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スポーツ・健康

歩きお遍路日記

髪を短く刈って坊主頭になった。理髪店の自分の頭を見つめながら、自分が他人に変わっていく奇妙な気持ちに包まれた。
明日から徳島から時計回りに高知、愛媛、香川と四国を歩いて一周する遍路道1200kmの旅に出る。かっこよく、プチ出家のためと言いたいが、まだ俗世間に未練があるのは確かだ。どのような旅になるのだろうか。期待と不安が同居している。
第1日
お遍路初日はイエスには悪いが、偶然にも10月13日の金曜日となった。
早速1番札所の霊山寺の前で躊躇しているオランダ人女性2人に声をかけ、参拝の作法などを教えてあげた。いいスタートになった。1番から17番札所まで5日間程度で廻りたいそうだ。遍路文化に触れるお試しコースのようなものだろうか。
今回の旅には妻は同行せず、1日30km徒歩の旅に耐えられるのだろうか、と不安な船出であるが、弘法大師空海と会話しながらの同行二人旅で乗り切ることにしよう。楽天的に発想しないと、困難な未来は切り開けない。
途中で知りあいになった62歳の日本人男性は弘法大師から招待状をいただき、妻と離婚し、財産も処分して2年半で8周も遍路道を歩き続けているという。しかも、托鉢と野宿をしながらのお遍路の旅を死ぬまでやり続けるというから想像を絶する。もはや半分人間でなくなっているから、どんなに寒くても風邪を引かないそうだ。こんな人が道中10人以上もいるとのこと。いきなり世間離れした人に会った。ここはやはり巡礼地なのだ。俗世間の態度や価値観を忘れなければならないと思った。
慣れない参拝の作法や般若心境の読経に苦戦しながらも、7番札所まで打った。
宿泊は六番札所の宿坊を取ったが、20人の客の半分は外国人。それも女性が大半だった。インバウンドはもはや日本の巡礼地まで及んでいるようだ。
第2日
今日は雨のなか11番札所まで打った。札所の数では10分の1以上が済んだのだが、日数では20分の1に過ぎない。まだ先は長い。
バスツアーや自家用車を利用しているお遍路の方が多く、我々のような歩き遍路はごく少数のため、強い連帯感が産まれやすい。一度出会うと、再会が楽しみになる。
昼食をうどん屋で採ったら、ご主人にご接待と称してシュークリームを、お店のお客さんには自家製のドーナツをごちそうになった。このように応援されると、雨でも元気が出てくる。
ところで、空海が開いた真言密教とはどんな宗派なのだろうか。お釈迦様は人には欲があり、それが叶えられないため人生は苦だと考え、欲をなくすことが、涅槃への道と説いた。生、病、老、死は苦だ、と現世を否定的に捉えている。しかし、お釈迦様のように欲を乗り越えられる人はごく一部であるし、みんなの欲がなければ、社会が成り立たなくなってしまう。空海は七世紀のインドに興った密教を発展させ、我欲のような小欲はダメだが、自分も他人も幸せにする大欲を歓迎した。欲を滅するのではなく、そのエネルギーを前向きに捉えた現世肯定主義者である。密教は本来の仏教のコペルニクス的転換をしているのである。生きたまま悟るという即身成仏は誰でも論を学び、行を実行し、宇宙神である大日如来と一体化すれば、達成できるとしている。
死は誰にとっても恐怖である。死後、自分の身体から魂が空中に浮遊するという幽体離脱が起こり、魂はあの世に向かい、お花畑を通り、三途の川を渡り、その奥に神々しく光る絶対神を目撃することになると、死の世界から帰還した人々は似たような経験を話す。死後の世界は本当にあるのだろうか。脳科学の発展により、脳内の角回と呼ばれる部位を電気で刺激すると、幽体離脱を経験できると発表され波紋を呼んだ。死後の世界は存在せず、科学の力ですべて説明できる日がくるのだろうか。それは私には皆目見当がつかない。でも仮に、末期の脳の幻覚だとしても、なぜそのような神との出会いを経験するのだろうか。謎は深まる。
ラテン語のメメント・モリは「死を想え」という意味の格言だ。人間はいつ死ぬか分からないから、常に死を意識し、今を大事にして生きろという意味だ。科学の発展に関わりなく、自分ができることはその程度であり、それがすべてである。
第3日
降り続く雨のなか、お遍路泣かせの難所「お遍路ころがし」の12番札所の焼山寺を打った。宿までの公称23km(実際は30km近くある)の山道は少し辛かった。でも、宿で濡れた衣服の洗濯のご接待を受けて、疲れが吹き飛んだ。
焼山寺の食堂で一緒になった長身の静かなオランダ人男性も88札所をすべて打つ予定とのこと。日本特有のお菓子を一つ差し出すと、美味しいと言ってくれた。明日以降の再会が楽しみだ。
昨日書いた密教の教えの続き。
この世界は愚者にとって迷いである。その同じ世界が、智者にとってはむしろ楽しみなのである。この世界をよく悟り、その世界によく遊べ。それが密教の教える生の哲学である。人間に生命の歓喜の歌を歌わせねばならぬ。自ら生きることは楽しい。他人を利することもまた楽しい。空海は底抜けの楽天主義者であった。
第4日
3日連続の雨。13番から17番まで5つの札所を打ち、徳島市内の歩き遍路宿に入った。快適な空間とご主人のサービス精神に感激。また泊まりたい宿だ。
 今日会った外国人は西洋人カップル二組と台湾人男性ひとり。歩き遍路の半分は外国人と聞き、誇張されていると思っていたが、事実に近いと認識するに至った。(後ほど分かるのだが、歩きお遍路の外国人は2~3割程度)チェコ人のカップルはネットで四国遍路を知ったと言っていた。
 真言密教の講義。
現世というものはすばらしい。それは無限の宝を宿している。人はまだよくこの無限の宝を見つけることができない。無限の宝というものは、何よりも、お前自身の中にある。汝自身の中にある現世の無限の宝を開拓せよ。
 灯明も上げず、お経も唱えず、簡単な参拝を済ませてすぐに納経所に向かうお遍路もいる。お遍路文化はスタンプラリーではないのだ。少し悲しくなる。
病気で肉体的に苦しみ、世間から差別され精神的に追い込まれてきたハンセン病患者の一部はその救いを求めて、お遍路の旅に出たという記録がある。どれほど苦しい人生を送られたことか筆舌に尽くすことはできないが、この世での救いは政府ではなく、仏教であり、弘法大師だったということだ。人々は話題にしなくなったが、お遍路道はちゃんと記憶にとどめている。
第5日
18番と19番札所を打って、宿に着いたときにやっと雨が止んだ。万歩計は47000歩を示していた。
 民宿は2部屋しかない小さいところで、もうひとりは61歳の台湾人男性の馬さん。日本大好き人間なのだが、日本語があまりできないため、明日と明後日の宿の予約を手伝ってあげた。サンティアゴ巡礼で受けた恩は四国遍路で返すのだ。
台湾にはお遍路協会があり、お遍路ファンは様々な情報を交換しているのだという。台湾では日本のガイドブックに載せていないこの小さい宿のご主人と女将さんは人気がある。ご主人はがんとの闘病から復帰し、社会への恩返しとして遍路宿を始めたと語る。みんなの温かい気持ちが四国遍路を支えている。バスツアーや車遍路ではけっして経験することのできないことだろう。女将さんには、濡れた服を洗濯していただき、おまけにお接待として明日のお弁当まで作ってくれた。大変ありがたいことだ。
 智者が同一を見るところにおいて、愚者は差別を見る。そして、差別にとらわれて、様々な迷いを生じ、様々な苦を受けている。すべての恐るべきものも、自らの心が生んだ妄想にすぎないのである。けっして人と比較せず、自分の特長を悟り、自分の才能を開花させよ。オンリーワンこそ即身成仏への道なのである。
 殊勝な気持ちになった。
第6日
台湾人男性の両親は戦前の混乱の中、大陸から逃げてきたそうだ。馬さんは訪日8度目で、家族全員で日本を旅行することもあると言う。馬さんはコンピューター会社の社長だが、子供たちはシドニーとオークランドに住んでいて、中国語、英語、日本語を話す。どんな国際的動乱が起ころうとも、リスクを分散し生き延びていくという台湾人エリートの生き方であろうか。
 四国に入って初めてお天道様を拝むことができた日になったためか、2度目の遍路ころがしの20番札所と21番札所は難なくクリアしたが、22番札所を過ぎた辺りから、歩くのが辛く感じられるようになった。
 21番札所の境内では、サバティカル中のアメリカ人大学教授と立ち話。彼は足のトラブルで病院に行ったが、通し打ちを目指して頑張っている。
 22番札所でおしゃべり好きな西洋人女性から話しかけられたが、札所の写真を撮り忘れたため19番札所に戻るというので、その方法を教えてあげた。
 今夜は海岸沿いの民宿に泊まっているが、空海も修行した山奥のスピチュアリティを感じる21番札所の太龍寺から海岸まで遥々歩いてやってきたのが夢のようだ。人の歩みは鈍いが、時間が経てば遠くまで行ける。
明日も雨が降る。天気に負けず頑張らなくては。歩くことが私の務めなのだから。
第7日
23番札所を打ち、阿波の国の「発心の道場」を終えた。明日は土佐の国に入る予定。
今日の30kmの道中で会った歩きお遍路は日本人カップル、スイス人、ドイツ人の4人のみ。少なすぎるような気がする。なぜなのだろうか。
 今夜は鯖大師に投宿し、護摩に参列した。事前に写真を撮ってもいいと言われていたが、神聖な儀式に引き込まれてしまい、写真撮影が憚られる雰囲気だった。大事なものは写真には残せないし、撮ってはいけないように思った。
 護摩は火をもって供養することだが、釈迦の仏教にはその習慣はなく、バラモン教の影響を受けた密教が始めたものだ。火を真理とし、薪を煩悩とし、真理をもって煩悩を焼くという意味が込められている。身が引き締まる。
 23番札所の薬王寺の本堂に至る急な階段は時間がかかり、少々疲れてしまった。
第8日
別格4番の鯖大師の住職の法話は良かった。般若心経の言わんとするところは、神仏からいただいた生命をあますところなく輝かせて、正道に沿って生きることである、と解釈しておられる。また、次の札所までかなり距離があるが、南無大師遍照金剛を唱えながら、先祖と自分に向き合って欲しい、と言われた。心に沁みる話だった。この住職に巡り会っただけでも、今回のお遍路は意味があったと思う。
 住職に言われるまま、人家のない国道55号を南下しつつ、南無大師遍照金剛と唱えながら海岸線沿いの単調な道を41km歩いた。念仏に集中していたためだろうか、お大師様のお
