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教育

子には親孝行をさせろ

 孫は可愛い。でも、可愛いからと言って、いつもお小遣いばかりやっていては、本人はそれが当たり前と思うようになり、仕事を真面目にやらなくなる。職に就いても、苦しいことがあるとすぐに辞めてしまう人間になる。世の中はカネ次第という誤った考え方に憑りつかれる。人間として堕落してしまうのだ。お金を渡す方も感謝されず、資産を食いつぶしてしまうことになる。踏んだり蹴ったりだ。このような例は身近なところにいくらでも転がっているのだが、それが繰り返されるのは何とも悲しいことだ。

 親孝行は死語になりつつあるように見受けられるが、けっしてそうあってはならない。この世に生を受け、大切に育てられ、大人になったのは誰のお蔭なのか。そのような基本的なことが理解できずに、世の複雑な人間関係を乗り切れるはずがない。世間での成功を獲得できない。親の恩に報いることは、人間の基本である。
 先輩・後輩、上司・部下、同僚、顧客などの関係をスムーズにこなさなければ、問題を引き起こし、苦境に陥ってしまう。親孝行をすることによって、人の細かい感情を会得できるようになり、他人の気持ちを推察することができるようになる。

 親孝行と言っても、年に一回帰郷したり、お小遣いを送ったりする程度だ。でも、それが大事である。会えば分かることが多い。親はまた年を取ったなと、あの強かった親はどこに行ったのだろうかと、悲しくまた複雑な気持ちになる。数万円のお小遣いでも仕送りすることは大変である。自分の子育てや遊ぶためのお金を削ってそれらの金額を捻りださなければならない。経済的な痛みを伴うが、それでも親への報いをしようとする者は心が豊かになる。人間にとって大切なことが分かってくるのだ。お金を大切に使うようになり、身近な人の気持ちを忖度する能力が身に付き、周囲から信頼と尊敬を得るようになる。人生を進む上で、障害が少なくなり、道が開けるのだ。
 逆に親を大切にしない者は人の心情が理解できず、いつも衝突ばかり繰り返すようになる。毎日が競争と苦境の連続だ。本人はそのような苦しみこそが人生だと思っているのだが、無駄な心労と言うほかはない。ご苦労なことだ。人生はもっと愉快で楽しいはずなのだが、本人はそれに気づかず、孤独なままで死んでいく。救われない哀れな奴だ。

 子どもを立派に育てたいのならば、親孝行をさせることだ。親孝行は親のためではなく、自分が成長するためのものだ。勘違いしてはならない。自分への投資のために親に仕送りをするのだ。これが分かっていなければ、どんなに読書を重ねようとも、どんなに残業しようとも得られるものは少ない。度を過ぎれば、身体かまたは精神を壊してしまうことになる。
 子どもの修練のために親孝行を強制しなければならない。それができて初めて子育て作業の完成なのだ。子どもが親の元から飛び立つ瞬間なのだ。

(2017年5月19日、寺岡伸章)
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通知表

 郷里の実家に戻り、両親が遺してくれた書類を整理していたら、子どもの頃の通知表が出て来た。幼稚園から中学生時代までのものがキチンと整っていた。それらをパラパラとめくっていて、少し驚いた。
 自分の記憶では、小学生時代は体育と音楽が得意でなかったが、それ以外の科目は優秀な成績を収めていたはずだった。神童とはいかないまでも、計算は速く、知能指数もそれなりに高かったとずっと思っていた。でも、現実は違う。

 小学生のときの成績は5はなく、3と4のオンパレードだ。中学生になって成績が伸び始めたので、その印象が強く残っている。小学生のときは平凡な生徒だったのだ。
 中学生の最初のテスト順位は21位だったが、それはクラスの中での位置と思っていたが、じつは学年400名超の順位だと知って大変驚いた。俺は自分が考えている以上に頭が良いのだと悟った瞬間だった。その後は努力を重ね、高校生まで成績が伸びていったのだ。そんなことがあったためか、小学生時代の成績に対する記憶は置き換わっていった。中の上でしかなかった成績がいつのまにか、小学生時代もオール5に近い成績を収めていたとずっと信じ込んでいた。
 突き放して言えば、知らぬ間に自ら過去を改ざんしていたことになる。記憶とはじつに当てにならないものだと思う。
 また、体育は幼少から駄目だったと思っていたが、幼稚園から小学生の低学年まで結構活発に動き回り、体育の成績も上位だったことが判明した。運動神経は悪い方ではなかったようだ。これもずっと誤解した人生の大半を送ってきたのだった。

