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中国・アジア

悠々自適

 いよいろ定年退職後の自由な生活を満喫できるときがやってきた。今まで組織の枠組みの中に閉じ込められたり、勘違い上司や訳の分からない部下に悩まされながら(相手も同じことを考えていたと思うのでお互い様だが)仕事をやってきたのだが、これからは自分の時間を好きなように使うことができる。何をなってもいいし、何もやらなくてもいい。褒められることも、叱られることもない。主人公は自分であるし、評価者も自分なのだ。世界は自分を中心に廻っているのだ。解放感を満喫したい。

 最初の月曜日がやってきた。早朝6時前に起き、NHKのテレビとラジオの語学学習からスタートだ。英語と中国語にブラッシュアップをかけ、さらにスペイン語、フランス語などに挑戦し、その成果を現地で確認したい。時間はあるので、格安の海外貧乏旅行を楽しむためにも外国語は必須である。夢は地球を駆け巡る。

 語学番組が終わると、荒川沿いの徒歩だ。いつもの約14キロコースをできるだけ速いスピードで歩くのだ。平日のため、散歩していたり、ジョギングしている人はやはり少ない。本格的な春で気温も上昇し、汗が出る。競歩の講習会に参加した成果のためか、2時間を切るスピードで帰宅した。平均時速7キロ超に大満足。途中のトップスピードは時速8キロを超えていた。フォームが安定してくればもっと速く歩けるようになるだろう。どこまでいけるか楽しみである。

 帰宅後、国民保険加入と転出手続きのために妻と区役所に出かけた。4月最初の月曜日とあって大変混雑している。年寄りがやたら多い。仕事を辞めたのだから、今後どこに行っても年配者ばかり見かけるようになるだろう。2月に参加した熊本城マラソン大会では周りの選手は若い人ばかりで、違和感を覚えたのを思い出す。42キロも走るというのに、若者はみんな笑ってはしゃいでいた。それが若さというものだろう。でも、区役所では笑い声はどこからも聞こえない。
 結局、手続きが完了するまで2時間もかかった。時間はいくらでもあるからと言っても2時間はかかりすぎる。ITの時代にどうにかならないものかと思うのだが、現状を変えたがらない役所だから変化は期待できないかもしれない。政府や地方自治体の業務が効率化する国が繁栄を勝ち取ることになるだろう。新興国は一発逆転を狙っているような気がする。日本は他の先進国とともに没落するのだろうか。

 自宅に戻ると、引っ越しのための資料の整理が待っている。ほとんどはゴミ箱行きなのだが、中には対応しなければならないものを発見する。住居変更手続きがまだやってなかったり、定年退職の挨拶をやっていなかった知人も思い出す。さっそく、電話をかけたり、メールを出したりする。時間はあっという間に過ぎるというが、それは過去を詳しく思い出せないからだと思う。古い資料を読んでいると、よくもまあこんなに多くことをやってきたものだと感心させられる。さまざま活動に参加したり、多様な人々と会ってきたのだ。名刺やハガキを見ても、顔を思い出せない人がいるのは少し寂しいような気がする。相手はこちらのことを覚えているのだろうか。もしそうであれば、申し訳ない気持ちが湧いてくる。名前を忘れないように、もっと丁寧に人と接するべきなのかもしれないと思う。

 その作業が終わると、近くの区民センターのプールにでかけた。プール利用のプリぺードカードの残高が少し残っていたので、それを使いたかった。収入がなくなったのだから、節約を習慣化しなければならない。50分プールで泳いだのだが、昨日に次ぐ連日のスイムのため肩のあたりに疲労がまだ残っている。途中で上がろうかと思ったが、外は雷が鳴り豪雨のようだ。傘を持ってきていなのだから、外出はできない。しかたなく、プールの中で泳ぎ続けた。平日と大雨のため泳ぎに来ている人はほとんどいない。1コースを完全に独占できた。相手の泳ぎのペースに合わせる必要がないので楽ちんである。

