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政治・経済

コーチング

 野球やサッカーの選手が上手くなるために、引退したベテランが技術を伝達するのをコーチングと呼ぶが、これはスポーツに限ったことではない。役に立たないコーチングもある。それは友人によるゴルフのコーチングかもしれない。言われるままにやろうものなら、スイングがバラバラにされて、ポイと捨てられるのが落ちだ。彼らにはこれぽっちも加害者意識がないのはさらに悪いのだが。

 仕事においては、効率的・効果的にに行うには、はやりコツみたいなものが存在する。業務を素早く終えて、早く帰りたいし、高いパフォーマンスを上げて出世したいと思うのは人情だろう。でも、その業務の背景や必要性や意義をきちんと理解していないと、どのように、どこまで課題を解決していいか分からない。ポイントを抑えていないと、無駄な作業をしたり、間違った判断をしてしまう恐れがある。だから、仕事のやり方に精通しているエキスパートに教えてもらえると、本当に有り難い。このようなノウハウにはお金を支払っても高くはなかろう。将来の自分への投資である。このような仕事上のコーチングは日本ではあまり普及していない。先輩や上司から指示されながら、仕事を覚えていくという風土が日本の会社にあるためと思われるが、先輩達がつねに正しいとは限らない。もっと合理的、科学的アプローチがある可能性は低くない。米国ではエグゼクティブ候補者を対象にしたコーチングが普及していると聞いたことがある。

 健康長寿は高齢者だけでなく若い人の高い関心事と言われるようになった。日本人の平均寿命は83歳と世界一を誇っているが、海外の大学の調査によると、2030年には韓国が世界一になり、日本は今よりは伸びるものの世界11位まで落ちるとの予想が最近発表された。理由はよく分からないが、日本人の平均寿命の伸びは勢いが鈍ってきているらしい。海外に比べて規制が緩い農薬や食品添加物の大量使用がじわりと効いてきているのかもしれない。ミツバチの減少で受粉が少なくなっているのは特定の農薬のためだとされるが、政府の腰は重い。

 話はコーチングに戻るが、健康増進コーチングがあってもいいと思うのはわたしだけではなかろう。体質に合った栄養と食事の摂り方、運動の量と質のメニューの提案、病気や医者との付き合い方、精神的生き甲斐探し、死ぬまでの人生設計、資産の運用はどれも健康に大きく影響している。これらを総合的に判断するには相当な知識と経験が必要であるが、不可能というものでもない。一人でコーチングできないのであれば、2~3人のチームを作ってその人に対してコーチングすればよかろう。会社組織にすれば、儲かるのではなかろうか。需要は確実にあると思う。かつては、このようなことは親がアドバイスしてくれたものだが、核家族化し関係が希薄になったこともあるが、最新の科学的知見を踏まえたコーチングとなると、専門家に依存しなければならない。金持ちはいつも得をするように世の中は作られている。

 もし健康コーチングの費用支出を防ぎたいのであれば、質の良い友人を持ち、お互いに経験や知識を交換し合い、自分に合ったものを積極的に取り入れていくことだ。飲み食いの費用だけで、ただの情報が得られるのが嬉しい。ただし、コーチングは権威があるのでその指示に従うが、友人からの忠告に素直になれるかは個人しだいということになる。自分に甘い人には馬耳東風だろう。豚に真珠かな。

 コーチングは突き詰めていくと、人生の何に価値があるということを自分で決められず、指示を待つ人が出かねない。ストレスを溜め、自分が見いだせないノウハウ重視の人には救いの手かもしれない。自分に合わないことに挑戦し続けて、失敗し、傷つくよりも楽しい人生を送れそうだ。そこまで極端でなくても、数百パターンの生き方の一覧表から自分に合った職業や趣味をコーチに選択してもらうというやり方もあるだろう。
 遺伝子分析や知能指数や運動能力を踏まえて科学的に分析すれば、高い確率で「正解」に当たるはずだ。そのようなコーチングは急速に発展している人工知能がもっとも得意とするところかもしれない。