 座学の成績が良く、運動は得意でないという秀才のイメージに置き換わってしまっていたのである。これは新しい気づきとして自分を見つめ直すきっかけとなった。60歳以降もっとも重要なのは運動能力である。これが優れていれば、他の能力を押し上げ、延長することができる。学校秀才の判定には体育の成績は重視されないが、定年退職後にもっとも大切な才能は活発に動き回ることができる体力である。そういう意味からも、この過去の発見は大いに勇気付けられたのだった。

 でも過去を振り返るのはこれくらいにしておこう。深く立ち入ってしまうと不幸に襲われることがある。わたしが4月に入会した文芸同人誌に自分史を書き始めた80歳代の会員が急死された。わたしはまだ会ったことがない人だったため、どのように考えてよいものか戸惑ってしまった。でも、別の80歳代の会員がその方の自分史の合評会で言われたことが印象に強く残っている。
「自分史を書き始めると早死にすることがあるので、長生きしたければそれを書くのは避けた方がよい」
 何だか腑に落ちる気がした。自分の心は死期を知っているのだろう。そのため、自分を振り返るようになり、それが自分史書きになって現れるのかもしれない。
 過去は時折振り返っても良いかもしれないが、そこに埋没するのは危険である。現在が良ければ、前述したように過去は書き換えられる。さらには、未来も明るいものとなる。自分の魂が悦びそうなことを今日もやり抜こう。それが精一杯生きるということだ。
 さて、今から絵を描くために美術クラブに出かけるため、ブログ書きを中止することとしたい。また、明日書こう。
Hasta manana.

(2017年5月8日、寺岡伸章)
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野性味

 日本の教育に欠けているものは野性味と思う。教室の中で教師の教えることを素直に学び、多く記憶できた生徒が優秀とされ、社会のリーダーとなっていく。教科書で扱われる知識は整理された過去のものばかりだ。きれいにまとめあげられた知識は人工的で退屈でさえある。これらを素直に学ぼうと言う生徒は忍耐力があるにちがいないが、独創的であるとは限らない。
 そもそも人間の営みは過去においても未来でも、うまく説明できないものが多い。知識として体系化されているのは、無理にある価値観で押し込められているものであり、生き生きしたものではない。自分の人生を切り開く価値観は思考実験や失敗を繰り返しながらも、自ら学んでいくしかない。それが役に立つ知識なのだ。人間関係を如何に解決していくかといった大切なことは、教室で教えられることはない。それは知識体系にまとめられないほど複雑怪奇であるからである。心が躍る重要なものほど知識になりにくい。死んでしまい役に立たない過去のものほど知識になり、教えることが容易である。

 教室を飛び出して、街に出よう。さらに郊外に行き、自然と触れ合おう。
 山奥に行けば、神々やご先祖様にも巡り合うことができる。教室の外はリアルな世界だ。そこは実践の場であり、活躍の戦場でもある。人は世間に出て、能力を発揮し、実績を積み重ねていく。各自いろいろな人々と出会いながら、人生を築いていく。人々の信頼を勝ち取るのは知識の豊富さや学齢ではなく、諸問題を解決していく上で役に立つ、生きている知見や経験を所有しているかどうかである。心に響く納得感がなければ、その人に付いていかない。それらの知見や経験は世間や自然から直接学んでいくしかない。その世間の中には尊敬できる先生や先輩や上司も含まれるため、人生の初期の段階でそのような人々に巡り合ったかどうかが大きく影響してくる。大切なものは個人レッスンを通じて教えられる。自然も頭で学ぶものではなく、体感するものである。
 平坦なトラックを速く走れることよりも、舗装されていない傾斜のある野山を着実に走れる方が大切だ。温水プールで速く泳ぐよりも、海や河川の激流の中を溺れずに泳ぐことで多くのことを学べる。自然は偉大な教師である。