 市民プールを出たところで、傘を持って迎えに来た妻に出くわした。そのころには雨はほとんど止んでいて、二人で苦笑した。せっかくだから、セリ鍋でも食べに行こうかという意見で一致した。知り合いのお店で、別れを惜しんでお酒を飲まされ、競歩とスイムの疲れも相まって、酔ってしまった。でも、セリ鍋は美味しかった。健康的な食事だった。帰宅後は風呂に入るとすぐに布団に潜り込んだ。これが記念すべき1日目だった。

 2日目の火曜日も早起きして、NHKの語学番組を視聴した。朝食後、引っ越しのためにノコギリを使ってテーブルや椅子の解体を始めた。バラバラにして廃棄するのである。ノコギリを使うのは久しぶりのため当初うまく切れなかったが、慣れてくれば面白い。それでも、額に汗が噴き出てくる。休み休みやらないと息が上がってしまう。何事もゆっくり着実にやることに限る。午前10時には一通りの作業を終えた。

 外出だ。まず、歩いて40分の距離にある六義園に向かった。シダレザクラを鑑賞するためだ。昨年は大混雑のなかでライトアップされた大木の桜を楽しんだのだが、今年は空いている時、昼間の桜を見たかった。でも、平日と言うのに入場まで10分待ちの人出だ。ここも年寄りばかりだ。若い人は仕事をしているのだからいないのは仕方ないが。シダレザクラは7、8割咲きというところか。でも、満足した。

 本郷通り沿いにも多くの桜の木が植わっている。それらを楽しみながら、東大総合研究博物館を目指した。東大の先生たちが研究で採集したものを集め、展示してあった。欲を言えば、日本を代表する大学にしてはコレクションが貧弱なように思える。お金がないというのはコレクションに即反映されるのだろう。

 歩き続ける。後楽園を経て、靖国神社でお参りして、桜の名所の千鳥ヶ淵に到着した。ここも人でごった返していた。少々疲れる。時間を見計らって、「東アジア地域包括的経済連携(RCEP)」のセミナー会場に向かう。
 米国がTPP交渉から脱落したため、米国が含まれていないRCEPの行方が注目されている。今年はASEAN創立50周年ということもあり、一気に交渉がまとまるのか、それともグローバル化や自由貿易のブームが一段落しているため、継続交渉になるのか気がかりなところだ。米国はRCEPは中国主導の枠組みと考えているため、まとまって欲しくないだろう。
 今日のセミナーはセミクローズドで、講師は経済産業省の交渉担当官ということもあり、面白いことが聞けるかと興味を持った。講演後、交渉の内容について鋭い質問が飛ぶのだが、講師はその内容を詳細に語ることはなかった。そのため、質問は細切れになり、仕舞いには予定よりも40分早くセミナーは終わった。役人の立場では、国家間の交渉事であるため、日本の戦略も含めて多くを語ることは許されていないのだろう。でも、質疑応答のやりとりから判断すると、今年中の合意は困難だという印象を強く受けた。米国政府は安心だろう。

 セミナー会場を後にすると、徒歩で王子の賃貸住宅まで戻った。2時間近くかかった。夕食は引っ越し準備のため調理できないので、近くのレストランで食べることにした。わたしはトンカツ定食を注文し、妻はカツ煮定食を食べた。カツ煮は味が濃い過ぎたそうだ。

 明日の朝食をセブンイレブンで買って帰宅した。万歩計は3万7千歩を示していた。毎日3万歩をクリアする予定だが、3万7千は少し多すぎたようだ。風呂に入ると、睡魔に襲われ8時30分に寝てしまった。

 今日も少し頑張り過ぎたかもしれない。これでは仕事をしていた方が楽だなと苦笑してしまった。

(2017年4月5日、寺岡伸章)
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Happy retirement

