メルマガ登録

 
2017年6月
« 5月    
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
twitter
facebook

エッセイ・小説

中世の復活

後輩たちへ

 みなさん、如何お過ごしでしょうか。私の方は文科省を定年退職して2か月が過ぎようとしていますが、郷里の八代で元気で過ごしています。現役時代との最大の違いは、「毎日が日曜日」のためすべての予定を自分で決めなければならずこの状態から解放される「休日がない」のが最大の苦痛です。考えようによっては、なんとも贅沢な悩みですが。

 田舎暮らしの良さは、「みんな人が良い」ことです。こんなに親切で、気を遣っていただき、大変心地よい生活を送っています。都会のようにガリガリ生きている人をあまり見かけません。視点を変えれば、挑戦や競争が少ないため、人々は内向き志向で、田舎は発展しにくいということかも知れませんが、所得の低さに目をつぶってしまえば、田舎暮らしは捨てたものではありません。若い人の意識も都会志向から変わりつつあるようにも見受けられます。

 近況を具体的に報告します。
 早朝に起きて、自然豊かな散歩道を1時間の歩いた後、NHKの講座でスペイン語と英語を聴き、朝食を済ませます。午前中は、最近始めたデッサンに取り組んだり、読書をしたり、ブログを書いたりと、主に頭を使うことに専念します。デッサンの方は、地域コミュニティセンターの美術クラブに通っていますが、自画像を描いて披露したら、拍手やお褒めの言葉をいただいて、いい気分に浸っています。グッド・スタートとなりました。
 午後はフィットネスクラブで、硬くなった身体をほぐすストレッチ、基礎体力を向上させる筋トレ、リズム感を取り戻すエアロビクス、それに気分転換の水泳を楽しんでいます。帰宅後は至福のシエスタを享受。
 夕食後はテレビを観たりして、ゆっくり過ごす時間帯ですが、時には読書やデッサンに時間を割くこともあります。就寝は午後11時まで。外での会食が激減したため、お小遣いはほとんど減りません。

 趣味の長距離ウォークの方は4月中旬の福岡県糸島三都110キロウォーキング大会(1500人中87位)、5月ゴールデンウォークの長崎県佐世保・島原105キロウォーキング大会(900人中92位)に出場しまずまずの成績を収めました。でも、筋トレとフォームの改善をしないとこれ以上の向上はないと痛感しました。

 まったく初めての作業にも挑戦しています。庭木の剪定は芸術作品の創造と思って楽しみましたが、脚立の上の作業は少々怖かったです。小さい畑にはアシタバの苗を植えましたので、今秋の収穫が楽しみです。庭先に撒いたゴーヤと朝顔の種がどこまで成長するか期待しています。先日は、庭の梅木から採取した青梅を使って、梅酒作りに励みました。地酒は美味しいでしょうね。蝶々、蜂、トカゲ、小鳥が庭で遊んでいるのを眺めていると、自然というのは目の前にあるものなんだと実感させられます。眺めていても飽きませんね。

 今日土曜日はゴルフのラウンドに行き、明日は文芸雑誌の仲間の合評会に出席します。作品に対して色々な意見や感想が飛び出し、大変勉強になりますので、嬉しいです。
 いよいよ6月2日から北スペインの巡礼の旅に家内と出かけるため、最終準備の段階に入りました。800キロの世界遺産の道のりを楽しんで来ようと思っています。北スペインの田舎の風景、ワインと料理、世界の人々との出会い、パワースポットやスピリチュアリティの経験も楽しみです。大都市ではテロが発生したいますが、田舎はターゲットにならないでしょう。もし仮に、バチカン、エルサレムに次ぐ第三のカソリックの聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂(聖ヤコブが祀られている)が爆破されることになれば、宗教戦争にまで発展します。ISはそこまではやらないと思います。
 人間がお金の奴隷になり、尊厳を失ってしまっている今、神々を信じていた中世の時代の人々に思いを馳せるのは悪くはないと思っています。物質的に豊かになった近代は人間を貶めているように思えてしかたありません。

 役人としての仕事も楽しかったのですが、世の中にはまったく違った楽しいことも沢山あります。それらを発掘して自ら享受していきたいですね。
 スペイン人の口癖を書いて、筆をおきます。
La vida es maravillosa! 人生は素晴らしい!
 世界は楽しいことで満たされていますよ。みなさんも人生をエンジョイして下さい。

(2017年5月27日、寺岡伸章)
12345 (1 投票, 平均値/最大値: 5.00 / 5)
読み込み中 ... 読み込み中 ...

