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100キロウォーク

第19回行橋別府100キロウォーク大会

 今年6~7月、北スペインのサンティアゴ巡礼で妻と800キロの世界遺産の道を33日で歩いた経験が生かされた。4600人が参加した行橋別府100キロウォーク大会で17時間42分の自己新記録で完歩したのだ。順位はまだ確定していないが、300番前後だろうか。国東半島の三つの峠を超す日本一の難コースと言われる大会でのこのタイムに大変満足している。

 昨年の大会は豪雨だったということもあるが、19時間を切ることはできなかった。その時の反省は足腰がまだ長距離歩行用に改造されていないと判断した。要は毎日20~30キロを歩くと言う習慣をつければよいのだ。それも楽しくなければ継続はできない。

 そこで思い当たったのが、サンティアゴ巡礼800キロである。妻ととともに定年退職旅行と称してスペイン語を少し勉強して出かけたのである。現地では毎日23キロ程度歩いたのだが、2週間もすると身体がその距離に慣れ、疲れをまったく感じなくなる。身体の適応能力に驚かされた。継続は力なり。習慣化すると、それまでできなかったことが易々とできるようになるのだ。

 この経験をもとに、9月は強化月間として700キロ歩いた。毎日5時間くらい歩いたことになる。定年退職し、時間がふんだんにあることが幸いした。5日間の休養を経て、10月6日に行橋に乗り込んだのである。

 18時間を切るために、各ポイントの通過予定時刻を設定し、それより遅れないよう気を配った。歩きは予想以上の出来だったと思う。調子が良かったので、トイレ休憩以外は2度併せて15分しか休まなかった。通過予定時刻より常に10分以上余裕があるペースだったのが精神的にプラスに働いたと思う。何から何までが計画通りに進んだため、大成功だった大会となった。

 その原因はやはりサンティアゴ巡礼徒歩の旅だったと思っている。大聖堂に祀られているヤコブ様に感謝である。

 さて、来年の大会では16時間台を狙うことになる。そのための対策は今秋、四国お遍路1100キロを踏破することで、さらに目標を確実にするために、ウォーキングフォームの改善が必要だと思っている。競歩選手によると、フォームを改善すれば、誰でも時速8キロで歩けるようになると言う。さらに、筋トレにも取り組みたい。徒歩は足のみでなく、全身の筋肉を使う運動だからだ。全身を使った方が速く、しかも楽に歩けるのは自明である。

 さて、1年後どのような結果が出るだろうか。予定通りか、それとも思わぬ落とし穴(練習過剰による心身の疲れなど)に陥るだろうか。入念にチェックをしつつ、目標を達成し、充実した人生を送りたいものだ。

(2017年10月9日、寺岡伸章)
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小説『歩禅』

 八代市内の宮嶋スポーツ財団の駐車場は約100人のウォーカーで混雑していた。八代から薩摩街道沿いに八女の卑弥呼公園まで100キロの道のりを24時間以内に歩く大会が開かれようとしている。出場者は主催者の山田会長の挨拶もそっちのけで、不安そうに黒い雲ばかり見上げていた。天気予報は90%の降雨と発表され、いつ雨が落ちてきてもおかしくはなかった。
「アキ先生、卑弥呼公園で待ってますけん、必ず完歩して下さい」
 高専の学生たちが応援に駆けつけてきていた。出場を知らせてはいなかったが、どこかから情報を入手したらしかった。
私には大会への明確な目標があった。がんで入院中の綾子叔母さんの無事の退院を祈念することだ。私も最後まで頑張るので、叔母も頑張って元気になって欲しい。子どもに恵まれなかった叔母は幼少の私をわが子のように可愛がってくれた。
 正午のスタート後、臨港線から薩摩街道に入るころには天から雨が落ちて来た。ポンチョを取り出して着るのだが、雨が小降りになると、ポンチョをリュックにしまった。しばらくなると、また雨がひどくなり。そんなことを繰り返しなり、雨は勢いを増していった。天は手加減をしてくれそうもない。
 綾子叔母のためにも簡単に負けるわけにはいかない。暴風雨は私の覚悟を試しているように勢いを増していく。厳しい試練である。私は歩くことに集中した。土砂降りになるほど、わたしの闘争本能に火が付いた。余計なことは何も考えず、人間機関車になるのだ。ざぁざぁと脚を勢いよく前に踏み出す。昨年は苦しさから逃れる方法ばかり考えていたが、今年はへなちょこな私はそこにいなかった。どんな豪雨でも明日になれば消えてしまい、青空が広がる。自然がどんなに私を苛めようが、それに屈しなければ勝利はこちらに転がってくる。敵は苦難から逃れようとする弱い自分だ。辛くても心は燃え盛っている。
 それでも、靴の中は雨水が侵入し、ずぶ濡れになっている。足の裏には肉刺ができ、痛み始めていた。足の甲や下半身の筋肉は悲鳴を上げ、歩きを止めろという信号を発している。痛みは今まで経験したことのないレベルに達してきた。トラックは雨の中でもスピードを緩めず、水たまりの泥水を蹴散らしてウォーカーに浴びせる。屈辱感を覚える。弱い自分はこんなバカなことはもう中止したらどうか、ほとんどの人はリタイアするのだから恥ずかしくはない、ここまで頑張った自分を褒めて上げられよ、そんな気持ちが心から湧いてくる。でも、発想を変えると、病床に横たわる患者は命を天に委ねるしかないが、健康な身体を持つ自分は完歩かリタイアかを判断できる立場にいる。自分で運命を決められるのだ。
 田原坂に差し掛かると、一層風雨は増した。県境では暴風雨になった。大会が中止になっているかどうかさえ分からない状況になった。痛みは背中まで這い上がってきた。もうこんなバカなことは止めよう。叔母の健康を祈ったからと言って、それが通じるとは限らない。自分の身体をこれほど痛めていったい何になるというのだ。後遺症が残ったら、みんなに嗤われるだけだ。私は世界一愚かで、思いあがった人間はなかろうか。
後ろから誰かが歩いて迫ってきた。でも、抜いていく様子はない。私は振り返ってみたが、誰もいない。そんなことが何回か続き続き、はっと気づいた。4年前に亡くなった母なのではないか。苦しんでいる息子を励ますために、後ろから付いてきているのだ。死んでもなお息子を大切に思う気持ちに心が熱くなった。それに比べて、母の生前私はどれほど親孝行をしたのだろうか。自然の試練がどんなに厳しくても、それを上回る応援を母はしてくれているのだ。母に頭を深く垂れた。
 私は歩きに集中した。過去も未来も私には変えることはできない。自分が立ち向かっていけるのは現在しかない。現在にすべてを賭けずして、生きていくことの意味がない。人生は暇つぶしではない。ここでは敗北は絶対あり得ないのだ。あとどれだけ距離が残っているかではなく、今の激痛に耐え、次のエイドステーションまで辿り着くことだけを考えた。一息つけば、エネルギーが身体から湧き出てくるかもしれない。ボランティアが熱いお茶を持ってきて、頑張って下さいと声をかけてくれた。歩いている私たちよりもテントの中で夜通し立ち尽くしている彼らの方が辛いと思った。少なくとも私にはできそうもない。
 深夜3時頃には雨が急に止んだ。やはり、豪雨がどんなに激しくても終わりは確実にやってくるのだ。空が晴れ、月と星が輝き始めた。じつに美しい光景だった。太陽が昇り、大地、川、田畑を形成し始めた。
ついに、ボランティアと学生たちが拍手で迎えるなかをゴールした。100キロウォークの恐ろしさを知らされた2日だった。お前はよくやったと自賛すると感激の涙が溢れた。身体の痛みは消えていた。綾子叔母さん、やったよ。これで無事退院できるよ。願いは必ず通じるから。そう思った。でも、しばらくすると、全身から汗が吹き出し、意識が遠のくのが分かった。自分の身体に何が起こっているのか分からないまま、意識が消えて行った。
 意識が戻ったときは病院のベッドの中だった。低血糖症と告げられた。歩きに集中する余り糖分の補給を怠ったのが原因だった。再び激痛が身体を包み込んでいた。鏡の中の自分の顔色は悪く20歳以上も老け込んでいた。

 半月余りが過ぎ足の疲れも取れたので、ウォーキングを再開した。ゲートボール場から大きな声がかかってきた。
「アキちゃん、どけ行くとね?」
 張りのある声が聞こえると、女性が近くに駆け寄ってきた。綾子おばさんだった。手術を受けて一回り小さくなったものの、顔色はよく、元気に溢れていた。大手術を受けたとも思えなかった。
「アキちゃんは大学の先生で偉かけん、おどんま百姓とは違うたい。武者んよか体育着ば着て、恰好よかね。もっと田舎もんにならんと、付き合いにっかたい」
 相変わらず直截的な話し方だった。本当に元気になってよかった。私の祈りは効き目があり過ぎたのかもかもしれない。これでいいのだ。来年も100キロウォーク大会に出場しようと決心した。(了)

(2017年9月15日、寺岡伸章)
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100キロウォーク完歩のコツ

 100キロウォーク4回、行別100キロ2回経験者の寺岡伸章です。初めて挑戦されるウォーカーに個人的な経験を元にアドバイスしたいと思います。

 まず、完歩するためには準備が9割で、本番でやるべきことは1割くらいしかありません。事前に長距離を歩ける身体を作ることが大事です。その方法は二つ。一か月前に100キロを歩くこと又は毎日3~5万歩歩いても疲れない強靭な身体を作ることです。わたしは過去前者を採用してきましたたが、今回は後者を試そうと思っています。毎日3~5万歩でも疲れない体力であれば、2~3週間あればできるでしょうから今からでも間に合います。要は時間があれば、歩くことです。歩いた距離が長い人ほど本番で楽ができます。

 ただし、本番2~3日前は休養を十分とり、スタートラインには軽い身体で笑顔で立ちましょう。

 本番では、100キロ歩くことに目標を置かず、まず次のチェックポイント又はサービスエリアまで歩くことを念頭に歩きます。それの繰り返しの結果、100キロが完歩できます。

 リタイアの最大の原因である足の肉刺防止のため、五本指ソックスを履いています。3か所のCPで履き替えるため、予備のソックス3足をいつも持参します。靴下は汗で湿っているため、履き替えると気持ちがいいです。天気予報の最高気温が30度を超える場合は、バテテしまいがちですので、日没まで自重して歩きましょう。周囲のウォーカーに惑わされてはいけません。勝負は暗くなってからと自分に言い聞かせます。

 また、最低気温予報が10度を下回るときは、防寒対策は必須です。長袖に加えて、手袋を持参します。結構温まります。

 食料はなるだけ持参します。コンビニのレジで待たされると、イライラしかつ時間の無駄になるからです。少しずつ食べるにつれてリュックが軽くなるのも嬉しいです。

 最後に、100キロウォークの世界は決して甘いものではありません。絶対に完歩するのだという強い意識を持続できるかどうかが分かれ目です。何はともあれ、本番で少しでも楽をしたいのであれば、

 今すぐシューズを履いて、胸を張って歩きましょう。街中よりも自然の中を歩く方が疲れませんよ。さあ、頑張って歩き、笑顔でゴールしましょう。

(2017年9月10日、寺岡伸章)
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行橋別府100キロウォーク大会準備開始

 やっと猛暑も落ち着き、気温が下がり始めたので、今年10月7~8日開催の行橋別府100キロウォーク大会に向けて練習を開始した。昨日は山間部の道と旧街道を歩くというコースを妻とともに歩いた。クルマのほとんど通らない道は歩きやすい。森林浴も十分できた。昼食でちゃんぽんを食べた時間を含めると、外出時間は7時間だった。33キロくらい歩いただろうか。歩いた後、疲れがドッとでるかと心配していたが、昼寝も1時間くらいだったので、久しぶりの長距離歩行にしては身体はうまく順応してくれたようだ。

 目指す大会まで4週間しかないが、身体を長距離歩行に順応させていかなければならない。本番では14万歩くらい歩くことになるので、毎日3~4万歩歩ける身体を作れば、100キロは完歩はできるだろう。できれば目標とする18時間も切りたいものだ。

 毎日4万歩(25キロ前後)くらい歩いた800キロのスペインのサンティアゴ巡礼で分かったことは、2週間も歩くと、身体はうまく環境に順応してくれることだった。疲れが溜まるのではなく、適応力のために楽に歩けるようになる。疲れを知らない身体に変身してしまうのだ。ただし、これには一つ条件があると思っている。それは自然豊かな道を歩くことだ。人工物が多い街を歩くと神経が疲れるが、自然の中の歩行は逆に精神を癒してくれる作用があるように感じられる。

 この文章を書いているのは33キロ歩行の翌日であるが、昨日の疲れは残っていない。身体がうまく順応してくれたようだ。大会までに毎日少なくとも3~4万歩歩けるようになりたいが、そこまでの身体を作れるかどうか。
 今日はゴルフに行く予定であるが、カートに乗るため歩くのはせいぜい1万4千歩だろう。その後、筋トレをやるためにフィットネスクラブに行って、ローラーの上を走ったり歩いたりしなければならない。併せて3万歩は稼ぎたい。

 スポーツはやって疲れるのではなく、運動しても疲れない身体を作り上げることだ。そのためには、環境が大きく左右する。できれば、自然の中の快適な環境で歩いてみたい。自然から生命力のパワーをいただきたいものだ。

(2017年9月9日、寺岡伸章)
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旅行記「北スペイン巡礼徒歩の旅」(その2)

巡礼22日目「1500メートル超のイラゴ峠」
 今日の巡礼は標高900メートルのアストルガから標高1400メートルのフォンセバドンまでの27キロ。でも、以前ほど暑くなく、比較的スムーズな巡礼の旅となった。スペイン南部は40度の猛暑に襲われているなか、ここ北部は別世界のようだ。昨夜宿泊した聖ザビエルというアルベルゲは名前に合わず単なる安宿で宗教性も神聖さもないところだった。そのようなことを期待するのであれば、教会運営のアルベルゲに泊まらなくてはならないのだろう。
 今日は再会が多い楽しい日になった。午前6時に安宿を出ると、1時間ほどで東洋系アメリカ人の若いカップルに追い付いた。相変わらず、女性は次の宿泊場まで宅配サービスを利用するためリュックを担がず歩いている。しばしば会うのは何かの縁だと思い、力士の絵の入ったコースターをいつもエール大学のTシャツを着ているミスター・エールに渡した。
 最近は、涼しいうちは私が先導して歩き、暑くなってくると妻が先に出るというパターンになっている。話し合った訳ではないが、この形が一番快適に歩ける。途中のBarで早い昼食を摂っている台湾人の若い女性二人組に追い付いた。中国語で立ち話をした。すでにFBの友達関係にあり、私の投稿記事を自動翻訳で読んでいて、「いいね」も押してくれている。翻訳は50%くらい理解できると言っていた。文才があると褒めてくれる。日本人だけでなく、海外の人々にも記事が読まれるのは素直に嬉しい。巡礼を追体験してもらいたい。彼女たちはいつか東京に行って、相撲を観戦したいそうだ。劉さんには力士のコースターを、林さんにはバッジを渡した。私たちの歩くペースの方が速いので、もう会えないかもしれない。
 さらに歩いて行くと、同じようなペースで歩いている女性と話す機会に恵まれた。スウェーデンから1人で来ている女性だ。一通りの挨拶話の後で、巡礼にやって来た理由を聞くと、宗教的なものではなく、50才の誕生日の記念だと語った。巡礼の旅は人生に似ている。他の巡礼者と会って、お話しをしたり、一緒に食事をしたりして、友達になり、たとえ別れても、どこかで不思議と再会する。すると、いっそう親密になる。ここではどんな人も平等だ。どこの国の人も、偉い人もそうでない人も、金持ちもそうでない人も、どのような神を信じている人も、無神論者も、若い人も年配者も。みんなお互いに気遣い、励まし合いながら、サンティアゴの大聖堂を目指す。彼女はそう力説する。私が抱いている気持ちとまったく同じだ。タイにも旅行したことがあると言うので、タイの観光地や食べ物の話でさらに盛り上がった。私と同じようにリラックスした人生が好きなようだ。「為すこと」よりも「在ること」が大事。
 サンティアゴ巡礼ルートの最高点1505メートルのイラゴ峠への道のりはピレネー越えに次ぐ厳しさと聞いていたが、案外楽に登った。事前に故郷八代の標高500メートル超の龍峰山に重いリュックを担いで登った事前トレーニングが生かされた。
 宿泊と朝食付きで8ユーロの格安アルベルゲに到着し、ベッドで休んでいると、以前に会った福岡出身のカップルが私たちの上のベッドにやって来た。10日ぶりくらいだろうか。すでにずっと先に行っていて、会えないだろうと思っていたので意外だった。さらに、英国の女性クレアがやって来て、隣のベッドを選択した。3回目の遭遇になる。彼女は非常に社交的で誰にでも話かけて友達の多い人気者だ。オーバージェスチャーが人気の秘密だろうか。私たちには易しい英語で話しかけてくれる。でも、足はテープを巻いていて辛そうだ。痛むかと聞いても、いつも大丈夫だと答える。自分に厳しく、人に優しい。バッジをプレゼントすると、大変好評だった。さっそく、リュックに着けていた。プレゼントした人の気持ちを大切にする人なのだ。
 30人くらいしか泊まれないアルベルゲは満員である。シャワールームは1つしかなく、しかもドアでなくカーテンで仕切られているだけだ。妻には非常に不評だった。それでも、西洋人の女性は大胆だ。シャワールームから出て来たとき、上半身は服を身に付けているが、下半身はパンティーだけという婦人を複数回目撃した。裸を見られることに対する抵抗感が少ないのだろうか。
 天気予報では天気は下り坂傾向になるという。明日雨が降らないよう祈りながら寝ることにしよう。

