやると、25kgも痩せるが、悟りを開ける訳ではない。比叡山で千日回峰行をやったが、特に何も変わらない。僧侶になっているのは、落ちこぼればかり。京大卒で司法試験に合格した若者が弟子にしてくれと言ってきたが、ああいいよと言って放ったらかしにしていたら、何も教えてくれないと不満を言って、山から降りていった。大事なことは自ら学ぶべきではないのか。頭がいいのだから当然だろう。自分の生きる道は自分で考えないといけない。みなさんは一日一生の思いで、精一杯生きていって欲しいと思う。また、巡り会う機会があれば、嬉しい」
 住職のお話はまさに空海の教えを分かりやすく説明している、と私は勝手に合点した。この旅で即身成仏に近づきたいと思っていた自分が浅はかで、非常に恥ずかしくなった。
第33日
ハイキングは雨天時には中止になるが、歩きお遍路はよほどの荒天でない限り実行する運命にある。修行でもあるからだ。雨天は自然の恵みである。冷たい雨のなか、標高745mの60番札所の横峰寺に登山し、下山した後64番まで打った。
 ブラジル人のガルシアに今日だけでも4回も出会った。彼は英語が流暢でないため、英語とスペイン語とジェスチャーのチャンポンで意志疎通を図ることになったが、どうにか通じた。私のスペイン語は意外に通じるではないかと一瞬思ったが、コミュニケーションに占める言語の割合は3割に過ぎないのだから、彼のジャスチャーや表情が国際レベルにあると考えるのが自然だと思い直した。サンティアゴ巡礼を始めとして、イタリアや中南米の巡礼道や山々を歩いているとガルシアはいう。四国お遍路道では、無料や安宿に投宿している。個人宅にも7回も泊まらせてもらったそうだ。携帯電話も持たず、ネットにもアクセスせず旅行しているのだから、相当ワイルドである。当初、私よりずいぶん若いと思ったが、来年2月初孫ができると聞き、似たような状況にあると分かり、スペイン語で「ジョ・タンビェン(私も同じ)」と言いながら固い握手を交わした。
旅行中描いた繁多寺の山門の絵をプレゼントすると、代わりにブラジル国旗をあしらったペンダントをくれた。彼は行き当たりばったりの旅行をしているが、安全を祈願せざるを得ない。なお、彼の経本はボロボロになるほど使い古されていた。
 オーストリアのモニカと千葉県の女性と再会を果し、3人で笑顔で写真に収まった。
第34日
昨夜、義母から歓びの電話があった。一昨日前に送った天皇皇后両陛下も愛用されたものと同じ漆のティーカップに対するお礼の電話だった。親孝行は親が生きているうちにすべきなのだとつくづく思う。また、人を楽しませることが最大の楽しみでもある。こんな小学生でも知っていることを再認識することがお遍路で得る大切な教訓なのだ。
 大切なことは誰しも知っているが、それを実行するのは意外に容易でない。人間には我欲があるからだろうか。心の底からその意義を理解していないと、行動に移せない。
 幸福に生きるには有名大学に受かる必要も、お金持ちになる必要もない。人生に大切ないくつかの簡単なことを実行するだけでいいのだ。誠実に生きること、自然や人に感謝すること、精進・努力すること、我欲を張らず自然態でいることなどだ。これが真の賢明さである。そのためにいつも心を清浄にし、アンテナを鋭敏にしておかねばならない。
第35日
 三角寺境内の季節外れの桜の花は心を和ませ、元気を与えてくれた。
「菩薩の道場」と呼ばれる伊予の国の最後の札所の三角寺を打ち、穏やかな瀬戸内海を眺めながら、快適な山道の散歩を楽しんだ。
 明日は歩きお遍路道の最大の難所と言われる標高910mの雲辺寺まで登る。宿の89歳のご主人は夕食後、道に迷わないように懇切丁寧に講義してくれた。頭はシャープで気配りは細部まで行き渡っている。お遍路に人気のある御主人に違いない。四国お遍路文化が生んだ弘法大師の一つの化身だと思った。70歳代の女性は20年前に亡くなったご主人の供養のために、2か月かけて歩き通すのだと語っていた。私も明日はやるぞと、俄然ヤル気と勇気が湧いてきた。
時間は午後2時頃のチェックイン後に遡るが、私が自室で絵手紙を描いているとき、89歳のご主人が用事があって入ってきたときの二人だけの会話。
「ほう、絵を描いているのですか」とご主人。
「習い立てで余りうまくないのですが、疲れていても絵を描きたくなるときがあるんです」と私が応じる。
「歩きお遍路には絵を描く人が多いね。それに、旅行記を書いて送って寄こす人も多い」
「それ、私にも分かるような気がします。毎日自然の中を歩いていると感性が鋭くなり、無性にそれを表現したくなるんです。不思議なことに」
「それがお遍路文化の面白いところなんだろうね。何回も来たくなる」
 私は深く頷いた。
 我々歩きお遍路はプレーヤーであるが、色々な人々に支えられて、歩きお遍路の伝統と文化が長く引き継がれているのだ。各人が役割を担ってプロジェクトが成り立っている。上下関係はない。私もいつの日かプレーヤーから支える側にいるかもしれない。
 明日は一歩一歩大地を踏みしめるように歩きたい。
第36日
四国お遍路道最高峰の雲辺寺登山は予想外に楽勝だった。天気もよく、展望台からは剣山、瀬戸内海、高松市が眺望できた。ルート最高の景色を楽しんだ。
 オーストリアのモニカ、ブラジルのガルシア、千葉の女性の4人が一緒に歩いた楽しい1日となった。千葉の女性が予定していた区切り打ちを終了し帰京するため、モニカと私の3人で最後の晩餐を楽しんだ。我々はこの1週間何度も顔を合わせたが、もう2度と3人が一緒に顔を合わせることはないだろう。会ったり、別れたりは人生の縮図である。彼女らはハグし合ったが、湿り気なしのお別れとなった。千葉の女性は今度来る時には英語を勉強して来ると約束していたが、さて実現するだろうか。健闘を祈りたい。
 66番の雲辺寺から讃岐の国の「涅槃の道場」が始まる。ゴールが見えてくるなかで、悟りの境地に達する予感が余りしないのは困ったものである。でも、快適なお遍路旅は毎日続いている。
 競争が激しく、思い通りに事が進まない現役世代は大変と思う。我々退職者は理想像を正面から語られる。資本主義というシステムの恩恵を受けながらも、それを批判することができる。システムに支配されながらも、一方で株などを所有しそれを支えている。システムは人々の絆を分断し、差別化し、個々人を孤独にしている。人間は近代の入口で神を殺して、世界の頂点に達したが、いつの間にか資本が人間を支配している。そういう意味では、人間性を回復するために、時としてシステムという厚い壁に生卵を投げつける勇気も必要だろう。
 かと言って、システムに抵抗するために、テロリズムが許される訳ではない。パリ、ロンドン、バルセロナでテロリズムが起これば、そこに出かけて行き、被害者に黙祷を捧げ、現地の人々と連携する必要がある。暴力はけっして許されない。加害者に抵抗するために、祈り続けよう。祈りの力を信じよう。そこからスタートしよう。祈りの力なくして、四国お遍路も未来への希望も生まれない。
第37日
「涅槃の道場」の讃岐の国に入ると、1日に打つ札所が急に増える。今日は70番から75番の善通寺まで打った。善通寺は空海が生まれたとされている寺院で、規模が非常に大きい。
 オーストリアとスイスの二人のモニカと善通寺の宿坊で再び顔を合わせた。ブラジルのガルシアは夜遅くなって同じ寺院の宿坊にやって来た。ガルシアの考え方をよく理解する私がフロントとの間に入って、無料の善根宿に泊まれるように調整した。今夜の善根宿の宿泊客に女性がいないため、ガルシアは泊まれると、フロントの女性は小さな声で私に伝えたが、ガルシアには通訳しなかった。ガルシアは神に守られているかのように、運が強い男なのだ。
 それにしても、四国に入って5週間が過ぎ、坊主頭の髪の毛はすっかり伸び、夜明けは遅くなり、暗くなる時間は早くなった。季節は移り変わり、気温も低くなった。
地球は確実に回転しているし、宇宙もほんのちょっぴり進化した。私たちは地球の子であり、宇宙の子でもある。宇宙の背後に神の存在を信じるのが唯心論者であり、感じないのが唯物論者であるが、両者の差は余りないのではないのか。そういう風に思えてきた。
 伝統と自然を大切にするのが保守で、進歩や発展を重視するのが革新とされているが、果してどれだけの違いがあるのだろうか。人間の知性は未熟である。宇宙の奥義は解明されるのを待っている。このような見方ができるようになっただけでも、歩きお遍路になった価値は十分あると思う。
最近、歩きお遍路をしている夢を毎日のように見るようになった。昼間と異なり、夜は誰とも会わず何事も起こらず自分がただ歩いているだけだ。それでも、悪い気はしない。歩くだけで十分心は穏やかだ。
第38日
昨日のことだが、大切なことを思い出した。私が早足で歩いていると、男性が自転車で追いかけてきて、お接待といって、自家製のおはぎをくれた。大変美味しかった。田舎の人々はどこでも優しい。住むなら、田舎に限る。
 弥谷寺は約500段の階段の先にある山寺だった。苦労して登れば、有難味が湧いてきた。スピチュアリティを感じるいい寺だった。参道にある俳句茶屋はお遍路達が一句をしたためていく場として有名だそうだ。私も次回来るときには、一句準備してやってきたいと思っている。ゆったりと優雅に生きていきたいものだ。
 スイスとオーストリアの2人のモニカとは善通寺の宿坊でお別れだ。彼らは帰国のフライトに合わせて、もう少しゆっくり歩きたいそうだ。何日も顔を合わせていると、別れが辛くなるが、仕方がない。一期一会が人生の運命でもある。もう会えないと思いながらもサンティアゴ巡礼地か四国お遍路道でまだ会おうと私が言うと、スイス人のモニカが私の心を見透かしていたように、弘法大師にお祈りしさえすれば再会は叶うわよと言った。彼女はいつも勘が鋭い。
一方で、ブラジル人のガルシアの日本人の友人にも巡りあった。私がガルシアの話を正確に理解していればの仮定だが、ガルシアはその日本人とブラジルの巡礼地で会って友人となり、今度はガルシアが四国遍路道を歩くきっかけになったようだった。その日本人は地元でお遍路関係のNPOの事務局長をやっているという。3日後に、お遍路交流サロンで会う約束をした。友達の輪がまた拡がっていく。
第39日
ガルシアは本当に善良な人だ。ボランティアで、身体障害者や高齢者と得意なハングライダーに乗るそうだ。すると、みんな元気になると、顔を輝かせながらスペイン語とジェスチャーを交えながら一生懸命に語る。そのような彼の人柄が顔に表れている。困っているとどうにかしてやりたいと思わせる雰囲気を持っている。だから、彼を自宅に泊める人もいるのだろう。でも、時には軒下で、シュラフにくるまり、ガタガタ震えながら過ごした夜もあったという。でも、楽しそうに話す。
2人のモニカはともに離婚しているが、聡明で、自立心がある女性だった。53歳のモニカはハイキングとカヌーが大好きなアウトドア系の女性で、ボーイフレンドがいるようだが、結婚するかどうか分からないという。今後どこに住むかさえ分からないが、この旅を終えるとまず職場に復帰するそうだ。63歳のモニカは主要なヨーロッパ言語を自由に操り、日本語も勉強して来日した努力家である。おそらく、世界中の美しい道をネットで探り出しては、旅に出るのではなかろうか。チャーミングな二人だった。
 俳句茶屋の主人は、茶屋の歴史は1000年だ、有名人も沢山やって来る、今度は豪州の俳句研究の教授が訪問して来る、と強気の発言を繰り返していたが、やはり昨年伴侶を亡くした寂しさは拭えないようだった。彼もまたお遍路文化を支えるために弱い自分と戦っている。
 今日、冷たい風雨のなか、81から83番まで打った。山寺の紅葉は美しく、良かった。靴下のなかまで完全に冷たくなっても不満はなかった。24歳のフランス人の女の子も同じ感想を洩らしていた。
 下山の途中で、草履を履いて、髭を生やし、野宿しながら逆打ちで歩いている若い仙人と出会った。今回で12周目だ、と控えめに語る。雨で荒れた道は通らない方がいいと、私の予定を変更させてくれた。そのまま当初予定の自然道を歩いていたら、相当難儀していたに違いない。若いけど、腰の低い人だった。振り返ると、もう彼の姿は消えていた。もしかしたら、幻覚だったかもしれない。いや、弘法大師だったに違いない。
第40日
今日、3つの札所を打ち、残りは2つとなった。人生と同じで、終わりは突然やってくる。明日は結願の日だ。
 この旅は、両親、親族、それに定年退職前に惜しくも亡くなった同僚の供養も兼ねていた。その目標は果たしたと思う。
 次にサンティアゴ巡礼の時に外国人から受けた恩返しの意味もあった。これも十分実行できたと思っている。
 最大の目的であった即身成仏はまったく及ばなかった。「千日回峰行や厳しい断食修行を経験した仙遊寺の住職がまだ悟りには達していない」と事も無げに言う姿に感動した。しかし、ステージ4の肺がんを患いながらも、晴れ晴れとした表情で話していたのはやはり凄いと思う。何が本当の真実かをしっかり理解し、覚悟ができている。私だったら狼狽えるだろう。
 一方で、日本人、外国人を問わず、各人の人生の断片にリアルに触れることができたのは予期せぬ収穫だった。みんなとの会話には無駄なおしゃべりがほとんどなかった。聞かれなくても年齢を公開し、お遍路の動機を話した。職業、職歴、学歴、得を話す人は誰もいなかった。お遍路道では、俗世間の価値観は必要ないし、通用もしないのである。ひた向きに生きていることが大事なのだ。人生に上下なんかない。
 空海は、欲望を清浄化し、そのエネルギーで行を行い、大日如来と一体化することで悟りが開けると言った。私流に翻訳すると、狭い自我に閉じこもるのでなく、社会や宇宙の真実と真摯に向き合い、人々の幸福のために、各人の能力を活かし、この世の歓びを限りなく浴びることが最大の幸福であり、神仏から与えられた使命である、ということではないのか。
 そういう意味では、この旅で出会った素晴らしい人達はすでに実行しつつあると思った。お遍路の旅はまもなく終了するが、私の人生の旅はまだ続く。この世の歓びをすべて味わい尽くさないといけない。のんびりと時間が過ぎるのを待っている訳にはいかない。
第41日
最後の88番の大窪寺を打ち、結願した。
もう歩かなくてもいいという安堵の気持ちと、もう歩けなくなるのかという寂しい気持ちが心の中で交錯した。左膝は深夜チクチクと泣き言を言い、踵は割れて痛んでいたので限界が近づいていたのだ。シューズは使いものにならないほどボロボロになっていた。やはり、ここで終えて、待っている妻のところへ帰るのが自然に思えて来た。お大師様もそのように望んでおられるだろう。
サンティアゴ巡礼がこの世のパラダイスとすると、四国お遍路の旅は極楽だったといえる。安らぎと永遠を感じる場が心の故郷というならば、四国お遍路道もまた、私の新しい故郷となった。俗世間で傷ついたらまたここにやってくればいい。世の中には楽しいこともあれば、救いもあるのだ。
 道中の民宿の親爺さんや女将さんには大変お世話になった。お接待していただいた地元の方々にも改めてお礼を言いたい。弱気になっているとき、勇気と元気をいただいたのだった。
88札所の御朱印が押された納経帳はネットで10万円の高値で売ることができるという。でも、それを買ったからといって、極楽に行けるわけではけっしてない。歩き遍路だろうが、クルマ遍路だろうが、札所を訪れ、燈明と線香を上げ、お経を唱えながら、お釈迦様やお大師様に熱心に祈った者が救われるのである。己の心の中の仏性を覚醒させた者だけが極楽への道が用意されるのだ。
 各人が競争をしつつも我欲とも呼べる欲望を追求することで、資本主義体制が成り立つという発想にはやはり馴染めない。各人が欲望を浄化し綺麗にして、協調して生きていく社会のほうが健全だと思う。空海が現在に生きていれば、このように語るのではなかろうか。黒い欲望と透明な欲望の戦いの歴史はこれからも続くだろう。それらを超越するには、宗教と科学の大連合が必要かもしれない。これは未来の人々に委ねたい。
 四国の人々には悪いが、四国の過疎化は予想以上に進行していた。山里では空き家が目立ち、市街地区でも昔ながらの商店街がゴーストタウン化しているところもあった。大手スーパーとコンビニの影響である。これらの地域は寒気を感じ、足早に通過した。でも、多くの地域は温かみを感じ、お接待を受けるのは決まってそのような土地でだった。他人にモノを施す人々の心は健全で、豊かである。歩き遍路は弘法大師の化身と見なされているが、地元の人々の信仰と厚意によって本物の弘法大師に近づいていくのだろうか。
四国遍路文化は1200年の時空を経ても生きているし、四国はまさに修行の場であり、同時に安らかなところだった。桜の花の咲くころまたやって来たい。きっと、桃源郷のように美しいであろう。
南無大師遍照金剛。(了)

NHKの語学番組は良い

 毎年、4月と10月は新鮮な気持ちで迎える。NHKラジオの語学番組シリーズが始まるからだ。今月から聴いているのは、英語、中国語、ドイツ語、スペイン語、フランス語の5つの番組。スペイン語については、さらにテレビの「旅するスペイン語」も視聴している。

 英語は中学生のときから強制的に勉強させられているためそれなりに理解力はある。世界共通語であるから、習得すると世界の人々とのコミュニケーションツールとして活用できる。通じるという喜びは素晴らしいが、難点は英米人は「英語は猿でも話せる」と思っているため、誰も褒めてくれないことだ。

 中国語は数年北京に駐在していたため、通常会話であれば話すことができるし、中国人は日本に対して非常に興味を持ってくれて、大量の質問を投げかけてくる。珍問もあって、面白い。彼らの見方や考え方の一片を知ることができる。

 ドイツ語は大学生のときの第二外国語なのだが、大学卒業以来使ったことがなかった。それでも、スペインのサンティアゴ巡礼のとき、ドイツ人に二言三言のドイツ語を話しただけで、非常に驚かれたのは意外だった。誇り高きゲルマン民族は、世界の人々が英語にばかり興味を持ちドイツ語を無視しているのが気に入らないのだろう。コンプレックスを感じた。
 若頃学んだことは単語や表現は頭の底にずっと残っているもので、それを再び採掘し、思い出せば、意外に早く上達するかもしれない。そんな期待を胸に、今月からラジオに耳を傾けている。