 自然の中で鍛えなければ健全な危機感は身に付かない。自然は恵みを与えてくれるだけでなく、脅威を及ぼし生命を危険に陥れる。世間も同じだ。常にリスクと背中合わせである。計算や思惑通りに事が進む可能性はほとんどない。
 人間が文明化される前から生得している「野性味」を活性化することがリスクを回避させる。知識の底に横たわる真実の海の存在を感知し、それを理解することが重要である。その野性味を身に付けないことには困難を乗り越えられない。きつくなると、安易な道を選んでしまわないようにしなければならない。プレッシャー下でも、頭をフルに働かせ、アイデアを生み出していく強靭な精神力が欲しい。
 帳簿を操作し、見せかけの利益を生み出そうとする幹部は会社に要らない。消え失せろ。外部に発散されるエネルギーだけがぎらついているが、もっともらしい政策を振りかざすも知的戦略性に乏しい政治家は議会から去れ。君たちはリーダーになる資格はない。

 ニッポンはどこで人材を育てる道を誤ってしまったのだろうか。野生的思考が大切だ。ヨットから蹴落とされても、這い上がってくる逞しい者が求められている。知識や学歴が豊富でも、ひ弱で体力のない指導者は必要がない。
 野性味こそ求められている。

(2017年5月8日、寺岡伸章)
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豊かな視点

 自宅の庭の植木の剪定作業は思いのほか面白かった。大げさに言えば、自然を利用した芸術作品を作っているように感じた。次回の今秋には工夫をしてうまく剪定をやってみたいと思っている。

 自宅はブロック塀で囲まれているが、熊本地震の影響のためと思うがブロックがところどころセメントが剥げて手で持ち上げられるようになっている。接着剤役のセメントが用を足さなくなったのであろう。そのまま放置しておくと、崩れ落ちたりして人に害を及ぼす恐れがある。雨が上がった日を見計らって、セメントを使って補強することに決めた。

 幸い小屋にセメントの袋が残されていたので、それに水を加えてシャーベット状にしてブロックの接着材として使ってみた。経験がないので、勘を頼りにやるしかない。土いじりは子どものころにして以来だが、そのころの経験を元にセメントも同じようなものと割り切ってやるしかない。応急処置として間に合えばよい。

 家屋をリフォームした後で、苔が生え脆くなったコンクリート塀は作り直さないといけないと思っている。コンクリは冷たい感じを与え、生垣の方が温かみがあっていいのだが、維持管理に手間がかかるので、思案しなければならない。鉄格子の方がいいかもしれない。他の家も見て回り、住んでいる人の人柄が偲ばれる塀にしたいものだ。このような作業はけっして面倒なものではなく、如何に住むかという哲学に関わる問題でもあると思う。楽しい宿題と思って考えていきたい。

 自宅から東側に標高数百メートルのが見えるが、新緑の色が新鮮で輝いている。素晴らしい屏風が立てられているようにも見えないことはない。こんなに美しい故郷の緑を見るのは初めてだ。今日、東京に住んでいて一時帰省している友人と会っておしゃべりをしていたら、彼も同じことを言っていた。新緑が目に眩しいと。
 仕事のために上京し、新しい家庭をそこで作ったが、それで良かったのかどうか分からないとも語っていた。いい仕事を得ることと両親と一緒にずっと生活することのどちらが人生にとって価値のあることなのだろうか。これは個々人に向けられた課題である。

 東京一極集中はお金と名誉をエサに地方から多くの人材を引き抜いた結果である。成功を獲得した者は少ないと思うが、ほとんどの人は故郷を捨てて心底でどのように感じているのだろうか。故郷は遠くにいて想うだけで済むことなのだろうか。地方を過疎地帯にし、日本の活力を削ぐような政策はなぜ正当化され、是正されないのだろうか。東京生活は面白いと言うが、その実態はよく吟味された結果なのであろうか。

 故郷は懐かしいのみならず、美しい。もっと愛すれば、もっと輝いて見える。田舎には何もないとうそぶいているのは、想像力のなさを露呈しているようなものだ。けっして口にしてはいけない。見る角度を変えれば、故郷も田舎も違ったように見えてくる。東京も砂漠に感じられることがあるのはわたしだけではあるまい。感受性を大切にしたいものである。

