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政治・経済

生活が第一

 定年を迎え仕事を辞めると、暇になると思っていたが、そうではないことが分かってきた。毎日の生活を送るうえで、結構忙しいのだ。
 昨日は電車に乗って、熊本市のデパートまで買い物に行った。ゴルフウェアのパンツ、半そでシャツ、アンダーウェアを買ったのだが、最終的な選択に行き着くまでどれが似合うかと妻と話し合いが続く。どれもこれも欲しいのだが、それなりの色とデザインのものに落ち着いた。
 今まで試着は面倒と思っていたが、やってみると面白い。ショッピングも楽しめるようになれそうだ。生活を充実させるための重要な要素であるにちがいない。仕事で何かを生み出すこととは異なる世界がそこにはある。仕事が価値があり、ショッピングは単なる消費にすぎないとは思えなくなってきた。それにしても、購入した3点の商品の価格はゴルフ会員権よりも高価であるのは複雑な気分だった。ゴルフは大衆のスポーツになったけれど、ファッション業界は新しいデザインと素材を創造し続けているということなのだろうか。

 わたしの買い物が終わると、妻の服を買うべく、婦人服売り場に向かった。妻のショッピングはまずフロワァー全体を一周して見渡し、その後気になったお店に入って自分のお気に入りのものを探し出そうというやり方だ。わたしも後ろから付いて歩き回ったのだが、婦人服は紳士服と違ってデザインも色彩もじつに豊富である。このような素敵な服を着た女性が街に溢れていたら、どんなに世の中は楽しいことだろうかと思った。一つ一つを念入りに見ると、デザイナーの工夫が偲ばれる。美的感覚に優れていないと気を引くものが作れない。わたしは最近絵画を描くようになったためか、構図や色彩に目が行くようになった。偏見があるかもしれないが、自分や他人の着る服に関心がないようでは、絵画は上達しないのではないかとさえ思う。
 美術クラブでも、美しい絵を描ける女性は美しい人が多いように感じる。美の追求が人生のワイフワークになっているのだろう。自分も化粧をして合致した服をまとい美しい女性でありたいし、自分の内面の感情もキャンバスに美しく描き出したいという一心なのだ。美こそ人生。なんと素晴らしいことなのだろうか。

 ショッピングを終えて、電車に乗って八代に帰ってきると、雨が降っていたが、フィットネスクラブに出かけることにした。最近は身体を柔らかくするストレッチと筋力増強の筋トレが面白い。まだ、クラブに通うようになって1か月足らずだが、少しだけ硬い身体が曲がるようになったと感じる。筋トレも負荷重量が増えて行くのは面白い。7つの筋トレマシーンで10回づつ、3セットやっている。楽と感じるマシーンは2.5キロづつ荷重を増やしていっている。限界はどこまで先にあるのだろうかと楽しみにしている。身体全体が逞しい筋肉で武装されていくような心地よい気分になる。でも、電車に乗ると席を譲ってもらうとき、複雑な気持ちになる。わたしは年寄りなのだろうか、それとも100キロを歩く超人なのだろうかと。

 ひと汗流して、帰宅すると、知り合いが新車の見積もりを持ってやってきた。わたしは運転しないが、運転手役の妻の気に入った車が決まった。トヨタのハイブリッド車のアクアにした。何回も販売店に足を運び試乗した後に、購買すべき車種が決まったのである。これで生活基盤がまた一つできたと言える。行動の範囲と機会がグンと増えることになるだろう。

 生活が第一である、と謳った政党があったが、まさにその通りである。仕事は生活に必要なお金を稼ぐ場でしかない。なるだけ多くのお金を楽して稼ぎたいのが人情であるが、どうせ拘束されるのであれば、自分の好みと能力に合ったものがいいに決まっている。でも、それが分からないのが課題である。多くの友達が定年退職のときに自分はこの仕事に合っていなかったので、ずいぶん苦労したとこぼしている。本当にそうなのかどうかは検証してみないと分からないが、人生は苦労はよく覚えているということなのかもしれない。
 他人と比較してはいけない。自分の人生は自分で切り開くしかないのだ。苦労も楽しみに変えていく柔軟な発想があるかどうかが多くのことを決するような気がする。
 今日一日はとても長かったが、でも充実していた。夢を抱いて前に進もう。