巡礼23日目「奇跡か偶然か」
 昨夜宿泊したフォンセバドンはパウロ・コエーリョの小説『星の巡礼』で、主人公が犬の姿をした悪魔に襲われて、瀕死の重症を負った場所だ。私は、虫は許せるとしても、イヌにだけは咬まれたくないとひどく警戒していた。西欧人は野良犬だろうが飼い犬だろうが、お構いなしに可愛がっていた。小説を読んでいなかったならば、黒いイヌを見ても、怖がらなかったのかもしれない。
 しかし、アルベルゲの夜はいろんなことが起こった。多くの巡礼者がベッドの寝袋に入った後でも、余り働かないアルベルゲのアルバイトのイケメン男性のギターに合わせて、巡礼者の若者たちが午後11時過ぎまで外で楽しそうに歌っていた。それが終わり静かになると、部屋の中で女性が私でも理解できる英語で寝言を言うのが聞こえた。人は大切なことは易しい表現で語るものなのだろう。
 深夜になると、今度はトイルの方向から女性が携帯電話に向かって、大声で叫ぶ声が聞こえてきた。目が覚めた。「黙れ、それはあなたの家ではない」と何度も女性は怒鳴り散らす。恐らく、財産問題か何か重要な問題で言い争っているのではないのか。電話口の相手も負けずに反論しているようだ。双方相当血が頭に上っているのが手に取るように分かった。なんだか天国の巡礼地から現実に引き戻されたような気分になる。現実はいつも利害が対立し厳しいものだ。
 口論が終わり一度寝入ってしまったのだが、今度は身体のあちこちが虫に刺されて痒くなり、何度も目が覚めた。真っ暗な中、ウェストポーチのなかから手探りで塗り薬を探し出し、患部に擦り込んだ。こんなことを夜中に数度やったため睡眠時間は少なかったのだが、なぜか腹が立たなかった。起きてしまったことに抵抗したり、文句を述べたりしても、事態は改善しない。それらを受け入れ、悪化しないようにするのが賢明なのだ。「為すこと」よりも「在ること」を受け入れ、冷静に解釈し、広い視点で時間の推移を見守るのだ。悪いことは継続しない。いつか好転する。大事なことは待つということだ。そう思って、しばらくして寝入ってしまった。
 早朝起きて分かったことだが、妻も上のベッドで寝ていた二人の日本人も虫に刺されていた。患部が赤く腫れている。虫刺されは日常のことと思ってしまえば、いちいち気にしても仕方がない。もっと重要なことはいくらでもある。
朝になった。昨夜からの祈りが叶ったためか、雨はぱらついたが、降るまでには至らなかった。今までの巡礼で雨が降ったのは初日の2時間だけだ。幸運が続いている。
 私たちは巡礼ルートの最高点1505メートルのイラゴ峠に建っている「鉄の十字架」を目指して歩み出した。霧が出ていて見通しはあまりよくない。途中で数匹の羊に会ったので、珍しいと思い写真を撮った。
 1時間ほどで頂上に到着した。クリスチャンである嫁の実家の両親から預かった小石をここに奉納してきた。「鉄の十字架」は世界中から願いを込められたいろんな石が持ち込まれるためか、小高くなっている。しかも、あたり一面に霊感が漂っている。1人でやってくると、ちょっと怖いだろう。霊場と言えば、高野山の奥の院を思い出すが、そこに行くと、弘法大師と大自然に抱かれたような安心感を覚える。キリスト教の教会は苦悩の表情を浮かべるイエスと悲しみにくれるマリアが天宮から我々を見下ろしている。人間は生まれながらの罪人なのだから、それらを贖罪したイエスに祈れと言われても、心の隅っこで窮屈さを感じるのは私だけだろうか。ヨーロッパが一神教に席巻されるまで、現地の人々は自然を崇拝し、いろいろな土着の神々を信じていたはずである。それらの伝統はいつの間にか消え去っていった。西洋の知識人は、多神教は原始的な段階の未熟な宗教だと低く評価するがそれは正しい態度なのだろうか。むしろ、一神教の方が人間の多様性を否定し、人間性を低めてきたと解釈できないものか。
 鉄の十字架をバックに写真を撮影するとき、突然青空が広がり、太陽が顔を覗かせた。幸運と思った。日本人らしい女性を見かけたので、夫婦二人の写真を撮ってもらった。しかし、後ほど、「私は韓国人です」と言われた。流暢な日本語だった。
 鉄の十字架を後にして山を下り始めると、山裾から霧が舞い上がってきて、一面真っ白になった。頂上が晴れていたのは、私たちが滞在していたほんの10分たらずだった。神からの祝福だったのだろうか、それとも偶然だったのだろうか。いや奇跡かもしれない。
 今日は山道を27キロ歩いたが、長距離歩いたという実感があまりない。疲れないのだ。歩くことが息をすることと同様に日常のことになりつつあるのだろう。習慣に勝る天才はいないのかもしれないと思った。

巡礼24日目「巡礼者定食」
 昨夜の宿はアルベルゲではなく、ホテルに逃げ込んだ。夫婦ともに虫に刺されてひどく痒くなり、服は下着も含めてすべてコインランドリーで洗い、寝袋とリュックはしっかり消毒した。これで虫どもは一網打尽になったはずだ。
 長距離を歩いているため、私はどきどき股擦れになるが、ムヒSを傷口に塗ると、すっきりして、痛みが消えていく。妻は割れ目ちゃんが擦れて、痛むと愚痴をこぼす。お尻も割れ目ちゃんも肉同士が擦れて皮膚の表面が破壊されるのだ。普段やらないことをやると、予想しないことが起こる。でも、日常を打破したり、ブレークスルーを興したりしたいのならば、これくらいのことは克服しなければならない。
 昼食は「巡礼者定食」をそれぞれ注文し、二人でシェアして食べた。一皿目はズッキーニのポタージュとペンネのミートソースかけ。二皿目は豚肉のリブの煮込みと牛肉のカツレツだった。これらにワインか水の飲み物とデザートの選択がついて、1人で11ユーロだ。量的には日本の定食の1.5倍から2倍はあるが、美味しいのでいつもすべて食べてしまう。昼食はこのようにがっちり食べ、夕食と朝食はスーパーマーケットで買った食材で済ます。今朝はミルクパンにサラダとチーズとキャビアを挟んで食べた。減量は巡礼目標のひとつであったが、すでに棄てた。せめて、体重増にならずに帰国したいものだ。
 今日は今にも泣き出しそうな空模様を気にしながら、24キロ先のビジャフランカを目指して急いだ。神々のご加護があったせいか、雨が降る前にアルベルゲに到着した。加えて、紫外線対策のサングラスとアームプロテクターは初めて使わずに済んだ。天に感謝しなければならない。
 今夜のアルベルゲは清潔そうで、今夜は虫に襲われなくて済みそうだ。チェックインのとき歓迎コーヒーを淹れてくれた上に、洗った服は脱水機にかけてくれるなど若夫婦の経営者は優しくもてなしてくれた。妻も機嫌がいい。宿に掲げられた写真を見る限りでは、彼ら夫婦2人でアルベルゲを改築内装し、経営しているようだ。創意工夫の跡が見える内装に彼らのひたむきさと巡礼者に対する愛情が感じられた。いつかまた泊まってみたいアルベルゲの一つである。
 明日は標高差700メートルの登りを30キロ以上歩く予定だ。雨が降らないよう祈るだけ。今まで、物事はすべて予定調和のように進んでいる。

巡礼25日目「神とサタンの戦い」
 善なる神は此の世を創造された際に、何故サタンも造られたのか。キリスト教に疎い私には、この深刻な問題について、神学論争でどのように説明されているか、知る由もない。
 今朝、他人の目覚まし時計の音で午前5時に起床した。雨が屋根を叩きつける音がしている。心を雨モードに切り替えないといけないと自分に言い聞かせた。食堂で朝食を済ませて、雨具を着て、アルベルゲに泊まっていた22名の中で最初に出発した。標高1300メートルを越えるオセブレイロまでの30キロの距離を雨の降るなかを歩くのだ。どんな困難が待ち受けているか分からない。強い気持ちを持たなければならないと自分に言い聞かせた。まだ暗いなか、巡礼路の目印を見落とし、ルートアウトしては引き返しつつも前に進む。明るくなっても雨の止む気配はない。いつものように足の速い巡礼者は後を追って来ない。彼らは雨が止むまで宿で待機しているかもしれない。雨足がひどくならなければよいと思いながら、歩行ペースを維持することに努めた。今までの旅で荒天にならなかった分、ここで借金を返させられないかと恐れた。天気予報は良い方向に外れていた。今日はそうはなるまいという気持ちがした。
 谷底の川に沿ってしばらく歩くと、前方の空が明るくなるのが見えた。妻に私たちの将来は明るいかもしれないねと半ば冗談のつもりで声をかけたが、反応は鈍かった。しだいに小降りになり、7時30分に雨が止んだ。空の一角に青空が覗いた。緊張の糸が緩むのが分かった。その時、うしろから走ってきた自転車が突然私たちの横で停止し、「日本人ですか」と、声をかけてきた。鹿児島出身の男性で、パンプローナを出発し、サンティアゴまで行くと言うのだ。自転車のため私たちの半分以下の日数しかかからない。昨年はニュージーランドの国土を自転車で3000キロ走ったというから強者である。もしかしたら、年令は私より上かもしれない。彼は今まで会った日本人の10番目だが、九州出身者は3組目になる。じつに多い。全員に出身地を聞いていないが、九州人は冒険が好きなのだろうか。そう言う私も九州人であるが。お互いの無事を祈って別れた。帰国して義母から聞いた話では、件の九州男児は巡礼の途中、NHKのラジオ番組に2週連続登場し、現地の模様を説明したそうだ。状況を掴めない義母にとっては、ずいぶん安心材料になったと言う。
 午前9時に行程の半分まで来たので、Barで休憩することにした。席に座っていたスペイン人のグループと目が合ったので、スペイン語で挨拶した。少し上達しているみたいだ。空は晴れて、日光が射すまでに回復していた。フランスパンに生ハムを挟んだボカディージョとカフェオレで鋭気を養った。40分ほど休んでいると、韓国人女性2人が追い付いて来て、従業員に薬局の場所を英語で聞いているのが耳に入った。1人が全身を虫に刺されて、痒くて堪らないと訴える。私たちと同じ被害に合っているのだ。従業員は2キロ先に薬局があると教えていた。私たち夫婦は彼らより先に出発したが、薬局までは3キロ以上あるように思えた。
 歩行は順調に進み、20キロ地点から登りが始まった。標高差700メートルを登らなければならない。
 空の天気は晴れたかと思うと、しばらくすると、黒い雲が突然立ち込め始める。雨が落ちて来るが、長くは続かない。すると、太陽が顔を覗かせる。典型的な山の天気である。刻一刻状況が変わるのだ。高度を上げていくと、晴れと雨の攻防は一段と激しさを増して来た。天空でまるで神とサタンが戦っているように思える。森林限界を越えると、急に冷たい風が吹き初め、身体の体温を低下させていく。神の勝利を期待するものの、サタンは手強い。大自然のなかでは、人間は弱い存在でしかない。サタンが自然を制圧し、どしゃ降りにでもなれば、いったい私たちはどうなるのだろうかと、頭をよぎる。
 目的地まで2キロの標識が目に留まり、辛そうで遅れがちな妻を励ましながら先を急いだ。宿に着けば、サタンも追っては来られまい。空では神とサタンの戦争が続いているが、風は一層冷たくなっていく。なぜか、巡礼者も見掛けなくなった。まさか道を間違えたのではないかと、余計なことまで心配してしまう。残り2キロがやたらと長い。薬局を探していた韓国人のことを思い出す。スペイン人は距離を短めに言うのだろうか。黒い雲が低くたれ込んでくる。神の勝利を祈りつつ、気持ちを強く持ち、危機を乗り切らなくてはならない。次の峠を越えれば、村が見えると期待しても、何度も裏切られてしまう。妻との差が開きだした。左足のかかとが痛いと訴えるのだ。明らかに歩き過ぎである。やはり800キロは妻にとって重い十字架だったのかもしれないと思った。でも、後悔しても何も解決しない。悪いことは重なるものだ。雨足が一層激しくなり、このままでは全身びしょ濡れになり、体温が急降下すると危ないと、思った瞬間、小さい村にたどり着いた。やっと着いた。サタンは断然優勢であった。
 よく頑張ったねと妻を労いつつ、最初に目に入ったホテルに飛び込んだ。救われたと思った。価格を気にする余裕はなかった。こうやって7時間以上の今日の巡礼は終わった。
 到着したオセブレイロ村は人口30人足らずの天空の村と呼ばれる非常に美しいところだ。巡礼路のなかでもっとも古いサンタマリア教会も建っている。ある身なりの悪い巡礼者がこの教会にやってきて、ミサをやって欲しいと頼むが、司教がぞんざいに扱っていると、赤ワインがイエスの血になり、パンがイエスの肉に変わったという伝説が遺されている。
 遅い昼食を終え、この教会で巡礼スタンプを押してもらった時、今日は思い出に残る日になったとようやく安堵した。

巡礼26日目「巡礼にやってくるのはロマン主義者」
 昨夜はホテルの大きめのベッドで同じ毛布に夫婦でくるまって寝たのだが、それでも寒かった。130人収用のアルベルゲは6度まで気温が下がり、非常に寒かったという。体が冷えて、風邪を引くのを恐れていた私たちの選択は正しかったのに違いない。
 私たちは防寒対策と雨対策をして、次の村を目指して7時40分に出発した。雨は降ったり止んだりを繰り返している。濃い霧も出てきた。巡礼者の像が立っているサンロケ峠を過ぎると、再び風雨が強くなり始めた。中間地点で暖まるため、Barに入ると、中年の韓国人女性が日本語で話しかけてきた。天気がすぐれないので、次の宿泊地までタクシーで行くが、同行しないかという誘いだった。誘いを断ったので、韓国人女性は一人でタクシーに乗り込んでいった。私はカフェ・オ・レで、妻は紅茶で暖まって店を出た。
巡礼路を歩き出すと、風雨はさらに強くなり、手や足の指先が冷たくなった。数日前までの灼熱の太陽はいったいどこに行ってしまったのだろうか。本当に今は夏なのか。自分はいったい世界のどこにいるのだろうか。こんなに寒いなか、半ズボン姿の西洋人が多いのは不思議である。世界は少しずつ狂い始めている。私はそう思った。でも、正気を維持するためにも、何事も厳粛に受け止めなければならない。それが修業というものだろう。不運を嘆いていても、心が乱れるだけで、何も解決しない。これは歩く禅なのだから。
 二人の西洋人が猛烈なスピードでやってきたので、「今日は素晴らしい天気の日だね」私からと語りかけると、彼は「巡礼者はすべてを受け入れなければならない」と応じて、去って行った。考えていることはみんな同じなんだ。天気が悪いのも、良いのも、受け止め方しだいなのだ。
 さらに、歩いて行くと、1人で巡礼している日本人女性が追い付いてきた。「仕事を辞め、気持ちの整理をするために、巡礼にやって来た」と言う。私の子どもと同世代の25才。私が「あなたもロマン主義者ですね。現実主義者は巡礼のような何の得にもならないようなこんなバカなことはしない」と言うと、彼女はクスッと笑った。若者は自分探しの旅に出たがるが、答を得られる者は少ない。人生は悩み出すと、迷宮に入ってしまい、そこから抜け出すことができなくなってしまう。そう思ったが、口にはしなかった。若いころに深く悩むほど、人は成長するものだ。のっぺりした無表情で無感動の中高年にはなって欲しくない。
 旅には二種類あると思う。一時的なものと永遠的なものだ。前者の旅は終わりがあり、いずれ自宅や然るべきところに帰って行く。何かを「為す」旅と言えるかもしれない。後者は旅が人生であり、死ぬとき旅が終わる。ある状態に「在る」旅と言えるかもしれない。こうなると、永遠の旅は出家と似てくる。リヤカーを引きながら四国のお遍路の旅を何千日も続けている人がいるそうだ。飲食や金銭のご接待を受けながらの旅であり、それが途絶えた時、命が絶たれる。まさに、毎日が一期一会なのだ。誰かと接している瞬間、その人のすべてが現れる。優しい人はその存在だけで他人の傷ついた人の心を癒やすことができる。心を閉ざした人はどんなにお金持ちであっても、友達が多くても、永遠に孤独な人生を送ることになる。
 長旅は虚栄を剥ぎ取り、人生を純粋化することで大切なことを炙り出す。私たちの旅のゴールはサンティアゴの大聖堂でも、地の果ての大西洋の海岸でもない。明るくなったら起きて、歩いて、食べて、誰かと会って話しかけて、暗くなったら寝る。その繰り返しだ。地球上では本質的に新しいことは何一つ起きない。単純なことの繰り返しだ。そこに何らなの意味を見出だすことができるかどうか。それは旅をする人もしない人も各自が答を発見していかなければならない。
 目的地に近づくにつれて小降りになった。巡礼者の気持ち和らぎ、会話が復活する。デンマークからやってきたという若者が楽しそうに話しかけてきた。日本は好きな国だと言う。そのすぐ後に追いついてきたスペイン人の若い女性がたどたどしい日本語で語りかける。
「ワタシハ、マンガがスキです」
 どうやら、彼女が日本語を学ぶきっかけになったのは、漫画やアニメのようだった。彼らは楽しそうに笑いながら、下り坂を走って行った。