(2017年4月27日、寺岡伸章)
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東北大学卒業式

 3月24日、東北大学の学位記授与式(いわゆる卒業式)に列席してきた。学部生、修士生、博士生など合わせて4612名が学位を授与された。女性は1138名で25%、外国人は270名で6%だった。世界を牽引する東北大学としては留学生率6%という数字はけっして高いとは言えない。今後の飛躍を期待したい。

 里見総長の学位授与者に送る言葉いわゆる告辞の内容のポイントは二つだった。
 まず、「よりよい社会とは何か」を再考してもらいたいということだった。6年前の東日本大震災によって学術のあり方も厳しく問われた。震災復興にどれだけ貢献できるのかその存在意義が追究された。人間の福祉に貢献するはずの科学技術の逆襲も起こった。これは東電福島原発事故のことを指摘しているが、原発も原子力という言葉も使われなかった。その理由は分からないが、事件が風化するのを心配する。
 いずれにしても現代社会の発展のエンジンである科学技術の負の側面が顕在化したのである。さらには、遺伝子解析や生殖医療(この言葉も使われなかった)により生命倫理のあり方が問われるようになっている。科学技術の発展により状況が変わり、何だ正しいのか、どうあるべきであるのか、人間は岐路に立たされている。そのために、原点に戻り、よりよい社会とはいったい何なのかを考え直さなければならなくなってきていると言うのだ。卒業生の皆さんはそのことを常に考えて本学で学んだ専門性を活かして社会に貢献してもらいたい。

 総長の二番目の主張は、「他者を感じる力」を身につけてもらいたいというものだった。世界を見渡すと、文明の衝突や難民の移動が起こっているがそれを排斥しようという反動も起こっている。多様性を認め受容するという態度も失われているように思われる。地球環境問題の解決に当たっても自分の利益を優先するのではなく、人類全体の利益や他者の気持ちを感じ取る力が必要である。自分が生きて行くにも厳しい状況がやってくるかもしれないが、どうか他者の気持ちを忖度することを忘れないで欲しい。

 この二つの点が里見総長の言いたかったことではないかと思う。
 最後に、留学生に向けて英語でのスピーチも追加された。東北大学は一層国際化を目指すというメッセージとして英語のスピーチが行われたのであろう。

 学位記授与式終了後、優秀な学生・大学院生、クラブ活動の優秀学生、研究で優れた業績を挙げた教員、教育で業績を挙げた教員、貢献した技術支援者などを対象に授賞式が行われた。東北大学は勉学だけでなく、クラブ活動で頑張った学生や、教育や研究支援で優れた業績を挙げた人々にも脚光を浴びせているのは素晴らしい伝統と思う。
 東北大学は「研究第一」を標榜しつつも、大学に携わるすべての人々に目配せをしている証拠である。静かで厳かな雰囲気の印象に残る卒業式だった。
 ただ、式典の前にワーグナーの奏楽があるものの、国旗掲揚や国歌斉唱が行われないのは議論のあるところと思う。大学は国家権力から一定の距離を保つのはその役割として当然としても、国民統合の象徴としての国歌が歌われないのは寂しいような気がする。

(2017年3月27日、寺岡伸章)
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愚直なノーベル賞学者

 ノーベル賞授賞は何を基準にして決められているのだろうか。ノーベル賞授賞は被引用数などの定量的指標ではなく科学業績で決められていると信じられているが、それは事実でない。建前は科学業績かもしれないが、本当は業績ではなく、それを含めた「科学者の人間そのもの」を評価しているのだ。最終段階では、客観性でなく選考委員会の「主観」で決められるのだ。そうしない限り、年間わずか数件の受賞を決められない。しかし、主観で決めたと本音を言うわけにもいかないため、選考の論拠となった代表的論文や科学歴史上の貢献度などを並び立てている。実世間はまどろっこしい。

 人間の主観こそ本質を見抜く力だというのだ。わたしはこの言説には痺れてしまいそうだが、大いに参考にすべきことだろう。科学は客観性が命のように言われるが、究極の場においては、主観は客観より重要である。