 スペイン語はお金がないため語学教室に通わず、NHKで1年間視聴し、今年初夏本場のスペインでどれだけ通じるか試してきた。サバイバル程度の能力は身に付けただろうか。さらに勉強し、来年は相手の生活や考え方が理解できるレベルまで通じるようになりたい。

 フランス語は全く新しい言語であり、かつ発音が難しいため、わたしには難物のように思える。でも、フランス語を話せると、フランスだけでなく西アフリカ旅行も気軽になるので、将来投資と思って頑張ろうかと思っている。再来年あたり、フランスの田舎を歩いてみたいものだ。

 継続は力なり。
語学学習の要諦である。夢を抱き、楽しみながら勉強していきたい。

(2017年10月10日、寺岡伸章)
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第19回行橋別府100キロウォーク大会

 今年6~7月、北スペインのサンティアゴ巡礼で妻と800キロの世界遺産の道を33日で歩いた経験が生かされた。4600人が参加した行橋別府100キロウォーク大会で17時間42分の自己新記録で完歩したのだ。順位はまだ確定していないが、300番前後だろうか。国東半島の三つの峠を超す日本一の難コースと言われる大会でのこのタイムに大変満足している。

 昨年の大会は豪雨だったということもあるが、19時間を切ることはできなかった。その時の反省は足腰がまだ長距離歩行用に改造されていないと判断した。要は毎日20~30キロを歩くと言う習慣をつければよいのだ。それも楽しくなければ継続はできない。

 そこで思い当たったのが、サンティアゴ巡礼800キロである。妻ととともに定年退職旅行と称してスペイン語を少し勉強して出かけたのである。現地では毎日23キロ程度歩いたのだが、2週間もすると身体がその距離に慣れ、疲れをまったく感じなくなる。身体の適応能力に驚かされた。継続は力なり。習慣化すると、それまでできなかったことが易々とできるようになるのだ。

 この経験をもとに、9月は強化月間として700キロ歩いた。毎日5時間くらい歩いたことになる。定年退職し、時間がふんだんにあることが幸いした。5日間の休養を経て、10月6日に行橋に乗り込んだのである。

 18時間を切るために、各ポイントの通過予定時刻を設定し、それより遅れないよう気を配った。歩きは予想以上の出来だったと思う。調子が良かったので、トイレ休憩以外は2度併せて15分しか休まなかった。通過予定時刻より常に10分以上余裕があるペースだったのが精神的にプラスに働いたと思う。何から何までが計画通りに進んだため、大成功だった大会となった。

 その原因はやはりサンティアゴ巡礼徒歩の旅だったと思っている。大聖堂に祀られているヤコブ様に感謝である。

 さて、来年の大会では16時間台を狙うことになる。そのための対策は今秋、四国お遍路1100キロを踏破することで、さらに目標を確実にするために、ウォーキングフォームの改善が必要だと思っている。競歩選手によると、フォームを改善すれば、誰でも時速8キロで歩けるようになると言う。さらに、筋トレにも取り組みたい。徒歩は足のみでなく、全身の筋肉を使う運動だからだ。全身を使った方が速く、しかも楽に歩けるのは自明である。

 さて、1年後どのような結果が出るだろうか。予定通りか、それとも思わぬ落とし穴(練習過剰による心身の疲れなど)に陥るだろうか。入念にチェックをしつつ、目標を達成し、充実した人生を送りたいものだ。

(2017年10月9日、寺岡伸章)
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旅行記「北スペイン巡礼徒歩の旅」(その2)

巡礼22日目「1500メートル超のイラゴ峠」
 今日の巡礼は標高900メートルのアストルガから標高1400メートルのフォンセバドンまでの27キロ。でも、以前ほど暑くなく、比較的スムーズな巡礼の旅となった。スペイン南部は40度の猛暑に襲われているなか、ここ北部は別世界のようだ。昨夜宿泊した聖ザビエルというアルベルゲは名前に合わず単なる安宿で宗教性も神聖さもないところだった。そのようなことを期待するのであれば、教会運営のアルベルゲに泊まらなくてはならないのだろう。
 今日は再会が多い楽しい日になった。午前6時に安宿を出ると、1時間ほどで東洋系アメリカ人の若いカップルに追い付いた。相変わらず、女性は次の宿泊場まで宅配サービスを利用するためリュックを担がず歩いている。しばしば会うのは何かの縁だと思い、力士の絵の入ったコースターをいつもエール大学のTシャツを着ているミスター・エールに渡した。
 最近は、涼しいうちは私が先導して歩き、暑くなってくると妻が先に出るというパターンになっている。話し合った訳ではないが、この形が一番快適に歩ける。途中のBarで早い昼食を摂っている台湾人の若い女性二人組に追い付いた。中国語で立ち話をした。すでにFBの友達関係にあり、私の投稿記事を自動翻訳で読んでいて、「いいね」も押してくれている。翻訳は50%くらい理解できると言っていた。文才があると褒めてくれる。日本人だけでなく、海外の人々にも記事が読まれるのは素直に嬉しい。巡礼を追体験してもらいたい。彼女たちはいつか東京に行って、相撲を観戦したいそうだ。劉さんには力士のコースターを、林さんにはバッジを渡した。私たちの歩くペースの方が速いので、もう会えないかもしれない。
 さらに歩いて行くと、同じようなペースで歩いている女性と話す機会に恵まれた。スウェーデンから1人で来ている女性だ。一通りの挨拶話の後で、巡礼にやって来た理由を聞くと、宗教的なものではなく、50才の誕生日の記念だと語った。巡礼の旅は人生に似ている。他の巡礼者と会って、お話しをしたり、一緒に食事をしたりして、友達になり、たとえ別れても、どこかで不思議と再会する。すると、いっそう親密になる。ここではどんな人も平等だ。どこの国の人も、偉い人もそうでない人も、金持ちもそうでない人も、どのような神を信じている人も、無神論者も、若い人も年配者も。みんなお互いに気遣い、励まし合いながら、サンティアゴの大聖堂を目指す。彼女はそう力説する。私が抱いている気持ちとまったく同じだ。タイにも旅行したことがあると言うので、タイの観光地や食べ物の話でさらに盛り上がった。私と同じようにリラックスした人生が好きなようだ。「為すこと」よりも「在ること」が大事。
 サンティアゴ巡礼ルートの最高点1505メートルのイラゴ峠への道のりはピレネー越えに次ぐ厳しさと聞いていたが、案外楽に登った。事前に故郷八代の標高500メートル超の龍峰山に重いリュックを担いで登った事前トレーニングが生かされた。
 宿泊と朝食付きで8ユーロの格安アルベルゲに到着し、ベッドで休んでいると、以前に会った福岡出身のカップルが私たちの上のベッドにやって来た。10日ぶりくらいだろうか。すでにずっと先に行っていて、会えないだろうと思っていたので意外だった。さらに、英国の女性クレアがやって来て、隣のベッドを選択した。3回目の遭遇になる。彼女は非常に社交的で誰にでも話かけて友達の多い人気者だ。オーバージェスチャーが人気の秘密だろうか。私たちには易しい英語で話しかけてくれる。でも、足はテープを巻いていて辛そうだ。痛むかと聞いても、いつも大丈夫だと答える。自分に厳しく、人に優しい。バッジをプレゼントすると、大変好評だった。さっそく、リュックに着けていた。プレゼントした人の気持ちを大切にする人なのだ。
 30人くらいしか泊まれないアルベルゲは満員である。シャワールームは1つしかなく、しかもドアでなくカーテンで仕切られているだけだ。妻には非常に不評だった。それでも、西洋人の女性は大胆だ。シャワールームから出て来たとき、上半身は服を身に付けているが、下半身はパンティーだけという婦人を複数回目撃した。裸を見られることに対する抵抗感が少ないのだろうか。
 天気予報では天気は下り坂傾向になるという。明日雨が降らないよう祈りながら寝ることにしよう。

巡礼23日目「奇跡か偶然か」
 昨夜宿泊したフォンセバドンはパウロ・コエーリョの小説『星の巡礼』で、主人公が犬の姿をした悪魔に襲われて、瀕死の重症を負った場所だ。私は、虫は許せるとしても、イヌにだけは咬まれたくないとひどく警戒していた。西欧人は野良犬だろうが飼い犬だろうが、お構いなしに可愛がっていた。小説を読んでいなかったならば、黒いイヌを見ても、怖がらなかったのかもしれない。
 しかし、アルベルゲの夜はいろんなことが起こった。多くの巡礼者がベッドの寝袋に入った後でも、余り働かないアルベルゲのアルバイトのイケメン男性のギターに合わせて、巡礼者の若者たちが午後11時過ぎまで外で楽しそうに歌っていた。それが終わり静かになると、部屋の中で女性が私でも理解できる英語で寝言を言うのが聞こえた。人は大切なことは易しい表現で語るものなのだろう。
 深夜になると、今度はトイルの方向から女性が携帯電話に向かって、大声で叫ぶ声が聞こえてきた。目が覚めた。「黙れ、それはあなたの家ではない」と何度も女性は怒鳴り散らす。恐らく、財産問題か何か重要な問題で言い争っているのではないのか。電話口の相手も負けずに反論しているようだ。双方相当血が頭に上っているのが手に取るように分かった。なんだか天国の巡礼地から現実に引き戻されたような気分になる。現実はいつも利害が対立し厳しいものだ。
 口論が終わり一度寝入ってしまったのだが、今度は身体のあちこちが虫に刺されて痒くなり、何度も目が覚めた。真っ暗な中、ウェストポーチのなかから手探りで塗り薬を探し出し、患部に擦り込んだ。こんなことを夜中に数度やったため睡眠時間は少なかったのだが、なぜか腹が立たなかった。起きてしまったことに抵抗したり、文句を述べたりしても、事態は改善しない。それらを受け入れ、悪化しないようにするのが賢明なのだ。「為すこと」よりも「在ること」を受け入れ、冷静に解釈し、広い視点で時間の推移を見守るのだ。悪いことは継続しない。いつか好転する。大事なことは待つということだ。そう思って、しばらくして寝入ってしまった。
 早朝起きて分かったことだが、妻も上のベッドで寝ていた二人の日本人も虫に刺されていた。患部が赤く腫れている。虫刺されは日常のことと思ってしまえば、いちいち気にしても仕方がない。もっと重要なことはいくらでもある。
朝になった。昨夜からの祈りが叶ったためか、雨はぱらついたが、降るまでには至らなかった。今までの巡礼で雨が降ったのは初日の2時間だけだ。幸運が続いている。
 私たちは巡礼ルートの最高点1505メートルのイラゴ峠に建っている「鉄の十字架」を目指して歩み出した。霧が出ていて見通しはあまりよくない。途中で数匹の羊に会ったので、珍しいと思い写真を撮った。
 1時間ほどで頂上に到着した。クリスチャンである嫁の実家の両親から預かった小石をここに奉納してきた。「鉄の十字架」は世界中から願いを込められたいろんな石が持ち込まれるためか、小高くなっている。しかも、あたり一面に霊感が漂っている。1人でやってくると、ちょっと怖いだろう。霊場と言えば、高野山の奥の院を思い出すが、そこに行くと、弘法大師と大自然に抱かれたような安心感を覚える。キリスト教の教会は苦悩の表情を浮かべるイエスと悲しみにくれるマリアが天宮から我々を見下ろしている。人間は生まれながらの罪人なのだから、それらを贖罪したイエスに祈れと言われても、心の隅っこで窮屈さを感じるのは私だけだろうか。ヨーロッパが一神教に席巻されるまで、現地の人々は自然を崇拝し、いろいろな土着の神々を信じていたはずである。それらの伝統はいつの間にか消え去っていった。西洋の知識人は、多神教は原始的な段階の未熟な宗教だと低く評価するがそれは正しい態度なのだろうか。むしろ、一神教の方が人間の多様性を否定し、人間性を低めてきたと解釈できないものか。
 鉄の十字架をバックに写真を撮影するとき、突然青空が広がり、太陽が顔を覗かせた。幸運と思った。日本人らしい女性を見かけたので、夫婦二人の写真を撮ってもらった。しかし、後ほど、「私は韓国人です」と言われた。流暢な日本語だった。
 鉄の十字架を後にして山を下り始めると、山裾から霧が舞い上がってきて、一面真っ白になった。頂上が晴れていたのは、私たちが滞在していたほんの10分たらずだった。神からの祝福だったのだろうか、それとも偶然だったのだろうか。いや奇跡かもしれない。
 今日は山道を27キロ歩いたが、長距離歩いたという実感があまりない。疲れないのだ。歩くことが息をすることと同様に日常のことになりつつあるのだろう。習慣に勝る天才はいないのかもしれないと思った。

巡礼24日目「巡礼者定食」
 昨夜の宿はアルベルゲではなく、ホテルに逃げ込んだ。夫婦ともに虫に刺されてひどく痒くなり、服は下着も含めてすべてコインランドリーで洗い、寝袋とリュックはしっかり消毒した。これで虫どもは一網打尽になったはずだ。
 長距離を歩いているため、私はどきどき股擦れになるが、ムヒSを傷口に塗ると、すっきりして、痛みが消えていく。妻は割れ目ちゃんが擦れて、痛むと愚痴をこぼす。お尻も割れ目ちゃんも肉同士が擦れて皮膚の表面が破壊されるのだ。普段やらないことをやると、予想しないことが起こる。でも、日常を打破したり、ブレークスルーを興したりしたいのならば、これくらいのことは克服しなければならない。
 昼食は「巡礼者定食」をそれぞれ注文し、二人でシェアして食べた。一皿目はズッキーニのポタージュとペンネのミートソースかけ。二皿目は豚肉のリブの煮込みと牛肉のカツレツだった。これらにワインか水の飲み物とデザートの選択がついて、1人で11ユーロだ。量的には日本の定食の1.5倍から2倍はあるが、美味しいのでいつもすべて食べてしまう。昼食はこのようにがっちり食べ、夕食と朝食はスーパーマーケットで買った食材で済ます。今朝はミルクパンにサラダとチーズとキャビアを挟んで食べた。減量は巡礼目標のひとつであったが、すでに棄てた。せめて、体重増にならずに帰国したいものだ。
 今日は今にも泣き出しそうな空模様を気にしながら、24キロ先のビジャフランカを目指して急いだ。神々のご加護があったせいか、雨が降る前にアルベルゲに到着した。加えて、紫外線対策のサングラスとアームプロテクターは初めて使わずに済んだ。天に感謝しなければならない。
 今夜のアルベルゲは清潔そうで、今夜は虫に襲われなくて済みそうだ。チェックインのとき歓迎コーヒーを淹れてくれた上に、洗った服は脱水機にかけてくれるなど若夫婦の経営者は優しくもてなしてくれた。妻も機嫌がいい。宿に掲げられた写真を見る限りでは、彼ら夫婦2人でアルベルゲを改築内装し、経営しているようだ。創意工夫の跡が見える内装に彼らのひたむきさと巡礼者に対する愛情が感じられた。いつかまた泊まってみたいアルベルゲの一つである。
 明日は標高差700メートルの登りを30キロ以上歩く予定だ。雨が降らないよう祈るだけ。今まで、物事はすべて予定調和のように進んでいる。

巡礼25日目「神とサタンの戦い」
 善なる神は此の世を創造された際に、何故サタンも造られたのか。キリスト教に疎い私には、この深刻な問題について、神学論争でどのように説明されているか、知る由もない。
 今朝、他人の目覚まし時計の音で午前5時に起床した。雨が屋根を叩きつける音がしている。心を雨モードに切り替えないといけないと自分に言い聞かせた。食堂で朝食を済ませて、雨具を着て、アルベルゲに泊まっていた22名の中で最初に出発した。標高1300メートルを越えるオセブレイロまでの30キロの距離を雨の降るなかを歩くのだ。どんな困難が待ち受けているか分からない。強い気持ちを持たなければならないと自分に言い聞かせた。まだ暗いなか、巡礼路の目印を見落とし、ルートアウトしては引き返しつつも前に進む。明るくなっても雨の止む気配はない。いつものように足の速い巡礼者は後を追って来ない。彼らは雨が止むまで宿で待機しているかもしれない。雨足がひどくならなければよいと思いながら、歩行ペースを維持することに努めた。今までの旅で荒天にならなかった分、ここで借金を返させられないかと恐れた。天気予報は良い方向に外れていた。今日はそうはなるまいという気持ちがした。
 谷底の川に沿ってしばらく歩くと、前方の空が明るくなるのが見えた。妻に私たちの将来は明るいかもしれないねと半ば冗談のつもりで声をかけたが、反応は鈍かった。しだいに小降りになり、7時30分に雨が止んだ。空の一角に青空が覗いた。緊張の糸が緩むのが分かった。その時、うしろから走ってきた自転車が突然私たちの横で停止し、「日本人ですか」と、声をかけてきた。鹿児島出身の男性で、パンプローナを出発し、サンティアゴまで行くと言うのだ。自転車のため私たちの半分以下の日数しかかからない。昨年はニュージーランドの国土を自転車で3000キロ走ったというから強者である。もしかしたら、年令は私より上かもしれない。彼は今まで会った日本人の10番目だが、九州出身者は3組目になる。じつに多い。全員に出身地を聞いていないが、九州人は冒険が好きなのだろうか。そう言う私も九州人であるが。お互いの無事を祈って別れた。帰国して義母から聞いた話では、件の九州男児は巡礼の途中、NHKのラジオ番組に2週連続登場し、現地の模様を説明したそうだ。状況を掴めない義母にとっては、ずいぶん安心材料になったと言う。
 午前9時に行程の半分まで来たので、Barで休憩することにした。席に座っていたスペイン人のグループと目が合ったので、スペイン語で挨拶した。少し上達しているみたいだ。空は晴れて、日光が射すまでに回復していた。フランスパンに生ハムを挟んだボカディージョとカフェオレで鋭気を養った。40分ほど休んでいると、韓国人女性2人が追い付いて来て、従業員に薬局の場所を英語で聞いているのが耳に入った。1人が全身を虫に刺されて、痒くて堪らないと訴える。私たちと同じ被害に合っているのだ。従業員は2キロ先に薬局があると教えていた。私たち夫婦は彼らより先に出発したが、薬局までは3キロ以上あるように思えた。
 歩行は順調に進み、20キロ地点から登りが始まった。標高差700メートルを登らなければならない。
 空の天気は晴れたかと思うと、しばらくすると、黒い雲が突然立ち込め始める。雨が落ちて来るが、長くは続かない。すると、太陽が顔を覗かせる。典型的な山の天気である。刻一刻状況が変わるのだ。高度を上げていくと、晴れと雨の攻防は一段と激しさを増して来た。天空でまるで神とサタンが戦っているように思える。森林限界を越えると、急に冷たい風が吹き初め、身体の体温を低下させていく。神の勝利を期待するものの、サタンは手強い。大自然のなかでは、人間は弱い存在でしかない。サタンが自然を制圧し、どしゃ降りにでもなれば、いったい私たちはどうなるのだろうかと、頭をよぎる。
 目的地まで2キロの標識が目に留まり、辛そうで遅れがちな妻を励ましながら先を急いだ。宿に着けば、サタンも追っては来られまい。空では神とサタンの戦争が続いているが、風は一層冷たくなっていく。なぜか、巡礼者も見掛けなくなった。まさか道を間違えたのではないかと、余計なことまで心配してしまう。残り2キロがやたらと長い。薬局を探していた韓国人のことを思い出す。スペイン人は距離を短めに言うのだろうか。黒い雲が低くたれ込んでくる。神の勝利を祈りつつ、気持ちを強く持ち、危機を乗り切らなくてはならない。次の峠を越えれば、村が見えると期待しても、何度も裏切られてしまう。妻との差が開きだした。左足のかかとが痛いと訴えるのだ。明らかに歩き過ぎである。やはり800キロは妻にとって重い十字架だったのかもしれないと思った。でも、後悔しても何も解決しない。悪いことは重なるものだ。雨足が一層激しくなり、このままでは全身びしょ濡れになり、体温が急降下すると危ないと、思った瞬間、小さい村にたどり着いた。やっと着いた。サタンは断然優勢であった。
 よく頑張ったねと妻を労いつつ、最初に目に入ったホテルに飛び込んだ。救われたと思った。価格を気にする余裕はなかった。こうやって7時間以上の今日の巡礼は終わった。
 到着したオセブレイロ村は人口30人足らずの天空の村と呼ばれる非常に美しいところだ。巡礼路のなかでもっとも古いサンタマリア教会も建っている。ある身なりの悪い巡礼者がこの教会にやってきて、ミサをやって欲しいと頼むが、司教がぞんざいに扱っていると、赤ワインがイエスの血になり、パンがイエスの肉に変わったという伝説が遺されている。
 遅い昼食を終え、この教会で巡礼スタンプを押してもらった時、今日は思い出に残る日になったとようやく安堵した。

