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教育

NHKの語学番組は良い

 毎年、4月と10月は新鮮な気持ちで迎える。NHKラジオの語学番組シリーズが始まるからだ。今月から聴いているのは、英語、中国語、ドイツ語、スペイン語、フランス語の5つの番組。スペイン語については、さらにテレビの「旅するスペイン語」も視聴している。

 英語は中学生のときから強制的に勉強させられているためそれなりに理解力はある。世界共通語であるから、習得すると世界の人々とのコミュニケーションツールとして活用できる。通じるという喜びは素晴らしいが、難点は英米人は「英語は猿でも話せる」と思っているため、誰も褒めてくれないことだ。

 中国語は数年北京に駐在していたため、通常会話であれば話すことができるし、中国人は日本に対して非常に興味を持ってくれて、大量の質問を投げかけてくる。珍問もあって、面白い。彼らの見方や考え方の一片を知ることができる。

 ドイツ語は大学生のときの第二外国語なのだが、大学卒業以来使ったことがなかった。それでも、スペインのサンティアゴ巡礼のとき、ドイツ人に二言三言のドイツ語を話しただけで、非常に驚かれたのは意外だった。誇り高きゲルマン民族は、世界の人々が英語にばかり興味を持ちドイツ語を無視しているのが気に入らないのだろう。コンプレックスを感じた。
 若頃学んだことは単語や表現は頭の底にずっと残っているもので、それを再び採掘し、思い出せば、意外に早く上達するかもしれない。そんな期待を胸に、今月からラジオに耳を傾けている。

 スペイン語はお金がないため語学教室に通わず、NHKで1年間視聴し、今年初夏本場のスペインでどれだけ通じるか試してきた。サバイバル程度の能力は身に付けただろうか。さらに勉強し、来年は相手の生活や考え方が理解できるレベルまで通じるようになりたい。

 フランス語は全く新しい言語であり、かつ発音が難しいため、わたしには難物のように思える。でも、フランス語を話せると、フランスだけでなく西アフリカ旅行も気軽になるので、将来投資と思って頑張ろうかと思っている。再来年あたり、フランスの田舎を歩いてみたいものだ。

 継続は力なり。
語学学習の要諦である。夢を抱き、楽しみながら勉強していきたい。

(2017年10月10日、寺岡伸章)
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世間は悪魔と鬼ばかり

 ある大学教授と話していたのだが、今の大学生は他の学生と異なることを実行するのを極度に恐れているという。みんなと似たような価値観を持っていれば、誰からも責められたり、のけ者にされたり、虐められたりする恐れがないからだろうか。決められた路線から外れて生きることに恐怖を抱いているともいう。心の中に不安を抱えて生きているように思える。まるで、年老い、死を怖がる高齢者のように。就職活動に失敗したり、留年したりしただけで、自らの命を絶ってしまうか弱い学生は少なくないそうだ。

 みんなと同じようなことをやったり、流行を追っていては、独創的な仕事を行うことはできない。国際的な厳しい競争に曝されている企業の立場からすると、斬新な発想を創出し、それを実行できる人材を欲しているのだが、学生のほうはそれとは逆の方向に行っているように見受けられる。これが本当だとすると、日本企業は競争に敗れていくことだろう。

 先輩後輩の関係は西欧にない奇妙な人間関係なのだが、親孝行の慣習は弱くなっても、若者の間でも一向に弱体化していない。東日本大震災を契機に人々の絆が大切にされるようになったが、身近な人的関係ばかりが強調され、内向きになっているようだ。真面目で覇気がないとされる所以だろうか。

 西欧社会は神と個人の関係が基本となっているため、社会的権威や伝統がなんと言おうと、神の意思に忠実であれば、わが道を進むことができる。死後救われるし、困難に陥っても精神的支えになるからだ。世間や仲間の価値観や世間の自分を見る目はあまり重要ではない。神を信じる限りにおいては、人間はあらゆる束縛から自由なのだ。

 日本にはそのような万能の神が存在していないためか、個人が共同体の中で相対的に位置づけられるようになる。自分の価値や評価は外から規定されるのだから、周囲の目を気にするようになるのだ。

 でも、自然や大宇宙を神として捉え直し、それとの絶対的関係において自分を規定できないものだろうか。かつて日本でも「お天道様が見ている」とよく言われたものだ。お天道様に申し訳ないことはやらないと考えて自分の行動を抑制したものだ。お天道様は自然崇拝の一つの形態と考え、それを神に見立てて、契約を結び、自由の身となって人生を切り拓いていくのだ。