かげであろうか、あまり退屈せず、足も痛くならず、午後5時前に宿までたどり着けた。
 土佐は空と海の景色がずっと続いていた。まさに、空海の名にふさわしい。空海はこの空と海を眺めながら修行し、悟りを開いたのである。土佐の国は「修行の道場」と呼ばれる所以でもある。単調な道のりこそ人間の忍耐力を試すのだ。
 真言密教は、欲望を修行によって清浄化し、悟りへと至るエネルギーとして利用する宗派だ。欲望や煩悩が強い人間はそれを否定的に捉えるのではなく、昇華し、大きい華を咲かせる。欲望や煩悩は生命力そのものである。正しく使えば、悟りを開き、極楽へと至ることができる。悪用すれば、破滅や苦悩が待っている。
第9日
空海は奈良時代末期から平安時代初期の激動期に生きた。讃岐の地方豪族佐伯氏に生まれ、奈良に上京して大学に入学するのだが、儒教中心の授業に満足できず、中退してしまう。大学を卒業し、役人になり、出世してもしれていると考えたという説もあるが、むしろ空海の関心事は宇宙の真実や生命の深秘にあり、儒教を学んでも願いは叶わないと判断したためだろう。孔子は死についての弟子の質問に答えず、退けているように、儒教は現世を如何に生きるかのノウハウに留まっているのが、空海には我慢できなかったのかもしれない。スケールが大きい人だった。
 空海は24歳のときの処女作の『三教指帰』で、儒教、道教、仏教の比較論を展開し、仏教がもっとも優れていると説いている。
 その後、31歳で中国に留学するまでの7年間の消息がよく分かっていないが、おそらく、唐から伝わったばかりの密教の『大日経』を熟読するかたわら、四国や紀伊の山々で修行していたのではなかったか。この時期の経験が彼の人生を決定付ける。
 空海は室戸岬の近くの御厨人窟(みくろど)での難行の最中に明星が口に飛び込み、この時に悟りが開けた、と語っている。
荷物が重く肩の筋肉が痛いため、石鹸、折り畳み傘、サンダル、ズボン、ベルトを思いきって捨てた。現金の札束も捨てたかったが、思い止まった。荷が少なくなると、身体が楽になるだけでなく、歩く速さも増した。
 人生についても似たようなことが言えるのではないか。究極まで考えると、善く生きるために捨てられないものは、生命、妻、お金くらいのもので、住む家も肩書きも不用ではないかとさえ思えてくる。
 もしかすると、人工知能とロボットの発展で、近い将来生産性が極大化すると、購買の媒介手段であるお金さえ存在意義がなくなる。ほとんどの人の悩みの対象がお金や労働であることを考えると、人間を現代の妄想から解放するために、そのような社会が一刻も早くやってくるのを望む。
 労働から解放された人間は、生き甲斐や安心を得るために、文化、伝統、芸術、スポーツ、そして信仰に向かうことだろう。人類の歴史が新しいステージに一歩踏み出すことになる。そこで活躍する人間は今とはまったく異なる才能を持った者になるに違いない。
第10日
 台風のため、金剛頂寺の宿坊で連泊することになったが、これは弘法大師から与えられた休憩であろう。今日は精気を養っている。白衣、袈裟、そして弘法大師のお姿である金剛杖も同室で静かに休んでいる。
 同様に連泊することになった東京から来た60歳代半ばの女性は山道で転んで腕を負傷し、痛みで一睡もできなかったとこぼす。日ごろからあまり運動していないため、足には肉刺ができたり、筋肉痛もあったりと辛そうである。それでも、通し打ちをするというのだから驚いた。私は直前の1か月で700km歩いて足腰を鍛えているため、さほど苦痛を感じずに歩いているのだが、彼女の方が修行をやっているという複雑な気持ちになった。でも、見ているこちらの心が痛むため、「今回は無理をなさらずに、身体を大切にし、中止するのも大事です。また歩くチャンスはありますから」と言った。彼女にはどのような理由で歩いているのか聞かなかったが、やり抜くという意思は堅そうだったので、私はそれ以上口出しをしなかった。ただ、そこまで頑張る理由を聞いておくべきだったと思ったが、二度と会うことはなかった。
第11日
 台風一過の好天と十分な休養のため、快適な歩き遍路の一日となった。
 27番札所の神峰寺の急坂を登る途中、同じ宿に泊まったことのある台湾人の馬さんと豪州人のアレックスと遭遇した。馬さんとは歩く速さが違うため、二度と会えないと思っていたが、電車とバスを利用しているため、再会することができた。アレックスは京都に住んでいて日本語のできる外国人だが、四国遍路ルートを4回に分けて完歩するという。いわゆる、「区切り打ち」だ。今回は2度目で、土佐の札所をすべて打ちたいそうだ。同じ釜の飯を食べると、心の距離が近くなる。彼らとはふたたびどこかで会えそうな気がする。3度目の握手が待ち遠しい。
 四国にやって来て、初めて太陽を拝むことができた。感謝の気持ちを込めて両手を合わせた。今まで悪い天気が続いたが、今後は晴れが続くに違いない。人生も同じで、悪い時もあるが、いい時もある。人間にできることは、今日を精一杯生きることだ。今の私の任務は歩き、参拝し、食べて、眠ることだ。そう覚悟した。
第12日
地元の人によると、クルマ遍路は8日で終わるが、歩き遍路は40~50日かかるため、贅沢な旅と見なされている。でも、札所で灯明と線香をあげ、般若心経を唱えるだけで気持ちが落ち着き、爽やかな心になるのはじつに得難い経験と思う。また、ほとんど誰とも話すことなく、自然を感じたり、もの思いに耽ったり、南無大師遍照金剛を唱えながら歩くのも貴重な体験だと思う。お金の額ではなく、これこそが得難い贅沢なのだ。
 28番札所の大日寺に来る途中、自称日系2世のアメリカ人の25歳のスコットと少しばかり話しながら歩いた。彼は東京の外資系人材派遣会社で働いていて、何回かに分けてでも、四国お遍路道を完歩したいという。今回は6日間の休みを取って四国にやって来たそうだ。
 彼の宗教は聞かなかったが、時間をかけてスコットは灯明と線香をあげ、般若心経を真剣に唱えていたのには感心させられた。空海と弘法大師と遍照金剛の3つの名前の違いを教えて上げた。さらに、大日如来は宇宙の創造の前から存在する神だと説明すると、「僕の好きなパピィ(子犬)も大日如来が創造したのか」と少しからかい気味に聞くので、そうだと力を込めて答えた。「スコット、君は私の3番目の子どもだ」と言うと、それも悪くないと笑った。次に四国にやって来る時には、ガールフレンドとパピィを一緒に連れて来て欲しいものだ。
お遍路文化は彼のような熱心な外国人によって守られていくのかも知らない。グローバル時代だから、それはそれでいいと私は思う。
 民宿に入ると、今度はアイルランド人の男性と一緒になった。宿泊客は我々二人のため、長いディナートークになった。
 ケレンは旅行が大好きで、今回は3ヶ月間も世界を旅行する予定だと言う。投資運用会社に勤めている。東京、京都、大阪、長崎、広島を経て、四国お遍路にやって来たそうだ。16kgの荷物を軽く持ちながら、毎日30km歩いているタフガイである。お遍路ルートを結願すると、香港、ベトナム、カンボジア、ニュージーランド、南米まで廻るというから、そのバイタリティーには驚かされる。ただし、仕事の鬼が祟って、妻には逃げられたと悲しそうな眼をした。世の中には、色んな価値観を持った人がいるものである。
 余談かもしれないが、彼ら2人にトランプ大統領の評価と北朝鮮情勢について、それぞれ意見を求められたのは、単なる偶然とは言え、気掛かりな印象が残った。極東情勢は日本人が考えている以上に厳しいのかもしれない。
第13日
昨夜泊まった遊庵は快適な民宿だった。こちらに来て、ベッドで寝るのは初めてだったし、客毎にバスタブのお湯を入れ替えてくれるのも嬉しい。
 今まで泊まった宿はどこも心からおもてなしをしてくれたため、またいつかやって来たいと思わせてくれる。これは四国お遍路文化を守りたいという意欲が強いのと、気の遠くなる距離を歩くお遍路に対する敬意から来ていると思う。
 また、外国人の話題になるのだが、彼らは意外なことに気を使っている。昨夜同じ宿に泊まったアイルランド人のケレンは、夕食の時、味噌スープはいつ食べて、お茶はいつ飲むものなのかと、質問してきた。また、台湾人の馬さんは鮎の塩焼きは美味しいと言いながらも、どの部位まで食べていいか計りかねていた。私が頭を食べずに、残すと、彼も同じようにしていた。
 30番札所の観音像の下で、昨日会った日系二世のスコットと再会した。彼はホリデーが終わったため、遍路の旅をやめて、東京に帰ると言った。「私には時間がたくさんあるから、好きなことが何でもできる」と言うと、「ラッキーボーイ!」と彼は即答した。「いや違う。ラッキーお父さんと呼びなさい」と言い返した。まだ若いのだから、何度も遍路道を歩くチャンスがあるだろう。いつの日か今日のように晴れた空の下でまた会いたいものだ、ガールフレンドとパピィとともに。
第14日
雲ひとつない晴天の下で快適に歩き、34番と35番札所を打った。1日で3回のお接待を受け、元気をいただき、感謝したのは良かったが、奇妙な日本人に遭遇した。南無大師遍照金剛を唱えながら、快調に歩いていくと、クルマから出てきた女性が声をかけてきて、真言宗では成仏できないと力説した。しばらく歩いていくと、今度は男性が話しかけてきて、真言宗を信じると地獄に落ちると脅してきた。彼らは法華経を唱える信者らしい。今回のお遍路の旅のなかで、唯一の非常に不愉快な人たちだった。
地元の人々は歩きお遍路のために、休憩所を作ってくれたり、一生懸命お接待をしてくれたりしている。私は巨大宗教教団のパワーより地元の個人の熱い思いを大切にし、希望を見出したい。
第15日
早朝宿の近くの36番札所の青龍寺を打ち、次の札所に足早に向かった。今日も30km超の5万数千歩になった。もう少し自重しなければならないと分かっているが、なぜかいつもこうなってしまう。
 青龍寺は空海が密教の正統な後継者として付法された恵果和尚のお寺の名前から名付けられている。読み方は両方とも「せいりゅうじ」ではなく、「しょうりゅうじ」だと住職に教わった。世間では間違った読み方が流布しているため、少し憤慨していた。余談だが、朝青龍関も参拝したことがあるらしい。