 他人のことは客観的に判断できても、自分のことは分かりにくい。年齢を重ね智恵がつき自分を正しく理解できるころにはすでに手遅れの場合が大半だ。
 たかがコーチング、されどコーチングなのかもしれない。

(2017年3月3日、寺岡伸章)
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GDP27位の国

 東芝は解体的危機に瀕している。米の原子力事業会社買収はまったく間違った判断であった。7千億円規模の欠損を記録し、その重みのため債務超過になった可能性が高い。倒産だ。経営者はいったい何をしていたのだろうか。原子力ルネッサンスという言葉に惑わされたのか、買収先の経理情報が隠蔽されていたのか。それにしても、それを見破れなかった経営者責任は負うべきである。
 かつて日本型経営は長期的視点で投資を行う、株主でなく従業員やクライアントや取引先を大切にするなど好意的に評価されてきたが、雲行きは怪しい。三菱自動車、シャープ、三洋など経営が破綻し、外資に買収されているのではないか。もの作り日本の敗北であるが、大方の日本人はそれを認めようとしていない。

 日本のGDP規模は世界3位だが、一人当たりのGDPは世界27位(2014年)まで転落した。4万ドルを切る直前にある。シンガポールにははるかに及ばず、香港にも抜かれている。28位はイタリア、29位はスペイン、30位は韓国が迫っている。もはや経済は一流とはとても言えない。少子高齢化と格差拡大の厚い雲が日本を暗くしているが、国民は政府に対してデモを起こすでもなく静かにしている。自宅に引きこもり、自然死を待っているのだろうか。

 国力が衰えているこんな状態で科学技術力が維持できるはずがない。もはや博士号を取得できる層は金持ちの師弟になっている。普通のサラリーマンは子どもを28歳まで養えるお金がないし、国の支援も貧弱である。お隣の中国ではまだ貧乏な子どもでも優秀であれば、学者になる夢が叶えられるのだ。教育は国家百年の計と言うが、為政者の眼力が異なるようだ。

 マスメディアにも危機感がない。日本人は凄いぞという番組を垂れ流したり、魅力的な国ニッポンに外国人が押し寄せているニュースばかりだ。国民全体が国力の低下から目をそらしているのはわたしの偏見なのだろうか。負の側面を見せない国家レベルの情報統制が行われているのではないかと疑ってしまう。大陸の国を嗤う資格はないのだ。

 今年はスペイン巡礼で40日間以上を過ごす予定だ。物価は安いと聞いていたが、数年後には円がもっと安くなり、スペイン貧乏旅行はできなくなるかもしれない。
 16年前にバンコクに駐在していときには、老後はチェンマイに別荘を購入し、毎日ゴルフをやりたいと夢を描いていたが、今では日本の田舎の方が安い。4000円以内で1ラウンドできるコースも多々あるが、団塊の世代がゴルフを引退する数年後にはもっと価格は下がるだろう。タイ移住の夢はあっけなく消えた。ゴルフ場は大方外資に買収されているが、日本の田舎が一番だ。

 人口が減少し、平均年齢が上がる状況下で、国力を上昇させる妙案はない。政策ではどうにもなりそうもない。
 GDPは低くても、豊かな社会を目指すしかない。お金のかからない心が豊かに感じる活動を増やしていこう。発想を変えて、貨幣を使わないようにしよう。家庭の外へのアウトソーシングをやめるのだ 。
 お祭りに参加しよう、地方の歴史を勉強しよう、天気の良い日にはハイキングに行こう、絵を描いたり音楽を演奏したりしよう、仲間が集まって野外で料理をして笑顔で飲食しよう、早朝に散歩しラジオ体操をやろう、貧しい家庭の子どもには勉強を教えてあげよう、家庭菜園で余ったものは近所にお裾分けしよう、環境保護活動に参加しよう、無料の講演会に行って勉強しよう、防犯や防災も自分たちでやろう、毎朝笑顔で挨拶しよう。
 そうやればお金はなくても、楽しい人生を送れるはずだ。