 お早うございます。いかがお過ごしでしょうか。
 私の方は今朝も清々しい朝を迎え、お天道様に感謝しています。生きているという実感を覚えます。

 35年勤めた文科省での勤務は実質的にあと1日となりました。定年退職後の失職と郷里移住の二つのビッグイベントはどうやら乗り越えられそうです。
 心の整理は誰もやってくれませんので、自分でやるしかありません。一般的に言って、定年後も働き続ける理由は、①経済的理由、②他にやることがない、③社会的地位を失いたくない(エリートクライシス)の3つでしょうか。
 ①の人は自分の生活を維持するために仕方ないかも知れませんが、生き方をシンプルにすれば生活レベルを下げることは苦痛ではないと思います。わたしの場合収入がなくなるため、生活レベルを下げざるを得ませんが、どこまで下げられるか実験してみようと思っています。お金を嫌悪することが国際金融資本主義と戦う出発点です。お金を持たず遠ざけなければなりません。
 ②の人もときどき見かけますが、天や神から預かっている生命を無駄にしているように思えてなりません。この世での自分の役割を真剣に考えて行動すべきです。本当に暇であれば、地球資源をこれ以上消費することなく、地球から去って行って欲しいものです。次世代に地球で生きようとしている生命は無限に待っていますから。
 ③の人も困ったものです。大学教授、高級官僚、大企業の役員にごろごろいそうです。彼らは普通のおじさんやおばさんになることを極度に恐れています。特別扱いされたり、チヤホヤされたりし続けようとしています。特権を失いたくないのです。でもいつかは普通の人に戻って老いぼれ、車いす生活を経て寝たきりとなり、静かに去っていくしかありません。その運命を極度に避けていては救われないと思います。

 さて、先日発表された各国幸福度指数で日本は51位でした。タイはわたしの予想通り日本より上位に位置しています。日本がこんなに低いのは、困ったときに相談する相手がいないことが原因です。日本人は絆が強いと思われがちですが、じつはみんな孤立しています。人生の意味を語ったり、悩みを打ち明けたりすることが憚られる閉鎖的な社会です。戦後血縁と地縁を切り裂くことで、人々を孤立させ競争でふるいにかけて管理することで、日本は近代化してきました。どこでもお金のことしか話題にしなくなり、心が貧弱になったことに気が付いていません。うまくいくかどうか分かりませんが、郷里に帰ったら、近所との物々交換から始めたいと思っています。自宅の庭でできた野菜や誰かが送ってくれたもののお裾分けを近所に配ることで、絆の再発見をしてみようと思います。お金の話題はできるだけ遠ざけます。そうやって地域で共存している実感が湧けば、生活が安全で心安らかなものになるはずです。古き良き時代に勇気をもって戻るのです。機会があれば、タイの寺院で僧侶生活も体験してみたいものです。今まで知らなかった世界が拓けると思います。

 さて、今年9月第一金曜日か土曜日にバンコクで会いましょう。タイ人の友達の顔が思い浮かびます。ゴルフを大いにやりましょう。スクラッチをやりますので、練習しておいて下さい。美味しいタイ料理を堪能しましょう。学生気分に戻って、飲んで騒ぎましょう。わたしの妻は監視役でついてくるかもしれませんが、その際には宜しくお願いします。
Happy retirement.

(2017年3月29日、寺岡伸章)
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怠惰なサムライ

 日本の大学の世界ランキングは発表の度に、低下が続いている。アジアの大学の中でもトップ100に入るのは前年より2校減って、7校になった。このようなランキングが発表されると、国内の大学から評価指標がシンガポールやマレーシアのような英語教育圏に有利になるように偏っているという批判が聞こえてくる。英語でなく母国語の日本語で高等教育を行っているのは自国文化の高さであり、もしろそれを誇りにすべきであるという根強い議論がある。その結果留学生数や外国人教員が少なくなり、ひいてはアングロサクソン系の評価指標では実力よりも低く位置付けられるというのだ。また、仮に教育で負けていても、ノーベル賞学者数で明らかなように、研究レベルではアジアどころか、世界のトップクラスにあると胸を張る。
 しかし、最近、北京大学や清華大学のような非英語圏の大学に抜かれると、今度は中国はお金があるから教育も研究も何でもできるが、日本はお金がないことがネックになっていると言い直す。巧みな負け惜しみばかり並べ立てている。敗北をけっして認めようとしないのが日本人の最大の欠点になっている。