空海と恵果和尚との出会いも面白い。空海の命懸けの渡唐の目的は本場の密教を学ぶことであった。そうであれば、長安に到着後、すぐに青龍寺に駆けつけてもおかしくはないが、空海はそうしなかった。空海は大陸に行く前から中国語を通訳並みに話せたし、世界の文化都市長安の文化人も絶賛するほど詩のレベルも高かった。文化人との交流を通して、遠い東の島からやってきた空海の評判は上昇していったと考えられる。それが恵果和尚の耳に入るのを待っていたのではないか。数か月後、恵果和尚に拝謁するやいなや、「ワシはお前が来るのを長く心待ちにしていたのだ。すぐに、密教の勉学に励むがよい。ワシの命も長くないのだから」と言われたと、空海は自ら語っている。その後、空海は1年足らずして灌頂を受け、密教の正統な後継者として指名されるのだが、話は出来過ぎの嫌いがないわけではない。
空海は留学生として20年中国で勉学に励むことになっていたのだが、わずか2年余りで日本からやってきた遣唐使の船に乗って帰国する。これは朝廷の命令に背く重大な罪だった。空海は大宰府に逗留し、自分が早々に帰国した理由の手紙を書いた。「私は密教の継承者である恵果和尚から正統な後継者に指名され、すぐに母国に戻り、密教を広めるがよいと和尚から言われました」と書きながら、持参した膨大な経典と様々な法具のリストを付けた。朝廷は空海の処分に悩んだ末、ついに上京を許した。密教を国の統治思想として取り入れようとしていた朝廷にとって、空海は本物かどうか判断したと見られる。
 さらに時代は下り、空海は文化や風流が好きな嵯峨天皇から寵愛され、京都の東寺の菅長に任命されたり、高野山を下賜され密教修行の道場を切り開いたりして、順調に人々を救うという夢を実現していく。空海は真言密教の開拓者という意味では緻密な理論家だが、同時に恵果和尚や嵯峨天皇のような偉い人や権力者との付き合い方もまさに天才的であると思う。相手の懐にすっと入って行く能力は尋常ではない。凄い人だ。
今日の民宿に泊まっている外国人は72歳のカナダ人女性。日本大好き人間で、四国歩き遍路道は3周目だそうだ。すべてのコースを歩くわけではなく、美しい風景の道や気に入ったところを歩き、それ以外は電車やバスを使って移動するという。こういう合理的な発想をするお遍路もいる。また、日本料理は美味しい、風景は美しい、日本人は親切と褒めちぎる。ただし、「マムシだけは嫌い」と大げさなジェスチャーをしながらいう。先に逝ってしまった夫と息子の供養のためにお遍路しているという。合掌。
第16日
今日は還暦プラス1歳の誕生日だった。新しい人生の1日が始まる。
朝食の時、マーガレットが一人でハッピィバースディの歌を歌ってくれて、体の芯がジンときた。どんなケーキよりも嬉しいプレゼントになった。気遣いに感謝した。
遍路道中は、不思議なことが起きる。左右どちらに行こうかと迷っていると、誰かがクルマでやって来て正しい道を教えてくれる。間違った道を歩いていると、誰かが追いかけてきて、修正してくれる。トイレに行きたくて、漏れそう、もうダメだと、思っていると、トイレに遭遇する。休みたいときには、休憩所が向こうからやってくる。お大師様に護られているのでしょう、きっと。
 四国お遍路とサンティアゴ巡礼の比較。四国お遍路道は1200kmでしかも急峻な坂が多いのに対して、サンティアゴ巡礼は800kmで比較的なだらかな高原を歩く。アバウトな推計だが、四国お遍路道を歩く人々は年間3千人で、サンティアゴ巡礼は年間30万人のため100倍の差。日本人はサンティアゴ巡礼に年間2千人行っていて増加傾向にあるため、数年で逆転する。
 サンティアゴ巡礼に行く日本人は人生をリセットしたい人たちやカップルや日本社会に馴染めない人が目立つ。一方、四国歩きお遍路は定年退職者、つまり高齢者を多く見かける。
 両者のルートともに、魅力満載だ。四国お遍路道は深い山、渓流、山里、田園など多様な地帯を歩くが、車道も多く、クルマの通行が気になる。サンティアゴ巡礼はほとんどが自然の道を歩くが、比較すると自然の多様性に欠けるところがある。多くの自然愛好家が歩きの楽しみを享受しつつ、伝統文化を守ることを心から願う。
 山川草木悉皆成仏。人間だけでなく、草木さえ成仏するのだ。真言密教は山岳宗教で、自然崇拝の宗教でもある。
第17日
今日は台風のため歩かず、昼寝をしたり、お世話になった民宿の女将さんやご主人にお礼の絵葉書を描いたりして過ごした。肉体的にも、精神的にも、いい休養になった。1週間に1度くらい台風がやって来るのも悪くないかも。
 最近、雨に降られてもあまり不快に感じなくなった。人間や動物は雨を嫌うが、草木や作物は自然の恵みだと非常に喜んでいるのが分かる。生き生きしている。
ある宿のご主人が言っていたのだが、外国人はほとんど日本語が話せないけど、まったく手がかからないと感心していた。四国お遍路にやって来る外国人は教養があり、礼儀正しく、明確な目的意識を持っている人が多いのだろう。話していて、清清しい人たちばかりだ。彼らからすると、英語が通じず、道路標識は不親切で、ATMは少なく、宿やレストランにWiFiがないところが多いのだから、不便で仕方ないだろう。おそらく、世界中を歩き廻っている強者が多いのだろう。地球上どこでも生きていけそうだ。
 東芝、日産、神戸製鋼所など有名企業の不正が相次いでいる。知識偏重や偏差値教育の弊害だろうか。部長や役員の候補者に、四国遍路道を2か月かけて歩かせたら如何だろうか。企業の社会的使命や自分の生きる使命を真剣に考え、自然や自分や神々と向き合うことで、人間力を鍛えてもらいたいと思う。利益や出世追求のためだけの競争はやめてもらいたい。日本人はまだそんなに劣化していないはずだ。エリート達の再起を願う。
第18日
穏やかな秋空の下で、伊与本川沿いに快調に下り、陽光の眩しい土佐湾を眺めながら、ひたすら歩いた。
 37番札所の岩本寺から次の札所の金剛福寺までは80km以上もあるため、今日は参拝もなく、ただ歩き続けた。でも、飽きもせず、退屈もしないのだから、自然の中を歩くことは私に合っているに違いない。
 大学生から定年退職までの40年あまり空気が悪く、ストレスが多い東京生活でよく大きい病気に罹患しなかったと思う。自分は好運だったが、病に倒れて逝った同僚らのことを思い出す。
 大都会で頑張っている方々に四国のお遍路道からエールを送りたい。くれぐれも健康に留意して、有意義な時間を過ごして下さい。病気をしても会社は救ってはくれません。私は明日もみなさんが働いている8時間ひたすら自然の恵みを感じなから歩くのだ。
第19日
今日は歩きお遍路7人を見かけた。そのうち3人は再会者だった。8日振りに会った京都に住む豪州人のアレックス、台風21号で足留めされた時に会った日本人2人とも再会を果たし、心がぐっと近くなった。
 初対面のドイツ人の若い男性のミルクルは1年の休暇を利用して、お遍路道を歩いているようだ。彼とも再会できれば、色んなことを話してみたい。
 西洋人の目には、日本の風景は実に美しく写っていると思う。山の緑は非常に多彩であるし、紅葉も色とりどりだ。川の水は澄み切っているし、小鳥はさえずり、虫は鳴き、風は静かに舞う。ユートピアそのものである。
 でも、日本人はそれに気がつかず、都会に出て、稼ぐことばかり考える。お金やモノが威張っている時代は終ろうとしているのに。自然、絆、信仰、文化、芸術など目には見えないものが再評価される時がやってきていると思う。
第20日
昨夜の民宿は私一人だったため、女将さんと家族、仕事、外国人客のことなど話し込んだ。楽しい一時だった。土佐湾の波の音を聴きながら寝て、波の音に起こされた。なんとも贅沢な夜だった。自然は称賛されれば歓喜の声を上げる。万物は相互にその自己のなかに一切の他者を含み、取りつくし、相互に無限に関係しあい、円融無碍に旋回しあっている。一個の塵に全宇宙が宿る。人間の心のなかに全宇宙がある。
 38番札所の金剛福寺まで距離が長いため2日半もかかった。でも、次の札所に向けて戻るという打戻りのため、12人もの多くの歩きお遍路に会った。そのうち、知りあいは5人もいた。会話が弾む。外国人は4人で、3人は女性だった。女性は元気がいい。
 前方からゆっくりやってきた若いフランス人女性の自転車お遍路に、Looking good.(頑張っているね)と呼びかけると、明るい笑い声が後ろからかえってきた。すれ違い際の簡単なやりとりがお互いを元気にしてくれる。
 20歳代と思われる長髪のカナダ人女性は重い荷物を背負いながらも一人でキャンプしながら、通し打ちをするそうだ。今夜は近くのサーファーに人気のビーチの砂浜にテントを張るという。日本は安全な国だから野外で寝ても大丈夫だと話す。ビーチへの近道を教えて上げた。この美しい国土とすばらしい文化を充分満喫してもらいたいものだ。
第21日
早朝宿を出てすぐにカナダ人女性のマーガレットに遭遇した。5日振りの再会だ。元気に歩くには、「ローソンでエナジーフードとガソリンを買う必要があるよね」などと他愛のない冗談を言い合って、大笑いした。最後に、お互いの写真を撮り合い、旅の安全と再会を期して別れた。カメラを向けたときの親指を立てたポーズが決まっている。彼女は人生の達人だとつくづく思う。でも、胸騒ぎの通り、これが最後の出会いとなったのは残念だった。
 昼食のために入ったレストランで今度はアイルランド人のケレンと会った。3回目の面会だ。10kmほどダベリながら歩いた。サンティアゴ巡礼の際に南京虫に刺されて苦労した話をすると、その対策方法を熱心に教えてくれた。スペインの田舎だけでなく、ヨーロッパにはどこでも南京虫がいるという。私が「次回は桜の咲く季節に、ガールフレンドと一緒に日本に来て欲しい。桜の花の下で、酒を一緒に飲みたいものだ」というと、彼はニッコリほほ笑んだ。
西洋人は初対面の相手でも、プライバシィに関することを口にする。離婚や子供の死など辛い経験を話すことがある。隠さずオープンにできるところに精神的強さを感じる。辛い経験を口に出して、自ら客観視すると同時に、お互いにいたわりあって、明るい未来に向けて強く生きていく。日本人は辛さを恥と捉えたり、内に込める傾向にあるが、このような西洋文化は学ぶ必要があると思う。自殺数を減少させるためには、悩みを話す機会を作ったり、オープンな文化を醸成したりする必要があるのではないか。心の強さと信頼関係が鍵となる。その基盤は人間と神仏との絆ではないだろうか。