巡礼27日目「野生の復活」
 3日連続の雨の中の巡礼となった。こんなに続けて雨が降ると、慣れてきて嫌な気持ちがなくなってしまう。毎日20数キロ歩いていると、歩くことが当たり前になり、特に何にも感じない。「在る」状態だから、呼吸と同じだ。疲れなくなる。大自然のなかで、美しい風景を眺めながら、前に進むだけ。急ぐわけでもなく、だだ、感謝するだけだ。自然に感謝し、神々に感謝し、人々に感謝し、食べ物に感謝し、万物に感謝する。
 今日も二つのルートがあったが、今まで通り長い距離の方を選んだ。苦労は買ってでもするものだ。雨は降っていたが、道は鬱蒼とした緑に覆われ、非常に気持ちのよい散歩になった。予想していた通り、途中でほとんど誰とも会わない。
 英国女性のクレアとBarで、4日ぶりに再会することを除いては。私たちは大聖堂到達後、大西洋を臨むフィステーラまで行く予定であるが、同じ海岸線のムシアにも是非とも行くべきだとアドバイスしてくれた女性がクレアだ。人懐こい人柄は魅力的だ。再会を非常に喜んだが、膝の状態が思わしくないようだ。早い快復を祈る。クレアはこのルートを選んで本当によかったと何度も強調していたが、その通りだと思う。彼女とは波長が非常に合うような気がする。
 長い間、自然のなかに身をおいていると、野性味が甦り、生命力が強くなっているようだ。都市文明の恩恵で生きていると、快適だが、生命力が減退し、老けるような気がする。野性は文字通り生命力の源であるので、大地や宇宙から気をいただいていると、死ぬまで精神力は老けないのではないか。100才くらいまではサンティアゴ巡礼を続けられるかもしれないとさえ思う。
 歩くことは大自然との会話である。歩くことは思考することである。歩くことは宇宙を感じることである。歩きながら神々に祈り、歩きながら友達を作り、歩きながら地元の美味しい食べ物を享受し、歩きながら文章を書いたり、歩きながら絵画を描いたり、歩きながら歌を歌ったりする。人間は太古からそうやって自由を獲得し、想像性を磨いてきたのではなかったのか。
 コンクリートの生活の中で、本質的なものが忘れられ、どうでもよい表層的なことに人々の関心が向いている。人間の瑞々しい生命力が減退している。先進国における人口減少は希望が失われた未来を物語っている。生物は希望がなければ、子孫を残そうとしない。人間は自ら築き上げてきた文明からの復讐を受けている。大自然に住む神々との縁を切り、自然を征服することで物質的に豊かになってきたが、失ったものは大きい。自然の中の神々との関係を修復し、人間の生命力を甦らせることが大切だ。宇宙、大地、故郷、神々、歴史、文化、人々との絆を強化しよう。それが孤独感から脱出し、命を輝かせ、人間の進化を前に進める鍵ではないのか。
 歴史上、サンティアゴ巡礼を経験した者は何千万人もいるだろう。それらの歴史上の足跡が巡礼路に遺されている。人々の熱い思いが漂っている。肉体の疲れは微塵も感じない。妻と私はほとんど誰にも会わず歩きつつも、心は暖かかった。決して孤独ではない。神々も自然も、過去に歩いた人々も、そしてこれから生まれてくる生命も私たちの歩きを見守ってくれているからだ。小鳥は永遠にさえずり、花は咲き乱れ、蝶は舞っている。巡礼者を歓迎するため、ニワトリ、ウシ、黒いイヌが巡礼路までやって来てくれる。みんなが、私たちを祝福しているのだ。

巡礼28日目「意識の源泉」
 3日間続いた雨も止み、観光客に人気のある美しい街ポートマリンまで23キロの快適な巡礼日となった。空も晴天になり、涼しい風が終始吹いているなか、牛の牧草地を歩き抜いた。
 神が創造された自然のなかに神の御心や意志を見出だすべく、学者は自然を解明し、近代科学は発展してきた。デカルトを引用するまでもなく、分析的手法は見事に成功し、科学は急速な発展を遂げ、高度な近代物質文明を築き上げた。先端の科学者は意識や自己を司る脳科学へと向かっているが、ここにきて難儀している。意識を司る細胞や部位が脳のなかにあるわけではない。シナプスの膨大なネットワークが意識や自己を生み出すとされているが、そんな説明では誰も納得できない。個人にとって自己はかけがえのないものとして、ここに確実に存在している。意識とはネットワークが作り出す「情報の雲」であると、とてもではないが、思えない。自分は厳然としてこの世に「在る」のだ。おそらく、脳のなかの生体物質の相互作用を追っていっても、意識や自己の正体には到らないのではなかろうか。意識は体内の生体反応のみでなく、体外的な様々な関係性のなかで構築されているからだ。自己は過去の経験や知見だけでなく、自然、人々、モノ、こととの相互作用のなかで、流動しつつも、リアリティーをもって立ち上がっている。実存的な存在である。命とはそのような存在だ。現在の自分は若いころの自分とは異なるが、同じ自己として認識している。しかし、今日の自分は昨日の自分とまったく同じわけではない。天気が変われば、気分も変わる。接する人々の影響は免れない。美しい自然に抱かれれば、少し優しくなるかもしれない。民族の神話を吹き込まれれば、自分の立ち位置が変わるだろう。いずれにしても、関係性のなかで、かけがえのない自己が規定されている。科学はこれらの気の遠くなる複雑な方程式を解かなくては、意識や自己を解明できないだろう。シュレディンガーの波動方程式を解くよりもはるかに困難である。
 翻って、個々人の立場に立つと、自己の快適性を増し、幸福になるには、関係性を豊かなものにすべきなのだ。それは身近な人々との関係性だけではなく、自然、神々、モノ、物語、希望などすべてのものを含むのである。情けは人のためならず、とはよく言ったものだ。自分の発した行為や言葉は自分に跳ね返ってくる。自然のなかに、神々を感じる者は幸福である。極端な唯心論に傾くのはサタンの誘惑に陥る恐れがあるが、浅はかな唯物論しか信奉しないというのも淋しい。正しい道はやはり大自然のなかに隠されているように思われる。そこは人間の故郷である。私たちはそこから生まれ、そこに帰っていくのだから。

巡礼29日目「冷酷なシステム」
 昨日から巡礼者が多くなった。サンティアゴまで100キロ以上歩くと、巡礼証明書がもらえるため、時間のない人や体力に自信のない人は100キロ超の距離にあるサリアから歩き始めるからだ。
 私たち夫婦は6月4日に牛追い祭りで有名なパンプローナから歩き出し、虫刺されや冷たい風雨にも遭ったが、ほぼ予定どおり巡礼し続け、7月5日午前中にサンティアゴに到着できる目途はついた。巡礼者は正午から始まる巡礼者を祝福するミサに出席するのが習わしになっている。サイゴン出身のアメリカ籍のニック、仕事を辞めて巡礼にやってきた韓国人カップル、日本のW大学の就職浪人生、英国女性のクレアとは、ミサ終了後、近くのBarで大いに飲もうと言い合っているが、果たし実現するのだろうか。
 その前に、3日後大聖堂の前でどのような気持ちになるのだろうか、予測がつかない。今までゴールを意識せず、一日一日を大切に過ごしてきたため、突然終わりがやって来ると言われても困ってしまう。
 ここで話はいつものように飛ぶ。思索はいつも自由でなければならないと思う。現代人の大多数は人間が作り上げてきたシステムのなかで生きている。システムはじつに効率的だが、いざというときには無責任で、無慈悲だ。人間の顔をしないときは多々ある。それでも、私たちはシステムの指令に従って動いている。仕事を辞めて巡礼にやってきた者は、システムの在りかたに疑問を持ち始めたからではないか。システムはそのような者を検知し、排除する仕組みを持っている。
 東電原発事故は多くの福島県民のコミュニティを破壊し、あらゆる関係性を台無しにし、人々の人生を奪った。しかし、責任を取る人物は現れず、逃げ回っているばかりだ。教訓が得られなければ、事故を繰り返すことにもなりかねない。個々人はシステムの指令に従って活動しただけであり、何かの罪を犯したわけではないと考えている。何かが間違っているとすると、システムが悪いということになるが、システムは自己を正当化し、改良しようという方法に機能しない。被害者は怒りをぶつける対象を見いだしにくいのだ。システムは冷淡だ。人間味のないシステムはもしかしたらサタンが支えているのかもしれない。システムのなかにいて、暖かい人間性を保ち続けていくのは容易ではない。あらゆる制度は人間が作ったものだが、人間がそれに支配されているとすると、それはいったいどこに原因があるのだろうか。神は近代の夜明けとともに死に、何一つ語らないのだろうか。システムはこれからますます狂暴になるのだろうか。現代における巡礼の意味とはいったい何なのだろうか。
 アルベルゲの巡礼者が干している洗濯物は何も語らない。平凡ないつもの幸せな光景を呈しているだけである。

巡礼30日目「水曜日の物語」
 ついに巡礼1か月が過ぎたが、長かったようでもあり、あっという間のようでもある。
 高校生のグループはおしゃべりしながら歩き、夜は消灯までうるさいが、早朝は弱い。家族連れの子どもはみんなつまらそうに歩いている。年頃の可愛いおんなの子には若い男たちがちょっかいを出す。世界中で行われていることが、巡礼の地でも見かけられる。
 20年前に福岡の幼稚園で教えていたという女性から日本語で話しかけられた。空手を習っているというスペイン女性にも会った。日本は世界にネットワークを広げているようだ。このようなつながりを大切にすることから新しい物語が始まるのではなかろうか。
今日、ついに50枚目の絵はがきを書き上げて、黄色いポストに投函した。SNSが発達している現在、いまさらはがきや手紙は時代遅れのように考える人々は少なくないが、これらの意義は大きいと思う。はがきや手紙はSNSでは伝えられないことを伝えることができる。書いてある情報は同じようなことでも、手書きや絵はがきそのものに込められた思いは人を感動させることができる。
 かつて、熊本県津奈木町が赤崎水曜日郵便局プロジェクトをやっていたことがある。水曜日に起こったことを手紙に書いてこの郵便局宛に郵送すると、数週間後に誰かが書いた水曜日の物語が郵送されて来るのだ。自分の書いた物語も誰か見知らぬ人に届き読まれることになる。差出人の情報は都道府県、年令、ニックネームしか知らされない。それは一回限りの軽いコンタクトに過ぎない。二度と手紙を交換することも、相手を知ることも、会うことも許されない。このような非合理的で、非効率的とも言えるプロジェクトがヒットした。親にも親友にも言えない自分の書いた水曜日の物語を読んでいる人がこの世に一人だけいる。少なくとも、その人とは見えない糸で繋がっているという思いは絆である。このような感覚は自然のなかや自分の心のなかの、神性や仏性を感じ取ろうとする行為に似ている。はがきや手紙はやはり人間にとって重要なものなのだ。感覚を研ぎ澄まし、遠い向こうにいる人々や自然のなかの神々を意識しようという営みが人の心を豊かにする。巡礼に来ている人々には敬虔なクリスチャンは少ないが、自然のなかのスピチュアリティを感じ取るために来た者は多い。巡礼の意義はここにある。目に見えないものしか信じない、利益になることしか関心を示さないという態度はもう止めよう。それはサタンの好む論理である。人類史を新しい段階へと推し進めよう。
 飲み物と簡単なスナックを買うために、チェックインした民宿を出て、教えてもらった近所の売店に行った。売店とBarの両方を兼ねた店主は英語ができた。私たちが日本人だと分かると、最近買ったマツダのクルマは素晴らしいという話を始めた。クルマの話題が一通り終わると、顔を曇らせて、福島原発事故はまだ放射能を巻き散らしているのではないかという話をした。巡礼中、原発事故について質問を受けるのは2度目だった。私は彼の疑問にできるだけ丁寧に答えたのだが、どこまで正確に通じたのかよく分からない。原発事故はヨーロッパ人の心に止まり、忘れられていないのだ。
 民宿の食堂でアイルランドの生命工学を専攻している大学院学生と夕食をともに摂った。楽しい一時だった。「あなたは私たち夫婦の3番目の子どものようなものだ」と言うと、彼女はにっこり笑った。明後日のミサで彼女と会えるだろうか。繋がりたいというみんなの気持ちが地球を正しい方向に回転させ始めている。

巡礼31日目「巡礼が終わるのが恐い」
 この数日は妻が快調な歩きで先導し、私が後からつけるというパターンが続いている。100キロを18時間強で歩く私の面目丸潰れである。ストックは片方が壊れ、靴下は二足とも無残にも破れた。700キロを歩き続けることの凄さを再認識させられた。
 一昨日、アルベルゲの同じ部屋だった韓国人カップルとは、競争ではないが抜きつ抜かれつしながら、何回も声をかけ合った。
 英国女性のクレアとは4、5日ぶりの再会だ。お互いの健闘を称えあい、抱擁しあった。クレアは夫が巡礼証明書の資格が生じるサリアから同行してきたため、いっそう元気になった様子だった。主人は終始笑顔のままだった。愛する者が身近にいると、やはり心強い。
 昨日、半分も聞き取れないスペイン語を話していたスペイン人に再会したので、お相撲さんの絵のコースターを差し上げると、コースターにサインをしろとせがまれた。
 台湾人の劉さんと林さんの若い女性とはじつに10日以上ぶりである。大きく手を振ってくれた。初めて会うブラジル人から一緒に写真を撮ろうと求められた。巡礼者がBarで休んでいると、観光バスが激励のクラクションを鳴らしながら通りすぎた。脚を引摺りながら歩く巡礼者がいるものの、大半は笑顔が戻り少々興奮気味だ。終盤に入り、巡礼の雰囲気が変わった。サンティアゴの大聖堂まで残された距離は僅か20キロとなった。各々の巡礼者の動機は異なっていても、日常生活から離れて、自然のなかのスピチュアリティを感じ取りながら歩いたのは同じだったのではないか。
 私は時々、高野山の早朝を思い出している。夜が明けると、宿坊の寝床から遠いところからカラスの鳴き声が聞こえる。ついで、中庭でカエルが鳴き始める。さらには、小鳥たちが目覚ましかわりに、さえずり出す。自然はじつに魅力的で、豊かだ。しばらくして、午前6時から開始される勤行に出席して、読経に耳を傾ける。意識は静かに自分の心へと向かう。気持ちが落ち着いてくる。場所は異なっていても、似たような気持ちを抱いている自分を発見している。
 正直言って、巡礼を終わらせるのが恐いという気持ちもある。このままずっと毎日が続いていけば、どんなに楽だろうかとも考える。巡礼の今までの出来事を思い起こしつつ時間が過ぎていく。明日は早起きして笑顔で出かけなければならない。それが今できる最善なことなのだろうか。