 パワースポットや聖地巡礼が見直されている。それが自然崇拝へと進み、新しい「神」の発見へとつながっていけば面白い。ただし、そこには悪魔もあなたを狙っている。自然崇拝の顔をした新興宗教があなたの心だけでなく、財産も狙っている。金太郎飴のような人生を嫌い、自分らしい意義のある独自の道を歩もうと思った瞬間、悪魔が近づき耳元で甘い言葉を囁いてくるであろう。それは振り込め詐欺よりも恐ろしい。

 渡る世間は鬼ばかりである。しかし、じつは世間は楽しいことで溢れかえっている。この世は天国でもある。それを見極められるかどうかで人生が決まるのだが。

(2017年9月24日、寺岡伸章)
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音楽、美術、体育

 中学校の教科のうち、国数英理社は主要5科目と言われ、音美体は付属的な能力科目と見なされてきた。主要科目ができる生徒が重宝され、受験戦争を勝ち抜き、社会のリーダーとして活躍する機会が与えられるのである。人生の成功を掴むうえで、これらの科目で高得点を得ないといけないのだと信じられてきている。実際に、高度知識社会においては、主要科目の高度な知識は不可欠なのだ。言語を自由に操る能力に加えて、論理的な発想ができないと、複雑に入り組んだ世界を分析、理解し、それを人々に伝え、説得することが難しい。

 発想を変えよう。主要科目の重要性は舶来主義に基づいているように思える。欧米に追いつくために、外来の知識を貪欲に吸収する必要があり、それの基礎学力として主要科目は重要だった。そう考えた方が主要科目重視の理由が分かりやすい。要は、日本文化を軽視し、先進国とされる欧米に追従するだけの国家戦略に沿った行為だったのではなかろうか。

 この戦略は富国強兵な国や物質的に豊かな国を作る上で、うまく機能したと考えられるが、このような浅はかな価値観に基づいて教育の理念が構築されているのだから、それらを優秀な成績で習得したエリートは日本人として優れた素養を備えているとは必ずしも言えないだろう。

 日本人として固有の文化を身に付けていない人物は底が浅くなる。早い話が、国の成り立ちに関わる神話を教え、日本書紀などの古典を読ませ、宗教的な修行を体験させることが必要と思う。政教分離を徹底するのが教育の基本であるという間違った発想の下で、自国の歴史や文化が軽視されている。歴史や文化は自国の独特な宗教と切り離すことは不可能である。政教分離という名の下で、自国を愛せない人々を作り出している。知識だけを詰め込む主要5科目重視には大きな疑問がある。

 主要科目の従属的な位置づけである、音楽、美術、体育の方が人間の本性に忠実であるように思う。小さい子どもを見れば分かるように、みんな歌って、絵を描いて、外で遊びまわることが大好きである。人間の本質に関わることだからだ。感性や人間性を磨くうえで、これらの能力や科目をもっと重視すべきと思う。創造性は感性と強く結びついていて、知識の量とは関係がない。創造性豊かな人間を作る上で、感性教育は非常に大切である。創造的なものは美しく、豊かな音色を持っている。身体が強く求めないものは魅力的でも、セクシーでもない。

 主要科目が得意でなく、これらの付属的な科目ができる生徒は先生から大切に扱われない。劣等感を持ったまま生きている生徒は少なくない。でも、このような能力を持つ生徒こそ大切にすべきと思う。
 現代社会は行き詰っている。人間を不安や不満から解放するためにも、人間に隠された能力を開拓することが大切である。お金や地位にとらわれない価値観を生み出そう。人間の能力は無限である。感性や身体性を駆使して、創造性のある人間を作り出していこう。

(2017年8月29日、寺岡伸章)
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「今忙しい?」

 SNSは怖いと友人から聞かされていたが、それが自分の近くで起こると、恐怖感が現実のものとなる。
 先週FBの友人から「今忙しい?」というメールが来たのだが、何の要件だろうかと考えを巡らせた。先輩だったため、仕事でも言いつけられるのだろうかと心配になった。退職したばかりなのに、職場に引き戻されたり、タダ働きさせられたりしては叶わないと頭を抱えていた。もし、大事なことであれば、再び連絡が入ってくるはずなので、放置し少し様子を見ることにした。
 数日たっても音沙汰がないので、やれやれ解放されたようだと胸を撫でおろしていた。
 すると、別の先輩から同じメッセージが届いた。「今忙しい?」
 文面がまったく同じである。これは変だぞ。何かあるなと思い、今度は「何の用事でしょうか」と短めのメッセージを書いた。すると、「なりすまし。削除して下さい!」との返事が来た。意味が分からない。わたしに代わって誰かがなりすましをして、わたしの友人に迷惑をかけているのだろうか。もしそれが本当であれば、すぐに対応をしなければならない。でも、どうやってやるのか分からない。