第22日
昨日で、3週間かけてお遍路ルートの半分を終えた。600kmの道のりを歩き、四国を半周したことになる。人生は後半が面白いように、お遍路道もこれからが楽しいと思う。
 お遍路経済学。
年間の歩きお遍路は3000人くらいだから、現在ルートを歩いているお遍路はおよそ300から400人くらいだろう。これらの人々がお遍路道上の民宿の経営を支えているのだ。民宿のご主人や女将さんの高齢化は進み、後継者が現れるか懸念される。宿が少なくなれば、歩きお遍路は減り、お遍路が減れば宿がさらに少なくなってくる。際どい地点にあるように見受けられる。一方で、数年経てば、団塊の世代が歩けなくなるから、その穴を埋めるのは外国人になる。今や、お遍路の文化も経済も外国人頼りになりつつあるのだ。
 愛南町の子供たちが牛鬼を曳いて、昼食で休んでいた私のところにやってきて、厄除けをやってくれた。思わず嬉しくなった。明日も頑張らなくてはならない。
第23日
昨日、40番札所の勧自在寺を打ったが、次の札所まで長いため今日は歩くだけ。
出発すると、逆打ちの半ズボン姿の男性と遭遇した。逆打ちはベテランが多く、恰好が決まり雰囲気も違う。もう悟りましたかと聞くと、彼はまんざらでもない表情を浮かべた。笑顔が素敵で、余裕を感じさせる。
我々退職者はGNPを増やすことはできないが、文化や芸術など精神的な面で社会に貢献していく役割を担っていると意見が一致した。
 私達夫婦の趣味は自然の中を歩くことと複数の外国人に言うと、オランダから南仏のニースまでヨーロッパを縦断する2000km超のルートGR5を紹介してくれた。さっそく、妻にメールすると、面白いとの返事がきた。私達夫婦は歩きバカだ。
 現世には、多くの宝が蔵されている。その宝は無限であり、無尽である。それを一生涯、人間が掘り尽くし、なめ尽くしても、その宝は尽きることはない。空海の教えである。
地球上を歩き尽くしたい。
第24日
昨夜の旅館では、新居浜の70歳代の夫婦と談笑しながら夕飯を採った。4年かけて88か所を打ち終わる予定だと言う。記念に安全祈願の瓢箪のお守りをいただいたので、お返しに金剛福寺の葉書大の水彩画をあげたら、大変喜ばれた。絵も文もあまり上手くない方が気持ちをうまく表現できるのではないかと勝手に思った。
 逆打ちの先達に出会った。姿格好が決まっている。先達になるには、4周の参拝とどこかのお寺の推薦と筆記試験講習が必要だという。でも、先達を専門にして食べていくのは大変だそうだ。どこの世界でも好きなことを仕事にするのは難しい。
 今夜の宿は3人だったが、道中道に迷いそうになると、必ず地元の人が表れて、助けてくれるという話をすると、みんな似たような経験があると言い出す。お大師さんのおかげだと言い合った。
第25日
今日、神主でありかつ修験者と自称する人に会った。法螺貝やシュラフなど20kgの荷物を担ぎ上げ、無料の善根宿などに泊まりながら修行の日々を送っている。古希には見えない鍛え上げられたがっしりした体格と足取りだ。42歳のとき、88番札所の大窪寺の大師堂で弘法大師のお姿を見たと証言する。その後も、何回かお大師さまの声を聞いたことがあるそうだ。その修験者によると、お大師様に会いたいという強い意志がありさえすれば、会うことができると言うが、果して私にはご対面する機会がやって来るだろうか。
 鈴木保奈美と織田裕二主演のTVドラマ「東京ラブストーリー」の撮影現場の大洲神社の近くの温泉センターで、足湯に入っていると、地元のおじさんが声をかけてきて、会話を始めたのだが、いつの間にか、ベンチの上で気持ちよさそうに寝入ってしまった。このようなおじさんは決してお遍路を通し打ちすることも、人を押し退けて出世したり、金持ちになったりしないだろう。でも、本当にしあわせそうな顔をしている。歩きお遍路の安全を見守っているお地蔵さんの顔に、あのおじさんもなんだか似たような顔をしていた。
第26日
今日は参拝する札所もなく、深まりゆく自然を堪能しながら歩いた。
途上の内子町には大正時代の街並みが保存されている。その中の内子座では演劇などが現在でも上演されている。保存活動に熱心な地元の人達に敬意を表したい。
 同宿の外国人は1週間ほど前に出会ったドイツ人の若者のミルクルだった。身長が204cmもあるため、日本の家屋の中を歩くとき、いつも背中を丸めていたのが可愛らしかった。1年間の休暇を十分エンジョイしているようでなりよりだ。彼もアニメなど日本大好き人間の一人だ。もう一人の宿泊客の千葉出身の63歳の日本人は孫と遊ぶよりも山登りが好きな女性で、女を感じさせないボーイッシュな顔をしている。今回は5回目の区切り打ちという。宿は86歳で10回通し打ちした知り合いの僧侶の助言に従ってすべて予約してきたという。せいぜい明後日の宿しか予約しない私とは随分態度が異なると思った。僧侶は10回目で打ち止めしたそうだ。女性にお遍路文化を引き継ぐつもりなのに違いないと思った。山寺はスピチュアリティを感じるよねと、同意を求めるように話しかけると、「私は鈍感だから、そんなの分からないの」と平然とその女性は正直に答えた。
「虚空尽き、衆生尽き、涅槃尽きなば、我が願も尽きん」
これは空海の晩年の言葉だ。空海は24歳で悟り、61歳で入滅した。私は61歳になったが、まだ悟りにも達していない。まだ、やりたいことがあるので死ぬわけにはいかない。どだい、空海と比較するほうがどうにかしているかもしれないが。
第27日
9回目のお接待を地元の女性から受けた時、彼女は私を弘法大師に見立てて、頭を下げ、南無大師遍照金剛と唱えた。そうだったのだ。私が悟りを開いていようが、いまいに関係なく、地元の人達にとって私は弘法大師の分身なのだ。私は弘法大師のように振る舞わなければならないのだ。恥ずかしがってはいけないし、傲慢であってもいけない。歩き遍路は1200年間の歴史の重みを背負って歩かなければならないのだ。そんなことに改めて気づかされた。
前方から外国人が歩いてきたので、どこから来たのかと英語で聞くと、フランスだと返ってきた。「君はどこから来たの? 四国なのか?」と聞き返してきたので、「九州だ」と私は答え、今夜はどこに泊まるのかとこちらから質問した。「野宿!」と元気のいい日本語が響き渡る。私は「トレビアン」とフランス語で言い返すと、彼は「メルシーボク」と言った。「明日また会おう」と言い合って、別れた。1分足らずのすれ違い際の会話だったが、元気になった。美しい自然のなかで、歩き遍路の心は十分通じているのだ。
本堂まで20分も急坂を登らないとたどり着けない45番札所の岩屋寺の前で、12人の西欧人観光客の一人にお寺の感想を聞くと、パーフェクトと言って親指を立てた。私にもこの札所は最も印象深いお寺の一つとなった。今日は7万歩以上も歩き相当疲れ、周囲も暗くなりかけていたが、その価値は十分あったと思う。
第28日
四国お遍路は今日で4週間となり、あと2週間。歩くこと、参拝すること、お大師さんに成り切ること、美しい自然を愛でること、宇宙の気息を感じ一体となること、自省すること、歩きお遍路と交流すること、写真を撮ること、日記を書くこと、絵を描くこと、会計を付けること、交通事故に合わないこと。これらを満足のいくレベルで、バランスよく行うことは容易ではない。これこそ実際的修行である。
 丹波の里で、歩きお遍路4人が6人の村人に1週間に1回の村を挙げての接待を受けた。手作りのお菓子やコーヒーやミカンなどをいただきながら、疲れを取ることができた。お接待の場はマムシの話で盛り上がった。マムシに咬まれて、命を落としたバスガイドの話などを聞かされた。今まで蛇には5回遭遇しているが、早く冬眠して欲しいものだと思った。30分くらい談笑したところで頃合いと思い、次の札所へと向かった。
なお、今日は46番と47番を打ち、明日は松山市内に足を踏み入れる。
第29日
今日は4つの札所を打ったが、20kmくらいしか歩かなく時間は十分あるため、いつも以上に丁寧に般若心経を読経し、清々しい気持ちになった。余裕があるのはいいことだ。
 50番札所の近くの道でモニカという63歳のスイス人女性と会った。フランス語の元高校教師だという。少しおしゃべりをした後で、彼女の大きい赤いスカーフが似合っていたので、一緒に写真に収まり、再会を約束して別れた。彼女とは四国お遍路道とサンティアゴ巡礼の愛好家で、定年退職新人という共通点を有する。彼女とは気が合いそうだ。
宗教ではなく、科学の話。
この宇宙は137憶年前のビッグバンによって出現し、その後、物資的進化を経て、生命が大宇宙のどこかで生まれ、その生命はエントロピー増大の法則に抗して、複雑な生物体を生み出し、ついに知能を持つ人間を作り出した。そして、人間は神を創造した。
 私は小学校2年生の時、疑問に思った。なぜ、この宇宙は存在するのだろうか。なぜ、物資の進化は生物体を作り出し、人間までたどり着いたのだろうか。なぜ、人間は神を生み出したのだろうか。
どのようにして、宇宙が誕生し、生物体や人間を創造するに至ったかという疑問に未来の科学は答えてくれるかもしれない。しかし、なぜという問いかけに果して答えられる日が来るのだろうか。この宇宙が誕生しなければ、人間の楽しみも、哀しみもなかった。この宇宙はいったいどんな意味合いを持って、今ここにあるのだろうか。ビッグバンがなければ、創造主は存在しない。もし、ビッグバンの前に神が存在したとしたら、何も存在しない中でのその神の役割はいったい何なのだろうか。人間が神を創造するに至ったのは、神がこの宇宙を創造したことを人間に認識させるためなのか。
最近の最先端技術の発展は疑問を膨らませている。人間の知能を上回る人工知能が開発されるシンギュラリティがやってくると予想されている2045年以降は、物質→生命→人間と進んで来た進化のプロセスは、人工知能に代替され、それ以降、進化の主役は人工知能がもっと進んだ人工知能を生産していくように人工知能が担うようになるのだろうか。人間にとって人間の存在は有意義かもしれないが、宇宙進化の観点で見れば、進化を終えたシーラカンスのような特異な生物種として人工知能によって保護されていくのだろうか。
 還暦を過ぎた少年の疑問点はまだ解決していない。私は疑問を抱いたまま死んでしまうのだろうか。時間は長くない。空海のような大天才科学者の出現を切に願っている。
第30日