 中国の大学に限らず、シンガポールやマレーシアの大学はもっとも斬新的な発想に基づいて21世紀にあり得べき大学を真剣に模索してきた。奨学金を出して周辺国から優秀な学生を招き寄せたり、世界中の優秀な研究者を掻き集めたり、ネットを介した米国の有名大学の授業受信などの施策を次々と打ち出してきた。また、文理融合のみでなく芸術の知識も含めた総合的な知見を持つ学生の育成、西洋科学のみでなくアジアの思想も併せ持った人材の養成にも取り組んできている。縦割りの学問の弊害をいち早く察知し、果敢にチャレンジしているのである。

 一方の日本の大学は旧態依然とした組織や運営に閉じ籠もり、世界の潮流から大きく取り残されようとしている。学者も学生も発想が内向きになり、未来を見据えたチャレンジを怠っている。そのような不作為の結果が世界の大学ランキングの低下を招いていると気がついていない。あるいは見ようとしていない。ガラパゴス化が甚だしい。

 明治維新は海外の事情に詳しい開明的な野心的な人々が改革を進めた。当時日本は新興国であったのだから、そのようなエネルギーが内部から吹き出してきたのだろう。現在、そのような新しい時代のうねりはアジアの新興国から起こっている。日本の大学は老大国のそれである。先進的なアイデアや独創的な発想がリスクが大きいと見做されて、敬遠されている。誰もリスクを取りたがらないからだ。

 勤勉で素直なサムライはいったいどこに行ってしまったのだろうか。

(2017年3月21日、寺岡伸章)
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啓発

 人と話をしていて、ワクワクした気持ちになることがときどきある。それは多くはないが、そのような気持ちになると、夢中になって議論を展開したくなる。でも、どんな話題がでたときにそのような心地よい興奮気味の気分にさせられるのだろうか。
 まず、どこかで聞いたような議論では人の関心を呼ぶことはできない。新聞やテレビで取り上げられ、すでに既知となってしまったことは感動を呼ばない。聞いていても眠くなるだけだ。新鮮さが重要なのは言うまでもないが、新しければいいというわけではない。

 新鮮であるだけでなく、生命の躍動感がないとダメなような気もする。あるいは、真実に迫ろうという強い意志や勇気があれば、その議論は迫力が出てくる。ワクワク感の源泉は弾ける生命であり、真実の探求であると思う。これはまさに、科学そのものである。生命と物質の真の姿を明らかにすることが科学である。人は生まれながらにしてそれらを探究したい好奇心を持っているのだ。

 ただし、そこで疑問に思うことがある。旺盛な好奇心を持つと、この世界が輝いて見えるようになるが、ではそのように仕向けてくれるものはいったい何なのだろうかと。相手の話を聞いたり、自分の説を展開しているとき、突然いいアイデアが閃くことがあるのだが、それは何がそうさせているのだろうかと思う。

 「啓発」という言葉を最近大切にしている。知的好奇心が全開になったとき、心が弾けたような気分になる。このとき、啓発を受けたような気分になる。それは天上からやってきたものかもしれないし、身体の底から湧き出てきたものかもしれないし、地下の深いところから流出してきたものかもしれない。いずれにしても、人間業でないように思えるのだ。

 1月上旬、中国に出張した際、創造的科学研究の創出方法について中国科学院の幹部と意見交換したのだが、幹部は別れ際に、啓発されたと言っていた。わたしも啓発的な議論だったと即座に同意した。
 優れた科学研究には、十分な研究費や優秀な人材が必要とされるが、もとより情熱、執念、直観が大事だということを、山中教授、赤﨑教授、大隅教授らのノーベル賞受賞の背景を分析しながら述べた。科学研究は論理的で合理的な行為のように一般には受け止められているが、大発見や大発明の究極の場において、発揮されるのは人間くさい情熱であり、執念であり、直観なのだと思う。これらの人間精神が存分に発揮された末に、どこかからご褒美のようにもたらされるのが世紀の発明である。それは啓発と呼んでもいいのかもしれない。ご褒美をくれる存在は神かもしれない。神が人間に与えるシグナルが啓発ではなかろうか。