自画像

 自分を見詰めるのは辛い。現代の生活は忙しいため、1日のうちで何をやるかに関心が行き、自分の心や精神状態を詳細に観察することはあまりやらない。おしゃれするとき以外は、自分の顔さえ観賞の対象にならない。どのような顔色なのか、内面がどのように表情に現れているかは快適に生きる上で非常に重要なはずだが、そこまで意識して顔を覗くことはあまりない。せいぜい、老けたな、疲れているなと思うくらいだ。心の有り様がその人の幸福度を決定するはずなのだが、幸福度の尺度は定量化されたお金や地位に還元され、顧みられることはない。もっと自分について考える時間帯が多くてもよかろう。

 絵画を描き始めると、風景画や静物画に着手するのが普通なのだが、自画像に面と向かう初心者はあまりいない。自分の顔を描くのは恥ずかしいからなのだが、それは日ごろ慣れていないことをしたくないという気持ちが浮かぶからだろう。さらに言えば、自画像は知らず知らず自分の知らない自分が描き出されるリスクもある。素っ裸で公衆の面前に立ちたくないというのと同じで、内面を曝したくないという気持ちが働く。プライバシーとして隠したがる。だから、自画像は避けられる嫌いがある。でも、自画像に挑戦し続けてきた画家は少なくない。自分をうまく描けなくして、風景や事物を描けるはずはないという思いがあるのではなかろうか。

 自画像と言えば、ゴッホを思い出すが、彼はじつに多くの自画像を描いている。本人は悪戦苦闘して、様々な自画像に挑戦したのかもしれないが、発想を変えてみると、それらのどの絵が本人を忠実に表現しているのだろうか。ゴッホは自分の真実の姿を描いたものだけを追及したのだろうか。それは違うような気がする。
 自分自身はじつに多面的なのだ。昨日の自分と今日の自分は異なる。対人関係でも誰に接しているかで、気持ちや態度がずいぶん違ってくる。それは自分を飾っているからではなく、自分の中の自分を演じているにすぎない。世間で演じられた自分もまた真実の断面なのである。
 そうなのだ、自分は唯一絶対の存在ではなく、つねに揺らいでいる。科学の先端を紹介するまでもなく、揺らぎは人間だけではなく、生物の本質でもある。生物界は多様であるように、人間個人もまた多様であるのだ。個人は固定された存在ではなく、ダイナミックにかつ自在に変貌する存在であるのだ。それは個人に対して分人とも呼べるかもしれない。

 現代社会はストレスが多く、精神の疾患で悩む人は少なくない。人々は最大のパフォーマンスを上げることを常に求められ、その結果によって評価されている。動機や心の状態に関わらず、外に現れた業績で個人の価値が定められる傾向にある。外面と心の間で人は悩み、バランスが崩れると病気になる。自分はダメな奴だと責め続ける人もいる。
 本当はそんなことはない。会社の自分は一人の自分でしかないし、家族の中の自分、運動を楽しんでいる自分、
友と酒を飲んでいる自分、読書や思索をしている自分、神々に祈りを捧げている自分など自分はじつに多彩である。自分は多くの自分(これを分人と呼ぶ)の集合体である。一つの分人がうまく行かなくても、別の分人が活躍することもある。すべての分人で満足する業績を挙げることは不可能に近い。
 そんな個人の構造が理解できるだけで、心の負担がずいぶん軽減されるにちがいない。

 人生は深い。単純ではない。自分を今一度見つめ直そう。

(2017年5月25日、寺岡伸章)
12345 (まだ評価されていません)
読み込み中 ... 読み込み中 ...