 そこで、心配になり専門家に問い合わせをしたところ、「ハッカーによる悪戯かもしれないので、できれば電話でその相手と連絡を取り、何が起きているのか、被害は何なのかなどを詳しく聴き、実害が生じるような場合には警察に届けることも検討した方がいい」と言われた。SNS版の新手のオレオレ詐欺かもしれない。そう考えると、先輩からの「今忙しい?」というメール自体が誰かのなりすましなのかもしれないと思い至った。被害者はわたしではなく、先輩のかもしれない。

 連絡を取り合って分かったことは、やはり誰かが先輩になりすまして、メールを複数の友人に送っていることが判明した。「今忙しい?」の次には、「急ぎの電話をするので携帯電話を教えて欲しい、さらにはパスワードを教えて欲しい」とエスカレートしていくとのこと。こうなったら、へたをすると全財産を巻き上げられてしまうリスクもある。注意しなければならない。実害が発生すれば、そのうち、テレビや新聞でも取り上げられるようになるだろう。

 なりすましの手口はいろいろあるようだ。パスワードを知られてしまい(推測ソフトも発展している)、誰かがどこかでアクセスしている可能性もある。こうなったら、パスワードを即刻変更しなければならないが、ハッカーに先を越されてしまうと、それこそサイバー空間で自分を乗っ取られてしまった形になる。これは非常に怖いことだ。誰かになりすまし、その人の信用で次々と友人を騙し続けることになるからだ。あるいは、別のアカウントからわたしのアカウントに侵入し、なりすましをするという手法もあるらしい。これは知能犯の世界である。いずれにしても、わたしはFBのパスワードは長期間変更していなかったので、この機会を利用して変更した。水際作戦がはやり効果がある。

 話は飛ぶが、1か月ほど前、FBの友人から「〇〇氏(具体的氏名)はハッカーであり、あなたのアカウントに接続して、なりすまして、友情申請を行っている。このままでは、多くの人々に迷惑がかかるので、あなたの全友人に対して、その人からの友情申請を受けつかないようメールして下さい」という趣旨のメールを受け取った。丁寧に、その操作方法まで記載されていた。これも何だか変なメールだと思い、さっそくその本人と連絡を取ったところ、誰かの悪戯メールだと判明した。このようなメールを全世界に広めるために、わたしを利用しようとしているのだ。〇〇氏の名誉を傷つけようと企んでいるのだろうかとも思った。

 慌てて対応をしようとすると、却って相手の術中に嵌ってしまう。手口はオレオレ詐欺や不幸の手紙に酷似している。冷静に対応することが肝心だ。もっとも効果的な手法はSNSなんかやめてしまい、リアルな肌感覚がある交際に絞ることだろう。自分の活躍する場や世界を広げようとすると、そこに知能犯が忍び込んでくる。感覚を鋭くし、頭でっかちにならないようにすべきだろう。

(2017年8月9日、寺岡伸章)
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子には親孝行をさせろ

 孫は可愛い。でも、可愛いからと言って、いつもお小遣いばかりやっていては、本人はそれが当たり前と思うようになり、仕事を真面目にやらなくなる。職に就いても、苦しいことがあるとすぐに辞めてしまう人間になる。世の中はカネ次第という誤った考え方に憑りつかれる。人間として堕落してしまうのだ。お金を渡す方も感謝されず、資産を食いつぶしてしまうことになる。踏んだり蹴ったりだ。このような例は身近なところにいくらでも転がっているのだが、それが繰り返されるのは何とも悲しいことだ。

 親孝行は死語になりつつあるように見受けられるが、けっしてそうあってはならない。この世に生を受け、大切に育てられ、大人になったのは誰のお蔭なのか。そのような基本的なことが理解できずに、世の複雑な人間関係を乗り切れるはずがない。世間での成功を獲得できない。親の恩に報いることは、人間の基本である。
 先輩・後輩、上司・部下、同僚、顧客などの関係をスムーズにこなさなければ、問題を引き起こし、苦境に陥ってしまう。親孝行をすることによって、人の細かい感情を会得できるようになり、他人の気持ちを推察することができるようになる。