巡礼26日目「巡礼にやってくるのはロマン主義者」
 昨夜はホテルの大きめのベッドで同じ毛布に夫婦でくるまって寝たのだが、それでも寒かった。130人収用のアルベルゲは6度まで気温が下がり、非常に寒かったという。体が冷えて、風邪を引くのを恐れていた私たちの選択は正しかったのに違いない。
 私たちは防寒対策と雨対策をして、次の村を目指して7時40分に出発した。雨は降ったり止んだりを繰り返している。濃い霧も出てきた。巡礼者の像が立っているサンロケ峠を過ぎると、再び風雨が強くなり始めた。中間地点で暖まるため、Barに入ると、中年の韓国人女性が日本語で話しかけてきた。天気がすぐれないので、次の宿泊地までタクシーで行くが、同行しないかという誘いだった。誘いを断ったので、韓国人女性は一人でタクシーに乗り込んでいった。私はカフェ・オ・レで、妻は紅茶で暖まって店を出た。
巡礼路を歩き出すと、風雨はさらに強くなり、手や足の指先が冷たくなった。数日前までの灼熱の太陽はいったいどこに行ってしまったのだろうか。本当に今は夏なのか。自分はいったい世界のどこにいるのだろうか。こんなに寒いなか、半ズボン姿の西洋人が多いのは不思議である。世界は少しずつ狂い始めている。私はそう思った。でも、正気を維持するためにも、何事も厳粛に受け止めなければならない。それが修業というものだろう。不運を嘆いていても、心が乱れるだけで、何も解決しない。これは歩く禅なのだから。
 二人の西洋人が猛烈なスピードでやってきたので、「今日は素晴らしい天気の日だね」私からと語りかけると、彼は「巡礼者はすべてを受け入れなければならない」と応じて、去って行った。考えていることはみんな同じなんだ。天気が悪いのも、良いのも、受け止め方しだいなのだ。
 さらに、歩いて行くと、1人で巡礼している日本人女性が追い付いてきた。「仕事を辞め、気持ちの整理をするために、巡礼にやって来た」と言う。私の子どもと同世代の25才。私が「あなたもロマン主義者ですね。現実主義者は巡礼のような何の得にもならないようなこんなバカなことはしない」と言うと、彼女はクスッと笑った。若者は自分探しの旅に出たがるが、答を得られる者は少ない。人生は悩み出すと、迷宮に入ってしまい、そこから抜け出すことができなくなってしまう。そう思ったが、口にはしなかった。若いころに深く悩むほど、人は成長するものだ。のっぺりした無表情で無感動の中高年にはなって欲しくない。
 旅には二種類あると思う。一時的なものと永遠的なものだ。前者の旅は終わりがあり、いずれ自宅や然るべきところに帰って行く。何かを「為す」旅と言えるかもしれない。後者は旅が人生であり、死ぬとき旅が終わる。ある状態に「在る」旅と言えるかもしれない。こうなると、永遠の旅は出家と似てくる。リヤカーを引きながら四国のお遍路の旅を何千日も続けている人がいるそうだ。飲食や金銭のご接待を受けながらの旅であり、それが途絶えた時、命が絶たれる。まさに、毎日が一期一会なのだ。誰かと接している瞬間、その人のすべてが現れる。優しい人はその存在だけで他人の傷ついた人の心を癒やすことができる。心を閉ざした人はどんなにお金持ちであっても、友達が多くても、永遠に孤独な人生を送ることになる。
 長旅は虚栄を剥ぎ取り、人生を純粋化することで大切なことを炙り出す。私たちの旅のゴールはサンティアゴの大聖堂でも、地の果ての大西洋の海岸でもない。明るくなったら起きて、歩いて、食べて、誰かと会って話しかけて、暗くなったら寝る。その繰り返しだ。地球上では本質的に新しいことは何一つ起きない。単純なことの繰り返しだ。そこに何らなの意味を見出だすことができるかどうか。それは旅をする人もしない人も各自が答を発見していかなければならない。
 目的地に近づくにつれて小降りになった。巡礼者の気持ち和らぎ、会話が復活する。デンマークからやってきたという若者が楽しそうに話しかけてきた。日本は好きな国だと言う。そのすぐ後に追いついてきたスペイン人の若い女性がたどたどしい日本語で語りかける。
「ワタシハ、マンガがスキです」
 どうやら、彼女が日本語を学ぶきっかけになったのは、漫画やアニメのようだった。彼らは楽しそうに笑いながら、下り坂を走って行った。

巡礼27日目「野生の復活」
 3日連続の雨の中の巡礼となった。こんなに続けて雨が降ると、慣れてきて嫌な気持ちがなくなってしまう。毎日20数キロ歩いていると、歩くことが当たり前になり、特に何にも感じない。「在る」状態だから、呼吸と同じだ。疲れなくなる。大自然のなかで、美しい風景を眺めながら、前に進むだけ。急ぐわけでもなく、だだ、感謝するだけだ。自然に感謝し、神々に感謝し、人々に感謝し、食べ物に感謝し、万物に感謝する。
 今日も二つのルートがあったが、今まで通り長い距離の方を選んだ。苦労は買ってでもするものだ。雨は降っていたが、道は鬱蒼とした緑に覆われ、非常に気持ちのよい散歩になった。予想していた通り、途中でほとんど誰とも会わない。
 英国女性のクレアとBarで、4日ぶりに再会することを除いては。私たちは大聖堂到達後、大西洋を臨むフィステーラまで行く予定であるが、同じ海岸線のムシアにも是非とも行くべきだとアドバイスしてくれた女性がクレアだ。人懐こい人柄は魅力的だ。再会を非常に喜んだが、膝の状態が思わしくないようだ。早い快復を祈る。クレアはこのルートを選んで本当によかったと何度も強調していたが、その通りだと思う。彼女とは波長が非常に合うような気がする。
 長い間、自然のなかに身をおいていると、野性味が甦り、生命力が強くなっているようだ。都市文明の恩恵で生きていると、快適だが、生命力が減退し、老けるような気がする。野性は文字通り生命力の源であるので、大地や宇宙から気をいただいていると、死ぬまで精神力は老けないのではないか。100才くらいまではサンティアゴ巡礼を続けられるかもしれないとさえ思う。
 歩くことは大自然との会話である。歩くことは思考することである。歩くことは宇宙を感じることである。歩きながら神々に祈り、歩きながら友達を作り、歩きながら地元の美味しい食べ物を享受し、歩きながら文章を書いたり、歩きながら絵画を描いたり、歩きながら歌を歌ったりする。人間は太古からそうやって自由を獲得し、想像性を磨いてきたのではなかったのか。
 コンクリートの生活の中で、本質的なものが忘れられ、どうでもよい表層的なことに人々の関心が向いている。人間の瑞々しい生命力が減退している。先進国における人口減少は希望が失われた未来を物語っている。生物は希望がなければ、子孫を残そうとしない。人間は自ら築き上げてきた文明からの復讐を受けている。大自然に住む神々との縁を切り、自然を征服することで物質的に豊かになってきたが、失ったものは大きい。自然の中の神々との関係を修復し、人間の生命力を甦らせることが大切だ。宇宙、大地、故郷、神々、歴史、文化、人々との絆を強化しよう。それが孤独感から脱出し、命を輝かせ、人間の進化を前に進める鍵ではないのか。
 歴史上、サンティアゴ巡礼を経験した者は何千万人もいるだろう。それらの歴史上の足跡が巡礼路に遺されている。人々の熱い思いが漂っている。肉体の疲れは微塵も感じない。妻と私はほとんど誰にも会わず歩きつつも、心は暖かかった。決して孤独ではない。神々も自然も、過去に歩いた人々も、そしてこれから生まれてくる生命も私たちの歩きを見守ってくれているからだ。小鳥は永遠にさえずり、花は咲き乱れ、蝶は舞っている。巡礼者を歓迎するため、ニワトリ、ウシ、黒いイヌが巡礼路までやって来てくれる。みんなが、私たちを祝福しているのだ。

巡礼28日目「意識の源泉」
 3日間続いた雨も止み、観光客に人気のある美しい街ポートマリンまで23キロの快適な巡礼日となった。空も晴天になり、涼しい風が終始吹いているなか、牛の牧草地を歩き抜いた。
 神が創造された自然のなかに神の御心や意志を見出だすべく、学者は自然を解明し、近代科学は発展してきた。デカルトを引用するまでもなく、分析的手法は見事に成功し、科学は急速な発展を遂げ、高度な近代物質文明を築き上げた。先端の科学者は意識や自己を司る脳科学へと向かっているが、ここにきて難儀している。意識を司る細胞や部位が脳のなかにあるわけではない。シナプスの膨大なネットワークが意識や自己を生み出すとされているが、そんな説明では誰も納得できない。個人にとって自己はかけがえのないものとして、ここに確実に存在している。意識とはネットワークが作り出す「情報の雲」であると、とてもではないが、思えない。自分は厳然としてこの世に「在る」のだ。おそらく、脳のなかの生体物質の相互作用を追っていっても、意識や自己の正体には到らないのではなかろうか。意識は体内の生体反応のみでなく、体外的な様々な関係性のなかで構築されているからだ。自己は過去の経験や知見だけでなく、自然、人々、モノ、こととの相互作用のなかで、流動しつつも、リアリティーをもって立ち上がっている。実存的な存在である。命とはそのような存在だ。現在の自分は若いころの自分とは異なるが、同じ自己として認識している。しかし、今日の自分は昨日の自分とまったく同じわけではない。天気が変われば、気分も変わる。接する人々の影響は免れない。美しい自然に抱かれれば、少し優しくなるかもしれない。民族の神話を吹き込まれれば、自分の立ち位置が変わるだろう。いずれにしても、関係性のなかで、かけがえのない自己が規定されている。科学はこれらの気の遠くなる複雑な方程式を解かなくては、意識や自己を解明できないだろう。シュレディンガーの波動方程式を解くよりもはるかに困難である。
 翻って、個々人の立場に立つと、自己の快適性を増し、幸福になるには、関係性を豊かなものにすべきなのだ。それは身近な人々との関係性だけではなく、自然、神々、モノ、物語、希望などすべてのものを含むのである。情けは人のためならず、とはよく言ったものだ。自分の発した行為や言葉は自分に跳ね返ってくる。自然のなかに、神々を感じる者は幸福である。極端な唯心論に傾くのはサタンの誘惑に陥る恐れがあるが、浅はかな唯物論しか信奉しないというのも淋しい。正しい道はやはり大自然のなかに隠されているように思われる。そこは人間の故郷である。私たちはそこから生まれ、そこに帰っていくのだから。

巡礼29日目「冷酷なシステム」
 昨日から巡礼者が多くなった。サンティアゴまで100キロ以上歩くと、巡礼証明書がもらえるため、時間のない人や体力に自信のない人は100キロ超の距離にあるサリアから歩き始めるからだ。
 私たち夫婦は6月4日に牛追い祭りで有名なパンプローナから歩き出し、虫刺されや冷たい風雨にも遭ったが、ほぼ予定どおり巡礼し続け、7月5日午前中にサンティアゴに到着できる目途はついた。巡礼者は正午から始まる巡礼者を祝福するミサに出席するのが習わしになっている。サイゴン出身のアメリカ籍のニック、仕事を辞めて巡礼にやってきた韓国人カップル、日本のW大学の就職浪人生、英国女性のクレアとは、ミサ終了後、近くのBarで大いに飲もうと言い合っているが、果たし実現するのだろうか。
 その前に、3日後大聖堂の前でどのような気持ちになるのだろうか、予測がつかない。今までゴールを意識せず、一日一日を大切に過ごしてきたため、突然終わりがやって来ると言われても困ってしまう。
 ここで話はいつものように飛ぶ。思索はいつも自由でなければならないと思う。現代人の大多数は人間が作り上げてきたシステムのなかで生きている。システムはじつに効率的だが、いざというときには無責任で、無慈悲だ。人間の顔をしないときは多々ある。それでも、私たちはシステムの指令に従って動いている。仕事を辞めて巡礼にやってきた者は、システムの在りかたに疑問を持ち始めたからではないか。システムはそのような者を検知し、排除する仕組みを持っている。
 東電原発事故は多くの福島県民のコミュニティを破壊し、あらゆる関係性を台無しにし、人々の人生を奪った。しかし、責任を取る人物は現れず、逃げ回っているばかりだ。教訓が得られなければ、事故を繰り返すことにもなりかねない。個々人はシステムの指令に従って活動しただけであり、何かの罪を犯したわけではないと考えている。何かが間違っているとすると、システムが悪いということになるが、システムは自己を正当化し、改良しようという方法に機能しない。被害者は怒りをぶつける対象を見いだしにくいのだ。システムは冷淡だ。人間味のないシステムはもしかしたらサタンが支えているのかもしれない。システムのなかにいて、暖かい人間性を保ち続けていくのは容易ではない。あらゆる制度は人間が作ったものだが、人間がそれに支配されているとすると、それはいったいどこに原因があるのだろうか。神は近代の夜明けとともに死に、何一つ語らないのだろうか。システムはこれからますます狂暴になるのだろうか。現代における巡礼の意味とはいったい何なのだろうか。
 アルベルゲの巡礼者が干している洗濯物は何も語らない。平凡ないつもの幸せな光景を呈しているだけである。

巡礼30日目「水曜日の物語」
 ついに巡礼1か月が過ぎたが、長かったようでもあり、あっという間のようでもある。
 高校生のグループはおしゃべりしながら歩き、夜は消灯までうるさいが、早朝は弱い。家族連れの子どもはみんなつまらそうに歩いている。年頃の可愛いおんなの子には若い男たちがちょっかいを出す。世界中で行われていることが、巡礼の地でも見かけられる。
 20年前に福岡の幼稚園で教えていたという女性から日本語で話しかけられた。空手を習っているというスペイン女性にも会った。日本は世界にネットワークを広げているようだ。このようなつながりを大切にすることから新しい物語が始まるのではなかろうか。
今日、ついに50枚目の絵はがきを書き上げて、黄色いポストに投函した。SNSが発達している現在、いまさらはがきや手紙は時代遅れのように考える人々は少なくないが、これらの意義は大きいと思う。はがきや手紙はSNSでは伝えられないことを伝えることができる。書いてある情報は同じようなことでも、手書きや絵はがきそのものに込められた思いは人を感動させることができる。
 かつて、熊本県津奈木町が赤崎水曜日郵便局プロジェクトをやっていたことがある。水曜日に起こったことを手紙に書いてこの郵便局宛に郵送すると、数週間後に誰かが書いた水曜日の物語が郵送されて来るのだ。自分の書いた物語も誰か見知らぬ人に届き読まれることになる。差出人の情報は都道府県、年令、ニックネームしか知らされない。それは一回限りの軽いコンタクトに過ぎない。二度と手紙を交換することも、相手を知ることも、会うことも許されない。このような非合理的で、非効率的とも言えるプロジェクトがヒットした。親にも親友にも言えない自分の書いた水曜日の物語を読んでいる人がこの世に一人だけいる。少なくとも、その人とは見えない糸で繋がっているという思いは絆である。このような感覚は自然のなかや自分の心のなかの、神性や仏性を感じ取ろうとする行為に似ている。はがきや手紙はやはり人間にとって重要なものなのだ。感覚を研ぎ澄まし、遠い向こうにいる人々や自然のなかの神々を意識しようという営みが人の心を豊かにする。巡礼に来ている人々には敬虔なクリスチャンは少ないが、自然のなかのスピチュアリティを感じ取るために来た者は多い。巡礼の意義はここにある。目に見えないものしか信じない、利益になることしか関心を示さないという態度はもう止めよう。それはサタンの好む論理である。人類史を新しい段階へと推し進めよう。
 飲み物と簡単なスナックを買うために、チェックインした民宿を出て、教えてもらった近所の売店に行った。売店とBarの両方を兼ねた店主は英語ができた。私たちが日本人だと分かると、最近買ったマツダのクルマは素晴らしいという話を始めた。クルマの話題が一通り終わると、顔を曇らせて、福島原発事故はまだ放射能を巻き散らしているのではないかという話をした。巡礼中、原発事故について質問を受けるのは2度目だった。私は彼の疑問にできるだけ丁寧に答えたのだが、どこまで正確に通じたのかよく分からない。原発事故はヨーロッパ人の心に止まり、忘れられていないのだ。
 民宿の食堂でアイルランドの生命工学を専攻している大学院学生と夕食をともに摂った。楽しい一時だった。「あなたは私たち夫婦の3番目の子どものようなものだ」と言うと、彼女はにっこり笑った。明後日のミサで彼女と会えるだろうか。繋がりたいというみんなの気持ちが地球を正しい方向に回転させ始めている。