(2017年5月10日、寺岡伸章)
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野性味

 日本の教育に欠けているものは野性味と思う。教室の中で教師の教えることを素直に学び、多く記憶できた生徒が優秀とされ、社会のリーダーとなっていく。教科書で扱われる知識は整理された過去のものばかりだ。きれいにまとめあげられた知識は人工的で退屈でさえある。これらを素直に学ぼうと言う生徒は忍耐力があるにちがいないが、独創的であるとは限らない。
 そもそも人間の営みは過去においても未来でも、うまく説明できないものが多い。知識として体系化されているのは、無理にある価値観で押し込められているものであり、生き生きしたものではない。自分の人生を切り開く価値観は思考実験や失敗を繰り返しながらも、自ら学んでいくしかない。それが役に立つ知識なのだ。人間関係を如何に解決していくかといった大切なことは、教室で教えられることはない。それは知識体系にまとめられないほど複雑怪奇であるからである。心が躍る重要なものほど知識になりにくい。死んでしまい役に立たない過去のものほど知識になり、教えることが容易である。

 教室を飛び出して、街に出よう。さらに郊外に行き、自然と触れ合おう。
 山奥に行けば、神々やご先祖様にも巡り合うことができる。教室の外はリアルな世界だ。そこは実践の場であり、活躍の戦場でもある。人は世間に出て、能力を発揮し、実績を積み重ねていく。各自いろいろな人々と出会いながら、人生を築いていく。人々の信頼を勝ち取るのは知識の豊富さや学齢ではなく、諸問題を解決していく上で役に立つ、生きている知見や経験を所有しているかどうかである。心に響く納得感がなければ、その人に付いていかない。それらの知見や経験は世間や自然から直接学んでいくしかない。その世間の中には尊敬できる先生や先輩や上司も含まれるため、人生の初期の段階でそのような人々に巡り合ったかどうかが大きく影響してくる。大切なものは個人レッスンを通じて教えられる。自然も頭で学ぶものではなく、体感するものである。
 平坦なトラックを速く走れることよりも、舗装されていない傾斜のある野山を着実に走れる方が大切だ。温水プールで速く泳ぐよりも、海や河川の激流の中を溺れずに泳ぐことで多くのことを学べる。自然は偉大な教師である。

 自然の中で鍛えなければ健全な危機感は身に付かない。自然は恵みを与えてくれるだけでなく、脅威を及ぼし生命を危険に陥れる。世間も同じだ。常にリスクと背中合わせである。計算や思惑通りに事が進む可能性はほとんどない。
 人間が文明化される前から生得している「野性味」を活性化することがリスクを回避させる。知識の底に横たわる真実の海の存在を感知し、それを理解することが重要である。その野性味を身に付けないことには困難を乗り越えられない。きつくなると、安易な道を選んでしまわないようにしなければならない。プレッシャー下でも、頭をフルに働かせ、アイデアを生み出していく強靭な精神力が欲しい。
 帳簿を操作し、見せかけの利益を生み出そうとする幹部は会社に要らない。消え失せろ。外部に発散されるエネルギーだけがぎらついているが、もっともらしい政策を振りかざすも知的戦略性に乏しい政治家は議会から去れ。君たちはリーダーになる資格はない。

 ニッポンはどこで人材を育てる道を誤ってしまったのだろうか。野生的思考が大切だ。ヨットから蹴落とされても、這い上がってくる逞しい者が求められている。知識や学歴が豊富でも、ひ弱で体力のない指導者は必要がない。
 野性味こそ求められている。

(2017年5月8日、寺岡伸章)
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悠々自適

 いよいろ定年退職後の自由な生活を満喫できるときがやってきた。今まで組織の枠組みの中に閉じ込められたり、勘違い上司や訳の分からない部下に悩まされながら(相手も同じことを考えていたと思うのでお互い様だが)仕事をやってきたのだが、これからは自分の時間を好きなように使うことができる。何をなってもいいし、何もやらなくてもいい。褒められることも、叱られることもない。主人公は自分であるし、評価者も自分なのだ。世界は自分を中心に廻っているのだ。解放感を満喫したい。

 最初の月曜日がやってきた。早朝6時前に起き、NHKのテレビとラジオの語学学習からスタートだ。英語と中国語にブラッシュアップをかけ、さらにスペイン語、フランス語などに挑戦し、その成果を現地で確認したい。時間はあるので、格安の海外貧乏旅行を楽しむためにも外国語は必須である。夢は地球を駆け巡る。