 親孝行と言っても、年に一回帰郷したり、お小遣いを送ったりする程度だ。でも、それが大事である。会えば分かることが多い。親はまた年を取ったなと、あの強かった親はどこに行ったのだろうかと、悲しくまた複雑な気持ちになる。数万円のお小遣いでも仕送りすることは大変である。自分の子育てや遊ぶためのお金を削ってそれらの金額を捻りださなければならない。経済的な痛みを伴うが、それでも親への報いをしようとする者は心が豊かになる。人間にとって大切なことが分かってくるのだ。お金を大切に使うようになり、身近な人の気持ちを忖度する能力が身に付き、周囲から信頼と尊敬を得るようになる。人生を進む上で、障害が少なくなり、道が開けるのだ。
 逆に親を大切にしない者は人の心情が理解できず、いつも衝突ばかり繰り返すようになる。毎日が競争と苦境の連続だ。本人はそのような苦しみこそが人生だと思っているのだが、無駄な心労と言うほかはない。ご苦労なことだ。人生はもっと愉快で楽しいはずなのだが、本人はそれに気づかず、孤独なままで死んでいく。救われない哀れな奴だ。

 子どもを立派に育てたいのならば、親孝行をさせることだ。親孝行は親のためではなく、自分が成長するためのものだ。勘違いしてはならない。自分への投資のために親に仕送りをするのだ。これが分かっていなければ、どんなに読書を重ねようとも、どんなに残業しようとも得られるものは少ない。度を過ぎれば、身体かまたは精神を壊してしまうことになる。
 子どもの修練のために親孝行を強制しなければならない。それができて初めて子育て作業の完成なのだ。子どもが親の元から飛び立つ瞬間なのだ。

(2017年5月19日、寺岡伸章)
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通知表

 郷里の実家に戻り、両親が遺してくれた書類を整理していたら、子どもの頃の通知表が出て来た。幼稚園から中学生時代までのものがキチンと整っていた。それらをパラパラとめくっていて、少し驚いた。
 自分の記憶では、小学生時代は体育と音楽が得意でなかったが、それ以外の科目は優秀な成績を収めていたはずだった。神童とはいかないまでも、計算は速く、知能指数もそれなりに高かったとずっと思っていた。でも、現実は違う。

 小学生のときの成績は5はなく、3と4のオンパレードだ。中学生になって成績が伸び始めたので、その印象が強く残っている。小学生のときは平凡な生徒だったのだ。
 中学生の最初のテスト順位は21位だったが、それはクラスの中での位置と思っていたが、じつは学年400名超の順位だと知って大変驚いた。俺は自分が考えている以上に頭が良いのだと悟った瞬間だった。その後は努力を重ね、高校生まで成績が伸びていったのだ。そんなことがあったためか、小学生時代の成績に対する記憶は置き換わっていった。中の上でしかなかった成績がいつのまにか、小学生時代もオール5に近い成績を収めていたとずっと信じ込んでいた。
 突き放して言えば、知らぬ間に自ら過去を改ざんしていたことになる。記憶とはじつに当てにならないものだと思う。
 また、体育は幼少から駄目だったと思っていたが、幼稚園から小学生の低学年まで結構活発に動き回り、体育の成績も上位だったことが判明した。運動神経は悪い方ではなかったようだ。これもずっと誤解した人生の大半を送ってきたのだった。

 座学の成績が良く、運動は得意でないという秀才のイメージに置き換わってしまっていたのである。これは新しい気づきとして自分を見つめ直すきっかけとなった。60歳以降もっとも重要なのは運動能力である。これが優れていれば、他の能力を押し上げ、延長することができる。学校秀才の判定には体育の成績は重視されないが、定年退職後にもっとも大切な才能は活発に動き回ることができる体力である。そういう意味からも、この過去の発見は大いに勇気付けられたのだった。

 でも過去を振り返るのはこれくらいにしておこう。深く立ち入ってしまうと不幸に襲われることがある。わたしが4月に入会した文芸同人誌に自分史を書き始めた80歳代の会員が急死された。わたしはまだ会ったことがない人だったため、どのように考えてよいものか戸惑ってしまった。でも、別の80歳代の会員がその方の自分史の合評会で言われたことが印象に強く残っている。
「自分史を書き始めると早死にすることがあるので、長生きしたければそれを書くのは避けた方がよい」
 何だか腑に落ちる気がした。自分の心は死期を知っているのだろう。そのため、自分を振り返るようになり、それが自分史書きになって現れるのかもしれない。
 過去は時折振り返っても良いかもしれないが、そこに埋没するのは危険である。現在が良ければ、前述したように過去は書き換えられる。さらには、未来も明るいものとなる。自分の魂が悦びそうなことを今日もやり抜こう。それが精一杯生きるということだ。
 さて、今から絵を描くために美術クラブに出かけるため、ブログ書きを中止することとしたい。また、明日書こう。
Hasta manana.

(2017年5月8日、寺岡伸章)
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