巡礼32日目「ミサでハポン巡礼者と言わせたい」
 ドミトリー式のアルベルゲで午前5時前に自然と目が覚めた。簡単な朝食を済ませ、私たちは5時35分に誰よりも早くアルベルゲを出発した。なかなか明るくならないので、1時間くらいヘッドラインを点けて歩いた。思い返してみれば、出発地点のパンプローナから西に向かって700キロも歩いてきたのだ。地球の西側にやってきたので、だんだん夜明けが遅くなり、日没も遅くなるのが自然の法則というものである。改めて簡単なことに気がついた。
 サンティアゴの市街が見下ろせるところまでやってきた。もうすぐだと気が焦るのだが、市街地に入ると何度も信号に行く手を阻まれる。韓国人の留学生に会い、「大聖堂の広場で泣く準備が出来ているか?」と問うと、「きっと、僕は感激のあまり大声で叫ぶだろう」と答える。言葉はいらない。みんな気持ちは分かっている。同じだ、同じなんだ。
 私たちは先を急いだ。それには理由があるのだ。午前11時までに巡礼証明書を発行してもらえれば、正午からのミサで巡礼者の出身国の名を呼んでもらえる可能性がある。何度も長い赤信号で行く手を挟まれる。通常Barで2回休憩を取るのだが、今日は1回で済ませた。急がねばならない。
 やっと午前10時過ぎになって、大聖堂前のオブライドイロ広場に到着した。巡礼者たちは抱き合って喜んでいる。以前何回も会った日本人カメラマンと視線があった。ひどい虫刺されのため医者にかかり、遅れていたはずなのだが、プロ根性で盛り返してきたのだった。大聖堂の前の私たち二人の証拠写真を彼に撮ってもらった。感激の瞬間である。妻も苦しみによく耐えてくれたと思う。あっぱれである。予想以上の体力と根性を出してくれた。他に知り合いはいないものかと、広場中に目を向けたが、発見することはできなかった。抱擁の準備はできていたのだが、少し残念だった。
 興奮も冷めやらぬうちに、巡礼証明書を発行してもらうために200メートルくらい離れた巡礼事務所に向かった。そこではクレデンシャルを提出し、今までアルベルゲやBarで押してもらったスタンプが確認された。巡礼の開始地点、開始日、巡礼の手段が聞かれた。そして、巡礼の目的を、宗教、スピチュアリティ、体力挑戦から選択するように言われた。私は迷わずスピチュアリティに印をつけた。正午からのミサで、あなたの業績を報告してもよいかと問われたので、勿論と答えた。是非、ミサの席で母国の名前ハポンと呼んで欲しい。証明書を受け取って、大聖堂の方向に戻る途中、英国留学中の中国人学生、コースターを渡したスペイン人と会ったので、お互いの健闘を称え合った。
 それから明日以降の交通機関などの情報を入手するために、インフォメーションセンターに行き、さらに今夜の宿のペンションにチェックインしていたら、大聖堂に入場したのは正午に近くなっていた。千人を超える人々が会場を埋め尽くしている。私たちの席はなく、立ったまま、ミサを聴くことになった。大聖堂はバチカン、エルサレムに次ぐカトリックの第3の聖地と言われるだけあって厳粛な雰囲気に覆われていた。巡礼者を祝福するためのミサだと、聞いていたが、観光客や敬虔なクリスチャンが多いように見受けられた。教会の隅で懺悔する信者あり、跪く者あり、司教の言葉に涙ぐむ者ありと私たち異教徒にとっては居心地の悪さを感じた。ミサの進行途中、「静かにして下さい、フラッシュは禁止です」というアナウンスが何度もスペイン語と英語で繰り返された。敬虔な信者と見学目的の人々が混在しているのだ。これは一神教を信じる者と無神論者が併存している現代をよく映し出しているのではないのかと思った。
 私は夢想していた。まだ再会していないパブロが司教の服を纏って、ミサにやってきたならば、どんなに愉快なことだろうか。それこそ奇跡が起こったと断言してよい。司教が入場してきたが、そんな非常識なことはけっして起こらなかった。
 巡礼者が紹介される場面となった。次々と巡礼出発地点と出身国名が読み上げられる。巡礼者の名前は言われなかったものの、「パンプローナから出発した日本人巡礼者」と私でも分かるスペイン語で紹介された。私たち夫婦のことだ。よかった。安堵の瞬間だった。
 大聖堂の地下ではヤコブの聖遺物が収められている銀の箱を見ることができる。意外に小さいものだった。中央祭壇に置かれているヤコブの像には、なんと祭壇横の階段を上がっていくと、後ろから抱きつくことができる。ご神体に触れることができるのだ。私も長蛇の列に並び、金属で作られたヤコブ像に抱きつきながら、「ヤコブ様、ヤコブ様」と心の中で2度唱え、巡礼の無事に感謝した。なぜだか、少し恥ずかしい気分になった。
 大聖堂の内外で、今まで会った人々と再会した。W大学の学生、韓国人の若いカップル、26才の失業中の日本人女性、アメリカ人のニック、サングラスをかけていたスペイン人、二日前夕食をともにしたアイルランド人学生、18名の韓国人団体巡礼者。我々はお互いの健闘を称え合い、ときには抱き合って喜んだ。みんな清々しい顔をしている。
 サンティアゴ巡礼を終えたからといって、就職に有利に働くわけではない。「私はこの世の天国を経験して来ました」と人事担当者に正直に言おうものならば、変な奴だと思われて就職の機会を得られないかもしれない。「20か国以上の国々からやってきた人々と胸襟を開いて語り合い、異文化交流を体験しながら多くの友人ができたのは大きな財産になった」などと答えるのが、現実社会で生きている上で知恵であり、大事なことなのだろう。もっとも、私は現役を辞めて定年退職したため、つまらない建前を言う必要はもはやない。若い人は天国を経験しつつも、現実と折り合いをつけながら生きていかなければならないので大変である。
大聖堂の近くでは多くの乞食を見かけた。半強制的に寄付を要求する団体も周辺にいる。配備された警察はテロを極度に警戒している。リュックを背負って大聖堂の中に入ることは禁止されている。爆弾テロを警戒しているからに違いない。仮にここの聖地でISが自爆テロを強行しようものならば、宗教戦争に発展しかねないだろう。現実は依然として厳しいままである。
しかし、我々巡礼者は長い間大自然に抱かれて歩き、素直な気持ちで励まし合い助け合ってきたのは否定のできない事実である。此の世にアダムとイブが住んでいたころの楽園があることを知った意味は大きい。巡礼路は紛れもない天国であったのだ。お金も、名誉も、年令も、国籍も、ここではまったく関係がない。かけがえのない生命を持つ者として、敬意を表してきたのだった。彼らとは二度と会えないだろう。いや神のお導きで奇跡的に四国のお遍路で遭遇するかもしれない。再会できても、できなくてもそんなことはあまり大差ない。サンティアゴ巡礼で会って言葉を交わし、お互いを思いやったことが重要だ。それらは心の底に永遠に残り続けるのだ。ありがとう、みんな。感謝している。何十億人のなかであなたに会えたのはまさに奇跡なのだから。

巡礼33日目「達成できた目標」
 昨夜は大聖堂への到着を祝い、山盛りの海産物と赤ワイン1本を夫婦二人で平らげた。普段お酒を飲まない妻も今日ばかりは飲んだ。そして、夜が暮れると、大聖堂近くのペンションの屋根裏部屋のベッドからサンティアゴの夜空を眺めながら眠りについた。ロマンチックな夜だった。
 しかし、旅はまだ終わらない。地の果てという名のフィステーラまでたどり着くのだ。今日は休養も兼ねて、バスで海岸線の街ムシアへと向かった。明日はここからフィステーラまでさらに30キロ強歩き、巡礼の旅が完結する。
 同じバスを待っていた若い日本人男性と会い、少し話をした。巡礼の魅力にはまってしまい、2か月間も旅を続けているという。EU圏内の滞在は3か月以内と決められているので、あと1か月滞在し、一旦帰国してお金を稼ぎ、またやって来たいという。此の世の天国の存在を若くして知ってしまったのだが、それが彼にとって幸せなことなのだろうか。よく分からない。先の人生はまだ長い。退職後の残り20~30年間天国を体験する私と、まだ70年くらい生きなければならない彼とは、天国の持つ意味合いが異なるのではないのか。彼が天国に退屈しなければよいがと勝手に思った。天国に飽いたら、すべてが地獄になるのが恐い。
 今回の私の巡礼の旅には10個の目標があった。今日はそのうち実現したものに触れたい。まず、最初のきっかけは100キロウォーキング大会のための鍛練の場として、サンティアゴ巡礼が目に留まった。1か月かけて800キロも歩けば、体幹が鍛え上げられるだろう、と考えた。次回の大会で未達成の18時間切りが達成できるかどうか分からないが、この目標は実現できたと考えてよい。
次に巡礼記を書き、FBに投稿することだった。この目標も達成されたと考えてよい。ただし、スマホからの投稿だったため、文章を練る余裕がなく、論理の飛躍や説明不足や中途半端な知見が随所にあったのではないかと心配している。容赦願いたい。
 3番目に絵はがきを50枚書き、投函することだったが、これもどうにかやり遂げた。はがきや手紙は永遠に不滅である。これらはデータではなく、情けや感情の伝達手段なのだ。天才棋士をいとも簡単に退ける最先端の人工知能でも、それらの意義は理解できないだろう。知性では解明できないものを宿しているのが人間なのだ。
 4番目は友達作りだった。巡礼者はみんな魅力的な人々だった。地元のスペイン人もじつに親切だった。彼らとは二度と会うこともないに違いない。でもそれで構わない。人生は一期一会なのだ。会ったその瞬間が大事であり、すべてである。その場にお互いのすべてが露呈されてしまう。一刻たりともおろそかにしてはいけない。生きている実感をつねに抱きつつ生きるのが使命であるのだ。
 5番目は外国語の上達だった。スペイン語はどうにかサバイバルのレベルにあるが、想定していたほど上手くはなれなかった。今後とも努力していくしかない。ドイツ人にGuten morgen.と挨拶するだけで、非常に悦ばれた。学生時代に第二外国語として学習したのだから、復習しておけば、もっと話せたと悔やまれる。暗記した文章を10くらい話したら、ドイツ人は感激し、涙を流し、ドイツビール1杯くらい奢ってくれたに違いない。急に思い出したのだが、私が40年前の学生時代に、一人でヨーロッパに旅行に行ったとき、ドイツ人のおじさんに「またドイツと日本が組んで、米国と戦争しようではないか。今度こそ負けないぞ」と言われて仰天したことを昨日のことのように思い出す。ドイツ人は日本人が好きなのに違いない。日本語が流暢な韓国人に3人も会ったのは驚きだった。私が知っているハングルと言えば、アニョハセヨとカムサムニダしかないから、じつに恥ずかしい。新たにフランス語を学び、フランスの田舎の巡礼路も歩いてみたいものだ。外国語の学習は上達が遅く、面倒くさいが、交流の入り口だと考えて、最低限の表現は身につけたいものだ。
 6番目の目標はデッサンと水彩画を描くことだったが、あまり描く機会がなかった。FBへの投稿記事でエネルギーを使い果たし、創作意欲が湧かなかったと言い訳しておこう。それでも、デッサン3枚、小さい水彩画10枚くらいは描けた。
 残り4つの目標については明日書くことにする。

巡礼最終日「妻のなかに神性を発見した」
 ムシアから最西端のフィステーラまでの30キロ強が最後の巡礼となった。しかし、妻はラスト8キロで、肩や足の痛みのため大失速し、私はひどい股擦れに悩まされた。天は巡礼の終了を催促しているように思った。これで最後の日にしようと、歩きながら思った。
 やっとの思いでアルベルゲに到着したのは午後2時を回っていた。いつものようにシャワーを浴び、洗濯し、外出して遅い昼食を摂って、アルベルゲに戻ったのはすでに6時前だった。2時間のシエスタをとり、街から3キロ先の半島の先端に向かった。世界でもっとも美しいと言われる沈む夕陽を見るためである。
 断崖絶壁の先端で冷たい風のなか45分待ったが、太陽は雲と霧に隠れたまま姿を現すことはなかった。奇跡が起こることを期待したが、実現しなかった。妻は疲れ果てているせいか、ご機嫌が悪い。夕陽を諦めて、宿に帰る途中、ふと東の空を見上げた。月が出ていた。それも満月に近かった。思い起こせば、巡礼を始めた日も満月だった。満月は少しずつ欠け、再び膨らみ、満月となって、また欠けつつあるのだ。文字通り、1か月以上が過ぎたのである。もう巡礼を止める潮時なのだ。
妻に「美しい月だね」と言うと、「月も星も見る余裕がまったくなかった。写真を撮る余裕さえなかった。あなたに迷惑をかけまいと、毎日どうにか歩き通すことで必死だった」と涙声でぼそっと語った。私の皮膚に電気が走った。愚痴はほとんどこぼさなかったが、じつは辛かったのだ。それを言葉にしてしまうと、緊張が解けてしまうのが恐ろしかったのだろう。私は妻の心のなかに神性を発見した。神は自然のなかだけでなく、身近な妻の内面にも存在しているのである。もしかしたら、この発見は巡礼の最大の成果だったのかもしれない。
 私たちは黙ったまま、アルベルゲに戻り、簡単な夕食を摂った。お腹が少し膨れると、暖かい気持ちになった。すべては終わった。残り数日のスペイン滞在で疲れをとって帰国することにする。
 今回の巡礼の10の目標のうち実現できなかったのは4つある。
 まず、減量はできなかった。毎日8キロのリュクを背負っての平均4万歩の消費エネルギー以上の美味しい食事を楽しんだのだから仕方がない。食べる量を減らさないと、体重は減らない。
 次に、サンティアゴ巡礼の舞台を題材とした小説を書こうと目論んでいたが、あっさり断念した。この旅行記は一つの物語だ。私が主人公であり、作者であった。小説を書いてもより面白い物語は書けないだろう。そんなことをしたら、神聖なものを壊してしまうような気がしてならない。
 3番目に実現できなかったことは奇跡の体験だ。聖ヤコブは私たちに何かの奇跡をもたらしてくれなかった。でも、困ったことに遭遇すると、必ず助けの手が差し出されたのは不思議だった。巡礼路は神がかっていたのは事実だ。
最後の目標は27年連れ添った妻への感謝を伝えることだったが、逆に巡礼中、妻にお世話になった。妻は色々な食べ物に果敢に挑戦し、美味しいものを発掘してくれた。辛い巡礼のなかの精神的かつ肉体的清涼剤となった。
 一神教の神は死んだかもしれないが、神々は自然のなかに存在することを実感できた。神々はまた自然のなかだけでなく、妻の心のなかにも住んでいたのを悟ったのは大きな収穫だった。女性は男友達より神に近いのだ。いつか、妻に感謝の気持ちを具現化しなければならない。
 最後に、巡礼中に会った世界各地からはるばるやってきた人々にありがとうとお礼を言いたい。あとで数えてみたら、分かっているだけでもじつに24か国の人々と会話をしていた。地元スペイン人の気さくな人々にも感謝したい。
私の描こうとした大聖堂の水彩画は時間切れで未完成の作品となった。聖ヤコブは再びやって来なさいと示唆されているのだろう。いつか必ずやってくると、私はヤコブの背中の感触を思い出しながら約束した。
Where there’s a will,there’s a camino! Nos vemos. Pasarlo bien. Animo, por favor. 「意志のあるところ、必ずカミーノ(道)がある。みなさん、いつか会いましょう。人生を楽しみましょう。それまで、お元気で!」(了)

旅行記「北スペイン巡礼徒歩の旅」(その1)

 明日から北スペインのサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂を目指す巡礼徒歩の旅に出かける。大聖堂が祀られているのはイエスの直弟子の一人ヤコブだ。妻は考えた末、私に同行することに決めたが、完歩できるかどうか一抹の不安を感じる。
 800キロ徒歩の大切な友達であるリュックとシューズは新調し、新鮮な気持ちで臨むことにした。自宅付近の神社で安全祈願も済ませたので、元気を出して出発する。
 まずは習いたてのスペイン語で、Buen camino! 良い巡礼を!

巡礼0日目「42時間の長旅」
 八代の家を出て最寄りの駅から普通列車と地下鉄で福岡空港まで行き、香港空港の乗り継ぎで6時間待ち、マドリッドに着いたら4時間バスを待って、6時間の長距離バスの旅で美食の街サンセバスティアンのホテルにやっと着いたのは、家を出発してから42時間が経過していた。この間、風呂に入っていないのだが、空気が乾燥しているためか、あまり不快に感じない。さらに、道中、現地に住んでいる日本人、旅行中のロシア人と楽しく会話する機会があったこともあり、長旅があまり苦にならなかった。でも、時差と睡眠不足のため、気力が湧いてこない。
 サンセバスチャンはあいにく雨のため、楽しみにしていたBar巡りは止めて、ホテルのレストランで夕食を済ませた。パンの上に海産物や生ハムを載せたピンチョスを美味しくいただき、赤ワイン含めても二人で17ユーロに届かなかったので、妻と顔を見合わせてニンマリ。上々のスタートだ。でも、今後の長旅を考えて、明日までは歩く距離を極力抑え自重したいと思う。

巡礼1日目「ホテルの壁は薄い」
 騒音で午前4時に目が覚めた。女の大きな喘ぎ声が聞こえる。妻が喘いでいるわけではないのは明らかなのだが、いったいどこから聞こえてくるのだろうか。テレビはつけていないから、エロい番組ではない。妻も派手な声に目が覚めたようだ。
「隣の部屋からだな・・・」
 壁は防音機能がなく、そのまま聞こえてくる。まるで同じ部屋から聞こえてくるみたいだ。スペインのホテルはこのような作りになっているのかと、驚いてしまう。
「我々も彼らに負けずに励もうか!?」私がそう言うと、妻は顔を赤らめて、読みかけの文庫本を持って、音のあまり聞こえないトイレに消えた。騒音は30分続き、男の行く小さな声を最後に静かになったが、時差のせいもあり、それ以降眠れなかった。
サンセバスチャンが世界的な美食の街になったのはコロンブスのアメリカ大陸発見後、ジャガイモやトマトなどの新しい食材がサンセバスチャンに陸揚げされるようになったためだと歴史は教える。ここで美味しいものを食べて英気を養い、時差ボケを解消して、巡礼を始めるという魂胆であった。
 まだうす暗い午前6時にホテルを出発すると、日曜日の朝まで飲んでいた若者にからまれないよう注意しながら、旧市街を歩いた。貝殻の形をした美しいラコンチャ海岸を散策し、展望台近くまで登ったあとで、ターミナルに戻ってバスに乗り70キロ内陸のパンプローナに向かった。巡礼の始まりだ。
 初日から運悪く、雨が降る中、私たちは2度も迷子になったが、地元の人に声をかけられ、行くべき道を教えてもらった。これでスペイン人に対する印象が良くなかった。パンプローナはヘミングウェイの『陽はまた昇る』の舞台となった牛追い祭で有名になった街だ。7月の祭には人口の10倍の人々が押し寄せる。ヘミングウェイがよく通ったというカフェの前で記念撮影を終え、牛追いの800メートルのコースを歩き、巡礼のお守りの貝殻を買った。貝殻は守護神ヤコブの象徴であるため、ほとんどの巡礼者はリュックにぶら下げて歩いている。
 パンプローナでは巡礼ルートを逸れても是非訪れて見たかった場所がある。それは日本に最初にキリスト教を伝えたザビエルの像のある山口公園だ。当時のカソリック教会は組織内の出世のため、毒殺や賄賂が横行するなど腐敗堕落していた。そのため、カルビンやルターらのよる宗教改革の嵐がヨーロッパを覆う様相を呈していたが、ザビエルは同じくスペイン出身のロヨラらとともに留学先のパリでイエズス会を創設し、カソリック教会を本来の姿に戻そうと企画していた。
 貴族階級のザビエルは下層階級のロヨラの影響もあり、異常なほど真面目で、敬虔なキリスト教徒であったという。インドに派遣されたザビエルはそこで日本人に会い、大いに興味をそそられた。日本にやってきたザビエルは山口の大名に布教の許可を得ると、キリスト教は瞬く間に国土に広がっていった。それまで日本人が信じていた大日如来の概念がデウスにとって代わられ、理解されやすかったためだろうか。真面目な彼が日本に来なかったら、キリスト教はあまり広がらず、日本の歴史は変わっていたかもしれない。
 今夜の宿はパンプローナから6キロ郊外のシスール・メノールの巡礼者簡易宿のアルベルケ。1人10ユーロだが、ドミトリー式の大部屋のため、プライベート空間がない。でも、友達はすぐできそうな雰囲気がある。
 私たちのすぐあとに部屋に入ってきて、話しかけてきたオランダの男性は母国から歩いてきたそうだ。2か月以上旅を続けていることになる。こんな奴ばかり巡礼の旅にやってきているのだろうか。いきなり先制パンチを食らった。
 福岡からやってきたというフランス語と英語ができる女性はフランスのル・ピュイから1か月以上歩き続けていると言う。途中、高原で季節外れの大雪に遭遇した経験を楽しそうに話す。
 有料の乾燥器を使おうとして、コインの入れ方が分からずに機械を弄っていると、男がやってきて教えてくれた。後で聞いたのだが、彼こそ巡礼の旅でたびたび会うことになるパブロという名のスペイン男である。
 今日は自重したつもりだったが、雨中にも関わらず歩数は3万歩を超えていた。明日は晴れて欲しい。そのように願ってベッドの上の寝袋に潜り込んだ。

