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八代市の再生

帰郷のご挨拶

八代の未来を科学する会の関係者各位

 「八代の未来を科学する会」の開催について、ご理解とご協力をいただき、大変ありがとうございます。謹んでお礼を申し上げます。
 当会の連絡幹事役を務めてきましたわたしこと、寺岡伸章は本年3月末日で文部科学省を定年退官し、4月7日に故郷・八代に移住してきました。今後とも、地域活性化のために当会を開催してまいりますので、引き続き宜しくお願いするしだいです。

 なお、本日固定電話が接続され、ネットワーク環境が整ったため、こうして連絡を差し上げることができるようになりました。そのため、メールの発信が遅くなったことをお詫び申し上げます。

 帰郷 し、一か月半が過ぎますが、八代が如何に住みやすい街であるかを再発見し、妻ともども新しい生活を享受しているところであります。東京の満員電車と背広から解放され、人間性を復活させているところです。
 今後はあらゆるものから自由になり、想像力を発揮することに価値観をおき、生きていきたいと思っています。ちょうど束縛的な大学受験が終わって自由気ままでアカデミックな大学生活をエンジョイしたように、現在公務員生活という拘束された生活から解放され、二度目の青春時代がやってきたと喜んでいるところです。

 学生時代に国内外を気ままに旅行したように、今後とも八代の善良な人々との交流を深めつつも、ふたたび国内外を探索していきたいと考えています 。八代の将来を考える上でも、ヒントになることが地球上に散らばっているはずです。
 6月上旬からスペイン北部の世界遺産の道800キロを踏破する旅に出ます。学生時代の気分に戻り、8キロのリュックを担ぎ、妻とともに40日間歩き続けます。この旅は宗教的な修行であり、また人生そのものでもあります。旅の間、飲み食いするだけでなく、田舎風景やカテドラルをスケッチしたり、旅行記を書いたりして、芸術的な生活を送りたいものです。想像性は無限です。帰国は7月中旬を予定しています。

 次回の「八代の未来を科学する会」は8月の開催を予定していますが、講師や演題が決まりしだい、ご連絡しますので、みなさまの奮ってのご出席を賜りたいと思います。
 宜しく お願い致します。

 最後に一言申し上げます。
・他人を評価するとき、資産高や社会的地位や学歴で判断するのは止めましょう。その人の心の有り様を凝視すべきです。
・お金の話題を止めましょう。自然や神々や先祖との関係性に目を向け、心を寄せましょう。お金は人を卑しくします。
・クルマを捨て、歩きましょう。時間に拘束されてはいけません。歩けば、今まで気づかなかったものが見えてきます。
・他人と比較するのを止めましょう。あなたは唯一無二の存在です。自分の価値の向上こそ、務めるべきことです。
・虚栄心も捨てましょう。世間や他人からの評価ではなく、自分に誇りち自信をもって生きましょう。
・想像力を磨きましょう。発想次第ですべては異なって見えます。過去も未来も自由に変えることができます。

では、また。
Hasta,luego.

寺岡伸章(連絡幹事)

定年後生活は忙しい

 定年退職すれば、悠々自適になると思っていたが、毎日忙しい。自分の行動予定は自ら決められるのだが、その日程から解放される時間がないので、ゆったりできない。何もしない日を造らないといけないような気もしてきた。ボッーとするのが苦手である。ゆったりしようと、温泉に行こうとすると、それ自体の行動を詰めすぎるため、窮屈になってしまう。誠に哀れで、かつ幸せな心理状態だと言えよう。