 山中伸弥教授は細胞の発見で2012年ノーベル賞生理学・医学賞受賞の栄誉に輝いた。教授は研究に着手した当時、流行の生殖細胞から抽出したES細胞を使った研究ではなく、体細胞からiPS細胞を得るという極めて独創的で挑戦的な研究を行おうとしていた。まったく無名に近かった山中伸弥奈良先端科学技術大学准教授(当時)はJSTのCRESTという競争的研究費に応募すると、選考委員会のヘッドを務めていた岸本忠三元大阪大学学長はiPS細胞の実現は困難だろうが、元気で熱意のあるプレゼンテーションが印象に残り、何か面白い成果が得られるかも知れないと直観し、山中准教授の提案を採択した。世界一流の研究者でもある岸本教授の「遊び心」が奏功したのだった。それにしても、岸本教授もできないと思っていたことを山中教授はやってのけたのだから、偉いと断言できる。予想外のことができるのところに科学の醍醐味がある。

 2016年ノーベル賞生理学・医学賞を単独で受賞した大隅良典東工大栄誉教授が30年ほど前に研究に着手したのは、当時流行していたタンパク質の合成メカニズムの研究ではなく、不要なタンパク質を分解するメカニズム解明の研究だった。いわば細胞内の「ゴム処理」の仕組みである、オートファジー(自食作用)の研究だった。世界中の誰も手がけていない研究はライバルもいなく、伸び伸びと研究を進めることができたという。
 時代は巡り、オートファジー研究で成果が生まれてくるにつれて、大隅教授の研究分野に注目が注がれるようになる。最終的に、大隅教授はオートファジーのメカニズムを解明し、その重要な役割に世界は驚くことになるが、教授は研究を始めるに当たりその重要性を直観できたというのだから凄い。先見性の賜である。ここに科学の真の面白さがある。

 113番目の元素は発見者の母国日本の名前から「ニホニウム」と名付けられた。元素の命名は日本だけでなくアジアで最初の快挙である。この元素の発見者は元理化学研究所の副主任研究員(当時)の森田浩介氏(現九州大学教授)であるが、彼はこの困難な研究に挑戦していたとき成果が出ず、10年間まともな論文を1本も書けなかったと言われている。現在のような定量的な評価が蔓延っていたら、森田氏は成果の出やすいテーマに変更したか、あるいは研究所を追われていたかもしれない。定量的評価は独創的研究の大きな阻害要因になる恐れが大きい。

 2014年ノーベル賞物理学賞は青色発光ダイオード(LED)を発明した日本人3名に贈られた。その研究成果の要は安定した単結晶を作成することであり、当時世界中のほとんどの研究者は作成しやすかったZnSeの単結晶化に注目して、一番乗りを目指して激しい競争を繰り広げていた。しかし、受賞者の一人となった赤﨑勇名古屋大学教授(当時)はGaNの方が硬くて安定性が高いとして単結晶化に挑んでいた。追従する者はいない。この分野の世界的権威がGaNの単結晶化は不可能であるとだめ押しし、さらにGaNの結晶は作成不可能であるという理論も流布していたからだ。しかし、赤﨑教授はそのような逆境であっても、GaNの単結晶化は可能であると直観し、研究を継続したのが奏功したのだった。これはノーベル賞への道の公式な経緯である。

 しかし、世の中はそんなに単純ではない。当時の赤﨑教授も流行には逆らえず、作成不能な理論が出ているのだから、GaNの研究を本気で行う気はなかった。当時のJRDS(現JST)は他の研究機関で行っていないGaNの研究に挑戦するのであれば、研究費を提供すると持ちかけ、赤﨑教授もやむなく遊び心で引き受けたのだった。さらに、GaNの単結晶化は研究室のメインのテーマでなかったため、赤崎教授がそれを行わせたのは当時エリート大学院生とは言えない天野浩氏だった。主流の優秀な学生には成果が出やすい研究を担当させたのだ。ところが愚直で研究熱心な天野氏はGaNの単結晶化をやってのけた。赤崎教授にとっても予想外の出来事だった。エリートから歴史を変える研究成果が生まれるとは限らないのだ。
 もっとも優秀な理工系の頭脳を持つ学生が集結していると言われる東大医学部と京大医学部の出身者からノーベル賞学者が生まれていないのは偶然ではない。

 科学の女神は移ろいやすい。幸運がもたらされる科学者を言い当てることは人間にはできない。人間の目から見ると偶然でしかない。科学のもっとも面白いところである。

(2017年3月21日、寺岡伸章)
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