巡礼2日目「天国のような小麦畑の風景」
 昨夜の巡礼者簡易宿泊所アルベルゲでは2段ベッドが5つ配置してある狭い部屋に妻と押し込められた。深夜12時を告げる近くの教会の12回の鐘の音で目が覚めた。隣の英国人男性のいびきが鳴り響いている。なぜ、こんなに大きな音にみんな寝ていられるのだろうか。しばらくして静かになったと思ったら、今度は上のベッドに寝ている妻のいびきが鳴り始める。まったく、秋の虫の共鳴ではあるまい。その後うとうとしていたのだが、結局、睡眠不足のまま午前6時半に宿を出た。
 村を離れると、美しい麦畑が広がる。小鳥のさえずりも聞こえ、雨上がりの空に美しい虹が三重にかかっている。高原は水を打たれたように、瑞々しい。別世界のように綺麗だ。まだ巡礼は始まったばかりだが、来年もやって来たいと心から思う。虹の写真を撮っていると、いびきの英国人男性が追い付いてきて、笑顔で挨拶して先に去っていった。妻もそうだが、鈍感力の強い者は勝利者になる資格がある。羨ましい。
 少しずつ高度を上げ、標高790メートルの「ペルドン峠」の巡礼者たちを模したモニュメントに到着した。わたしも彼らの列の隙間に入って写真に収まった。
 巡礼ルート上には大方5キロ毎に村がある。Barに入ってスペイン式朝食を済ませた。それも休息を兼ねて8時と11時に2回の朝食を摂った。最初はクロワッサン、バナナ、オレンジ、カフェラテで、2回目はヨーグルト、フルーツポンチ、マフィンだった。何れも美味しくて、しかも安い。
 今日は後ろからやって来る巡礼者に次々に追い抜かれる。健脚揃いだ。そのなかにあって、細身の中年女性がうつむき加減に歩いているのが気になった。目的地のプエンテ・ラ・レイナのアルベルゲには午後1時前に到着した。個室があるというので、いびきから解放されたいがため、即決した。巡礼とはいっても、やはりまだ慣れないなかでの睡眠不足は辛い。今日のこれまでの行程は20キロで3万6千歩に達していた。シャワーを浴び、汗にまみれた服を手洗いで洗濯した。
 昼食は前菜、メインディッシュ、デザート、ワインの巡礼者定食で満腹になった。半地下の静かな部屋に戻って、シエスタを享受。疲れと深夜のためか、起きたら4時間が経過していた。夕食を済ませ、中世の風情が残る旧市街を散策した。午後10時過ぎまで明るいのは嬉しい。充実した1日だった。San Tiago bless you! 聖ヤコブ様のご加護がありますように!

巡礼3日目「スペイン人はみんな腹が減っている」
 巡礼の道はほとんど舗装されていない自然の道だ。多くのカタツムリやナメクジが挨拶をするため、歩道のなかまでやってきている。彼らを踏まないように、避けて歩かなければならない。
 道中、若い男性が英語で話しかけてきた。
「君の黄色の服の色はいいね」
「でも、お蔭で昆虫が集まってくるんだ」
「君は美しい花だからだ」
「いや、私は偽物の花で、本当の花はイフなんだ」
 彼は大きな声で笑った。今日は朝からjokeが冴えている。いい1日になりそうだ。でも、それがとんだ災難になろうとは、その時つゆ知らなかった。
 妻の歩く速さに合わせているせいか、あるいは脚が比較的短いせいか、西洋人にどんどん抜かれる。ペースが合って来るのは、同じような体型か、似た年齢の人になる。でも、彼らとの会話が自然と生まれて来る。ワルシャワの45才の女性は昨年日本を旅行し、大変楽しく、気に入ったので、また行きたいと言う。沖縄でスクーバダイビングを楽しみたいそうだ。人生の後半は好きなことをして生きたいので、まずサンティアゴ巡礼を選んだと言う。歩き、食べ、眠り、考えるだけの時間体験は素晴らしい。「考える」を強調した。同感だ。彼女の名前はモニカ。
 73才と70才のスペイン夫婦とはサバイバルスペイン語での会話になった。「スペイン人はみんな親切だ」と言うべきところ、発音を間違えて、「スペイン人はみんな腹が減っている」と言ってしまった。夫人は手で胃のあたりを差しながら「お腹が減った」のはここで、「親切だ」というのはここだと「心臓」の上に両手を置きながら、熱心に説明を始めた。それでも夫人はいつも笑っていた。旦那はいつも30メートルくらい先を歩いていたが、不機嫌な顔のままだった。帰国までにはもう少しスペイン語を話せるようになりたいものだと思った。
 西安出身で今英国の大学の大学院で金融管理学を勉強している中国人男性とは、英語と中国語で話した。彼はここで中国語を話せる人と会うとは思っていなく、驚いた様子だった。お金とモノにまだ執着している現実主義の中国人とサンティアゴ巡礼で会えるとは考えていなかったので、わたしも驚いた。爆買いをあっという間に止めた中国人観光客は、モノ離れが進み、精神性を大切にするようになるのだろうか。宗教はアヘンだと教えられている中国人は巡礼にどこまで関心を抱くようになるのだろうか。興味津々である。
 また、韓国人巡礼者の多さの理由は何だろうか。しかも、若い人が多く、中高年はあまり見かけない。
 先はまだまだ長い。ペースが同じ人とはどこかで再会するだろう。お互いの健闘を讃え合いたい。道中、攻めにくい丘の上の城壁に囲まれた中世の小さな村を通過していく。月並みな言い方だが、タイムスリップしたような気分になる。心が休まる瞬間でもある。でも、今日のルートは高速を走るクルマの音がいつまでも消え失せなかった。クルマと電信柱と広告が日本の街から消えれば、どんなに美しい自然が甦ることだろうかと、葡萄畑のなかを歩きながら夢想した。
 今日の到着地点は星降る街という意味のエスティージャという美しい中世の街だ。やっとの思いでアルベルゲに到着した。シャワー、洗濯、昼食、シエスタを終えると、観光して回る元気が残っていない。歩行距離は27キロで5万歩に近かった。明日も晴れますように。そして、また素晴らしい人々に巡り合いますように。

巡礼4日目「痩せたサンタクロース」
 早朝起きたら、ベッドの上で、南京虫つまりトコジラミを発見。シーツを敷いた上で殺虫剤をスプレーし、さらに毛布を使わず、寝袋のなかで寝たのは正解だったとこの時思った。噛まれたら、痒くて眠れなかっただろう。
 巡礼者の持参必須品は寝袋、ストック、雨具、防寒具、殺虫剤だ。軽いほど楽なので、どこまで持参するか悩みだ。私たちは経験者の話を伺ったり、個人相談会で根掘り葉掘り聞いて準備したりしていたため、リュックの重さは飲食料を含めて8キロに抑えることができ、肩の負担を軽減させたのは大きかった。が、韓国人集団グループは荷物を次の宿泊所まで送っているので身軽な恰好だった。どこで、お金を使うかの問題でもある。
 ほとんどの西洋人は短パンとTシャツ姿だ。彼らの体温は高いので、寒さに強い。でも、長パンと長袖の私たちにも涼しい快適な天気となった。
 21キロ先のロスアルコスのアルベルゲに着いたのは正午過ぎの一番乗りだった。女将は兄弟が東京で働いていると話してくれて、親日的だった。追い抜いていった巡礼者は先の街まで行ったらしい。道中、今まで言葉を交わした人数人と再会できたのは嬉しい。テキサスから1人でやってきた子育てを終えた女性は2日前疲れた様子だったが、元気が回復していて、良かった。昨日会ったワルシャワ女性のモニカ、巡礼6回目のスペイン人老夫婦、日本語が美しい韓国人女性(後で分かったのだが、サンセバスチャンからパンプローナ行きのバスの前の座席で、私たち夫婦の会話を聞いていたのだ)、西安出身で英国の大学院で勉強している中国人男性とも再会を果たした。自然な笑顔が出るようになり、一層緊密になったような気がする。
 新しく知り合いになった韓国人男性は次回一緒に食事しようと誘ってくれた。実現すれば素直に嬉しい。巡礼の地では、みんな親切になるようだ。
 宿の天井裏の部屋でシエスタを貪っていると、突然、ドアの大きなノックで起こされた。眠気眼のまま食堂に降りて行くと、二人のドイツ人がテーブルで待っていた。夕食を予約した者は一緒に食事するのがこのアルベルゲの慣わしのようだ。二人は父娘の関係で、父はなんと90才で5度目の巡礼というので、非常に驚いた。痩せたサンタクロースのような雰囲気だった。60歳代の娘は英語を話したが、サンタは英語を話せなかった。色々サンタに質問したかったが、ほとんど忘れていた大学時代の第二外国語だったドイツ語が悔しい。スペイン語はかじってきたが、ドイツ語は復習してくるべきだった。1日に歩く距離が私たちより少し短いので、彼らとの差は開くばかりで再会はできないだろう。でも、来年巡礼に来れば、どこかで会えるかもしれない。それにしても、私は90歳で巡礼するどころか、果たしてこの世に生きているのだろうか。90歳のサンタは私たちの巡礼を大いに勇気づけてくれた。感謝している。
 サンティアゴ巡礼はイエスの12人の直弟子の1人であるヤコブが祀られているサンティアゴ・デ・コンボステーラの大聖堂まで歩く旅だ。殉教したヤコブの遺骸を船に乗せて、地中海に浮かべると、北スペインの海岸に流れ着き、さらに7世紀になって90キロ内陸の地で遺骸が発見されたという。そこに大聖堂を建てたのだった。イベリア半島は8世紀から15世紀までの長期間イスラム教のモーロ人に占拠されていた。カトリック教徒は半島を奪回すべくラコンキスタ運動を展開する。ガイドブックには書いていないが、ラコンキスタ運動の精神的柱となったのがサンティアゴ巡礼だったのではないか。当時、白馬に乗って現れたヤコブはモーロ人殺しの英雄だったという伝説も残されている。巡礼は神聖であったが、背景には政治的意図が働いていた。その証拠に12世紀に毎年50万人の巡礼者は半島奪回後、減り続け、20世紀後半には数千の規模まで縮小した。再びサンティアゴ巡礼が脚光を浴びるのは、巡礼ルートが1993年に世界遺産に登録されてからだ。巡礼者はエコツーリズムのブームの後押しもあって増加し続け、昨年は26万人が巡礼した。その中には、クリスチャンのみならず、私たちのような仏教徒も含まれている。でも、イスラム教徒はいない。すべての罪が洗い流されるヤコブの聖年の2021年には、史上最高の50万人を超えるだろう。
 明日は気温が摂氏30度に達する予報がでている。加えて、30キロに近い距離を歩かなければならないため、早朝の起床だ。ここらあたりで書くのを止めよう。

巡礼5日目「妻が豹変した」
 サンティアゴ巡礼の道は天国のようなところだ。田園風景は限りなく美しく、小鳥たちは歓迎のさえずりを続け、食事は美味しく、シエスタは享受できる。歩きながら祈りを捧げるのもよいし、思索に没頭するのもよい。困った素振りを見せると、すぐに巡礼者や地元の人々が救いの手を差し伸べてくれるが、過度の干渉をしないというのが原則だ。ちょうどよい距離感が心地よい。美しい自然のなかでみんなの気持ちが和らぐのが分かる。妬み、嫉妬、競争といった負の概念は微塵もない。上品な時空間である。
 サンティアゴ巡礼者の目的はそれぞれ異なる。配偶者との死別、離婚、失業で心の傷を癒すためにやってきた者もいよう。不治の病を抱え奇跡を期待している者もいるかもしれない。あるいは恋活できている若者もいるかもしれない。自分探しの旅でもよかろう。体力のチャレンジという目標を掲げる人もいるだろう。様々な人生模様を温かく包み込んでしまうのがサンティアゴ巡礼の存在意義なのではないか。
 私たちの巡礼目的は表面上定年退職記念旅行なのだが、近代の行き詰まりの打開策の模索という大きな志もある。近代は神殺しから始まり、物質的な発展を実現した大成功の時代だったが、人々はモノの消費や進歩に疑問を感じ始めている。先進国における人口減少は近代の終焉を端的に語っている。ゴムのように伸び切った心を癒すために、神々の再生や自然との絆の再構築が必要なのではないか。中世精神の復活が殺伐とした近代精神に潤いをもたらしてくれるのではないか。明るい未来は懐かしい過去にあると思う。
今日はログローニョまでの炎天下の30キロ弱の距離の巡礼となった。妻は昨日までとは打って変わってスピードを出してどんどん他国から来た巡礼者を追い抜いて行く。100キロを18時間強で歩く私の健脚でも追いつかない。西洋人たちは疲れたり、足にトラブルを抱え、途中で靴下を脱いだり、ストレッチをしたりして休んでいる。妻は前を見据えたままだ。写真さえまったく撮ろうとしない。こんな能力を妻が持っているとは知らなかった。アップダウンの丘の30キロを平均時速5キロで歩いたのだ。目的地には午後1時前に着いたが、風景を楽しむこともなく、考えることもなく、特別な出会いもなかった。アルベルゲの受付の列で、アイルランド人とイスラム人と短い会話をしただけだった。こういう日もあるのだと思った。

巡礼6日目「巡礼手帳」
 今日は葡萄畑のなかを歩く30キロものルートだったが、曇り空だったため楽な巡礼となった。歩き慣れていない人々は途中で足の手当てをしたり、ひどい場合には病院に行ったりしている。私たち夫婦は日本で十分歩き込んできたので、ほとんど問題がない。これまで巡礼は習慣になったと言ってよかろう。荒天にならない限り歩きとおせる自信がついた。初日に隣の英国人のいびきに懲りて、その後4日間はアルベルゲの個室で寝たのだが、慣れてきたので、今日は4人部屋を選んだ。ブラジルから来た30才代のカップルと同室だった。分かりやすい英語を話し、じつに素直な感じのよい人々だ。
 アルベルゲに宿泊するにはクレデンシャルと呼ばれる巡礼者手帳を入手する必要がある。責任ある行動をとり、巡礼中キリスト教の慈善事業で支えられていることを了解することが巡礼者に求められている。宿泊したアルベルゲやBarでスタンプを押してもらうのだが、それらが巡礼ルートの証拠となる。徒歩の場合は100キロ以上、自転車の場合は200キロ以上を超すと、巡礼証明書が発行される仕組みだ。まだサンティアゴまで580キロ以上の道のりが残されている。これからが本格的な巡礼が始まるのだ。

巡礼7日目「人生は素晴らしい」
 毎日明るくなる前に起き、6時頃出発し、日の出を見たら両手を合わせて巡礼歩行の安全を祈願し、途中2度の朝食を採り、目的地のアルベルゲに着いたらチェックインしてシャワーを浴びて、洗濯をして、外で遅い昼食を楽しんでシエスタを貪り、起きたら夕食に出掛け、まだ明るい10時過ぎに床につく。このような日程を繰り返している。太陽の周期に合わせて忠実に生きているため、体調は万全である。幸福な日々だ。中世でなくても、戦前の日本人も似たり寄ったりの生活をしていたのではないのか。現代人はノルマに追われて忙しく、村上春樹の小説『1Q84』の世界のように天空に月が2つ浮かんでいたとしても誰も気が付かないのではないか。恐ろしい世の中だ。
 ザビエルが布教のために日本にやって来て驚いたことの一つは貧しい人々も嫉妬心を持たず、誇りを抱いて生きていたことだった。貧者でもプライドを持ち堂々として生きていたのだ。一方、近代は人間の束縛からの解放と人権尊重を謳ってきたのだが、実質的にそれらは実現したのだろうか。世界の貧しい人々も心地よい人生を生きているのか、疑問がある。近代が中世よりもすべての面で優れているとは限らない。自然と神々との絆を強めることで、人間性を復活させることができると良いと思う。中世に学ぼうではないか。
 妻は今日も適度の速さで歩いている。仕事を辞めて巡礼にやって来た26才の日本人男性と駄弁りながら歩いていたので、先を行く妻に離されるばかりだ。途中、休んでいたフランス人夫婦とスペイン人夫婦に、自国の言葉で、「奥さんは先に行ったよ。早く追いつかなくては駄目じゃない」と声をかけられた。何故だか、言葉は分からないが、意図は十分理解できるのだ。不思議である。
夕食を食べるために街を歩いていたら、最初のアルベルゲで隣のベッドで大きないびきをかいていた英国の男性と会った。同じ日程で巡礼しているようだ。彼はシエスタを取らず、夜中に熟睡するタイプだと言う。さらに歩いていると、同じく最初のアルベルゲで知り合ったスペイン人のパブロに遭遇した。以前に数回会ったときは、暗い顔をしながら、1人でもたもた歩いていたが、今日は別人のように明るく、元気だった。妻にスペイン風のキスまでしてくる。おまけに美形の女性まで同伴しているではないか。ご機嫌がよいはずだ。いったい何が起こったのだろうか。サンティアゴ巡礼は人々を変貌させる力を持っているとでもいうのか。巡礼は楽しく、人生は素晴らしい。La vida es maravillosa!

