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ボランティア

男は電話、女は手紙

 東日本大震災で1200人余の命が失われた岩手県大槌町の海を望む高台に、電話線がつながっていない白い電話ボックスがある。犠牲者の遺族は誰もがそのボックスのなかに入って、行方不明の家族と話をすることができる。もちろん、相手の声が受話器から聞こえることはけっしてない。自分の心の奥底に沈んでいる言葉を絞り出して、どこかにいる家族に向かって話しかけるだけだ。声に出せば、気持ちの整理ができるかもしれない。そう希望を抱いて、白い電話ボックスに人々がやってくる。

 熊本県水俣市に隣接する津奈木町に赤崎水曜日郵便局がある。それは廃校となった海の上に立つ赤崎小学校を郵便局に見立てたものである。水曜日に起こったことを手紙に書いてその郵便局宛に出せば、数週間後に見知らぬ誰かの水曜日の物語が送り返されてくる。誰かの平凡な水曜日の出来事は別の人にとっては心を躍らせることもある。見知らぬ世界を垣間見ることは旅に出るよりも刺激的である。こうやって、人々は手紙を媒体につながっていることを実感することができる。まじに、絆で結ばれているのだ。でも惜しいことに、この赤崎水曜日郵便局プロジェクトは明後日、終了する。

 風の電話にやってくる者は男性が多く、赤崎水曜日郵便局に手紙を書く人は圧倒的に女性が多い。男性は声に出して本音を語るが、女性は文章にしたためて心を開くのだろうか。外に向かう男の気持ちと、内に籠る女性たちの心。
 電話と手紙という媒体の違いはあるが、男も女も本来の姿は弱い。生きる上では、自分を実際以上に大きく見せなければならないが、けっしてそれは真の姿ではない。人生の勝利者に見えても、心の中は脆弱だ。そんな男たちが遥々大槌町の高台にやって来るし、多くの若い女性がネットではなく手書きの文を一文字ずつしたためる。

 白い電話ボックスにやって来なくていい人や、水曜日郵便局に手紙を書こうと思わない人は現状の生活に満足している幸せな方々に違いない。でも、電話をかけざるを得ない人や、手紙を書いて絆を確かめざるを得ない人も、この国には少なくない。

 そのような人々はそのそれらの存在を知って欲しい。ただそれだけでいい。それを友人に知らせる必要もないし、声に出して言う必要もない。ただ、彼らのために祈って欲しい。ただそれだけだ。それが微かな希望である。それだけでいいのだ。

(2016年3月28日、寺岡伸章)
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沖ノ島

 今日の水曜日は、知り合いのNPO代表のMさんから神聖で、面白い話を聴きました。

 福岡県宗像市の沖合の玄界灘に無人島の沖ノ島が浮かんでいます。この島は宗像大社沖津宮が鎮座し、「神の島」と呼ばれ、島全体がご神体で、今でも女人禁制の伝統を守っています。通常、神官が交代で現地に滞在していますが、男性でも日本海海戦記念日の5月27日以外は上陸を許されていません。日本海海戦記念日は帝国海軍がロシアのバルチック艦隊を破った日ですが、もし敗れていれば日本は植民地化されていたかもしれません。

 また、沖ノ島は漁師の信仰の対象になっており、日本固有の自然崇拝思想の原初的な形態を遺しているそうです。さらに、古代から中国、朝鮮 、ペルシャの宝物の終着点になり、「海の正倉院」としても知られています。

 Mさんは九州で勤務していた際、縁あって沖津宮に参拝した経験があるそうです。漁船に乗って2時間ほどで沖ノ島に到着し、上陸前に素っ裸で海水に入って身を清めるそうです。玄界灘の5月の海水はまだ冷たく、まさに身が引き締まる思いがしたと言います。禊です。
 上陸後、一行は島の中腹にある神社に参拝したといいます。Mさんはその神聖で、衝撃的な経験を経て、会社勤めを定年で辞めた後、大学院に入学し、博士号を取得し、自然と伝統・文化を守るためのNPO法人を立ち上げました。