山々の生気や寺院の霊気に包まれ、気持ち良く歩いていても、市街地に入ると、それらが消えてしまい、精神的疲労だけが残る。徳島市、高知市、松山市の市街地を歩いてきたが、やはり大きな街は歩行に向いていないと思う。
 密教は自然中心の思想である。釈迦の仏教は人間中心の思想であるが、密教は自然中心の仏教である。人間だけでなく、草木さえ救われないとだめなのだ。
 四国遍路道中、食欲はもりもりだが、性欲は減退気味だ。聖地だから、当然のように考えられるが、空海は『理趣経』の中で、「煩悩も菩薩の位であり、性欲も菩薩の位である」と性欲を肯定的に捉えている。ほとんどの宗教では、性欲を否定的に捉えていたのとは際立っている。人間の本来の姿をありのまま受けいれようとする姿勢が貫かれている。ただ、密教はインドで性欲を肯定するあまり、極端に左道化し、男女の交わりや獣姦の姿が盛んに彫刻に彫られるようになる。性欲は強烈な欲望であるため、その正しい捉え方や制御に人間は手を焼いてきたのだろう。
太平洋を臨む土佐の海、島々が美しい伊予の海と違って瀬戸内海の風景は対岸も見え、穏やかだ。修行者にも安らぎが訪れる。お大師さまに感謝したい。
第31日
今日は今治市内の札所を54から58番まで打った。55番の南光坊は観光客が多く、納経所で列に並んだ。ご朱印を押している係の人は参拝者一人ひとりとおしゃべりをしていた。私の番がやって来た。
「東京から来ましたね」中年の男は自信ありげに言った。
「いや、九州から来ました。でも、3月まで東京に長く住んでいましたが」彼は残念そうな表情を浮かべた。
「そうでしょう、やはり。関西ではないと思いました。長くこのような仕事をやっていると、分かるものです」彼は上機嫌になった。
「歩きお遍路の旅は時間がたっぷりある退職者に合ってますね。準備に3か月かかり、一周するのに1か月半もかかるのですから、時間つぶしに好都合です」私は彼のおしゃべりにうんざりし、思っていることと違うことを口にした。
「時間つぶしね・・・。また、時間をかけて歩いて来てください」おしゃべりな男は言い淀んだ。
 ルートの途中、四国遍路無縁墓地という立派な石碑を目撃した。歩きお遍路の旅に出て、そのまま命を落とした信者は少なくない。暗い山道ですり減った墓標を何度も目にしたのだが、直視することは難しい。現代はずっと安全とは言え、一人で歩く遍路道で何らかの事故に遭遇し行き倒れにならないとも限らない。自分の心の胸騒ぎから判断すると、どうもここで倒れても本望という覚悟はまだできていない。
私は今、58番札所の仙遊寺の宿坊に泊まっている。オーストリアの女性モニカと千葉の63歳の女性と再会することができ、話題の花が開いた。ありきたりのことでも、楽しいものだ。彼女らには、記念として私の初心者の絵葉書をプレゼントし、大変喜んでもらった。
 今回の旅行でつくづく感じるのは、女性との会話のほうが楽しいということだ。男性のリピーターからはルートや宿に関する貴重な情報をいただき、ありがたいのだが、それだけで終わってしまう。でも、女性は細かい気遣いをしてくれたりして、気分がずいぶん落ち着く。誤解されるかもしれないが、私は女性のほうが命や自然に対する感受性が豊かで完成度が高く、神に近い存在と秘かに思っている。さらに言えば、女性の友だち(ガールフレンドではない)を多く持っている男性ほど幸せな人生を送れると確信している。
第32日
昨夜泊まった仙遊寺の宿坊では、四国で初めて精進料理を味わうことができた。お遍路に人気のある理由も分かった。
 今朝のお勤め時の住職の話は面白かった。世界遺産申請の言い出しっぺは自分だと自ら言う。本音をズバズバ気持ちよく話す住職だった。
「何度も歩いてやって来る人やはるばる海外から来る外国人は気が狂っているのではないか。僧侶は表では精進料理を食べているが、裏ではシシナベを食べている。煩悩は消せない。断食の修行をやると、25kgも痩せるが、悟りを開ける訳ではない。比叡山で千日回峰行をやったが、特に何も変わらない。僧侶になっているのは、落ちこぼればかり。京大卒で司法試験に合格した若者が弟子にしてくれと言ってきたが、ああいいよと言って放ったらかしにしていたら、何も教えてくれないと不満を言って、山から降りていった。大事なことは自ら学ぶべきではないのか。頭がいいのだから当然だろう。自分の生きる道は自分で考えないといけない。みなさんは一日一生の思いで、精一杯生きていって欲しいと思う。また、巡り会う機会があれば、嬉しい」
 住職のお話はまさに空海の教えを分かりやすく説明している、と私は勝手に合点した。この旅で即身成仏に近づきたいと思っていた自分が浅はかで、非常に恥ずかしくなった。
第33日
ハイキングは雨天時には中止になるが、歩きお遍路はよほどの荒天でない限り実行する運命にある。修行でもあるからだ。雨天は自然の恵みである。冷たい雨のなか、標高745mの60番札所の横峰寺に登山し、下山した後64番まで打った。
 ブラジル人のガルシアに今日だけでも4回も出会った。彼は英語が流暢でないため、英語とスペイン語とジェスチャーのチャンポンで意志疎通を図ることになったが、どうにか通じた。私のスペイン語は意外に通じるではないかと一瞬思ったが、コミュニケーションに占める言語の割合は3割に過ぎないのだから、彼のジャスチャーや表情が国際レベルにあると考えるのが自然だと思い直した。サンティアゴ巡礼を始めとして、イタリアや中南米の巡礼道や山々を歩いているとガルシアはいう。四国お遍路道では、無料や安宿に投宿している。個人宅にも7回も泊まらせてもらったそうだ。携帯電話も持たず、ネットにもアクセスせず旅行しているのだから、相当ワイルドである。当初、私よりずいぶん若いと思ったが、来年2月初孫ができると聞き、似たような状況にあると分かり、スペイン語で「ジョ・タンビェン(私も同じ)」と言いながら固い握手を交わした。
旅行中描いた繁多寺の山門の絵をプレゼントすると、代わりにブラジル国旗をあしらったペンダントをくれた。彼は行き当たりばったりの旅行をしているが、安全を祈願せざるを得ない。なお、彼の経本はボロボロになるほど使い古されていた。
 オーストリアのモニカと千葉県の女性と再会を果し、3人で笑顔で写真に収まった。
第34日
昨夜、義母から歓びの電話があった。一昨日前に送った天皇皇后両陛下も愛用されたものと同じ漆のティーカップに対するお礼の電話だった。親孝行は親が生きているうちにすべきなのだとつくづく思う。また、人を楽しませることが最大の楽しみでもある。こんな小学生でも知っていることを再認識することがお遍路で得る大切な教訓なのだ。
 大切なことは誰しも知っているが、それを実行するのは意外に容易でない。人間には我欲があるからだろうか。心の底からその意義を理解していないと、行動に移せない。
 幸福に生きるには有名大学に受かる必要も、お金持ちになる必要もない。人生に大切ないくつかの簡単なことを実行するだけでいいのだ。誠実に生きること、自然や人に感謝すること、精進・努力すること、我欲を張らず自然態でいることなどだ。これが真の賢明さである。そのためにいつも心を清浄にし、アンテナを鋭敏にしておかねばならない。
第35日
 三角寺境内の季節外れの桜の花は心を和ませ、元気を与えてくれた。
「菩薩の道場」と呼ばれる伊予の国の最後の札所の三角寺を打ち、穏やかな瀬戸内海を眺めながら、快適な山道の散歩を楽しんだ。
 明日は歩きお遍路道の最大の難所と言われる標高910mの雲辺寺まで登る。宿の89歳のご主人は夕食後、道に迷わないように懇切丁寧に講義してくれた。頭はシャープで気配りは細部まで行き渡っている。お遍路に人気のある御主人に違いない。四国お遍路文化が生んだ弘法大師の一つの化身だと思った。70歳代の女性は20年前に亡くなったご主人の供養のために、2か月かけて歩き通すのだと語っていた。私も明日はやるぞと、俄然ヤル気と勇気が湧いてきた。
時間は午後2時頃のチェックイン後に遡るが、私が自室で絵手紙を描いているとき、89歳のご主人が用事があって入ってきたときの二人だけの会話。
「ほう、絵を描いているのですか」とご主人。
「習い立てで余りうまくないのですが、疲れていても絵を描きたくなるときがあるんです」と私が応じる。
「歩きお遍路には絵を描く人が多いね。それに、旅行記を書いて送って寄こす人も多い」
「それ、私にも分かるような気がします。毎日自然の中を歩いていると感性が鋭くなり、無性にそれを表現したくなるんです。不思議なことに」
「それがお遍路文化の面白いところなんだろうね。何回も来たくなる」
 私は深く頷いた。
 我々歩きお遍路はプレーヤーであるが、色々な人々に支えられて、歩きお遍路の伝統と文化が長く引き継がれているのだ。各人が役割を担ってプロジェクトが成り立っている。上下関係はない。私もいつの日かプレーヤーから支える側にいるかもしれない。
 明日は一歩一歩大地を踏みしめるように歩きたい。
第36日
四国お遍路道最高峰の雲辺寺登山は予想外に楽勝だった。天気もよく、展望台からは剣山、瀬戸内海、高松市が眺望できた。ルート最高の景色を楽しんだ。
 オーストリアのモニカ、ブラジルのガルシア、千葉の女性の4人が一緒に歩いた楽しい1日となった。千葉の女性が予定していた区切り打ちを終了し帰京するため、モニカと私の3人で最後の晩餐を楽しんだ。我々はこの1週間何度も顔を合わせたが、もう2度と3人が一緒に顔を合わせることはないだろう。会ったり、別れたりは人生の縮図である。彼女らはハグし合ったが、湿り気なしのお別れとなった。千葉の女性は今度来る時には英語を勉強して来ると約束していたが、さて実現するだろうか。健闘を祈りたい。
 66番の雲辺寺から讃岐の国の「涅槃の道場」が始まる。ゴールが見えてくるなかで、悟りの境地に達する予感が余りしないのは困ったものである。でも、快適なお遍路旅は毎日続いている。
 競争が激しく、思い通りに事が進まない現役世代は大変と思う。我々退職者は理想像を正面から語られる。資本主義というシステムの恩恵を受けながらも、それを批判することができる。システムに支配されながらも、一方で株などを所有しそれを支えている。システムは人々の絆を分断し、差別化し、個々人を孤独にしている。人間は近代の入口で神を殺して、世界の頂点に達したが、いつの間にか資本が人間を支配している。そういう意味では、人間性を回復するために、時としてシステムという厚い壁に生卵を投げつける勇気も必要だろう。