 今までの価値観とやり方を捨てなければ、未来はやって来ない。

(2017年2月15日、寺岡伸章)
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破壊願望

 サイコパスという言葉は、映画『サイコ』、『羊たちの沈黙』、『悪の教典』などの影響で冷酷な殺人者という悪いイメージが強い。でも、サイコパスというのはそもそも心理的傾向を示す心理学上の専門用語であり、悪くも良くもないニュートラルな意味しかない。
 でも、人口の1%はサイコパスと言われているから、本人もそれを知らずに生きている可能性は高い。サイコパスの特性には、冷酷、無慈悲、恐怖心を持てない、後悔しない、自己中心、集中力が強い、合理主義、結果至上主義、利得主義が挙げられる。冷酷さや思いやりのなさは通常に人々から見ると、コミュニケーションの基本を欠くとして恐れられるのだが、彼らは普通の人々がパニックに陥るような場面でも、冷静で合理的な判断をすることができるので、必ずしも悪い面ばかりではない。凡庸な人々は人間関係に脳の大部分を使うため、それだけで疲れてしまうが、サイコパスは自己中心で打算的なため、生産的なことに頭脳を使う。合理的な判断や損得勘定が特異な人が多く、IQも高い者が多いと言われている。そのような彼らは、時によって、カリスマ性が高く、プレゼン力があり、コミュニケーション力や戦略性を発揮する。そのため、企業経営者、政治家、外科医、弁護士などはサイコパスが多い職業と言われる。歴史上の人物では、織田信長、ヒットラー、毛沢東、スティーブ・ジョブズがその典型例と分析する専門家もいる。強烈なリーダーが備えるべき能力と考えられるのだ。

 知的障害者や発達障害者で特異な才能を発揮するサヴァン症候群と呼ばれる人々がいる。ダスティン・ホフマン演じる、映画『レインマン』のレイモンド役でこの症候群が有名になった。彼らは計算や音楽や絵画で抜群の才能を発揮する可能性がある。
 特定の分野に強いこだわりを持つアスペルガー症候群には数学者が多いと言われている。難解で抽象的な世界を理解し、思考を続けられるのだから、常人では窺い知れない。でも、このような人々は学問や文化の発展に必要不可欠な存在である。

 サイコパスやサヴァン症候群がなぜ人間社会に存在しているのだろうか。それは進化の過程で解明されなければならない。生物は生存のために種の多様性が不可欠だと言われる。急激な環境変化の際に、能力を発揮できる個体が必要になる。民族の危機が迫ったとき、全員うろたえていては存続は不可能だ。サイコパスは人の感情にも無関心であるが、危機に際しても冷徹であり、合理的な判断ができる。このような事態に陥ったときに彼らが活躍する機会が訪れると考えれば、細々と存続してきた理由が分かる。

 優れた企業経営者や政治家も同じだろう。危機的な状況下で、一部の仲間を平気で切り捨てられる冷酷さがなければ、全員が滅んでしまう。平和なときには、異端視されがちなサイコパスは社会変革の際に希求されて、登場してくる。旧社会を打破し、新しい時代を切り拓くためには常人には狂気にみえる指導者が必要なのだろう。生物進化の厳しい掟である。

 さて、トランプ大統領はなぜ選挙に勝ち、登場してきたのだろうか。彼を担いだのは閉塞感に打ちひしがれている貧しい人々である。努力すれば報われるという理想はウソだったと信じている白人たちだ。従来正しいとされてきた米社会の理想は行き詰まり、改革の時を迎えているのかもしれない。トランプ大統領はサイコパスである。
「米国第一」はとりもなおさず、自己中心主義である。過去にやったことを後悔するこもなく、根拠のない自信に溢れている。思慮が深いとも思えないが、人々を熱狂させられる素質は十分だ。旧体制を支える学者やマスメディアがトランプ大統領を敵視しているのは、ドヴォルザークではないが、新しい新世界に踏み出す新大統領を恐れているからだろう。