 語学番組が終わると、荒川沿いの徒歩だ。いつもの約14キロコースをできるだけ速いスピードで歩くのだ。平日のため、散歩していたり、ジョギングしている人はやはり少ない。本格的な春で気温も上昇し、汗が出る。競歩の講習会に参加した成果のためか、2時間を切るスピードで帰宅した。平均時速7キロ超に大満足。途中のトップスピードは時速8キロを超えていた。フォームが安定してくればもっと速く歩けるようになるだろう。どこまでいけるか楽しみである。

 帰宅後、国民保険加入と転出手続きのために妻と区役所に出かけた。4月最初の月曜日とあって大変混雑している。年寄りがやたら多い。仕事を辞めたのだから、今後どこに行っても年配者ばかり見かけるようになるだろう。2月に参加した熊本城マラソン大会では周りの選手は若い人ばかりで、違和感を覚えたのを思い出す。42キロも走るというのに、若者はみんな笑ってはしゃいでいた。それが若さというものだろう。でも、区役所では笑い声はどこからも聞こえない。
 結局、手続きが完了するまで2時間もかかった。時間はいくらでもあるからと言っても2時間はかかりすぎる。ITの時代にどうにかならないものかと思うのだが、現状を変えたがらない役所だから変化は期待できないかもしれない。政府や地方自治体の業務が効率化する国が繁栄を勝ち取ることになるだろう。新興国は一発逆転を狙っているような気がする。日本は他の先進国とともに没落するのだろうか。

 自宅に戻ると、引っ越しのための資料の整理が待っている。ほとんどはゴミ箱行きなのだが、中には対応しなければならないものを発見する。住居変更手続きがまだやってなかったり、定年退職の挨拶をやっていなかった知人も思い出す。さっそく、電話をかけたり、メールを出したりする。時間はあっという間に過ぎるというが、それは過去を詳しく思い出せないからだと思う。古い資料を読んでいると、よくもまあこんなに多くことをやってきたものだと感心させられる。さまざま活動に参加したり、多様な人々と会ってきたのだ。名刺やハガキを見ても、顔を思い出せない人がいるのは少し寂しいような気がする。相手はこちらのことを覚えているのだろうか。もしそうであれば、申し訳ない気持ちが湧いてくる。名前を忘れないように、もっと丁寧に人と接するべきなのかもしれないと思う。

 その作業が終わると、近くの区民センターのプールにでかけた。プール利用のプリぺードカードの残高が少し残っていたので、それを使いたかった。収入がなくなったのだから、節約を習慣化しなければならない。50分プールで泳いだのだが、昨日に次ぐ連日のスイムのため肩のあたりに疲労がまだ残っている。途中で上がろうかと思ったが、外は雷が鳴り豪雨のようだ。傘を持ってきていなのだから、外出はできない。しかたなく、プールの中で泳ぎ続けた。平日と大雨のため泳ぎに来ている人はほとんどいない。1コースを完全に独占できた。相手の泳ぎのペースに合わせる必要がないので楽ちんである。

 市民プールを出たところで、傘を持って迎えに来た妻に出くわした。そのころには雨はほとんど止んでいて、二人で苦笑した。せっかくだから、セリ鍋でも食べに行こうかという意見で一致した。知り合いのお店で、別れを惜しんでお酒を飲まされ、競歩とスイムの疲れも相まって、酔ってしまった。でも、セリ鍋は美味しかった。健康的な食事だった。帰宅後は風呂に入るとすぐに布団に潜り込んだ。これが記念すべき1日目だった。

 2日目の火曜日も早起きして、NHKの語学番組を視聴した。朝食後、引っ越しのためにノコギリを使ってテーブルや椅子の解体を始めた。バラバラにして廃棄するのである。ノコギリを使うのは久しぶりのため当初うまく切れなかったが、慣れてくれば面白い。それでも、額に汗が噴き出てくる。休み休みやらないと息が上がってしまう。何事もゆっくり着実にやることに限る。午前10時には一通りの作業を終えた。

 外出だ。まず、歩いて40分の距離にある六義園に向かった。シダレザクラを鑑賞するためだ。昨年は大混雑のなかでライトアップされた大木の桜を楽しんだのだが、今年は空いている時、昼間の桜を見たかった。でも、平日と言うのに入場まで10分待ちの人出だ。ここも年寄りばかりだ。若い人は仕事をしているのだからいないのは仕方ないが。シダレザクラは7、8割咲きというところか。でも、満足した。