 かと言って、システムに抵抗するために、テロリズムが許される訳ではない。パリ、ロンドン、バルセロナでテロリズムが起これば、そこに出かけて行き、被害者に黙祷を捧げ、現地の人々と連携する必要がある。暴力はけっして許されない。加害者に抵抗するために、祈り続けよう。祈りの力を信じよう。そこからスタートしよう。祈りの力なくして、四国お遍路も未来への希望も生まれない。
第37日
「涅槃の道場」の讃岐の国に入ると、1日に打つ札所が急に増える。今日は70番から75番の善通寺まで打った。善通寺は空海が生まれたとされている寺院で、規模が非常に大きい。
 オーストリアとスイスの二人のモニカと善通寺の宿坊で再び顔を合わせた。ブラジルのガルシアは夜遅くなって同じ寺院の宿坊にやって来た。ガルシアの考え方をよく理解する私がフロントとの間に入って、無料の善根宿に泊まれるように調整した。今夜の善根宿の宿泊客に女性がいないため、ガルシアは泊まれると、フロントの女性は小さな声で私に伝えたが、ガルシアには通訳しなかった。ガルシアは神に守られているかのように、運が強い男なのだ。
 それにしても、四国に入って5週間が過ぎ、坊主頭の髪の毛はすっかり伸び、夜明けは遅くなり、暗くなる時間は早くなった。季節は移り変わり、気温も低くなった。
地球は確実に回転しているし、宇宙もほんのちょっぴり進化した。私たちは地球の子であり、宇宙の子でもある。宇宙の背後に神の存在を信じるのが唯心論者であり、感じないのが唯物論者であるが、両者の差は余りないのではないのか。そういう風に思えてきた。
 伝統と自然を大切にするのが保守で、進歩や発展を重視するのが革新とされているが、果してどれだけの違いがあるのだろうか。人間の知性は未熟である。宇宙の奥義は解明されるのを待っている。このような見方ができるようになっただけでも、歩きお遍路になった価値は十分あると思う。
最近、歩きお遍路をしている夢を毎日のように見るようになった。昼間と異なり、夜は誰とも会わず何事も起こらず自分がただ歩いているだけだ。それでも、悪い気はしない。歩くだけで十分心は穏やかだ。
第38日
昨日のことだが、大切なことを思い出した。私が早足で歩いていると、男性が自転車で追いかけてきて、お接待といって、自家製のおはぎをくれた。大変美味しかった。田舎の人々はどこでも優しい。住むなら、田舎に限る。
 弥谷寺は約500段の階段の先にある山寺だった。苦労して登れば、有難味が湧いてきた。スピチュアリティを感じるいい寺だった。参道にある俳句茶屋はお遍路達が一句をしたためていく場として有名だそうだ。私も次回来るときには、一句準備してやってきたいと思っている。ゆったりと優雅に生きていきたいものだ。
 スイスとオーストリアの2人のモニカとは善通寺の宿坊でお別れだ。彼らは帰国のフライトに合わせて、もう少しゆっくり歩きたいそうだ。何日も顔を合わせていると、別れが辛くなるが、仕方がない。一期一会が人生の運命でもある。もう会えないと思いながらもサンティアゴ巡礼地か四国お遍路道でまだ会おうと私が言うと、スイス人のモニカが私の心を見透かしていたように、弘法大師にお祈りしさえすれば再会は叶うわよと言った。彼女はいつも勘が鋭い。
一方で、ブラジル人のガルシアの日本人の友人にも巡りあった。私がガルシアの話を正確に理解していればの仮定だが、ガルシアはその日本人とブラジルの巡礼地で会って友人となり、今度はガルシアが四国遍路道を歩くきっかけになったようだった。その日本人は地元でお遍路関係のNPOの事務局長をやっているという。3日後に、お遍路交流サロンで会う約束をした。友達の輪がまた拡がっていく。
第39日
ガルシアは本当に善良な人だ。ボランティアで、身体障害者や高齢者と得意なハングライダーに乗るそうだ。すると、みんな元気になると、顔を輝かせながらスペイン語とジェスチャーを交えながら一生懸命に語る。そのような彼の人柄が顔に表れている。困っているとどうにかしてやりたいと思わせる雰囲気を持っている。だから、彼を自宅に泊める人もいるのだろう。でも、時には軒下で、シュラフにくるまり、ガタガタ震えながら過ごした夜もあったという。でも、楽しそうに話す。
2人のモニカはともに離婚しているが、聡明で、自立心がある女性だった。53歳のモニカはハイキングとカヌーが大好きなアウトドア系の女性で、ボーイフレンドがいるようだが、結婚するかどうか分からないという。今後どこに住むかさえ分からないが、この旅を終えるとまず職場に復帰するそうだ。63歳のモニカは主要なヨーロッパ言語を自由に操り、日本語も勉強して来日した努力家である。おそらく、世界中の美しい道をネットで探り出しては、旅に出るのではなかろうか。チャーミングな二人だった。
 俳句茶屋の主人は、茶屋の歴史は1000年だ、有名人も沢山やって来る、今度は豪州の俳句研究の教授が訪問して来る、と強気の発言を繰り返していたが、やはり昨年伴侶を亡くした寂しさは拭えないようだった。彼もまたお遍路文化を支えるために弱い自分と戦っている。
 今日、冷たい風雨のなか、81から83番まで打った。山寺の紅葉は美しく、良かった。靴下のなかまで完全に冷たくなっても不満はなかった。24歳のフランス人の女の子も同じ感想を洩らしていた。
 下山の途中で、草履を履いて、髭を生やし、野宿しながら逆打ちで歩いている若い仙人と出会った。今回で12周目だ、と控えめに語る。雨で荒れた道は通らない方がいいと、私の予定を変更させてくれた。そのまま当初予定の自然道を歩いていたら、相当難儀していたに違いない。若いけど、腰の低い人だった。振り返ると、もう彼の姿は消えていた。もしかしたら、幻覚だったかもしれない。いや、弘法大師だったに違いない。
第40日
今日、3つの札所を打ち、残りは2つとなった。人生と同じで、終わりは突然やってくる。明日は結願の日だ。
 この旅は、両親、親族、それに定年退職前に惜しくも亡くなった同僚の供養も兼ねていた。その目標は果たしたと思う。
 次にサンティアゴ巡礼の時に外国人から受けた恩返しの意味もあった。これも十分実行できたと思っている。
 最大の目的であった即身成仏はまったく及ばなかった。「千日回峰行や厳しい断食修行を経験した仙遊寺の住職がまだ悟りには達していない」と事も無げに言う姿に感動した。しかし、ステージ4の肺がんを患いながらも、晴れ晴れとした表情で話していたのはやはり凄いと思う。何が本当の真実かをしっかり理解し、覚悟ができている。私だったら狼狽えるだろう。
 一方で、日本人、外国人を問わず、各人の人生の断片にリアルに触れることができたのは予期せぬ収穫だった。みんなとの会話には無駄なおしゃべりがほとんどなかった。聞かれなくても年齢を公開し、お遍路の動機を話した。職業、職歴、学歴、得を話す人は誰もいなかった。お遍路道では、俗世間の価値観は必要ないし、通用もしないのである。ひた向きに生きていることが大事なのだ。人生に上下なんかない。
 空海は、欲望を清浄化し、そのエネルギーで行を行い、大日如来と一体化することで悟りが開けると言った。私流に翻訳すると、狭い自我に閉じこもるのでなく、社会や宇宙の真実と真摯に向き合い、人々の幸福のために、各人の能力を活かし、この世の歓びを限りなく浴びることが最大の幸福であり、神仏から与えられた使命である、ということではないのか。
 そういう意味では、この旅で出会った素晴らしい人達はすでに実行しつつあると思った。お遍路の旅はまもなく終了するが、私の人生の旅はまだ続く。この世の歓びをすべて味わい尽くさないといけない。のんびりと時間が過ぎるのを待っている訳にはいかない。
第41日
最後の88番の大窪寺を打ち、結願した。
もう歩かなくてもいいという安堵の気持ちと、もう歩けなくなるのかという寂しい気持ちが心の中で交錯した。左膝は深夜チクチクと泣き言を言い、踵は割れて痛んでいたので限界が近づいていたのだ。シューズは使いものにならないほどボロボロになっていた。やはり、ここで終えて、待っている妻のところへ帰るのが自然に思えて来た。お大師様もそのように望んでおられるだろう。
サンティアゴ巡礼がこの世のパラダイスとすると、四国お遍路の旅は極楽だったといえる。安らぎと永遠を感じる場が心の故郷というならば、四国お遍路道もまた、私の新しい故郷となった。俗世間で傷ついたらまたここにやってくればいい。世の中には楽しいこともあれば、救いもあるのだ。
 道中の民宿の親爺さんや女将さんには大変お世話になった。お接待していただいた地元の方々にも改めてお礼を言いたい。弱気になっているとき、勇気と元気をいただいたのだった。
88札所の御朱印が押された納経帳はネットで10万円の高値で売ることができるという。でも、それを買ったからといって、極楽に行けるわけではけっしてない。歩き遍路だろうが、クルマ遍路だろうが、札所を訪れ、燈明と線香を上げ、お経を唱えながら、お釈迦様やお大師様に熱心に祈った者が救われるのである。己の心の中の仏性を覚醒させた者だけが極楽への道が用意されるのだ。
 各人が競争をしつつも我欲とも呼べる欲望を追求することで、資本主義体制が成り立つという発想にはやはり馴染めない。各人が欲望を浄化し綺麗にして、協調して生きていく社会のほうが健全だと思う。空海が現在に生きていれば、このように語るのではなかろうか。黒い欲望と透明な欲望の戦いの歴史はこれからも続くだろう。それらを超越するには、宗教と科学の大連合が必要かもしれない。これは未来の人々に委ねたい。
 四国の人々には悪いが、四国の過疎化は予想以上に進行していた。山里では空き家が目立ち、市街地区でも昔ながらの商店街がゴーストタウン化しているところもあった。大手スーパーとコンビニの影響である。これらの地域は寒気を感じ、足早に通過した。でも、多くの地域は温かみを感じ、お接待を受けるのは決まってそのような土地でだった。他人にモノを施す人々の心は健全で、豊かである。歩き遍路は弘法大師の化身と見なされているが、地元の人々の信仰と厚意によって本物の弘法大師に近づいていくのだろうか。
四国遍路文化は1200年の時空を経ても生きているし、四国はまさに修行の場であり、同時に安らかなところだった。桜の花の咲くころまたやって来たい。きっと、桃源郷のように美しいであろう。
南無大師遍照金剛。(了)