 大昔からの日本の自然崇拝の文化が息づいているのは現代に生きている私たちにとっても神秘的で、非常に 魅力的です。Mさんのお話を聴いていると、わたしも是非沖ノ島に行ってみたくなりました。

 還暦になる今年、人生後半に向けて、神の御心に触れて心をリセットしたいと思っています。俄然元気が出てきた水曜日になりました。

(2016年3月23日、寺岡伸章)
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キメラ人間

 ある男のイメージを想像してみて欲しい。

 背広は英国製、時計はねじ巻きのスイス製、靴は当然イタリア製、眼鏡のガラスは日本製で縁はおしゃれなイタリア製、コートはカシミヤ。身体はライザップで鍛え、頭脳は人工知能あるいはそれに相当する明晰な知能、精神はサムライ由来の大和魂。
 これは継ぎ剥ぎだらけの国際的な悪趣味なのだろうか、それとも、21世紀を生き抜く、次世代の理想型の人物像なのだろうか、わたしにはよく判らない。

 21世紀という時代が混迷を深めるなかで、既存の価値観も秩序も次々と崩壊している。何が正しく、何が間違っているかを自信を持って答えることが困難になりつつある。伝統や文化に根ざす価値観に執着する人もいよう。ジェンダーなどの新しい社会ムーブメントに身を投じる人もいよう。頼りになるものは金銭と、金儲けに走る人もいよう。逆に、どんなにお金持ちになっても、世界金融システムが一気に破壊されれば(その危機は迫っているように思える)、泡に帰すると、自足自給の生活に戻る人もいよう。
 大半の人々は、そんなことは考えても、個人の力ではどうにもならないのだから、いつもの生活を淡々と送るだけと思っている。災難がやってきたら、運命に任せるしかない。直下型地震に死ぬかもしれないし、マイホームという財産を失うかもしれない。それは神のみぞ知るというわけだ。この諦めの思想が一番強いかもしれない。人生はどうにかなるかも場合もあるし、行き詰まってしまう場合もある。

 最初に書いたキメラ様人間はこの世の仮の姿を演じているのだろうか。人は揺らぎながら、生きている。

(2016年3月17日、寺岡伸章)
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心の旅

 昨日、3回目の100キロウォークに挑戦し、完歩した。過去のウォークの辛い経験はすっかり忘れていたが、歩くにつれて、脚の痛みが思い出され、しまったあの苦痛がやってきたと思ったが、すでに遅い。歩き始めたのだが、どんなにきつくても最後まで歩き通すしかない。やめれば、なぜ完歩できなかったのかと、必ず後悔がやってくるからだ。プライドに賭けても我慢してやり抜くしかない。

 今回の100キロは特別だった。自分のためでではなく、東日本大震災の犠牲者の追悼のためだったからだ。でも、午前3時半から歩き始めたころは、こんなかっこいいことが言えたが、足取りが重くなり、単調さに我慢ができなくなると、自分はなんと愚かなことをしようとしているのだろうかと、後悔の念が湧き起る。自分はバカな奴だと心底思うようになる。

 わたし一人が祈ったところで、2万人の魂が救われるわけではなかろう。2万人と言えば、少し小さめの球場の収容人数だ。大寺院の高僧ならばまだしも、無力のわたしが何ができるというのだ。身体の痛みを抱えながら、このように思ってしまう。きつい、我慢しても、やはりきついのだ。正直言って耐えられない。時間が過ぎるのがあまりにも遅い。俺はど阿呆だ。何なんだ、この現実は。わたしはいったい何者なんだ。なぜなんだ。
 こんなことばかり考えているのだが、かといってそのために苦痛が和らぐことはない。けっしてない。

 でも、一方ではわたしに味方してくれるものもある。夜明け前の漆黒の闇の荒川土手を歩きながらも、数人の散歩の人々と会った。かれらも頑張るわたしの仲間だ。しばらくすると、東の空が白み始めた。天からの曙もプレゼントである。朝日の光は神からの恩恵である。一気に空が明るくなり、ひばりが上空でさえずっている。生命の輝きだ。途中で持参したお握りを食べていると、そよ風が頬を撫でる。仏の慈悲に違いない。昼間は暑からず、寒からずだった。暗くなり始めたのは午後5時30分ころだったが、なかなか暗くならない。これも神の恩恵なのだろうかと思った。そして、暗闇の空を見上げると、雲の間から、三日月が覗いていた。じつに美しいスリムな月だった。ゴールの自宅近くの飛鳥山公園の柔らかい土を踏みしめて歩いているときは、大地から気をいただき、疲れが癒されているように感じた。ありがたかった。
 自然も神仏も挫けそうになるわたしを後押ししてくれているようだった。ありがたいことだ。