 ルーティーンな生活はこうだ。毎日は早朝5時からの1時間の散歩で始まる。新幹線高架下の整備された遊歩道、中世の街・古麓の神社や遺跡横を通り、水無川か球磨川の土手沿いに歩く。山の新緑がしだいに深い色になっていくのに気づいて嬉しい。カモのカップルに会えたり会えなかったりするのも楽しみだ。空気が美味しいのは何とも贅沢と言える。なお、万歩計は毎日2万歩を超えるようにしているため、歩きに時間を費やしてしまう。
 帰宅後は、NHKのスペイン語と英語の講座を聴くことにしている。特にスペイン語の方は次々と新しい単語が出て来るので、それを覚えていかないとついていけなくなってしまう。頭の柔軟性を取り戻すためにも役に立っているのかもしれない。
 それから朝食を摂り、小休止。
 午前中はブログ書き、読書、デッサンの時間だが、時間がまったく足りない。3つの行動をすべて消化するのは至難の業だ。ブログ書きは90分くらいかかるし、読書もすぐに2時間は経過してしまう。最近楽しくなってきたデッサンも2時間は集中できるようになってきた。今後どのようにしてうまくなっていくか試行錯誤するのも楽しい。
 昼食後はまた小休止。午後はスポーツの時間帯だ。フィットネスクラブに出かけて行き、1時間から90分汗を流す。帰ってきたら、至福のシエスタの時間帯。夕食後はテレビを観たりしながらのゆっくりした時間帯のはずだが、読書やデッサンが入り込む時もある。

 以上がツーティンなのだが、それに加えて、郵便局に行ったり、買い物に出かけたりする用事がある。講演会の拝聴や展覧会の鑑賞に行くこともある。加えて引越しに伴い、移動手段であるクルマの購入、固定電話新設の手続き、スマホの購入が発生し、さらには6月上旬からの40日間スペイン巡礼徒歩の旅への準備をしなければならない。持参するものを如何に軽量化するかは重要なポイントだ。何しろ毎日20~25キロ田舎道を歩くのだから、リュックの中身は100グラムでも軽い方がよい。飲料水を含めて7キロ以下に抑えたいのだができるのだろうか。旅行保険の加盟、旅程の確認などのロジは当然としても、スペインの歴史や文化についての知識を深めたり、長期間旅行の心の準備などコンテンツも重要なのだ。すでに10日前になったので、本格的に取り掛からなければならない。
 あ、そうだ。自宅の庭の梅の木から果実を採取し、梅酒と梅シロップを造らなければならない。焼酎や角砂糖も買いに行かなくてはいけない。その上、文芸雑誌の会に短編小説を1本提出しなくてはならなかった。困ったものだ。
 やることはいっぱいある。でも、楽しい毎日だ。新鮮で廉価で美味しい野菜も食することができる。満員電車と会議だらけの仕事と永遠にお別れだ。もう二度とあのような生活に戻りたくない。

(2017年5月23日、寺岡伸章)
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秘境・五家荘

 九州中央の山地の五家荘は平家落人の里と晩秋の紅葉で有名なのだが、まだ行ったことがなかった。平成合併で五家荘が八代市に組み入れられ、地元の一部になって以来いつかは訪問しないといけないという気持ちばかりが募っていた。今回の帰郷が大きなチャンスになった。

 八代市で5月12~14日開催された九州国際スリーデーマーチの初日の選択の一つは前泊し五家荘の新緑を楽しむウォーキングのため、妻と二人で出かけた。総勢22名の参加があったというが、昨年は熊本地震の影響で定員に達していなかった。北海道や福島などの遠来の客も含めてこれだけの参加者が集まったのは、熊本地震復興のために地元民を元気付けようというためである。ありがたいことである。

 五家荘は渓谷も深く、鬱蒼とした森林に覆われた自然が豊かなところだった。新緑が眩しい。山桜も最後の力を振り絞って咲き誇っていた。標高1000メートルに満たないが、市内とは別世界である。道路は舗装こそしてあるが狭く、対向車とのすれ違いは離合地点まで引き返さないといけない。街を悩ましている黄砂やオキシダントは無縁な世界だ。空気が澄んでいて、爽やかである。思わず笑顔が弾ける。眉間に皺を寄せている人はいない。

 民宿のような旅館の夕食も良かった。マスの刺身、鹿肉のたたき、鹿肉の天ぷら、新鮮なタケノコ、地元の特産の豆腐、山の幸が所狭しと並ぶ。ビールや焼酎を飲みながら初対面でもすぐに古い友人のように打ち解ける。食べきれないくらい料理が次々とやってくる。他愛のない話題も何だか深遠な意味を含んでいるかのように心に響く。受ける側も深い山奥で健康的な鋭敏な感覚になっているからだろう。会話はお風呂の制限時間まで続くが、また会いたいと思わせる人ばかりだ。良い人が集まっているのではなく、秘境の里が人を良くするのだろう。心も浄化してくれているような心地よさを感じる。