巡礼31日目「巡礼が終わるのが恐い」
 この数日は妻が快調な歩きで先導し、私が後からつけるというパターンが続いている。100キロを18時間強で歩く私の面目丸潰れである。ストックは片方が壊れ、靴下は二足とも無残にも破れた。700キロを歩き続けることの凄さを再認識させられた。
 一昨日、アルベルゲの同じ部屋だった韓国人カップルとは、競争ではないが抜きつ抜かれつしながら、何回も声をかけ合った。
 英国女性のクレアとは4、5日ぶりの再会だ。お互いの健闘を称えあい、抱擁しあった。クレアは夫が巡礼証明書の資格が生じるサリアから同行してきたため、いっそう元気になった様子だった。主人は終始笑顔のままだった。愛する者が身近にいると、やはり心強い。
 昨日、半分も聞き取れないスペイン語を話していたスペイン人に再会したので、お相撲さんの絵のコースターを差し上げると、コースターにサインをしろとせがまれた。
 台湾人の劉さんと林さんの若い女性とはじつに10日以上ぶりである。大きく手を振ってくれた。初めて会うブラジル人から一緒に写真を撮ろうと求められた。巡礼者がBarで休んでいると、観光バスが激励のクラクションを鳴らしながら通りすぎた。脚を引摺りながら歩く巡礼者がいるものの、大半は笑顔が戻り少々興奮気味だ。終盤に入り、巡礼の雰囲気が変わった。サンティアゴの大聖堂まで残された距離は僅か20キロとなった。各々の巡礼者の動機は異なっていても、日常生活から離れて、自然のなかのスピチュアリティを感じ取りながら歩いたのは同じだったのではないか。
 私は時々、高野山の早朝を思い出している。夜が明けると、宿坊の寝床から遠いところからカラスの鳴き声が聞こえる。ついで、中庭でカエルが鳴き始める。さらには、小鳥たちが目覚ましかわりに、さえずり出す。自然はじつに魅力的で、豊かだ。しばらくして、午前6時から開始される勤行に出席して、読経に耳を傾ける。意識は静かに自分の心へと向かう。気持ちが落ち着いてくる。場所は異なっていても、似たような気持ちを抱いている自分を発見している。
 正直言って、巡礼を終わらせるのが恐いという気持ちもある。このままずっと毎日が続いていけば、どんなに楽だろうかとも考える。巡礼の今までの出来事を思い起こしつつ時間が過ぎていく。明日は早起きして笑顔で出かけなければならない。それが今できる最善なことなのだろうか。

巡礼32日目「ミサでハポン巡礼者と言わせたい」
 ドミトリー式のアルベルゲで午前5時前に自然と目が覚めた。簡単な朝食を済ませ、私たちは5時35分に誰よりも早くアルベルゲを出発した。なかなか明るくならないので、1時間くらいヘッドラインを点けて歩いた。思い返してみれば、出発地点のパンプローナから西に向かって700キロも歩いてきたのだ。地球の西側にやってきたので、だんだん夜明けが遅くなり、日没も遅くなるのが自然の法則というものである。改めて簡単なことに気がついた。
 サンティアゴの市街が見下ろせるところまでやってきた。もうすぐだと気が焦るのだが、市街地に入ると何度も信号に行く手を阻まれる。韓国人の留学生に会い、「大聖堂の広場で泣く準備が出来ているか?」と問うと、「きっと、僕は感激のあまり大声で叫ぶだろう」と答える。言葉はいらない。みんな気持ちは分かっている。同じだ、同じなんだ。
 私たちは先を急いだ。それには理由があるのだ。午前11時までに巡礼証明書を発行してもらえれば、正午からのミサで巡礼者の出身国の名を呼んでもらえる可能性がある。何度も長い赤信号で行く手を挟まれる。通常Barで2回休憩を取るのだが、今日は1回で済ませた。急がねばならない。
 やっと午前10時過ぎになって、大聖堂前のオブライドイロ広場に到着した。巡礼者たちは抱き合って喜んでいる。以前何回も会った日本人カメラマンと視線があった。ひどい虫刺されのため医者にかかり、遅れていたはずなのだが、プロ根性で盛り返してきたのだった。大聖堂の前の私たち二人の証拠写真を彼に撮ってもらった。感激の瞬間である。妻も苦しみによく耐えてくれたと思う。あっぱれである。予想以上の体力と根性を出してくれた。他に知り合いはいないものかと、広場中に目を向けたが、発見することはできなかった。抱擁の準備はできていたのだが、少し残念だった。
 興奮も冷めやらぬうちに、巡礼証明書を発行してもらうために200メートルくらい離れた巡礼事務所に向かった。そこではクレデンシャルを提出し、今までアルベルゲやBarで押してもらったスタンプが確認された。巡礼の開始地点、開始日、巡礼の手段が聞かれた。そして、巡礼の目的を、宗教、スピチュアリティ、体力挑戦から選択するように言われた。私は迷わずスピチュアリティに印をつけた。正午からのミサで、あなたの業績を報告してもよいかと問われたので、勿論と答えた。是非、ミサの席で母国の名前ハポンと呼んで欲しい。証明書を受け取って、大聖堂の方向に戻る途中、英国留学中の中国人学生、コースターを渡したスペイン人と会ったので、お互いの健闘を称え合った。
 それから明日以降の交通機関などの情報を入手するために、インフォメーションセンターに行き、さらに今夜の宿のペンションにチェックインしていたら、大聖堂に入場したのは正午に近くなっていた。千人を超える人々が会場を埋め尽くしている。私たちの席はなく、立ったまま、ミサを聴くことになった。大聖堂はバチカン、エルサレムに次ぐカトリックの第3の聖地と言われるだけあって厳粛な雰囲気に覆われていた。巡礼者を祝福するためのミサだと、聞いていたが、観光客や敬虔なクリスチャンが多いように見受けられた。教会の隅で懺悔する信者あり、跪く者あり、司教の言葉に涙ぐむ者ありと私たち異教徒にとっては居心地の悪さを感じた。ミサの進行途中、「静かにして下さい、フラッシュは禁止です」というアナウンスが何度もスペイン語と英語で繰り返された。敬虔な信者と見学目的の人々が混在しているのだ。これは一神教を信じる者と無神論者が併存している現代をよく映し出しているのではないのかと思った。
 私は夢想していた。まだ再会していないパブロが司教の服を纏って、ミサにやってきたならば、どんなに愉快なことだろうか。それこそ奇跡が起こったと断言してよい。司教が入場してきたが、そんな非常識なことはけっして起こらなかった。
 巡礼者が紹介される場面となった。次々と巡礼出発地点と出身国名が読み上げられる。巡礼者の名前は言われなかったものの、「パンプローナから出発した日本人巡礼者」と私でも分かるスペイン語で紹介された。私たち夫婦のことだ。よかった。安堵の瞬間だった。
 大聖堂の地下ではヤコブの聖遺物が収められている銀の箱を見ることができる。意外に小さいものだった。中央祭壇に置かれているヤコブの像には、なんと祭壇横の階段を上がっていくと、後ろから抱きつくことができる。ご神体に触れることができるのだ。私も長蛇の列に並び、金属で作られたヤコブ像に抱きつきながら、「ヤコブ様、ヤコブ様」と心の中で2度唱え、巡礼の無事に感謝した。なぜだか、少し恥ずかしい気分になった。
 大聖堂の内外で、今まで会った人々と再会した。W大学の学生、韓国人の若いカップル、26才の失業中の日本人女性、アメリカ人のニック、サングラスをかけていたスペイン人、二日前夕食をともにしたアイルランド人学生、18名の韓国人団体巡礼者。我々はお互いの健闘を称え合い、ときには抱き合って喜んだ。みんな清々しい顔をしている。
 サンティアゴ巡礼を終えたからといって、就職に有利に働くわけではない。「私はこの世の天国を経験して来ました」と人事担当者に正直に言おうものならば、変な奴だと思われて就職の機会を得られないかもしれない。「20か国以上の国々からやってきた人々と胸襟を開いて語り合い、異文化交流を体験しながら多くの友人ができたのは大きな財産になった」などと答えるのが、現実社会で生きている上で知恵であり、大事なことなのだろう。もっとも、私は現役を辞めて定年退職したため、つまらない建前を言う必要はもはやない。若い人は天国を経験しつつも、現実と折り合いをつけながら生きていかなければならないので大変である。
大聖堂の近くでは多くの乞食を見かけた。半強制的に寄付を要求する団体も周辺にいる。配備された警察はテロを極度に警戒している。リュックを背負って大聖堂の中に入ることは禁止されている。爆弾テロを警戒しているからに違いない。仮にここの聖地でISが自爆テロを強行しようものならば、宗教戦争に発展しかねないだろう。現実は依然として厳しいままである。
しかし、我々巡礼者は長い間大自然に抱かれて歩き、素直な気持ちで励まし合い助け合ってきたのは否定のできない事実である。此の世にアダムとイブが住んでいたころの楽園があることを知った意味は大きい。巡礼路は紛れもない天国であったのだ。お金も、名誉も、年令も、国籍も、ここではまったく関係がない。かけがえのない生命を持つ者として、敬意を表してきたのだった。彼らとは二度と会えないだろう。いや神のお導きで奇跡的に四国のお遍路で遭遇するかもしれない。再会できても、できなくてもそんなことはあまり大差ない。サンティアゴ巡礼で会って言葉を交わし、お互いを思いやったことが重要だ。それらは心の底に永遠に残り続けるのだ。ありがとう、みんな。感謝している。何十億人のなかであなたに会えたのはまさに奇跡なのだから。

巡礼33日目「達成できた目標」
 昨夜は大聖堂への到着を祝い、山盛りの海産物と赤ワイン1本を夫婦二人で平らげた。普段お酒を飲まない妻も今日ばかりは飲んだ。そして、夜が暮れると、大聖堂近くのペンションの屋根裏部屋のベッドからサンティアゴの夜空を眺めながら眠りについた。ロマンチックな夜だった。
 しかし、旅はまだ終わらない。地の果てという名のフィステーラまでたどり着くのだ。今日は休養も兼ねて、バスで海岸線の街ムシアへと向かった。明日はここからフィステーラまでさらに30キロ強歩き、巡礼の旅が完結する。
 同じバスを待っていた若い日本人男性と会い、少し話をした。巡礼の魅力にはまってしまい、2か月間も旅を続けているという。EU圏内の滞在は3か月以内と決められているので、あと1か月滞在し、一旦帰国してお金を稼ぎ、またやって来たいという。此の世の天国の存在を若くして知ってしまったのだが、それが彼にとって幸せなことなのだろうか。よく分からない。先の人生はまだ長い。退職後の残り20~30年間天国を体験する私と、まだ70年くらい生きなければならない彼とは、天国の持つ意味合いが異なるのではないのか。彼が天国に退屈しなければよいがと勝手に思った。天国に飽いたら、すべてが地獄になるのが恐い。
 今回の私の巡礼の旅には10個の目標があった。今日はそのうち実現したものに触れたい。まず、最初のきっかけは100キロウォーキング大会のための鍛練の場として、サンティアゴ巡礼が目に留まった。1か月かけて800キロも歩けば、体幹が鍛え上げられるだろう、と考えた。次回の大会で未達成の18時間切りが達成できるかどうか分からないが、この目標は実現できたと考えてよい。
次に巡礼記を書き、FBに投稿することだった。この目標も達成されたと考えてよい。ただし、スマホからの投稿だったため、文章を練る余裕がなく、論理の飛躍や説明不足や中途半端な知見が随所にあったのではないかと心配している。容赦願いたい。
 3番目に絵はがきを50枚書き、投函することだったが、これもどうにかやり遂げた。はがきや手紙は永遠に不滅である。これらはデータではなく、情けや感情の伝達手段なのだ。天才棋士をいとも簡単に退ける最先端の人工知能でも、それらの意義は理解できないだろう。知性では解明できないものを宿しているのが人間なのだ。
 4番目は友達作りだった。巡礼者はみんな魅力的な人々だった。地元のスペイン人もじつに親切だった。彼らとは二度と会うこともないに違いない。でもそれで構わない。人生は一期一会なのだ。会ったその瞬間が大事であり、すべてである。その場にお互いのすべてが露呈されてしまう。一刻たりともおろそかにしてはいけない。生きている実感をつねに抱きつつ生きるのが使命であるのだ。
 5番目は外国語の上達だった。スペイン語はどうにかサバイバルのレベルにあるが、想定していたほど上手くはなれなかった。今後とも努力していくしかない。ドイツ人にGuten morgen.と挨拶するだけで、非常に悦ばれた。学生時代に第二外国語として学習したのだから、復習しておけば、もっと話せたと悔やまれる。暗記した文章を10くらい話したら、ドイツ人は感激し、涙を流し、ドイツビール1杯くらい奢ってくれたに違いない。急に思い出したのだが、私が40年前の学生時代に、一人でヨーロッパに旅行に行ったとき、ドイツ人のおじさんに「またドイツと日本が組んで、米国と戦争しようではないか。今度こそ負けないぞ」と言われて仰天したことを昨日のことのように思い出す。ドイツ人は日本人が好きなのに違いない。日本語が流暢な韓国人に3人も会ったのは驚きだった。私が知っているハングルと言えば、アニョハセヨとカムサムニダしかないから、じつに恥ずかしい。新たにフランス語を学び、フランスの田舎の巡礼路も歩いてみたいものだ。外国語の学習は上達が遅く、面倒くさいが、交流の入り口だと考えて、最低限の表現は身につけたいものだ。
 6番目の目標はデッサンと水彩画を描くことだったが、あまり描く機会がなかった。FBへの投稿記事でエネルギーを使い果たし、創作意欲が湧かなかったと言い訳しておこう。それでも、デッサン3枚、小さい水彩画10枚くらいは描けた。
 残り4つの目標については明日書くことにする。

巡礼最終日「妻のなかに神性を発見した」
 ムシアから最西端のフィステーラまでの30キロ強が最後の巡礼となった。しかし、妻はラスト8キロで、肩や足の痛みのため大失速し、私はひどい股擦れに悩まされた。天は巡礼の終了を催促しているように思った。これで最後の日にしようと、歩きながら思った。
 やっとの思いでアルベルゲに到着したのは午後2時を回っていた。いつものようにシャワーを浴び、洗濯し、外出して遅い昼食を摂って、アルベルゲに戻ったのはすでに6時前だった。2時間のシエスタをとり、街から3キロ先の半島の先端に向かった。世界でもっとも美しいと言われる沈む夕陽を見るためである。
 断崖絶壁の先端で冷たい風のなか45分待ったが、太陽は雲と霧に隠れたまま姿を現すことはなかった。奇跡が起こることを期待したが、実現しなかった。妻は疲れ果てているせいか、ご機嫌が悪い。夕陽を諦めて、宿に帰る途中、ふと東の空を見上げた。月が出ていた。それも満月に近かった。思い起こせば、巡礼を始めた日も満月だった。満月は少しずつ欠け、再び膨らみ、満月となって、また欠けつつあるのだ。文字通り、1か月以上が過ぎたのである。もう巡礼を止める潮時なのだ。
妻に「美しい月だね」と言うと、「月も星も見る余裕がまったくなかった。写真を撮る余裕さえなかった。あなたに迷惑をかけまいと、毎日どうにか歩き通すことで必死だった」と涙声でぼそっと語った。私の皮膚に電気が走った。愚痴はほとんどこぼさなかったが、じつは辛かったのだ。それを言葉にしてしまうと、緊張が解けてしまうのが恐ろしかったのだろう。私は妻の心のなかに神性を発見した。神は自然のなかだけでなく、身近な妻の内面にも存在しているのである。もしかしたら、この発見は巡礼の最大の成果だったのかもしれない。
 私たちは黙ったまま、アルベルゲに戻り、簡単な夕食を摂った。お腹が少し膨れると、暖かい気持ちになった。すべては終わった。残り数日のスペイン滞在で疲れをとって帰国することにする。
 今回の巡礼の10の目標のうち実現できなかったのは4つある。
 まず、減量はできなかった。毎日8キロのリュクを背負っての平均4万歩の消費エネルギー以上の美味しい食事を楽しんだのだから仕方がない。食べる量を減らさないと、体重は減らない。
 次に、サンティアゴ巡礼の舞台を題材とした小説を書こうと目論んでいたが、あっさり断念した。この旅行記は一つの物語だ。私が主人公であり、作者であった。小説を書いてもより面白い物語は書けないだろう。そんなことをしたら、神聖なものを壊してしまうような気がしてならない。
 3番目に実現できなかったことは奇跡の体験だ。聖ヤコブは私たちに何かの奇跡をもたらしてくれなかった。でも、困ったことに遭遇すると、必ず助けの手が差し出されたのは不思議だった。巡礼路は神がかっていたのは事実だ。
最後の目標は27年連れ添った妻への感謝を伝えることだったが、逆に巡礼中、妻にお世話になった。妻は色々な食べ物に果敢に挑戦し、美味しいものを発掘してくれた。辛い巡礼のなかの精神的かつ肉体的清涼剤となった。
 一神教の神は死んだかもしれないが、神々は自然のなかに存在することを実感できた。神々はまた自然のなかだけでなく、妻の心のなかにも住んでいたのを悟ったのは大きな収穫だった。女性は男友達より神に近いのだ。いつか、妻に感謝の気持ちを具現化しなければならない。
 最後に、巡礼中に会った世界各地からはるばるやってきた人々にありがとうとお礼を言いたい。あとで数えてみたら、分かっているだけでもじつに24か国の人々と会話をしていた。地元スペイン人の気さくな人々にも感謝したい。
私の描こうとした大聖堂の水彩画は時間切れで未完成の作品となった。聖ヤコブは再びやって来なさいと示唆されているのだろう。いつか必ずやってくると、私はヤコブの背中の感触を思い出しながら約束した。
Where there’s a will,there’s a camino! Nos vemos. Pasarlo bien. Animo, por favor. 「意志のあるところ、必ずカミーノ(道)がある。みなさん、いつか会いましょう。人生を楽しみましょう。それまで、お元気で!」(了)

旅行記「北スペイン巡礼徒歩の旅」(その1)

 明日から北スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を目指す巡礼徒歩の旅に出かける。大聖堂が祀られているのはイエスの直弟子の一人ヤコブだ。妻は考えた末、私に同行することに決めたが、完歩できるかどうか一抹の不安を感じる。
 800キロ徒歩の大切な友達であるリュックとシューズは新調し、新鮮な気持ちで臨むことにした。自宅付近の神社で安全祈願も済ませたので、元気を出して出発する。
 まずは習いたてのスペイン語で、Buen camino! 良い巡礼を!