 それでも、それでも、時間の過ぎるペースは異常にのろかった。やめるにやめられない状況に嵌り、気が狂いそうだ。最後は、犠牲者の鎮魂のために歩き始めたことだ。彼らのためにも完歩しなければならない。自分のためではない。是が非でも。

 100キロウォークは一見するとスポーツだが、その実は厳しい心の旅だと思うようになった。つねに葛藤との闘いだ。
 何が楽しいのか、苦しいだけでないのか、怪我をする前にやめた方がいいぞ。周辺の友人は悪魔のように囁く。でも、自分が孤独な闘いに勝たないと、どんな祈りも天に届かない。

 何はともあれ、深夜0時を過ぎて、20時間54分の歩行を終えて自宅に帰還した。温めの風呂で汗を流して、ビールを飲んだ。味覚が麻痺し、美酒には程遠かったが、苦しみから逃れたことを実感した瞬間だった。やったと終わったと何度も思った。

 鎮魂歩行は完全と言うにはほど遠かった。やめたいという悩みにまみれた歩行だった。美しくはない。でも、自分にできる範囲でできたのではないか。
 あなたたちの死はけっして無駄ではなかった。そう思った。葛藤しつつも心の底から追悼した1日だった。

(2016年3月13日、寺岡伸章)
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鎮魂歩行

 東日本大震災及び東電福島原発事故からちょうど5年の歳月が流れた。震災と事故はわたしの人生観を変えた。ありていに言えば、合理性や科学的思考よりも目に見えない神秘的なもの、神仏のご加護、あるいは人との見えない絆を大切にするようになった。震災復興の支援のために、何度も現地に足を運んだことが懐かしい。機会があれば、また行きたい。わたしは忘れたくない。

 原発事故はわたし個人にとっても、日本社会にとっても大きな事件だった。ドイツは福島事故を教訓に原発撤退を決めたが、甚大な被害を出した日本では再稼働反対の世論が賛成の2倍いるにも関わらず、原発再稼働が着々と進められている。電力会社はすでに原発建設に多大な資金を投資しているため、その回収を行うために再稼働を行うのは経済合理的だろう。役所は官僚特有の前例主義のため、政治的に政策の大転換が決断されない限り、原子力推進が継続される。無謬性の虜になっている人たちだ。肝心な政治家は再稼働で潤う地元の企業や旅館などの強い要請を受けて、やはり再稼働を選択せざるを得ない。政権の中枢も、原発大手企業の痛手を考慮すると、原発廃止の選択は難しい。結局のところ、原発を放棄した後の国の海図が描けないため、現状維持を選択せざるを得ない状況にある。想像力と勇気の欠如であり、責任の放棄である。

 客観的に考えると、二度とあのような過酷事故を起こさない対策を工学的に行うことは可能であり、放射性廃棄物の処理や処分も可能である。これは、専門家の立場で科学的や工学的に発想した場合であるが、民主主義国家である限り、国民の意見の影響力はやはり大きい。電力料金の高騰(長期的に見れば、止めた方が安いかもしれないが)があっても、安全で安心できる生活を優先したいというのであれば、電力会社も政府もそれに従うしかない。原発なき後には、従来の豊かな生活を守るために自然エネルギーの専門家にイノベーションを起こしてもらうしかない。国の窮地を救うような技術開発が期待されるので、専門家は総力を挙げて、国民の負託に応えてもらいたいと思う。

 大震災で亡くなった方と関連死を含めると、2万人を超える。これらの犠牲者のためにじつに多くの人々が手を差し伸べてきた。スポーツ選手は勇気を、芸術家は癒しを、政府は予算を提供してきた。わたしは何ができるのだろうか。何かをやりたい。無力なわたしでも、祈ることはできるはずだ。