 本郷通り沿いにも多くの桜の木が植わっている。それらを楽しみながら、東大総合研究博物館を目指した。東大の先生たちが研究で採集したものを集め、展示してあった。欲を言えば、日本を代表する大学にしてはコレクションが貧弱なように思える。お金がないというのはコレクションに即反映されるのだろう。

 歩き続ける。後楽園を経て、靖国神社でお参りして、桜の名所の千鳥ヶ淵に到着した。ここも人でごった返していた。少々疲れる。時間を見計らって、「東アジア地域包括的経済連携(RCEP)」のセミナー会場に向かう。
 米国がTPP交渉から脱落したため、米国が含まれていないRCEPの行方が注目されている。今年はASEAN創立50周年ということもあり、一気に交渉がまとまるのか、それともグローバル化や自由貿易のブームが一段落しているため、継続交渉になるのか気がかりなところだ。米国はRCEPは中国主導の枠組みと考えているため、まとまって欲しくないだろう。
 今日のセミナーはセミクローズドで、講師は経済産業省の交渉担当官ということもあり、面白いことが聞けるかと興味を持った。講演後、交渉の内容について鋭い質問が飛ぶのだが、講師はその内容を詳細に語ることはなかった。そのため、質問は細切れになり、仕舞いには予定よりも40分早くセミナーは終わった。役人の立場では、国家間の交渉事であるため、日本の戦略も含めて多くを語ることは許されていないのだろう。でも、質疑応答のやりとりから判断すると、今年中の合意は困難だという印象を強く受けた。米国政府は安心だろう。

 セミナー会場を後にすると、徒歩で王子の賃貸住宅まで戻った。2時間近くかかった。夕食は引っ越し準備のため調理できないので、近くのレストランで食べることにした。わたしはトンカツ定食を注文し、妻はカツ煮定食を食べた。カツ煮は味が濃い過ぎたそうだ。

 明日の朝食をセブンイレブンで買って帰宅した。万歩計は3万7千歩を示していた。毎日3万歩をクリアする予定だが、3万7千は少し多すぎたようだ。風呂に入ると、睡魔に襲われ8時30分に寝てしまった。

 今日も少し頑張り過ぎたかもしれない。これでは仕事をしていた方が楽だなと苦笑してしまった。

(2017年4月5日、寺岡伸章)
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人生は素晴らしい

 文部科学省で定年退職の辞令をいただくとともに、永年勤務者表彰式に出席し、今帰宅した。再就職問題で組織が揺れ動くなかでの誠に残念なタイミングの退職だが、人生後半は故郷の八代市に帰省して生きていきたい。今までお世話になった方々に心からお礼を申し上げるとともに、今後ともご支援とご鞭撻をいただきたくお願い申し上げます。それにしても式典での挨拶の終盤で、事務次官は涙声だった。醜聞のために退職者の再就職の機会を奪ったという申し訳ない気持ちと、組織が法令を守れず腐敗・堕落したという無念さから来ていると思う。

 でも、来週から背広と満員電車から解放されるのは素直に嬉しい。九州に戻れば、仕事中心の生活からスポーツ、芸術、読書、語学学習、ボランティア、旅行などの活動へと激変する。失職し平凡なおじさんに戻ることになる。真の人間力が試されるようになろう。社会システムの一部からごく自然の状態に戻るのだ。時代の最先端はシンプルライフであり、スローライフを享受することだろう。1日に一つ良いことや気づきがあれば十分だ。
 でも、精神は崇高のままでありたい。地方からグローバル金融資本主義と戦いたい。世界分断の諸悪の根源であるからだ。地方から森里川海の連環を再構築したい。人間存在の基盤であるからだ。地方から文化や伝統を大切に保存し復活させたい。人間の尊厳の基礎であるからだ。
 2週間後の土日は、福岡県糸島市で開催される110キロウォーキング大会に出場するが、九州の大地を15万歩踏みしめて、大地の神々に帰省の挨拶をしたい。神々は歓迎してくれるだろうか。完歩の後押しもお願いしたいものだ。