巡礼0日目「42時間の長旅」
 八代の家を出て最寄りの駅から普通列車と地下鉄で福岡空港まで行き、香港空港の乗り継ぎで6時間待ち、マドリッドに着いたら4時間バスを待って、6時間の長距離バスの旅で美食の街サンセバスティアンのホテルにやっと着いたのは、家を出発してから42時間が経過していた。この間、風呂に入っていないのだが、空気が乾燥しているためか、あまり不快に感じない。さらに、道中、現地に住んでいる日本人、旅行中のロシア人と楽しく会話する機会があったこともあり、長旅があまり苦にならなかった。でも、時差と睡眠不足のため、気力が湧いてこない。
 サンセバスチャンはあいにく雨のため、楽しみにしていたBar巡りは止めて、ホテルのレストランで夕食を済ませた。パンの上に海産物や生ハムを載せたピンチョスを美味しくいただき、赤ワイン含めても二人で17ユーロに届かなかったので、妻と顔を見合わせてニンマリ。上々のスタートだ。でも、今後の長旅を考えて、明日までは歩く距離を極力抑え自重したいと思う。

巡礼1日目「ホテルの壁は薄い」
 騒音で午前4時に目が覚めた。女の大きな喘ぎ声が聞こえる。妻が喘いでいるわけではないのは明らかなのだが、いったいどこから聞こえてくるのだろうか。テレビはつけていないから、エロい番組ではない。妻も派手な声に目が覚めたようだ。
「隣の部屋からだな・・・」
 壁は防音機能がなく、そのまま聞こえてくる。まるで同じ部屋から聞こえてくるみたいだ。スペインのホテルはこのような作りになっているのかと、驚いてしまう。
「我々も彼らに負けずに励もうか!?」私がそう言うと、妻は顔を赤らめて、読みかけの文庫本を持って、音のあまり聞こえないトイレに消えた。騒音は30分続き、男の行く小さな声を最後に静かになったが、時差のせいもあり、それ以降眠れなかった。
サンセバスチャンが世界的な美食の街になったのはコロンブスのアメリカ大陸発見後、ジャガイモやトマトなどの新しい食材がサンセバスチャンに陸揚げされるようになったためだと歴史は教える。ここで美味しいものを食べて英気を養い、時差ボケを解消して、巡礼を始めるという魂胆であった。
 まだうす暗い午前6時にホテルを出発すると、日曜日の朝まで飲んでいた若者にからまれないよう注意しながら、旧市街を歩いた。貝殻の形をした美しいラコンチャ海岸を散策し、展望台近くまで登ったあとで、ターミナルに戻ってバスに乗り70キロ内陸のパンプローナに向かった。巡礼の始まりだ。
 初日から運悪く、雨が降る中、私たちは2度も迷子になったが、地元の人に声をかけられ、行くべき道を教えてもらった。これでスペイン人に対する印象が良くなかった。パンプローナはヘミングウェイの『陽はまた昇る』の舞台となった牛追い祭で有名になった街だ。7月の祭には人口の10倍の人々が押し寄せる。ヘミングウェイがよく通ったというカフェの前で記念撮影を終え、牛追いの800メートルのコースを歩き、巡礼のお守りの貝殻を買った。貝殻は守護神ヤコブの象徴であるため、ほとんどの巡礼者はリュックにぶら下げて歩いている。
 パンプローナでは巡礼ルートを逸れても是非訪れて見たかった場所がある。それは日本に最初にキリスト教を伝えたザビエルの像のある山口公園だ。当時のカソリック教会は組織内の出世のため、毒殺や賄賂が横行するなど腐敗堕落していた。そのため、カルビンやルターらのよる宗教改革の嵐がヨーロッパを覆う様相を呈していたが、ザビエルは同じくスペイン出身のロヨラらとともに留学先のパリでイエズス会を創設し、カソリック教会を本来の姿に戻そうと企画していた。
 貴族階級のザビエルは下層階級のロヨラの影響もあり、異常なほど真面目で、敬虔なキリスト教徒であったという。インドに派遣されたザビエルはそこで日本人に会い、大いに興味をそそられた。日本にやってきたザビエルは山口の大名に布教の許可を得ると、キリスト教は瞬く間に国土に広がっていった。それまで日本人が信じていた大日如来の概念がデウスにとって代わられ、理解されやすかったためだろうか。真面目な彼が日本に来なかったら、キリスト教はあまり広がらず、日本の歴史は変わっていたかもしれない。
 今夜の宿はパンプローナから6キロ郊外のシスール・メノールの巡礼者簡易宿のアルベルケ。1人10ユーロだが、ドミトリー式の大部屋のため、プライベート空間がない。でも、友達はすぐできそうな雰囲気がある。
 私たちのすぐあとに部屋に入ってきて、話しかけてきたオランダの男性は母国から歩いてきたそうだ。2か月以上旅を続けていることになる。こんな奴ばかり巡礼の旅にやってきているのだろうか。いきなり先制パンチを食らった。
 福岡からやってきたというフランス語と英語ができる女性はフランスのル・ピュイから1か月以上歩き続けていると言う。途中、高原で季節外れの大雪に遭遇した経験を楽しそうに話す。
 有料の乾燥器を使おうとして、コインの入れ方が分からずに機械を弄っていると、男がやってきて教えてくれた。後で聞いたのだが、彼こそ巡礼の旅でたびたび会うことになるパブロという名のスペイン男である。
 今日は自重したつもりだったが、雨中にも関わらず歩数は3万歩を超えていた。明日は晴れて欲しい。そのように願ってベッドの上の寝袋に潜り込んだ。

巡礼2日目「天国のような小麦畑の風景」
 昨夜の巡礼者簡易宿泊所アルベルゲでは2段ベッドが5つ配置してある狭い部屋に妻と押し込められた。深夜12時を告げる近くの教会の12回の鐘の音で目が覚めた。隣の英国人男性のいびきが鳴り響いている。なぜ、こんなに大きな音にみんな寝ていられるのだろうか。しばらくして静かになったと思ったら、今度は上のベッドに寝ている妻のいびきが鳴り始める。まったく、秋の虫の共鳴ではあるまい。その後うとうとしていたのだが、結局、睡眠不足のまま午前6時半に宿を出た。
 村を離れると、美しい麦畑が広がる。小鳥のさえずりも聞こえ、雨上がりの空に美しい虹が三重にかかっている。高原は水を打たれたように、瑞々しい。別世界のように綺麗だ。まだ巡礼は始まったばかりだが、来年もやって来たいと心から思う。虹の写真を撮っていると、いびきの英国人男性が追い付いてきて、笑顔で挨拶して先に去っていった。妻もそうだが、鈍感力の強い者は勝利者になる資格がある。羨ましい。
 少しずつ高度を上げ、標高790メートルの「ペルドン峠」の巡礼者たちを模したモニュメントに到着した。わたしも彼らの列の隙間に入って写真に収まった。
 巡礼ルート上には大方5キロ毎に村がある。Barに入ってスペイン式朝食を済ませた。それも休息を兼ねて8時と11時に2回の朝食を摂った。最初はクロワッサン、バナナ、オレンジ、カフェラテで、2回目はヨーグルト、フルーツポンチ、マフィンだった。何れも美味しくて、しかも安い。
 今日は後ろからやって来る巡礼者に次々に追い抜かれる。健脚揃いだ。そのなかにあって、細身の中年女性がうつむき加減に歩いているのが気になった。目的地のプエンテ・ラ・レイナのアルベルゲには午後1時前に到着した。個室があるというので、いびきから解放されたいがため、即決した。巡礼とはいっても、やはりまだ慣れないなかでの睡眠不足は辛い。今日のこれまでの行程は20キロで3万6千歩に達していた。シャワーを浴び、汗にまみれた服を手洗いで洗濯した。
 昼食は前菜、メインディッシュ、デザート、ワインの巡礼者定食で満腹になった。半地下の静かな部屋に戻って、シエスタを享受。疲れと深夜のためか、起きたら4時間が経過していた。夕食を済ませ、中世の風情が残る旧市街を散策した。午後10時過ぎまで明るいのは嬉しい。充実した1日だった。San Tiago bless you! 聖ヤコブ様のご加護がありますように!

巡礼3日目「スペイン人はみんな腹が減っている」
 巡礼の道はほとんど舗装されていない自然の道だ。多くのカタツムリやナメクジが挨拶をするため、歩道のなかまでやってきている。彼らを踏まないように、避けて歩かなければならない。
 道中、若い男性が英語で話しかけてきた。
「君の黄色の服の色はいいね」
「でも、お蔭で昆虫が集まってくるんだ」
「君は美しい花だからだ」
「いや、私は偽物の花で、本当の花はイフなんだ」
 彼は大きな声で笑った。今日は朝からjokeが冴えている。いい1日になりそうだ。でも、それがとんだ災難になろうとは、その時つゆ知らなかった。
 妻の歩く速さに合わせているせいか、あるいは脚が比較的短いせいか、西洋人にどんどん抜かれる。ペースが合って来るのは、同じような体型か、似た年齢の人になる。でも、彼らとの会話が自然と生まれて来る。ワルシャワの45才の女性は昨年日本を旅行し、大変楽しく、気に入ったので、また行きたいと言う。沖縄でスクーバダイビングを楽しみたいそうだ。人生の後半は好きなことをして生きたいので、まずサンティアゴ巡礼を選んだと言う。歩き、食べ、眠り、考えるだけの時間体験は素晴らしい。「考える」を強調した。同感だ。彼女の名前はモニカ。
 73才と70才のスペイン夫婦とはサバイバルスペイン語での会話になった。「スペイン人はみんな親切だ」と言うべきところ、発音を間違えて、「スペイン人はみんな腹が減っている」と言ってしまった。夫人は手で胃のあたりを差しながら「お腹が減った」のはここで、「親切だ」というのはここだと「心臓」の上に両手を置きながら、熱心に説明を始めた。それでも夫人はいつも笑っていた。旦那はいつも30メートルくらい先を歩いていたが、不機嫌な顔のままだった。帰国までにはもう少しスペイン語を話せるようになりたいものだと思った。
 西安出身で今英国の大学の大学院で金融管理学を勉強している中国人男性とは、英語と中国語で話した。彼はここで中国語を話せる人と会うとは思っていなく、驚いた様子だった。お金とモノにまだ執着している現実主義の中国人とサンティアゴ巡礼で会えるとは考えていなかったので、わたしも驚いた。爆買いをあっという間に止めた中国人観光客は、モノ離れが進み、精神性を大切にするようになるのだろうか。宗教はアヘンだと教えられている中国人は巡礼にどこまで関心を抱くようになるのだろうか。興味津々である。
 また、韓国人巡礼者の多さの理由は何だろうか。しかも、若い人が多く、中高年はあまり見かけない。
 先はまだまだ長い。ペースが同じ人とはどこかで再会するだろう。お互いの健闘を讃え合いたい。道中、攻めにくい丘の上の城壁に囲まれた中世の小さな村を通過していく。月並みな言い方だが、タイムスリップしたような気分になる。心が休まる瞬間でもある。でも、今日のルートは高速を走るクルマの音がいつまでも消え失せなかった。クルマと電信柱と広告が日本の街から消えれば、どんなに美しい自然が甦ることだろうかと、葡萄畑のなかを歩きながら夢想した。
 今日の到着地点は星降る街という意味のエスティージャという美しい中世の街だ。やっとの思いでアルベルゲに到着した。シャワー、洗濯、昼食、シエスタを終えると、観光して回る元気が残っていない。歩行距離は27キロで5万歩に近かった。明日も晴れますように。そして、また素晴らしい人々に巡り合いますように。

巡礼4日目「痩せたサンタクロース」
 早朝起きたら、ベッドの上で、南京虫つまりトコジラミを発見。シーツを敷いた上で殺虫剤をスプレーし、さらに毛布を使わず、寝袋のなかで寝たのは正解だったとこの時思った。噛まれたら、痒くて眠れなかっただろう。
 巡礼者の持参必須品は寝袋、ストック、雨具、防寒具、殺虫剤だ。軽いほど楽なので、どこまで持参するか悩みだ。私たちは経験者の話を伺ったり、個人相談会で根掘り葉掘り聞いて準備したりしていたため、リュックの重さは飲食料を含めて8キロに抑えることができ、肩の負担を軽減させたのは大きかった。が、韓国人集団グループは荷物を次の宿泊所まで送っているので身軽な恰好だった。どこで、お金を使うかの問題でもある。
 ほとんどの西洋人は短パンとTシャツ姿だ。彼らの体温は高いので、寒さに強い。でも、長パンと長袖の私たちにも涼しい快適な天気となった。
 21キロ先のロスアルコスのアルベルゲに着いたのは正午過ぎの一番乗りだった。女将は兄弟が東京で働いていると話してくれて、親日的だった。追い抜いていった巡礼者は先の街まで行ったらしい。道中、今まで言葉を交わした人数人と再会できたのは嬉しい。テキサスから1人でやってきた子育てを終えた女性は2日前疲れた様子だったが、元気が回復していて、良かった。昨日会ったワルシャワ女性のモニカ、巡礼6回目のスペイン人老夫婦、日本語が美しい韓国人女性(後で分かったのだが、サンセバスチャンからパンプローナ行きのバスの前の座席で、私たち夫婦の会話を聞いていたのだ)、西安出身で英国の大学院で勉強している中国人男性とも再会を果たした。自然な笑顔が出るようになり、一層緊密になったような気がする。
 新しく知り合いになった韓国人男性は次回一緒に食事しようと誘ってくれた。実現すれば素直に嬉しい。巡礼の地では、みんな親切になるようだ。
 宿の天井裏の部屋でシエスタを貪っていると、突然、ドアの大きなノックで起こされた。眠気眼のまま食堂に降りて行くと、二人のドイツ人がテーブルで待っていた。夕食を予約した者は一緒に食事するのがこのアルベルゲの慣わしのようだ。二人は父娘の関係で、父はなんと90才で5度目の巡礼というので、非常に驚いた。痩せたサンタクロースのような雰囲気だった。60歳代の娘は英語を話したが、サンタは英語を話せなかった。色々サンタに質問したかったが、ほとんど忘れていた大学時代の第二外国語だったドイツ語が悔しい。スペイン語はかじってきたが、ドイツ語は復習してくるべきだった。1日に歩く距離が私たちより少し短いので、彼らとの差は開くばかりで再会はできないだろう。でも、来年巡礼に来れば、どこかで会えるかもしれない。それにしても、私は90歳で巡礼するどころか、果たしてこの世に生きているのだろうか。90歳のサンタは私たちの巡礼を大いに勇気づけてくれた。感謝している。
 サンティアゴ巡礼はイエスの12人の直弟子の1人であるヤコブが祀られているサンティアゴ・デ・コンボステーラの大聖堂まで歩く旅だ。殉教したヤコブの遺骸を船に乗せて、地中海に浮かべると、北スペインの海岸に流れ着き、さらに7世紀になって90キロ内陸の地で遺骸が発見されたという。そこに大聖堂を建てたのだった。イベリア半島は8世紀から15世紀までの長期間イスラム教のモーロ人に占拠されていた。カトリック教徒は半島を奪回すべくラコンキスタ運動を展開する。ガイドブックには書いていないが、ラコンキスタ運動の精神的柱となったのがサンティアゴ巡礼だったのではないか。当時、白馬に乗って現れたヤコブはモーロ人殺しの英雄だったという伝説も残されている。巡礼は神聖であったが、背景には政治的意図が働いていた。その証拠に12世紀に毎年50万人の巡礼者は半島奪回後、減り続け、20世紀後半には数千の規模まで縮小した。再びサンティアゴ巡礼が脚光を浴びるのは、巡礼ルートが1993年に世界遺産に登録されてからだ。巡礼者はエコツーリズムのブームの後押しもあって増加し続け、昨年は26万人が巡礼した。その中には、クリスチャンのみならず、私たちのような仏教徒も含まれている。でも、イスラム教徒はいない。すべての罪が洗い流されるヤコブの聖年の2021年には、史上最高の50万人を超えるだろう。
 明日は気温が摂氏30度に達する予報がでている。加えて、30キロに近い距離を歩かなければならないため、早朝の起床だ。ここらあたりで書くのを止めよう。

巡礼5日目「妻が豹変した」
 サンティアゴ巡礼の道は天国のようなところだ。田園風景は限りなく美しく、小鳥たちは歓迎のさえずりを続け、食事は美味しく、シエスタは享受できる。歩きながら祈りを捧げるのもよいし、思索に没頭するのもよい。困った素振りを見せると、すぐに巡礼者や地元の人々が救いの手を差し伸べてくれるが、過度の干渉をしないというのが原則だ。ちょうどよい距離感が心地よい。美しい自然のなかでみんなの気持ちが和らぐのが分かる。妬み、嫉妬、競争といった負の概念は微塵もない。上品な時空間である。
 サンティアゴ巡礼者の目的はそれぞれ異なる。配偶者との死別、離婚、失業で心の傷を癒すためにやってきた者もいよう。不治の病を抱え奇跡を期待している者もいるかもしれない。あるいは恋活できている若者もいるかもしれない。自分探しの旅でもよかろう。体力のチャレンジという目標を掲げる人もいるだろう。様々な人生模様を温かく包み込んでしまうのがサンティアゴ巡礼の存在意義なのではないか。
 私たちの巡礼目的は表面上定年退職記念旅行なのだが、近代の行き詰まりの打開策の模索という大きな志もある。近代は神殺しから始まり、物質的な発展を実現した大成功の時代だったが、人々はモノの消費や進歩に疑問を感じ始めている。先進国における人口減少は近代の終焉を端的に語っている。ゴムのように伸び切った心を癒すために、神々の再生や自然との絆の再構築が必要なのではないか。中世精神の復活が殺伐とした近代精神に潤いをもたらしてくれるのではないか。明るい未来は懐かしい過去にあると思う。
今日はログローニョまでの炎天下の30キロ弱の距離の巡礼となった。妻は昨日までとは打って変わってスピードを出してどんどん他国から来た巡礼者を追い抜いて行く。100キロを18時間強で歩く私の健脚でも追いつかない。西洋人たちは疲れたり、足にトラブルを抱え、途中で靴下を脱いだり、ストレッチをしたりして休んでいる。妻は前を見据えたままだ。写真さえまったく撮ろうとしない。こんな能力を妻が持っているとは知らなかった。アップダウンの丘の30キロを平均時速5キロで歩いたのだ。目的地には午後1時前に着いたが、風景を楽しむこともなく、考えることもなく、特別な出会いもなかった。アルベルゲの受付の列で、アイルランド人とイスラム人と短い会話をしただけだった。こういう日もあるのだと思った。