 気の遠くなる宇宙で存在を認識しているのは人間だけではあるまい。そこには人智では信じられない存在もあるはずだ。人間は探究心を活用して、人間や生命や宇宙の謎を解こうとしている。その過程の人々の議論において、啓発が生まれてくるのだろう。それは人々に快適な気分にさせるがゆれに、絶対的に正しいことのように思う。
 啓発を信じ、それをもたらす友人を大切にしていこうと思う。

(2017年3月3日、寺岡伸章)
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都会の絵の具

 先週金曜日はプレミアムフライデーのため、早退し6月上旬からの40日間のスペイン巡礼のために担ぐリュックとデッサン画材を買いに行きました。いい買い物ができました。ショッピングにはまったく関心がなかったのですが、デーパートを歩いて回るのも結構楽しいですね。退職後の一つの楽しみにしたいとテイクノートしました。

 日本の凋落や日中戦争の可能性の話がありましたが、今のわたしの関心事項ではありません。北京に長く駐在していたときには、両国の関係をどのようにすればいいのかと真剣に悩みましたが、もうそんな大それたことは考えません。後輩たちの判断に任せたいと思います。
 わたし個人としては、もう日中両国の関係に口を出しませんし、どうすることもできません。個人としてやれることは戦争が起こっても生きていくためにはどうすべきを考えることです。戦争だけでなく、国家破綻、円暴落、大地震などで日本脱出を迫られた場合、どこに行ってどのようにして生活していくかが関心事項です。米国か、タイか、スペインか。
 この先に起こることは何でもありです。予測不可能です。科学技術政策の狭い枠に囚われていては生き抜くのが難しいこともあり得ますね。難しい時代です。

 八代移住計画は少しずつ進めています。勧められていた地元の同人誌に入会を申し込んだところ、代表及び会員から大変喜ばれました。人から大歓迎されることは正直嬉しいですね。小説やエッセイを書いて行きます。現実世界よりも小説世界の方が面白いようにも思えます。また、八代のゴルフ会員権を買いたいと電話したところ、すぐに手続きするための資料を送ると嬉しそうに言ってくれました。週2~3回はコースに行き、80切りの大きな目標に挑戦したいです。
 別の友人は桜島から薩摩半島までの4.2キロの遠泳大会にでないかと誘ってくれていますが、こちらの方は回答は保留です。これだけの距離を泳ぐには相当の練習をこなさなければなりません。結構興味ありますが、できる見込みがないことには安易に返事しません。私の沽券に関わります。そのような時間を確保できるかどうかイメージできません。本音は是非やってみたいのですが、安請け合いをしないのが私流です。

 とまれ、生活は激変するでしょう。ノーモア満員電車、ノーモア会議は嬉しいのですが、来たるべき未来は期待と不安が入り交じっています。
 高校卒業して、九州から東京に出てくるとき、当時大流行していた『木綿のハンカチーフ』の歌を歌いながら「東へと向かう列車に乗って」上京しました。「都会の絵の具に染まらずに帰って」の歌詞に忠実だったのは良かったと思います。科学や合理主義の唯物論の世界からいのちやこころを大切にする唯心論の世界に軸を移して生きていきます。