 スペイン巡礼徒歩の旅に備えてスペイン語を勉強しているが、こんな文章がある。Pan con jamon y vino, eres todos.意味はパンとハムとワインがすべてだ。人生にはこれらのものがあれば十分である。仕事も人間関係もお金も煩わしいことはみんな忘れよう。そんなものがなくても生きていける。モノや栄誉を所有したり抱え込むのではなく、シンプルな生活に戻ろう。豊かな自然と神々と文化伝統に囲まれて、生きている実感を感じながらゆっくりと生きていきたいものだ。
 都会には何でもあるが、大事なものは何もない。今後ともお付き合いのほどを宜しくお願い申し上げます。
 La vida es maravillosa. 人生は素晴らしい。

(2017年3月31日、寺岡伸章)
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コーチング

 野球やサッカーの選手が上手くなるために、引退したベテランが技術を伝達するのをコーチングと呼ぶが、これはスポーツに限ったことではない。役に立たないコーチングもある。それは友人によるゴルフのコーチングかもしれない。言われるままにやろうものなら、スイングがバラバラにされて、ポイと捨てられるのが落ちだ。彼らにはこれぽっちも加害者意識がないのはさらに悪いのだが。

 仕事においては、効率的・効果的にに行うには、はやりコツみたいなものが存在する。業務を素早く終えて、早く帰りたいし、高いパフォーマンスを上げて出世したいと思うのは人情だろう。でも、その業務の背景や必要性や意義をきちんと理解していないと、どのように、どこまで課題を解決していいか分からない。ポイントを抑えていないと、無駄な作業をしたり、間違った判断をしてしまう恐れがある。だから、仕事のやり方に精通しているエキスパートに教えてもらえると、本当に有り難い。このようなノウハウにはお金を支払っても高くはなかろう。将来の自分への投資である。このような仕事上のコーチングは日本ではあまり普及していない。先輩や上司から指示されながら、仕事を覚えていくという風土が日本の会社にあるためと思われるが、先輩達がつねに正しいとは限らない。もっと合理的、科学的アプローチがある可能性は低くない。米国ではエグゼクティブ候補者を対象にしたコーチングが普及していると聞いたことがある。

 健康長寿は高齢者だけでなく若い人の高い関心事と言われるようになった。日本人の平均寿命は83歳と世界一を誇っているが、海外の大学の調査によると、2030年には韓国が世界一になり、日本は今よりは伸びるものの世界11位まで落ちるとの予想が最近発表された。理由はよく分からないが、日本人の平均寿命の伸びは勢いが鈍ってきているらしい。海外に比べて規制が緩い農薬や食品添加物の大量使用がじわりと効いてきているのかもしれない。ミツバチの減少で受粉が少なくなっているのは特定の農薬のためだとされるが、政府の腰は重い。

 話はコーチングに戻るが、健康増進コーチングがあってもいいと思うのはわたしだけではなかろう。体質に合った栄養と食事の摂り方、運動の量と質のメニューの提案、病気や医者との付き合い方、精神的生き甲斐探し、死ぬまでの人生設計、資産の運用はどれも健康に大きく影響している。これらを総合的に判断するには相当な知識と経験が必要であるが、不可能というものでもない。一人でコーチングできないのであれば、2~3人のチームを作ってその人に対してコーチングすればよかろう。会社組織にすれば、儲かるのではなかろうか。需要は確実にあると思う。かつては、このようなことは親がアドバイスしてくれたものだが、核家族化し関係が希薄になったこともあるが、最新の科学的知見を踏まえたコーチングとなると、専門家に依存しなければならない。金持ちはいつも得をするように世の中は作られている。

 もし健康コーチングの費用支出を防ぎたいのであれば、質の良い友人を持ち、お互いに経験や知識を交換し合い、自分に合ったものを積極的に取り入れていくことだ。飲み食いの費用だけで、ただの情報が得られるのが嬉しい。ただし、コーチングは権威があるのでその指示に従うが、友人からの忠告に素直になれるかは個人しだいということになる。自分に甘い人には馬耳東風だろう。豚に真珠かな。

 コーチングは突き詰めていくと、人生の何に価値があるということを自分で決められず、指示を待つ人が出かねない。ストレスを溜め、自分が見いだせないノウハウ重視の人には救いの手かもしれない。自分に合わないことに挑戦し続けて、失敗し、傷つくよりも楽しい人生を送れそうだ。そこまで極端でなくても、数百パターンの生き方の一覧表から自分に合った職業や趣味をコーチに選択してもらうというやり方もあるだろう。
 遺伝子分析や知能指数や運動能力を踏まえて科学的に分析すれば、高い確率で「正解」に当たるはずだ。そのようなコーチングは急速に発展している人工知能がもっとも得意とするところかもしれない。