巡礼6日目「巡礼手帳」
 今日は葡萄畑のなかを歩く30キロものルートだったが、曇り空だったため楽な巡礼となった。歩き慣れていない人々は途中で足の手当てをしたり、ひどい場合には病院に行ったりしている。私たち夫婦は日本で十分歩き込んできたので、ほとんど問題がない。これまで巡礼は習慣になったと言ってよかろう。荒天にならない限り歩きとおせる自信がついた。初日に隣の英国人のいびきに懲りて、その後4日間はアルベルゲの個室で寝たのだが、慣れてきたので、今日は4人部屋を選んだ。ブラジルから来た30才代のカップルと同室だった。分かりやすい英語を話し、じつに素直な感じのよい人々だ。
 アルベルゲに宿泊するにはクレデンシャルと呼ばれる巡礼者手帳を入手する必要がある。責任ある行動をとり、巡礼中キリスト教の慈善事業で支えられていることを了解することが巡礼者に求められている。宿泊したアルベルゲやBarでスタンプを押してもらうのだが、それらが巡礼ルートの証拠となる。徒歩の場合は100キロ以上、自転車の場合は200キロ以上を超すと、巡礼証明書が発行される仕組みだ。まだサンティアゴまで580キロ以上の道のりが残されている。これからが本格的な巡礼が始まるのだ。

巡礼7日目「人生は素晴らしい」
 毎日明るくなる前に起き、6時頃出発し、日の出を見たら両手を合わせて巡礼歩行の安全を祈願し、途中2度の朝食を採り、目的地のアルベルゲに着いたらチェックインしてシャワーを浴びて、洗濯をして、外で遅い昼食を楽しんでシエスタを貪り、起きたら夕食に出掛け、まだ明るい10時過ぎに床につく。このような日程を繰り返している。太陽の周期に合わせて忠実に生きているため、体調は万全である。幸福な日々だ。中世でなくても、戦前の日本人も似たり寄ったりの生活をしていたのではないのか。現代人はノルマに追われて忙しく、村上春樹の小説『1Q84』の世界のように天空に月が2つ浮かんでいたとしても誰も気が付かないのではないか。恐ろしい世の中だ。
 ザビエルが布教のために日本にやって来て驚いたことの一つは貧しい人々も嫉妬心を持たず、誇りを抱いて生きていたことだった。貧者でもプライドを持ち堂々として生きていたのだ。一方、近代は人間の束縛からの解放と人権尊重を謳ってきたのだが、実質的にそれらは実現したのだろうか。世界の貧しい人々も心地よい人生を生きているのか、疑問がある。近代が中世よりもすべての面で優れているとは限らない。自然と神々との絆を強めることで、人間性を復活させることができると良いと思う。中世に学ぼうではないか。
 妻は今日も適度の速さで歩いている。仕事を辞めて巡礼にやって来た26才の日本人男性と駄弁りながら歩いていたので、先を行く妻に離されるばかりだ。途中、休んでいたフランス人夫婦とスペイン人夫婦に、自国の言葉で、「奥さんは先に行ったよ。早く追いつかなくては駄目じゃない」と声をかけられた。何故だか、言葉は分からないが、意図は十分理解できるのだ。不思議である。
夕食を食べるために街を歩いていたら、最初のアルベルゲで隣のベッドで大きないびきをかいていた英国の男性と会った。同じ日程で巡礼しているようだ。彼はシエスタを取らず、夜中に熟睡するタイプだと言う。さらに歩いていると、同じく最初のアルベルゲで知り合ったスペイン人のパブロに遭遇した。以前に数回会ったときは、暗い顔をしながら、1人でもたもた歩いていたが、今日は別人のように明るく、元気だった。妻にスペイン風のキスまでしてくる。おまけに美形の女性まで同伴しているではないか。ご機嫌がよいはずだ。いったい何が起こったのだろうか。サンティアゴ巡礼は人々を変貌させる力を持っているとでもいうのか。巡礼は楽しく、人生は素晴らしい。La vida es maravillosa!

巡礼8日目「巡礼者祝福ミサ」
 6月11日は少し遅めの6時45分に出発。絨毯のように美しい麦畑を歩くのは気持ちよいが、気温が急上昇している。巡礼路の標高は800メートルもあるのだが、非常に暑く34度まで達している。巡礼者の会話は少なくなり、炎天下の修行の歩行となった。紫外線防止のクリームを顔などに塗ったり、足をテーピングしたりしている者が増えてきた。途中のBarでワルシャワのモニカ、スペイン人のパブロ、韓国人の若者3人と再会を喜んだ以外は新しい出会いはなかった。燃えるような太陽が交流の機会とやる気を奪っている。宿に到着したときには、熱中症にかかったのではないかと思えるほどやる気が起こらない。巡礼者は口々に今年は昨年より暑いと言っている。
 今夜の宿はベロラードのサンタマリア教会併設のアルベルゲに決めた。朝食付きで1人6ユーロ以上の寄付方式だった。従来はこのような寄付方式が主流だったのではないか。7時から始まるミサと巡礼者の祝福の儀式への出席を求められた。
「神はあなた方と共にサンティアゴまで歩きます。みんなが自宅に帰るまで安全であるように。アーメン」と、司教が巡礼者のために祈ってくれた。
 四国のお遍路は弘法大師が同伴されるので、似たり寄ったりだと思う。かつて、巡礼はどこでも狼や盗賊に襲われる命懸けの旅だったのではないか。アルベルゲの世話役のオスピタレロは巡礼者を尊敬し、非常に細心の心配りをしてくれている。温かい気持ちになった。周囲のいびきはもはや騒音ではなく、生命の息吹きのように聞こえた。いびきが消えとき、人は死ぬのだから、いびきは生命の象徴である。

巡礼9日目「四国のお遍路は海外で注目度上昇中」
 霧雨の中を6時に出発。今日は標高800から1000メートルの高原を歩く。昨日の地獄のような暑さではなく、涼しい巡礼となったが、周囲は霧で見通しが悪い。途中のBarで、再びモニカとパブロと遭遇した。モニカは私のFBの投稿を翻訳で読んでいるとのことで、半分くらいは理解できると言う。ただ、サンティアゴ到着は我々よりも3日早い予定だ。モニカは計画通りに遂行する能力を持ち合わせているから、予定は大きくは狂わないに違いない。そうであれば、大聖堂前での感激の抱擁は実現しない可能性が高い。
一方、韓国人18人のグループは私たちと同じ日に目的地に着くだろうと言っている。どうなるか楽しみだ。
 日系企業に勤めるフランス人は来年、四国のお遍路に行きたいと言っている。フランス人女性のお遍路体験記が自国でベストセラーになり、お遍路ブームが起こっていると言う。私も来年サンティアゴ巡礼に来る前に、お遍路に行き、外国人のサポートをしてみたい。お遍路の道のりは日本人にも分かり難く迷子になる確率が高く、また民宿の女将さんとのコミュニケーションにも困るのではないか。サンティアゴ巡礼でお世話になったお返しをお遍路でしたいとも思う。
 2メートル近くの長身の男性が追い付いてきた。私の脚は彼の膝くらいしかない。私から話しかけた。
「あなたは長い脚を持っているので羨ましい。あなたはウサギのように速く歩き、私たちはカメのようにノロノロ歩く」
「ノー、ノー。脚が長い分、膝が壊れ安い。君らの方が頑丈にできている」長脚にも悩みはあるようだ。
「ハーバード大学のTシャツを着ているけど、大学で働いているの?」
「大学院はハーバードを出たけど、大学で働いている訳ではないよ」
「凄いね。ジョブズみたいにリッチなんだ」
「ノー、ノー。僕は貧乏だ」
「でも、サンティアゴ巡礼にやって来る人はみんな心がリッチだ」
「その通り。目的はそれぞれ異なるが、巡礼者の心は本当にリッチだ」こんなふうに会話が始まったが、彼も四国の巡礼のことは知っていた。最後に、3人で写真を撮り別れた。名前はジョブズではなく、ジョーンズだったように記憶している。二人続けて、お遍路の話題になり、驚いた。お遍路も、高野山の修行も、温泉に入浴する稀有なサルも海外で有名になりつつある。祖国のことももっと勉強しなくてはならない。

巡礼10日目「見下ろすイエスとマリア像」
 まだ真っ暗な濃霧のなか、ヘッドライトを頼りに午前5時25分に出発。アルベルゲではまだほとんどの人が寝ている。1時間も歩いていると、韓国人の集団が「おはよう」と言いながら、抜いていった。途中のBarで朝食を採る。減量のため、今日から朝食は2回から1回に減らすことに決めた。視界が悪いと風景が楽しめないが、涼しい巡礼は体に優しいのでやはり嬉しい。それでも、10時になると、暑くなった。肌を突き刺すような強い紫外線から身を護るため、サングラスを懸け、アームプロテクターを着け、帽子の下から日本手ぬぐいで頭をスッポリ覆った。日差しの強い日には半ズボンはできるだけ避けた。
 人口16万人のブルゴスの街に入ると、クルマ、信号機、人の多さに幻滅させられる。美しい田園と懐かしい中世の街歩きから強制的に現代に連れ戻されたような気分になった。コースアウトしていたので、スペイン人に正しいルートを教えてくれた。さらに旧市街へと進んで、ホテルに投宿した。窓を開けると、小さな広場に面し、道行く人を見下ろせるいい部屋だった。
 ブルゴスでは一つの楽しみがある。マドリードのバス停で知り合った日本人女性からブルゴスに来たら街を案内するので是非連絡して下さいと言われていたのだ。初対面にもかかわらず、スペインに十数年住んでいるが、昨年スペイン人と離婚したとこともなげに言う開放的な人だから、社交辞令で誘っているのではないと思った。シャワーを浴び、簡単に洗濯をした後で、教えてもらっていた住所を目指してでかけた。彼女のアパートは世界遺産のカテドラルから歩いて5分以内の距離だった。電話をかけると、スーパーで買い物中だったが、途中で切り上げて戻ってきてくれた。挨拶もそこそこにアパートに招き入れられた。中は何部屋もあり、広いという印象だ。大理石もふんだんに使われている。窓が二重になっていたり、暖房装置があるのは冬は寒いと物語っている。驚いたのは別れた夫とまだ同居していることだった。このアパートの売却額を二等分して、別々の生活へと踏み出すのだが、まだ買い手が現れないため、仕方なく同じ屋根の下で生活している。夫のことはクラスメートと呼んでいた。4000万円くらいで売りたいようだった。
 腕や首に虫刺されのようなぶつぶつができていたので、彼女に案内してもらい、すぐ近くの薬局に行った。南京虫つまりトコジラミのせいだと言われ、塗り薬と殺虫剤を買った。寝袋をよく消毒するようにとも言われた。数日前にアルベルゲのベッドの上で南京虫を発見したのだが、今考えると、別の南京虫が寝袋に侵入し、私が寝ている間に好き放題刺しまくっていたらしい。私はベッドの上は丹念に殺虫剤を散布したのだが、肝心な寝袋のなかは疑ってもいなかった。間抜けである。
 世界遺産のカテドラルの前を歩いていると、スペイン人のパブロに遭遇した。今度はイタリア人でなく、ドイツ人の美形の女性を連れている。彼女の体調が悪く、巡礼を中断するため、帰りのバスの切符を購入しに付き合うというのだ。パブロはあまりハンサムではないが、優しいので女性に持てるようだ。初対面のとき、乾燥機の使い方を丁寧に教えてくれた情景が思い起こされた。でも、次回はどんな女性を連れて歩くのだろうか。
 経済、政治、民主主義などの現代のシステムは、ヨーロッパで生まれた歴史学、哲学、社会学、経済学、科学などのいわゆる「ヨーロッパ学」と呼べる学問体系を踏まえて成立している。近代化がヨーロッパに限定されず、世界中に広がったのはヨーロッパ学が一定の普遍性を持っていたためである。でも、所得格差、環境破壊、民族対立、戦争などの問題は一向に解決できていない。これはヨーロッパ学が完全ではなく、何らかの欠陥を持つことに起因する。言うまでもないが、ヨーロッパ学は一神教のキリスト教文化を基盤として発展してきている。ヨーロッパ学の限界はとりもなおさず、一神教の不備に原因を求められはしないか。日本は修験道、神道、アニミズムなど自然崇拝を大切にしてきた多神教の国だ。人間は生まれながらにして罪を背負っていると考えるキリスト教とは発想が根本的に異なる。日本人はむしろ自然状態こそ理想的だと考える。清めることで、穢れのない心の状態を追い求める。大聖堂の威容や彫刻、絵画などの圧倒的な迫力の下で、人間は神やイエスやマリアから見下ろされ、沈黙と服従を強制されていると感じるのは私だけだろうか。新しい発想で、世界を認識し直し、ヨーロッパ学を再構築できないものか。学問体系が変われば、新しいより人間的なシステムを生み出すことができるかもしれない。人間が抱えている問題の解決のヒントになるかもしれない。日本の若者はかつての碩学がそうであったようにヨーロッパ学をいたずらに無批判的に受け入れ、学び続けるのではなく、日本固有の文化に根差した発想を身に付け、人類の積み上げてきた知識体系の再整理に挑戦してくれないかと強く願う。できれば、アジアやアフリカの知性と協力し、欧米中心の発想や歴史を変えて欲しいものだ。欧米の視点に立った発想はもう止めようではないか。知性の巨人よ、日本から生まれでよ。
 アルゴス在住の日本女性から案内されたアイスクリーム屋で可愛い子どもに遭遇した。子供たちは背伸びをしながらお気に入りのアイスを探している。スペイン人は子供が大好きだと聞いた。

巡礼11日目「抱擁の別れ」
「金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るより難しい」と聖書に書かれている。キリスト教だけでなく、あらゆる宗教はお金をタブー視してきた。お金は欲望を掻き立て、人を堕落させると見なされてきたためだろう。でも、ヨーロッパから資本主義が生まれたのは、自分の仕事に専念することは神の御心に沿うことであり、その結果得られた所得は忌むべきものではないと説明されたからだった。金儲けが正当化されたのだ。その後、金利を取ることも赦されるようになり、拡大再生産の資本主義の猛烈なエンジンが動きだす。人々の欲望に火が点くと、技術の発展と相まって、経済成長が起こり、消費が幸福の源泉という価値観が世界中に広まっていく。人々は人生の成功を求めて拝金主義に陥って、金儲けに奔走するようになるが、一方で競争の結果、金融資産の格差が起こるだけでなく、資源の乱開発が起こり、地球環境は著しく破壊されることになった。不遜かもしれないが、金儲けをキリスト教文化が認めたのは、進化ではなく、むしろ宗教の堕落と私には思えてならない。現代、キリスト教徒は教会に行かなくなるだけでなく、信者数が減少しているのは、人々の心を取り込むことができなくなってきているからではないのか。魅力が失われ、人々を惹きつけられなくなってきている。むしろ、イスラム教の方が本来の宗教の健全化を保っているがゆえに、信者は増加しているのではないか。「目には目を、歯には歯を」とはイスラム教を代表する考え方のように喧伝されたり、一部過激派のテロがニュースを賑わせたりしているが、世界中の大多数のイスラム教徒は家族と自分の小さな幸福を毎日神に祈り続けているのだ。もっとも大切なことを当たり前のように終日行っているに過ぎない。
 アルゴスを6時過ぎに出発すると、メセタと呼ばれる標高900メートルの台地状の麦畑のなかの道に足を踏み入れた。9時を過ぎると、太陽が灼熱のように暑くなり、巡礼者は立ち止まってはリュックからボトルを取り出し、水を飲みながら次の村を目指した。途中、スペイン人のパブロ、韓国人の集団、西安出身の大学院生、ワルシャワのモニカ、アジア系米国人の若いカップルと会う。みんなとは今まで何回も言葉を交わした仲だ。
 今日、モニカは私たちより10キロ先の村まで歩くと言う。もう二度と会えないかもしれないと直感が走る。モニカにそう伝えると、「私は先まで行かない」と駄々をこねたが、それは叶わないことだ。私は首を横に振った。モニカは別れの抱擁を私と妻にしてきた。目頭が熱くなった。私たちは立ち去るとき、モニカの目を見ることができなかった。
 新しい出会いもあった。16才のときに、宇都宮の高校に留学したという24才の女性は母と4度目の巡礼だという。楽しい青春期だったと懐かしく当時の日本の生活を振り返る。大好きな日本の食べ物は言わずと知れた餃子だという。宇都宮っ子だ。熊本の美味しい食べ物を訊かれたので、馬刺しに言及すると、母娘は複雑な表情をした。馬の生肉を食べるとはと呆れたのだろう。馬刺しは止めておくべきだったかともと少し後悔したが、後の祭りだった。彼らも我々よりも遠い村まで行って泊まるそうだ。そう言われると、急に取り残されたような気持ちになった。でも仕方がない。人々には独自の人生があるように、それぞれの歩行プランがあるのだ。
私たちはオルニージョス村の小さなアルベルゲにチェックインした。世話役の女性オスピタレロは最初に到着した私たち夫婦を非常に丁寧にもてなしてくれた。彼女はスペイン語しか話さないが、ほぼ100%理解できる。わたしのスペイン語の能力からすると、じつに不思議だ。相互理解には、言葉よりも気持ちが大切なのだと再認識した。
 同宿のフラン人がフランス語で話しかけてきた。私たちがキョトンとしていると、彼は得意でない英語を振り絞り、I want to say, I don’t say.と発音した。言いたいことは心の底に響いた。人類はみな兄弟である。
 アルベルゲの裏はのどかな麦畑の風景がどこまでも続いている。静かだ。宿の中庭では、フランス人女性が足のマメを治療しながら、悲鳴を上げている。平和である。
 宿の洗濯場で面白い標語を発見した。La vida es el camino, no decaigas, continua… 「人生はカミーノ(道)である。それは衰えることなく続いていく」。