 強く印象に残ったのは70歳代の元気の良さだった。歩いていてもバスの中でも会話と笑いが途切れることがない。体だけでなく、心もすこぶる健康な人たちだ。団塊の世代は幸せだったという思いが湧いてくる。自信に満ち、結束が固い。なんでも制御できると思っているし、実際にやり遂げてしまう。

 ウォーキングの終盤、雨が降ってきたが、それでもゴール地点で鑑賞した「せんだんの轟」(滝の意味)は日本滝100選に選ばれているように、見ごたえがあった。高低差は70メートル前後という話だった。

 五家荘には紅葉の季節に再訪したい。カラフルな絨毯のような山奥はふたたび心を癒してくれるに違いない。

(2017年5月13日、寺岡伸章)
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生活が第一

 定年を迎え仕事を辞めると、暇になると思っていたが、そうではないことが分かってきた。毎日の生活を送るうえで、結構忙しいのだ。
 昨日は電車に乗って、熊本市のデパートまで買い物に行った。ゴルフウェアのパンツ、半そでシャツ、アンダーウェアを買ったのだが、最終的な選択に行き着くまでどれが似合うかと妻と話し合いが続く。どれもこれも欲しいのだが、それなりの色とデザインのものに落ち着いた。
 今まで試着は面倒と思っていたが、やってみると面白い。ショッピングも楽しめるようになれそうだ。生活を充実させるための重要な要素であるにちがいない。仕事で何かを生み出すこととは異なる世界がそこにはある。仕事が価値があり、ショッピングは単なる消費にすぎないとは思えなくなってきた。それにしても、購入した3点の商品の価格はゴルフ会員権よりも高価であるのは複雑な気分だった。ゴルフは大衆のスポーツになったけれど、ファッション業界は新しいデザインと素材を創造し続けているということなのだろうか。

 わたしの買い物が終わると、妻の服を買うべく、婦人服売り場に向かった。妻のショッピングはまずフロワァー全体を一周して見渡し、その後気になったお店に入って自分のお気に入りのものを探し出そうというやり方だ。わたしも後ろから付いて歩き回ったのだが、婦人服は紳士服と違ってデザインも色彩もじつに豊富である。このような素敵な服を着た女性が街に溢れていたら、どんなに世の中は楽しいことだろうかと思った。一つ一つを念入りに見ると、デザイナーの工夫が偲ばれる。美的感覚に優れていないと気を引くものが作れない。わたしは最近絵画を描くようになったためか、構図や色彩に目が行くようになった。偏見があるかもしれないが、自分や他人の着る服に関心がないようでは、絵画は上達しないのではないかとさえ思う。
 美術クラブでも、美しい絵を描ける女性は美しい人が多いように感じる。美の追求が人生のワイフワークになっているのだろう。自分も化粧をして合致した服をまとい美しい女性でありたいし、自分の内面の感情もキャンバスに美しく描き出したいという一心なのだ。美こそ人生。なんと素晴らしいことなのだろうか。

 ショッピングを終えて、電車に乗って八代に帰ってきると、雨が降っていたが、フィットネスクラブに出かけることにした。最近は身体を柔らかくするストレッチと筋力増強の筋トレが面白い。まだ、クラブに通うようになって1か月足らずだが、少しだけ硬い身体が曲がるようになったと感じる。筋トレも負荷重量が増えて行くのは面白い。7つの筋トレマシーンで10回づつ、3セットやっている。楽と感じるマシーンは2.5キロづつ荷重を増やしていっている。限界はどこまで先にあるのだろうかと楽しみにしている。身体全体が逞しい筋肉で武装されていくような心地よい気分になる。でも、電車に乗ると席を譲ってもらうとき、複雑な気持ちになる。わたしは年寄りなのだろうか、それとも100キロを歩く超人なのだろうかと。

 ひと汗流して、帰宅すると、知り合いが新車の見積もりを持ってやってきた。わたしは運転しないが、運転手役の妻の気に入った車が決まった。トヨタのハイブリッド車のアクアにした。何回も販売店に足を運び試乗した後に、購買すべき車種が決まったのである。これで生活基盤がまた一つできたと言える。行動の範囲と機会がグンと増えることになるだろう。