巡礼8日目「巡礼者祝福ミサ」
 6月11日は少し遅めの6時45分に出発。絨毯のように美しい麦畑を歩くのは気持ちよいが、気温が急上昇している。巡礼路の標高は800メートルもあるのだが、非常に暑く34度まで達している。巡礼者の会話は少なくなり、炎天下の修行の歩行となった。紫外線防止のクリームを顔などに塗ったり、足をテーピングしたりしている者が増えてきた。途中のBarでワルシャワのモニカ、スペイン人のパブロ、韓国人の若者3人と再会を喜んだ以外は新しい出会いはなかった。燃えるような太陽が交流の機会とやる気を奪っている。宿に到着したときには、熱中症にかかったのではないかと思えるほどやる気が起こらない。巡礼者は口々に今年は昨年より暑いと言っている。
 今夜の宿はベロラードのサンタマリア教会併設のアルベルゲに決めた。朝食付きで1人6ユーロ以上の寄付方式だった。従来はこのような寄付方式が主流だったのではないか。7時から始まるミサと巡礼者の祝福の儀式への出席を求められた。
「神はあなた方と共にサンティアゴまで歩きます。みんなが自宅に帰るまで安全であるように。アーメン」と、司教が巡礼者のために祈ってくれた。
 四国のお遍路は弘法大師が同伴されるので、似たり寄ったりだと思う。かつて、巡礼はどこでも狼や盗賊に襲われる命懸けの旅だったのではないか。アルベルゲの世話役のオスピタレロは巡礼者を尊敬し、非常に細心の心配りをしてくれている。温かい気持ちになった。周囲のいびきはもはや騒音ではなく、生命の息吹きのように聞こえた。いびきが消えとき、人は死ぬのだから、いびきは生命の象徴である。

巡礼9日目「四国のお遍路は海外で注目度上昇中」
 霧雨の中を6時に出発。今日は標高800から1000メートルの高原を歩く。昨日の地獄のような暑さではなく、涼しい巡礼となったが、周囲は霧で見通しが悪い。途中のBarで、再びモニカとパブロと遭遇した。モニカは私のFBの投稿を翻訳で読んでいるとのことで、半分くらいは理解できると言う。ただ、サンティアゴ到着は我々よりも3日早い予定だ。モニカは計画通りに遂行する能力を持ち合わせているから、予定は大きくは狂わないに違いない。そうであれば、大聖堂前での感激の抱擁は実現しない可能性が高い。
一方、韓国人18人のグループは私たちと同じ日に目的地に着くだろうと言っている。どうなるか楽しみだ。
 日系企業に勤めるフランス人は来年、四国のお遍路に行きたいと言っている。フランス人女性のお遍路体験記が自国でベストセラーになり、お遍路ブームが起こっていると言う。私も来年サンティアゴ巡礼に来る前に、お遍路に行き、外国人のサポートをしてみたい。お遍路の道のりは日本人にも分かり難く迷子になる確率が高く、また民宿の女将さんとのコミュニケーションにも困るのではないか。サンティアゴ巡礼でお世話になったお返しをお遍路でしたいとも思う。
 2メートル近くの長身の男性が追い付いてきた。私の脚は彼の膝くらいしかない。私から話しかけた。
「あなたは長い脚を持っているので羨ましい。あなたはウサギのように速く歩き、私たちはカメのようにノロノロ歩く」
「ノー、ノー。脚が長い分、膝が壊れ安い。君らの方が頑丈にできている」長脚にも悩みはあるようだ。
「ハーバード大学のTシャツを着ているけど、大学で働いているの?」
「大学院はハーバードを出たけど、大学で働いている訳ではないよ」
「凄いね。ジョブズみたいにリッチなんだ」
「ノー、ノー。僕は貧乏だ」
「でも、サンティアゴ巡礼にやって来る人はみんな心がリッチだ」
「その通り。目的はそれぞれ異なるが、巡礼者の心は本当にリッチだ」こんなふうに会話が始まったが、彼も四国の巡礼のことは知っていた。最後に、3人で写真を撮り別れた。名前はジョブズではなく、ジョーンズだったように記憶している。二人続けて、お遍路の話題になり、驚いた。お遍路も、高野山の修行も、温泉に入浴する稀有なサルも海外で有名になりつつある。祖国のことももっと勉強しなくてはならない。

巡礼10日目「見下ろすイエスとマリア像」
 まだ真っ暗な濃霧のなか、ヘッドライトを頼りに午前5時25分に出発。アルベルゲではまだほとんどの人が寝ている。1時間も歩いていると、韓国人の集団が「おはよう」と言いながら、抜いていった。途中のBarで朝食を採る。減量のため、今日から朝食は2回から1回に減らすことに決めた。視界が悪いと風景が楽しめないが、涼しい巡礼は体に優しいのでやはり嬉しい。それでも、10時になると、暑くなった。肌を突き刺すような強い紫外線から身を護るため、サングラスを懸け、アームプロテクターを着け、帽子の下から日本手ぬぐいで頭をスッポリ覆った。日差しの強い日には半ズボンはできるだけ避けた。
 人口16万人のブルゴスの街に入ると、クルマ、信号機、人の多さに幻滅させられる。美しい田園と懐かしい中世の街歩きから強制的に現代に連れ戻されたような気分になった。コースアウトしていたので、スペイン人に正しいルートを教えてくれた。さらに旧市街へと進んで、ホテルに投宿した。窓を開けると、小さな広場に面し、道行く人を見下ろせるいい部屋だった。
 ブルゴスでは一つの楽しみがある。マドリードのバス停で知り合った日本人女性からブルゴスに来たら街を案内するので是非連絡して下さいと言われていたのだ。初対面にもかかわらず、スペインに十数年住んでいるが、昨年スペイン人と離婚したとこともなげに言う開放的な人だから、社交辞令で誘っているのではないと思った。シャワーを浴び、簡単に洗濯をした後で、教えてもらっていた住所を目指してでかけた。彼女のアパートは世界遺産のカテドラルから歩いて5分以内の距離だった。電話をかけると、スーパーで買い物中だったが、途中で切り上げて戻ってきてくれた。挨拶もそこそこにアパートに招き入れられた。中は何部屋もあり、広いという印象だ。大理石もふんだんに使われている。窓が二重になっていたり、暖房装置があるのは冬は寒いと物語っている。驚いたのは別れた夫とまだ同居していることだった。このアパートの売却額を二等分して、別々の生活へと踏み出すのだが、まだ買い手が現れないため、仕方なく同じ屋根の下で生活している。夫のことはクラスメートと呼んでいた。4000万円くらいで売りたいようだった。
 腕や首に虫刺されのようなぶつぶつができていたので、彼女に案内してもらい、すぐ近くの薬局に行った。南京虫つまりトコジラミのせいだと言われ、塗り薬と殺虫剤を買った。寝袋をよく消毒するようにとも言われた。数日前にアルベルゲのベッドの上で南京虫を発見したのだが、今考えると、別の南京虫が寝袋に侵入し、私が寝ている間に好き放題刺しまくっていたらしい。私はベッドの上は丹念に殺虫剤を散布したのだが、肝心な寝袋のなかは疑ってもいなかった。間抜けである。
 世界遺産のカテドラルの前を歩いていると、スペイン人のパブロに遭遇した。今度はイタリア人でなく、ドイツ人の美形の女性を連れている。彼女の体調が悪く、巡礼を中断するため、帰りのバスの切符を購入しに付き合うというのだ。パブロはあまりハンサムではないが、優しいので女性に持てるようだ。初対面のとき、乾燥機の使い方を丁寧に教えてくれた情景が思い起こされた。でも、次回はどんな女性を連れて歩くのだろうか。
 経済、政治、民主主義などの現代のシステムは、ヨーロッパで生まれた歴史学、哲学、社会学、経済学、科学などのいわゆる「ヨーロッパ学」と呼べる学問体系を踏まえて成立している。近代化がヨーロッパに限定されず、世界中に広がったのはヨーロッパ学が一定の普遍性を持っていたためである。でも、所得格差、環境破壊、民族対立、戦争などの問題は一向に解決できていない。これはヨーロッパ学が完全ではなく、何らかの欠陥を持つことに起因する。言うまでもないが、ヨーロッパ学は一神教のキリスト教文化を基盤として発展してきている。ヨーロッパ学の限界はとりもなおさず、一神教の不備に原因を求められはしないか。日本は修験道、神道、アニミズムなど自然崇拝を大切にしてきた多神教の国だ。人間は生まれながらにして罪を背負っていると考えるキリスト教とは発想が根本的に異なる。日本人はむしろ自然状態こそ理想的だと考える。清めることで、穢れのない心の状態を追い求める。大聖堂の威容や彫刻、絵画などの圧倒的な迫力の下で、人間は神やイエスやマリアから見下ろされ、沈黙と服従を強制されていると感じるのは私だけだろうか。新しい発想で、世界を認識し直し、ヨーロッパ学を再構築できないものか。学問体系が変われば、新しいより人間的なシステムを生み出すことができるかもしれない。人間が抱えている問題の解決のヒントになるかもしれない。日本の若者はかつての碩学がそうであったようにヨーロッパ学をいたずらに無批判的に受け入れ、学び続けるのではなく、日本固有の文化に根差した発想を身に付け、人類の積み上げてきた知識体系の再整理に挑戦してくれないかと強く願う。できれば、アジアやアフリカの知性と協力し、欧米中心の発想や歴史を変えて欲しいものだ。欧米の視点に立った発想はもう止めようではないか。知性の巨人よ、日本から生まれでよ。
 アルゴス在住の日本女性から案内されたアイスクリーム屋で可愛い子どもに遭遇した。子供たちは背伸びをしながらお気に入りのアイスを探している。スペイン人は子供が大好きだと聞いた。

巡礼11日目「抱擁の別れ」
「金持ちが天国に行くのはラクダが針の穴を通るより難しい」と聖書に書かれている。キリスト教だけでなく、あらゆる宗教はお金をタブー視してきた。お金は欲望を掻き立て、人を堕落させると見なされてきたためだろう。でも、ヨーロッパから資本主義が生まれたのは、自分の仕事に専念することは神の御心に沿うことであり、その結果得られた所得は忌むべきものではないと説明されたからだった。金儲けが正当化されたのだ。その後、金利を取ることも赦されるようになり、拡大再生産の資本主義の猛烈なエンジンが動きだす。人々の欲望に火が点くと、技術の発展と相まって、経済成長が起こり、消費が幸福の源泉という価値観が世界中に広まっていく。人々は人生の成功を求めて拝金主義に陥って、金儲けに奔走するようになるが、一方で競争の結果、金融資産の格差が起こるだけでなく、資源の乱開発が起こり、地球環境は著しく破壊されることになった。不遜かもしれないが、金儲けをキリスト教文化が認めたのは、進化ではなく、むしろ宗教の堕落と私には思えてならない。現代、キリスト教徒は教会に行かなくなるだけでなく、信者数が減少しているのは、人々の心を取り込むことができなくなってきているからではないのか。魅力が失われ、人々を惹きつけられなくなってきている。むしろ、イスラム教の方が本来の宗教の健全化を保っているがゆえに、信者は増加しているのではないか。「目には目を、歯には歯を」とはイスラム教を代表する考え方のように喧伝されたり、一部過激派のテロがニュースを賑わせたりしているが、世界中の大多数のイスラム教徒は家族と自分の小さな幸福を毎日神に祈り続けているのだ。もっとも大切なことを当たり前のように終日行っているに過ぎない。
 アルゴスを6時過ぎに出発すると、メセタと呼ばれる標高900メートルの台地状の麦畑のなかの道に足を踏み入れた。9時を過ぎると、太陽が灼熱のように暑くなり、巡礼者は立ち止まってはリュックからボトルを取り出し、水を飲みながら次の村を目指した。途中、スペイン人のパブロ、韓国人の集団、西安出身の大学院生、ワルシャワのモニカ、アジア系米国人の若いカップルと会う。みんなとは今まで何回も言葉を交わした仲だ。
 今日、モニカは私たちより10キロ先の村まで歩くと言う。もう二度と会えないかもしれないと直感が走る。モニカにそう伝えると、「私は先まで行かない」と駄々をこねたが、それは叶わないことだ。私は首を横に振った。モニカは別れの抱擁を私と妻にしてきた。目頭が熱くなった。私たちは立ち去るとき、モニカの目を見ることができなかった。
 新しい出会いもあった。16才のときに、宇都宮の高校に留学したという24才の女性は母と4度目の巡礼だという。楽しい青春期だったと懐かしく当時の日本の生活を振り返る。大好きな日本の食べ物は言わずと知れた餃子だという。宇都宮っ子だ。熊本の美味しい食べ物を訊かれたので、馬刺しに言及すると、母娘は複雑な表情をした。馬の生肉を食べるとはと呆れたのだろう。馬刺しは止めておくべきだったかともと少し後悔したが、後の祭りだった。彼らも我々よりも遠い村まで行って泊まるそうだ。そう言われると、急に取り残されたような気持ちになった。でも仕方がない。人々には独自の人生があるように、それぞれの歩行プランがあるのだ。
私たちはオルニージョス村の小さなアルベルゲにチェックインした。世話役の女性オスピタレロは最初に到着した私たち夫婦を非常に丁寧にもてなしてくれた。彼女はスペイン語しか話さないが、ほぼ100%理解できる。わたしのスペイン語の能力からすると、じつに不思議だ。相互理解には、言葉よりも気持ちが大切なのだと再認識した。
 同宿のフラン人がフランス語で話しかけてきた。私たちがキョトンとしていると、彼は得意でない英語を振り絞り、I want to say, I don’t say.と発音した。言いたいことは心の底に響いた。人類はみな兄弟である。
 アルベルゲの裏はのどかな麦畑の風景がどこまでも続いている。静かだ。宿の中庭では、フランス人女性が足のマメを治療しながら、悲鳴を上げている。平和である。
 宿の洗濯場で面白い標語を発見した。La vida es el camino, no decaigas, continua… 「人生はカミーノ(道)である。それは衰えることなく続いていく」。

巡礼12日目「私はドイツ語が話せない」
 毎日色んなことが起こり、天国のように楽しいが、2週間も過ぎていなくても1か月くらい旅行しているような気分になっている。何か突発事項が起こり、途中で帰国しなければならなくなったとしても満足だろう。十分楽しんだ。
 昨夜泊まったアルベルゲの夫婦はとても親切で、「自宅のように過ごして下さい」と言われ、シエスタ1時間半、夜寝8時間もしてしまった。こんなに熟睡するのは初めてのことだ。先日買った虫刺されの薬が効かないので、夫人に虫刺されの跡を見せると、顔を曇らせたかと思うと、隣の大きな町にいる夫に電話をして、薬を買ってくるように伝えた。数時間後、その薬を受けとったが、代金は要らないと言ってくれた。このアルベルゲで虫被害に遭ったと勘違いされたのかもしれないが、有難いことだった。薬は効いたようだった。
 今回の巡礼の目標は10個あるが、その1つはサンティアゴ巡礼を舞台にした小説を書くことである。色んな悩みを抱えた人々が世界各地からやって来て、交流をしながら、物語が展開していく。対立があり、協力がありながらも、悩みが解決する者もいれば、問題が却って深くなる者もでる。死の恐怖、老化、不治の病、嫉妬心、時代に先んじすぎて周囲から理解されない人、大宇宙を形成したビッグバンがなぜ起こったか解明できない学者の高級な悩み、出世が遅れている人の悩み、配偶者を愛し続けても報われない悩みもあろうか。何の悩みを選ぶかはこれから決めなくてはならない。このような小説の構想を歩きながら、妻に話すと、それは最近読んだ遠藤周作の小説『深い河』に似ていると言うのだ。スペイン滞在の初日に留まったホテルの部屋で隣の部屋から聞こえて来た女の喘ぎ声に耐えきれず、トイレに逃げ込んだときに持ち込んだ小説だ。この小説の舞台はガンジス川なのだが、遠藤周作は日本人にとってのキリスト教信仰とは何なのかを追求した作家だと思う。筋書きを聞くと、なるほどと思わせる展開と終結なのだが、私にそのような力量はないが、せっかくの機会なので、自分らしい小説にしようと思っている。登場人物のモデルになりそうな人々とはここの巡礼路で会えそうだ。
 14世紀に建てられた元修道院の前で写真を撮っていると、フランス人夫婦が追い付いて来て、巡礼者スタンプの場合を教えてやるので付いてこいと言うのだ。今は巡礼者用の病院になっていて、無料で診察してくれるようだ。私たちが日本人と分かると、夫人は福島事故は大丈夫かとフランス語で尋ねてきたが、フランス語ができない私はただ両手を広げるだけだった。放射線漏れは食い止められたのかということを聞きたかったようだ。言いたいことは、沢山あるけれども、いざ言葉にすると、日本語でも難しい。日本人は目を背けたいだろうが、事故は完全には終息せず、放射線漏れは当面続く。
 道中のBarでいつもの女性を連れたパブロに会う。
「モニカは先に行ってしまい、もう会えないかもしれないので、寂しい」と私が言うと、パブロは
「何を言っているのだ。モニカはここにいるではないか」と、連れの女性の方を向く。
 私はハッとした。そうか、偶然にも二人の女性は同じ名前だったのだ。私はワルシャワのモニカと別れたとパブロに丁寧に話し、ついで、新しいモニカに何処の出身かと聞くと、ドイツだと答えるので、知っているだけのドイツ語を並べた。
「おはようございます。初めまして。私の名前はノブです。日本から来ました。大学生の時、化学を勉強していました。今は働いていません」
 最後にネタが切れて、ドイツ語で「私はあなたを愛しています。私はドイツ語が話せません」と口にすると、隣で聴いていたドイツ人男性が大声で笑った。モニカは「ドイツ語が話せるじゃないの。ドイツに来れば忘れていたドイツ語をもっと思い出すわよ」と、慰めてくれた。このような他愛ない会話でも、巡礼者の心を癒やす効果はある。ただ歩くだけの巡礼者には貴重な一時である。
今日の宿泊地のカストロヘリツ村に着いて、道路に面している現金支払機でお金を引き出して、外にでると、パブロとモニカが腰に手を当てて仲良く歩く後ろ姿が目に入ってきた。楽しそうだである。声をかけようと思ったが、直前で思いとどまった。ここは干渉しない方がよい。武士の情けである。
「やはり、あの二人はできているではないか」と私が言うと、「作家の勘は鋭いね」と妻が言う。私の小説のモデルとして是非登場させなければならないと思った。でも、作品の中で、パブロはどのような悩みを抱えて巡礼にやって来たことにすべきなのだろか。いや、その前に本物のパブロはなぜ巡礼にやってきたのだろうか。以前聞いたことがあるが、モゴモゴ話す英語が聞き取れず、分からなかったのだった。いつも悩みを抱えているような顔をしているが、女と一緒にいると顔が輝いている。どういうことなのだろうか。私の悩みは深まるばかりである。