 彼は民族対立という米国のタブーに触れてしまった。パンドラの箱を次々と開けようとしている。狂気の沙汰ではないと思われがちだ。これを民主主義の危機と呼ぶのは自由だが、民主主義はこのような人物を定期的に選んできたのも、歴史の曲がり角に来ているからだろう。時代はサイコパスの遺伝子を必要としているのかもしれない。創造は破壊や混乱とともにやってくる。技術イノベーションもサイコパスによって加速化されるだろう。

 トランプ氏の台頭を怖いもの見たさに、期待している自分がここにいることに気がつかされる。普通の人々はこのままでは大事な秩序が壊れてしまうと懸念しながらも、毎日トランプ氏が巻き起こす次のニュースを楽しみに待っている。サイコパスは人の心の底に渦巻く破壊欲望を刺激するのがじつに巧みである。

 彼が連れて行ってくれる場所はどこなのだろうか。天国とは思えない。地獄になる可能性は高い。それは心理的に我々が選んだものかもしれない。人間とはかくも不可思議で、恐ろしい動物なのだろうか。

(2017年2月13日、寺岡伸章)
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太った豚

 大隅東工大栄誉教授はオートファジーの研究成果でノーベル医学生理学賞を受賞した。大隅先生は東大で博士号取得後、教養学部で勤務していたが授業や実習の負担が大きく、研究に専念するために岡崎市の基礎生物学研究所に移籍したのだった。東大という称号にこだわらなかったのだろう。先にノーベル賞を受賞していた大村先生も東大に行っていたら、ノーベル賞受賞に到らなかったと言明している。理系の最高峰の頭脳が集まると言われる東大医学部はまだノーベル賞学者を輩出していない。それどころか、研究不正が疑われる論文が指摘され、現在調査中である。東大医学部の政治力をもってすれば、研究不正は限りなく白だったという調査結果が纏まると予想される。政治力の強さは科学力と反比例するのかもしれない。ノーベル賞受賞を夢見る少年は東大医学部を避けた方がいいかもしれない。いずれにしても、大学入学時の学力と創造力は関係がない。

 大隅教授は若い頃から中途半端な論文を書かないことで有名だった。論文数や被引用数が研究者の評価の基準となって久しいが、そのような俗的な関心がなかったのだ。ただ、オートファジーという生物機能の神秘を解き明かすことに全力を注いでいたのだった。当初酵母のオートファジーを追っていたが、それは酵母以外の生物でも起こっている普遍的な現象というのが分かり、今ではオートファジーがパーキンソン病の原因とまで言われるようになった。これらの成果の基礎は大隅先生を慕って結集した研究者達によって達成されたものだった。水島東大教授と吉森阪大教授は当時の大隅先生の愛弟子だった。

 大隅先生はオートファジー現象を何時間も観察していても疲れなかったと言うほど、研究の虫だった。大村先生も研究が大好きなばかりでなく、多くの学者を育てた伯楽でもあった。このような偉大な研究者達は心から尊敬できるし、本当に頭が下がる。おそらく学者の中でも稀有な存在なのだろう。

 それに比べて、そのような学者や大学を指導しなかればならない立場の文科省の役人は自己利益の追求と保身に溺れ、組織的な天下り斡旋に勤しんでいたとは情けない。人間の価値に、雲泥の差があるとはこのことだろう。指示すればほとんど何でも思い通りにやれる万能感に浸っていると、まわりがバカに見えてくるのだろうか。人間の本当の価値が分からなくなるとは権力とは恐ろしいものである。
 偉大な事業を行うには全身全霊で身を削る努力が必要なのだ。楽をしたり、権力を使って、成功に到る道はないし、それがあるとすれば、それは堕落・腐敗した道なのだ。自食作用でなく、自浄作用が欲しい。
 改めて、大隅先生と大村先生に敬意を表したい。