 どうもいろいろお世話になり、ありがとうございました。

寺岡伸章

価値を語れ

 学生時代の楽しかった思い出の一つは、八王子の大学共同セミナーに他大学の学生と泊まり込んで、夜遅くまで話し込んだことだ。テーマ毎に都内の学生が集い、指導教官の下で各自発表し合ったり、議論したりしたものである。地球環境問題やハイテクの未来などがテーマだったとかすかに覚えている。お酒を飲みながらの夜を徹しての議論はじつに楽しいものだった。このような経験は若者の特権であり、青春の貴重な思い出である。自分の専門に閉じこもることもなく、異なる学問分野の学生の友人を得たのは大きい財産だった。ここで知り合った人の中には、直木賞を受賞し大作家となった篠田節子氏、アルツハイマー研究の第一人者の一人になった理化学研究所脳科学研究センターの西道氏、NHKの東日本大震災の復興をフォローしているディレクターになったA氏などがいる。就職してからも、時々会ってはお互いに「啓発」したのをよく覚えている。

 「啓発」という言葉で思い出したのは、先の中国出張の際に中国科学院の幹部がわたしとの懇談の最後に、「啓発」という単語を使っていたのだった。建前にこだわらず国益を離れて本音で意見交換した態度が「啓発」という言葉に結実したのではないかと思う。両国の国益に関係なく、中国から優れた科学者が誕生することを心から願っている。科学は国境を超えた普遍的な文化である。会談後、心地よさを感じたのはわたしだけではなかったはずだ。

 創造的な仕事に携わる者にとって、啓発し合ったり、刺激を受けることは非常に大切である。自分が迷い込んでいる思考の壁をぶち壊してくれる可能性が高い。相手の異分野の視点で考えて、セレンディピティ(偶然の発見)に遭遇することもある。しかし、日本人は若者の間でさえ、師弟関係、先輩後輩関係、研究分野、所属組織の壁は厚く、お互いの真の交流を阻んでいる。参加の年齢の差が大きい会合でも、発言するのは高齢者ばかりであり、多くの場合、古い情報に基づいた既成概念からのコメントである場合がほとんどだ。本人は発言できて満足の様子だが、議論を活性化したり、若い参加者を啓発したりする場面は少ない。

 やはり、議論の雰囲気や場作りが大切だと思う。技術の進歩でプレゼンの手法も変わりつつある。従来発表が終わるのを待って質疑が行われるのだが、発表しつつも聴衆と双方向に議論を促進することができるようになった。発表者はプロジェクターを用いて発表するのだが、聴衆はプレゼンを聴きながらスライドにチャットを書き込める技術が開発された。テキストチャットの呼ばれるが、ニコニコ動画のチャットをイメージしてもらえば分かりやすい。発表者は横目でチャットを読みつつ、それに対しても口頭でコメントを追加すると一層高密度の意見交換ができるというわけだ。これであれば、学生や若い人でも気兼ねなく手元のPC経由でチャットできる。もう年配者に臆する必要はないのだ。この試みは大成功だった。おそらく、これが近未来のプレゼンの基本となる予感がする。

 これは科学者のセミナーだけでなく、国家の首脳の記者会見でも一般化されてくるに違いない。現在の記者会見は、発表原稿を読んだ後で、事前に記者から登録された質問に答える予定調和のスタイルであるが、それが崩れる可能性が高い。リーダーにとっては、不用意な発言で失脚するリスクになるが、より生々しいやりとりの展開は問題の本質に迫るきっかけになるだろう。政治家もハイテクを積極的に利用してもらいたい。

 本来議論は楽しいものであるべきだ。人工知能の発達で言語を超えた議論が行える環境が整えられつつある。グーグルは完成に近い日英翻訳技術を開発したとも伝えられる。そうなってくると自分は何を知っているかではなく、どんな価値を見出し、それを他者に広められるかどうかが鍵となる。価値観の発見が大切だ。

 世界は混迷を深めているように見えるが、それぞれの議論を一つ一つ吟味すると、人間にとってより重要な価値とはどれかを議論しているようにも感じる。テクノロジーの発展によりお互いの議論が深められ、新しい普遍的な価値へと収斂していくことを願う。お互いに信じている信仰を尊重する価値観の枠組み作りが必要なのだ。

 議論をさらに楽しもう。

(2017年2月9日、寺岡伸章)
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