もったいなか箱

 毎朝私がやっていることは、1万歩歩くことと生ごみの処理である。生ごみの処理方法は、もったいなか箱と言われる縦横それぞれ50センチ、80センチくらいの微生物のいる土の箱に家庭で出た生ごみを入れ、土とよくかき混ぜるのだ。土の表面を6等分してあるから、毎日一か所づつ生ごみを捨てると、7日後には元の場所に戻ってくる。そこを掘り返してみると、一週間前に捨てた生ごみはほとんど元の形状をしていない。微生物の分解能力に驚いてしまう。

 もったいなか箱は一石二鳥の役割を担う。一石目は、生ごみを出さず、市の処理負担を軽減すること。二石目は、肥沃な肥料を作ることだ。1年後には優れた肥料が出きるというから今から楽しみである。自宅の猫の額ほどの畑に撒いて、家庭菜園をやってみたいものだ。きっと美味しい野菜や果物ができるに違いない。

 なお、八代市内で230個のもったいなか箱が使われているという。もっと多くのもったいなか箱が普及すれば、市民の意識も高まり、健康も向上するだろう。

 自然の物質循環力をフルに活用し、自然が生む作物を食すれば健康で頑丈な身体を維持できるはずだ。自然が発揮している生命力を精一杯吸収すれば、身体も精神も生き生きである。自然から切り離されたものも概念も本物にはなり得ない。
 これが本当の自然主義思想である。

(2017年10月2日、寺岡伸章)
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青春は美しい

 夏の高校野球の季節がやってきた。
 わたしの母校の八代高校は公立のため、野球はあまり強くなかったが、今年は久々に強いチームに仕上がり、地方大会は観戦を十分楽しませてもらった。準決勝まで勝ち進んだため、3度も球場に足を運んだ。

 思い起こせば、西武ライオンズで活躍し、ソフトバンクの監督も務めた秋山幸二はじつは八代高校出身で、36年前に熊本地方大会の決勝戦で敗れ、甲子園出場を逃したのだった。当時まだ大学生だったわたしは、わざわざ東京から駆け付け、応援に出かけたのを今更のように思い出すことができる。投手で4番バッターだった秋山選手は大物だったのだ。

 八代高校は今年優れた選手が揃い、久々の甲子園出場の機会を得たのだった。わたしが観戦した3試合は勝つことができ、母校の校歌を歌わせてもらった。高校生の青春時代を思い起こし、熱き心に浸った。

 白球を無心に追う球児は逞しく、礼儀正しい。青春ははかないが、じつに美しい。監督の思いのままに動くという点は少し自主性に欠ける面があるかもしれないが、それでも一生懸命に野球に専念する姿は胸を打つ。

 わずか一週間の観戦であったが、母校の高校球児にお礼をいいたい。この経験は長い人生のなかできっと役に立つに違いない。世間は野球のように割り切れるほど単純なものではないが、活躍を期待している。

 八代高校が準決勝で敗れた相手は、甲子園の優勝候補の一角を占める秀学館である。秀学館は元パナソニックの鍛治舎監督を招聘し、強化を図ってきた私立の高校だ。甲子園では過去3期連続でベスト4を達成した強豪チームだ。
 登録選手を見ると、地元八代市出身は1人しかいない。地元で応援がいまいち盛り上がらない原因なのだが、選手たちは八代を第二の故郷と思い、精一杯頑張っている。是非熱心に応援したいものだ。優勝旗を八代に持ち帰ってもらいたい。

 さて、あと1時間で秀岳館の試合が始まる。対戦相手はこれも優勝候補の横浜高校である。全力でぶつかり、いい試合をして欲しい。勝ち負けよりも、力を出し切ることを優先してくれ。猛練習で培った持てる力を出せずに敗れていったスポーツ選手が如何に多いことか。

 頑張れ、秀岳館! 全力を尽くせ! 倒れるまで走れ! 青春は素晴らしい。

(2017年8月11日、寺岡伸章)
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ゴルフは思い通りにならない

 先週、メンバーになっているゴルフのホームコースに行った。早朝にしかも一人でラウンドするのは初めての経験である。天気も良さそうなのでルンルン気分である。ところが、コースは高台にあるため、ゴルフ場に近づくにつれて、霧が出て来た。前は白くなり、視界は数十メートルしかない。これではボールがどちらに飛んだか分からないではないか。突然地獄に突き落とされたような気分になった。予想外のことが起こると、夢でも見ているのかという気持ちになるが、どうも現実であるらしい。