(2017年2月10日、寺岡伸章)
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価値を語れ

 学生時代の楽しかった思い出の一つは、八王子の大学共同セミナーに他大学の学生と泊まり込んで、夜遅くまで話し込んだことだ。テーマ毎に都内の学生が集い、指導教官の下で各自発表し合ったり、議論したりしたものである。地球環境問題やハイテクの未来などがテーマだったとかすかに覚えている。お酒を飲みながらの夜を徹しての議論はじつに楽しいものだった。このような経験は若者の特権であり、青春の貴重な思い出である。自分の専門に閉じこもることもなく、異なる学問分野の学生の友人を得たのは大きい財産だった。ここで知り合った人の中には、直木賞を受賞し大作家となった篠田節子氏、アルツハイマー研究の第一人者の一人になった理化学研究所脳科学研究センターの西道氏、NHKの東日本大震災の復興をフォローしているディレクターになったA氏などがいる。就職してからも、時々会ってはお互いに「啓発」したのをよく覚えている。

 「啓発」という言葉で思い出したのは、先の中国出張の際に中国科学院の幹部がわたしとの懇談の最後に、「啓発」という単語を使っていたのだった。建前にこだわらず国益を離れて本音で意見交換した態度が「啓発」という言葉に結実したのではないかと思う。両国の国益に関係なく、中国から優れた科学者が誕生することを心から願っている。科学は国境を超えた普遍的な文化である。会談後、心地よさを感じたのはわたしだけではなかったはずだ。

 創造的な仕事に携わる者にとって、啓発し合ったり、刺激を受けることは非常に大切である。自分が迷い込んでいる思考の壁をぶち壊してくれる可能性が高い。相手の異分野の視点で考えて、セレンディピティ(偶然の発見)に遭遇することもある。しかし、日本人は若者の間でさえ、師弟関係、先輩後輩関係、研究分野、所属組織の壁は厚く、お互いの真の交流を阻んでいる。参加の年齢の差が大きい会合でも、発言するのは高齢者ばかりであり、多くの場合、古い情報に基づいた既成概念からのコメントである場合がほとんどだ。本人は発言できて満足の様子だが、議論を活性化したり、若い参加者を啓発したりする場面は少ない。

 やはり、議論の雰囲気や場作りが大切だと思う。技術の進歩でプレゼンの手法も変わりつつある。従来発表が終わるのを待って質疑が行われるのだが、発表しつつも聴衆と双方向に議論を促進することができるようになった。発表者はプロジェクターを用いて発表するのだが、聴衆はプレゼンを聴きながらスライドにチャットを書き込める技術が開発された。テキストチャットの呼ばれるが、ニコニコ動画のチャットをイメージしてもらえば分かりやすい。発表者は横目でチャットを読みつつ、それに対しても口頭でコメントを追加すると一層高密度の意見交換ができるというわけだ。これであれば、学生や若い人でも気兼ねなく手元のPC経由でチャットできる。もう年配者に臆する必要はないのだ。この試みは大成功だった。おそらく、これが近未来のプレゼンの基本となる予感がする。

 これは科学者のセミナーだけでなく、国家の首脳の記者会見でも一般化されてくるに違いない。現在の記者会見は、発表原稿を読んだ後で、事前に記者から登録された質問に答える予定調和のスタイルであるが、それが崩れる可能性が高い。リーダーにとっては、不用意な発言で失脚するリスクになるが、より生々しいやりとりの展開は問題の本質に迫るきっかけになるだろう。政治家もハイテクを積極的に利用してもらいたい。

 本来議論は楽しいものであるべきだ。人工知能の発達で言語を超えた議論が行える環境が整えられつつある。グーグルは完成に近い日英翻訳技術を開発したとも伝えられる。そうなってくると自分は何を知っているかではなく、どんな価値を見出し、それを他者に広められるかどうかが鍵となる。価値観の発見が大切だ。