巡礼12日目「私はドイツ語が話せない」
 毎日色んなことが起こり、天国のように楽しいが、2週間も過ぎていなくても1か月くらい旅行しているような気分になっている。何か突発事項が起こり、途中で帰国しなければならなくなったとしても満足だろう。十分楽しんだ。
 昨夜泊まったアルベルゲの夫婦はとても親切で、「自宅のように過ごして下さい」と言われ、シエスタ1時間半、夜寝8時間もしてしまった。こんなに熟睡するのは初めてのことだ。先日買った虫刺されの薬が効かないので、夫人に虫刺されの跡を見せると、顔を曇らせたかと思うと、隣の大きな町にいる夫に電話をして、薬を買ってくるように伝えた。数時間後、その薬を受けとったが、代金は要らないと言ってくれた。このアルベルゲで虫被害に遭ったと勘違いされたのかもしれないが、有難いことだった。薬は効いたようだった。
 今回の巡礼の目標は10個あるが、その1つはサンティアゴ巡礼を舞台にした小説を書くことである。色んな悩みを抱えた人々が世界各地からやって来て、交流をしながら、物語が展開していく。対立があり、協力がありながらも、悩みが解決する者もいれば、問題が却って深くなる者もでる。死の恐怖、老化、不治の病、嫉妬心、時代に先んじすぎて周囲から理解されない人、大宇宙を形成したビッグバンがなぜ起こったか解明できない学者の高級な悩み、出世が遅れている人の悩み、配偶者を愛し続けても報われない悩みもあろうか。何の悩みを選ぶかはこれから決めなくてはならない。このような小説の構想を歩きながら、妻に話すと、それは最近読んだ遠藤周作の小説『深い河』に似ていると言うのだ。スペイン滞在の初日に留まったホテルの部屋で隣の部屋から聞こえて来た女の喘ぎ声に耐えきれず、トイレに逃げ込んだときに持ち込んだ小説だ。この小説の舞台はガンジス川なのだが、遠藤周作は日本人にとってのキリスト教信仰とは何なのかを追求した作家だと思う。筋書きを聞くと、なるほどと思わせる展開と終結なのだが、私にそのような力量はないが、せっかくの機会なので、自分らしい小説にしようと思っている。登場人物のモデルになりそうな人々とはここの巡礼路で会えそうだ。
 14世紀に建てられた元修道院の前で写真を撮っていると、フランス人夫婦が追い付いて来て、巡礼者スタンプの場合を教えてやるので付いてこいと言うのだ。今は巡礼者用の病院になっていて、無料で診察してくれるようだ。私たちが日本人と分かると、夫人は福島事故は大丈夫かとフランス語で尋ねてきたが、フランス語ができない私はただ両手を広げるだけだった。放射線漏れは食い止められたのかということを聞きたかったようだ。言いたいことは、沢山あるけれども、いざ言葉にすると、日本語でも難しい。日本人は目を背けたいだろうが、事故は完全には終息せず、放射線漏れは当面続く。
 道中のBarでいつもの女性を連れたパブロに会う。
「モニカは先に行ってしまい、もう会えないかもしれないので、寂しい」と私が言うと、パブロは
「何を言っているのだ。モニカはここにいるではないか」と、連れの女性の方を向く。
 私はハッとした。そうか、偶然にも二人の女性は同じ名前だったのだ。私はワルシャワのモニカと別れたとパブロに丁寧に話し、ついで、新しいモニカに何処の出身かと聞くと、ドイツだと答えるので、知っているだけのドイツ語を並べた。
「おはようございます。初めまして。私の名前はノブです。日本から来ました。大学生の時、化学を勉強していました。今は働いていません」
 最後にネタが切れて、ドイツ語で「私はあなたを愛しています。私はドイツ語が話せません」と口にすると、隣で聴いていたドイツ人男性が大声で笑った。モニカは「ドイツ語が話せるじゃないの。ドイツに来れば忘れていたドイツ語をもっと思い出すわよ」と、慰めてくれた。このような他愛ない会話でも、巡礼者の心を癒やす効果はある。ただ歩くだけの巡礼者には貴重な一時である。
今日の宿泊地のカストロヘリツ村に着いて、道路に面している現金支払機でお金を引き出して、外にでると、パブロとモニカが腰に手を当てて仲良く歩く後ろ姿が目に入ってきた。楽しそうだである。声をかけようと思ったが、直前で思いとどまった。ここは干渉しない方がよい。武士の情けである。
「やはり、あの二人はできているではないか」と私が言うと、「作家の勘は鋭いね」と妻が言う。私の小説のモデルとして是非登場させなければならないと思った。でも、作品の中で、パブロはどのような悩みを抱えて巡礼にやって来たことにすべきなのだろか。いや、その前に本物のパブロはなぜ巡礼にやってきたのだろうか。以前聞いたことがあるが、モゴモゴ話す英語が聞き取れず、分からなかったのだった。いつも悩みを抱えているような顔をしているが、女と一緒にいると顔が輝いている。どういうことなのだろうか。私の悩みは深まるばかりである。

巡礼13日目「ハポン!、ハポン!」
 昨夜はカストロヘリツ村でじつに気持ちのよい時間を過ごした。夕食は緑の多いキャンピング場のレストランで爽やかな風を受けながら西洋人用の一人分の定食を仲良く二人で食べた。量が多いので、二人でちょうど良い時がある。すると、隣のテーブルで食事していた貴婦人が近寄って来て、流暢な英語で「昼間、あなたたちが歩いているのを見かけたわよ。サンティアゴまで歩くのでしょう。凄いわね。気を付けて行ってね」と言った。この婦人に限らず、人々は巡礼者に敬意を払ってくれる。地元の人は常に「良い巡礼を!」と声をかけて来る。頑張ろうという気持ちが自然と湧きでる。
 今日はまだ薄暗い中、バンガローを午前5時50分に出発した。メセタと呼ばれる平らな台地を登ったり、下ったりして前に進む。昨日より長い25キロの道のりを歩くため、酷暑になる前に次の宿に着きたい。大方のルートで快適な爽やかな風を楽しんで歩いていたが、それでもいつもの通り最後の5キロは給水を取りながらの巡礼となった。太陽は容赦をしてくれない。
 途中で休憩していた73才と70才のスペイン人夫婦と10日ぶりに再会する。相手の方が先に気付き、手を振っていたようだ。出会いの記念に、日本カミーノ友の会のバッジを夫人に渡すと、非常に喜び、近寄って来てスペイン式のキスをしてきた。私にとっては初めての経験だ。代わりに、主人から食べかけのオレンジの房をいただいた。何気ないやり取りなのだが、巡礼者同士の心が通うのだ。後で日本人に聞いた話だが、この夫婦は日本人巡礼者に会うと必ずそのバッジを見せて、ハポン、ハポンと自慢していたそうだ。喜んでいただいて心底嬉しかった。
 フロミスタ村のアルベルゲに午後1時前にチェックインし、書き貯めた絵はがきを投函しようと郵便局に行くと、すでに15分前に閉まっていた。午後1時45分以降は働かないのだから、幸せな国だ。ドアをガチャガチャさせながら門の前でがっかりしていると、中から若い女性が顔をだした。スペイン語と英語を交えて話しかけてきた。彼女は明日また来いと言うのだが、東洋からやってきた巡礼者だと分かると、中に招き入れてくれた。絵はがきを見せると、事情が分かったらしく。代金を受け取って、一枚一枚切手を貼ってくれた。明日投函するとのことだ。巡礼者は何かと得をするようだ。
 ここで、スペインの歴史を簡単に振り返えろう。
イベリア半島に、まずケルト民族が来て、次にフェニキア人、ギリシャ人もやって来て、ローマ人も来た。ゲルマンが来た後は、イスラム教徒のモーロ人に800年間も支配された。当時、キリスト教文化は紙の製造もできないなどかなり遅れていたため、異教徒を跳ね返す文明エネルギーを持っていなかった。1492年コルドバを陥落させて、モーロ人をやっとの思いで追い出すと、今度は他の奴らをやっつけようと、新大陸アメリカに駒を進め、原住民の大虐殺に止まらず、金銀財宝を大略奪して大帝国になった。16世紀のフェリペ2世の時代が全盛期である。けれど、資本主義システムがうまく形成できず、ヨーロッパの他の国に追い越されてしまい、グータラになって西洋の貧乏国になった。こんな歴史だ。
 一方、日本は1980年代に世界最強の製造業大国になり、一時世界のGNPの15%を占めていたが、次の段階への変換ができず、ずるずると落ち目の国になっている。一人当たりのGNPでは、シンガポールや香港にも抜かれ、世界27位になった。28位はスペインで、29位は韓国が迫っている。もはや日本は豊かな先進国とは呼べない。訪日する海外旅行者の急増は日本が物価の廉価な国、すなわち成長を終えた国になった結果ではなかろうか。
 長時間労働に苦しむ国とシエスタを享受する国はどちらが幸せなのだろうか。
サンティアゴ巡礼では、徒歩は100キロ以上、自転車の場合は200キロ以上巡礼すれば、巡礼証明書が交付されることになっている。

巡礼14日目「貨幣を廃止せよ」
 巡礼2週間になると、だいぶアルベルゲにも慣れて来て、周囲のいびきは気にならなくなり、逆に大きないびきで迷惑をかけたり、自分のいびきで目が覚めたりするようになった。被害意識が消え、加害意識が芽生える。
 宿泊場は色々ある。公営のアルベルゲ、教会主宰の寄付方式のアルベルゲ、私営のアルベルゲ、民宿、オスタル、ペンション、ホテル、それにパラドールと呼ばれる高級ホテルが道中に整備されている。民宿、オスタル、ペンションの違いは誰に聞いてもよく分からない。内容の貧弱なホテルのような位置付けだろうか。安く泊まりたいのならば公営アルベルゲの6ユーロからあり、若者や金銭的余裕のない人々の利用が多く利用するが、プライバシーを重視したい巡礼者や富裕層はホテルなどに宿泊しているようだ。学生たちは、公営アルベルゲに宿泊し、スーパーで食料を調達するため、1日当たりの出費は3000円くらいと思われる。
「何でも見てやろう」精神に富む我々は下から上まで体験してきた。高ければ楽しいかと言えば、そうでもないのがサンティアゴ巡礼の面白いところ。高級ホテルは格式ばっていて、温かいもてなしを受けている気がしない。教会併設のアルベルゲの世話役のオスピタレロは心から歓迎してくれているのが感じられる。
 おおざっぱに言えば、人間は神を殺して資本主義の道を開き物質的に豊かになってきたのだが、いつもの間にか、労働者だけでなく資本家や株保有者でさえお金の奴隷になりつつある。人間性を復活するためにも、お金との闘いに勝利しなければならない。かつて実業家でかつ経済学者であったドイツ人のシルビオ・ゲゼルは20世紀初頭、自己増殖する貨幣ではなく、劣化する貨幣を提唱した。所有していれば、価値が下がるので使わなければ損をする。資産家は銀行に預けているだけで、働かなくても貨幣が自己増殖するから不公平である。ゲゼルの発想は健全である。現在先進国で進みつつあるマイナス金利は貨幣価値の縮小であり、資産家には困ったことでも、大多数の人々には必ずしも悪い事態ではないのではないか。いずれにしても、金利を設定することが成長のエンジンを点火することだったと考えると、ゼロ金利はもしかしたら、資本主義の終焉を暗示しているのかもしれない。成長を絶対善とする為政者にとっては克服すべき現象に違いないが、新しい時代の幕開けと前向きに捉えたい。人工知能の発展は著しく、天才的棋士でも勝てない。近い将来、知的な職業は人工知能に置き換わっていくことだろう。学者の創造的な仕事でさえ、すでに一部は人工知能が担っている。学者だけでなく、裁判官、弁護士、政治家、役人、医者、パイロット、企業経営者、マスコミといった今まで高級な知的職業と見なされてきたものは人工知能が代わってやってのけるようになるかもしれない。さらに言うと、人工知能とロボットの発展は生産財の極大化を招き、人間はあらゆる労働から解放されるかもしれない。その時、貨幣は意味をなくすので、消え去る運命にある。人間が貨幣との闘いに勝利する瞬間だ。空想的な話だが、今世紀の前半までに実現すると本気で考えている学者もいる。専門用語だが、シンギュラリティと呼ぶらしい。
 その時、人間は人工知能に支配される可能性が高い。どうしたら天才級の頭脳を持つ人工知能との闘いに勝てるのだろうか。無限の命を持つ人工知能と有限の命の人間との戦争に勝つ可能性はあるのだろうか。考えることは楽しい。
サンタマリア教会主宰のアルベルゲには午前11時に到着した。開門の正午まで待つ代わりに、門の前にリュックを並べた。私たちは4番目だった。人気のあるアルベルゲのようだ。待っている巡礼者はみんなニコニコしている。何が起こるのだろうか。私たちは不安と期待が入り交じった気持ちを楽しんでいた。

巡礼15日目「イエスと会った」
 昨日の話の続き。午前4時30分にシエスタから目覚めると、周囲はイエスのような雰囲気の男たちが寝ている。胸毛にも気品が漂う。音を立てて起こしたら、祟りがあるかもしれなおい。トイレに行こうと、踵を突かないように歩いて部屋を出ると、階段の踊り場にもマットが敷かれている。超満員の状態だ。以前会ったテキサスからやってきた細身の女性が陣取っていた。おそらく最後に到着したのかもしれない。こんなところに女性一人で寝て大丈夫ですかと聞くと、ニッコリして問題ないと答える。彼女は会うごとに元気になっていくような気がする。
 ここのアルベルゲでは、各自が食材を持ち寄り、一緒に夕食を摂ることになっている。妻とスーパーマーケットに買出しに行くために外にでると、今度はぼろぼろの服を纏ったイエス風の男がやって入口まで来て、宿が満員と分かると、疲れた身体を引き連れてとぼとぼと引き返して行った。私がシエスタを貪っているとき、この男は炎天下を強い紫外線を受けて40キロ以上歩いてきてここまで辿り着いたのではないのか。サンティアゴ巡礼の厳しさを改めて思い知らされた。私にもっと慈悲の心があったならば、代わってあげたかもしれない。イエスが重い十字架を背負わされて処刑の丘へと向かう途中、多くの人々は人心を惑わす者としてイエスに汚い言葉を浴びせ、石を投げつけた。おそらく、私がその場にいたら、同様に石を投げつけていたことだろう。それの方が安全で、愉快で、我が身を護ることができたのだから。自分の弱さが恥ずかしくなった。
 午後4時過ぎでも日光の威力は強烈だった。7分ほど歩いてスーパーに行くと、物価の安さに驚いた。この国は日本に比べて所得が同じくらいで、物価が安く、労働時間が短いのだ。スペイン人ばかりでなく、会う巡礼者はみんなと言っていいくらい、日本人はよく働くと口にする。それは美徳かもしれないが、自分はそれを選択しないと言外に言っているのがよく分かる。
午後6時からアルベルゲの歓迎会が開かれた。まず、シスターらによる歓迎のギター演奏があり、次に巡礼者から巡礼の理由を含む自己紹介することが促された。英語、スペイン語、フランス語がここでの公用語だが、もっとも偉いシスターがフランス人であるためか、フランス人が過半数を占めていた。ネット上では有名なアルベルゲのようだった。巡礼の目的は多様であるようだった。スピチュアリティを求めたり、人生の行くべき道を探ったり、肉体的挑戦だったりした。中にはサンティアゴ到着後、さらに大西洋まで歩き、海で泳ぎたいと語る若い男性もいた。宗教上の理由を堂々と語った者は少数だったように見受けられた。それをみんなの前で言葉にすることに躊躇った者もいたかもしれない。中央に座っているシスターの眉間にずっと皺が寄っているのが気になった。
出席者の発言が終わると、ギター演奏かまたは歌を披露するタイムとなった。同じアルベルゲに宿泊し、I want to say, I don’t say.と拙い英語で話していたフランス人男性はギターを演奏し、参加者を楽しませてくれた。カッコいいと思った。即興だが、みんな上手い。終盤に差し掛かると、日本の歌の披露が求められた。日本人は3人来ている。ギクリ。私とフランス留学中の20才の女の子が顔を見合せて困ったなという顔をしていると、突然妻ががばっと立ち上り、英語で「学生時代に歌った讚美歌を歌います」と言って、一人で歌い始めた。ところどころセリフが出てこないが、最後まで歌いきり、大きな拍手を浴びていた。こんな度胸を妻が持っているとは思わなかった。27年目の大発見だった。
 午後7時から隣のヒヤッとした教会の建物において、厳かな雰囲気の中で、巡礼者歓迎のギター演奏会が開かれた。まだルートの半分も歩いていないが、今までの巡礼の出来事が思い起こされ、心が落ち着くのが実感された。ギターの音が体に沁み込んでくるようだった。
 外に出て、近くの売店で妻の大好きなアイスクリームを食べながら、教会の前の広場まで戻ると、偶然パブロに会った。一人で歩いていたので、ドイツ人のモニカはどうしたと聞くと、帰国したと小さな声で答えた。寂しいかとさらに聞くと、はにかんだように少し寂しいと言った。本当は非常に寂しいのだろうと突っ込むと、照れたまま首を横に振った。私たちは二人が腰に手を廻しながら楽しそうに歩いている姿を目撃しているが、そのことには触れなかった。この出会いが最後になるかもしれないと思い、3人で写真に収まった。後日写真をよく見ると、パブロは明るい笑顔で映っていたので、安心した。
 午後9時過ぎから夕食会が開催された。スペイン、アメリカ、オランダからこのアルベルゲにやってきた学生ボランティアがテキパキと準備を進めていく。このようなアルベルゲは他に見かけなかったので、特別なところなのに違いない。巡礼者が持ち寄った食材を使って巡礼者のボランティアたちが簡単な料理を作っていたらしい。赤ワインで酔うにつれて、巡礼者の距離がさらに近くなったようだ。私たちのテーブルは、スペインとイタリア出身の女性、スペインとアメリカの学生ボランティア、そして私たち夫婦の6人だった。他愛のない話が心の接着剤になる。巡礼に参加した理由はそれぞれ異なっていても、お互いに敬意を表し、達成を願っているのは同じだ。基本的なところで価値観を共有できているので、複雑な言葉は要らない。スペイン人学生が私に向かって、スペイン語が少し話せる理由は何かと聞かれたので、この巡礼のために数か月母国で勉強してきたと答えると、感心したような表情を見せた。これは意外なことだった。私にとっては、巡礼を円滑に進め、楽しみ、さらに妻を護るためにも、スペイン語を多少なりとも学習するのは当然と思っていたからだ。立場が異なると、違った風に見えるのが可笑しかった。
 昨日の話が非常に長くなってしまったが、今日起こった話を始める。
 朝が明けた。午前6時前に楽しかった教会付設のアルベルゲを出発した。星空を見るために、午前4時に出た者もいたようだ。毎日休憩を含めて6時間くらい歩いているが、午前9時ころまでの3時間は涼しくて楽園のようだが、後半の3時間は地獄のような暑さとなる。紫外線対策は必須だ。怠って皮膚が炎症し、病院に行った者もいる。
 歩くことは単調なのだが、意外と飽きない。代わり映えのしない風景を楽しんだり、あれやこれやと回答のでない問を考え続けたりするのだ。時間があるのは豊かな証拠だと思う。カントも西田幾多郎もそうやって哲学の世界を開拓していったのだ。
 ヤコブを祀っている大聖堂のあるサンティアゴまで370キロもある。私たち夫婦はさらに90キロ西に進み、大西洋を臨むフィステータまで到着する予定だ。昨日、数人のイエスに会った。今度はいつかヤコブに遭遇するかもしれない。