 ゴルフ場は早朝のため、完全セルフサービスである。ゴルフバッグをカートに積み、シューズを履き替え、スコアカードと鉛筆をゲットして、アウトコースに向けて出発である。お客は誰もいない。トップバッターなのか、それともすでに先発組がいるのかさえ分からない。人気はない。ゴルフ場にはわたししかいないらしい。
 1番ホールに到着すると、ドライバーを取り出して素振りを始めた。少し待とうと思ったのだが、霧が晴れる見込みはなさそうな雰囲気だった。大凡のフェアウェイの方向は分かるものの、霧の中を目掛けてボールを打つことには変わりはない。
 何はともあれ、第一球を打った。いい当たりだった。ボールを見ても、どこに飛んだか確認をすることができないので、ヘッドアップしないのが良かったのかもしれない。でも、まっすぐ飛んだのか、途中で曲がったのかの判断はできない。カートに戻って、先を急いだ。
 霧の中を行くしかない。五里霧中なのか、霧中夢中なのか良く分からないと、つまらないことを考えながら前に進んだ。ボールがありそうな適当なところでカートを停めて、アイアンを数本持ってフェアウェイに降りた。近づくと、運よく黄色いボールは容易に見つかった。でも、グリーンの正確な方向が分からない。やや大きめのクラブで力を入れずにボールを打った。ヘッドアップはしなかった。当たりはあまり良くなかった。サイドバンカーに捕まったかも知れないと思った。カートに戻り、グリーン方向に向かった。
 幸運の女神がほほ笑んだ。ボールはグリーンに乗っていた。当たりがいまいちだったのが幸いしたのか、女神が手で運んでくれたのかも知れない。嬉しい。2パットでパーのスタートだ。
 2番ホールのティーグランドに行くと、先発の二人組が霧の晴れるのを待っていた。せっかちなわたしは晴れるのを待つのが苦手である。挨拶をして、先に打たせてもらった。
 また、ナイスショット。今までにない距離が出ていた。前に進んで、二打目を5番アイアンで打つと、芯を食ったようないい当たりだ。グリーンをオーバーしていなければと思って、カートを前に進めた。またしても、パーオンだ。このホールのパーオンは初体験である。何だか狐につつまれてような気分になった。長いパーパットだったが、うまくカップに寄り容易にパーをゲットした。ツーホールを終わって、パープレーである。上達したのだろうかといい気分になる。
 3番ホールはショートホール。まだ霧は消えていないので、狙いが定まらない。右はバンカーなので、安全策を取って左目を狙って打った。これも悪い当たりではない。気分をよくして、グリーンに向かうのだが、ボールが見当たらない。ラフでマイボールを発見した。3連続パーオンは実現しなかったのだ。でも、寄せワンに成功すれば、パーを拾える。
 すると、突然霧が晴れて来た。嘘のように周囲の風景が蘇ってきた。見慣れた景色なのだが、別世界に送り込まれたような感じは拭えない。アプローチはグリーンをオーバーし、返しもミスし、ダブルボギーに終わった。
 4ホール目以降は、見通しの効くなかでのプレーのため、好成績を期待したのだが、思うような成績は収められなかった。霧が晴れた後に、むしろロストボールが出たのは不思議だった。ボールが落ちたところと思うところをどんなに探してもボールが見つからなかった。こんなことはあまりない経験なのだが。

 後半に入って、リズムが戻ってくるのを待ったのだが、元には戻らなかった。不運も重なり、いつもとあまり違わない成績で終わった。
 出だしの好調の2ホールは何だったのだろうか。単なる偶然か、神に試されたのか、それとも誰かの悪戯か。考えても正解に辿り着けそうもなかった。

 ゴルフはいつも期待を裏切る。練習しても成績は上がらず、練習しないとスコアが良い場合もある。力むとボールは飛ばず、脱力するとナイスショットが飛び出す。何とも思い通りにならないスポーツだ。努力に比例して結果が出るマラソン、卓球などとは根本的に異なるようだ。
 ゴルフもまた、人生と同じで、思うように事が進まないものなのだと思う。悔しい。だからこそ、いつまでも続けられるのだろうか。時には好成績に有頂天になるが、ほとんどの場合は落胆のまま帰途に着く。
 ゴルフほど嫌なスポーツはない。

(2017年8月10日、寺岡伸章)
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中世の復活

後輩たちへ

 みなさん、如何お過ごしでしょうか。私の方は文科省を定年退職して2か月が過ぎようとしていますが、郷里の八代で元気で過ごしています。現役時代との最大の違いは、「毎日が日曜日」のためすべての予定を自分で決めなければならずこの状態から解放される「休日がない」のが最大の苦痛です。考えようによっては、なんとも贅沢な悩みですが。

 田舎暮らしの良さは、「みんな人が良い」ことです。こんなに親切で、気を遣っていただき、大変心地よい生活を送っています。都会のようにガリガリ生きている人をあまり見かけません。視点を変えれば、挑戦や競争が少ないため、人々は内向き志向で、田舎は発展しにくいということかも知れませんが、所得の低さに目をつぶってしまえば、田舎暮らしは捨てたものではありません。若い人の意識も都会志向から変わりつつあるようにも見受けられます。

 近況を具体的に報告します。
 早朝に起きて、自然豊かな散歩道を1時間の歩いた後、NHKの講座でスペイン語と英語を聴き、朝食を済ませます。午前中は、最近始めたデッサンに取り組んだり、読書をしたり、ブログを書いたりと、主に頭を使うことに専念します。デッサンの方は、地域コミュニティセンターの美術クラブに通っていますが、自画像を描いて披露したら、拍手やお褒めの言葉をいただいて、いい気分に浸っています。グッド・スタートとなりました。
 午後はフィットネスクラブで、硬くなった身体をほぐすストレッチ、基礎体力を向上させる筋トレ、リズム感を取り戻すエアロビクス、それに気分転換の水泳を楽しんでいます。帰宅後は至福のシエスタを享受。
 夕食後はテレビを観たりして、ゆっくり過ごす時間帯ですが、時には読書やデッサンに時間を割くこともあります。就寝は午後11時まで。外での会食が激減したため、お小遣いはほとんど減りません。

 趣味の長距離ウォークの方は4月中旬の福岡県糸島三都110キロウォーキング大会(1500人中87位)、5月ゴールデンウォークの長崎県佐世保・島原105キロウォーキング大会(900人中92位)に出場しまずまずの成績を収めました。でも、筋トレとフォームの改善をしないとこれ以上の向上はないと痛感しました。

 まったく初めての作業にも挑戦しています。庭木の剪定は芸術作品の創造と思って楽しみましたが、脚立の上の作業は少々怖かったです。小さい畑にはアシタバの苗を植えましたので、今秋の収穫が楽しみです。庭先に撒いたゴーヤと朝顔の種がどこまで成長するか期待しています。先日は、庭の梅木から採取した青梅を使って、梅酒作りに励みました。地酒は美味しいでしょうね。蝶々、蜂、トカゲ、小鳥が庭で遊んでいるのを眺めていると、自然というのは目の前にあるものなんだと実感させられます。眺めていても飽きませんね。

 今日土曜日はゴルフのラウンドに行き、明日は文芸雑誌の仲間の合評会に出席します。作品に対して色々な意見や感想が飛び出し、大変勉強になりますので、嬉しいです。
 いよいよ6月2日から北スペインの巡礼の旅に家内と出かけるため、最終準備の段階に入りました。800キロの世界遺産の道のりを楽しんで来ようと思っています。北スペインの田舎の風景、ワインと料理、世界の人々との出会い、パワースポットやスピリチュアリティの経験も楽しみです。大都市ではテロが発生したいますが、田舎はターゲットにならないでしょう。もし仮に、バチカン、エルサレムに次ぐ第三のカソリックの聖地であるサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂(聖ヤコブが祀られている)が爆破されることになれば、宗教戦争にまで発展します。ISはそこまではやらないと思います。
 人間がお金の奴隷になり、尊厳を失ってしまっている今、神々を信じていた中世の時代の人々に思いを馳せるのは悪くはないと思っています。物質的に豊かになった近代は人間を貶めているように思えてしかたありません。

 役人としての仕事も楽しかったのですが、世の中にはまったく違った楽しいことも沢山あります。それらを発掘して自ら享受していきたいですね。
 スペイン人の口癖を書いて、筆をおきます。
La vida es maravillosa! 人生は素晴らしい!
 世界は楽しいことで満たされていますよ。みなさんも人生をエンジョイして下さい。

(2017年5月27日、寺岡伸章)
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秘境・五家荘

 九州中央の山地の五家荘は平家落人の里と晩秋の紅葉で有名なのだが、まだ行ったことがなかった。平成合併で五家荘が八代市に組み入れられ、地元の一部になって以来いつかは訪問しないといけないという気持ちばかりが募っていた。今回の帰郷が大きなチャンスになった。

 八代市で5月12~14日開催された九州国際スリーデーマーチの初日の選択の一つは前泊し五家荘の新緑を楽しむウォーキングのため、妻と二人で出かけた。総勢22名の参加があったというが、昨年は熊本地震の影響で定員に達していなかった。北海道や福島などの遠来の客も含めてこれだけの参加者が集まったのは、熊本地震復興のために地元民を元気付けようというためである。ありがたいことである。

 五家荘は渓谷も深く、鬱蒼とした森林に覆われた自然が豊かなところだった。新緑が眩しい。山桜も最後の力を振り絞って咲き誇っていた。標高1000メートルに満たないが、市内とは別世界である。道路は舗装こそしてあるが狭く、対向車とのすれ違いは離合地点まで引き返さないといけない。街を悩ましている黄砂やオキシダントは無縁な世界だ。空気が澄んでいて、爽やかである。思わず笑顔が弾ける。眉間に皺を寄せている人はいない。

 民宿のような旅館の夕食も良かった。マスの刺身、鹿肉のたたき、鹿肉の天ぷら、新鮮なタケノコ、地元の特産の豆腐、山の幸が所狭しと並ぶ。ビールや焼酎を飲みながら初対面でもすぐに古い友人のように打ち解ける。食べきれないくらい料理が次々とやってくる。他愛のない話題も何だか深遠な意味を含んでいるかのように心に響く。受ける側も深い山奥で健康的な鋭敏な感覚になっているからだろう。会話はお風呂の制限時間まで続くが、また会いたいと思わせる人ばかりだ。良い人が集まっているのではなく、秘境の里が人を良くするのだろう。心も浄化してくれているような心地よさを感じる。

 強く印象に残ったのは70歳代の元気の良さだった。歩いていてもバスの中でも会話と笑いが途切れることがない。体だけでなく、心もすこぶる健康な人たちだ。団塊の世代は幸せだったという思いが湧いてくる。自信に満ち、結束が固い。なんでも制御できると思っているし、実際にやり遂げてしまう。

 ウォーキングの終盤、雨が降ってきたが、それでもゴール地点で鑑賞した「せんだんの轟」(滝の意味)は日本滝100選に選ばれているように、見ごたえがあった。高低差は70メートル前後という話だった。

 五家荘には紅葉の季節に再訪したい。カラフルな絨毯のような山奥はふたたび心を癒してくれるに違いない。

(2017年5月13日、寺岡伸章)
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