帰郷のご挨拶

八代の未来を科学する会の関係者各位

 「八代の未来を科学する会」の開催について、ご理解とご協力をいただき、大変ありがとうございます。謹んでお礼を申し上げます。
 当会の連絡幹事役を務めてきましたわたしこと、寺岡伸章は本年3月末日で文部科学省を定年退官し、4月7日に故郷・八代に移住してきました。今後とも、地域活性化のために当会を開催してまいりますので、引き続き宜しくお願いするしだいです。

 なお、本日固定電話が接続され、ネットワーク環境が整ったため、こうして連絡を差し上げることができるようになりました。そのため、メールの発信が遅くなったことをお詫び申し上げます。

 帰郷 し、一か月半が過ぎますが、八代が如何に住みやすい街であるかを再発見し、妻ともども新しい生活を享受しているところであります。東京の満員電車と背広から解放され、人間性を復活させているところです。
 今後はあらゆるものから自由になり、想像力を発揮することに価値観をおき、生きていきたいと思っています。ちょうど束縛的な大学受験が終わって自由気ままでアカデミックな大学生活をエンジョイしたように、現在公務員生活という拘束された生活から解放され、二度目の青春時代がやってきたと喜んでいるところです。

 学生時代に国内外を気ままに旅行したように、今後とも八代の善良な人々との交流を深めつつも、ふたたび国内外を探索していきたいと考えています 。八代の将来を考える上でも、ヒントになることが地球上に散らばっているはずです。
 6月上旬からスペイン北部の世界遺産の道800キロを踏破する旅に出ます。学生時代の気分に戻り、8キロのリュックを担ぎ、妻とともに40日間歩き続けます。この旅は宗教的な修行であり、また人生そのものでもあります。旅の間、飲み食いするだけでなく、田舎風景やカテドラルをスケッチしたり、旅行記を書いたりして、芸術的な生活を送りたいものです。想像性は無限です。帰国は7月中旬を予定しています。

 次回の「八代の未来を科学する会」は8月の開催を予定していますが、講師や演題が決まりしだい、ご連絡しますので、みなさまの奮ってのご出席を賜りたいと思います。
 宜しく お願い致します。

 最後に一言申し上げます。
・他人を評価するとき、資産高や社会的地位や学歴で判断するのは止めましょう。その人の心の有り様を凝視すべきです。
・お金の話題を止めましょう。自然や神々や先祖との関係性に目を向け、心を寄せましょう。お金は人を卑しくします。
・クルマを捨て、歩きましょう。時間に拘束されてはいけません。歩けば、今まで気づかなかったものが見えてきます。
・他人と比較するのを止めましょう。あなたは唯一無二の存在です。自分の価値の向上こそ、務めるべきことです。
・虚栄心も捨てましょう。世間や他人からの評価ではなく、自分に誇りち自信をもって生きましょう。
・想像力を磨きましょう。発想次第ですべては異なって見えます。過去も未来も自由に変えることができます。

では、また。
Hasta,luego.

寺岡伸章(連絡幹事)

二度目の青春

 わたしの高校時代は受験勉強に明け暮れたため、上京し大学に入学した時、好きなことができると解放感に満たされていた。大学生時代にはアカデミックなキャンパスの空気を満喫し、1000冊くらい本を読み、人生観や世界観について友人たちと夜遅くまで酒を飲みながら議論したのを覚えている。自由と真理追究の最高の時間を謳歌した。もう二度と帰らぬ充実した日々だった。

 それから35年間霞が関で公務員生活を経験し、定年退職を迎え、再び自由の身となった。今度はスローな生活を送るために故郷に戻ったのだが、1か月半が過ぎ、大学に入学した頃解放された自由な精神が再び蘇ってきた。身体の内側からエネルギーが湧いてきているのだ。何でもできるし、何でもやりたいという意欲が生まれている。
 まだ読んでいない名作を読書するのも良し、好きな絵を描き始めるのも良し、新鮮な空気を求めてハイキングするのも良し、新しい外国語を学び海外旅行に出かけるのも良し、新鮮な野菜を栽培し料理して食べるのも良し、早朝に起き散歩するのも良し、上京して美術館巡りをするのも良し、気の置けない古い友人と居酒屋で談笑するのも良し、ゴルフや卓球などの球技に戯れるのも良し、郷土の歴史を勉強するのも良し、市立博物館の学芸員の講演を聴くのも良し、自ら演台に立って何やら講演するのも良し、100キロウォーク大会に出場するのも良し、フィットネスクラブで筋トレやストレッチをやるのも良し。これからの人生は良し尽くめなのだ。どれもこれも、自由と想像性の賜物である。
 わたしは再び青春時代を享受しているのだが、どうして他の人たちは仕事を続けようと思っているのだろうか。そんなに仕事が楽しいのか。不思議で仕方がない。時間を持て余すのを心配し、再就職先を斡旋する人も数人いるのだが、要らぬお節介である。こっちは青春時代を謳歌していると言うのだが、相手は怪訝な顔をしている。信じてはもらえぬらしい。精神がすでに老化し、思考が硬直化しているのではなかろうか。
 先日あった高校の先輩は、高校のOB会の会長に指名され、憂鬱な日々を送っていると言っていたが、顔はまんざらでもないという表情だった。このような建前と本音を使い分ける「大人の世界」には興味がない。そのような閉鎖された空間が好きであれば、そこで生きればいい。ポストで自分を再評価するのを重視しているのかもしれないが、自由で開放的な精神とはかけ離れている。