巡礼16日目「歩禅」
 今日も昨日と同様の27kmの歩きとなった。かつて夫人どうしが写真に収まったことのあるフランス人夫妻と出会った。様子が変だった。両人ともにリュックを担いでいない。巡礼を止めて、最寄りの駅から列車に乗ってパリに戻ると言うのだ。記念として日本カミーノ友の会のバッジと相撲取り絵のコースターを渡して、大変喜んでもらった。フランス語と片言の英語で話しかけてきたので、予定通りの帰国なのか、断念なのかわからないが、毎日暑い中20数キロ歩き、30数日かけてサンティアゴに到着するのは容易でないと思い知らされた。道中、命を落とす高齢者も少なくないと聞いたことがあるが、実感できるような気がする。歩けなくなったからといって、誰かがすぐにクルマで迎えに来てくれるわけではない。
 12世紀には毎年50万人の巡礼者がサンティアゴを目指したが、条件は今より格段に厳しかったと思われる。靴も装備品も貧弱であったはずだ。宿も教会の裏屋根に雑魚寝だっただろう。食事も粗末だったに違いない。それでも、彼らはサンティアゴ巡礼を続けた。不治の病を抱えていた者もいたであろう。天国に行きたかった信者もいたであろう。罪滅ぼしの巡礼もあったかもしれない。戦争勝利祈願もあったかもしれない。金持ちになりたい人もいたかもしれない。思い通りにならない運命を引摺りながら、神に祈りを捧げながらの巡礼であったに違いない。歩きは単純な作業であるが、自分と向き合う行為としては最良の時間である。風景の変化も少なく、お喋りの話題に尽きてしまうと、その後は意識が内面に向かって行く。自分とはいったい何者であろうか。自分がこの世に生を受けた理由は何であろうか。役割は何なのか。ただ偶然にこの世に転がり込み、死ねば魂は朝露のよいに消え去り、身体はゴミグズになってしまう存在に過ぎないのか。神と自分、あるいは大宇宙と自分が向き合うしかない。この根源的な問いに対する万人の納得できる答えはない。人間は悩み続けながら短い一生を終えて行く。歩く巡礼にはこれらを考えさせる効果があったであろう。それは中世も現代も変わりはない。座禅ではなく、歩禅と呼んでもいいかもしれない。明確な神が存在しなくなった現代にあっては、心を無にして、大宇宙から降りて来るメッセージを受けとるのだ。それらは人間の能力を超えたものであるかもしれない。イマジネーションも、セレンディプティも、そうやって顕在化するのではないのか。科学的大発見や発明も、限界を超えて考え抜こうとした人間への万能の神からの温かい贈り物であるのかもしれない。そう考えるならば、現代においても神は存在するであろう。そのような神は天空の大宇宙にあるのではなく、じつは人間の心に存在するのではないのか。心の中は大宇宙の空間よりも広い。神聖な心も、仏性も、創造の神も、自分の中にあるのかもしれない。それに気づくかどうかが人間の品性なのではないのか。
 名前も知らない黄色い花はパンプローナから巡礼の旅を開始して以来、ずっと私たちを励ましてくれた。いつも小鳥はさえずり、沢山の蝶が祝福するように舞っている。大きな教会の塔にはコウノトリとツバメが思い思いに巣を作っている。いつもこのような平和な時間が続いているのが嬉しい。明日もそうあって欲しい。これからもずっと。

巡礼17日目「獰猛な黒いイヌ」
 私たちの典型的な1日は以下の通りだ。まだ真っ暗な午前5時ころに起床し、前日スーパーで買ってきたパン、ハム、チーズ、オレンジなどで朝食を済ませ、薄暗い中6時前後に簡易宿泊所のアルベルゲを出発する。1日当たり歩く距離は20~30キロ。概ね2時間ごとに、途中の村のBarでカフェ・オ・レや果物を取りつつ休憩すると、次の宿泊地に到着するのは正午~午後1時ころになる。
 アルベルゲにチェックインすると、シャワーを浴び、衣服を洗濯して日向干しする。それから、レストランに行ってビールを飲みながら昼食を取り、部屋に戻ると至福のシエスタの時間となる。1~2時間寝て起きると、夕食の時間まで、街を散歩したり、スーパーに行ったり、巡礼日記を書いたり、絵を描いたりして過ごす。午後8時前後に夕食をとり、まだ外の明るい10時前に床に入る。毎日長距離を歩いているのだが、美味しい料理を沢山いただいているので、体重は一向に減る兆しがない。妻は私のお腹を見て、むしろ太ったと突っ込んでくる。
 今日はカルサディジャからマンシージャまでの25キロを歩いた。このルートは少し遠回りになるため、ほとんどの巡礼者は選択しない。途中、村もなく、Barもなく、水飲み場もなく、日陰もなく、しかも道は石が多く非常に歩き難いルートだった。そのためか、道中会ったのはアメリカのカップル二人だけだった。想像だが、スペインとフランスのガイドブックは別のルートを推奨しているのではないのか。彼らはどこかに行き、忽然と消えていた。
 私は中世の街が好きである。12世紀の城壁が残っているマンシージャ村の広場で市場が開かれていた。サクランボ500グラムが1ユーロしかしない。安さに比例して嬉しくなる。
 昨日から今日にかけて幸運に助けられた。スーパーに店主がいなく、仕方なく帰ろうとすると、地元の人が現れて、店主を探しに行ってくれた。また、今朝5時、アルベルゲを出て、道に迷い右か左か迷っていると、突然1台のクルマが現れ、目の前で止まってくれて正しい道を教えて、去って行った。私たちにはけっして偶然には思えない。これも出発時に神に安全を祈願し、日の出が出ると、太陽に向かって両手を合わせているからだろうか。
 幸運だけでなく、ヒヤリとすることもある。スーパーで買い物をして、途中ベンチに座りながらアイスクリームを食べていると、突然黒い野生の強そうなイヌがやってきて、私たちの前で立ち止まった。顔には泥がついている。お腹が空いたような顔をしている。顔が引きつった。
「腹が減っているみたいだ。ナイフを出してお前のお腹の肉を切り裂いて、与えたらどうか?」私がそう言うと、
「こんなとき、よくそのような悪い冗談が言えるわよね」妻は立腹した。
「何か冗談でも言わないと、緊張に耐えられないよ」心臓がパクパクしている。
「どうするのよ!」
「いざとなったら、俺が犠牲となるから、お前は一人で日本に帰れ」私は精一杯強気を出した。
「そんなの嫌よ。視線を合わせちゃだめ。どうやったらこの危機を乗り越えられるのよ?」
 そうこうしている間、イヌは去っていった。安堵したが、しばらく立てなかった。スーパーでハムを買わなかったのがよかったかもしれない。買っていたら、イヌも粘っていたに違いない。もっとも、そのとき、買い物袋の中身について考える余裕はなかったのだが。いずれにしても、助かった。
 明日は道中最大の街レオンを目指す。私たちのサンティアゴ巡礼の旅の中間点になる。まだ半分か、もう半分か。両方の気持ちが入り交じっている。レオンでは、心機一転のため2連泊する予定だ。

巡礼18日目「人生を楽しめ」
 昨夜、味の素のカップ焼きそばが美味しかったせいか、ワインを飲み過ぎたせいか、疲れていたためか、9時間以上爆睡した。今まで一番遅い午前6時30分の起床となった。ペンションの部屋で朝食を済ませ7時30分にレオンに向けて出発した。今日は20kmに満たない楽チンコースだ。レオンの街の入口で同世代のフランス人夫婦に追い付き、もう二度と会えないかもと思い、相撲取りの絵のコースターを記念に渡した。非常に喜ばれ、主人がスマホの写真を見せてくれた。絵画が趣味らしく、ミケランジェロやラファエロらの作品をモディファイした絵画を描いている。広い自宅のあちこちに飾っているとフランス語で流暢に説明する。プロ同等の腕前のように見受けられた。侍の絵も描いていると言うが、私には歌舞伎役者のように見えた。次回はこの相撲取りの絵を参考に相撲取りにも挑戦してみると言ってくれた。彼はずっとフランス語を話していたが、フランス語をまったく理解しないわたしでも彼の意思は十分理解できた。
 また、福岡から来たという40才代のスペイン大好きのカップルにも会った。20回くらいスペインに来たことがあるという。失業中で、スペインに住むためこちらで仕事を探したいそうだ。仕事と遊びのバランスが崩れている日本はもうごめんだと言う。バブル以降の世代は日本人の美徳であった勤勉性を失っていると断言する。勤勉もまた上から押し付けられた価値観なのか。日本人の価値観の多様化は進んでいる。普通の日本人並みに働けば、スペインでは十分やっていけるだろう。さらに、議論は進み、落ち着いたところで名前を聞くと、「大神」だと言うではないか。語呂合わせではないが、ここでも神との遭遇だ。こんなことが巡礼でよく起こる。
 私の巡礼の目的は近代が失ってしまった神を甦らせることだ。西欧の中世や江戸時代の庶民は教科書で教えるほど惨めだったのではなく、結構伸び伸びと自然や神々と近くで交わっていて、安心して生きていたのではないのか。死ねば極楽に行けると信じ、終末期でも心が穏やかだったと想像する。現代人の方がむしろ希望も抱けず奴隷のようにこき使われているのではないのか。しかも、死ねば無になると信じ込まされている。中世の精神的に安らかであった面を再評価し、現代に甦らせられないものか。それは単に中世に逆戻りすることではない。自然に存在する神々を大切にしつつ、自己の内部に眠っている神聖な魂を呼び覚ますことなのだ。自然の神と人間の内部の神が共鳴するとき、人間は創造性を十分に発揮し、時代を切り開くことができるのではないか。大神も私の考え方に賛同してくれた。ただし、彼らカップルは1日に15~20キロしか歩かないマイペースのため、私たちせっかち夫婦とは二度と会う機会がないかもしれない。
 巡礼の最大の街レオンに到着した。大聖堂の荘厳で美しいステンドグラスは一見の価値がある。カトリックの絶対的信仰心がこの大建造物を現実のものにしたのだが、現代人は信仰心を失ったがゆえに、大建造物を造るパワーも意欲もない。わずか千年もたたない間に人間の価値観は大きく変わった。神聖や神秘性が威力を失い、唯物論や科学主義だけが大手を振って歩いている近代主義は環境を破壊し、人間性を貶めていないか。そんなことを考えながら、大聖堂を後にした。Pasarlo bien! 人生を楽しめ。

巡礼19日目「レオンの休日」
 レオンは35日間の巡礼の後半開始地点だが、肉体的疲労と精神的倦怠感を癒すため、レオンで休日を取ることにした。朝食後、あまり歩かずホテルで朝寝を貪った。
 起きると、中世の修道院を改装したパラドールと呼ばれる五つ星ホテルの見学に出かけた。出国時は退職記念旅行の思い出にここに宿泊するつもりでいたが、美味しい食べ物を食べ過ぎてしまい体重も予算もオーバーしているので、断念した。
 スーパーで出会った日本人カメラマンによると、私たちが仲良しになった友達に渡しているハポンと書かれたバッジが大変好評のようだ。喜んでいただいて素直に嬉しい。こういったことがあると、何処に泊まっても旅は楽しいものになる。
 毎日の旅行記は1~2時間かけて書いているが、レオンの休日を楽しむため旅行記も手を抜こうと思う。先はまだ長いのだ。
ただ、台湾から二人でやってきた女性と3回目の再会を果たし、写真撮影をした。サンティアゴ巡礼は中国語で「聖雅各之路」と呼ぶと教えてもらった。これだけでも、今日は価値のある日となった。

巡礼20日目「vaca(バカ)とajo(アホ)はスペイン語」
 昨日は終日体を休ませたので、今朝から足も心も軽かった。そのため、今日22キロ、明日31キロの予定を変更し、今日32キロ、明日21キロとした。今日も途中で2つのルートに分かれたのだが、私たちは3キロ長くなるが自然の道のルートを選んだ。どうもスペインとフランスのガイドブックは短いルートがメインになっているようで、彼らはまったく見かけなかった。これをもってして彼らが怠け者と考えるのは可笑しいのだが。
 アルベルゲでも周りはアメリカ人が多く、部屋の中で大声で話しているので、途中で目が覚め十分なシエスタは取れなかった。英米人はサルでも英語を話せると考えている節が若干あるが、話し始めるとサルと同様に騒がしい。
 今日はくだらない話をしたい。ひょうきん族は何処にでもいるものだ。ブルゴスのBarのバーテンダーもその1人だ。私たちが日本人と分かると、片言の日本語を披露する。スペイン人が「アリガトウ」を覚えるとき、Aqui gato「アキガート」(ここに猫がいる)と頭に入れて覚えるそうだ。なるほど、通じないことはない。お返しに、私は彼に面白い日本語を教えた。スペイン語のvacaとajoはそれぞれ牛とニンニクの意味だが、同じ発音の日本語の意味はバカとアホとなると教えた。すると、彼は大きいというgrandeを付けて、同僚を指して、vaca grandeとajo grandeと大声で叫ぶではないか。言われた方は意味が分からずキョトンとしている。さらにエスカレートし、スペイン語の乾杯はChinchinと言うが、その発音の日本語の意味はペニスだと教えると、彼は若いバーテンダーを捕まえて、Chinchin grandeと何度も笑いながら言う。巨根と言われた彼は顔を赤らめている。バーテンダーがスペイン語に翻訳したのだろう。私たちはワインの勢いも借りて、お腹が痛くなるほど笑った。下ネタはスペイン人も日本人も大好きなのだ。ただし、過度の使用は禁物だ。私の投稿は巡礼中にFB友達になったワルシャワ出身のモニカも機械翻訳を通じて読んでくれているが、このようなアホな話を人工知能はどれだけ正確に訳せるのだろうか。Monika san、もし翻訳の下ネタを理解できたならば、リスポンスして欲しい。巨根についてだが、奈良時代の高僧の道鏡は巨根であったと高校の日本史で勉強したことを思い出した。日本史は暗記しなければならないことが多く、好きになれなかったが、このようなつまらない俗説はいつまでも忘れない。
道中のひょうきん族をもう1人紹介しよう。Barで軽い休憩を終えて道に出ると、どっちの方向に行くべきか分からず立ち止まっていると、若い男性の巡礼者二人がやって来たので、英語で正しい方向を聞くと、ニヤニヤしながら、今まで来た方角を指差すではないか。私がBad guyと吐き捨てるように言うと、彼はハイタッチを要求してきたので、それに応じた。すると、Buen camino(よい巡礼を!)と言って、足早に去って行った。嫌な気はあまりしなかった。他愛ないやりとりなのだが、サンティアゴ巡礼には、とても大切なことなのだ。目的はそれぞれ異なっても、毎日が厳しい試練であることは変わらない。みんなお互いにサンティアゴの大聖堂まで行き着けることを心から願っているのだ。冗談やジョークなしでは心が張り詰め疲れてしまう。
 余談だが、5メートルくらい上の電線に靴がぶら下げてあるのを数回発見した。どのような意味があるのだろうか。結局、巡礼が終わっても意味不明のままだった。

巡礼21日目「在ること」
 今日は余り気温も上がらずアストルガまでの21キロの比較的楽な歩行だった。レオンで2連泊したためか、知合いは先に行ってしまい、ほとんど誰とも会わない寂しい日になった。それでも、西洋人に親しげな挨拶を受けることがしばしばあり、何処で以前に会ったか思い出そうとしても、上手くいかない。西洋人は似たような顔に見えて特徴を掴むのが難しい。彼らから見ると、巡礼中の東洋人は少なくすぐに記憶に残るのかもしれない。如何ともしがたいが、どんな言葉よりも効果がある笑顔で応対することにしている。
 3週間も旅を続いていると、旅が日常になってくる。ハレからケになる。気分転換の旅から人生の一部としての日常になる。言ってみれば、「為すこと」から「在ること」になる。一応、サンティアゴ大聖堂まで歩くという遠い目標はあるのだが、毎日は歩くことを中心とした繰り返しに過ぎない。妻も食事の準備、掃除、洗濯などをやらなくてもいいので、楽ちんな毎日だと笑う。巡礼は退屈な時間ではなく、自由な精神状態である。これは中世的だ。何も生産的でないが、自然と神々とともにあるという安らぎがある。近代の価値観は違う。何かモノかサービスを生産することが各自に求められる。常に右肩上がりの成長をすることが善とされ、それへの参加が義務化される。昨日よりは今日、今日よりは明日が明るいのだ、と信じ込まされている。成長には資源とエネルギーの消費が必要であり、その結果、汚染が拡がり地球環境はひどく毀損されてきた。みんな気がついているが、生きていくために成長のゲームから降りられなくなっている。自分が生きている間だけでも、地球が破滅しないで欲しいと願いつつ、快適な生活にしがみついている。他に有効な選択肢が与えられていない。それを考える自由も奪われている。
 スペインにいると、自由だ。日本にいれば毎日耳にするニュースが入って来なくても困ることはない。政党支持率が急変しても、巨人が勝っても負けても、有名人が亡くなっても、大きなコンビナート爆発事故が発生しても、株価が暴落しても、ほとんど関係がない。そのようなニュースは個々人が本来生きていく上では重要なことではないのだが、いつの間にか、常識として知らないと生き苦しくなってしまっている。新聞記事は読んだ瞬間に無価値になるのだが、多くの優秀な頭脳がそれらを「生産」するために費やされている。もっと根源的でオリジナルなことにみんなの関心が向けばいいのだが、価値を産まないからといって見向きもされない。巨大なシステムがそれを許さないのだ。もっと遠くへ、もっと速く、もっと強く、もっと多くという価値観の呪縛から人間の心を解放する必要があると思う。もはやモノを多く所有することはダサイ。カッコ悪いし、時めくこともない。豪邸でも、クルマでも、高級家具でも、みんなで共有すればよい。モノ自体に本当の価値はない。
 サンティアゴ巡礼は目的や動機は各自異なるが、大聖堂までどうにかしてたどり着きたいという願いは同じだ。ほとんどの巡礼者は足に何重にもテーピングしているが、大丈夫かと聞いても問題ないとしか言わない。それでも、何人かは途中で断念し、帰国して行く。自分の足の問題は著しく個人の問題であり、個人で解決するしかないのだ。事前に鍛錬していない者には試練が襲いかかる。残された者は彼らの願いを受け入れて歩き続けなければならない。無言の強い連帯感が巡礼者の心の支えになっている。自分のためだけでなく、他の巡礼者のため、来られなかった友人のため、世界の人々のため、迫害を受けている弱者のため、不幸な人々のため、地球のため、神々のため、ただ祈りながら、サンティアゴを目指して歩き続けるのだ。それはGNPには何の貢献もないが、じつに大切なことなのだ。信じないと、何も起こらない。

(続く)