 他人のことは客観的に判断できても、自分のことは分かりにくい。年齢を重ね智恵がつき自分を正しく理解できるころにはすでに手遅れの場合が大半だ。
 たかがコーチング、されどコーチングなのかもしれない。

(2017年3月3日、寺岡伸章)
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GDP27位の国

 東芝は解体的危機に瀕している。米の原子力事業会社買収はまったく間違った判断であった。7千億円規模の欠損を記録し、その重みのため債務超過になった可能性が高い。倒産だ。経営者はいったい何をしていたのだろうか。原子力ルネッサンスという言葉に惑わされたのか、買収先の経理情報が隠蔽されていたのか。それにしても、それを見破れなかった経営者責任は負うべきである。
 かつて日本型経営は長期的視点で投資を行う、株主でなく従業員やクライアントや取引先を大切にするなど好意的に評価されてきたが、雲行きは怪しい。三菱自動車、シャープ、三洋など経営が破綻し、外資に買収されているのではないか。もの作り日本の敗北であるが、大方の日本人はそれを認めようとしていない。

 日本のGDP規模は世界3位だが、一人当たりのGDPは世界27位(2014年)まで転落した。4万ドルを切る直前にある。シンガポールにははるかに及ばず、香港にも抜かれている。28位はイタリア、29位はスペイン、30位は韓国が迫っている。もはや経済は一流とはとても言えない。少子高齢化と格差拡大の厚い雲が日本を暗くしているが、国民は政府に対してデモを起こすでもなく静かにしている。自宅に引きこもり、自然死を待っているのだろうか。

 国力が衰えているこんな状態で科学技術力が維持できるはずがない。もはや博士号を取得できる層は金持ちの師弟になっている。普通のサラリーマンは子どもを28歳まで養えるお金がないし、国の支援も貧弱である。お隣の中国ではまだ貧乏な子どもでも優秀であれば、学者になる夢が叶えられるのだ。教育は国家百年の計と言うが、為政者の眼力が異なるようだ。

 マスメディアにも危機感がない。日本人は凄いぞという番組を垂れ流したり、魅力的な国ニッポンに外国人が押し寄せているニュースばかりだ。国民全体が国力の低下から目をそらしているのはわたしの偏見なのだろうか。負の側面を見せない国家レベルの情報統制が行われているのではないかと疑ってしまう。大陸の国を嗤う資格はないのだ。

 今年はスペイン巡礼で40日間以上を過ごす予定だ。物価は安いと聞いていたが、数年後には円がもっと安くなり、スペイン貧乏旅行はできなくなるかもしれない。
 16年前にバンコクに駐在していときには、老後はチェンマイに別荘を購入し、毎日ゴルフをやりたいと夢を描いていたが、今では日本の田舎の方が安い。4000円以内で1ラウンドできるコースも多々あるが、団塊の世代がゴルフを引退する数年後にはもっと価格は下がるだろう。タイ移住の夢はあっけなく消えた。ゴルフ場は大方外資に買収されているが、日本の田舎が一番だ。

 人口が減少し、平均年齢が上がる状況下で、国力を上昇させる妙案はない。政策ではどうにもなりそうもない。
 GDPは低くても、豊かな社会を目指すしかない。お金のかからない心が豊かに感じる活動を増やしていこう。発想を変えて、貨幣を使わないようにしよう。家庭の外へのアウトソーシングをやめるのだ 。
 お祭りに参加しよう、地方の歴史を勉強しよう、天気の良い日にはハイキングに行こう、絵を描いたり音楽を演奏したりしよう、仲間が集まって野外で料理をして笑顔で飲食しよう、早朝に散歩しラジオ体操をやろう、貧しい家庭の子どもには勉強を教えてあげよう、家庭菜園で余ったものは近所にお裾分けしよう、環境保護活動に参加しよう、無料の講演会に行って勉強しよう、防犯や防災も自分たちでやろう、毎朝笑顔で挨拶しよう。
 そうやればお金はなくても、楽しい人生を送れるはずだ。

 今までの価値観とやり方を捨てなければ、未来はやって来ない。

(2017年2月15日、寺岡伸章)
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