巡礼13日目「ハポン!、ハポン!」
 昨夜はカストロヘリツ村でじつに気持ちのよい時間を過ごした。夕食は緑の多いキャンピング場のレストランで爽やかな風を受けながら西洋人用の一人分の定食を仲良く二人で食べた。量が多いので、二人でちょうど良い時がある。すると、隣のテーブルで食事していた貴婦人が近寄って来て、流暢な英語で「昼間、あなたたちが歩いているのを見かけたわよ。サンティアゴまで歩くのでしょう。凄いわね。気を付けて行ってね」と言った。この婦人に限らず、人々は巡礼者に敬意を払ってくれる。地元の人は常に「良い巡礼を!」と声をかけて来る。頑張ろうという気持ちが自然と湧きでる。
 今日はまだ薄暗い中、バンガローを午前5時50分に出発した。メセタと呼ばれる平らな台地を登ったり、下ったりして前に進む。昨日より長い25キロの道のりを歩くため、酷暑になる前に次の宿に着きたい。大方のルートで快適な爽やかな風を楽しんで歩いていたが、それでもいつもの通り最後の5キロは給水を取りながらの巡礼となった。太陽は容赦をしてくれない。
 途中で休憩していた73才と70才のスペイン人夫婦と10日ぶりに再会する。相手の方が先に気付き、手を振っていたようだ。出会いの記念に、日本カミーノ友の会のバッジを夫人に渡すと、非常に喜び、近寄って来てスペイン式のキスをしてきた。私にとっては初めての経験だ。代わりに、主人から食べかけのオレンジの房をいただいた。何気ないやり取りなのだが、巡礼者同士の心が通うのだ。後で日本人に聞いた話だが、この夫婦は日本人巡礼者に会うと必ずそのバッジを見せて、ハポン、ハポンと自慢していたそうだ。喜んでいただいて心底嬉しかった。
 フロミスタ村のアルベルゲに午後1時前にチェックインし、書き貯めた絵はがきを投函しようと郵便局に行くと、すでに15分前に閉まっていた。午後1時45分以降は働かないのだから、幸せな国だ。ドアをガチャガチャさせながら門の前でがっかりしていると、中から若い女性が顔をだした。スペイン語と英語を交えて話しかけてきた。彼女は明日また来いと言うのだが、東洋からやってきた巡礼者だと分かると、中に招き入れてくれた。絵はがきを見せると、事情が分かったらしく。代金を受け取って、一枚一枚切手を貼ってくれた。明日投函するとのことだ。巡礼者は何かと得をするようだ。
 ここで、スペインの歴史を簡単に振り返えろう。
イベリア半島に、まずケルト民族が来て、次にフェニキア人、ギリシャ人もやって来て、ローマ人も来た。ゲルマンが来た後は、イスラム教徒のモーロ人に800年間も支配された。当時、キリスト教文化は紙の製造もできないなどかなり遅れていたため、異教徒を跳ね返す文明エネルギーを持っていなかった。1492年コルドバを陥落させて、モーロ人をやっとの思いで追い出すと、今度は他の奴らをやっつけようと、新大陸アメリカに駒を進め、原住民の大虐殺に止まらず、金銀財宝を大略奪して大帝国になった。16世紀のフェリペ2世の時代が全盛期である。けれど、資本主義システムがうまく形成できず、ヨーロッパの他の国に追い越されてしまい、グータラになって西洋の貧乏国になった。こんな歴史だ。
 一方、日本は1980年代に世界最強の製造業大国になり、一時世界のGNPの15%を占めていたが、次の段階への変換ができず、ずるずると落ち目の国になっている。一人当たりのGNPでは、シンガポールや香港にも抜かれ、世界27位になった。28位はスペインで、29位は韓国が迫っている。もはや日本は豊かな先進国とは呼べない。訪日する海外旅行者の急増は日本が物価の廉価な国、すなわち成長を終えた国になった結果ではなかろうか。
 長時間労働に苦しむ国とシエスタを享受する国はどちらが幸せなのだろうか。
サンティアゴ巡礼では、徒歩は100キロ以上、自転車の場合は200キロ以上巡礼すれば、巡礼証明書が交付されることになっている。

巡礼14日目「貨幣を廃止せよ」
 巡礼2週間になると、だいぶアルベルゲにも慣れて来て、周囲のいびきは気にならなくなり、逆に大きないびきで迷惑をかけたり、自分のいびきで目が覚めたりするようになった。被害意識が消え、加害意識が芽生える。
 宿泊場は色々ある。公営のアルベルゲ、教会主宰の寄付方式のアルベルゲ、私営のアルベルゲ、民宿、オスタル、ペンション、ホテル、それにパラドールと呼ばれる高級ホテルが道中に整備されている。民宿、オスタル、ペンションの違いは誰に聞いてもよく分からない。内容の貧弱なホテルのような位置付けだろうか。安く泊まりたいのならば公営アルベルゲの6ユーロからあり、若者や金銭的余裕のない人々の利用が多く利用するが、プライバシーを重視したい巡礼者や富裕層はホテルなどに宿泊しているようだ。学生たちは、公営アルベルゲに宿泊し、スーパーで食料を調達するため、1日当たりの出費は3000円くらいと思われる。
「何でも見てやろう」精神に富む我々は下から上まで体験してきた。高ければ楽しいかと言えば、そうでもないのがサンティアゴ巡礼の面白いところ。高級ホテルは格式ばっていて、温かいもてなしを受けている気がしない。教会併設のアルベルゲの世話役のオスピタレロは心から歓迎してくれているのが感じられる。
 おおざっぱに言えば、人間は神を殺して資本主義の道を開き物質的に豊かになってきたのだが、いつもの間にか、労働者だけでなく資本家や株保有者でさえお金の奴隷になりつつある。人間性を復活するためにも、お金との闘いに勝利しなければならない。かつて実業家でかつ経済学者であったドイツ人のシルビオ・ゲゼルは20世紀初頭、自己増殖する貨幣ではなく、劣化する貨幣を提唱した。所有していれば、価値が下がるので使わなければ損をする。資産家は銀行に預けているだけで、働かなくても貨幣が自己増殖するから不公平である。ゲゼルの発想は健全である。現在先進国で進みつつあるマイナス金利は貨幣価値の縮小であり、資産家には困ったことでも、大多数の人々には必ずしも悪い事態ではないのではないか。いずれにしても、金利を設定することが成長のエンジンを点火することだったと考えると、ゼロ金利はもしかしたら、資本主義の終焉を暗示しているのかもしれない。成長を絶対善とする為政者にとっては克服すべき現象に違いないが、新しい時代の幕開けと前向きに捉えたい。人工知能の発展は著しく、天才的棋士でも勝てない。近い将来、知的な職業は人工知能に置き換わっていくことだろう。学者の創造的な仕事でさえ、すでに一部は人工知能が担っている。学者だけでなく、裁判官、弁護士、政治家、役人、医者、パイロット、企業経営者、マスコミといった今まで高級な知的職業と見なされてきたものは人工知能が代わってやってのけるようになるかもしれない。さらに言うと、人工知能とロボットの発展は生産財の極大化を招き、人間はあらゆる労働から解放されるかもしれない。その時、貨幣は意味をなくすので、消え去る運命にある。人間が貨幣との闘いに勝利する瞬間だ。空想的な話だが、今世紀の前半までに実現すると本気で考えている学者もいる。専門用語だが、シンギュラリティと呼ぶらしい。
 その時、人間は人工知能に支配される可能性が高い。どうしたら天才級の頭脳を持つ人工知能との闘いに勝てるのだろうか。無限の命を持つ人工知能と有限の命の人間との戦争に勝つ可能性はあるのだろうか。考えることは楽しい。
サンタマリア教会主宰のアルベルゲには午前11時に到着した。開門の正午まで待つ代わりに、門の前にリュックを並べた。私たちは4番目だった。人気のあるアルベルゲのようだ。待っている巡礼者はみんなニコニコしている。何が起こるのだろうか。私たちは不安と期待が入り交じった気持ちを楽しんでいた。

巡礼15日目「イエスと会った」
 昨日の話の続き。午前4時30分にシエスタから目覚めると、周囲はイエスのような雰囲気の男たちが寝ている。胸毛にも気品が漂う。音を立てて起こしたら、祟りがあるかもしれなおい。トイレに行こうと、踵を突かないように歩いて部屋を出ると、階段の踊り場にもマットが敷かれている。超満員の状態だ。以前会ったテキサスからやってきた細身の女性が陣取っていた。おそらく最後に到着したのかもしれない。こんなところに女性一人で寝て大丈夫ですかと聞くと、ニッコリして問題ないと答える。彼女は会うごとに元気になっていくような気がする。
 ここのアルベルゲでは、各自が食材を持ち寄り、一緒に夕食を摂ることになっている。妻とスーパーマーケットに買出しに行くために外にでると、今度はぼろぼろの服を纏ったイエス風の男がやって入口まで来て、宿が満員と分かると、疲れた身体を引き連れてとぼとぼと引き返して行った。私がシエスタを貪っているとき、この男は炎天下を強い紫外線を受けて40キロ以上歩いてきてここまで辿り着いたのではないのか。サンティアゴ巡礼の厳しさを改めて思い知らされた。私にもっと慈悲の心があったならば、代わってあげたかもしれない。イエスが重い十字架を背負わされて処刑の丘へと向かう途中、多くの人々は人心を惑わす者としてイエスに汚い言葉を浴びせ、石を投げつけた。おそらく、私がその場にいたら、同様に石を投げつけていたことだろう。それの方が安全で、愉快で、我が身を護ることができたのだから。自分の弱さが恥ずかしくなった。
 午後4時過ぎでも日光の威力は強烈だった。7分ほど歩いてスーパーに行くと、物価の安さに驚いた。この国は日本に比べて所得が同じくらいで、物価が安く、労働時間が短いのだ。スペイン人ばかりでなく、会う巡礼者はみんなと言っていいくらい、日本人はよく働くと口にする。それは美徳かもしれないが、自分はそれを選択しないと言外に言っているのがよく分かる。
午後6時からアルベルゲの歓迎会が開かれた。まず、シスターらによる歓迎のギター演奏があり、次に巡礼者から巡礼の理由を含む自己紹介することが促された。英語、スペイン語、フランス語がここでの公用語だが、もっとも偉いシスターがフランス人であるためか、フランス人が過半数を占めていた。ネット上では有名なアルベルゲのようだった。巡礼の目的は多様であるようだった。スピチュアリティを求めたり、人生の行くべき道を探ったり、肉体的挑戦だったりした。中にはサンティアゴ到着後、さらに大西洋まで歩き、海で泳ぎたいと語る若い男性もいた。宗教上の理由を堂々と語った者は少数だったように見受けられた。それをみんなの前で言葉にすることに躊躇った者もいたかもしれない。中央に座っているシスターの眉間にずっと皺が寄っているのが気になった。
出席者の発言が終わると、ギター演奏かまたは歌を披露するタイムとなった。同じアルベルゲに宿泊し、I want to say, I don’t say.と拙い英語で話していたフランス人男性はギターを演奏し、参加者を楽しませてくれた。カッコいいと思った。即興だが、みんな上手い。終盤に差し掛かると、日本の歌の披露が求められた。日本人は3人来ている。ギクリ。私とフランス留学中の20才の女の子が顔を見合せて困ったなという顔をしていると、突然妻ががばっと立ち上り、英語で「学生時代に歌った讚美歌を歌います」と言って、一人で歌い始めた。ところどころセリフが出てこないが、最後まで歌いきり、大きな拍手を浴びていた。こんな度胸を妻が持っているとは思わなかった。27年目の大発見だった。
 午後7時から隣のヒヤッとした教会の建物において、厳かな雰囲気の中で、巡礼者歓迎のギター演奏会が開かれた。まだルートの半分も歩いていないが、今までの巡礼の出来事が思い起こされ、心が落ち着くのが実感された。ギターの音が体に沁み込んでくるようだった。
 外に出て、近くの売店で妻の大好きなアイスクリームを食べながら、教会の前の広場まで戻ると、偶然パブロに会った。一人で歩いていたので、ドイツ人のモニカはどうしたと聞くと、帰国したと小さな声で答えた。寂しいかとさらに聞くと、はにかんだように少し寂しいと言った。本当は非常に寂しいのだろうと突っ込むと、照れたまま首を横に振った。私たちは二人が腰に手を廻しながら楽しそうに歩いている姿を目撃しているが、そのことには触れなかった。この出会いが最後になるかもしれないと思い、3人で写真に収まった。後日写真をよく見ると、パブロは明るい笑顔で映っていたので、安心した。
 午後9時過ぎから夕食会が開催された。スペイン、アメリカ、オランダからこのアルベルゲにやってきた学生ボランティアがテキパキと準備を進めていく。このようなアルベルゲは他に見かけなかったので、特別なところなのに違いない。巡礼者が持ち寄った食材を使って巡礼者のボランティアたちが簡単な料理を作っていたらしい。赤ワインで酔うにつれて、巡礼者の距離がさらに近くなったようだ。私たちのテーブルは、スペインとイタリア出身の女性、スペインとアメリカの学生ボランティア、そして私たち夫婦の6人だった。他愛のない話が心の接着剤になる。巡礼に参加した理由はそれぞれ異なっていても、お互いに敬意を表し、達成を願っているのは同じだ。基本的なところで価値観を共有できているので、複雑な言葉は要らない。スペイン人学生が私に向かって、スペイン語が少し話せる理由は何かと聞かれたので、この巡礼のために数か月母国で勉強してきたと答えると、感心したような表情を見せた。これは意外なことだった。私にとっては、巡礼を円滑に進め、楽しみ、さらに妻を護るためにも、スペイン語を多少なりとも学習するのは当然と思っていたからだ。立場が異なると、違った風に見えるのが可笑しかった。
 昨日の話が非常に長くなってしまったが、今日起こった話を始める。
 朝が明けた。午前6時前に楽しかった教会付設のアルベルゲを出発した。星空を見るために、午前4時に出た者もいたようだ。毎日休憩を含めて6時間くらい歩いているが、午前9時ころまでの3時間は涼しくて楽園のようだが、後半の3時間は地獄のような暑さとなる。紫外線対策は必須だ。怠って皮膚が炎症し、病院に行った者もいる。
 歩くことは単調なのだが、意外と飽きない。代わり映えのしない風景を楽しんだり、あれやこれやと回答のでない問を考え続けたりするのだ。時間があるのは豊かな証拠だと思う。カントも西田幾多郎もそうやって哲学の世界を開拓していったのだ。
 ヤコブを祀っている大聖堂のあるサンティアゴまで370キロもある。私たち夫婦はさらに90キロ西に進み、大西洋を臨むフィステータまで到着する予定だ。昨日、数人のイエスに会った。今度はいつかヤコブに遭遇するかもしれない。