 明日、犠牲になった人々の魂を鎮めるために、ひたすら祈りつつ、歩きたい。できれば、遠い東北に思いを馳せながらも、都心を12万歩歩いてみたい。脚が棒になりどんなにきつくても、犠牲になった人の最期の思いに比べると、軽いものだろう。肉体は辛くても純真な心を伝えたい。
 あなたたちの死は無駄ではなかった。遺族がいつまでも忘れずに暖かく見守ってくれているはずだ。犠牲者の分まで遺族は一生懸命に生きていくに違いない。
 わたしは長距離歩行という形で、魂の安楽を祈る。
 安らかにお眠り下さい。わたしたちは惨禍をけっして忘れませんから。

(2016年3月11日、寺岡伸章)
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イチゴ狩りとイタリアランチ

 3万6千人のマラソンランナーが都心を駆け巡っている時、わたしたちは茨城県守谷市でイチゴ狩りとイタリアランチでのんびりした時間を過ごしていた。
 守谷市は都心から1時間圏内で、自然もまだ残っているため、日本でもっとも住みやすい自治体の一つにランクされているという。筑波エクスプレス開通で新興住宅街が次々と立ち並び、若い世代が押し寄せて来ている。その結果、相対的にに高齢者の割合が減少し、こちらも日本有数の高齢者率の低い街だと聞いた。若々しく、瑞々しい街という印象だ。

 しかし、鬼怒川と利根川が交流する守谷は洪水が多く、開拓が進んだのは戦後になってからだ。かつて雑木林だった土地は誰も進んで開墾することはなかった。
 戦前、開拓の夢を抱いて満州に渡った山形県の農村の多くの人々がコレラ等で命を落としつつもやっとの思いで帰国した。開拓の夢を捨てきれず、70数戸の農民に提供された土地は茨城県の守谷だった。この土地こそ大八洲(オオヤシマ)開拓地だ。今では乳牛と肉牛が放牧されている長閑で豊かな農地に変貌している。

 この牛舎から供給される生乳から飲むヨーグルトを製造しているのが「ミルク工房もりや」だ。明治乳業などの大手メーカーは牛乳(製造生乳)からヨーグルトを製造してるが、この工場では自然に近い味を出すために生乳から作っている。そのため、価格は少し高くなっている。見学は窓越しだったが、低温殺菌のために慎重になっている様子が窺い知れた。後ほど、ヨーグルトを試飲したが、甘いがスッキリした味だった。

 次に向かったのはサンモリヤの巨大温室ハウスでのイチゴ狩りである。40分間でどれだけでも自分で摘んで食べることができる。大きくて真っ赤に色づいたイチゴを好きなだけ頬張った。甘くて酸っぱいイチゴの味。20分も経つと食べられなくなるほどお腹がいっぱいになった。こんなに沢山イチゴを食べたのは初めてだ。これで、今年はクリスマスがやってくるまで、イチゴは食べなくていいかもしれない。

 バスに戻って、一行は桜坂ビバーチェへと出発した。このお店は地元の高級寿司屋だったが、引き継いだ息子はイタリアでの5年間の料理修行の経験を基に、寿司屋を大幅に改修し、なんとイタリアの雰囲気万点のお店に変貌させてしまった。30代の店長は敷地内で採れたフキノトウの天ぷらを自ら作ってくれた。
 もちろん、サラダ、パスタ、スープ、ピザ、お肉などのイタリア料理も大いに楽しんだ。イチゴで腹いっぱいになっていたが、これらの料理の食欲を止めることはできないほど美味しかった。パスタは地元産のホウレンソウと人参を使った試作品を提供してくれた。わたし的にはもう少しコシが欲しかったのだが。
 
 初春を思わせる日差しを浴びながらも、風は冷たかった。でも、高台のレストランから大八洲(オオヤシマ)開拓地を遠望してのランチは理想に近かった。

 お土産に守谷産の新鮮な無農薬野菜を買って帰った。都市近郊で過ごす週末の時間こそ、至福の一瞬に違いない。また、来年やって来たい。

(2016年2月28日、寺岡伸章)
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