 人間の歴史はあらゆる束縛から解放されることであった。貧困からの解放、古い因習や伝統からの解放、政治的抑圧からの解放、お金からの解放、名誉や虚栄からの解放。これら自由精神を束縛しようとしている種々のものから解放され、永遠の神に対峙するとき、人間は真の自由を獲得するのだ。心が解放され、あらゆる事物や事象が輝いて見えるようになる。超人になれる瞬間かもしれない。
 さて、ブログ書きを終えて、昼食を食べることとしよう。美味しい食事を愛する人と摂ることもまた、至福の時である。

(2017年5月20日、寺岡伸章)
12345 (まだ評価されていません)
読み込み中 ... 読み込み中 ...

女性は美しく逞しい

 上京し、美術館と博物館めぐりを堪能してきた。「オセローのナビ展」(三菱一号館美術館)、「茶の湯」(東京国立博物館)、「シャセリオー展」(国立西洋美術館)、「スケーエン-デンマークの芸術家村」(国立西洋美術館)、「ミュシャ展-スラヴ叙事詩」(国立新美術館)、「草間彌生の永遠の魂」(国立新美術館)、「大英自然誌博物館展」(国立科学博物館)。天才たちの才気に圧倒され、自分が如何に矮小で何も知らない存在であるかを痛感させられた。でも、これらの体験を小説や絵画に生かしていきたいものである。
 なかでも、「草間彌生の永遠の魂」はチケット購入に1時間、入場に40分も時間を消費した上で、創造性溢れる草間彌生ワールドのエネルギーに打ちのめされ、会場を後にするころにはフラフラな状態だった。上野駅近くのホテルに戻って2時間半ものシエスタを貪り、夜の席に着いたのは40分の遅刻という有様だった。

 人間は何のために生きているのだろうかという一つの回答を強烈に感じた4日間だった。人間はもっと自由で想像的であらねばならぬ。けっして会社やお金の奴隷になってはならぬ。大自然と戯れ、自らの美的表現能力を最大限発揮するとき、人間は神に近づき、魂を浄化できるのである。至福の瞬間に、人生の賛歌が聴こえる。人生は素晴らしい。生きることは奇蹟の体験である。

 それにしても、どこに行っても女性は美しく、好奇心に満ち溢れていた。鑑賞者の8割は女性だったように思う。男性が会社で想像力を摩耗させられ、凡庸になっているとき、女性は想像力を蓄え、人間力を身に付けようとしている。芸術の神・ミューゼに変身しようと企んでいる。カネを稼ぐという近視眼的なことに励んでいる男たちがミューゼに勝てるはずがないではないか。
 男は形式的に女よりも優位にあるのかもしれないが、その姿は完全に形骸化している。女は美しく賢く、かつ逞しい。男は子どものまま成長できないでいる。会社にエネルギーを吸い取られ捨てられた男は世間から孤立し、自宅に引き籠っている。その間、女たちは街に出て美味しい食事をし、楽しいおしゃべりをし、美術館で感性を磨き、デパートでショッピングを楽しみ、防腐剤入りの食べ物を避け、戦争反対のデモに参加し、ときには郊外に出て自然の中で自分を解放する。女は素晴らしい存在だ。この世はすでに女性に征服されている。
 男は朽ち果てるしかないのか。再生する手段はただ一つ。女のするように振舞え。女の愛し、熱狂する場所に行け。そこは生命エネルギーと想像性で溢れているのだ。

(2017年5月19日、寺岡伸章)
12345 (まだ評価されていません)
読み込み中 ... 読み込み中 ...