巡礼16日目「歩禅」
 今日も昨日と同様の27kmの歩きとなった。かつて夫人どうしが写真に収まったことのあるフランス人夫妻と出会った。様子が変だった。両人ともにリュックを担いでいない。巡礼を止めて、最寄りの駅から列車に乗ってパリに戻ると言うのだ。記念として日本カミーノ友の会のバッジと相撲取り絵のコースターを渡して、大変喜んでもらった。フランス語と片言の英語で話しかけてきたので、予定通りの帰国なのか、断念なのかわからないが、毎日暑い中20数キロ歩き、30数日かけてサンティアゴに到着するのは容易でないと思い知らされた。道中、命を落とす高齢者も少なくないと聞いたことがあるが、実感できるような気がする。歩けなくなったからといって、誰かがすぐにクルマで迎えに来てくれるわけではない。
 12世紀には毎年50万人の巡礼者がサンティアゴを目指したが、条件は今より格段に厳しかったと思われる。靴も装備品も貧弱であったはずだ。宿も教会の裏屋根に雑魚寝だっただろう。食事も粗末だったに違いない。それでも、彼らはサンティアゴ巡礼を続けた。不治の病を抱えていた者もいたであろう。天国に行きたかった信者もいたであろう。罪滅ぼしの巡礼もあったかもしれない。戦争勝利祈願もあったかもしれない。金持ちになりたい人もいたかもしれない。思い通りにならない運命を引摺りながら、神に祈りを捧げながらの巡礼であったに違いない。歩きは単純な作業であるが、自分と向き合う行為としては最良の時間である。風景の変化も少なく、お喋りの話題に尽きてしまうと、その後は意識が内面に向かって行く。自分とはいったい何者であろうか。自分がこの世に生を受けた理由は何であろうか。役割は何なのか。ただ偶然にこの世に転がり込み、死ねば魂は朝露のよいに消え去り、身体はゴミグズになってしまう存在に過ぎないのか。神と自分、あるいは大宇宙と自分が向き合うしかない。この根源的な問いに対する万人の納得できる答えはない。人間は悩み続けながら短い一生を終えて行く。歩く巡礼にはこれらを考えさせる効果があったであろう。それは中世も現代も変わりはない。座禅ではなく、歩禅と呼んでもいいかもしれない。明確な神が存在しなくなった現代にあっては、心を無にして、大宇宙から降りて来るメッセージを受けとるのだ。それらは人間の能力を超えたものであるかもしれない。イマジネーションも、セレンディプティも、そうやって顕在化するのではないのか。科学的大発見や発明も、限界を超えて考え抜こうとした人間への万能の神からの温かい贈り物であるのかもしれない。そう考えるならば、現代においても神は存在するであろう。そのような神は天空の大宇宙にあるのではなく、じつは人間の心に存在するのではないのか。心の中は大宇宙の空間よりも広い。神聖な心も、仏性も、創造の神も、自分の中にあるのかもしれない。それに気づくかどうかが人間の品性なのではないのか。
 名前も知らない黄色い花はパンプローナから巡礼の旅を開始して以来、ずっと私たちを励ましてくれた。いつも小鳥はさえずり、沢山の蝶が祝福するように舞っている。大きな教会の塔にはコウノトリとツバメが思い思いに巣を作っている。いつもこのような平和な時間が続いているのが嬉しい。明日もそうあって欲しい。これからもずっと。

巡礼17日目「獰猛な黒いイヌ」
 私たちの典型的な1日は以下の通りだ。まだ真っ暗な午前5時ころに起床し、前日スーパーで買ってきたパン、ハム、チーズ、オレンジなどで朝食を済ませ、薄暗い中6時前後に簡易宿泊所のアルベルゲを出発する。1日当たり歩く距離は20~30キロ。概ね2時間ごとに、途中の村のBarでカフェ・オ・レや果物を取りつつ休憩すると、次の宿泊地に到着するのは正午~午後1時ころになる。
 アルベルゲにチェックインすると、シャワーを浴び、衣服を洗濯して日向干しする。それから、レストランに行ってビールを飲みながら昼食を取り、部屋に戻ると至福のシエスタの時間となる。1~2時間寝て起きると、夕食の時間まで、街を散歩したり、スーパーに行ったり、巡礼日記を書いたり、絵を描いたりして過ごす。午後8時前後に夕食をとり、まだ外の明るい10時前に床に入る。毎日長距離を歩いているのだが、美味しい料理を沢山いただいているので、体重は一向に減る兆しがない。妻は私のお腹を見て、むしろ太ったと突っ込んでくる。
 今日はカルサディジャからマンシージャまでの25キロを歩いた。このルートは少し遠回りになるため、ほとんどの巡礼者は選択しない。途中、村もなく、Barもなく、水飲み場もなく、日陰もなく、しかも道は石が多く非常に歩き難いルートだった。そのためか、道中会ったのはアメリカのカップル二人だけだった。想像だが、スペインとフランスのガイドブックは別のルートを推奨しているのではないのか。彼らはどこかに行き、忽然と消えていた。
 私は中世の街が好きである。12世紀の城壁が残っているマンシージャ村の広場で市場が開かれていた。サクランボ500グラムが1ユーロしかしない。安さに比例して嬉しくなる。
 昨日から今日にかけて幸運に助けられた。スーパーに店主がいなく、仕方なく帰ろうとすると、地元の人が現れて、店主を探しに行ってくれた。また、今朝5時、アルベルゲを出て、道に迷い右か左か迷っていると、突然1台のクルマが現れ、目の前で止まってくれて正しい道を教えて、去って行った。私たちにはけっして偶然には思えない。これも出発時に神に安全を祈願し、日の出が出ると、太陽に向かって両手を合わせているからだろうか。
 幸運だけでなく、ヒヤリとすることもある。スーパーで買い物をして、途中ベンチに座りながらアイスクリームを食べていると、突然黒い野生の強そうなイヌがやってきて、私たちの前で立ち止まった。顔には泥がついている。お腹が空いたような顔をしている。顔が引きつった。
「腹が減っているみたいだ。ナイフを出してお前のお腹の肉を切り裂いて、与えたらどうか?」私がそう言うと、
「こんなとき、よくそのような悪い冗談が言えるわよね」妻は立腹した。
「何か冗談でも言わないと、緊張に耐えられないよ」心臓がパクパクしている。
「どうするのよ!」
「いざとなったら、俺が犠牲となるから、お前は一人で日本に帰れ」私は精一杯強気を出した。
「そんなの嫌よ。視線を合わせちゃだめ。どうやったらこの危機を乗り越えられるのよ?」
 そうこうしている間、イヌは去っていった。安堵したが、しばらく立てなかった。スーパーでハムを買わなかったのがよかったかもしれない。買っていたら、イヌも粘っていたに違いない。もっとも、そのとき、買い物袋の中身について考える余裕はなかったのだが。いずれにしても、助かった。
 明日は道中最大の街レオンを目指す。私たちのサンティアゴ巡礼の旅の中間点になる。まだ半分か、もう半分か。両方の気持ちが入り交じっている。レオンでは、心機一転のため2連泊する予定だ。

巡礼18日目「人生を楽しめ」
 昨夜、味の素のカップ焼きそばが美味しかったせいか、ワインを飲み過ぎたせいか、疲れていたためか、9時間以上爆睡した。今まで一番遅い午前6時30分の起床となった。ペンションの部屋で朝食を済ませ7時30分にレオンに向けて出発した。今日は20kmに満たない楽チンコースだ。レオンの街の入口で同世代のフランス人夫婦に追い付き、もう二度と会えないかもと思い、相撲取りの絵のコースターを記念に渡した。非常に喜ばれ、主人がスマホの写真を見せてくれた。絵画が趣味らしく、ミケランジェロやラファエロらの作品をモディファイした絵画を描いている。広い自宅のあちこちに飾っているとフランス語で流暢に説明する。プロ同等の腕前のように見受けられた。侍の絵も描いていると言うが、私には歌舞伎役者のように見えた。次回はこの相撲取りの絵を参考に相撲取りにも挑戦してみると言ってくれた。彼はずっとフランス語を話していたが、フランス語をまったく理解しないわたしでも彼の意思は十分理解できた。
 また、福岡から来たという40才代のスペイン大好きのカップルにも会った。20回くらいスペインに来たことがあるという。失業中で、スペインに住むためこちらで仕事を探したいそうだ。仕事と遊びのバランスが崩れている日本はもうごめんだと言う。バブル以降の世代は日本人の美徳であった勤勉性を失っていると断言する。勤勉もまた上から押し付けられた価値観なのか。日本人の価値観の多様化は進んでいる。普通の日本人並みに働けば、スペインでは十分やっていけるだろう。さらに、議論は進み、落ち着いたところで名前を聞くと、「大神」だと言うではないか。語呂合わせではないが、ここでも神との遭遇だ。こんなことが巡礼でよく起こる。
 私の巡礼の目的は近代が失ってしまった神を甦らせることだ。西欧の中世や江戸時代の庶民は教科書で教えるほど惨めだったのではなく、結構伸び伸びと自然や神々と近くで交わっていて、安心して生きていたのではないのか。死ねば極楽に行けると信じ、終末期でも心が穏やかだったと想像する。現代人の方がむしろ希望も抱けず奴隷のようにこき使われているのではないのか。しかも、死ねば無になると信じ込まされている。中世の精神的に安らかであった面を再評価し、現代に甦らせられないものか。それは単に中世に逆戻りすることではない。自然に存在する神々を大切にしつつ、自己の内部に眠っている神聖な魂を呼び覚ますことなのだ。自然の神と人間の内部の神が共鳴するとき、人間は創造性を十分に発揮し、時代を切り開くことができるのではないか。大神も私の考え方に賛同してくれた。ただし、彼らカップルは1日に15~20キロしか歩かないマイペースのため、私たちせっかち夫婦とは二度と会う機会がないかもしれない。
 巡礼の最大の街レオンに到着した。大聖堂の荘厳で美しいステンドグラスは一見の価値がある。カトリックの絶対的信仰心がこの大建造物を現実のものにしたのだが、現代人は信仰心を失ったがゆえに、大建造物を造るパワーも意欲もない。わずか千年もたたない間に人間の価値観は大きく変わった。神聖や神秘性が威力を失い、唯物論や科学主義だけが大手を振って歩いている近代主義は環境を破壊し、人間性を貶めていないか。そんなことを考えながら、大聖堂を後にした。Pasarlo bien! 人生を楽しめ。

巡礼19日目「レオンの休日」
 レオンは35日間の巡礼の後半開始地点だが、肉体的疲労と精神的倦怠感を癒すため、レオンで休日を取ることにした。朝食後、あまり歩かずホテルで朝寝を貪った。
 起きると、中世の修道院を改装したパラドールと呼ばれる五つ星ホテルの見学に出かけた。出国時は退職記念旅行の思い出にここに宿泊するつもりでいたが、美味しい食べ物を食べ過ぎてしまい体重も予算もオーバーしているので、断念した。
 スーパーで出会った日本人カメラマンによると、私たちが仲良しになった友達に渡しているハポンと書かれたバッジが大変好評のようだ。喜んでいただいて素直に嬉しい。こういったことがあると、何処に泊まっても旅は楽しいものになる。
 毎日の旅行記は1~2時間かけて書いているが、レオンの休日を楽しむため旅行記も手を抜こうと思う。先はまだ長いのだ。
ただ、台湾から二人でやってきた女性と3回目の再会を果たし、写真撮影をした。サンティアゴ巡礼は中国語で「聖雅各之路」と呼ぶと教えてもらった。これだけでも、今日は価値のある日となった。

巡礼20日目「vaca(バカ)とajo(アホ)はスペイン語」
 昨日は終日体を休ませたので、今朝から足も心も軽かった。そのため、今日22キロ、明日31キロの予定を変更し、今日32キロ、明日21キロとした。今日も途中で2つのルートに分かれたのだが、私たちは3キロ長くなるが自然の道のルートを選んだ。どうもスペインとフランスのガイドブックは短いルートがメインになっているようで、彼らはまったく見かけなかった。これをもってして彼らが怠け者と考えるのは可笑しいのだが。
 アルベルゲでも周りはアメリカ人が多く、部屋の中で大声で話しているので、途中で目が覚め十分なシエスタは取れなかった。英米人はサルでも英語を話せると考えている節が若干あるが、話し始めるとサルと同様に騒がしい。
 今日はくだらない話をしたい。ひょうきん族は何処にでもいるものだ。ブルゴスのBarのバーテンダーもその1人だ。私たちが日本人と分かると、片言の日本語を披露する。スペイン人が「アリガトウ」を覚えるとき、Aqui gato「アキガート」(ここに猫がいる)と頭に入れて覚えるそうだ。なるほど、通じないことはない。お返しに、私は彼に面白い日本語を教えた。スペイン語のvacaとajoはそれぞれ牛とニンニクの意味だが、同じ発音の日本語の意味はバカとアホとなると教えた。すると、彼は大きいというgrandeを付けて、同僚を指して、vaca grandeとajo grandeと大声で叫ぶではないか。言われた方は意味が分からずキョトンとしている。さらにエスカレートし、スペイン語の乾杯はChinchinと言うが、その発音の日本語の意味はペニスだと教えると、彼は若いバーテンダーを捕まえて、Chinchin grandeと何度も笑いながら言う。巨根と言われた彼は顔を赤らめている。バーテンダーがスペイン語に翻訳したのだろう。私たちはワインの勢いも借りて、お腹が痛くなるほど笑った。下ネタはスペイン人も日本人も大好きなのだ。ただし、過度の使用は禁物だ。私の投稿は巡礼中にFB友達になったワルシャワ出身のモニカも機械翻訳を通じて読んでくれているが、このようなアホな話を人工知能はどれだけ正確に訳せるのだろうか。Monika san、もし翻訳の下ネタを理解できたならば、リスポンスして欲しい。巨根についてだが、奈良時代の高僧の道鏡は巨根であったと高校の日本史で勉強したことを思い出した。日本史は暗記しなければならないことが多く、好きになれなかったが、このようなつまらない俗説はいつまでも忘れない。
道中のひょうきん族をもう1人紹介しよう。Barで軽い休憩を終えて道に出ると、どっちの方向に行くべきか分からず立ち止まっていると、若い男性の巡礼者二人がやって来たので、英語で正しい方向を聞くと、ニヤニヤしながら、今まで来た方角を指差すではないか。私がBad guyと吐き捨てるように言うと、彼はハイタッチを要求してきたので、それに応じた。すると、Buen camino(よい巡礼を!)と言って、足早に去って行った。嫌な気はあまりしなかった。他愛ないやりとりなのだが、サンティアゴ巡礼には、とても大切なことなのだ。目的はそれぞれ異なっても、毎日が厳しい試練であることは変わらない。みんなお互いにサンティアゴの大聖堂まで行き着けることを心から願っているのだ。冗談やジョークなしでは心が張り詰め疲れてしまう。
 余談だが、5メートルくらい上の電線に靴がぶら下げてあるのを数回発見した。どのような意味があるのだろうか。結局、巡礼が終わっても意味不明のままだった。

巡礼21日目「在ること」
 今日は余り気温も上がらずアストルガまでの21キロの比較的楽な歩行だった。レオンで2連泊したためか、知合いは先に行ってしまい、ほとんど誰とも会わない寂しい日になった。それでも、西洋人に親しげな挨拶を受けることがしばしばあり、何処で以前に会ったか思い出そうとしても、上手くいかない。西洋人は似たような顔に見えて特徴を掴むのが難しい。彼らから見ると、巡礼中の東洋人は少なくすぐに記憶に残るのかもしれない。如何ともしがたいが、どんな言葉よりも効果がある笑顔で応対することにしている。
 3週間も旅を続いていると、旅が日常になってくる。ハレからケになる。気分転換の旅から人生の一部としての日常になる。言ってみれば、「為すこと」から「在ること」になる。一応、サンティアゴ大聖堂まで歩くという遠い目標はあるのだが、毎日は歩くことを中心とした繰り返しに過ぎない。妻も食事の準備、掃除、洗濯などをやらなくてもいいので、楽ちんな毎日だと笑う。巡礼は退屈な時間ではなく、自由な精神状態である。これは中世的だ。何も生産的でないが、自然と神々とともにあるという安らぎがある。近代の価値観は違う。何かモノかサービスを生産することが各自に求められる。常に右肩上がりの成長をすることが善とされ、それへの参加が義務化される。昨日よりは今日、今日よりは明日が明るいのだ、と信じ込まされている。成長には資源とエネルギーの消費が必要であり、その結果、汚染が拡がり地球環境はひどく毀損されてきた。みんな気がついているが、生きていくために成長のゲームから降りられなくなっている。自分が生きている間だけでも、地球が破滅しないで欲しいと願いつつ、快適な生活にしがみついている。他に有効な選択肢が与えられていない。それを考える自由も奪われている。
 スペインにいると、自由だ。日本にいれば毎日耳にするニュースが入って来なくても困ることはない。政党支持率が急変しても、巨人が勝っても負けても、有名人が亡くなっても、大きなコンビナート爆発事故が発生しても、株価が暴落しても、ほとんど関係がない。そのようなニュースは個々人が本来生きていく上では重要なことではないのだが、いつの間にか、常識として知らないと生き苦しくなってしまっている。新聞記事は読んだ瞬間に無価値になるのだが、多くの優秀な頭脳がそれらを「生産」するために費やされている。もっと根源的でオリジナルなことにみんなの関心が向けばいいのだが、価値を産まないからといって見向きもされない。巨大なシステムがそれを許さないのだ。もっと遠くへ、もっと速く、もっと強く、もっと多くという価値観の呪縛から人間の心を解放する必要があると思う。もはやモノを多く所有することはダサイ。カッコ悪いし、時めくこともない。豪邸でも、クルマでも、高級家具でも、みんなで共有すればよい。モノ自体に本当の価値はない。
 サンティアゴ巡礼は目的や動機は各自異なるが、大聖堂までどうにかしてたどり着きたいという願いは同じだ。ほとんどの巡礼者は足に何重にもテーピングしているが、大丈夫かと聞いても問題ないとしか言わない。それでも、何人かは途中で断念し、帰国して行く。自分の足の問題は著しく個人の問題であり、個人で解決するしかないのだ。事前に鍛錬していない者には試練が襲いかかる。残された者は彼らの願いを受け入れて歩き続けなければならない。無言の強い連帯感が巡礼者の心の支えになっている。自分のためだけでなく、他の巡礼者のため、来られなかった友人のため、世界の人々のため、迫害を受けている弱者のため、不幸な人々のため、地球のため、神々のため、ただ祈りながら、サンティアゴを目指して歩き続けるのだ。それはGNPには何の貢献もないが、じつに大切なことなのだ。信じないと、何も起こらない。

(続く)