 世界は混迷を深めているように見えるが、それぞれの議論を一つ一つ吟味すると、人間にとってより重要な価値とはどれかを議論しているようにも感じる。テクノロジーの発展によりお互いの議論が深められ、新しい普遍的な価値へと収斂していくことを願う。お互いに信じている信仰を尊重する価値観の枠組み作りが必要なのだ。

 議論をさらに楽しもう。

(2017年2月9日、寺岡伸章)
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ノブレス・オブリージュ

 大学に入学した頃や役所に入省した時、ノブレス・オブリージュというフランス語をよく聞かされたものだった。「高貴さは義務を強制する」という意味だ。これは貴族やエリートの特権はそれを持たない人々への義務によって釣り合いが保たれるべきという発想である。第一次世界大戦において、英国の貴族の子弟の多くは進んで戦争に赴き、祖国のために命を落としている。貴族は平和時には特権を享受しても、いざという時には祖国にために命を懸けるくらいの覚悟がないと人々の尊敬を得ることはできない。現代のエリートにおいても、それは当てはまる。

 明治維新は祖国を憂う下級武士によって成し遂げられたという美談が色濃く残っている。そのような発想は勝ち残った勢力が歴史をそのように解釈しているのに過ぎない。勝てば官軍である。江戸幕府は敗れたがゆえに、世界情勢を知らない愚鈍な人々だったと後世に信じ込まされてしまった。
 薩摩や長州の下級武士出身者が権力の座に着くや、生まれは貧しいが優秀な人材が新政府の役人に任命され、権力を握ることとなった。その後、帝国大学が設立され、公務員試験が制度化されると、政府の官僚になることは出世街道の一つとして認知されるようになる。公務員試験は高文、上級試験、Ⅰ種試験と呼ばれたりしてきた。試験に合格すると、キャリアとして高速の出世エスカレータに乗ることができる。

 欧州と日本ではエリートの源の考え方がこのように異なる。欧州ではエリートは責任を伴う貴族から生まれたが、日本では優秀な庶民の立身出世の手段として機能したのだった。早い話が、日本の有名大学出身で国家公務員になった人々はノーブレス・オブリージュという価値観を持ち合わせていない。懸命に勉強し、毎晩遅くまで国家のために仕事をしたのだから、権力や名誉でも、処遇でも報われて当然だと言う感覚である。

 天下り批判が起こり、それを禁止するルールが決められたとしても、それを如何に形骸化し、天下りの甘い汁を吸うことしか考えていない輩だ。自己保身しか考えない貧者である。けっして貴族の心を持っていない。

 エリートは大学で十分な教育を受け、博士号を取得しているのが世界の常識である。博士号取得者は物事を冷静・客観的に分析し、今後何をなすべきかを論理的に導き出すことのできる知性ある人物であり、そのような優秀な人間が政府の要職や会社の経営者や学者として活躍できる資格があるとされている。
 しかし、日本だけが、政府の政策を担う人々は文科系の「低学歴」出身者である。これはグローバルな視点からいうと、極めて遺憾である。そのため、日本の行政はデータや事実に基づく分析に基づいて行われるのではなく、感覚的、流行的に判断される傾向が強い。雰囲気やご機嫌を伺う非科学的な要素が強い。ビッグデータの時代に大きく遅れている。

 今起こっている天下り醜聞の背景の暗闇は深い。誇りなきエリートが権力の魅力を知ったとき、魂は留まることなく腐敗し、堕落していく。貴族が一掃されてしまった日本に高貴な志を持つエリートの出現を期待するのは難しい。せめて、中途採用や政治任命にも枠を広げ、競争性を高めることで、優秀な人材の選定を行っていくべきではないのか。
 優秀な人材を得るための改革には、哲学と覚悟と時間がかかることを忘れてはいけない。

(2017年1月26日、寺岡伸章)
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