生活が第一

 定年を迎え仕事を辞めると、暇になると思っていたが、そうではないことが分かってきた。毎日の生活を送るうえで、結構忙しいのだ。
 昨日は電車に乗って、熊本市のデパートまで買い物に行った。ゴルフウェアのパンツ、半そでシャツ、アンダーウェアを買ったのだが、最終的な選択に行き着くまでどれが似合うかと妻と話し合いが続く。どれもこれも欲しいのだが、それなりの色とデザインのものに落ち着いた。
 今まで試着は面倒と思っていたが、やってみると面白い。ショッピングも楽しめるようになれそうだ。生活を充実させるための重要な要素であるにちがいない。仕事で何かを生み出すこととは異なる世界がそこにはある。仕事が価値があり、ショッピングは単なる消費にすぎないとは思えなくなってきた。それにしても、購入した3点の商品の価格はゴルフ会員権よりも高価であるのは複雑な気分だった。ゴルフは大衆のスポーツになったけれど、ファッション業界は新しいデザインと素材を創造し続けているということなのだろうか。

 わたしの買い物が終わると、妻の服を買うべく、婦人服売り場に向かった。妻のショッピングはまずフロワァー全体を一周して見渡し、その後気になったお店に入って自分のお気に入りのものを探し出そうというやり方だ。わたしも後ろから付いて歩き回ったのだが、婦人服は紳士服と違ってデザインも色彩もじつに豊富である。このような素敵な服を着た女性が街に溢れていたら、どんなに世の中は楽しいことだろうかと思った。一つ一つを念入りに見ると、デザイナーの工夫が偲ばれる。美的感覚に優れていないと気を引くものが作れない。わたしは最近絵画を描くようになったためか、構図や色彩に目が行くようになった。偏見があるかもしれないが、自分や他人の着る服に関心がないようでは、絵画は上達しないのではないかとさえ思う。
 美術クラブでも、美しい絵を描ける女性は美しい人が多いように感じる。美の追求が人生のワイフワークになっているのだろう。自分も化粧をして合致した服をまとい美しい女性でありたいし、自分の内面の感情もキャンバスに美しく描き出したいという一心なのだ。美こそ人生。なんと素晴らしいことなのだろうか。

 ショッピングを終えて、電車に乗って八代に帰ってきると、雨が降っていたが、フィットネスクラブに出かけることにした。最近は身体を柔らかくするストレッチと筋力増強の筋トレが面白い。まだ、クラブに通うようになって1か月足らずだが、少しだけ硬い身体が曲がるようになったと感じる。筋トレも負荷重量が増えて行くのは面白い。7つの筋トレマシーンで10回づつ、3セットやっている。楽と感じるマシーンは2.5キロづつ荷重を増やしていっている。限界はどこまで先にあるのだろうかと楽しみにしている。身体全体が逞しい筋肉で武装されていくような心地よい気分になる。でも、電車に乗ると席を譲ってもらうとき、複雑な気持ちになる。わたしは年寄りなのだろうか、それとも100キロを歩く超人なのだろうかと。

 ひと汗流して、帰宅すると、知り合いが新車の見積もりを持ってやってきた。わたしは運転しないが、運転手役の妻の気に入った車が決まった。トヨタのハイブリッド車のアクアにした。何回も販売店に足を運び試乗した後に、購買すべき車種が決まったのである。これで生活基盤がまた一つできたと言える。行動の範囲と機会がグンと増えることになるだろう。

 生活が第一である、と謳った政党があったが、まさにその通りである。仕事は生活に必要なお金を稼ぐ場でしかない。なるだけ多くのお金を楽して稼ぎたいのが人情であるが、どうせ拘束されるのであれば、自分の好みと能力に合ったものがいいに決まっている。でも、それが分からないのが課題である。多くの友達が定年退職のときに自分はこの仕事に合っていなかったので、ずいぶん苦労したとこぼしている。本当にそうなのかどうかは検証してみないと分からないが、人生は苦労はよく覚えているということなのかもしれない。
 他人と比較してはいけない。自分の人生は自分で切り開くしかないのだ。苦労も楽しみに変えていく柔軟な発想があるかどうかが多くのことを決するような気がする。
 今日一日はとても長かったが、でも充実していた。夢を抱いて前に進もう。

(2017年5月10日、寺岡伸章)
12345 (まだ評価されていません)
読み込み中 ... 読み込み中 ...