 生活が第一である、と謳った政党があったが、まさにその通りである。仕事は生活に必要なお金を稼ぐ場でしかない。なるだけ多くのお金を楽して稼ぎたいのが人情であるが、どうせ拘束されるのであれば、自分の好みと能力に合ったものがいいに決まっている。でも、それが分からないのが課題である。多くの友達が定年退職のときに自分はこの仕事に合っていなかったので、ずいぶん苦労したとこぼしている。本当にそうなのかどうかは検証してみないと分からないが、人生は苦労はよく覚えているということなのかもしれない。
 他人と比較してはいけない。自分の人生は自分で切り開くしかないのだ。苦労も楽しみに変えていく柔軟な発想があるかどうかが多くのことを決するような気がする。
 今日一日はとても長かったが、でも充実していた。夢を抱いて前に進もう。

(2017年5月10日、寺岡伸章)
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所得ゼロの生活

 所得がなくなると、生活スタイルも変わってくる。親戚のおばさんは失業手当を申請すべきだと主張するが、失業手当は就職先を探している人が申請するものであり、もう働く気がない失業者が求めるものではない。実際には、手当欲しさに申請する者がいるが、そこまで卑屈にはなれない。プライドは守るべきと思う。お金よりも誇りが重要な場面もある。

 生活費は退職金や貯蓄から賄わなければならない。それも、年金支給が開始されるまで5年間(実際には誕生日までの4年半)を乗り切らなければならない。自分としては所得よりも健康な身体と芸術活動を選んだのだから文句は言えない。健康な身体はウォーキングとフィットネスクラブで獲得しようと思っているし、残された時間は芸術的な活動や観賞に使いたい。わたしの言う芸術活動には絵画だけでなく、小説書き、ブログ発信、読書、徒歩旅行、環境保護が含まれるし、神が身近にいた中世的なスローライフも含まれる。昼寝だってそのなかにカウントしてもよい。人間らしい生活ならば、何でも含まれると考えてよろしい。

 所得がないと生活態度は防衛的になる。極力無駄遣いはしなくなる。ビールだって、安ければ自転車を漕いで遠くのスーパーまで出かけるし、海外の食品生産物を避けて、国内産、できれば地元の産物に手が届く。地元で頑張っている生産者をつい応援したくなるのだ。もちろん食べ物を残すのはご法度であるし、毎朝、格安のモノはないかと、新聞のスーパーの広告に目を通すようになる。近所の農家や親せきからお裾分けが届くこともあるが、大歓迎である。それらへの返礼も必要になってくるが、貨幣経済だけが現代生活を支えるわけではあるまい。物々交換は心の交流という別のメリットもあるのだ。

 このような生活態度はけっして貧乏臭くなく、けっこう面白い。旬の滋養なものや廉価なものを工夫して選択できる楽しみもある。交通費も新幹線や特急を使わずに遠出できないかとネットで調べるようになる。鈍行列車や高速バスに乗れば、少々多くの時間を使うが、格安で目的地まで行くことができる。仕事上の付き合いがなくなったので、飲み会も少なくなった。出費が減るのはありがたいものだ。蛇口を捻ればお金が出て来た今までの生活とはずいぶん異なるが、所得ゼロでも精神的な窮屈さはない。やはり、気持ちの有り様が大きいと思う。お金はなければないなりに、どうにかなっていくものだ。所得の額に比例して生活が楽になり、幸せになるわけではないと身をもって知ることができる。
 貪欲になって嘘をついても失業手当を受けとろうとする精神ならば、どれほどお金という名の水を飲もうとも渇きを癒すことはできまい。消費生活はどのようにでも変化させることができるという、自信とゆとりが結果として豊かさをもたらすのではないのか。
 そのように感じた1か月だった。きづきや発見は面白いものだ。
(2017年5月1日、寺岡伸章)
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毎日が日曜日

 定年退職すると、時間は自由に使えるようになる。職場に拘束されることはなくなるため、毎日が日曜日である。
 人との会話の中で曜日を二度間違えてしまった。退職前は、月曜日から金曜日までを一つの塊と考え、週末の土日を解放された自由な時間帯として使っていたため、一定のリズムがあった。平日でも月曜日と木金曜日では気分も微妙に違っていた。それが一週間が平板になると、どうやってリズムを取るべきか少々戸惑ってしまう。
 そうかと言って、毎日時間を持て余しているわけではない。ウォーキング鍛錬、ブログ書き、フィットネスクラブ、ゴルフ、美術クラブ、買い物、昼寝等等やるべきと決めたことが毎日結構あって、せかせか気分になる。人生は限られているため、時間を無駄にしたくないという気分が強く、このようなことにしてしまっているのだろう。

「毎日が日曜日の生活」に慣れてしまってきたため、これが平日のように感じられてしまい、心身ともに休める日がないものかなと思ってしまう。特別の休日が欲しいものだ。まったく奇妙な現象である。でも、疲れているわけではないので、悪くはない。

 毎日5時前に起き、妻とともに1時間ほど速足で散歩する。妻が付き合うのは、1か月後に迫ったスペイン巡礼800キロ徒歩の旅を無事乗り切るための歩行力を身に付けるためである。早朝に新幹線架橋下のツツジの花の咲く歩道や自然の川べりを歩くのは気分爽快である。カモのカップルもいつも逃げることなく楽しげにエサを探している。新緑の緑は新鮮で、自然は豊かである。自宅に帰るころ、東の山波からお天道様が顔を出す。両手を合わせ、頭を垂れる。今日一日無事でありますようにと祈る。
 帰宅すると、NHKの外国語の番組を視聴することなる。スペイン語と英語は今夏のスペイン巡礼でコミュニケーション手段として使うので勉強しなければならない。新しい表現がなかなか覚えられないのが悔しいが繰り返し聴かなければならない。フランス語は来年フランスの田舎を歩くのに備えて耳を慣らすために聴くことにしている。ドイツ語は大学生時代の第二外国語として懐かしく聴いている、いくつかの単語や表現が記憶の底から蘇ってくるのは楽しい。イタリア語と韓国語はいつか役に立つことがあるかもしれないと思い、耳を傾けている。言葉は文化の基層をなすと言われるが、まさしくそうなのだ。その人の成り立ちが言葉に現れるように、言葉は文化を表現しているように思う。言葉の理解なくして、交流や相互理解は不可能だと思えてくる。そんな高尚なことを考えながらも、番組の進行速度は速く、毎日語学を学習するのは少々骨が折れる。

 その後は、読書やブログ書きで午前中を過ごす。昼食後はシエスタの時間帯だ。早起きであるため、このころになると身体が休みたいと声を上げる。昼寝は怠け者の習慣のように考えていた過去の自分が変に思えてくる。昼寝をすると身体の底から生命が蘇ってくるのが感じられる。大げさに言えば、至福の瞬間と言ってもいい。アングロサクソンはラテン系民族はシエスタするから発展しないのだと批判しているが、半分事実と認めても、だからこそ幸せな人々が多いのではないかとアングロサクソンを批判したくなる。シエスタの習慣を今から身に付けておくのはスペイン巡礼の徒歩に早く慣れるためにも悪くはないと言い訳したくなる。

 昼寝が終わると、フィットネスクラブに行って汗を流す。ストレッチで身体の柔軟性を上げることと、筋トレで姿勢を正し身体を屈強にすることを目指している。スイムやってフィットネスクラブを出るころにはすっきりした気分になる。
 フィットネスクラブに行かないときはゴルフのラウンドか練習に出かける。まだスコアは以前ほど良くはないが、ペースがつかめれば徐々に回復してくるだろうと期待している。

 夕食後はテレビを観たり、音楽を聴いたりして、リラックスした時間を過ごす。ニュースは余り熱心に観なくなった。世間がどのように変わろうが自分には大きな影響はないと思えるからだ。ニュースはそもそもメディアがビジネスのために人々を煽っているだけだと思うと、その手に乗るものかと思う。自分の時間を彼らのために使わせたくない。

 こうやって平和で平穏な時間が過ぎていく。仕事に熱中していたころの時代はしだいに遠のきつつある。もうしばらくすると、あれは夢か幻だったのではないかと思うようになるだろう。きっとそう思うに違いない。夢から覚めたのだと。

(2017年5月1日、寺岡伸章)
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